どうしてこうなった
進級前の最後の日、白哉は不機嫌だった。何故かは井塚にも分からない、というか話してくれないのだ。何かあったのかも分からなければ、こちらも対処のしようがない。
「どうしたのさ、朽木くん。朝っぱらからずいぶんと不機嫌だけど」
「……」
「次年度からきみ三年生に混じるんだぞ?そんな雰囲気じゃ馴染めないと思うなー」
「……」
「……あの、何か言ってくれないかい?流石に『なんでも相談窓口』と言われた私でも、話してくれなきゃ何もできない」
そう言ってみるが、やはり無反応。井塚ははぁ、と深いため息をついた。ちなみに「なんでも相談窓口」とは、同期の生徒のほとんどと、それなりに関わり、それなりに相談に乗っていたりしたら、いつの間にかつけられてしまった呼び名だ。本人的にはそんな大層なものではないと思っているのだが。
もうすぐ午前の授業が始まってしまう。その前に、この不機嫌な雰囲気をまき散らして、周囲を重くしている白哉をどうにかしなければ、周囲の懇願の目がなくならない。というかみんなも手伝ってくれ。
と。
「……だ」
「ん?」
「貴様と離れなくてはいけないのが、いやだ」
「は」
はぁ!?
白哉から発せられた予想外の言葉に、井塚が思わず叫び声をあげる。一方の白哉はいまだに不機嫌そうな――いや、すねたような表情をしている。
最初の定期考査の後のあれ以降、他の生徒より比較的親しい関係を築き、友人と呼べるくらいにまではなっていたとはいえ、今回の言葉は意外すぎた。
少々短気なところがあるとはいえ、朽木 白哉は貴族の長男だ。弁えるところは弁え、礼節を重んじ、優秀な死神になるための鍛錬は怠らない。
それが今、井塚と離れるのが嫌だ、という理由ですねているのだ、驚くほかあるまい。
「何言ってるのさ朽木くん、頭打った?大丈夫?保健室行く?」
「どうしてそうなる!」
「いやだって君からそんな、デレ全開の言葉が発せられるなんて予想外でさぁ。ツンデレの流行はあと百年程先のことだよ?」
「時折、貴様が何を言っているのか分からなくなる時がある……」
「おや奇遇だね、私も今の君の態度の理由がわからない」
そう笑って言うと、何故かきっ、と睨まれてしまった。何故だ、何も間違ったことは言っていない。
「確かに、一年程早く朽木くんは卒業してしまうことになるけれど、何も明日からすぐに護廷十三隊に入って死地に向かう、ってわけじゃないし。同じ校舎内にいるんだ、休み時間にいつでも会えるさ」
ケラケラ、とわざとらしい笑い声をあげてそうフォローを入れる。冷静に考えれば、白哉が自分以外と親しく話しているのをほとんど見たことがない。四大貴族だか、高尚な立場の人間だ、距離を置いてしまう人間も多いのだろう。井塚にしてみたら、そんなものは側溝にでも捨ててしまうくらいには、いらないものだが。
そんな白哉に、我ながら気さくに話しかけているのだ。気の置けない友人候補として、懐かれるのも仕方ないのかもしれない。
そんなことを思いながら彼女が白哉を見ると、どこか複雑そうな表情でこちらを見ていた、何故だ。
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――確かに、一年程早く朽木くんは卒業してしまうことになるけれど、何も明日からすぐに護廷十三隊に入って死地に向かう、ってわけじゃないし。同じ校舎内にいるんだ、休み時間にいつでも会えるさ
彼女の言葉に、納得した気持ちと、違うという気持ちが綯い交ぜになる。何故そんなものが胸中に湧き出でているかはわからない。
春先以来、交流を深めていた井塚は、飛び級の話をしてもその場では「よかったね」の一言のみだった。後日、祝いの品として厄除け鈴の耳飾り、とかいう胡散臭い品を送ってきたときは、その感性のずれに自室で呆れてしまったが。その贈り物を律儀につけている自分も、大概なのだろう。通常は中に玉が無いため音は鳴らないが、持ち主に害が及びそうになると音が鳴るらしい。やはり胡散臭い。
飛び級するのはいいことだ。死神になり、一日でも早く役目を果たすのは、幼少からの目標だった。
だのに、今はその目標とは反対に、井塚と離れるのを嫌がる自分もいる。
気の置けない友人と離れるのが嫌だから?否、それなら彼女の言う通り休み時間に会いに来ればいい。
ならば、一体何故なのか……。始業の時刻になり、授業が始まってからも、白哉の疑問は解決することなく、胸の中でしこりとなって残り続けた。
「朽木くん」
「……なんだ」
昼休み。珍しく他クラスの人間に会いに行かなかった井塚は、白哉に声をかけてきた。
「ほれ、昼食を食べながらじっくりと話そうではないか」
「分かった」
裏庭に行くよ。そう言って踵を返す井塚の後を追いながら、ふと白哉は、昼食をともにするのはこれが初めてだな、と思い至る。昼時は交友関係を広げるには一番の手段、と彼女が言っていたから、その時間はいつも白哉は一人か、貴族間の繋がりのため、そういった関係の生徒と昼食をとっていた。
目的の場所につくと、何故か周囲を確認する井塚。人に聞かれたくない話でもあるのだろうか……不思議に思いながらも、ちょいちょい、と示された彼女の隣に腰を降ろす。
井塚が持ってきていた昼食は、少々大きめのおにぎり三つ。これがこの少女の胃袋に入るのか、と見つめると、白い目で見つめ返された。
「私の食欲は常人の二倍なのだよ」
「そうか」
「……ツッコミが入らないボケなんて……っ」
「今のボケのつもりだったのか!?」
時たま不意打ちのように出てくる井塚の突拍子もないボケには、毎回振り回される。と、井塚が口を開いた。
「で、朽木くんは何が不満なんだい?」
「不満……?」
「そうさ。死神により早くなれるし、私との交友関係が切れるわけじゃない。さっきも言ったけど、休み時間に会おうと思えば会えるしね」
で、何が不満なんだい?
改めて問いかけてくる井塚に、つい、目をそらしてしまう。その間に、井塚はおにぎりの一つを包みから出して頬張り始めた。はぐはぐ、と頬張っているのが雰囲気でわかる。
「分からないのだ」
「ふぐ?」
ぽつりとつぶやくと、井塚がこちらを向く気配がした。
「確かに、貴様と離れるわけではない。護廷十三隊に今から入り、離れ離れになるわけでもない」
もぐもぐ、と不快にならない程度の咀嚼音が響く。それでも、視線がこちらに向いているのを感じる。
「そのことは理解できる。だが、何故か納得できない己もいるのだ」
「ふんふん」
「私自身のことだというのに、分からないのだ」
「んぐんぐ」
……先ほどから一心に食べているようにしか見えないのだが、井塚はきちんと話を聞いているのだろうか。不安になってきた。
「んぐ。まぁ、朽木くんでもわからないなら仕方がないね」
「……それでいいのか?」
あっという間におにぎりを食べきった井塚の一言に、白哉は疑問符を浮かべる。自分のことなのに、分からなくていいと、彼女はそういったのだ。
「人には四つの窓があるって言うんだ。
自分にも、人にも開いている窓
自分には開いていて、人には開いていない窓
逆に、自分には開いていないのに、人には開いている窓
そして、自分にも、人にも開いていない窓」
指を一つひとつ折りながら、説明していく井塚。
「朽木くんのそれは多分、三番目か四番目の窓の先にあるんだろうね。自分には分からない――というか、自覚していない領域に、その願望の根源はある」
「自覚していない本音、ということか」
「そういうことだね。何故、君が私と離れることを頑なに嫌がるか、私にも分からない。
……いや、それらしき候補は浮かんでいるが、君がそれに当てはまるとは思えないんだ」
そう続けながら、井塚は苦笑する。
「こういった相談事は、個人の主観を入れてはいけないんだけど、そう考えてしまうくらい、答えの候補は『君らしくない』のさ。
ま、こうやって拗ねている君も十分、私からしたら『らしくない』んだけどね」
らしさ、なんて相手に対する偏見をいいように言い換えただけの言葉なんだけどさ、と井塚は言葉を一旦切る。どうやら、答えの候補については言うつもりはないらしい。再びおにぎりを出して、口にしながら話し出す。汚いぞ。
「むぐ、まぁどっちにしろ、はぐ、いつかは離れ離れになるんだし、んま、これがいい機会ってことにしとこうよ」
「口に物を含みながら話すな汚い」
「んく……はい、飲み込んだ……うん、やっぱり言っておくかな」
「先ほどの答えの候補を、か?気が変わるのが速いな」
「万が一、のことがあるからね。君の枷になるつもりはないし」
「――枷?」
一体どういう事だろう。
「答えの候補の内、一つだけ、君に言っておこう。
恐らくだが、君は――私に懐いている」
「……まぁ懇意にしている学友だからな、懐くのは」
「当然、と言いたいんだよね、知ってる。でもそうじゃない」
井塚が一呼吸置く、その瞬間がやけに長く感じた。
「――
「……は?」
「言葉を直球にすると執着、一種依存に近づいているのかもしれない。やけに普段の私について知っていた時も、まさかと思って考えなかったけれど、今のそれを聞いてそう直感した」
その感情は危ないよ、朽木くん。
真剣な目、見方によっては厳しいとも言える態度で、言葉を積み重ねていく井塚。それとは反対に、白哉の胸中は煮えたぎっていた。
――りぃん、と鈴の音が聞こえた気がした
「死神はいつ斃れるかも分からない職業だ。その中で、
もし万が一、私が虚に倒されたらどうする?人質に取られたら?私が――虚になったら、君は冷静に対処できる?」
井塚の口から出てくる言葉は、ある種正論だ。その仮定を聞いただけで、煮えたぎる胸中が更に荒れ狂うのを、白哉は感じた。冷静で、いられるわけがない。彼女は
だが、それでも納得がいかない。理性は納得するのに、本能が否定する。
「だから――」
「井塚」
「――なんだい、朽木くん」
「貴様は――そなたは、私のこの感情を、この願いを、間違ったものだと、否定するのか」
どうかそうでないと言ってくれ。そう願っていたのに、井塚から出た言葉は、非情なものであった。
「ああ、否定する」
――その言葉の後の記憶は曖昧だ。気づけば一人、宿舎の自室で蹲っていた。
その後、井塚を自分から避け、逃げるように卒業してしまった。
あの時の、何の感情もない井塚の瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。