たとえどんなに忙しい職場であってもその忙しさにはリズムがある。それは人理が焼却され、壊滅的な打撃を受けた結果、人員が20人程度まで縮小してしまったフィニス・カルデアにおいても同様である。
休みのコーヒーがなによりも恋しいという社会人も決して少なくない昨今だ。
「あー、生き返る」
そう零すオペレーターに白衣の青年が応じる。
「お前それ言ってるとおっさんみたいだぞ」
「そういわれてもなぁ。やっぱりたまの楽しみぐらいないとやってらんないからね。こ
こ、今の就業状況ブラックもいい所よ?」
「まぁ、そうだな。でもやらなければならないんだよ。なにせ、俺らのトップは臆病で
優しいことで有名だったドクター・ロマンだ。本来こんなこと柄でもないのに最後のマスターと一緒に最前線に立ち続けてるんだぜ?今になっても信じられない」
そのことばに丁度やって来た元B班班長が頭を掻きながら破顔した。
「あの人よくサボってたからなあ……。だからこそ今生き残っちまった訳だから、ホント運命ってやつは良くわからんね」
「あの事故から生き延びたのってBチーム以降の観測に回るはずだった休憩中のスタッフとこっそりサボってた一部の馬鹿と、それからドクターに、マシュちゃんにあの最後のマスターの男の子だろ?これで世界を救うなんて夢物語もいいところだよな」
笑うと目の下の隈がより際立つ元Bチーム観測班班長がコーヒー片手に宣えば、
「だな」
医療スタッフの青年が応じる。しかし、彼らの顔に悲哀は微塵もない。彼らの目的は【人理修復】なんて御大層なものだが、彼らの目標はごくささやかななものだ。魔術師としても一般の人間としても持っている、ごく当たり前の願い。明日に続くこと。現在を明日につなげるように努力を重ねること。それが彼らの唯一のモチベーションとしてこの鉄火場に身を投げ出す理由であった。
「まぁ、俺らの家族に、友人にまた会うためと思えば多少は頑張れるよな」
「お前その言い方おっさんみたいだぞ」
「……一応まだ20代の女相手に言ってくれるな、餓鬼」
「一人称が『俺』の女史に対して女扱いしろって?冗談と黒歴史は大概にしてくれよ」
「――まぁ、言っていることは最もだが、それにしても妙齢の女性相手に『おっさん』は失礼だろう」
後方から飛んでくる相槌に、オペレーターの女性は反射的に応じる。
「おう、分かってるな――って、エミヤさん!?」
「歓談中すまないんだが、これをロマニに差し入れてくれないかと思ってね。私もこの後調理場に行かねばならないので、出来れば君が行ってくれると嬉しい」
「は、何で、ですか」
「そりゃあ、むさくるしい男が差し入れるより、美しい女性が差し入れたものの方が嬉しいし、励みになるからさ」
何の気なしにエミヤが口にした一言に、オペレーターの女性はフリーズする。そしてその意味を理解し、赤面した。
「う、美しい、って」
そしてそれを笑顔で見つめるエミヤと、オペレーターの女性の双方を見つつ、医療スタッフと元Bチーム班長は嘆息する。
――あぁ、また始まった、と。
エミヤという英霊は現代を起点とする者らしく、現代機器の数々に精通し、ある程度カルデアの事情にも召喚時点で知っていた。そして何より、最後のマスターたる少年だけでなく、カルデアに勤務するスタッフに対しても良く言葉をかけたり、料理を差し入れたりするため、割と交流が多い英霊の一人であった。
危険な状況で嫌が応にも神経過敏に陥り、その中で行き届いたフォローと万全のバックアップを行ってくれる存在がいれば、吊り橋効果のように多少なりとも恋愛感情を抱く者が出てきてもおかしくない。なにせ、本人曰くランクは中堅クラスを出ない英霊とはいえ、ルックスは良い。さらに、料理も美味く、スタッフ達の食事情はは彼がカルデアに召喚されて以降、大きく改善された。それ自体は喜ばしいことである。だが、目の前で女性が口説き落とされる現場にただ居合わせるというのもそれはそれで気まずいものなのだ。
そんな感情を誤魔化すために、医療スタッフの青年はもう残り少なくなった煙草を胸ポケットから取り出し、火を付けた。ゆらめく煙に視線を逸らすことで、どうにか精神の平穏を保つことに成功した。そして、この場に居合わせたもう一人、ここで一番の年配者たる元Bチーム班長はと言えば。
「エミヤ君から頼まれた仕事に戻りたまえ、女史。そろそろ休憩も終わりだろう?」
「――、そ、そうですね!それでは行ってきます!エミヤさん、有難うございました」
「何、気にすることはない。後で君たちオペレーターと医療スタッフにも差し入れを持っていこう」
「あ、ありがとうございます!それでは、また仕事だ。また休みで会えたら良いな、二人とも」
軽く手を振って次の仕事へと去っていくエミヤ。そしてそれに並んで歩いていくオペレーターの女性を見ていると、英霊と言っても色々な存在がいるのだな、と医療スタッフの青年は溜息を吐いた。英霊にも人格はある。それを歪め、貶め、型に嵌め、どうにか力のみを抽出して使いやすいようにできないか、という研究があった。最終的にマシュ・キリエライトという
「ままならんもんですね、班長」
「そういう虚無感吐いても給料は増えんぞ」
「人理修復期間中の給料、後で申請却下されたりしませんか?」
「意地でも通すさ」
煙とコーヒーの香りの中、二人は苦笑した。
ドクター・ロマニ。本名、ロマニ・アーキマンは元々医療部門のトップであり、オペレーションは専門ではない。そして、専門知識を一定レベルでしか保持していないロマニにとっては目の前の作業を熟しきることさえ難しいことである。転属された異動先で一番上位の権力を持つポジションになったようなものだ。そんな状況になってもこのカルデアが破綻していないのは、一重にロマニの学習能力の高さと、ありとあらゆる時間的リソースを人理修復という目的のためにつぎ込んでいるために他ならない。睡眠は最低限。食事は最短で取れるものを。休み時間もほとんどない。起きている時間総てを最後のマスターの少年が生き残るために、そして特異点を修復するために出来ることを総てやる。元々ロマニという男は秀才ではあっても天才ではない。あくまでも努力によって今の地位を勝ち取った男であると言える。そしてそれは何よりもカルデアで共に働くスタッフが良く知っている。オペレーターの女性が今回自らの休みを切り上げてでもロマニへの差し入れに協力するのは、彼が倒れれば文字通りカルデアが機能停止に陥るからだ。最後のマスターが倒れれば、我々は成すすべもなく敗北の一途をたどることは間違いない事実だ。しかし、ロマニが倒れてしまえば、戦いの土俵にさえ上がることが出来ないのだ。
普段マスターが特異点にレイシフトする前にブリーフィングを行う会議室。カルデアが初めて召喚に成功した英霊、レオナルド氏の居室。そしてカルデアスが置かれたオペレーションルームこのいずれかにロマニはいつもいる。それはつまり、彼は一度も自分の部屋に自らの意志で戻っていない。
――いや、ほら自分の部屋に戻ると、普段のサボり癖が顔を出すだろうから。
彼と特異点突入前にした会話の欠片をなんとなしに女性は思い出す。いつものようにへらへらとした笑い方であった。自らの弱さを良く知っている者の話。彼はいつだって無理をする。それでいて、最後のマスターにはその様子が気取られないように、自らの様子を隠す。それは特異点探索中はカルデアを離れる少年よりもスタッフの方がよく知っているロマニの顔であった。
「入りますよー……、って聞いてませんね」
入ると一番に目に入るのが白衣を着た背中。顔はまったくこちらを向くことなく、何かに向けて一心不乱といった様子である。
「ドクター・ロマニ!」
「わあっ!?……って、君か」
「君か、とはご意見ですね」
「いや、ごめん。それで、何か用かな」
「エミヤシロウさんから差し入れを頂きまして。よろしければドクターも少し休憩を取りませんか」
そう言って右手に持った風呂敷を見せると、ロマンは破顔した。
「んー、それもいいか。マギ☆マリも最近ブログ更新が停滞しているし、もう煮詰まってたしね。それにエミヤの作ったものだ。何であれ美味しいに違いない」
風呂敷を開けば、その中に入っていたのはおにぎりに沢庵、鮭が数切れといった軽食的なメニューであった。ロマニは早速とばかりにおにぎりを一つ手に取り、ほおばる。
「うん、美味しい。そろそろご飯党に鞍替えしそうだよ。これでも英国暮らしが長かったから、パンの方が食べなれていたんだけどなぁ」
君もどうだい、とロマニに言われたので、女性は有難く頂くことにした。幸いというか用意がいいというか、エミヤは元々多めに作っていたようだ。ロマニに持っていけば気を回す彼は持ってきた人間に勧めると考えたのだろう。その先見性とヒトを見る目、というかオカン気質を彼はどこで培ってきたのだろう。まったく、疑問がつきない。
一緒に入っていた水筒には麦茶が入っていた。最近修繕が進んでいる倉庫から新たに備蓄が発見された中身の一つである。過去の特異点にレイシフトを行うことである程度の備蓄は確保できたが、それでもこういった嗜好品は贅沢品になっていた。味わうように飲む。
互いに無言。これといって女性は話すのが得意な訳ではない上、ドクター・ロマンは仕事以外の話がしにくい相手であった。なんというか、彼は進んで周りから一歩離れる癖がある。最近は彼のマスターと話すことで丸くなった節がある。なんというか、少し楽になったというか、気が抜けたような感じがしたのだ。
「マスターの様子はどうですか」
「順調だよ。少しでもサーヴァントたちの助けになりたいらしくて、新しい礼装はないかってレオナルドに聞きに来ていたよ。後、パラケルスス氏と
「ナイチンゲールさんですか……。どうも『白衣の天使』ってイメージが強かったのであの凶悪さは驚きましたね……」
「カルデアに来たらとりあえずスタッフは全員殺菌されそうだね……」
二人して乾いた笑いを浮かべる。衛生面には最低限気を使ってはいるものの、あのナイチンゲール女史の前ではその程度意味を成さないだろう。徹底的に殺菌・消毒することに対して狂っている彼女の前では。そんな彼女に対しても真っ直ぐに向かい合っていたあの少年の気丈さには頭が下がる。
ロマニと向かい合って座ったままに、女史はマスターの少年へと思いを馳せる。あの少年は正直大して期待はしていなかった。元よりAチームに入ってすらおらず、マスター適正があるからという理由だけでカルデアに招聘された少年である。魔術の腕は一流の魔術師には遠く及ばず、決して人一倍頭が切れるという訳でもない。ただ、その人好きする性格と、誰に対しても話しかけていくガッツ、そしてなにより、カルデアでも浮いていたマシュ・キリエライトと良い関係を築けているという事実は、彼をマスターに選んだことに何の間違いもなかったということを彼が証明してみせたということだ。
――少なくとも、私はあの
もんなあ。
基本、カルデア内でスタッフが交流するのは英霊側が交流を望んでいる場合がほとんどだ。エミヤが代表的ではあるが、ブーディカやタマモキャット、清姫、メディアリリィといった厨房に良く現れる英霊たち。レオニダスや金時といったカルデア内でフィットネスを営んでいる英霊。スタッフや英霊たちを騙くらかして商売をしようとするカエサルやパラケルススといった英霊たちである。そのいずれもどちらかといえば(一部例外はいるものの)秩序よりの常識人が大半であり、少なくとも言語がまったく通じない相手ではない。
それらと交流を行うのは別に苦ではないが、あの少年はそれだけではなく、アライメントが混沌よりの英霊や狂った英霊たちすらも上手く使役してみせる。
「本当に、あの子は良く頑張っていますね」
「うん。本当にね。ボクなんかよりずっと優秀だよ」
「ドクターも頑張っていますよ、私たちはそれを良く知っています」
「ありがとう。でも、まだ足りないんだ。最後にソロモンを打倒するまで、この戦いは終わらない。まだもう少しだけ頑張らないとね」
「そうですね、……あれ?このタッパーなんです?」
「そういえば開けてなかったね」
おにぎりや簡単な総菜とともにタッパーが置かれていた。タッパーの上には几帳面な字で『試作品』と書かれていた。エミヤが作った新作だろうか。開いてみると、そこにはクッキーが数枚入っていた。少しばかり形がいびつなものもいくつか混じっている。
「エミヤさんがお菓子をつくるのは珍しいですね」
「あぁ、最近メディアリリィにお菓子作りを教えてるって言ってたからね。多分それだろう」
いくつかのいびつな形の菓子はメディアリリィの作のようだ。いびつな方を手に取って口に運ぶと、思いの外美味だった。さくさくとした食感が楽しく、生地の間に挟み込まれたチョコチップが疲れた頭にちょうど良い。良い塩梅の甘さだった。ロマニもひとつ口に入れて気に入ったようで、即座に二つ目を手に取っていた。――ただし、形がきれいな方だけを。
「ドクター、なんで避けてるんです?」
「……前にエリザベート・バートリーが作った赤い菓子を食べてひどい目にあってね……。まだ料理修行中のメディアリリィのお菓子の中にうっかり妙な魔術薬が紛れ込んでないか心配になったんだ」
本気で嫌そうな顔になったので、それ以上この話を追及しないことにして、話を変えることにした。
「第5、第6特異点もあの子は踏破してくれましたし、このまま無事に第7特異点も突破できるといいんですが」
残業もあと少しと思えば頑張れますし、と冗談交じりに口にすると、ロマニもまた疲れたような笑顔で応じる。
「……そうだね。幸い、マシュも藤丸君も頑張ってくれているし、このまま彼らが無事にグランド・オーダーを達成してくれることを祈るばかりだ。いや、祈ってばかりじゃいられないな。ここに召喚された聖人たちも言っていたよ。あくまでもこの世を動かすのは人間だ、と。彼らは死人にすぎないからって。だからこそ、死人に現代を冒されてはならないんだ。――さて、休みも終わりだ。女史、悪いけどタッパーとかまとめてエミヤに渡してもらっていいかい?」
「ええ。ドクターも体を壊さないよう気を付けてください」
「いざとなればレオナルドから栄養剤でも貰うさ。ソロモンを打倒するまでは死ねないからね」
そう口にした彼はどこか寂しそうに見えた。その表情は彼が良く様子を見に行っている紫髪の少女の姿に重なって見えたのだ。
――いや、まさかね。
直感を否定して、女史は部屋を後にした。後にはパソコンのキーを叩く音と何かを乱暴に書きつけるような擦過音だけが残った。
オペレーターの女性は幕間に登場した彼女をベースにした半オリキャラです。