早朝、その男はランニングを兼ねた通勤を同僚の誰より早く済ませて自身のIDをメインゲートのスキャナーに通していた。黒髪の青年の名前は、メッサー・イーレフェルト。このブリージンガル球状星団で活動するワルキューレの支援戦闘機部隊デルタ小隊所属の可変戦闘機パイロットだ。彼はエレベータでエリシオンの長大な背丈を上ると、右腕部分のアイテールの閑散とした飛行隊運用セクションに足を踏み入れた。
閑散としている。というのも現在アイテールで運用しているのは七機のVF-31とワルキューレが移動するためのケーニッヒ・モンスターが予備を含めて二機。あとは訓練機が数機のみだ。空母としてはあまりに少ない搭載機数である。
外征の多いアイテールは夜間待機の人員も少なく、デルタ小隊隊長のアラドの姿も今はない。上司が時間前に出勤しては他の隊員が定時に出勤しずらくなるという配慮だ。それでもなおデルタ2という副隊長的立場にある彼が他の隊員より先に出勤しているのは今はまだ未熟なままの隊員を教育する方針を詰めるのと、いくらか緩めな隊内の空気を引き締めるためだ。
といっても、これから一か月分の訓練メニューは先日既に組み上げているし、小隊運営のための関連書類もそう多くはない。だから、習慣としてこの時間に来たものの、早急に済ませる用はなかった。こういうことはままあって、その日は通常業務を前倒しにしたり誰も来ないうちに愛機の翼を磨いておくこともある。(ちなみに翼を磨くというのは比喩ではない。専用の薬品と用具でもって機体の表面から翼端まで丹念に磨き上げるのである。これには明確に空気摩擦を削減するという意味があるのだが、以前の隊で同じことをしていたら隊の人間に愛車を洗う親父と被ったと言われ以降はなるべく人目を避けて作業している。順序が逆であるもののレイナが言う「メッサーの機体はお肌すべすべ」とはそれこそ比喩でもなんでもなかったりするのだ。)が、今日は仕事ではない目的があった。
メッサーの足は薄暗い第五格納庫へとむかう。
目的はそこに保管されている戦闘機FFR-41の調査だ。
「あ、メッサー中尉」
第五格納庫では数名の整備員が件の機体にとりついて仕事をしていた。
「早いな、それとも徹夜か?」
「いやあ、これがなかなか面白くて」
確かに、この機体は傍目にも時代錯誤な設計のくせに新統合軍の保有する最先端技術にも劣らないほど高い技術で出来ている部分もあると聞く。メッサーも空力データを見たが、あれは異常の一言につきた。2,3世代ほども前のVFは空では歯がたたないかもしれない。
「あまり無理はするなよ」
「了解です」
「ところで、今こいつのメインシステムにアクセスできるか?」
「ええ、そこの有線式デバイスで接続してます」
整備員が指したそれは戦闘機のノーズコーンの上に待機状態で置かれていた。
「了解した」
タラップを上り、ノーズコーンの上でそれを取り上げ起動すると、およそ見たこともないレイアウトの画面が展開される。しかも表示される英文は難解な簡略化が為されていてひどく読みずらい。よくこんなものをとも思う。
「やはり殆どの機能がロックされている。・・・ENG-CT、これだけ異質だ。言語ツールか?」
そのソフトを選択し、機動させる。するといくつかのグラフと共にウィンドウが展開され、一つを除いて全てが閉じた。残ったウィンドウには文字入力画面と出力画面が表示されている。どうやら市販の翻訳プログラムを改造したものらしい。
『正解である。ENG-CTはレイナ・プラウラーが市販ソフトを解析し、本機に関わる用途に限定、最適化したものである』
文字列が表示される。
「なるほど、レイナさんか」
ウィンドウのタグ部分には小さくVer0.53と表示されており試行錯誤の度合いが伺える。専門用語での応答は一応可能だが日常レベルでの対応は厳しいと注意書きがされていたが、彼は雑談をしにきたわけではないので活用させてもらうことにした。ちなみにメッサーは知る由もないがこの翻訳ソフトは二代目である。
『メッサー・イレフェルト中尉と認識。貴官の当機へのアクセス理由を述べよ』
どうやら、端末搭載のマイクを介してこちらの音声を認識しているらしい。会話の要領が分かったところでメッサーは早速ここに足を運んだ本題について問いかける。
「貴機のパイロット、ヒュー・アンソニー・ディスワードについて情報がほしい」
『本人からの情報提供を推奨する』
「だめだ、本人が語らないことが知りたい。答えろ、あの男はどこからきた。何を目的にしている」
彼の着任からそれなりの時間が経ったが、未だに詳細な出生情報が入手できていない。大量の人口が様々な星に散らばり、更に各地でヴァールやヴァジュラのような混乱が発生することがあるのでいくら探しても戸籍情報がないときはない。だがケイオスの情報部もどうやらヒュー・アンソニー・ディスワードの学生時代以前の知人、友人といった人物に接触できていないのだ。つまり過去の経歴が全くの偽物である可能性が高い。
(もし経歴が虚構だった場合、彼がケイオスに、いやデルタ小隊に接触した理由はなんだ・・・)
彼は仕事に一切の妥協も容赦もしない。だから、わずかでも不信な点のあるのならば疑い、追及する。そしてその方法を選ばない。それは彼が外道であるからではなく戦場の非情を知っているが故だった。
『当機には回答の義務はない』
「ヒュー・アンソニー・ディスワードに情報を開示するなと命令されているのか」
『否である。当機とヒュー・アンソニー・ディスワードの間に命令可能な関係性は存在しない』
「なに?」
思わず聞き返した言葉に返事はない。
どういうことなのか。機体の方がパイロットより上位の命令系統を持っているとでも・・・いや。そうではない。命令可能な関係性は存在しないといった。ならば両者バランスは対等であると見ていいはずだ。ならば、まだ情報を手に入れることは可能だ。そうだ、出自不明な存在といえばもう一つ目の前に存在する。
「では貴機、FFR-41の所属、製造元、戦績を可能な限り回答せよ」
メッサーには漠然とした自身があった。この質問ならば。自分自身についての質問ならば何か答えるだろうと。戦闘機に限らず、航空機や船舶は敵対する相手を除いて誰何されたら答えるのが世界の常識だから。
はたして質問の回答が表示された。
『所属:フェアリィ空軍・■■■■軍団・航空宇宙防衛軍団分遣室 製造元:FAF空軍・システム軍団・技術開発センター・■■■■■■■■■■ 戦績:秘匿事項』
メッサーの思惑どおり、彼の眼前の戦闘機はようやく回答らしき回答を示した。一部黒塗りではあるが、だが、そもそもの開示された情報をメッサーは理解することができなかった。知らない言語だったとか、暗号化されていたとかではなくそこにある単語が何を示しているのかわからない。
彼は、おそらく所属についてはどこぞの移民船団や民間軍事会社とでも答えるのだと思っていた。だが違った。空軍だという。しかし基本的に地球人類が持つ軍隊は統合戦争以降は統合軍くらいのものだ。なにせ地球上から国家が消失して久しいのである。
「この情報に偽りはないか」
『当機の認識の範囲において事実である』
ヒュー・アンソニー・ディスワードは地球人類だ。それは入隊時の身体検査の結果からも間違いない。だが人類はフェアリィ空軍なる軍隊を持っていない。
ならば、ディスワードとこのFFR-41とは別の所属である可能性が出てきた。その場合、情報の開示云々以前に本人に聞かねば事実である確証を持つことができないだろう。
メッサーは己の認識違いを実感した。得体のしれないものはヒュー・アンソニー・ディスワードとフェアリィ空軍所属の電子戦闘機FFR-41。この両者なのだということだ。
であれば、この機体に質問すべきことは格段に増した。
フェアリィ空軍とは何か。フェアリィとは国家を指すのか、星を指すのか、それとも人名か。
フェアリィ空軍の敵、あるいは仮想敵は。
フェアリィ空軍及びFFR-41はケイオスや統合軍と敵対するのか、しないのか。
どういう目的で開発されたのか。
なぜVFとしてではなくただの大気圏内戦闘機として開発されたのか。
だが、これらすべてを質問する時間はもうない。そろそろ一般の隊員も出社する時間帯だ。小隊の待機室に戻る必要があるし、ディスワード少尉がやってくるかもしれない。
だから、彼は最後に自分の漠然とした疑問、胸中に沸いたそれを投げた。
「おまえは、ここにくる以前は何と戦っていたんだ?何のために存在している?」
FFR-41は確実に戦闘、いや戦争を潜り抜けた機体だ。長年可変戦闘機のパイロットとして実戦を潜り抜けてきたメッサーの勘が今も機体から滲み出る闘志を感じ取っている。
最も答えなど期待してはいなかった。職務上必要だと思った質問ではないし、漠然としたそれに対していかにも機械然としたこのAIが何か答えるとも思えなかった。
『当機の戦績については秘匿事項である。』
だからこの回答文が端末の画面に映し出された時、さほどの落胆も感じなかったし、まさか続く文面が入力されることなど予想だにしなかった。
『
わずかに息をのむ。これは、違う。なにもかもが異質だった。今までの短い言葉と文の応酬の中で、メッサーにあてられたとも思えないこの一文だけが違う色を放っている。これがカギだ。これの意味が分かったとき、少なくともFFR-41に纏わるすべての謎は解き明かされるだろう。疑問は雪だるまのように増えて膨らんでいくばかりだが、手掛かりは得た。フェアリィ空軍、システム軍団・技術開発センター、航空宇宙防衛軍団、そして誰かにあてられた謎の文面。
メッサーはその不可思議な文字列を静かに見据え、しかし脳裏に刻み込むと端末のログを消してその場を去った。
やがて整備班も点呼のためにその場を去り、第五格納庫には漆黒の戦闘機が一機ぽつんと駐機状態で残されているのみだった。しかし、誰も知らないところで女王の歯車は狂い続けている。
歯車が完全な機能不全に陥った時、何が起きるのかは誰にもわからない。