魔導国草創譚   作:手漕ぎ船頭

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 お久しぶりです。
 端的に。スランプです。




それなりに穏やかな宴

 

 

 

 晩餐の会場となる大広間では既に多くの貴族らが集い、国王ランポッサⅢ世に挨拶をしたり同じ派閥の者や親しい者たちで集まり談笑していた。

 リ・エスティーゼ王国ではここ数年の間、王派閥と貴族派閥に分かれもう水面下などとは言えなくなるほど対立が深刻化していた。そのため、6大貴族らをはじめとした有力者たちが自らの派閥の結束を固めたり、他の貴族の取り込みや敵対派閥の者たちの懐柔などを行う場としてパーティーを開くことは多かったが、王城で国王が主催する晩餐などは本当にしばらくぶりとなる。そもそも帝国とは毎年のように戦争を行っており、法国からは完全に見放されている、他の国家とはあまり国交が無いという事情も重なり、国賓を招く事もほとんど無かったというのもある。

 そうした理由もあり、この度の晩餐会は多くの貴族たちの関心が寄せられ、然程大した地位にもない中堅以下の者たちもなんとか潜り込めないかとあれこれと手を尽くしていたため、参加者の人数はかなりのものとなっていた。大抵の催しではかなりスペースに余裕のあるはずのホールも、今回に限っては幾ばくか手狭で猥雑にも感じる。

 

「やはりというべきか、噂のゴウンとやらを一目見ようという輩の多いこと多いこと」

 

「いやいや、そちらとて人の事が言えますかね。とはいえ私もそのクチではありますが」

 

「商業組合に顔の利く方も少なくないですからな。やはりかの人物とは面識を持ちたいでしょうね」

 

「さて、異国の者とは耳にしておりますが、無作法な蛮人などではないことを期待しますね」

 

 そこかしこで話題となっているのはやはり来賓であるアインズについてであった。

 

「どのような方なのかしら」

 

「さあ。若い方とも、年嵩の方とも」

 

「あら、あなたも御息女を? ご主人が仰ったの?」

 

「ええ。せっかくの王城での晩餐会だからかとも思ってましたが、どうも件の方に紹介だけでもと」

 

「どこの夫も考える事は同じですわね」

 

 

 

 

 6大貴族らが控える場所にほど近い位置に陣取る一団は、その全てがあと少しで大貴族に届くかどうかというほどの有力者たちの集まりであった。

 彼らは額に皺を寄せ、必ずしもこの華やかな雰囲気を歓迎しているというわけでもない様であった。

 

「アインズ・ウール・ゴウン……ね」

 

「近付くべきか、距離を取るべきか。些か扱いに困りますな」

 

 幾人かが無言で頷く。

 正直なところ。

 王国のアインズに対する称賛は、その貢献に対してだいぶ過分なものであった。

 その事実は貴族たちだけでなく、それを向けられたアインズ自身から見ても明瞭であった。そう、最終学歴が小卒のアインズから見ても「こりゃ変だ」と思わざるを得ないものであったのだ。

 イプシロン商会はその豊富で上質な商品によって王国経済に貢献した。複数の孤児院設立に尽力し、神殿に多額の寄付をして短期間ではあるが重篤でない病人や怪我人を無償で治療するよう促した。

 それがどうした。

 王国や他の国でも、それなりの商人たちが国家権力からの評価や庇護を得る為にやっているパフォーマンスだ。その規模が常識外れに大きくはあるが、特権階級の人間たちからすれば自分に直接的な利益があるわけでもなく、そんなもの、という程度の扱いである。

 それでも諸手を挙げて歓迎しているのは、王国にとっては久方ぶりの「外からの来訪者」である為だ。

 他国との交わりが少なく、国内の資源を食い潰し続けているというこの国の現状にあって、久方ぶりに外から来た新しい風だ。それもとびきり有用な。

 しかしながら遠方からの流れ者、根無し草ゆえに何時でも何処へでも行けるし、帝国でも法国でも水面下で取り込もうと動いてはいるだろう。

 だから王国としては手放したくなどなかった。何がなんでも懐柔する必要があったのだ。

 だがそれは、あくまで王国としてのスタンス。

 貴族ら個人個人としてはそうもいかない。安易な接近は諸刃の剣であった。

 これがそこらの商人程度であれば庇護を条件に取り込むのだが、下手な中堅貴族よりも財力がありそうなのが話をややこしくしていた。

 今から取り込もうと手を差し伸べた相手の方が経済力が遥かに上など、貴族からすれば立つ瀬がないのだ。

 貴族と呼ばれる者たちのその半数ほどは実際には資金繰りに苦労しており、僅かな土地での領地経営のみでやっていけているわけではなく、多くが副業を営みつつなんとか貴人としての地位にしがみついているのが実情であった。

 だというのに彼らは見栄を重視する生き物だ。自らを着飾り、屋敷の調度品を上等な物で揃え、周囲に誇示しなくてはならない。そうした行動が好きな者も、本心では倹約を良しとする者も、貴族である以上はそうするのが、そうしなければならないのが慣例だ。それを怠るものは甲斐性無しも同然と見做され、有力貴族たちから見放されてしまう。

 貴族という地位は、地位そのものが兎角金食い虫なのである。

 金は天下の回りもの。それは異世界であっても変わらないらしい。

 しかし、だからといってほいほいと簡単に商人風情に尻尾を振るのは体裁が悪いし、なけなしのプライドが傷付き気分もよろしくない。ここでもやはり見栄というものが引っ掛かってくるのだった。

 とはいえ、前述したように久しく無かった外からの風だ。しかも異国から流れてきたため面倒な柵は無い、将来有望どころか現状では最も注目株の平民。

 ただただ放って置くには惜しい存在である。

 いつ、どう近づくか? どのように扱うか? 他の貴族たち、とりわけ6大貴族らの対応は?

 自分が窓口になるべきか? 間に誰かを立てるべきか?

 異国の没落貴族、魔法詠唱者、詐欺師、トブの大森林を冒険者たちに調査させた、噂はどこまで本当なのか?

 年嵩の男性たちがあれこれと考えを巡らせていると、ホールの出入り口となる扉の方から声が上がる。

 雑談に興じる者たちの声もあり遠くからではよく聞こえないが、どうやら儀典官が来賓の入場を呼び上げたらしい。

 途端に騒がしかった会場はしんと静まり返り、全員の目が扉へと向く。

 礼装を着用した儀典官麾下の衛兵が2人、表開きの大きな扉を開ける。

 そこへ立つのは、シャンデリアからの光を受け金髪の輝く、まさに絶世と賞賛すべき美女であった。

 

「…あれが? たしかゴウンなる人物は男性と」

 

「いえ、あれは商会の代表を任されているという、例の、あの……」

 

「ああ大層な癇癪娘という噂の」

 

「しかしなんとも美しい。今宵は『黄金』の姫君の姿も無く残念に思っていましたが杞憂になりましたな」

 

「まったく。……んん? おおっ」

 

 続いて開け放たれた扉をくぐり会場へ姿を見せたのは、いずれも劣らぬ美女ばかり。

 先に入場したソリュシャンは真紅のドレスがその肌の艶を引き立たせ、巻かれた金髪が露出した肩と胸元に垂れ美しく揺れる様は、多くの男性たちの目を釘づけにしていた。

 眼鏡を掛け髪を夜会巻きに纏めた怜悧な風貌のユリは、首から胸元まで開いた袖付きの黒いドレスに身を包み、どことは言わないがとりわけ豊かな部位は母性的な魅力を表していた。

 その二人の後ろにはメイド服に身を包む見惚れんばかりの六人の女性が続く。

 先に入室した彼女らが左右に並び首を垂れると、その先より老執事を従えた仮面の男が進み出る。執事はその手に何やら抱えていたが王への進物だろうか。

 その身に纏う装いは絢爛、壮麗と表現するに値するもので、ところどころの細工からは洗練された異国の文化性が窺えた。もっとも、その顔を隠す仮面については誰もが訝しげな気持ちを禁じえなかったが。

 

「あれが」

 

「のようですな」

 

「流石に伝手も無い土地で商会を立ち上げるだけあって、なかなかの身なり」

 

「噂の通り、仮面を着けていますね」

 

 仮面については事前に王が許したという話も貴族たちは伝え聞いていた。このような場で仮面とは、舞踏会とでも勘違いしているのかと冗談にも思ってはいたが、どうもまったくの事実であったらしい。

 注目を浴びるアインズは、内心それらの視線に緊張しつつも表面上はそれを勘付かれないよう、ランポッサⅢ世の元へと進み出る。その後ろには配下の者たちが続いた。

 王の前に立つと軽く頭を下げる。挨拶程度のアインズとは違い、シモベらはより深くお辞儀をした。

 

「この度は私どもの為に態々このような場を設けて頂きありがとうございます。重ねて、王国の数々の計らいには心より感謝致します」

 

「うむ。王国も、王である私も、貴殿のこれからの更なる栄達に期待させて頂こう」

 

 そう応じるとランポッサⅢ世は使用人にグラスを持ってこさせようとするが、それをアインズは制止する。

 不思議に思う王と周囲をよそに、セバスが二人の間に進み出てその両の手に抱えていた物を差し出す。アインズは包まった布を解くとその中にある物を取り出した。

 それは酒杯であった。

 その黄金色の輝きは純金製だろう。商人として成功した男がこのような場に態々持ち出すのだ、鍍金であるはずがない。

 周りに施された緻密な細工は桃の木を象ったものだ。花弁の部分は薄桃色のダイヤモンドが嵌め込まれている。足をエメラルドの細い円環が覆い、過度でない程度の華やかさがあった。

 ユグドラシルでの何かのイベントの際のハズレアイテムであったとアインズは記憶していたが、然程有用と思える効果も無ければ思い入れのある品でもなく在庫も大量であったため、アイテムボックスの整理ついでに処分しようと持ってきたものだ。

 それが二つアインズの手にあった。

 

「どうぞ。せっかくですので、これで乾杯しましょう」

 

 差し上げますよ。そう言って一方の杯をランポッサⅢ世へと手渡す。

 

「よいのかね」 

 

 その見事な造りに小さくない驚きを表しアインズへ訊ねる。六大貴族をはじめ周囲の者たちも目を見開いていた。 

 

「勿論ですとも。此度は叙勲のためのお召しということもあり、慣例として献上品は御用意出来ませんでしたしね。ささやかに過ぎるかもしれませんが、どうぞお納め下さい」

 

「いやなかなかに立派な品、ありがたく受け取らせて頂こう」 

 

「光栄です。リュミエール、陛下にワインを」

 

 アインズの指示を受け、控える一般メイドのうち、眼鏡を掛けた清楚な面持ちの一人が進み出る。

 その手に持つ新しいワインの瓶を手早く開け、アインズとランポッサⅢ世の持つ杯へとそれぞれ傾ける。

 その麗しい所作に、王の背後に立っていた毒見検分役の従者までもが視線を逸らすことができずにぼうっと見とれていた。が、はっとして少しばかり慌てた様子で《毒感知/ディテクト・ポイズン》が付与された道具を用いて調べる動作をする。その顔に一瞬驚きが見られるが、すぐに取り繕い首を横に振り安全であることを示す。

 それを確認すると、ランポッサⅢ世は手にした黄金の酒杯を前へと差し出し、乾杯の音頭を取る。

 

「ここに、王国とともに歩むアインズ・ウール・ゴウン殿及びイプシロン商会の、栄えある未来を祝う」

 

 アインズも応じ、互いの器を持ち上げた後その中身を呷る。

 ランポッサⅢ世はごくりと喉を鳴らし、ん、と片眉を上げその顔が綻ぶ。

 

「以前にも味わった、これはイプシロン商会のワインか。相も変わらぬ美味だな、全く以て素晴らしい。しかし酒のものとも違うこの高揚は……?」

 

「お褒めに預かり恐縮です。それとお気付きになられたようですが、その杯には僅かながら体力回復の魔法が付与されております。体調が優れない時など使用されるとよろしいかと」

 

「なんと。それは益々以て随分な一品。重ねて礼を言う」

 

 老王は上機嫌に破顔する。実際に彼は久々に心からリラックスしていた。これも付与された魔法の効果だろうか。

 客人のその太っ腹に感心するとともに、羨ましげな視線が王の手にある杯に集まる。

 

「さて、嚶鳴(おうめい)の場としてはささやかなものだが楽しんでいってくれ。さあ、皆も。私は老いている事もあり、失礼ながら椅子に座らせてもらおう」

 

 

 

 

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 部下たちには尤もらしい事を言ってはみたものの。

 アインズから見ても、晩餐会は退屈なものであった。

 華やかな社交界に縁など無かったアインズはこうした場でのマナーや慣例など心得ているわけも無かったため、そして名刺もなく多数の人物の顔と名前が一致する自信も無かったため、挨拶の類は商会の顔としてソリュシャンとセバスに任せていた。

 本来は主役であるはずのとうのアインズは、テーブルの並ぶ中央よりいくらか離れた場所でユリと一般メイドらを侍らせ、ワイン片手に棒立ちの姿勢で社交に勤しむソリュシャンらを眺めていた。

 羽振りの良い商会と繋がりを持ちたいと思っていた者は多く、男どもを魅了するソリュシャンの美貌も一役買っているようで、彼女が会場の中ほどへと進むとまるで誘蛾灯のように貴族らが集まってきていた。中には予てより面識のあった貴族も幾人かいたようで、その彼らも周囲から仲介を求められ有力貴族らをかわるがわる紹介している。

 そうした情欲や功名心でギラついている連中はソリュシャンに群がっているが、それとは別にこちらを測ろうとするかのような雰囲気が見受けられる比較的落ち着いた紳士淑女たちはセバスの方へと足が向いているようだ。女性の何割かはセバスに色めいた視線を送ってもいたが、上等な執事服を纏う彼と会話した多くの者がセバスの所作に感嘆し唸り、ちらりちらりと遠くアインズへと視線を向ける。

 貴族社会特有の成り上がり者に対する根拠のない風評はゴウンなる人物に対しても当然あったが、これだけの出来た男が仕えるのだから、そしてその格に見合った大層な装いを与えられるだけの財力があるのならば、決して謂れのない噂にあるような野卑な人物ではあるまい。ならばこそ、彼は一体何者なのか。そうした探るような空気が広がっていた。

 だが賑やかなのは、それなり以上の有力者たちばかりのようで、やっとの思いでなんとかこの場に潜り込めたというような中堅以下の半端な貴族たちは盛り上がる会場中央から大分離れ、幾つかのグループにまとまりつつ遠巻きに視線を向けぼそぼそと談話するに留まっていた。

 年嵩であったり若かったりと違いはあるが夫婦で来場した者らは付き合いのある同派閥の者らと固まっている。

 比較的若い男性の集まっているグループは、人垣に囲まれたソリュシャンが視界に入らないこともあって、主にアインズに侍るメイドらに目を向けていた。

 親に付き添ってきたのか、はたまた含むものがあって引っ張られてきたのか、未婚の娘たちのグループは些か背伸びしている感じが拭えていないが、セバスやアインズに対し頑張って意味ありげな視線を向けていた。

 

(なんてーか、どいつもこいつも分かりやすいなあ。俺に対しても、もっとドロドロした腹の探り合いとか警戒してたけど、どうも金ヅルか、良くて縁談の優良物件扱いって感じだな)

 

 貴族同士の間では何やら思惑が踊り牽制し合っているように見えるが、アインズへはまだそこまで踏み込んでくる様子はない。

 アインズ以外のシモベらに対しては最早盛った犬である。

 この会場に居るのは王城の晩餐会に呼ばれるだけの立場のある者ばかりのはずなのだが、幾らなんでもお粗末に過ぎないだろうか。良識的な者もいないわけではないが、王国貴族全体として見てると予想以上に落胆せざるを得ない。

 なんとはなしに顔を回らすと少しばかり遠くにランポッサⅢ世の姿が見えた。

 先ほど自分で言っていたように老齢のため長くは立っていられないようで、椅子に座りアインズと同じように離れた位置から会場を眺めている。

 

(…いや、そうでもないか? 最初に紹介された六大貴族らは王の周囲にまるで横一列になるかのように佇んだままだ。成程、配下の貴族らが自分たちや王族に順に会話しやすいようにしているわけか。ああいうのも社交の場の慣例なのかね。それともこの国特有のものなのか。ああ、やはり取り巻きと会話をしつつも彼らの注意は俺やソリュシャンらに向いているようだな)

 

 隠す素振りもなく意識は向いてはいるものの、晩餐会の初めの王との乾杯の後に挨拶したきり、有力者たちはアインズへは近付いてこない。

 どうも客人と会話をするのにも、こうした場では何かしがのルールがあるらしい。

 やれやれと、アインズは背後に控えるユリに問う。

 

「切っ掛けが必要か。ひとつこちらから声を掛け水を向けてやるべきか?」

 

「恐れながら、アインズ様がそのようにお気遣いなさる必要はないかと存じ上げます」

 

「しかしこのままというのもな。向こうにも向こうのペースというか段取りがあるのだろうが、これでは本当にただ飲み食いしてるだけじゃないか」

 

 正直つまらん。

 そう口を尖らせる主人に、ユリは眉根を寄せて困ったように苦笑する。

 眼鏡をかけた色白の淑女の歪ませた表情もなお美しいとばかりに、そちらへと視線を向けていた男性たちは見惚れてほうと息を漏らす。

 そしてそんな絶世ともいえる美女と親しげに会話をするアインズに嫉妬の感情が向けられる。

 驚くべき美貌の女性ばかりを多く侍らせた仮面の男は、どれだけ面食いなのかとむしろ感嘆さえされているようであった。

 

 

 

 

 煩わしい。

 麗しい頬笑みを崩すことなく、だがその瞳には侮蔑の感情を浮かべ己の周囲に群がる人間たちを見る。

 主人にはああ言われたが、ソリュシャンにはそのどれもが大したモノとは思えずにいた。

 好色な劣情を向けられるのは別に嫌いではない。むしろ心地良いとさえ感じるが、それを受け湧き上がる食欲を抑えるのが億劫ではあった。

 だが態々自分たちの経験のためにとご用意して頂いた場であるというのに、それを活用できない現状に僅かな苛立ちがあった。これでは御方の期待に応える事が叶わない。

 それもこれも王国の有象無象どもが予想以上にこちらを過小評価しているのが原因である。腹芸を仕掛ける程とも思っていないがため、性欲や金銭欲でしか動いていない。

 最初は下心満載の男性たちばかり(当人たちは隠しているつもりだったのだろうか)が押し寄せてきていたが、流石に客人に対してそのような事が続くわけもなく、しばらくすると品の良い老夫婦や婦人たちが男どもと入れ替わるように集ってきていた。

 だがその者たちの顔には隠し切れない美への嫉妬があり、視線にはソリュシャンの身に着けているドレスや宝石類への物欲が溢れていた。

 

「素晴らしいブローチね。ひと際大きい虹色はオパール?」

 

「ええ、そうですわ。小さくカットされて散りばめられているのは琥珀だったでしょうか」

 

「土台になっているのは何かしら。ブロンズや銀にも見えないし…」

 

「ドラゴンの鱗を加工した物になりますね」

 

「そ、そうなの。さぞ希少な物なのでしょうね」

 

 これである。

 もっと思慮深い者は居ないのだろうか。

 何より気に食わないのは、下種の分を弁えもせず偉大なる至高の御方を過小に評価し卑下している事である。

 人間蔑視が強く無価値と言い切る者も少なくないナザリックにあって、ソリュシャンは食糧として嗜虐対象として人間にも価値を見出してはいるが、この場においては嫌悪と煩わしさが勝っていた。

 ちらりと巍然たる主人の方へと視線を向ける。

 その傍近くに侍る姉が少し羨ましくあった。

 

 

 

 

 ある比較的若い貴族の集うグループは、目の保養とばかりにアインズの連れたちへと無遠慮に視線を向けていた。

 彼らはだいぶ以前に親から代を引き継ぎ派閥の盟主や有力貴族たちへの挨拶もとうに済ませており、これからコミュニティの中で動いていこうとしている立場にある。貴族としてはそこそこなのだが、中堅の域からいま一つ出ることのできないために、このような場ではより上位者たちに難癖を付けられないように目立つような行動は意図して避けているような傾向の者たちであった。

 

「どうにかお近付きになりたいもんだ」

 

「ゴウン殿……じゃないな、あの女性たちの方か」

 

「そりゃな。噂の仮面の人物とも面識を持ちたいのは確かだが、男としたらそっちの方が気になるさ」

 

「いいよな。あんな美女、我が国が誇る『黄金』のみとも思っていたが居るものなんだな。それどころか、あれだけ揃えられるものなんだな」

 

 侍るのはどれも美しい麗人ばかり。

 これで商会が手広く女衒でもしようものならば王国中の男性が入り浸るのではないか、と下衆な話も思い浮かぶ。

 ともあれ、商会の代表であるあの金髪の巻き毛の美女は無理だとしても、この場には他に七人も居るのだから、一人くらい宛がって欲しいものである。

 それはこの晩餐の会場にいる多くの男(一部の多趣味な女性も含む)が思っている事であった。

 

「…というか、こういった場に見目麗しい女性を連れてきたからには二人の殿下なり六大貴族なりに紹介するのかとも思ったが、そうした様子は見られないな」

 

「そこで『自分たちに』と口にしないあたり、お前には夢がないな」

 

「ほっとけ。現実的に考えて無理だろう、俺たち程度の地位では。で、どう思う?」

 

「うん、力のある貴族と繋がるにはそれが手っ取り早いしな。でも、あの美貌ならば、そうしないのも頷けないか?」

 

「他人に差し出すのは勿体無いってか? まあ確かに分らんでもないな」

 

「じゃあ何で連れてきたんだろうな」

 

「そりゃ供がなきゃ格好付かないからだろ」

 

「……こっちとしたらなんか自慢されてるみたいな気になってくるけどな。いや、やっかみだってのは自覚してるが」

 

「それもしょうがない。俺なら間違いなく見せびらかしてる」

 

 肩をすくめ、苦笑する。

 どちらにせよ、今日この場で自分たちのすべき事は何も無い。

 彼らがこの晩餐会に参加しているのはそれぞれの家の見栄によるものだ。もともと「王城のパーティーに参加できるだけの地位である」という事を示すためだけにこの場に来たのだ、水面下のややこしいパワーゲームは力のある大貴族たちに任せ、遠巻きに見物するに留めるつもりである。

 そうした諦観じみた判断をワインと一緒に腹に流し込み、彼らは意識して野次馬に徹するのであった。おもにメイドたちを眺めながら。

 

 

 

 

 女性たちは当然のように、複数の男性たちのグループがその視線をアインズに侍る美女たちやソリュシャンに向けているのを感じ取り、いささか呆れていたし憤慨してもいた。

 

「とはいえ、それも仕方のない事かしらね」

 

 そう呟くのは中堅よりは上と呼べる貴族の娘たちの集まりの中にいる一人の少女である。

 あの美貌を前に正面から張り合えると思える女性は、少なくともこの場にいる中では見当たらない。いや、王国中を見渡しても対等と言えるのは、今は席を外している「黄金」と称えられる第三王女くらいだろう。

 少なくとも自分は、衆目の中彼女らの前に立ち周囲の者たちからの比較する視線に耐えられる自信は無かった。

 美を司る神による不平等を嘆きつつ、ついその視線がユリの纏うドレスや装飾に向けられる。そして、麗しいメイドたちの着ているエプロンドレスにも。

 その細やかな意匠や拵えは、到底自分たちなどが触れる機会など訪れはしないだろうと思えるほどの上等なものであった。

 たかだか使用人の衣類にさえそれだけの物を宛がうことが出来るなど、一体どれだけの財を有しているのだろうか。

 はしたない事だとは分かっているが物欲を刺激され、羨ましく思ってしまう。

 彼女だけでなくこのグループの女性たちは両親からは可能であるならば是非にも件の人物の伴侶に滑り込め、という難題を言いつけられていた。だがこうしてその人物を前にしてその絢爛さを目の当たりにすると、その野心も無理からぬものであると理解できた。正直自分でも下心が湧いてきて篭絡を前向きに検討したくなってくる。

 もっとも、周囲に侍る者たちの美貌を前にしては、そのやる気も途端に萎えてしまったが。

 それらを傍に置き何をするでもなくただ立っている男を見る。

 アインズ・ウール・ゴウンなる者は、少なくとも人前では常に仮面で顔を隠している奇怪な人物だという事もあり、その素顔については或いは醜悪極まるのではという憶測もあった。美点は見せびらかし誇示するものという認識の貴族たちからすれば、仮に美しければ隠しはしまいという理屈もそれを後押しした。

 だがこうして実物を目の当たりにしてみると、どうもそうではないらしい。

 今アインズの被っている仮面はアイマスク―――目元のみを覆うヴェネチアンマスクであった。

 正確には両頬も覆われているが、その部分は透かし模様があしらわれているためスカスカである。正直なところ、目元はしっかりと隠れているとはいえ、あまり仮面の役割を果たしているとはいえず、大まかな顔立ちは把握できるのであった。

 そしてそんなアインズの、仮面の隙間から窺い知れる容姿を見た貴族令嬢たちの評価は、可もなく不可もなくであった。

 

「……失礼になるけれど、意外と平凡ね」

 

 口にしつつ、所詮噂は噂か、と密かに胸を撫で下ろす。

 もし奇跡的な偶然が重なったとしてうまく話が進んだのならば、両親が娘である自分の夫に宛がおうとしている相手だ。まっとうな面構えであるに越したことはない。

 貴族間の婚姻は互いの情よりも親の政略が大部分を占めるものだが、それでも見てくれは好みに近いほうがいいし、貴族的な意見としては他者に自慢できる出来ならばなお良かった。

 そういう意味ではアインズのそれは無難なものであり、必要ならば愛せるだろうとも思えた。

 

「なんでお顔を隠されているのかしら」

 

「魔法を扱いになられているという噂を耳にしましたわ。私は詳しくは存じ上げませんが、ひょっとしたらそうした事に関する理由なのでは?」

 

「ゴウン様はあの場から動かれないのかしら。少しお話を伺いたいわ」

 

 小鳥の囀りのように令嬢たちは囁き合う。

 女性としてアインズの連れたちには敵わないが、それでも面識を持ちたいとは思う。

 その衣装や先ほどの黄金の杯を見ても俄か成金では有り得ない。運良く懇意な関係を築けたならば今後どれだけのメリットが得られるだろうか。

 だが、この場にいる者たちでは親の地位からして件の人物に自分から接触はできまい。実際に何かしら勝算があると自信を持っているのは、遥か上の大貴族に連なる令嬢たちだけだろう。

 

「あちらの執事の方は、どうかしらね」

 

 むしろそちらの方が芽がありそうだ。

 パッと見た容姿で見ても悪くはない。この場に連れてきている事から、そしてその所作を見ても恐らくは筆頭執事、家令の立場にあると思われる。もちろん普通であれば主筋でもないいち家人など貴族の婚姻相手になることはない。しかしあれだけの人物に重用されている男性ならば、条件次第では中堅の貴族令嬢の伴侶としても問題は無いだろう。

 

「少しお年を召していらっしゃるけれど」

 

「立ち振る舞いを見ますと……良い方だとは思いますわ」

 

 だが、そちらも恐らく望みは無さそうだ。

 他のグループにも彼女らと似たような魂胆を持っている女性はいるだろう。そして何より、先ほどから様子を見ていると、セバスは多くの貴族たちと歓談してはいるが、慇懃な態度は崩すことなく当たり障りのない話で上手く流している。社交辞令とまでは言わないが、あまり深くは入り込む事も入り込ませるつもりも無いらしい。

 

(あまり権威には近付きたくないのかしら)

 

 ひょっとしたら本当に「呼ばれたから来た」だけなのかもしれない。

 貴族的な慣例の中で生きてきた令嬢たちにはなかなか受け入れがたい話だが、想像も出来ないほどの財をすでに(恐らくはこの地に流れ着く前から)個人で築き保有しているのだ、今更煩わしい他所の権力など不要なのも頷ける。魔法詠唱者でもあるというのが事実ならば、厭世な面もあるだろう。

 となれば、益々もって取り入る事も取り込む事も困難だ。

 ソリュシャンやメイドたちを眺める。

 

「…ほんと、彼女たちが羨ましいわ」

 

 どうやって知己を得たのか、或いは世代を経た繋がりがあるのか。

 野心とは別に興味は尽きないが…。

 

(やはりそれでも、色事に興味が無いわけではないのかしら)

 

 女性として嫉妬を隠せない程の美貌が並ぶ様は、そうとしか思えなかった。

 

 

 

 

            ▼

 

 

 

 

 だいぶ時間が過ぎると、周囲から向けられる視線に嫉妬と妙な理解が含まれている事がアインズにも把握できていた。

 

(これ絶対好色家と思われてるよね俺。えぇぇ~不味くないかあ? こんな筈では……)

 

 違うんです、彼女らは友人たちの娘のようなもので、自分としても家族のように思って……などと心の中で弁明する。便利な言葉だよ、家族って!

 ひとり悶々としていると、そんなアインズに近付く者がいた。

 バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ。ランポッサⅢ世の長子、リ・エスティーゼ王国の第一王子である。

 今回この晩餐会には妻を伴わず、代わりにその背後には側近として扱っている数人の貴族らを連れ立っていた。

 

「うん? ああ、これは殿下……と呼んで宜しかったですかね、この度の歓待楽しませて頂いております」

 

「バルブロで構わん。満足して頂けているならば何よりだ」

 

 言葉は丁寧だが、その顔にはあからさまに不本意だと書いてあった。

 叙勲式の時もそうだったが、父王の意向や貴族らの関心とは別に、バルブロ個人はアインズに対しては特に評価する心積もりもないようである。

 彼から見ればアインズは成り上がり者でしかないのだろう。なまじ金銭においては自分以上の財を有するがために、妬みもあってか嫌ってさえいた。

 如何にも絵に描いたような特権意識に縛られた王族らしい態度に、アインズは内心苦笑していた。ランポッサⅢ世がそれこそ苦心する憂国の君主といった人物であったがために。

 分かりやすい善良な王と権威を笠に着た王子という組み合わせなど物語の中でしか有り得ないと思ってはいたが、居るところには居るものである。

 その横柄な態度に、ついユリやメイドらは不快げに表情を曇らせるが、すぐにそれを隠す。

 アインズといえば、この場での次のホストは彼ということか、と一人頷いていた。

 

「客人であるからには仕方がないのかもしれんが、貴殿らは注目の的だな」

 

 自分がアインズに近付くとともに、必然と周囲の目が向けられているのを意識しつつの言葉だ。

 ソリュシャンとセバス、双方に集っていたグループの者たちもそれとなくこちらへと注視している。

 

「なんとも身の置き場に困りますね」

 

 アインズの答えに、バルブロは口の端を歪める。笑みを浮かべているのだろうが、内心が幾らか漏れてしまったのか忌々しそうな表情にも見えた。

 そしてその視線は客人ではなくその連れに向けられた。 

 

「こちらは?」

 

「私の部下のユリです」

 

「この度は御尊顔を拝する機会に恵まれ光栄の至り。ご紹介に与りました、わたくしはユリ・アルファと申します。あちらで貴族の方たちとお話をさせて頂いているソリュシャンの姉になります」

 

 一歩前に出てドレスの端を摘み頭を下げるユリ。

 第一王子はほう、と少しの驚きを含ませ呟く。

 

「てっきりゴウン殿の御内儀かと思ったが。…そうか、ソリュシャン嬢の姉妹か。揃って実に美しいな。ああ、ひょっとするが他にも?」

 

「はい、七人姉妹です。私が一番上になりますね」

 

「……そうか。他の者らもさぞお美しいのだろう」

 

 偽りのない称賛にユリは感謝の言葉とともにもう一度頭を垂れ、アインズの後ろへと下がる。

 その優雅な所作を見た王子の取り巻きたちからも感嘆の溜め息が聞こえた。

 ふん、と一つ息を吐き、バルブロは目の前の者らを観察する。とはいえ主にその対象はアインズではない。

 その目はユリの胸元に向けられていた。

 装飾が少なく簡素だが煌びやかなドレスで覆われ、それが窮屈とばかりに押し上げられた白い双丘の艶やかさが、男の情欲を刺激していた。

 ずっとそこばかり見ているのも格好がつかないと思ったのか名残惜しそうに引き剥がした視線は、しかし次いでアインズの背後に立つ6人のメイドへと向けられてしまう。悲しい男の性なのかもしれないが、バルブロの取り巻きの貴族たちも似たり寄ったりであった。

 その不躾な視線を向けられた女性たちはというと、そこに含まれている欲望も感じ取ってもいたが、ついと目を伏せるくらいで特に嫌がる素振りも見せず、至高の存在の従者としてただ涼やかに佇むのであった。内心ではすこぶる嫌悪していたが。

 バルブロとて普段ならばここまであからさまではない。

 彼は女性には不自由などしていなかった。その地位ゆえに、おいそれと特定の或いは多くの女性と深い仲になることもできなかったが、色事で篭絡されることのないようにと、時たま弁えている所から相応の女性を引っ張ってきて宛がわれていたため、そちらの経験もそれなりだ。これについては第二王子のザナックも同様であり、いわば王族の公然の秘密であり必要な慣習であった。

 それだけでなく彼の場合は弟と違い、八本指から直接贈賄や接待を受けていたため、本来は宜しくないことだが多くの高級娼婦とも関係を持っていた。

 そのため、その美貌を誉めそやされる貴族の婦人や娘らと顔を合わせてもそうそう下心を面に出すことなどないのだが、アインズの連れの女性は須く、これまでバルブロの見てきたどの女性よりも美しかったがために、どうにも抑えが利かなくなっていた。

 とりわけ、今目の前に立つユリ・アルファは格別に思えた。

 

 ソリュシャンは確かに絶世と呼べるほど美しいし、何より男を惑わす妖艶で誘うような色香がある。だがその金髪のせいもあってか、どうしても妹であるラナーが重なってしまう。いや、バルブロ自信自覚していないが正確にはその両の目、巧妙に隠してはいるがそこに含まれる侮蔑と嘲笑の色が似て見えるのだ。

 そのため彼女に対しては下半身は反応しているのにも関わらずイマイチ気が乗らないのだった。

 その一方でユリは、眼鏡をかけていることもあってか知的な印象のある容姿、陶磁器の如く白い肌にかなりの大きさが見て取れるその巨乳も相まって、久しく無かったほどの春情をバルブロに抱かせた。肩が露出したドレスのため見える肌の面積が多く、そのなかで首に巻かれた黒いチョーカーがより淫靡な魅力として映った。

 6人のメイドたちもその全員がメイドにしておくには惜しいほどの美女であり、中には食指が強く刺激される好みの者もいたが、その中にあってやはりユリが最もバルブロの関心を占めていた。

 今度こそアインズへと視線を向ける。

 仮面によってその顔は隠されているが、バルブロはそこに優越が浮かんでいるように思えた。勝手な妄想だが否定もできなかった。

 やはり肉体関係は持っているのだろう。

 これほどの美貌だ、手を出さないわけがない。

 他の連れもいずれ劣らぬ美女揃い、部下を外見で選んでいるとしか思えないくらいなのだ、そこには男としての欲望があると見るのが当然だ。

 羨ましい。妬ましい。

 何故卑しい生まれの成り上がり者が、王族である自分を差し置いて、これほどの女を所有しているのか。

 言い掛かりに等しいものであると自覚してもいたが、未だ自立した権力を持たぬままならない王族としての立場から見た劣等感と昏い嫉妬のため、バルブロにはその心胸にあるものを抑えこむことができなかった。

 自分でも危うく思ったのか、バルブロは意識して少し強引に話を切り上げる。

 

「まあ夜は長い。酒の席だ、そう堅苦しくせずゆっくりとしていかれよ」

 

 失礼する、とその場を後にする。

 取り巻きたちはその目をユリたちとバルブロの間で行ったり来たりしていたが、名残惜しそうにしつつもアインズに会釈し第一王子の後に続いた。

 本来ならば彼ら側近の貴族たちを主筋であるバルブロはアインズへ紹介するものなのだが、王族としてプライドの高いバルブロがアインズを快く思っていない事は彼らも知っているため、内心はともかくこの場ではあまり個人的に近付くつもりはないようだ。

 

 

 

 

 続いてアインズの元に足を運んだのはバルブロの弟君、第2王子のザナックであった。

 鈍重に見える動きでやってきた彼は片手を上げ挨拶をする。第1王子よりは幾らか気さくな印象を抱かせた。 

 

「やあ、失礼するよゴウン殿」

 

「これは…ザナック様、楽しませて頂いております」

 

「先ほど兄と話をされたばかりだ、面倒な口上は省こう」

 

「お気遣い痛み入ります」

 

 突き出た腹を揺らし笑うザナックに、アインズは軽く頭を下げる。

 それを受けた王子も軽く頷くと、首を回らし周囲の貴族たちを見遣り苦笑を隠さず、僅かに潜めた声を漏らす。

 

「面倒だと思われるだろうが、貴族たちの目のある中では形式というのは必要でね。こちらの都合に客人である貴殿を付き合わせて申し訳なく思う」

 

 王族という地位にあって責任よりも誇りに比重が傾いている兄とは違い、この小太りの弟はそこまで格式や慣例に固執しているわけではないらしい。

 とはいえ立場上そうしたものを把握せねばならないし蔑ろにはできないという事情もあり、その顔には煩わしさが覗えた。

 もっとも、常であれば腹芸に慣れた彼の事、そのような内心を顔に出すことなど有り得ない。敢えて今そうした態度を見せるのは意図的なもの。

 しばらくアインズの様子を観察し、どうやらこの客人は格式張って他人行儀に接するよりは多少気安げな態度である方が懐に入り込みやすいらしい、とそう判断したザナックは多少礼を欠くようにも見える崩した態度で近付いたのだった。事実、配下の者たちはともかくアインズ本人は気にした風でもない。

 さて、先ほどのバルブロとの話にもあったが、女性には困っていないようだが隣に寄り添う者が見当たらないアインズに、ザナックは疑問に思っていた事を尋ねる。

 

「…そういえばゴウン殿、ご婚姻は?」

 

「いえ、恥ずかしながら私は未だ独り身でして」

 

 実戦経験も全く無いんですがね!

 魔法使い予備軍だったのが、今では本物の魔法詠唱者である。しかもその際息子は姿を消して行方不明となっている。

 そんなアインズの幾らか自棄の混じった胸の裡になど当然気付くことなど無く、ザナックは「ほう!」と声を上げる。

 驚きは、貴族らの打算が見え隠れするこの場にあって、アインズがその情報を伏せない事に対してのものだ。

 

「これだけの美女たちに囲まれていては、身を固めるのも気が乗らないものなのかな」

 

「ははは。いえ、まあ、なにぶん縁が無かったもので」

 

「こちらに侍っておられる女性たちのいずれかを娶ろうとは?」

 

 その問いに反応したのはアインズよりもむしろユリやメイドたちの方であった。

 恐れ多いとばかりに身を縮める。だが、もしも最後まで残られた今や唯一の至高の御方が望まれるのであればこれほどの栄誉はない、喜んでその身を捧げるであろう。

 だが、それと同じくらいに怯えもするのだ。具体的には階層守護者である真祖と守護者統括であるサキュバスの反応が怖くて。

 どうか今の発言が彼女たちの耳に届く事がありませんように。届いたとしても被害を受けるのは発言者のこの男だけでありますように。

 そんな彼女たちの姿に訝しげな視線を向けるザナックに、これまた冷や汗を隠し切れずにいるアインズは言葉を濁す。

 

「あー、えー、そのー、彼女らは友人たちの娘でもあるので……望まれれば応えてもやりたいですが、こう、決定的なアレとかは……。ええと、些か複雑なのです」

 

「うん? そう、なのか。ううむ?」

 

 ザナックからすればアインズの説明は正直「だからどうした」と言いたくなるものであった。

 彼からすれば、見目麗しく器量も良さそうな女性たちが部下として付き従っているのだ、親がどうあれ、友の娘だろうと関係が親しいものであるならば手を尽くして篭絡し正式な婚儀にまで進めてしまえばいいのにと思うのだ。

 このあたりの感性の齟齬は文字通り住む世界が違うためだろう。異世界ゆえの文化差異だけでなく、支配階級と(元の世界での)被支配階級という面も含めて。

 しかしこの世界の人間がそうした理由に思い至るはずもなく。

 そうであるならば好都合、身内から娶るのは気が乗らないというのであれば此方の方で用意しよう、とザナックは少し身を乗り出す。

 

「では、幸運にもこうした場に臨む事にもなったのだ。この際だから、というのも変だが、この場にいる貴族の娘たちの中から見繕ってみては如何か。いやいや、ちょっとした話のタネ、軽い気持ちのものだよ」

 

 何でそういう事言っちゃうかなあ。

 この場にはいないシモベ二人の姿が思い浮かび、アインズは嫌な汗をかきつつ、はあ、と気のない返事で応じる。

 

「淑女諸君には失礼かもしれんがね。なに、男同士の一種の猥談めいたものさ」

 

 声を潜めれば注目されていようと聞こえはしまい。こっそりと、この場だけのものだ。

 そう言い募るザナックに、アインズはう~んと唸るばかりだ。

 アインズとしては別の意味で危険を伴うこの手の話題は早々に打ち切りたかったが、婚姻による政略が当たり前の世界ゆえか、男女の仲の詮索や紹介はどうもこうした場での定番の話題でもあるらしい。

 下手に王族の前で未婚と口にしてしまったばかりに、これはなかなか放してもらえそうにない。

 

 こそこそと何やら話している二人は当然周囲の注目の的であった。(もとより視線を集めてはいたが)

 何かの密談密約かとも思ったが、どうにもそうした雰囲気ではない。第二王子は口の端を歪めいやらしい表情で困惑するアインズの胸先を軽く小突いている。

 ようは修学旅行中就寝前の男子中学生の様相を呈していた。

 ともすれば無礼ではないかと思うような、あまりに馴れ馴れしい態度であった。

 勿論ザナックとてこのようなノリの軽い下品な男ではない。この行動は先に述べたように意図してのものである。

 ユリやメイドたちは隠しようもないほど険しい顔つきであったが、主人であるアインズは話の内容には困っていても相手の態度に対して思うところは無いようであった。

 ザナックは内心で密かによし、と頷く。

 明日に控えた御前会議で何を要求するつもりなのかは不明だが、一方的な無理難題を突きつけてくることはないだろう。そうした人物ではないように思えた。だがそれでも少しでもこちら側に配慮が向くように、僅かにでも親しみを感じて貰えるならばそれに越した事はない。今この時ばかりは5年先10年先よりも今日明日生き残る選択をすべきである。

 端から父王からも愚物と見做されている。味方する貴族が一時的に減る危険もあったが、周囲からは馬鹿に見えてもここは強引にこのノリで押すべきだと判断する。

 彼もまた、彼なりに必死なのである。

 どのような形であろうとなんとか友好を深めようと挑む第2王子の詮索を、どう上手く躱すべきかとアインズは苦慮する。

 彼はまだ気付いてはいない。

 二人の王子との挨拶を終えたのを見計らって、この後次から次へと貴族たちが自分の元へと押し寄せるのを。

 宴はまだ始まったばかり。

 醜態を晒さないか、シモベたちが我慢できずにやらかさないか、そうしたアインズの気苦労も、まだまだ終わりは見えないのであった。

 

 

 





 12巻ではデミさん大ハッスルでしたね…。
 そしてアインズ様はいつも通り、敢えて困難な道を突き進んでおられましたね。



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