機動戦士ガンダム0079 Universal Stories 泥に沈む薬莢   作:Aurelia7000

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第九章

   第九章

 

 まずはこの二人の子供が、大声で泣き喚かなかった幸運に感謝した。

 そして次が、連邦兵でなかった幸運だ。

「ごめんね、びっくりさせたかな」

 男の子を立たせながら、顔が見えるようバイザーを開け声をかける。優しく近所の子供に話しかけるように。しかし男の子の腕は掴んだままだ。

 長い草木に囲まれた薄暗い沼地で、三人は固まっていた。ドナも不安ではあったが、子供達はそれ以上に驚き、恐れているように見えた。

「おねえさん、ここで迷子になっちゃって。君たちは近くに住んでるのかな?」

 女の子の方が固まったまま返事をしないと見ると、男の子の顔を覗き込んだ。するとわずかに、顎を引いて頷いたのが分かった。

「そっか。ええと、大人の人たちもいるよね」

 今度は女の子が頷く。恐怖に怯えた表情がドナの胸に棘が刺さったような痛みを覚えさせた。

「その人達は連邦の人?」

 我ながら愚問だと思った。この宇宙でホモ・サピエンスを見かけたら、ほとんどの確率でそうに決まっている。地球上ならその確率はもっと高いし、現地民なら疑いの余地はないし、連邦法的にはジオン国民を含めすべての人類が未だ地球連邦市民だった。

 だが、少女の反応はドナの内省に反するものだった。少女は首をかしげ、答えに困った様子を見せる。

 連邦政府の存在は、市井の人々にとってあまり認識する必要のないものであるという。それは外国という存在のない地球上において、地域の行政府としての側面しか見ないからなのだろう。子供であればなおさらか。ドナは、自分が初めて国家という共同体の輪郭に気づいたのは何歳であったか考えかける。

「兵隊さんは?」

 少女、幼女というか童女というか……が、今度は首を横に振る。

 少なくとも、連邦軍の部隊が駐屯している集落の子供ではないようだ。

 ドナはスマルツァを握る右腕の力を抜いた。

「聞いてみるもんだ」

 思わず声に出してしまう。

「お姉さんは、ちょっと道に迷っちゃって。銃を向けたりしてごめんね。虎かと思ったの」

 宇宙服で沼に沈んでいた自分が言うには無理があると自分でも思いつつ、アドリブで言い訳を並べてみる。

 いっけない! うっかり宇宙から落ちてきちゃった! の方がリアリティがあっただろうか?

「二人は、住んでいるところは近いの?」

 サブマシンガンの安全装置をかけ、スリングに依託する。泥がびっしりついたベストをグローブで拭い、ポケットからチョコバーを二本取り出した。

 現地民の子供を手懐ける常套手段だ。

「これ食べる? チョコレートだよ。すっごく甘くて美味しいの」

 まずはすぐそばにいた男の子が受け取り、それを見た女の子も近づいてきた。ふたりの顔は少し汚れているが、健康的な肉付きをしている。

 きょうだいではないようだったが、二人ともガラス細工のような丸く光る目を顔に備えていた。

「大丈夫、おねえさん何もしないよう」

「……どこから来たの?」

 男の子が、ドナに腕を掴まれたまま尋ねた。まだ声変わりしていない、中性的な声だった。

「んっとね。すっごく、空よりも高いところ」

 ドナは曖昧に答える。男の子は納得していないようだが、その質問をしても要領を得る答えは得られないと理解したようだった。

「でもふたりとそんなに変わらない場所だったと思うよ。公園とか―」

「ジオンの人でしょ?」

 ドナがまだ薄い氷の上にあるような空気を解そうと喋り始めた時、女の子が言った。

 反射的にMP-71のグリップに手を伸ばす。この子達に向かって引き金を引くことはできないと、よく分かっていながらも。

 茶色く濁った水の底、堆積物の上でアッガイは蹲ってドナを待っていた。ぴくりとも動かないそのMSのコックピットでは、クロエが腕を組んでひとりシートに収まっている。

 ドナと出会ったのは養成過程を経てアッガイの搭乗員となるための辞令を受け取ってからで、付き合いは半年ほどになる。

 閉じていた瞼を持ち上げ、クロエはアッガイのモニターに視線を移す。暗い川底の映像が補正され、いくらか見やすくはなっているものの、特に見るべきものもなく、さして宇宙と変わらないと感じる。

 ドナが出てから一時間半。静かになったコックピットには、クロエの落ち着いた息遣いとアッガイのわずかな心音だけが響いていた。

 思い返してみれば、一人分の席しかないのが本来であるMSを操縦していながら、随分ドナとのコンビに慣れきっていたらしい。複座である分広く取られたスペースが、徐々にクロエの肌に冷たく染み込んできている。 

 聴音センサーも光学機器が沈黙する中でクロエは、ドナの言っていたことを思い出す。「クリスマスは本国に帰りたい」と。開戦から十ヶ月、ジオンの兵士達にも疲労の色が見え始めていた。

 地球の広さと多様さが、擬似重力で育ったスペースノイドの心身を削っているのだ。

 華々しい戦果を挙げた開戦劈頭の宇宙戦とは打って変わって、泥沼のように底の見えない地上戦。何度粉砕しようとも地球連邦の兵士達は抵抗をやめず、死体の山を築きながら今もこちらの勢いを挫こうとしている。

 そう、泥沼だ。

 泥で満たされた、沼。

 いつからかそこにあった。底で死神が鎌を抱えて待っているそこに、この十ヶ月で数えきれないほどの人々が飛び込んでいった。そしてひとりとして帰らず、舗装された死地への道にまだ大勢が列をなしている。自分達が先頭になるまで、あとどれぐらいの時間があるのか。いくらの血と肉体とを捧げれば、その沼の先にあるどこかへと渡れるようになるのか。

 あるいは、いつの間にかクロエもその沼にどっぷりと浸かっているのかもしれなかった。

 クロエの母は聡明で、強かで、そして臆病な善人であった。厚生局の職員だった彼女がクロエに向ける視線は、いつからか慈しみに諦観が入り混じった色をしていた。クロエはそれに気付かぬふりをしながら、この場所に来た。

 母と父二人が必死に働いても、税金と生活費を払いながら旅券を手に入れることは一生できなかったであろう地球に。

 リビングルームの飾り棚には、密閉型コロニーの模型の隣に小さな地球儀があったことを思い出す。母と父のどちらが買ったものなのかは聞いたことがない。ある日幼い彼女が、循環施設での仕事から帰ってきた父にその地球儀について聞くと、父は不思議な表情でこう答えるのだった。

 これは地球と言って、人間みんなの故郷なんだ。百年前はみんなそこで生まれて、そこに住んでいたんだ、と。

 父がどんな思いでそれを語ったのか、分からない。クロエの家族は連邦とのことやザビ家のことについて話さなかった。クロエが入隊を決めた時も、決めたことなら仕方ないと言って引き止めなかった。

 だが、今ならわかる気がする。善良にして純粋な二人のことだから、戦争は望んでいなかったに違いない。ジオン・ダイクンの著書を片手にデモで叫ぶようなこともなかっただろう。

 一人娘にもきっと、あの閉じきったコロニーの中で平穏に一生を終え、孫の顔でも見せてくれれば十分だと思っていたに違いない。劇的な成功は望めなくても、コロニーで飢えることはないと、仕事を通してよく分かっていたはずなのだ。

 だがそれでもクロエの出征を否定しなかったのは、スペースノイドに生まれた以上、抱かざるを得ない感傷を、心で理解していたからではないのか。

 それはクロエにしても同じことだった。

 自分は若者としての使命を感じて軍人となり、この道を選んだ。ザビ家への恭順や、大義―スペースノイドの独立、あるいは人類の持続可能な運営―のためにパイロットになったわけではない。

 ただ共同体の一員として、必要で、当然のことだと思ったのだ。だが人生を歩むうちに当然に建てられていた責任という看板に、誤謬はないと思った。

 気づくと彼女はアッガイのコンディションモニターを起動し、弾薬量や推進剤、稼働状況を視線で追っていた。兵士としての彼女が、終わりの見えない思考に囚われることを恐れたのだ。

 人にはみな、責任がある。クロエにとって、権利とは責任を果たすことで勝ち取るものだった。

 軍人が意味のない思考に脳や神経を従事させる権利は、その職務を果たして初めて許される。その責任を放棄した時、生きる権利が残されていればまだ幸運だといえる。

 命令書と地図、作戦書を足の上に広げる。

 MSM-04による単独偵察任務は、連邦軍の頑強な遅滞戦術に直面した方面軍が打ち出した、いわば苦肉の策だった。三機一個小隊を最小単位とするのが本来のMSを単機で敵勢力圏に潜入させ、主力を効率よく敵の中枢にぶつけるための偵察を行わせる。

 他の選択肢には実行不可能な偵察任務を、彼女たちのユニットが自律的に行い、勝利に貢献する。聞こえはいいが、要するに主力の損耗を避けるために無茶振りをされているとも言えた。

 死ぬわけにはいかない。

 任務は達成されなければならない。

 パイロットとしての責任。軍規に忠実であろうとする彼女の理性が、益のない逡巡と回想を頭の中から追い出し、この時間を最適に使うことに集中させた。そして彼女は、最悪の状況、つまりドナが時間までに帰ってこなかった場合について考える。

 しばし考え、地図にいくつか書き込みを増やした後、クロエは左足のホルスターに収まった制式拳銃を取り出し、マガジンを抜いてスライドを一度だけ引いた。

 軽い金属音が静かなコックピットに溶け込む。

 「―ねえ。ジオンなんでしょう?」

 腰まで腐葉土が溶け込んだ沼に浸かった女の子が、そう畳み掛ける。ドナはサブマシンガンのグリップの硬い感触をノーマルスーツのグローブ越しに感じつつ、その表情を伺う。

「知ってるよ。お父さんが言ってた」

 ドナの心臓が高鳴る。それは、子供たちと敵対する可能性に対するものではなかった。早まる鼓動が水音よりずっと重く響いた。

「……どんなふうに、聞いたの?」

「ジオンは怖い人達だって」

 怖い。その言葉に、あの映像がフラッシュバックする。人工の大地、スペースコロニーが地球に落下していく映像。宇宙空間には空気がないから、離れていてもやけに明瞭に見えた。

 スペースコロニーの直径は六・四キロメートル。全長が四十二キロメートル。巨大な円筒形の大地が落着したオーストラリア大陸の都市シドニーは蒸発し、広大な湾を形成した。

 キシリア・ザビの言うところの《正義の剣》―。

「おねえさんは怖い人なんかじゃないよ」

 ヘルメットの中で口角を釣り上げてそう言う。

 落着地点から五千キロ離れたボルネオ島にも、コロニー落としの被害はあった。落下の衝撃で発生した津波が沿岸地帯を壊滅させ、少なくない数の破片が降り注いだ。地球ではもはや、コロニー落としの被害を全く受けていない地域などごく限られた場所だけだろう。

「そうなの」

 納得したのかしていないのか、曖昧な声音で少女が答えると、近寄り男の子の手を握った。ドナはようやく、掴んでいた男の子の腕を離す。

「私達は、連邦軍に用があるだけ。スペースノイドをいじめないって約束ができたら、帰るつもりだよ」

 地球市民に説明する際に話すよう教えられた話を、噛み砕いて伝えようと試みる。

「学校なくなっちゃったの。危ないからって」

「だから暇なんだ。釣りや木の実拾いの手伝いばっかり」

 少女の発言に呼応して、無口だった少年がようやく口を開く。

 校庭という開けた土地があり、小分けにされた部屋に机が揃っている学校という施設は、軍が接収するのにはうってつけだ。ドナも何度か、地球制圧軍が指揮所を置くのに接収した学校施設を見たことがある。

「そっかあ。遊ぶ場所もあんまりなさそうだしねえ」

「危ないから遠くに行くなってお父さん達が」

 女の子の方は特にだが、緊張が解れたのか、どんどん口数が増えてくる。元々大人を捕まえては話を聞かせたい年頃なのだろう。

「宇宙って、どんな感じ?」

「僕知ってるよ。コロニーに住んでるんでしょ」

「よく知ってるね。大きな筒の中に住んでるんだよ」

 少年と少女の興味本位と分かる質問に答える。

「ここと違うの?」

「全然違う! いいところだね地球は。本物の海もあるし、動物もたくさん」

「コロニーには海がないの?」

「うーん、あるにはあるんだけど……」

 ドナが初めて海洋コロニーを訪れたのは、軍に入隊してからであった。彼女の家には、観光用コロニーに旅行に行く余裕はなかった。

「ここの方が好きなの?」

 うん―そう答えようとして、戸惑う。自分でも分からない。戦争がなかったら住みたい、そうとも言えない自分に気づいた。そして侵略者である自分が、ここに住みたいなどと口にしていいのか。そう嘯く資格があるのか。

 ドナはヘルメットを脱ぎ、空いた左手に抱える。

「でもきっと、大昔の人達はみんなが地球に住み続けたかったはずなんだ。でもそれはできなかった。だから、みんなで宇宙に住もうとした」

 互いの手を握った二人に向けて言う。泥水の上を虫が浮かんでいた。

「みんな? 私たちは違うの?」

「うーん。宇宙には住みたくないって人もいたんだろうね」

「私は宇宙に住んでみたい」

「僕も」

 ドナは返す言葉を探したものの、口に出すことは叶わなかった。

 それは、宇宙移民の約束を反故にした連邦への怒りだとか、子供の純粋さだとか、そういうものが理由ではない。

 もっと根源的で、意思や思想の介在し得ない理由だった。

 草むらをかき分け、枯れ葉を踏み潰す音が聞こえた。ドナは反射的にスリングからサブマシンガンを掴み、両手で構えその銃口を向ける。左手から離されたヘルメットが音を立て、泥水に沈んだ。

増やして欲しい要素はなんですか?

  • 人間ストーリー
  • 戦闘シーン
  • モビルスーツ
  • 普通兵器
  • 歩兵
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