機動戦士ガンダム0079 Universal Stories 泥に沈む薬莢 作:Aurelia7000
第十四章
何隻目かのボートがアッガイの頭上を通過する。当然、その小さなボートは川底に潜むモビルスーツに気づくことはない。
クロエは念の為に握っていた操縦桿から手を離し、時計を確認する。
あと十分もすれば隣で寝ているドナを起こしてミンドールを偵察することになるだろう。何度か交代で睡眠を取った彼女は、これからの行動に備えてコーヒーを淹れた。パイロット達が原子力コーヒーと呼ぶ、核融合炉の電力で沸かしたコーヒー。
アッガイのコックピットは潜航中や海底、河底でも姿勢を維持できるようフレームごと一定回転する機構になっている。仰向けに寝そべっているアッガイの中で、二人のシートは理想的な垂直より二十度ほど傾いて安定する。
そのためクロエは少しだけ上体を起こしてステンレスのカップからコーヒーを啜った。
隣で寝ているドナを見る。パサついた赤髪の下でやや子供っぽい顔が穏やかな寝顔を晒していた。
彼女はクロエより一つ下の歳であるが、軍歴自体は長い。クロエより四年近く早く入隊した彼女は、クロエが任官した時には既に軍曹に昇任していた。一般の部隊であれば、兵達を取りまとめ、将校との間に立って指揮官を補佐したり、分隊や班の指揮を取る立場だ。
能天気で抜けているように見えて、自分を気遣って無理をしているのは感じていた。
本来モビルスーツとは船外活動服、つまり自律機動の可能な宇宙服の延長としての宇宙戦闘機であり、その運用にはパイロット一名のみが求められる。アッガイはコックピットフレームに余分なスペースを設け、運用に必要のない人員を載せることを可能とした。
そうした特殊な機構が、たった一人の偵察兵を自律する外部偵察装置として組み込む現在の運用思想に繋がっているのだろう。
「………………」
ドナは軍隊の冷酷な論理を知っているはず。だから、率先してその務めを果たそうとしている。
クロエにはそう感じられた。
「よく寝れました……」
「寝坊してないわよ」
クロエの静かな視線を感じ取ったのか、目覚めたドナが言い訳のように言った。反射的にクロエは少し笑ってしまう。
「もう少し寝ていても構わないわよ」
「や、充分寝れた。さて、お仕事ですか」
ドナは目を擦りながら片手でコンソールを叩き、モニターに地図を表示した。
「現在地がここ。連邦軍の警戒線はとっくに通り過ぎて、ミンドールは目と鼻の先」
「うん。そうだったね」
夜間の航行で川を進んだ二人は、既にミンドールの区域に差し掛かる位置で場所を選んで明るい時間をやり過ごしていた。
早朝に出発してから一日半。ずいぶん前のことのように感じるが、今日は十四日。タイムリミットの十五日までまだ時間はある。
日中に行動するには敵の勢力圏に深く入り過ぎ、これ以上の行動は暗くなるのを待つしかない。
「全身バキバキだねえ」
ドナが体を伸ばし、背骨から小気味いい音が響く。
「もう少しの辛抱よ。偵察が済んだら帰れる」
クロエはカップの中の黒い液体を見て言った。ドナの方はノーマルスーツを取り出して足を入れている。
「ここまで来たらアタリを引きたい? それとも何もない方が嬉しい?」
「どちらにせよやることは変わらない。リスクは小さい方が嬉しいけれど」
「まさに鬼が出るか蛇が出るか。オープン・セサミだね」
偵察写真にあったミンドールに向けて後退する連邦軍部隊。仮に主力の機甲部隊でなくとも、何らかの部隊がいることは予想される。あるいは、目論見が外れて留守かもしれない。彼女達が持っている情報は、極めて少なかった。
夕日が沈み始めた現在、定時報告を済ませ、二人は闇夜に紛れてミンドールの街に侵入を開始した。
―一機のアッガイが、腕を地面についた類人猿のような低姿勢で水田を進む。モノアイに搭載された赤外線カメラが、その先にある小さな町を観察し始めた。偽装網がかけられた陣地を発見し、パイロットが映像を分析する。
街は小さく、周囲の陣地にも装甲車両の気配はない。それどころか、見当たるのは民間のトラックばかりで軍用車はラコタがせいぜいだった。
「衛星から見えていたのはあれか」
偽装された戦車に見えたのは連邦軍が設置したダミー風船であった。熱源の発生装置まで組み込まれ、轍も再現されている。
「ここはただの中継地点ですね。火消し部隊の集結地点じゃない」
「本部に報告しろ。《パパイア・ガレオン》に帰るぞ」
「了解。RTB」
ミンドールから数十キロ離れた地点で、制海中隊第三小隊に所属する別のアッガイが仕事を終えた。
クロエとドナのアッガイは、ミンドールの市街に流れ込む運河で、地形をスキャンしている。
「まだ新しい浚渫痕がある。戦争が始まってもこの運河は整備してるんだ」
アッガイは中央が深く掘り下げられた運河を通り、街が観察できる位置まで移動した。
「三秒だけカメラを露出させる。最優先目標は河港の倉庫群」
モノアイレール上のモノアイが水面から出るよう、僅かに浮上する。数秒間の間にセンサーが情報を収集し、すぐさま機体を完全に水の底に戻した。
機内でクロエは、録画された映像を分析する。川から見える範囲には、住宅と物流倉庫が近く見えた。奥には商業施設がある。
市街の中央道路から接続された駐車場を持つそのショッピングモールからは、高いアンテナが伸びていた。物流倉庫は運河を利用した物流のために船着場が整備されている。
偵察衛星が撮影した写真では、モールの駐車場と物流倉庫、鉄道駅の側にある倉庫の駐車場に軍用車らしき熱源があった。
「部隊がいるのは間違いない。でもこの観測点からは決め手が得られない」
「市街中心を通る位置まで移動する?」
「リスクが高い。隠れながら数個大隊の戦車を整備して再編させるなら、確かに大きな倉庫がうってつけに思える。でも、都合よく川から確認するのは無理」
クロエは事前に見繕った観測ポイントの候補を絞り込んだ。
「鉄道と河港の倉庫区域を足しても、整備が終わった戦車も整備部隊も全て匿える面積はない。大きな改装工事をすれば、流石に軍の偵察衛星が拾うはずよ」
「ならハズレ? やっぱり連隊はもっと南に……」
ドナが言いかけた時、アッガイの潜水している運河にエンジン音が響き始めた。反射的に口を閉ざす。
クロエは船がアッガイの頭上を通り過ぎるタイミングを待ち、機体を追尾させた。船底の形状からそれが貨物輸送船であると分かる。
「ここで浮上したら見えるかもね」
「向こうからも丸見えよ」
川底から見ても明るい水面。輸送船が停船した位置は川沿いに建てられた倉庫の一つにある船着場だった。
「私が私服で見てくるっていうのは?」
「馬鹿言わないで。あなた現地人に見えないわよ」
アッガイがすぐ下にいるまま気づかずに船着場を出発した輸送船は、運河を進むと、町の中心部から外れて北部の農園地帯に続く小さな支流に入った。
「この先の農園は殆どがクリーンディーゼル用の油脂作物プランテーションだったわよね」
支流は浅く、輸送船の下で追尾するのは不可能だと判断したクロエは、少し待ってから間隔を空けて輸送船を追尾する。
「うん。搾油精製プラント付きの大きな」
「こんなに大きな輸送船を、倉庫から農園に送り出すのは何故? その逆はともかく」
石油燃料の代替として普及しているバイオ燃料。その多くは農作物から精製される。ボルネオの代表的な輸出品でもあり、人口の少ないこの島では食料としてのものより多く栽培されている。
「私たちや司令部は、広い市街が戦車を隠すのに最適だと考えていた。でも、実際には集結した機甲部隊の整備や補給、待機まで街の中に隠し切れるわけじゃない」
「ねえクロエ。これって、もしかしちゃうパターン?」
「確かめてみましょう」
アッガイは輸送船が農園にあるプラントの船着場に到着すると、なにやら作業をしている間に追い越し、上流で距離をおいた。
そして慎重に頭部カメラを一瞬だけ水面に出す。
連写撮影された画像は決して展示できるような代物ではなく、画角の中心からは外れているものの、赤外線と光量増幅の二種で狙い通りの被写体が捉えられていた。
「ナイトビジョンでバッチリだね」
画像の中心を拡大すると、運搬船のランプから自走して上陸する装軌式車両が写っていた。
「作業員の身長と比較してサイズを割り出して……ビンゴ。61式戦車の車体で間違いない」
画像では車両にシートがかけられており全体のシルエットは判別できないが、巨大な走行装置がよく見える。
これだけ特徴的な車両は、地球上にそう存在しない。強大な兵站能力で連邦軍が運用する主力戦車を除いて。
「自走させず小規模に畑まで運びこみ、油ヤシの農園に紛れて待機させる。そう考えれば辻褄が合うわ」
「ガスステーションそのものに隠すなんて大胆だね。報告を入れる?」
「いや、規模を確かめたい。はぐれた戦車部隊じゃなく、集結した主力だと」
アッガイが農園の運河で偵察を行なっているのとほぼ同時に、数両の61式戦車がミンドールに進入せんとしていた。
「歓迎もなしってのはどういうわけだ? 何日もジオンの連中の相手をしてやってたってのによ」
「そうぼやかないでください。ほら、立哨が出てきましたよ」
ドライバーに促され、先頭を走る一両のコマンダーが道の端にある小屋で検問をしていた兵士に声をかける。
「第九師団機甲大隊! ここであってるか?」
「もう少し先に行ったら将校がいるから聞いてくれ。でもまあ、合ってると思うぞ!」
操縦席から頭を出したドライバーと顔を見合わせる。ドライバーはそのまま身を乗り出して言った。
「訓練で覚えたことは全部ぱあになったか? お前所属は?」
「郷土防衛師団であります、サー!」
聞き覚えのない部隊名に、下士官の操縦手に対してサーの敬称。戦車部隊は詮索を諦め、そのまま道路を進んでいった。
「ちゃんと誰何からすんだよ、アホタレ」
小屋の中で椅子に座っていた兵士が呟き、席を立った。彼は見張りを任せていた男に一言告げると、もう一人の兵士と共に小屋を出た。
「素人くさくてたまらねえ。使い物になるんだろうな」
「弾除けぐらいにはなるだろ」
「あいつの撃った弾でくたばるのはごめんだぜ。目の前で犬死にされるのもな」
小屋から農園に通る小さな道を歩いていく。少し歩くだけで羽虫が口に入ってきそうだった。
「奴らのヘルメットの形はよく覚えてるさ。宇宙人ってほど分かりやすくはねえが」
「何が悲しくてあんな変な格好で戦ってんだか」
一人が言いつつ、煙草に火をつける。湿気った紙煙草が煙をあげ始めた。
「半世紀も狭い宇宙ステーションで暮らしてりゃあ頭のネジが減っちまうんだろうよ」
「全員で地球に住めるってか? 算数もできねえとは。あいにく満席だぜ」
運河の端にあるトイレ―掘立て小屋に辿り着くと、一人が中に入った。
「おい! デッカい糞が出る予感がするぞ!」
「唯一のお楽しみが糞ってなあ……」
言いかけて、何気なく眺めていた運河に奇妙な影を見つける。
「おい! 出るぞ! 今出る! 聞いてんのかよ!」
バディの声も構わず、夜目を凝らして川に浮かぶ物体を見た。薄く引き延ばしたような浅い球体に、わずかな窪みがある。
―妄想の中のUFOのようなそれが、雲の切れ間から差し込んだ月の光に照らされる。水平に通った窪みの中を、小さな円形の機械が動いた。
そして、こちらを向く。
―目が合った。それが目なのか、カメラなのか見当もつかないが、間違いなく目が合った。そう感じる。
「お、おい! 何かが―」
その瞬間、川から高速で飛び出した鉤爪が彼の体を貫通した。そしてそのまま、彼の体を水中に引き摺り込んだ。
「なんだってんだ!」
相棒の男がトイレの中で叫び、直後に再び水面を割った鉤爪が小屋ごと彼を潰して掴んだ。彼の運命はバディと同様、土色の川底に引き込まれる。
彼が木材ごと掴まれて最後に見た光景は、濁流の中で小さく光るモノアイであった。
「私が気付いていれば隠れられた」
アイアン・ネイルで掴んだ連邦軍の兵士の死体をカメラ越しに見ながら、ドナは思わず漏らした。
「観測の為に露出時間を伸ばし過ぎた。警戒の問題じゃない」
クロエは続ける。
「それに、分かった事もある」
モノアイが拡大した兵士の制服には、連邦陸軍第五機甲連隊のパッチが縫い付けられていた。彼女たちが探し求めていたものだ。
運河の積み下ろし作業を観測し続けていたアッガイに、偶然にも通りかかった兵士が気付くのは計算外の事態だった。パトロールでなかったのが幸いだが、忽然と兵士が姿を消せば、すぐに異変に気付くだろう。
クロエが死体を川底の泥の中に捩じ込み、ひとまずは隠蔽する。
「第五機甲連隊の兵士がいた。運搬される戦車も数えた。満点ではないけれど……これ以上は危険」
粉々になった便所と散らばった肉片に適当に泥をかけると、アッガイはその位置を離れ始める。
「大丈夫、アッガイなら逃げ切れるよ」
ドナが規定の電文形式に情報をまとめながら言った。
送信は逆探知を避けるため敵部隊との間に地形を置いた通信点で、バースト通信により行われる。
通信点まで移動した二人は、読み合わせて報告内容を確認し、一秒未満の通信時間で偵察結果を報告した。
通信内容は複数の中継基地を経て、ブルネイのボルネオ方面制圧軍司令部に伝達される。
電文を発しただけでは任務は終わらない。司令部からの返答を待ち、確実に成果が伝わったと確認して初めて、彼女たちは偵察任務を終えることができる。
「休暇の話、忘れないでね」
「許可が出るかは上次第だけれど、それぐらいの労いはあっても良いはず。ビーチでもショッピングでも付き合うわ」
「いぇーい」
アッガイのコックピットに受信を知らせる通知音が響く。
―発司令部。受領、確度評価A-2。命令ヲ更新。指定地点Cfニテ、敵情偵察及脅威排除ヲ実施。爾後ハ別命アルマデ友軍ノ支援ニ移行セヨ。以上―
ジオンが知ることを切望した連邦陸軍主力、第五機甲連隊の再編・集結地点がミンドールであると断定された瞬間であった。
「作戦変更? しかも友軍支援って……私達しかいないじゃん!」
「馬鹿げてる。たった一機に何を……」
そしてそれは同時に、二人が戦闘から逃れられないことが確定した瞬間でもあった。
増やして欲しい要素はなんですか?
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