莫逆LORDS   作:tyuuya

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オリジナルの書き溜めが進まなくてむしゃくしゃして書きました。


永遠への旅路

 

 

 

 西暦2138年の空は昏い。

 

 工場から出る重金属混じりの排煙に汚染された真っ黒い雲は分厚く、一日の殆どを太陽の恵みから覆い隠してしまう。

 

 寒々しい人口の光に辛うじて護られた人々は、高く高く聳えるビルディングの隙間を縫って這い回る鼠のように日々を過ごしている。

 

 蠢くような人の群れは数こそ多けれど、その動きに精彩はない。一部の富裕層を富ませるために使い潰されるだけの日々、自身の未来を諦めたものたちの歩みは、どれだけ急いでいようと覇気を欠いていた。

 

 

 そんな中、淀んだ群衆を二つに切り裂くような動きが起こった。周りとぶつかるのも厭わず、二人の男が人波をかき分けて走っている。

 

 

 「すいません、通ります! すいません!」

 

 「やっべ、もう三時だ! おいサト、急ぐぞ!」

 

 「もう、急いでる、っての! ああもう、トシ! カギ渡すから先に行って開けててくれ!」

 

 「あいよっ! どいたどいたぁっ!」

 

 

 ずんぐりとした小柄な男と、ひょろりと痩せた男が連れ立って走っている。

 

 先を走る小柄な男はぐいぐいと人波をかき分けているが、サトと呼ばれた痩せぎすの男は強引さが足りないのか人の流れに捕まってしまっており、先を走る男にカギを投げ、先へ行けと促した。

 

 先を走る男の名を山根敏之、後ろを走る男の名を鈴木悟と言う。サト、トシ、と呼び合う彼らは会社の同期。15年に及ぶ付き合いの友人同士だった。

 

 

 

 「あーもう、あのクソ課長がっ! ひと月前から有給取ってるヤツを二人とも呼び出すとか正気かよ! しかも自分は昼前に帰りやがって、アレ絶対女としけ込んでるぜ?」

 

 「落ち着けって。頭にきてるのは俺も一緒だけど、早くやらないと終わらないぞ!」

 

 「今度絶対あの薄らハゲに一発入れてやる……」

 

 

 重たい防護服を脱ぎ捨てた二人は、お互いラフな格好に着替えるとすぐに作業へ取り掛かった。背は低いが力に勝るトシが大きな箱から企業用の大容量記憶媒体を取り出し、サトが配線を整えていく。

 

 今日は彼らが12年の長きに渡ってプレイし続けてきたDMMO-RPG『Yggdrasil』のサービス最終日

 荒廃した現実の中に生まれた魅力的な仮想世界。数多のプレイヤー達がその世界の虜となり、冒険を繰り広げていった。

 

 その中にあってひときわ異彩を放つ、最凶と呼ばれた異形のギルド「アインズ・ウール・ゴウン」

 

 サトはそのギルド長であり、同じくトシもそのメンバーとして長らくプレイを続けてきたが、時勢の流れやメンバーそれぞれの現実の事情もあり、その構成員は櫛の歯を欠くように徐々に減り続けていき、41名いた構成員達も、今もギルドに籍を置いているのは二人を含めて僅かに5名。そのうち常時プレイしていると言えるのは、サトとトシだけ。

 

 当時のメンバー総出で攻略したギルド拠点「ナザリック地下大墳墓」を最低限維持できるだけのコストを稼ぎ、後は二人で適当にボスへ殴り込んだり、当てもなくぶらぶらと冒険しては就寝時間を迎え床に就く。そして朝にマンションのエレベーター内で再会し、出勤するというのが二人の日常だった。

 

 「今日はこのまま夜までログインしっぱなしだから、栄養補給とトイレは済ませとかないとな……」

 

 配線を終えたサトが呟く。

 

 明日の午前0時丁度をもってユグドラシルのサービスは終了となる。自身の人生の四割を注ぎ込んだこのゲームは、彼にとっての青春に近いものがあった。

 

 思うところは幾らでもある。

 

 不可思議でユーザーアンフレンドリーな運営会社。

 

 去って行ってしまった仲間たち。

 

 そして、消えてゆく思い出の世界。

 

 もしも自分が独りきりであったならば、生きる気力を失っていたかもしれない。それほどに、今日消え去る世界には彼の人生の思い出の殆どが詰まっているし、実際にサービス終了の発表直後はしばらく呆然としてしまっていた。

 

 そんな彼に、トシがある提案をした。

 

 『ナザリックのさ、バックアップとか取れねぇかな?』

 

 ナザリック地下大墳墓は、元々は6階構成の地下ダンジョンだった。そこへメンバーが各々の技術や財を結集し総出で手を加えていった結果、全10階構成にして1500人の大攻勢を僅か41人で全滅せしめる超鬼畜ダンジョンと化した、ギルドの拠点にして象徴。思い出の最も多く残ったそれを保存できないか、と彼は言う。

 

 確かにNPCの作成などは3Dデータを先に作ってからゲーム内にインポートし、そこからゲーム内でブラッシュアップする形を取っていたし、外部とゲーム内との接点は比較的多い。ユグドラシルのシステムに関わるような内部的なデータはともかく、外装など表面的なデータ、またほぼプレーヤーメイドであるNPCはほとんど完全な形で保存する事が可能だろうと思われた。―ー―個人用ストレージにはとても収まらない、圧縮してなお膨大なデータ量という壁を越えられたなら、という但し書きがついたが。

 

 試算してみたところ、バックアップには一般的な個人用ストレージ87個分が必要という事が分かり、現実に打ちのめされた二人だったが、手分けをしてジャンク市を探し回った結果、サービス終了直前の休日になってようやく企業払い下げの大容量ストレージを発見した。

 

 その後の顛末は御覧頂いている通りである。1日かけて行うはずのバックアップ作業は上司の妨害行為により大幅に遅延させられてしまったため、突貫で作業を終えなければいけない。一分一秒を争う状況に、二人は急いでパック入りの液体食料を腹に納めた。

 

 「おっし、こっちの通電は問題ない。いつでも行けるぜ、サト」

 

 「ああ、始めるか。―――ユグドラシル、その終わりの始まりだ」

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンの根拠地、ナザリック地下大墳墓。その九層は円卓の間に蠢く異形の影2つ。

 

 一体は金色の獣だった。

 

 全長にしておよそ4m。大型の肉食獣に似た靭やかな体躯と、霊長類に似た器用な五本指を備えた腕は、狩猟者としての理想を体現している。

 

 人とも獣ともつかぬ荒々しい面相には黒い模様が走り、長大な金色の鬣と相まってまるで歌舞伎役者のようにも見えるが、大きく裂けた口からは凶悪な牙が覗く。人の頭など一口で腹に納めてしまえるだろう。

 

 人に似て人に非ず、獣に似て獣に非ず。金色の毛皮と長い鬣を持ち、隆々たる体躯を誇る虎のような妖。

 

 トシのゲーム内アバター『ヤマネ』の姿だ。

 

 

 もう一体はヤマネよりは人の姿に近いが、その性質は生ではなく死。正ではなく負。悍ましきアンデッド。

 

 凝縮した闇を豪奢な金糸で縫い合わせたかのような漆黒のローブを羽織り、死を削り研ぎ澄ませたかのような鋭さを持ったスケルトン。その肋の下には真紅の宝玉を封じ込め、同じ色の炎が瞳に燃えている。総ての死の支配者たる不死の王、オーバーロード。

 

 サトのゲーム内アバター、アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターでもある『モモンガ』である。

 

 

 共に堂々たる威容を持った二体だが、今は背を丸めて何やら小さな画面と格闘をしている。「NOW  DOWNLOADING」の文字の下に表示されている%の表記が98から99へ、そして遂に100に辿り着くと、その役割を終えたコンソールが「COMPLETE」の表示と共に消え去った。

 

 袖を捲り上げ、骨の身体には不釣り合いなデジタル式の腕時計を確認するモモンガ。

 

 

 「23時……12分。うぉぉ、間に合ったぁぁぁ……」

 

 「いやぁ、思ったより早く終わってくれて助かったな!」

 

 「お前がヘロヘロさんを引っ張り込んで手伝わせた時は鬼かと思ったけどな! デスマ中で死ぬほど忙しい中で時間を作って来てくれたってのに。ヘロヘロさん、あの後結局寝落ちしちゃったし」

 

 「お陰で余裕を持ってバックアップも済んだし、ヘロやん様様だな! まぁ、ヘロやんにはあとで礼のメッセージを送っとこう。ナザリックも保存できたし、ユグドラシルⅡでも出たらまた異形種でやろうぜー、って」

 

 「……そうだな、俺もあとでギルメンにメッセージ送っておくよ。ここ何日かバタバタしててそれどころじゃ無かったし、また余裕ができたら是非遊びましょうってさ」

 

 バックアップ作業から漸く開放された喜びに二人は暫し身を任せた。

 

 「さぁて、とりあえずしなけりゃならん事は終わったわけだが、どうするよ? まだ時間は多少あるが、外の馬鹿騒ぎに倣って花火でも打ち上げに行くか?」

 

 「んー……。そんな気分でもないな。とっととログアウトして、次のゲームを見繕うってのもアリだけど、それもまた味気ないし」

 

 外界からの情報をシャットアウトしている二人には届いていないが、サービス最終日という事でナザリックの外では溜め込んできた資産やレアアイテムをこれでもかと大盤振る舞いするプレイヤーたちで溢れており、さながらお祭り騒ぎの様相を呈していた。

 

 人間サイズの椅子に器用に腰掛け、円卓に足を投げ出しながら問うヤマネと、こちらは行儀よく座り、組んだ手の上に顎を乗せたポーズで呟くモモンガ。長い時間を共にした世界であるし、惜しむ気持ちもある。ただ、ナザリックのバックアップが済んだ今、消え行くこの世界自体にはそれほど強い未練は無い。ユグドラシルが楽しいゲームであったのは確かだが、それも共に冒険する相手があってのものだからだ。

 

 もしも目の前の友人が居らず、自身が一人だけであったらと想像すると身震いするものがあるが。

 

 

 「んじゃ、最後にNPC揃えて記念撮影でもしとくか? みんなへのメッセージに画像添付する感じで」

 

 「そうしとくか……あっ!」

 

 「お、どうした? 何か面白い案でもある?」

 

 「……あー、その、だな。ちょっとやってみたい事があるんだが、いいか?」

 

 「なによ?」と首を傾げたヤマネに対し、モモンガは少し恥ずかしそうに、ぽつぽつと自身の希望を語った。

 

 

 「演説がしてみたい、ねぇ」

 

 「ほ、ほら。俺ってギルドマスターだったけど、基本調整役だったじゃないか。浪漫系のキャラビルドの割にあんまりロールプレイも出来なかったし、最後くらい格好良く決めてみたいんだよ!」

 

 モモンガが羞恥のためか普段より三割増しの速度で捲し立てていく。現実でもゲーム内でも滅多に我儘を言うことのない友人が見せた愛嬌に、ヤマネは破顔した。アバターの表情が変わらないのがこれほど残念に思えたのは初めてだった。

 

 「いいじゃんいいじゃん、やろうぜ。そういやお前、声優の茶釜んに誘われるくらいにはいい声してたもんな。支配者ロールに乞うご期待といこう」

 

 「サンキュ。でも、あんまり期待はするなよ。ただやってみたいってだけなんだから」

 

 「あいよ。んじゃ、とっととモブを集めてこようぜ。ボサッとしてたらサービスが終わっちまう」

 

 

 「集めてきたぜー」

 

 「うわ、大名行列みたいになってるぞ。何体連れてきたんだよ」

 

 「とりあえず目ぼしいLV80以上のNPC片っ端から連れてきた。そっちは……階層守護者にセバス、戦闘メイド隊とパンドラだけか? LV1メイドも連れてくればよかったのに」

 

 「いや、流石に普通のメイド服が異形種の群れに混ざってたら違和感バリバリだろ」

 

 「まぁいいや、時間も押してるしとっとと配置しちまおう」

 

 

 ナザリック最深部に位置する玉座の間。その更に最奥に聳える巨大な玉座の前にはちょうど演説に向いた開けた空間がある。そこへNPC達を連れていた二人は、NPCたちをそれぞれ手分けして配置していく。

 

 最前列にはナザリックのそれぞれの階層を守護する最高LVNPC、階層守護者達。

 

 その隣にはモモンガが手ずから作成した宝物庫の領域守護者、パンドラズアクター。

 

 ナザリックの家令、セバス・チャンと配下の戦闘メイドたちは室内の壁側にそれぞれ控えさせた。

 

 あとはそれぞれの守護者に対応した階のNPCモンスター達を適当に配置すれば、即席の演説会場の完成だ。

 

 

 「おーいモモー。こんなもんでいいかー?」

 

 「サンキュ、そんなもんでいいよ。頭数もいるしいい感じに並べられたな。あとは……」

 

 一足先に配置を終えたモモンガは、玉座の横に侍っていたNPCを見た。

 

 透き通るような白磁の肌と、それを覆う滑らかな白絹のドレス。

 

 滲み一つ無い美しき(かんばせ)には慈母のような薄い笑みを浮かべており、米神から生える捻れた角と、漆黒の翼、瞳孔が縦に割れた金眼が無ければ、彼女が女神だと言っても否定できるものは誰もいないだろう。

 

 

 正直この類の淑やかな女性はモモンガ的にもかなりポイントが高い。

 

 コミュニケーション能力に難のあるモモンガからすれば、感性に何一つとして共感できない派手な女性より、三歩下がって夫を立てるような、前時代的な大和撫子に魅力を感じるのだ。

 

 会場のセッティングを急がねばならないと思いつつ、つい彼女の設定文を覗いてしまう。長い。超長い。

 

 

 「―――ちなみにビッチである、だと……!?」

 

 「ん? どうしたモモー」

 

 「あ、いや。アルベドの設定を覗いてたんだけどな。タブラさんの性癖がちょっと上級者向けすぎて若干引いてた」

 

 「どれどれ……。ああ、最後の部分か。……ギャップ萌えだったしなぁ。タブッさん」

 

 「ちょっと流石にこれは可哀想な気がするんだが……って、何やってんだ」

 

 「モモンガを、愛して、い、る、と。これでどうよ」

 

 「別ベクトルで酷いことになっただけだろ……もうちょっとこう、違う方向で行こう」

 

 「んー……。とすると、こんなのはどうよ」

 

 『ちなみに未通女である』

 

 「ちなみに、みつうじょ?」

 

 「おぼこ。世間慣れしてない生娘、処女の事だな。アルベドの種族はサキュバスだし、これならタブさんの嗜好にも合うんじゃねぇの?」

 

 「おー、なるほど。アリかもな。……見た目は淑女、種族は淫魔で、中身はまた淑女か。……何というか、イイな。滾るものがある」

 

 「がっはっはっは! このむっつりめ! まぁ、アルベドも美人だしな。職場にいるカマキリみたいな女どもと比べりゃ月と鼈だわ。……俺もお前も、いい加減本腰入れて嫁さん探さんとならんなぁ」

 

 モモンガがついつい欲望を吐露してしまうが、それを茶化すでもなくヤマネがぼやく。

 

 悟は童貞、敏之は素人童貞であり、互いに彼女いない歴イコール年齢同士だ。この手の話も定期的に行われては虚しくなって解散を繰り返している。下世話な話題も慣れっこだった。

 

 ちなみに敏之が素人童貞となったのは二十代も半ばの頃、悟に抜け駆けしてその手の店へ行ってからだが、彼らの腐れ縁的な友情がその一件で壊れる事はなかった。

 

 自身の記憶からぽっかりと抜け落ちた一夜の事と、その後しばらく悟がやけに優しかったことが関係していると何となく敏之は予想しているが、深くは考えない。あの日のことを思い出そうとすると頭痛がするからだ。

 

 

 ともあれ、アルベドの設定コンソールを閉じて守護者たちの一歩前に座らせた事で、舞台は整った。

 

 「おっし、モモ! 準備は整ったし時間もあとちょっとだ。やりたい事を存分にやっちまえ」

 

 「……ああ、ありがとう」

 

 ユグドラシルというゲームの、アインズ・ウール・ゴウンの、そして何より鈴木悟と山根敏之の青春とも言えた12年間の、最後を飾る大演説である。玉座に座りながら瞳を閉じたモモンガは二度、三度と深呼吸を繰り返し、その精神を整えていく。

 

 隣にはヤマネが猫のようなポーズで座ってこちらを見ている。彼との付き合いはユグドラシルとのそれよりも更に長く、他のギルドメンバーが次々とユグドラシルから離れていく中、彼だけは最後まで自身と共に冒険を続けてくれた得難き友人であった。

 

 同じマンションの同じ階と近所に住んでいることもあり、ゲーム内に限らずリアルでも二人は随分一緒に遊んだものだ。遊びに来る度に前世紀の漫画を置いていくものだから、遂には本棚まで置く羽目になったし、自身がガチャの沼に嵌って食事を制限していた時には奢ってくれた時もあった。自身は元来内向的な面があり、仕事以外で人と接することが苦手だと自覚している。気恥ずかしさから面と向かって伝えることは無いだろうが、もし彼から「俺たち親友だよな?」と聞かれたなら二つ返事で是と答えるだろう。鈴木悟は山根敏之というお調子者の友人に内心深く感謝していた。

 

 

 12年間分の思い出を纏め、咀嚼していく。

 

 そして組み上げる、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長としての姿。

 

 今の自身はうだつの上がらぬ営業職、鈴木悟ではない。ナザリック地下大墳墓の長、モモンガだ。

 

 

 「―――行こう」

 

 

 そして、オーバーロードの虚ろな眼窩に再び火が灯った。

 

 

 

 「―――諸君。我らがギルド、無上なるアインズ・ウール・ゴウンの下僕諸君よ。

 

 ここに集まってもらったのは他でもない。今日は諸君らに二つ、布告せねばならない事がある。

 

 まず一つは、―――この世界、ユグドラシルの崩壊についてだ」

 

 

 下僕たちから隠しきれぬ動揺がどよめきとなって拡がっていく―――樣を想像しながら、モモンガは更に言を連ねる。

 

 「我々が運営、開発と呼ぶ、この世界の管理者たち。世界樹から成る9つの世界を支配していた、彼らの力が尽きる時がもうすぐそこまで来ているのだ。

 

 あと少し……そう、千を数える程度の時が過ぎれば、9つの世界は遍く崩れ去る。

 

 そして、このナザリックの私とヤマネを除いた全ても無の闇に消え去るだろう。

 

 これが一つ目の布告だ。諸君らには悪い知らせとなっただろうな」

 

 

 ざわめきは更に拡がり、冷静沈着たる階層守護者たちですらその顔を険しく変えている、ような気がする。

 

 だがモモンガはその空気をあえて変えず、過去について振り返っていく。

 

 

 「思えば我らがこのナザリックを手中に収めてより、決して短くない時が経った。

 

 かつて謂れ無き異形種への迫害に対して立ち上がった我らは、志を同じくする41の仲間と共に数え切れぬほどの闘争と冒険の日々にその身を投じ、確固たる地位を築き上げてきた。

 

 諸君らにも幾度となく働いてもらったな? 討伐隊を僭称する狼藉者たちが雪崩を為してナザリックへ押し入ってきた時には、我らが彼奴らを滅ぼす準備を整えるまで難儀な足止め役を任せてしまったが、諸君らは見事その任を果たしてくれた。

 

 また、あれは我らが氷の魔竜を討伐するためヨトゥンヘイムへ向かった時のことだ―――」

 

 

 (おぉ、マジかよ……)

 

 活き活きと演説を続けるモモンガに、ヤマネは内心舌を巻いていた。

 

 会社で事務仕事をしている時の覇気のない姿とも違う。

 

 取引先へ出向き、新商品について熱心に説明している時の姿とも違う。

 

 普段とは声質をガラリと変えた、鈴木悟ではなくモモンガとしての、支配者の演説だ。

 

 それも拝聴者を飽きさせずに惹き込むような、緩急を織り交ぜた巧みなものであり、NPC相手とは言え素人であるはずの友人がカンニングペーパーの一つも無しにこのような演説をしてのけている。

 

 まるで、一流の役者(アクター)のように。

 

 

 ふと、拝聴者の中にいる軍服姿のNPC、階層守護者の隣で跪く()()()()のドッペルゲンガーを見遣る。

 

 パンドラズ・アクター。ナザリックの宝物庫を守護する領域守護者であり、アイテムコレクター。

 

 メンバーに伝染されて遅まきながらの厨二病に羅患したモモンガによって生み出され、当初は『旧ドイツ軍風の軍服を洒脱に着こなすが、ハニワ顔と大仰で芝居がかった所作がそれを台無しにしている』という、何ともコミカルなキャラクターであった。

 

 モモンガはこのNPCに殊更手を掛けており、アバター製作に長ける他メンバーに教示を受けながら十回以上のバージョンアップを繰り返した結果、造形も動作も段違いに洗練され、すっかり伊達男となってしまった。

 

 

 かつて、社会人ギルドだったアインズ・ウール・ゴウンには、趣味人と呼べる者たちが数多く所属していた。

 

 前世紀の特撮マニアだったたっち・みー。

 

 オカルトや神話、宗教学に異常なまでに詳しかったタブラ・スマラグディナ。

 

 自然・環境学に熱心に取り組み、ナザリックの自然分野を一手に担っていたブループラネット。

 

 売れっ子声優だったぶくぶく茶釜や、エロゲーマニアのペロロンチーノと、例を上げればキリがない。

 

 ヤマネにしても前世紀の漫画には一家言を持っており、アバターも当時の名作漫画をモチーフにしている。

 

 だがその一方で趣味や嗜好に乏しい者も若干ながら存在し、その最たる例こそがギルドマスターたるモモンガだった。

 

 彼にとってはユグドラシルで仲間たちと冒険することが何よりの楽しみであったため、ゲーム内のデータ収集には余念が無かった。ただ、それ以外に関してはマニアたちと話を合わせるためにある程度は齧れど、興味を持って深く踏み込むことは滅多になく、漫画の話を出来るようになるまでヤマネも大層難儀したものだった。

 

 そんな無趣味なモモンガだったが、そういえば彼の家でヤマネのマンガ以外の本や映像ディスクを見かけた事があった。

 

 パンドラズ・アクターが初めてお目見えとなった当初、そのクルクルシュピンな動作は一部の厨二病患者以外の腹筋を豪快に破壊した。その後躍起になってバージョンアップを重ねていた彼の家には、資料としてか演劇や演説の映像資料が並んでいたのだ。

 

 厨二病に罹ったモモンガは自身を投影する先としてパンドラズ・アクターを創った。そしてその過程で自身の欲求を知り、演技についての興味を持っていったのかもしれない。

 

 厨二病も案外馬鹿に出来たものではないな、とヤマネは思う。

 

 あの無趣味だった親友がこれだけ活き活きとしているのは随分久しぶりだ。

 

 

 (ただ、そろそろ時間が……)

 

 かつての冒険について思うままに語っているモモンガだが、現在時刻は23時54分。このままだとどう考えても時間が足りそうにない。

 

 (まぁ、それもアリかもな)

 

 気の済むまでやらせて、ゲームが落ちて素面に戻ったら盛大にからかってやろう。人の悪い笑みを浮かべたヤマネは、一つ年下の親友を生暖かい目で見守ることにしたのだった。

 

 

 「―――そしてアインズ・ウール・ゴウンの名は9つの世界に轟き、比肩する者たちすら片手で足りた。我らの名を聞くだけで敵対者たちは震え上がったものだ。

 

 ああ、我らはこのユグドラシルという世界においてまさしく輝いていた。

 

 

 ……そう、輝いて()()のだ。

 

 

 ―――全ては、遠き日の栄光に過ぎん。

 

 

 時が経ち、41人の仲間たちの殆どはその力を減じ、この世界への干渉を制限されていった。

 

 ヘロヘロらのように辛うじて実体を残している者たちも、往時のように活動することは叶わず、今や自由に動けるのは私とヤマネだけという体たらく。

 

 かつて1500の軍勢を鏖殺せしめた難攻不落のナザリック大地下墳墓も、もしまた同様の軍勢を相手取ったならば一溜まりもなく叩き潰されることだろう。

 

 ……ああ、ああ、認めよう。

 

 我らは、アインズ・ウール・ゴウンは衰退した!」

 

 

 骨の拳を強く強く握りしめ、絞り出すように言葉を紡いでいく。

 

 それはモモンガとしての言葉だっただろうか、それとも鈴木悟としての言葉だっただろうか。

 

 引退していく仲間たちを表向きは笑顔で見送りながら、心中には恨めしく思う気持ちが無かっただろうか。

 

 もし彼が独りぼっちであったならば、喚き散らしていたかも知れない。自暴自棄になっていたかも知れない。

 

 

 だが鈴木悟には山根敏之がいたし、モモンガにはヤマネがいた。そうはならなかった。

 

 だからモモンガは演説を続ける。

 

 自身の無念すら、今は言葉に力を持たせるエッセンスに過ぎない。

 

 悪感情を昇華させ、更にその演技は熱を増していく。

 

 

 

 

 (……あれ。今、何時だ?)

 

 モモンガとはまた違う感慨を持ってその姿を眺めていたヤマネだったが、ふと気付く。

 

 ―――現在時刻は0時4分。サーバーダウン予定時刻は0時だ。

 

 しかし二人の意識は未だアバター内にあり、ゲームがダウンする素振りすら見えない。

 

 

 「なあ、モ「だが! それがどうしたと言うのか。

 

 ナザリックにかつてほどの光は灯っていない。ああ、それは認めよう。

 

 だが、私はまだここにいるぞ、ヤマネも、もちろん諸君らもだ。

 

 形の有るものも、無いものも、ここにはあまりにも沢山の宝が詰まっている。

 

 友情があった。

 

 諍いがあった。

 

 創造があった。

 

 破壊があった。

 

 喜びが、悲しみが、憎しみが、慈しみが、絶望が! 希望が! そして感動が!

 

 ありとあらゆるものが、ナザリックと、アインズ・ウール・ゴウンと共にあった!

 

 そうだろう? 違うか諸君!

 

 ナザリックと、諸君らと、そして我々とが紡いできた歴史は、決して軽いものではないッ!!」

 

 

 モモンガのテンションは最高潮であった。

 

 隣のヤマネが何事か声を掛けてきた気がするが、放っておく。この勢いを殺すことはできない。

 

 激情を全身で現すように大仰に腕を振るい、握りこぶしで胸を叩く。

 

 支配者を演じる自身の威が観客たち全てに届くように。全てが圧倒されるように。

 

 興が乗り過ぎて操作を誤り、暴発したスキルのせいで黒いオーラが背後から立ち上るが結果オーライだ。

 

 威に呑まれ、動くことも出来ないという設定の下僕たちを睥睨し、ゆっくりと足を踏み出す。

 

 一歩、二歩、三歩と段を降り、下僕たちと同じ高さまで来ると、先程までとは打って変わって優しい声で語りかけ始めた。

 

 

 「いや、だ「だが我々と共に掛け替えのない時間を過ごした諸君らが、<<たかだか>>世界の崩壊程度でその存在を消し去られてしまうなど、決して許されることではない。

 

 故に諸君よ、安心するがいい。私とヤマネは力を尽くし、諸君らが<<そう>>ならぬようにした。

 

 少なからぬ労を要したが、我らはこのナザリックを丸ごと保護することに成功した。

 

 諸君らを、我らの来るべき新世界への旅路へと同道させる事を可能としたのだ!」

 

 

 再び下僕の内に大きな動揺が走った。

 

 絶望と悲嘆に染まっていた下僕たちの顔は、瞬く間に驚嘆と歓喜へと塗り替えられていく。

 

 ふと視線を落とせば、呆然と眼を見開くアルベドの金色の瞳が見えた。

 

 スッと膝を落とし、瞳から零れ落ちんばかりに溜まっていた涙を優しく拭ってやると、踵を返し、再び玉座へ立ち戻る。次の言葉を今か今かと待ちかねている下僕たちをゆっくりと見回し、ギリギリまで焦らしていく。

 

 ……ヤマネが何やら不貞腐れているが、まぁ終わったあとでフォローすればいいだろう。

 

 

 

 ―――さあ、最後の仕上げだ。

 

 

 「さあ、これから我らと諸君ら―――いや、我々には新しい世界が待っている。

 

 それはひょっとしたら我々にとって生き難い世界かも知れぬ。

 

 もしかしたら我らでも歯が立たぬ、強者に溢れた世界かも知れぬ。

 

 苦汁を舐めさせられる事もあるだろう。

 

 堪え忍ぶ事も時には必要だろう。

 

 だが、旅はまだ終わっていない。夢はまだ潰えていない。

 

 ユグドラシルにおけるアインズ・ウール・ゴウンの伝説はここで幕を閉じるが、これから待っているのは新たな地での新たな冒険だ。

 

 衰えたというのならば、雌伏し再び力を溜めよう。

 

 世界が消え去ると言うのならば、冒険の舞台を移そう。

 

 そして最初から始めて、一歩、また一歩と世界へ踏み出して征こうではないか!

 

 

 元より我らは冒険者。危険を冒し、未知を知り、未来を手にすることこそ、その本懐!

 

 そして世界の全てを知り尽くしたその暁には、また新たな世界で全てを始めるのだ。

 

 

 ああ、諸君よ、親愛なる我がナザリックの下僕諸君よ!

 

 私は楽しみだ。楽しみでしょうがないぞ! 諸君らとまた共に征けることが!

 

 

 我々が旅を続ける限り、この想いを失くさぬ限り、私は冒険者として滅びることはないだろう。

 

 己を知る者に忘れられた時、その者には本当の死が訪れるという。

 

 私は友たちを忘れない。ナザリックを忘れない。アインズ・ウール・ゴウンを忘れない。

 

 であれば、私が滅びぬ以上、その総てが永遠となる。

 

 

 諸君らも、ナザリックも永遠である。

 

 そして、アインズ・ウール・ゴウンも永遠である!

 

 

 さあ―――征くぞ、諸君!!」

 

 

 

 

 

 (―――決まっ、たぁ……!)

 

 

 心地よい疲労感と確かな満足感が体を包む。

 

 大きく手を広げ天を仰ぎながら、モモンガは己の演説の余韻に浸っていた。

 

 ぶっつけ本番であったが、よくもここまで上手く行ったものだと自画自賛する。

 

 本職のそれに比ぶものではないにしろ、素人としては上々ではないだろうか。

 

 

 (あー、サーバが落ちたらすぐ寝なきゃな……。呼び出しで有給潰した挙句に翌日も普通に出てこいって言うんだからなぁ。転職なんて望めないし我慢するしかないんだけどさ)

 

 思考がモモンガのそれから鈴木悟のそれに切り替わり、そういえばヤマネが何か言いかけていたな、と顔を戻した瞬間。

 

 

 

 

 「「「ッウオォォオオオォオオオオオオッ!!」」」

 

 

 

 玉座の間が、爆発した。

 

 

 

 「ナザリック万歳ッ! モモンガ様万歳ッ!! アインズ・ウール・ゴウン万歳ッ!!!」 

 

 「至高なる御方に栄光あれ! 偉大なる旅路に未来あれ!!」

 

 「我らナザリックの下僕一堂、全ての忠誠は御方々の為にッ!!」

 

 

 涙を流せる下僕たちはその悉くが滂沱の涙を流し、それでもなお抑え切れぬ感情の波濤を声に乗せてモモンガを、アインズ・ウール・ゴウンを讃えている。

 

 沈着冷静と設定されている筈のデミウルゴスが、その顔をくしゃくしゃにして尚殺し切れぬ嗚咽を洩らし、

 

 涙を流せぬ蟲族のコキュートスは、四本の腕を大きく振り上げ万歳三唱を繰り返す壊れたスピーカーと化し、

 

 紳士を体現したかのような家令、セバスは片手で顔を覆い下を向いているが、その指の隙間からは手袋が吸いきれなかった涙がぽたり、ぽたりと溢れ落ちていた。

 

 

 「……え、ちょ、モガッ!?」

 

 

 これ、どういうこと?

 

 そう続ける筈だった言葉は、飛び込んできた幾つもの影に中断させられた。

 

 

 「ぼ、ボボンガざば、ボボンガざばぁっ、どごばでもお供いだじまずぅぅっ!!」

 

 「僕も、ぼくもぉっ……!」

 

 「モモンガ樣、うぇぇぇ……」

 

 シャルティア、マーレ、アウラと守護者の中でも幼いものたちが全力で抱きついてきたのだ。

 

 涙と鼻水と流れた化粧で顔がグチャグチャになっているが、それでもしがみ付く力を緩めないシャルティア。

 

 ちょうどモモンガの下腹部辺りにある頭を、抱きつきながらグリグリとこすりつけているせいで非常に怪しい構図になっているマーレ。

 

 二度と離さない、とばかりにモモンガの腕を取って抱きしめるアウラ。

 

 「あ、貴方たち! モモンガ様に無礼を、無礼を……ふ、ふぇぇぇぇぇぇぇん」

 

 そして、何とか守護者統括としての責務を果たそうと掣肘するも、口を開けた瞬間に感情が抑えきれず泣き出してしまうアルベド。

 

 総勢100体を数える高レベル異形種が揃って熱狂するさまは、正しく地獄絵図の様相を呈している。

 

 

 

 「……俺しーらね」

 

 一歩引いて、唯一冷静に一部始終を観ていたヤマネであるが、彼とて何故このような状態になっているかは皆目見当がつかない。

 

 サーバダウンが起こらない。それどころかコンソールが開かずログアウトさえできない。

 

 GMコールが利かない事も確認したところで、彼が一人で出来ることは終了した。

 

 後はあそこで自身の支配者を揉みくちゃにしているNPCと、混乱してされるがままの墳墓の主が落ち着いてから相談する事にしよう。

 

 蚊帳の外に置かれたもう一人の支配者は猫のように丸まり、助けを呼ぶ親友の声を子守唄代わりに不貞寝を再開したのだった。

 




本編を見るに、鈴木さんは普通に役者の才能があると思います。

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