莫逆LORDS   作:tyuuya

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長らくご無沙汰しておりました。
カルネ村編、前話になります。


コーナーストーン

 リ・エスティーゼ王国の東南の外れに位置する開拓村、カルネ。

 過去の開拓者であるトーマス・カルネが切り開いた小さな村であり、隣国のバハルス帝国との間に点在する開拓村の一つだ。

 南のエ・ランテルのような都市とは違い、このような開拓村の住民は常に死と隣り合わせであり、モンスターや野党の襲撃、戦争や冬の寒さなど数えればキリがない程の危険と向き合って生活しているが、カルネ村には他の村とは違う幾つかの強みがあった。

 

 まず、トブの大森林と呼ばれる巨大な森の傍らにありながら、とある強大な魔獣の縄張りに近いことで他の亜人や魔獣に襲われることが殆ど無いこと。

 その強大な魔獣も、縄張りの外れに迷い込んだ脆弱な人間程度をわざわざ狩り殺したりしない程度には温厚な性質であったこと。

 そして、戦いの心得のない村人でもどうにか行き来できる範囲に薬草の群生地があったこと。

 

 いくつもの幸運が重なった結果、農業と林業に加えて薬草の採取という独自の産業を得ることができたこの村は、近隣に点在する他の開拓村より確かに恵まれており、ある程度の平穏を住民たちに齎していたと言える。

 

 たとえそれが、吹けば飛ぶような砂山の上に築かれたものであったとしても。

 

 

 その日もエンリ・エモットは森に出ていた。

 薬草の卸先であるエ・ランテルのバレアレ薬品店への納品分がまだ確保出来ていないためだ。

 彼女の友人でもあるンフィーレア・バレアレとの友誼からすれば、数が多少少なかったとしても契約を打ち切られる事はまず無かろうが、安定して高値で薬草を買い取ってくれる大口の卸先からの信用は落としたくはない。

 故に彼女は両親に許可をもらい、妹であるネム・エモットを伴って薬草の群生地へとやって来たのだ。

 

 ぷちん、ぷちんとリズム良く手を動かし、指定されている薬草の上側の柔らかい葉だけを摘んで行く。

 元の部分から刈り取ればもちろん倍以上の量が取れるだろうが、それは薬草の成長を妨げて将来的な収入の芽を摘んでしまう事になるし、品質も劣る。一番薬効の高い、柔らかな葉だけを小まめに摘み取るのが一番なのだ。

 

 

 「ふぅっ……」

 

 

 一通りの葉を摘み終わり、布の手甲で額の汗を拭う。薬草の刺激臭が目に染みるが、もう慣れたものだ。

 

 

 「お姉ちゃーん、こっちにも生えてるよー!」

 

 「取るのは上から四枚目まで。つまんでチクチクする葉は取っちゃダメよ」

 

 「わかったー!」

 

 

 妹も文句一つ言わずに良く働いてくれている。この分ならじきに採集を終えられるだろう。

 エンリの傍らには片手で抱えられる程度の麻袋が三つ。妹が摘んでいる分を手伝えば十分な量だが……

 

 

 (蓄えになるように、もう少し余分に摘んでおこうかな……?)

 

 

 指定の量より多少多い程度であれば併せて買い取って貰えるだろうか。

 そう考え腰を上げた彼女の耳に、年に数回程度しか聞く事のない音が複数飛び込んできた。

 

 

 「蹄の、音……?」

 

 

 

 

 「ふわぁぁ……すっごーい!」

 

 「こ、こらっ、ネム! す、すいません。妹が……」

 

 

 細い街道には不釣り合いな2頭引きの豪奢な馬車。

 御者席で手綱を取る老執事の隣で道案内をしながら、ふかふかの絨毯の敷かれたその中ではしゃぎ回る妹を諌めるエンリ。妹が何か粗相をしないか気が気ではなかった。

 

 

 「ははは。なに、構わないとも。道案内を頼んだのだから、自分は馬車に乗っておいて相手を歩かせるのは器が知れるというものだ。

  お嬢さんはネム、と言ったか。どれ、菓子でも一つどうかな?」

 

 「いいのっ!? ありがとー!!」

 

 「こっ、こらっ、ネム!」

 

 

 旅の魔術師とその従者。そう名乗ったこの一行だが、エンリの知る魔術師とは明らかに一線を画している。

 

 仕立ての良いローブを羽織り、宝玉の嵌った短杖を持つ男性に、背筋がピンと伸びた体格のいい老執事。おまけにエンリがこれまでに見たことがない程に美しいメイドが二人。それが屈強な馬2頭に牽かれた大きな馬車に乗って旅をしているというのだから、これは間違いなくお忍びで旅行するどこかのお貴族様に違いない。

 機嫌一つ損ねただけでその場で手討ちという事もある世界だから、お貴族様と採集帰りの村娘が相席など正気の沙汰ではない。ネムの仕草や発言一つに二人の命が掛かっていると言っても過言ではないのだ。

 

 目が回りそうなプレッシャーにオロオロする村娘を思いやってか、隣に座る老執事が穏やかな声で語りかける。

 

 

 「そう心配なさらなくても大丈夫ですよ。我が主は大変にお優しい方ですから、自身が招き入れた幼子が何か粗相をしたくらいでお怒りになるほど狭量ではありません。

  ……さ、この分かれ道はどちらですかな?」

 

 「あ、はっ、はい! 左側ですっ! ……その、ありがとうございます」

 

 

 礼を言った彼女の姿が微笑ましかったか、目を細めて頷く執事。

 薬草採取が終わった頃に通りがかった彼らに請われ、エンリは村までの道案内を行っていた。

 

 

 『リ・エスティーゼと言ったか。この国の王都を目指しているんだがね。なにぶん土地勘がないものだから、どこかで道を訪ねようと思っていたところだったんだ。良ければ、村まで案内してくれないか?』

 

 

 お貴族様らしき人物にそのように言われて断れるものではない。

 村までのたかだか数キロの道程で、10歳は年を取ったような気分になるエンリだった。

 

 

 

 

 

 道案内の礼を言うと、一行は村長の家へと向かって行った。

 ネムが抱えている、籠いっぱいの砂糖菓子を報酬だと残して。

 

 

 「すっごくいいお貴族さまだったね、お姉ちゃん!」

 

 「……そうね」

 

 

 思うことは山程あるが、とりあえず今は置いておこう。

 「わたしにも一つちょうだい」とネムの抱える籠に手を伸ばす。

 

 

 「うぁ、何これ、美味しいぃ……」

 

 

 頬が蕩け落ちそうな至上の甘露に、エンリは擦り切れた心が癒えて行くのを感じていた。

 

 

 

 

 

 「ふむふむ。王都へ行くならまず南のエ・ランテルへ行き、街道沿いに西のエ・ペスペルを通って行けば良い、と」

 

 「はい。大きな都市伝いに行けば補給も容易ですし、何よりも安全性が違いますから。ああいや、腕利きの魔術師様でしたらそちらは無用な心配でしたかな」

 

 「いやいや助かるよ。ありがとう村長殿」

 

 

 そもそも周辺地理などは部下からの報告で彼よりも余程詳しく把握しているから、こうして話しているのは只のアリバイ作りでしかない。

 『旅の途中に立ち寄った村で賊に襲われ、やむなく応戦した』という名分が必要なだけだ。

 村長と会話をしながら腕の時計をちらりと見やる。予想到達時刻はそろそろの筈だ。

 

 

 「そ、村長! 帝国の騎士たちが、村に!」

 

 「な、なんだと!?」

 

 

 良いタイミングだ。モモンガ――改めアインズは内心ほくそ笑んだ。

 

 

 「奴ら、馬で村を囲むように距離を詰めてきて……」

 

 「何ということだ、女子供を逃がすこともできんのか……!」

 

 

 慌てる村長達を尻目に、傍に控えていたセバスに目配せをする。

 

 

 「どうなさいましたか、村長殿。何やらお困りの様子ですが?」

 

 

 ――さあ、茶番劇の始まりだ。

 

 

 

 

 

 村長の家を出ると、馬に乗った騎士風の者達が遠目にこちらを伺っているのが判った。

 人数は二、三十といったところか。多少なり心得があって装備が整っているなら、百人を少しばかり越える程度の村であれば労もなく皆殺しに出来る事だろう。

 ユリとナーベラルは既に村人を一箇所に集めるために動いており、それに気付いた騎士たちが慌てて集まってきているのをアインズは首に掛けた護符を弄びながら鷹揚に眺めていた。

 

 騎士たちが広場に集合し終わるのとほぼ同じタイミングで村長宅への避難が終わる。

 追い立てる手間が省けたとでも思っているのだろうか。ニヤニヤと厭らしく笑む指揮官らしき男。

 同種を獲物と定めて狩り出す昏い歓びに濡れた男の目が、アインズ達一行を捉えた。

 下品な顔が怪訝そうに歪む。

 

 

 「――ぁん? 何だ貴様らは」

 

 「なに、名乗るほどの者ではない。旅の魔術師という奴さ。それよりも、その装いを見るにバハルス帝国の騎士殿とお見受けするが、このような小さな村で武器を抜かれては村人たちも心穏やかではいられまい。如何なる謂れあってのものだね?」

 

 「旅の魔術師! そうかそうか、それは不運だったな。だが、予定は変わらん。諸君らには死して我が帝国(・・・・)の為の礎となって貰わねばならんからなぁ!」

 

 「……聞く耳は持たず、か。それでは精々、抵抗させてもらうとしよう」

 

 

 つまらなげにフンと息を吐くアインズの様子が癪に障ったのか、男の顔が醜く歪む。

 そして、予定調和の戦いの幕が開けた。

 

 

 

 

 

 「戦う必要はない。陣を崩さず、あしらうことだけに専念せよ」

 

 「「「承知致しました!」」」

 

 

 アインズの命令に承諾の意を返したセバス達は、それぞれセバスを戦闘にアインズを囲み、簡素な陣を構成する。

 そんな必要はまるで無いほどの弱卒相手なのだが、彼らも主を護って戦うことに意欲満々な様子なので触れずにおこう。部下の仕事がしやすい環境を作るのも上司の務めだ。

 

 調子に乗ること絶頂で「かかれェ!」と甲高く叫んでいる男は無視し、アインズはこの一団の実質的な指揮官を探した。

 流石にあの阿呆が指揮をするのでは規則的な団体行動すら期待できまい。恐らくは副官のポジションに居る者が指揮を担っている筈。

 

 指揮官や戦術の要となる者を集中的に狙うのが有効なのは、歴史上の戦いでもユグドラシルのGvGでも同じことだ。特にユグドラシルはDMMOであるため、アバターと中の人の視線が必ずしも一致しなかったり、そもそも種族的に前後左右が判別し難い者もいたりしたため、要となる者を見つける難易度はむしろ高い。

 全体を俯瞰して要を見つけるのはギルドの軍師役であったぷにっと萌えが、前線の要となる者を見つけるのはタンク役を担っていた餡ころもっちもちが特に秀でていたが、今のナザリックにはどちらも居ない。

 とは言えモモンガとて廃人ギルドの長である。相応の修羅場は潜って来ていたし、彼らのように敵を分析したり戦略を練ることだって少なからずあった。彼は彼で比較的何でもこなせるユーティリティプレーヤーなのである。

 そして長くペアでしか冒険をしていなかったアインズが、今後起こり得る集団戦のリハビリ代わりにと目を付けたのが彼らであった。

 

 

 「(さぁて指揮官は誰か……って、あれ?)」

 

 

 真剣な眼差しで集団を見つめていたアインズだったが、すぐにある事に気付いた。

 

 

 「……管理職の顔をしてる奴が一人いるな」

 

 「は、管理職、でございますか?」

 

 「ああいや、こちらの話だ」

 

 

 怪訝な顔を向けるセバスに、慌てて取り繕う。

 まさかファンタジー世界で疲れた中間管理職のような顔をした兵士を見るとは思っていなかったため、つい言葉を溢してしまったが、実際に目の当たりにするとその通りとしか言いようが無かった。

 目から見て取れる責任感がまるで違うのだ。

 大多数の兵はただ上から言われたことをこなし、仕事が終われば安酒をかっ食らって寝るだけの、ただの平社員の顔をしている。合成発泡酒がぬるいエールや安娼婦に代わっただけだ。

 あのなんちゃって指揮官もそう言えば見覚えがある。親の七光で部長職に着き、商談をさんざん引っ掻き回してくれた取引先のボンボンにそっくりだ。

 そして一人、そのボンボンに振り回されていた取引先の主任にそっくりな男がいた。

 人種は全く違うが、何というか身に纏う雰囲気がそっくりなのだ。

 「奴は確実に中間管理職だ」と。

 アインズではなく鈴木悟の勘がそう叫んでいる。

 

 

 「(……あいつだな。うん、間違いない)」

 

 

 目標は定まった。が、そうしている間の彼らは何をしていたかと言うと、一向にこちらへ攻めてくる気配がない。

 

 

 「――お、おい。お前が行けよ」

 

 「おい、押すなよ! お前こそ――」

 

 

 何の事はない。ただの先陣の擦り付け合いだ。

 無理もない。ただ、帝国の騎士のふりをして適当に村人を蹂躙し、情報を流すために数人を逃がすだけの簡単な仕事。

 正しき信仰に則った神聖なる任務である――と言う建前の元に、事故の鬱憤や欲望を晴らすことができるのだから、役得とすら考える者もいるだろう。

 誰だって勝ち戦で死にたいとは思わない。ましてや彼らにとってこれはただの作業や娯楽の筈だったのだから、この人数で囲んで平然としているような魔法使い相手に先陣を切って立ち向かえるような者などいる筈が無かった。

 早く突っ込めとがなり立てる上司と、纏う雰囲気が明らかに素人のそれではない敵。

 進退窮まった彼らが目を向けるのはやはり信頼できる実質の指揮官だ。

 

 だが頼られた側とて不安に思うのは変わらない。

 何故接近されているにも関わらず何の対応も取らないのか。

 それだけ自身らの実力に自信があるからなのか。

 得体の知れないモノと対峙する不安感は副官の心も蝕んでいる。

 

 

 「何をやっている! 相手は棒立ちではないか!」

 

 

 だが、観戦者でしかない彼の上司にはそんな事は関係がない。無謀な魔法詠唱者と爺を叩き伏せ、見目麗しいメイドたちを自身に献上せよと急き立てた。

 上も下も信仰そっちのけで動物的な欲求に正直になり過ぎている。曲がりなりにも敬虔な信仰者であるつもりの副官――ロンデス・グランプ――は、ひどく遣る瀬無い気持ちになりながらも必死に自身と仲間達を奮い立たせる。

 

 

 「隊長殿の仰る通りだ! 相手は女と老人を入れてたったの四人。このようなことで怖気づいていてはかの『鮮血帝』陛下に首を刎ねられてしまうぞ!」

 

 

 あえて相手を侮った、そして芝居がかった言い回しをするのは、仲間達にこれがいつもの任務である事を思い出させるためだ。尚も動かない相手に不気味さはあるが、尚更こちらから戦端を開かねば戦いが始まらない。尻込みしていた仲間たちもロンデスの思惑通り、自身の任務を思い出したようだ。一斉に剣を構え始める。

 

 

 「……ようやくやる気になったか? 練度の低い兵を抱えるというのは大変だな」

 

 

 ため息混じりのアインズの言葉には努めて耳を貸さない。せっかくやる気になった仲間たちの勢いを殺ぐのは止めて頂きたい。

 

 

 「かかれぇっ!!」

 

 

 先陣を切るのは当のロンデスだ。テクノロジーの発達した時代において指揮官先頭という言葉は廃れて久しいものだが、通信技術が発達しておらず、且つ個人の戦力に大きな隔たりが生まれやすいこの世界においてはさして珍しいものではないし、俯瞰して戦場を観察し見極めるなどという高度な訓練を受けた者はこのような任務には着くことはない。

 彼らが陽動のターゲットとしている王国戦士長の部隊にはとても及ぶべくもないだろうが、それでも同じ鍋の飯を食った仲間達との突撃は互いの緊張や不安を吹き飛ばしてくれる。

 

 鈍く光る刃は標的となる魔法詠唱者を確かに捉え――

 

 

 「――運の巡りが悪かったな。<心臓掌握>(グラスプ・ハート)

 

 

 その心の臓を狙った切っ先は隣に控えていたセバスによってつい、と逸らされ

 同時にアインズが突き出した掌は、過たずにロンデスの心臓を掌握し、即座に握り潰した。

 

 

 

 

 突如崩れ落ちたロンデス。

 彼に何が起こったのか、騎士たちの中でそれを正しく認識できた者はいなかった。

 呆けたような声をあげる者、倒れた彼を助け起こそうとして、その口から滴るドス黒い粘体を見て凍りつく者。

 

 息絶えた男の死体。その穴という穴から漆黒の泥が止めどなく溢れ出し、その身体を覆っていく。

 すっぽりと身体を覆い尽くした泥は目まぐるしく蠢き、脈動しながら歪なヒト型を形作っていった。

 

 周りの騎士達より頭一つ大きく膨れ上がったそれが吸い込まれるように鎧の中に収まった時、そこに立っていたのはロンデスではなく、血管のように脈打つ漆黒の鎧を着た死霊の騎士だった。

 

 

 「(うっわ、グロッ!? 村人達を建物に避難させておいて正解だったな)

  ――デスナイトよ。主人としての最初の命令だ。その者達を逃がさず、死なん程度に撫でてやれ」

 

 

 主人からの命令を受け、デスナイトの虚ろな眼窩に炎が灯る。

 己の存在意義を果たすことができる。その歓喜にデスナイトは悍ましい雄叫びを上げると、その眼光をかつての仲間へ向けた。

 

 

 「ヒッ、ば、化け物ッ!?」

 

 「来るな、来る――げぼっ」

 

 

 剣の腹で殴られ、膝が逆に曲がる者。

 盾で弾き飛ばされ、木の葉のように吹き飛ぶ者。

 つい前日には無辜の村人たちを笑いながら追い立てていた騎士たちは、アインズの命令通り『死なせてやらない』程度の力加減で暴れ回るデスナイトに蹂躙されていく。

 

 肉の身体を手に入れた事によって人としての感覚を取り戻したアインズだったが、首に掛けた精神保護の護符の効果もあり、先程の<心臓掌握>(グラスプ・ハート)による殺人にも、今目の前で行われている蹂躙にも動揺はない。

 そもそも鈴木悟の人生においてゲーム以外の荒事を経験した事は確かに無いが、かと言って彼が平穏な環境で生きてきたかと言えば、決してそんな事は無いのだ。

 

 往来を歩くのにすら防護服を必要とする激甚な環境汚染。

 曲がる路地を一つ間違えれば、最下級層民達が残飯の分け前を巡って掴み合い、敗北者は手当てすら施されずにそのまま乾いていく。

 反社会主義者のテロに巻き込まれかけた事もあった。それも彼が特別だからではない。地震や台風が起こるように、ありふれた事なのだ。

 百数十年前には「人命は地球より重い」などという言葉もあったそうだが、22世紀の現代で同じ言葉を吐いても、聞いた者の殆どは首を傾げるのではないだろうか?

 この時代の殆どの者に必要とされて教育される事になるのは、企業の歯車として生きる為の論理であり、それさえ遵守できていれば使う側としては何も問題はない。用が無くなれば切り捨てる程度の者達に御大層な倫理観を教えても仕方がないのだ。

 ひと握りの「持てる者」を除けば、誰もが先の見えない暗闇の中で、奈落に落ちないよう這い蹲って生きている。身内なら兎も角、他人の生死にどれだけの価値があるだろう。

 

 鈴木悟たちの生きていた時代は、そういう時代だ。

 

 ――ごく一部の、前時代的な感性を持つ者達を除いては。

 

 

 「(だからアイツを連れてこれなかったんだよなぁ)」

 

 

 前世紀の文化に触れて育ち、そこから倫理観を学んだヤマネは、あの時代には珍しい程に情に厚く、そして激しやすい。

 この場にもし彼がいれば『死なない程度』などという生易しい事には決してなるまい。容赦なくその爪牙を振るい、騎士たちはバラバラを通り越して血煙と化していくだろう。ナザリックの下僕たちからすれば支配者の勇姿に変わりはないだろうが、現地住民からの第一印象は恐怖の大王。それでは困る。

 

 これで少しは溜飲を下げてくれればいいのだが。

 

 

 「――あー、デスナイト。お楽しみは終いだ。全員鎧を剥いで縛り上げておけ」

 

 

 もはや騎士たちに立つ者はおらず、誰もが呻き声か啜り泣きを零すだけの不格好なオブジェと化していた。

 何故か指揮官を丁寧かつ執拗に痛めつけていたデスナイトだったが、アインズの声で我に返ったように背筋を伸ばすと、セバス達が集めてきた縄を使い、手際よく元同僚たちを縛り上げていった。

 

 

 「まぁ、第1段階はこんなところか」

 

 

 

 

 

 「――本当に、何とお礼を申し上げてよいやら……」

 

 

 ペコペコと米搗き飛蝗のように頭を下げる村長は、先程に倍して丁重な態度だった。

 それも当然である。練度は然程無いとは言え完全武装の騎士。馬に乗ったそれが30も居れば、たかだか120人やそこらの小規模村落など赤子の手を捻るほどに容易く蹂躙できるだろう。それを無傷で制圧してのけた人物の勘気をこうむるようなことが万が一にでもあれば、次にああなるのは自分達かもしれないのだから。

 (そこまで畏まらなくてもいいのになぁ……)などと思ってしまう辺り、アインズの方こそゲーム脳が抜けていない。

 

 

 「いえ、私達が矢面に立って彼らに対処したという事は事実ですが、彼らの標的には私達も入っていましたから。降り掛かる火の粉を払い除けただけの事です。それに、皆さんはよそ者の私達にも色々と親切にして下さいましたから、そのお返しとでも思ってください」

 

 「あ、ありがとうございます……」

 

 

 音も立てぬほど丁寧に卓に置かれたコップを掴み、ずず……と白湯を啜りながら適当に受け答えをする。この村へ向かっている王国戦士長を待つ間、ついでに村人たちの不安を拭い、信頼を得ておけば今後の為にもなるだろうという程度の腹積もりだ。

 何気なく窓から外を見れば、村の広場にはかつての同僚を縛り上げたデスナイトがどことなく満足げに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 ガゼフ・ストロノーフは困惑の中にいた。

 貴族派と呼ばれる王国の上層部の一派が平民からの成り上がり者である彼を疎み、謀略をもって抹殺しようと画策している事は彼も承知している。

 それでも民を見捨てることを良しとせず、叶うことならその謀を真っ向から食い破ってやろうという心積もりで出兵を決意したのは他ならぬ彼自身だ。

 だが、いざ救援に来てみれば既に賊達は退治され、捕縛された後だと言う。

 そこまでは良い。この手が届かなかったことには忸怩たる思いこみ上げるが、民の安寧には代えられるものではない。

 また、それを為したのが冒険者や村人達の自警団であったならば、彼も心からそれを喜び、彼らの肩を叩いて賞賛できただろう。何せお人好しのガゼフであるから、個人的に報奨を出すことすら考えたかもしれない。

 

 だが、実際にこの村を救った者達は違った。

 広場の端に置かれた剛健な馬車は、遠目にもその装いが高価なものである事は見て取れる。凡百な貴族では身代を潰しかねない物だろう。

 明らかな貴人が僅かな供を連れてこのような小さな村を訪れ、そして救うことにどのような意味があるのか? 

 そしてそれが己にどのような脅威、或いは恩恵を齎すのか。武人一辺倒なガゼフには到底読めるものではなかった。

 

 

 「(だが、手を拱いて見ているわけにもいかん)」

 

 

 広場の中心にはやけに大柄な兵の姿。その後ろには武装を解除され、縛り上げられた狼藉者たちの姿が見える。

 村を救ってくれた功労者に対しこちらから非礼を働く訳にはいかない。もし相手が貴族であるのならば尚更だ。彼らの真意がどこにあるにしろ、ガゼフの取りうる手段は一つしか無いのだ。

 静かに気合を入れ直すとガゼフは馬から降り、広場にて彼を待っていた者達に向き合った。

 

 

 

 

 「私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この地を荒らし回る帝国の騎士達を掃討する任を受け、村々を回っている。この村の代表はどなただろうか」

 

 「お、王国戦士長様……!? わ、私が村長でございます」

 

 「村への救援が遅れたこと、真に申し訳なく思う。よければ、この状況について説明願えるだろうか」

 

 「は、はい。実は……」

 

 

 王国戦士長については下僕たちからの報告である程度見知っていたアインズだったが、実際の戦士長は彼が想定していたよりも誠実な男に見えた。

 国家の重職にある者がたかだか小さな村の村長や、どこの馬の骨とも知れぬ魔術師相手に馬を降り、同じ目線で問いかける。その姿勢に村長も緊張を解されたのか、肩書に強張っていた表情も幾分和らいでいた。

 村長から簡単な説明を受けたガゼフが、今度はアインズに向き直る。背丈はちょうど同じくらいか。

 

 

 「――失礼。この村の恩人殿の名を伺っても宜しいだろうか?」

 

 

 

 

 

 

 「ゴウン殿、と仰ったな。……この村を救って頂き、本当に、本当に感謝する……!」

 

 

 村長から事のあらましを聞いたガゼフは、アインズに向き直ると、その手を両手で掴み深く頭を下げた。

 国家防衛の要たる戦士長が下手に出すぎではないかと誹る輩も居ろうが、此度の襲撃はそもそもがガゼフに的を絞っての謀略によるものだ。己の不足を補い、無残に踏み躙られるはずだった村人たちの命を救ってくれた相手に礼を尽くさないのはそれこそ狭量というものだ。

 それに、そうさせたのにはアインズ達の身なりや立ち振舞いも大いに関わっている。

 

 当人は旅の魔法詠唱者と名乗ってはいる。魔法詠唱者と言うのはその通りなのだろう。広場で仁王立ちしているあのアンデッドはアインズが呼び出したものと村長から聞いている。あれだけの強力なアンデッドを呼び出せるからには相当の――それこそ帝国の魔導師長に匹敵するような――魔法詠唱者である事に間違いないだろうが、どこの世界に家令と侍女を連れて馬車で移動する旅人がいるのか。

 主人の傍に控えるのは、ただ佇む姿にすら一片の隙も見せない、まるで鋼のような家令。

 王国屈指の達人であるガゼフをしてその強さの底が見えない彼は、いざ有事の際には前衛としてその力を振るうのだろう。

 またその後ろには、見たこともない程の極上の美女が二人。侍女服を身に纏った彼女らも立ち姿は素人のそれではない。いずれも見る目が無い凡愚なら下心から、見る目がある貴族であれば護衛も含め、千金を積んでも招聘を願う程の逸材だ。

 

 それに、何よりガゼフの肝を冷やすのは、彼らが主人を見る目だった。

 報酬に対して忠義を返す、などという生易しいものではない。彼らは千金どころか万金を積まれようとも一顧だにせず自身の主に尽くすだろう、そう確信させるだけの熱量を秘めた目だ。

 信仰にも似たその忠義心は、ガゼフの知る中では黄金の姫にその騎士が捧げるそれにも似ているが、まだ若く揺らぎやすいかの騎士とは違い、彼らのその信仰心は決して揺らぐ事はないのではないか。そう感じられた。

 一方で忠義を捧げられる側のアインズはと言えば、こちらは驚くほどに腰が低い。圧倒的に優位な立場にありながら、自身が救った村の村長にさえ敬語で接しており、逆に従者側がやきもきしている始末なのだから、恐らくは先入観無しで彼とだけ相対していれば、やり手の商人か何かと思っただろう。

 

 そしてこれらから察するに、アインズ・ウール・ゴウンという人物は恐らくは他国の要人。

 領地を治めているのであれば善君、少なくとも部下や民からは極めて慕われているのだろうと思われる。

 そんな人物が何故このような小さな村を訪れ、そして危機を救ったのか。

 その意図は生憎ガゼフには読めないが、こうして頭を下げられた事にあたふたとしている姿からは、謀の匂いは微塵も感じられない。

 

 それ故に。

 

 

 「(――俺達は、一刻も早くこの村を離れなければならん……!)」

 

 

 件の騎士たちは既に完膚無きまでに心を折られており、軽く尋問すれば驚くほどあっさりと自身達が法国から来た工作部隊である事を認めた。

 王国の貴族派と、彼ら法国の狙いは間違いなくガゼフその人である。

 幸いな事に村の損害は皆無。また、囮であり謀略の証拠でもある工作部隊は全て目の前の御仁が捕縛してくれているのだから、後は一連の騒動の下手人として彼らを連れて帰還すればいい。

 これ以上この村に留まっていれば、このような弱兵ばかりの囮部隊ではなく本命の特殊部隊などが彼を狙ってやって来ることだろう。そうなればせっかく助かった村人を危険に晒すことになる。

 なにより、事は要するに王国内の内輪もめである。無関係な他国の貴人を巻き込むのは心情的にも、政治的にも絶対に避けるべきだと言えた。

 

 

 「恩人には然るべき礼と報酬をご用意するのが筋と言えようが……申し訳ないが私は任務中であり、貴殿へお支払いできる報酬をすぐに用意することができないのだ」

 

 「報酬? ……ああ、いえ。その必要はありませんよ。あの程度の兵たちであればさしたる手間でもありませんでしたし、『困っている人を助けるのは、当たり前』ですからね」

 

 「……!!」

 

 

 困っている人を助けるのは当たり前。その言葉にガゼフは目頭が熱くなる思いだった。

 平民の事を奴隷や、絞れば税を出す草か何かのように考えている者すら少なくない王国で、実際に民のために力を尽くしこのような発言が出来るものがどれだけ居ることだろうか。

 

 

 「その厚情に心から感謝する。……だが、それではこちらとしても気が済まない。もし今後王都へ向かう予定であれば、その時には是非当家を訪れて欲しい。あまり大きな屋敷ではないが、心から歓待させて頂こう」

 

 「(よし!)……ええ。王国最強と名高いガゼフ殿にそこまで言われては否やはありません。この縁こそが此度の何よりの収穫と言えましょう」

 

 「そう言って頂けるとこちらもありがたい。それでは、彼奴らを連行する準備を整え次第、お暇させて頂くとしよう。事は急を要するのだ」

 

 

 アインズの今回の目的は幾つかあるが、まずヤマネのストレス解消。それに続くのが、今自身と固く握手を交わしたこの男と繋ぎを作ることが挙げられた。

 なにせ、今の彼らは謎の転移によって既存勢力の領土に居座っている状態であるからして。

 別にそれを咎められたところで大した障害となるわけではないが、ある程度の筋は通しておく必要がある。そうヤマネが主張し、アインズも同意した結果である。

 

 言うまでもない事だが、部下達からの報告によってアインズは既にこの村が襲われた経緯も、諸々の背後関係もほぼ全て把握している。王国が王党派と貴族派に割れていることも、八本指と呼ばれる犯罪組織が横行していることも百も承知だ。

 デミウルゴスやアルベドなどはこれらの情報からこの国を崩す方法を幾通りも考え出し、与し易しとして侵略も当然進言していたが、全て棄却されていた。

 当たり前のことだ。そもそも元社畜……もといサラリーマンの二人に国を治めよう、支配しようなどという欲求がある筈がない。

 一段落したら冒険者としてこの世界の探求に漕ぎ出そうと考えている二人からすれば余計な重荷を背負わせてほしくはない。むしろ世界には程々に体制を保っていてくれた方が後々の冒険に深みが出るだろうと考えているのだから。

 「征服とか支配とか要らんからお前らもそろそろ連携の練習始めとけ。ペアの冒険だけじゃ限界がある」と逆に説教されてしまうのも宜なるかな、と言ったところだ。

 

 なおここで「お前達はかつての仲間たちの後継として、彼らの役割を担っていって貰わねばならぬ」とアインズに諭されたナザリックの頭脳二人と、彼らからその言葉を伝えられた守護者たちに起きた変化を語るのはまた別の機会とする。

 

 

 

 最後にもう一度、深く頭を下げてから踵を返すガゼフ。短いやり取りではあったが、その節々にはアインズに対する敬意が見て取れた。性格的にも通ずるところのあるセバスなどは、ガゼフという人間を好ましく感じているようだ。

 

 一方でアインズは、心中で首を傾げていた。

 

 

 (……戦士長って、確か王国じゃかなり有名な偉い人物なんじゃなかったか? やけにへりくだった態度というか、むしろ立場が逆みたいな対応だったけど、何であんなに好意的だったんだ?) 

 

 

 伴としてセバスとメイドたちを連れているのは『最低限の護衛を!』と守護者が懇願するためであったし、馬車に乗っているのもその延長として当然のように用意されていたものだ。

 

 この世界の生活をまだ深く知らないアインズにとっては『この世界にはそんな魔法詠唱者もいるのかな?』という程度の気持ちであったが、シモベ達としては『至高なる御方の出征である。最低限度の品位と快適性を確保する事は当然!』という有様だから、彼らの認識は何処までも平行線。結果として貴族や王族だろうとガゼフが勘違いしてしまうのも無理は無い。

 

 ちなみに、ヤマネは何も口出しをしなかったが、アインズを見送る時の彼の視線は大変に生温かかった。

 

 

 「しかし、すぐに発っちゃうかー……。間に合うかな、法国……?」

 

 

 こっそりと<伝言>(メッセージ)を使ってナザリックと連絡を取る。計画はここからが本番なのだ。

 

 

 

 

 




次話でカルネ村編は終了、アインズ様のターンも一旦終了となります。
年内には恐らくお届けできるかと……。

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