ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第121話「ピース・オブ・ルイン」

 

 いつの間にか二次元エロ漫画時空に飛ばされたカシゲ・エニシ?であるわけだが、一応は数日で適応した。

 

 というか、そうせざるを得なかった。

 現在、午前11時半。

 

 一般的な家具が揃った20畳程の私室内では壁際で少女もとい男ノ娘達がニコニコしながら、こちらを時折チラリと見つつ、室内に完備されている料理用コンロ前で立ち働いていた。

 

 二十一世紀標準にも見える壁紙や絨毯。

 ソファー、テーブル、椅子、大型ディスプレイ。

 諸々が揃っているので生活に不自由は無い。

 が、三人の巫女モドキ装束の彼女?達は常に一緒だ。

 おはようからお休みまで。

 

 その為の寝具やらもちゃんと何故かこちらの寝台を左右下囲むように設置されていた。

 

 プライバシー0なのは覚悟していたが、それよりも問題なのはその視線だろう。

 

 いつも熱に浮かされたようにポワポワした様子で屈託の無い無垢な笑み+ちょっと誘うような流し目+あ、ちょっと着替え見られちゃったー(棒)とか……もう襲ってください……いや、襲えという相手側の意図が見え見えだった。

 

 いや、オレ男だからと言えば、男ノ娘だったのか!!?と思い切り喰い付いてくるし、女だと公言すれば、貞操の危機が到来しかねない。

 

 まぁ、どちらでも女神扱いなのは変わらないのは見ていれば分かったので一先ず距離を置いて、何とか自分の世界に閉じ篭る事で難を逃れていた。

 

 ヲタニートのスルースキルと集中力を舐めてはいけない。

 

 この数日、渡された端末を目を皿にするような勢いで見つめていたのだ。

 

 正直、頭が疲れた。

 

 昨日はアニメ観賞+貞操を掛けた鬼ごっこに何とか勝利したので本日は朝から無茶ぶりするような【統合】側からの圧力は掛かっていないが、それにしてもいつまでも持つか知れたものではない。

 

「はぁ……」

 

 現在、開示情報を精査して分かった事はこの宗教統合共同体は……社会基盤の崩落が始まっているという事だった。

 

 前回の一件で教義や教典扱いの本を手に入れていたので、そこら辺を詳しく掘り下げたり、現在の社会形態がどうして形成されたのか起源を探ったりしたのだが、過去の情報は一応、機密扱いの制限が課されているらしく。

 

 容易には出てこなかった。

 

 その代わり、現在の【統合】に関する情報は軍事情報から最新の人口動態データ、遺伝情報からその資質や傾向まで殆ど載っていたので内実は丸裸に出来ただろう。

 

 まぁ、専門的用語が多過ぎて付いていけないところが屡《しばしば》あったのだが、概要さえ掴めれば話には付いていける。

 

 今、此処が何処なのかという逃走に重要そうなデータこそ入っていなかったが、どうやら大陸の一部らしいというのは様々な各情報を統合すれば、朧げに推測出来た。

 

 たぶんは旧世界の大戦において委員会もしくは敵対していた共同体が作り出した大規模なシェルターか軍事基地の類。

 

 逃走経路に使えそうな地下都市の地図も載っていなかったが、此処が少なくとも4km四方以上の敷地面積で地下にもかなりの広さを持つのは確定。

 

 高度な遺跡を過去の技術水準をまぁまぁ維持しながら活用していると見て間違いない。

 

 そんな、オーバーテクノロジーを扱う彼らにとって直近の課題は二つ。

 

 人口問題とエネルギー問題らしい。

 

(乳幼児死亡率の異常な高さ……そして、年々減ってる使用総電力量……カシゲ・エミの血が必要な原因が前者……“てんかいのきざはし”の開放ってのがたぶんは後者……どっちにしても重要なのは何故それをカシゲ・エミが解決出来るとあいつらが思っていて、その情報は何処から出たのか。そして、その情報が正しいのかどうか……核心はさすがに載ってなかったからな……調べる必要ありだな)

 

 人口問題に関してのレポートを幾つか読んでみたが、どれもこれも環境の不適応を上げていた。

 

 どうやら外部環境から完全に遮断出来る気密性の高い区画もあるらしいのだが、それを賄う為の電力が足りないらしい。

 

 電力の総使用量が減っている状況を鑑みるに何かしらのエネルギー生産プラントやエネルギー抽出用の燃料そのものが枯渇しているのかもしれないという感じを受けた。

 

 それに関連してチラチラと電力供給に関する書類に何故か女神に期待するような記述があった。

 

 ただ、その手の情報は意図的にか。

 

 必要な核心情報部分が抜けていたので詳細までは分からない。

 

 とりあえず。

 

 このまま手をこまねいていれば、人口の激減で共同体の担い手が潰れる。

 

 本来なら使えたはずの区画がこの数年で次々に閉鎖されているのは子供達を養う為の機密ブロックをギリギリまで稼動させているから、らしい。

 

 だが、電力を子供達の為に使い過ぎれば、共同体が潰れる。

 

 それにしても現在主力となる労働生産人口の生活を限界まで切り詰めての話。

 

 気密ブロックも電力供給量がやがて下がり切れば、使えなくなる。

 そうなれば、もはや彼らに残された道は死しかないだろう。

 

「………」

 

 チラリと今もコンロで料理をしている三人の少女達を見た。

 

 この数日で名前も聞いていないくらいには距離を置いているのだが、それでも人懐っこいので扱いに苦慮している彼女達は……今もまるで悩みなど無いように楽しそうだ。

 

(こいつら【統合】の最大の利点……食材への完全耐性……昔の普通の人間と変わらない程度の主食可能食材の広範囲さ……外に出て行ければ、食べていける……ってのがまた何とも……)

 

 現在、大陸の主要宗教は空飛ぶ麺類教団と大陸東部から北部南部へ幅広い分布を持つオリーブ教だ。

 

 教団を目の仇にしている彼らが普通に暮らせる国はほぼ無いと言っていいし、それ以前に子供が即座に環境不適応で死んでしまう以上、外に出て行っても種の存続は望めず、その世代限りとなるだろう。

 

「エミ様!! お食事が出来ました」

「「出来ました」」

 

 ニコニコと三人がソファーで端末を眺めていたこちらの前に料理の盛られた皿を置き始める。

 

「メニューは?」

 

「はい。お昼は海魚のムニエルと黒パン、コーンスープと生野菜のサラダです」

 

「そうか。ありがたく頂こう」

「はい。どうぞ召し上がって下さい♪」

「「召し上がって下さい♪ あ、踊りますね」」

 

 テーブルの前方の空間で何やらアイドルみたいなちょっと可愛い振り付けの踊りが始まる。

 

 何でも女神様に愉しんで頂けるよう聖典《アニメ》の一部に載っていた“聖なる踊り”らしい。

 

 絶対ソレ、アイドル系アニメのパクリだろという無粋なツッコミは最初からしていない。

 

 あくまで女神として扱ってくれる彼女達の持て成しには頭が下がる思いだし、距離を置いているとはいえ……それでも必死に共同体の為に気に入られようとしているのは分かったからだ。

 

 目の前に出された皿の上。

 

 湯気を微かに上げるムニエルはパリッと香ばしく焼き上げられて狐色をしていた。

 

 黒パンもまた主食に耐えるだけの噛み応えがありそうなシッカリした焼き上がりで香りも良い。

 

 コーンスープはどうやらかなり濃厚らしく。

 

 トロリとしていながらも黄金色に耀いて僅かに甘く芳醇なのが分かった。

 

 サラダの葉野菜は一見して種類も分からなかったが、ハリハリと瑞々しさが視覚から伝わってきて、白いドレッシングがよく合いそうだ。

 

「一緒に食事しないか?」

 

 そう言うと踊りを途中で止めた彼女達が笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「エミ様とお食事をするのはわたくし達のような下々ではいけませんから」

 

「……そうか。じゃあ、頂きます……いつも、食事ありがとう」

 

「ぁ……はい!!」

「「はい!!」」

 

 こちらの感謝に本当に嬉しそうな顔が返されて、僅かに胸が痛くなる。

 

 彼女達の要望に100%応えられていないのだ。

 

 本来なら無理やり子作りという事も【統合】側は考えていただろう。

 

 それが実行されていないという事からしてまだ彼らの側にも余裕があり、アンジュがそういう方法しか認めていない可能性は大きい。

 

 しかし、いつまでそう出来るものか。

 

 この数日、ほぼ宗導者少女やお付の彼女達としか会話していない。

 

 生の情報をそろそろ得るべきだろう。

 食事が終わったタイミングで部屋の外出を切り出そうと決める。

 ムニエルをフォークとナイフで頂きつつ。

 パンを齧り、スープを流し込む。

 その合間も踊り続ける彼女達の動作を見て不意に気付いた。

 

「昨日と違うんだな……」

 

「あ、はい!! アンジュ様から聖典を見せて頂いて、夜に練習してるんです」

 

 笑顔で言われて、こう胸に言い表せない感じの罪悪感が再び湧く。

 

「そうか……踊りは分からないが、可愛いと思うぞ。うん」

「「「ッッ!??」」」

 

 少女達が思わずコケて三人一緒に床へ転がった。

 

「だ、大丈夫か?」

「は、はぃ……エミ様はお上手でいらっしゃいますね」

 

 何やら本当に嬉しそうに頬を染められながら言われて、ウッと内心で胸がシクシクと痛かった。

 

 十分な料理を堪能しつつ、十数分後。

 

 踊りを終えた少女達が汗を拭っているところに外へ行きたい旨を伝えると全員が笑顔で応じてくれた。

 

 そうして、僅かにウッと腰が引ける状況となる。

 用意されていたのが男ノ娘用なのだろう巫女巫女装束か。

 

 ワンピースタイプの可愛らしい着物をアレンジしたようなミニスカ衣装だったからだ。

 

 一応、男物を頼んだのだが……ユニセックスな感じの和風制服みたいなスカート付き衣装しかなかった。

 

 我慢我慢と言い聞かせて着てみるものの。

 違和感が半端無い。

 

 いや、姿見で一応は確認出来るのだが、母親の子供時代の身体で似合う衣装を着ているという時点でどうにもこうにも胡乱な目になってしまう。

 

 しかし、こうしていていも始まらないと半ば目を瞑り。

 少女達を引き連れて外へ出る事とする。

 案内されるままに付いて行くと途中から通路は下り坂が多くなった。

 エスカレーターを乗り継ぐ形で移動していると。

 

 五分程で衛兵らしき灰色のボディーアーマー姿の歩兵がいるゲート前に辿り着く。

 

「外出します。護衛は要りません。アンジュ様に連絡を」

 

『了解致しました。お気を付けて……外出用装備はお入用ですか?』

 

「―――控えなさい。我々が他宗派に遅れを取る事など在り得ません」

 

『失礼しました!! では、お通りを』

 

 巫女の一人が少し怒った様子で歩兵に言うとザッと最敬礼が返された。

 

(……もしかして、一枚岩には程遠い、のか?)

 

 一連の遣り取りからして、他宗派との融和的な面ばかりではないのだという事が何となく察せられた。

 

「行きましょう。エミ様」

 

 周囲を囲まれるようにして歩き出すと。

 扉が開いていく。

 それは地下都市上層への扉だったらしく。

 

 開いたと同時に左手に巨大な穴と階層と立体交差橋が硝子張りの壁越しに見えた。

 

 目の前から続く通路は白く開放的な造りで下り坂になっており、階層プレートの一つに降りる場所らしい。

 

 人気は無かったが、代わりに自動銃(セントリーガン)が数m毎に天井へ設置されていた。

 

 数十m先には人混みも見えるが、巫女服とは違い。

 

 和装に近い……あくまで近いだけでやはりコスプレっぽいミニスカ系だのどっかのアニメみたいな間違った日本史感、似非時代ものアニメにありがちな感じの装束が跋扈している。

 

 武器らしきものを携帯している者はいなかったが、それにしても着物が大胆に改造された感じの衣装を着る男ノ娘パラダイスである。

 

「………」

 

 本当にどうしようもなく帰りたくなったのは道の往来で何やら“始まっている”のが、ザックリ見えたからだ。

 

「どうかなさいましたか?」

 

「何でも、無い……出来れば、人気の無い静かな道をお願いする。切に」

 

「あ、はい。畏まりました」

「「畏まりました」」

 

 溜息を吐く。

 

 エロ漫画常識みたいな事が現実に押し付けられている理由はきっと……此処でコメディ的に考えて良い代物じゃないんだろうなぁと。

 

 今までの夢世界での衝撃の真実!!?とかの傾向を見る限り、そう思えて為らなかった。

 

 *

 

 ジャスト12時。

 階層最上階のプレートへと出た後。

 人気の無い道を選びながら、各地を見て回る事となった。

 

 資料で見て知ってはいたが、地下都市内部は殆どが配給制であり、貨幣が必要な場所。

 

 つまり、店舗型の商店はほぼ無い。

 ほぼ、というのは五派。

 

 他宗派間において均等に割り当てられた資源《リソース》が各宗教毎の各分野への配分が異なるからだ。

 

 独自色と同時に多様性を確保し、技術の保存や発展などにも競争原理を取り入れているらしく。

 

 個人に割り当てられた資源の加工と取引において商業という形態が僅かにだが残っている。

 

 ならば、技術職やそれ以外の人々は何をしているのかと言えば、知識層や技術職系の生活に必要な生活物資の生産や外部との交渉や外部からの物資搬入などに就いているようだ。

 

 ほぼ地下都市の天井付近からしか見えていなかった階層。

 

 その内部の内訳は個人取引用のスペースや精神衛生保全用の共同広場等々。

 

 要は息抜き用の場所ばかりらしい。

 下部階層にはプラント系の施設が密集しているらしく

 

 技術者や開発者、知識層が居住し、高層には指導者層、中層階には労働層や生活物資の加工層が居住する。

 

 各階層は宗派毎に一層内で区分けされており、教義や宗教的な儀式、行事を守る為、飾りや外観には気を使っているらしい。

 

 現在最上層付近の神道区画。

 

 此処で最も目を引くのは区画の彩りと象形に使われる鳥居だろう。

 

 ゲートや何処かの出入り口には必ずと言っていい程に紅の鳥居やその形が取り入れられ、外観としては似非日本みたいな感じになっている。

 

 他にも鮮やかな紅葉のマークやら伝統的な枯山水のような侘び寂を感じさせる玉砂利の道やら単なる合理を追求したSF都市という様相でもない。

 

 道端では……まぁ、アニメ的にはきっとモザイクが掛かる感じに可愛い男ノ娘とむさいおっさんが多数くんずほぐれつしていたりするのだが……そこら辺は見なかった事にしよう。

 

 そうして誘われるままに辿り着いたのは草原。

 いや、純粋に驚くような青空と木漏れ日にざわめく小さな森だった。

 森と言っても40m無いだろう。

 だが、それにしても本物の空と見紛うような天井からの光景。

 更に空調が聞いており、吹き抜ける風まで再現されていた。

 

「凄い……本物みたいだな」

 

「大昔のデータを元にして再現されていますから、本物と変わりないはずです。保管されている種の保存と精神衛生の観点から造成されたリフレッシュ区画になります」

 

「どうぞこちらへ」

 

「木漏れ日に当たりながら何かしていると気持ちよくて寝ちゃいそうになるんですよ」

 

 少しワクワクした様子の彼女達に手を引かれながら、内部へと入っていくと。

 

 本当に外に出たような気分となる。

 森林の端には竹林もあるらしく。

 見ているだけで何処か日本を感じるような気がした。

 

 丁度良さそうな木陰を見付けて、樹木に背中を預けて瞳を閉じる。

 

 木の葉のざわめきに今まで夢世界で見てきた何もかもがまるで嘘のような現実感が押し寄せてきた。

 

 それは正に現実の匂いと言えるかもしれない。

 

「どうでしょうか?」

 

「あぁ、連れて来てくれてありあとう……かなり良い気晴らしになった」

 

「そうですか。それはようございました」

 

 しばし、風に浸る。

 

 だが、不意に少女達の手が伸びてきて、身体を何やら弄り始めた。

 

「ぁ、ぁの……エミ様……凄く、お可愛らしくて……はぁはぁ……ええと、その……」

 

 恥じらいながら頬を染めて、少し吐息を荒くした少女達が潤んだ瞳で見つめてくる。

 

「いや、そういうつもりは無いので是非遠慮させて欲しいというか。触らないでくれると助か―――」

 

 少女達が一斉に左右前から抱き付いて来た。

 

「ちょっ?!」

 

「ぁあ、御髪《おぐし》もサラサラで!! お肌もスベスベで!!? こんなに愛らしいなんて!? 反則ですッ!?」

 

「うぅ、お体も良い匂いがするし!! お優しくて!! お顔もお綺麗ですッ!!」

 

「名前!! 名前を呼んで頂けたら、わたくし達!!」

 

 もう完全に興奮しまくり、ハッスル中な彼女達の目はマジと書いて本気だ。

 

 顔が引き攣りそうになったのも束の間。

 

 何故かフッと意識を消失した様子で誰もがパタパタと周囲で倒れた。

 

「あ、オイちょっと?! ま、まさか、興奮し過ぎて倒れた?!! いや、オレにそんな魅力あっても困るんだが実際!!?」

 

 これからどうするべきかと思ったのも一瞬の事。

 少女達を介抱するのに人を呼んでこようと顔を上げた時。

 誰もいなかったはずの芝生の上。

 数m先に何者かが立っているのを見付ける。

 その手には何やら海外製の香炉が持たれている。

 小型で華美な壷。

 金銀の装飾が施されており、植物の形を象った穴が穿たれていた。

 ソレを持つ神父のような姿の老人がこちらを静かに見つめている。

 背は小さく。

 今にも老衰で死にそうにも見える。

 だが、深い皺が刻まれた顔には笑みが浮いており。

 

 疣が所々を覆う手が頭の帽子らしきものを取って、大きく一礼した。

 

「お初にお目に掛かります。カシゲ・エミ……運命の輪を回す女神よ」

 

「……こいつらの症状はその香炉のせいか?」

「御明察。さすがは()()()()()()()()()()()()()()

「な?!」

 

 思わず顔に出た。

 しかし、老人はほっほっほっと胡散臭く笑うのみに留める。

 

「アンジュ様に聞きませんでしたかな? 我々は世俗派宗教派閥の成れの果てなのですよ。世俗派とはまぁ仮にそう呼ぶ以外なかったからというだけの話……委員会への出資にも絡んでいた……そこは貴女の方がお分かりでしょう? 最初から疑っていたのでは?」

 

「何の事だ?」

 

 お惚けになるのが上手い。

 そう笑って、老人が香炉を横に置いて近付いてくる。

 

「そもそも我々は旧暦も定かでは無い頃から人類社会における知的層を形成してきた者達の末裔です。それがあの二度の大戦以降、急激な人類の科学技術と社会の発展における高度化によって上手く組織化された……委員会の超技術運用に各種必要とされたデータが何故最初から揃っていたのか? 貴女も一度は疑問に思ったのでは?」

 

「生憎とオレは記憶喪失中だ」

 

「アトラス・パイルに必要な地殻大深度層の研究データは我々が極秘裏に続けていた【モホール計画】から受け継がれたものです」

 

「ッ」

 

「【悪魔の爪】の発見を起源とし、人類食料制限計画を策定したのはあの時代の委員会よりもずっと昔の事なのですよ。叩き台が既に存在していた事に疑問は持ちませんでしたか?」

 

「ッ……お前は……いや、()()()は一体……」

 

 ほっほっほっと。

 老人が手を差し出してくる。

 

「貴女の時代にも我らは数多くいた。その大半は自分が何に携わっていたのかも知らないのでしょうが、委員会も当時は我々の枝の一端に過ぎなかった……」

 

 手を取らず。

 少女達を横に立ち上がる。

 

「【獅子と一角獣】のマークを関連会社がよく使っていたでしょう?」

 

「さて、どうだったかな」

 

「本来、【新たなる聖櫃】は……“双極の櫃”は我々が使うはずだったのですよ」

 

「ッ、委員会の黒幕。いや、パトロンだったと?」

 

「当時、殆どのXKスケールのリスクは財団によって隔離されましたが、我々は彼らのパトロンの一つでもあった……だから、科学が及ばぬ人智を超えた術もまた我々にはあった。あの滅び掛けた世界を欺瞞し、月にまでもサイトを置けたのは我々の力があったればこそ。途中で暴走したとはいえ、委員会も我々に帰属するモノとして迎え入れたい」

 

「お前らの目的は何だ?」

 

「御聡明な貴女にならば、お分かりでしょう。もうこの共同体はダメになる寸前だ。そろそろ引越しの時期だと考えているのですよ。我々は……」

 

 老人がニィッと唇の端を曲げる。

 そこまで来てようやく。

 まったく、溜息を吐く必要性すらなく。

 

 これから先のどんな状況も命を掛けて突破しようという気概が沸いた。

 

「気分を害する事を承知で言わせてもらうなら」

「何ですかな?」

 

 老人が何者かなど、どうでもいい。

 

 少なくとも、世界の裏側を知ろうが、世界の真実を語ってくれようが、構いはしない。

 

 人間は感情で動く生き物だ。

 合理性とは常にその感情を肉付けする為のもの。

 決意を遂げる手段でしかない。

 

「お断りだ。寄生虫野郎。一辺死んで出直して来い。今生きる人間を侮るお前らみたいな下種野郎が統治層や知的階級、裏の支配者を気取るなら、オレは貴様等が絶滅するまで戦ってやる。生き残りたいなら、今抗い続ける連中に尻尾でも振って惨めったらしくお情けでも貰いながら、その薄汚れた根性で靴の下でも舐めてろよ。貴様らなんぞの下で働くくらいなら、死んだ方がマシだ。オレはこの世界で今も賢明に生きる誰かの傍で戦う……それがオレの流儀だ。腐れジジイ」

 

 一瞬、頭に血が上ったのは否定しない。

 

 が、これでまた面倒事になったなと脳裏の何処かでポツリと思った。

 

「……く、くく、あははははははっ!! いや、いや、まさか、そう、そう来る、とは……ふ、ふふ、この歳で笑い死にする事になりそうになるとは!! 実に好ましい!!」

 

 老人が口を開けて大笑いしながら、片手を上げた。

 周囲に視線を奔らせるが、誰もいない。

 いや、芝生がガサガサと音を立てているのが分かる。

 

(クソッ、量子ステルスってやつか?!! さすがに前の身体じゃないと見えないか!?)

 

 これからどう場を治めようかと算段している合間にも老人の後ろで完全武装の黒い甲冑のような装甲を纏った歩兵達が何故か姿を現して整列していく。

 

「何のつもりだ? それで脅してる気か?」

 

「いやいや、恐れ入った……まさか、あのような啖呵をこの傅かれるばかりの人生で聞く事になろうとは……カシゲ・エミでない事も分かった……本当に……何処で手違いが起きたのか。受信していたのは別の人格だったわけだ」

 

「―――」

 

 引っ掛かったという後悔。

 だが、今更でもある。

 

 いつかは時が来たら、アンジュ辺りに教えようと思っていたのだ。

 

(どうする? どうする? さすがにこの身体じゃ……?)

 

 老人がおもむろに膝で座り込むと。

 そっと両手を付いて土下座した。

 それに思わず後ろの歩兵達が驚愕し、ざわめく。

 

『マックス様?!!』

 

「……騙していた事。謝ろう……」

 

 そう謝罪した後。

 老人がゆっくりと腰を上げて膝を払い。

 

 後ろから渡された杖を片手で地面に付いて、こちらを見つめる。

 

「さて、名乗らせてもらおうか。僕はまぁ、今言った通りの組織……いや、もはや組織という程でも無い小派閥。名も無き宗派の統領。名をマックスウェル・レーガンと言う」

 

「マックスウェル……」

 

 老人が香炉を後ろの兵士に渡してから背中を向けて森の外へと歩き出す。

 

「君の怒り。君の正義。委員会とは到底思えない熱い心。しかと確めさせてもらった」

 

「……その態度、アンタの今まで言ってた事……アレが嘘だって言うのか?」

 

「いいや、出て行くという以外は全て本当だ。出来れば、此処の子達を少しでも助けられればと思ってはいるが、それも自力では不可能でね」

 

 とりあえず。

 どうやら小芝居で器やら人格やらを測られていたらしい。

 少なくとも今から銃相手に大立ち回りという気配ではなくなっていた。

 

「色々とアンタに聞かなきゃならない事があるようだな……」

 

「教えられる限りの事は教えよう。熱血漢な旧世界者《プリカッサー》君」

 

 少女達をチラリと見たものの。

 今は往くべきだろうと歩き出す。

 

「とりあえず、三つ教えておこうか」

「何だ?」

 

「教団本部の地下施設から奪ってきた君の身体を調整したのは僕だ。【統合《バレル》】の人員のゲノム調整と肉体管理をしているのは僕の派閥だ。それと」

 

「それと?」

 

「アンジュは僕の玄孫に当たる。是非、子作りしてやってくれ。君の倫理と高徳、道徳的な精神には理解を示すが、男が女に請われたら、ちゃんと応えてやるべきだよ。心に決めた人がいてもいいが、女を誰だろうと待たせちゃーいかん」

 

「―――嘘、だろ?」

 

 目の前の皺くちゃジジイとアンジュでは似ても似つかない。

 

 女じゃなくて男ノ娘だろというツッコミも思い付かないような衝撃だった。

 

「あ、僕の写真見せちゃうね。ほら、昔はこれでも【統合《バレル》】随一の男ノ娘だったんだよ」

 

 何やらいきなりフレンドリーになったジジイが嬉しそうにゴソゴソと袖から出した紙を兵に渡す。

 

 それを後ろに持ってきたので受け取ると。

 

「ッッッ?!!!」

 

 其処に映っているのは間違いなくアンジュに似た……美しい少女にしか見えない人懐っこい笑顔の金髪碧眼な男ノ娘だった。

 

「詐欺だ。絶対……」

 

「いやぁ、それ程でもないよ。外の世界が見たくてフルートレス・エム高進剤を打って、老化復元処理を止めて、子供産むのを諦めて、薬を毎日食ってようやくだからね」

 

「何だって?」

 

「ああ、ウチの男ノ娘はこの中なら死ぬまで若いまま生きられるけど、外の環境には適応出来ない身体なんだよ。まぁ、今の世代より下は完全に環境へ適応出来ないから、密閉区画でしか生きられなくなっちゃったけどね」

 

「まさか、それじゃあ、共和国への遠征ってのは……」

 

「ああ、正しく自分の命を掛けた戦いだよ。少しでも外環境からの空気が入ってきたら、死んでただろうなぁ……」

 

 老人の声に篭るものは少なくともそれが真実だと教えていた。

 

「本当に色々と教えて貰わなきゃならないようだな」

 

「僕も君に付いて教えて貰いたい事がある。君は一体、誰だい? 委員会ではないのに委員会の事情にとても詳しい……そんな人間は存在しないはずなんだよ。本来」

 

 背中は決して大きくない。

 しかし、その問い掛ける声には巌の如き何かが宿っていた。

 

「此処まで来たら……まぁ、いいか。交換条件だ」

「いいよ。僕が知る限りの事を教えよう」

「……オレはカシゲェニシ」

「カシ……その名前は侵攻の時に。それと共和国の英雄の?」

「その通りだ」

「……カシゲ・エニシ、かい?」

「ああ」

「は、ははは……まさか、女神の親類?」

「息子だ」

 

「……あぁ、僕らも知らない本当の切り札ってやつか……ご先祖様は随分と大きな情報を見逃していたようだ」

 

「オレからも聞きたい。カシゲ・エミ……どうして、母さんが委員会に名を連ねてる? どうして、それを女神と言って奉る? 教団から運んできたと言ったな。教団の救世主、この世の造り主。一体、母さんは委員会で何の研究をしてたんだ?」

 

「そうか。知らないのか。でも、君が生きているという事は……あの当時から全ての人格データを保持したまま存在する最古の情報化知的生命……旧世界者《プリカッサー》という事になる」

 

「オレが()()()()()なのは何となく知ってるが、答えになってないぞ?」

 

「彼らの生みの親こそ……この世界の創造主カシゲ・エミだ。実際にはその力の一端が使われた、という事になるだろうか。彼女の息子……母なる神より生まれた正当後継者である君は……正しく“時を鬻《ひさ》ぐもの”と呼ぶべきかもしれないな……」

 

 その言葉に世界の真実とやらのパズルのピースがまた嵌るのを感じた。

 

 情報化知的生命。

 そう、それは美幼女の母親が言っていた言葉にも似る。

 

「ひさぐって何だ?」

「売るって事さ」

「時を、売る?」

 

「カシゲ・エミ。全ての元凶たる高キュービット量子コンピュータ【深雲《ディープ・クラウド》】のメインストレージ……月面に移送されたマスターマシン【メンブレン・ファイル】の生みの親。まぁ、分かり安く言えば、君の母上は人類史上唯一タイムマシンを作った真の天才であり、あらゆる情報を宇宙の終わりまで保存出来る叡智を開発した技術者であり、当時の人類総人口75%を絶滅させた旧世界破滅の引き金を引いた―――」

 

 時が止まったかのような間の後。

 そっと真実が呟かれた。

 

―――【運命の歯車の女神(フォルトゥーナ)】って事だよ。

 

 カチリカチリと遠い何処かで針が刻を奏でる音がした。

 

 どうやら、世界には知らなくて良い真実というのが思っていた以上にある、らしかった。


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