ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
―――エニシ殿日記○月×日
エニシ殿が帰って来てから、かれこれ2週間が過ぎた。
帰還初日、襤褸雑巾にされてしまい。
食事をしてから寝込んで二日は部屋で養生していたのも今なら笑い話であろう。
その後には某達とのきゃっきゃうふふ展開が進んだわけでござるが、どうやらエニシ殿的には某達が心配していた間に培った諸々のコネで色々な収穫を得たらしく。
結局、据え膳は歳が十八になるまでは半分くらいしか食べてくれぬらしい。
まさかのイキオクレ大いに結構宣言であった。
その最たる理由は主上と【統合】の技術陣が共にエニシ殿の細胞から作った薬だ。
元々、主上はあの共和国首都の地下遺跡で得ていた霊薬を研究していたのだが、更にエニシ殿の新しい身体の情報を得た事で飛躍的に解明が進んだとの事。
これを使った生体実験が意識を失って重症だったポ連兵などで行った結果。
効果が確認され、複数の新薬が完成。
とりあえず、寿命と食材耐性と環境適応に関する能力が激的に改善出来る時代はすぐそこまで迫っているようでござる。
新薬の投与は過保護なエニシ殿の安全への配慮から、当人の粘膜的な接触込みで行われた。
……まぁ、とりあえず全員口元を拭くのも忘れるくらいに呆けた表情となる日が幾日か続いたわけであるが、エニシ殿はちょっと紅い頬を掻きつつ、出来れば冷静にとこちらの手練手管を半分くらいしか受け入れてはくれなんだ……。
実に惜しい事だが、まだ諸々やらねばならない事がオールイースト邸にいる全員にあったので、子育てまでやれないという切実な話でもあったと言える。
何だかんだいいつつも、エニシ殿の体は毎日のように予約済み。
あっちに行ってはフラム殿の新しい過激な下着を涙目で買い込む場面に付き合わされ、こっちに行ってはベラリオーネ嬢やクラン皇女殿下と昼下がりのデートへと向かわされ、そっちに行ってはサナリ殿やパシフィカ殿の料理を持って近くの公園や図書館へと社会見学と勉強がてら連れ回され……某は基本的に夜に押し掛けるのが常態となってしまった。
それでも誰もが満足しているらしく。
エニシ殿と会話がてら、昔の話を聞いたり、少しずつ分かり合った様子となっては親交を深めている事が見て取れた。
無論、新参者の彼女?達に付いてもそれは言えるでござろう。
アンジュとクシャナ。
どうやら二人はエニシ殿が今回助けたらしい【統合】の重要人物らしく。
毎日のように昼間は主上を通した通信で現地の指揮に当たっているようで、エニシ殿と夕食後に何やらゴソゴソと話し合っている様子。
盗聴しようかとも思ったが、主上が何やら悔しそうな表情で『ワシが隠居してしまう事になりかねぬのじゃ……』と言うものだから、今は止めている。
そう言えば、本国から父の手紙が届いた。
主上に頼めば、通信出来るというのに……どうやら某の事を慮っての事らしい。
それには主上から聞いたのだろう事が嬉しそうに綴られていて……思わず涙が……いや、笑みが零れた。
いつか初孫を見せに行く。
これが某にとってこれからエニシ殿と目指していく目標となろう。
誰もが長く世に留まれるようになれば、新たな出会いや別れがきっとある。
しかし、それが楽しくて……きっと、素晴らしいものになるだろう事は伴侶たる……あの女性《にょしょう》を誑し込む才覚に溢れた蒼き瞳の英雄殿が傍に居る限り、間違いない。
近頃はエニシ殿の性癖も何となく分かってきた事であるし、ファナディスのところにフラム殿と同じような下着を買いに行くのも良いかも知れぬ。
そうしたら、もう少し早くエニシ殿を篭絡してイキオクレ宣言を撤回させる事が出来るやも……。
とにかく、今日も某の日常は続く。
あの日、出会った時から長い時間が経ったように思うのはこのエニシ殿と共に過ごした時間が、エニシ殿と離れながらも思い続けた時間が、狂おしい程に愛おしいからなのか。
主上の命を受けて、今日も首都を飛び回るのは昔と同じ。
でも、某の人生は確かに色彩を増させて、喜びに溢れている事を此処に記そう。
いつか、我が子に読んで聴かせる寝物語はきっと波乱と情熱と蒼い瞳の英雄の話になるでござろう。
それがいつになろうとも一つ前置きしておく事だけは決まっている。
―――これは何処よりかやってきた優しさと労わりの情に満ち、頭のネジがちょっと色々外れた男《おのこ》と誰からも振り返られず朽ち果てるはずだった女子《おなご》達の物語だと。
「………」
一応、百合音が落とした黒革の手帳を返そうと拾っただけなのだ。
ちょっと、興味があっただけなのだ。
しかし、それも言い訳に過ぎない。
何も見なかった事にして閉じ。
少しだけ窓から空を見上げる。
今日は重要な日だ。
朝4時起きで支度をして、全員に諸々の準備を任せて出てきた。
“天界の階箸”を何とか手に入れてから一ヶ月以上。
都市は浮付いた空気が漂っていて、沿道には様々な人々が屯している。
観光客は勿論いるが、それだけではない。
少なからず。
大陸東部の国家からあらゆる人種が集いつつある。
煉瓦造りの大通りを普及し始めたばかりの軍用車両で馬車と擦れ違いながら進めば、やがて見えてくるのは円形闘技場《コロッセオ》にも見える構造物。
それは殆ど造りこそ、今考えた代物に近いが、実際にはたった一つの式典の為にファースト・ブレッドに建造された歴史的モニュメントだ。
360°の観客席から見える場所で今日、昼から始るのは―――大陸最大の大連邦発足を行う条約調印式であり、観客総数12万人を数える大円卓《グラン・オブ・ザ・ラウンド・テイブル》は全て調印式を担保する各国の大臣から役人からその護衛達。
それを一目見ようとあちこちではカフェーが今流行りの音声通信の受信機。
要はラジオを揃え。
人々の群れに占拠されている。
「……これから歴史的な大事件が起きるってのに上の空だねぇ君も……オジサン、そういう肝の太さとか見習いたいわ。いや、本当に」
「まさか、アンタらともう一度会う事になるとは思ってなかった」
車両の運転席と隔てられた後部座席は乗合馬車等と同じく。
互いに向き合う形で席が据え付けられている。
こちらは1人。
前方には2人。
それも軍人で男女だ。
「ははは、オジサンもだよ」
三十代後半の少しだけ無精髭を生やした金髪。
如何にも気の良さそうなちょっと長い髪の中隊長。
ナイスガイから四枚目くらい離れた顔立ちの軍服姿。
そう、それは首都遺跡の一件で水道局から逃がした紙の兵隊。
兵站部のアルスカヤ・ベーグル中尉。
そして、部下の真面目で融通が利かなそうな眼鏡の二十代。
アスターシア・バームクーヘン少尉だった。
「隊長。さすがに失礼では?」
「ははは、君がそれ言っちゃうのかい? 前会った時は撃とうとしてたのは君だったかと記憶してるけど」
「ぅ……それは当時、妖しさしかないと見ていた為であって、こうして軍から身元が保証されての護衛任務となれば、話は別です……当時の事は大変申し訳有りませんでした。謝罪します」
この中隊長にして、この部下。
その遣り取りに苦笑するしかなかった。
思い出すのは腑抜けて、状況が頭からすっぽ抜けていた自分の拙さばかりだ。
「いや、オレらが怪しかったのは事実だし、謝る必要も無いだろ。こうしてオレを前にしてたって、実際オレが言う程凄い奴に見えてないだろうしな」
「あ、いえ、その……」
思わず目を泳がせたアスターシアは嘘が吐けない性質のようだ。
「そう、オレの可愛い部下を苛めないでくれよ。色男」
「その呼び名には諸々の不満しかないんだが……」
「だが、命令書にはこう書いてあるからな……『大円卓において大連邦調印式後、民間オリーブ教徒の合同結婚式が行われる。この“オリーブ教とカレー帝国と大連邦の一大セレモニーの主役”である花婿を絶対に死守して連れていけ』って。大雑把に意訳したけど」
ジトッと少しだけアスターシア少尉の瞳が半眼になった気がする。
「いや、物凄く言いたい事ばかりなんだが、事実だから一応呑み込んでおく……」
「オジサン。これでも理解はある方なんだ。軍にもオリーブ教の同期がいるし、そいつ嫁さん2人いて『うわヤバイ男として絶対叶わん』とか思うくらい頑張ってたりするしさ」
「それで?」
「でも、さ。ほら、さすがにオリーブ教の聖女様と皇籍離脱したとはいえ元皇女殿下と現在軍内部で陸軍海軍に続く第三派閥になりつつある空軍の歳若い元EE総司令と塩の国の元王家出の女性を一辺にって言うのはどうかと思うわけ。いや、物凄く正論としてアレこれってどっちかというと良識的には良い方じゃないよね?って思うわけ」
「……良識って何だったかな?」
もはや開き直るしかないが、しょうがない。
「それにさ。ほら、何だか近頃の噂だと羅丈の女スパイを逆篭絡したとか。魚醤連合の艦隊司令の娘を愛人にしてるとか。いや、うん……本当に何処からこんな出鱈目な噂が出るんだろうってくらい尾鰭付き捲ってる人物を護衛している時点で、オジサン的には色男はかなり控えめな表現だと思うわけだよ。いや、かなりというか目一杯」
「はは、は……は……はぁ……」
半笑いは最終的に溜息に墜落した。
「近頃、法務省に行った大学の同期がオリーブ教の婚姻者欄を多くするからって上司から無理やり仕事を押し付けられて、寝ずに法改正の資料を作ってたら、桁が足らないって怒られたとか。いやぁ……そもそもさ。何でか、その法改正してまでやったのに“一枚しか作られなかった用紙”の現物が何故か国家機密指定されてて、閲覧しようとしたら公安に逮捕され掛けたって言うじゃない」
(あの独裁者?! いや、切実に噂で止まってるのはありがたいけども!? そもそも、そんな事したらまた尾鰭が付き捲りなのは目に見えてるだろ!? 隠せよ!?)
思わずニコヤカな総統閣下とやらの顔が一瞬、脳裏でニタリと笑った。
「オジサンの耳に入ってくる話だと、その現物に書かれた人物の追加された順番とか名前そのものが原因だとか。頻繁に書き加えられてるのが機密の理由とか。世の中分からない事だらけだと思わないかい?」
「そうだな。うん。そうだ……ああ、そうだろうな」
もはや、苦しいを通り越して無様な気もするが、アスターシア少尉の女性としてのドン引き顔に打ちのめされて、そう言うしかなくなっていた。
「いや、こんな事を言うのは業腹だと自分でも思うんだよ。だって、ほら、君は一応、この国を【統合】の襲撃から救って、カレー帝国の巨悪を討って、オルガン・ビーンズの聖女様まで救った大英雄なわけだし、英雄色を好むとかそういう感じで問題ないとは思うんだ。いや、うん、本当に」
「は、はぁ……」
「でも、ウチのカミさんのさ。やっぱり、妹なわけじゃない。塩の国の元王家の人ってさ」
「は、はぁ……はぁ?!!!」
思わず聞き流そうとしたところで一瞬、聞き捨てならない話が飛び出して、思わず相手を顔を凝視してしまった。
「ははは、実は色々複雑ながらも近頃、条件付きな恋愛結婚したんだ」
「それって……」
「けど、カミさんが実家を離れられないって話だったんだ。ようやく出産を機に首都へ来たと思ったら、可愛い姪が出来て嬉しかったわけだよ。オジサンさ」
「あ、ぁあ、そういう……サナリの小父《オジ》さんなのか。アンタ……」
「だけど、妻がこう姪の事で諸々凄い苦労してるわけ。今日は機嫌が良かった。今日は落ち込んでいた。料理人になりたいって勉強してるらしいけれど、好きな相手がいるらしい。良い家に書生に入ってる同年代の男の子らしいんだけど、彼方ちょっと調べてきてくれない、とか」
「………」
アルスカヤ・ベーグル中尉。
実際、瞳が笑っていないニコヤカな彼がまるで巨大な魔物のように見えるのは果たして錯覚か。
「いやさ。義理の御兄さんを亡くして物凄く落ち込んでた時期に出会ったらしい同年代の子と殆ど同棲みたいに過ごしてたらしいだけど、その相手が何と言うか。恋多き相手らしくてね? それどころか。不意にいなくなって長時間消えるとかザラだったとか。特にあの首都襲撃の後は浮き沈みが激しくて、カミさんが物凄く睨んでくるものだから、オジサン久しぶりに情報部の顔馴染みに此処だけの話とか聞きまくったわけだよ」
「………へ、へぇ……」
「あ、ちなみに今日実はこれから姪の結婚式でエスコートするのオレなんだ」
「ッッ?!!?」
ゾッとする程にニコヤカなアルスカヤ・オジサンが気の良い軍人みたいな笑みを貼り付けて、そっと片手を肩に置いてくる。
「此処だけの話。あの子を抜け殻みたいにした男には一発くらいブチ込んでもいいかなぁとか思ってるんだけど、それは止めておこう」
「……どうして?」
肩からサッと手を離した小父さんが肩を竦めた。
「昨日、聞いてみたら、凄く優しい顔で言うんだよ。『私みたいな本当なら死んでるはずの人間がこうして今も幸せな時間を過ごせているのは、あの人のおかげだ』って……本当なら降格覚悟で一発殴ってやろうって思って昨日姪のいる邸宅まで行ったけど、生憎相手の男は不在。その上にお腹に手を当てて微笑まれちゃ、オジサンもさすがに形無しだったって寸法だ」
(いや、何もしてないから!? 昨日はオレが食事当番だったんだよ!? リュティさんに男料理の伝授を頼まれて!!? あの薬が大丈夫かどうか全員分の食材耐性試験も兼ねての食事会だぞ!? 明らかに公務的な何かであって、私事とか5割くらいしかないだろ!?)
何やら物凄い誤解を受けているようだったが、今は内心に留めておく。
だが、対面ではもはやドン引きどころか。
軽蔑侮蔑待った無しなアスターシア少尉がプルプルとこちらを見て口元を覆っていた。
声にするなら『この鬼畜外道!? 幸せにしなかったら、絶対許さないわよ』と言ったところか。
「お、そろそろ付くようだ」
見れば、車両は大円卓の周囲にある駐車場兼馬小屋の列がズラリ並ぶ一角に辿り付いたようだ。
不意に停車された場所は建造物から歩いて1kmはあるだろう。
しかし、車両のドアが自動で外に開く。
「オジサン達は此処までだ」
「そうなのか?」
「ああ、此処から新しいお迎えが来るそうだよ。じゃあ、
降りると黒塗りの車両が扉を閉じて、そのまま渋滞しつつある道の先へと消えていった。
「……とりあえず、行くか」
気疲れ待ったなし。
だが、止まっても居られないと歩き出した時。
不意にダブルを着込んだ男達が左右を囲んだ。
数は2人。
思わず身構えようかと思ったが、相手の顔がどちらも見覚えがあるもので止める。
「……もう一生会わないんじゃなかったのか?」
「今日は別人だ。此処にいるのは単なる塩の国の元王族の結婚式を覗きに来た一般人だ」
そう言ったのは死んだはずのサナリの義理の兄。
ペロリストの元親玉にして一時は塩の化身の力で共和国の首都を灰燼にしようとした彼。
夜明けのマヨネーズ戦線のリーダーにして騎士団長と言うべきだった存在。
アルム・ナッツだった。
そして、もう片方は公国の地下。
城と呼ばれた其処で主上に反旗を翻した羅丈達の1人。
聖上と呼ばれる国王の下で面を付けていた相手。
分かっている事を連ねるなら、百合音の手帳で父と書かれていた人物。
炒間《イルマ》。
静観な顔立ち。
長年、戦いで研ぎ澄まされてきた巌の如き相貌の人物。
しかし、その瞳も今は何処か羅丈の冷徹さとは違って静かな光を宿していた。
「こうして話すのは初めてだな。カシゲ・エニシ殿」
「百合音の父親って事でいいですか?」
「ああ、その認識で構わん。それと話し方も普段のものでいい。もはやあの子は羅丈を半ば離れたようなものだ……あの子の父として君に会いに来るのは今日、最初で最後となるだろう」
「……分かった。なら、そうさせてもらおう」
『あ、ちなみにウチもいるで~♪』
「?!」
思わず周囲を見渡した。
しかし、声をした方向には何も無い車道しかない。
すぐに瞳を切り替える。
すると、僅かながら音を視覚化する事に成功する。
其処には少なくとも人型機動兵器。
NVが緩々と併走していた。
「バナナ・R・クリーム……見えないって事はガト-・ショコラも一緒か?」
『フン……どうしてオレがまたこの体でこんなところまで……』
声の主は2人ともシッカリといるらしい。
どうやら、まだまだ式場への道程は遠いらしかった。