ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
―――月兎皇国辺境レッドアイ地方、軍都ファストレッグ。
月兎皇国は主要先進国と言っても、基本的には旧い伝統や慣習、仕来りのようなものが技術や社会制度に優越する国家だ。
新しいものは受け入れられるのに長く時間が必要だし、それは街並みにも言える。
伝統的な建材や建築方式が踏襲される結果。
地方でも小奇麗な中世建築の街並みが広がっていたりする。
その光景は南欧の明るい港街を想起させるような代物で暖色系の壁やカラフルな屋根が目を引く。
幾ら斜陽で食料供給が滞り始めているとはいえ。
それでも未だ市場には値段こそ上がれど食料がある程度は並んでいるのだ。
ファストレッグは辺境と呼ばれながらも前線に鉱物資源を送る重要な産出地帯の一角であり、まだ辺境の方でもマシな扱いをされている場所だ。
後方の国境に接する国家とは折り合いが悪くない。
だから、養う兵の数も食料の配給も現地軍は最小限度に近い。
(……食料生産の半分以上が魔術頼みとはいえ、農業技術自体はそんなに悪くは見えないんだよな……輪作してる様子もあるし、家畜の放し飼いで山林や雑木林は綺麗に調和が保たれてる……肥料は殆ど使われないが、魔術で肥料代わりに土壌内部で何か生成してるっぽいし……リンや窒素、消石灰みたいなのを生み出してるとすれば、後は微生物やミツバチ的な生き物さえいればいい。歴史を調べる限りでも収量は毎年定量で過剰な消費や人手不足以外での飢餓は起きてない)
ファストレッグの山岳はそう高くなく精々が300m級の小山ばかりな連山だ。
その地方一帯に睨みを利かせる複数の小砦と連絡通路は其々が連携しており、迅速な戦力の移動を可能にする事で少数の戦力駐屯でも十分に有事の戦力集中が可能。
ついでに魔術師が砦毎に1人はいるので戦力の運用自体は合理的とされる。
その一連の軍事力を整備した張本人であるウィンズ・オニオン当人が敵となれば、話は違ってくるだろうが、基本的に守るに易い場所と言える。
まぁ、生憎と三日前に砦の8割が落ちたのでもはや地方軍内部の中央派、督戦官に与する連中は打つ手無しで小砦内へ篭城中という有様で、現在はその数の少なさに救われる形で何とか食い繋いでいるようだ。
このような状況なのだから、普通はもう降伏投降するか。
もしくは自決や逃げ出すのが常識のはずなのだが……何故か。
高い樹木の天辺で双眼鏡越しに見えるのは何処の晩餐会だというような料理を喰らう督戦官達の姿だった。
(太った料理人と一緒に笑顔で昼食中とか……何考えてるんだろうな)
この恒久界のメシマズさは群を抜いているという話には実は続きがある。
簡単に言えば、料理屋レストラン御食事処、そういうメシヤが異様に高給取りで貴族階級レベルの待遇を受けるような社会階層として固定されている。
無論、それも出す料理でピンキリのようだが、それにしても何処の国家も神殿と一緒になって格付け制度を実施しているらしく。
正式な店はどれだけ低級でも並みの商人と同等くらいの地位にあるという。
そういった店舗の料理人は基本左団扇のお大臣様である事が大半だ。
要は金持ち。
羽振りの良い連中なわけである。
この戦争中の国家で食料が不足し始めるという切実な状況の最中。
太ってるくらいには裕福なのだが、それにしてもこれから皮下脂肪と水だけで生き抜くのだろうかと疑問な昼食会に違いなかった。
料理人達は軍幹部連中と一緒に和やかで焦っている様子は見受けられない。
(魔術での援軍要請が通って、何とかなると高を括ってるのか? それとも食糧事情があの砦だけ違う? 地方軍の倉庫という倉庫を7割方襲撃して空っぽにした上で現地軍の取り込みに成功したのをあっちは知らないって事は無いはずだが……まさか、普通に勝てると能天気に思ってるって事はさすがに無い、よな?)
ウサ耳オヤジ達の様子を観察した後、小砦の警護に当たっている門や砦壁付近の兵を見やれば、少しやつれている。
それはそうだろう。
連絡通路をこちらの軍で遮断した挙句。
市街地付近にはもう反乱軍を展開しているのだ。
街からの食糧供給を滞っている。
現地住民達は甚くウィンズを信頼している様子で反乱軍の本格的な始動に救国軍等と呼んで歓待していた。
食料自体は中央に税として召し上げられる分以外は自活出来ていたので、それをそのままくれまいかとカイゼル髭が頭を下げた時点でどうぞどうぞという流れとなったし、砦連中が食料を得るには自分達で砦周辺で食物を育てるか。
もしくは付近の山林で果樹を取ってくるかだ。
だが、唯でさえ枯渇寸前の兵力をこれ以上裂けるかと。
朝から数人しか調達に出ていない。
少なくとも砦にはまだ数十人いる。
食料在庫の情報は現地軍の接収中に得られたが、持って1日。
限界まで節約しても3日が限度。
そして、それが二日前に発覚。
つまり、残り食料は枯渇しているかそれに近い。
そんな状態で昼食会なんて自殺行為であるのは言うまでも無いだろう。
「戻るか」
その見た事も無い形の針葉樹を蹴って跳ぶ。
重力が低い分、跳躍は常よりもかなり飛距離が出た。
身体の筋力が訛らないよう魔術で1G分の負荷が掛かるように呪文を毎日掛けているのだが、それにしても近頃は筋力もかなりの値で固定されている。
一蹴りで300m程を進めるのはチート能力あってこそだろう。
他の樹木の表皮に着地して更に跳躍。
ジグザグに移動しても3km以上の距離がものの一分程度。
反乱軍の小砦攻略部隊の陣地が見えてきたのでそのまま着地体勢に入る。
「っとと」
『?!!』
地面を削りつつ、土埃をあまり上げないよう到着したら、周辺を警護していた兵の数人が物凄い驚き様でビクッと反応し、ダラダラと汗を浮かべて敬礼してきた。
それに僅か手をヒラヒラさせて陣地の幕屋の一つへと入る。
すると、反乱軍の責任者二人がテーブルの上に広げられた羊皮紙と難しい顔で睨めっこしていた。
「どうしたんだ?」
「戻ったか」
「あちらの様子は?」
「ああ、暢気に昼食会してたぞ。結構、豪勢そうな料理が並んでて、料理人達と和気藹々な様子だった」
カイゼル髭が「それもそうだろうな」という顔で溜息を吐き。
兎殺しとか物騒な渾名の男が「ああ、そうだろうな」という顔で頭をボリボリと掻いた。
「何なんだ? 問題発生か?」
「ああ、その通りだ」
サカマツが羊皮紙を取って、こちらに差し出してくる。
内容を見てみると。
何やらおかしな事が書かれてあった。
「神殿の料理人と騎士団の混成師団が山賊退治にレッドアイ地方に派遣……魔術による高速行軍で今日の午後にも到着予定……料理人が戦闘? 何かの冗談か?」
こちらの反応に何やら顔を見合わせた二人の男が微妙な表情となる。
「この“世界”の常識とやらはまだまだ分からない事も多いらしい」
サカマツの言は最もだが、料理人が戦場に出向くという意味が今一理解出来ない。
太っちょの金持ちが戦いに有利な局面を齎すとしたら、物資面であって戦闘面ではないだろう。
「神殿の料理人は戦える人間なのか?」
「神殿の料理人はもれなく全て魔術師だ」
「ああ、そういう事か。というか、何で料理人が魔術を?」
「神殿では供物として神に捧げる料理は全て魔術が用いられる。また神殿に勤める者や神官はその神饌《しんせん》に準じた代物を食べる事を求められる。絶対の制約ではないが、基本的に神官の飲食は半分以上が神殿の料理人達の手で作られるのが常識だ」
「つまり、神様に出す食べ物に似たやつを神殿関係者へ食わせる為に料理人は魔術を使う連中ばかりだと」
「そういう事だ。このような国家の非常時に神殿は最後の拠り所として人々を守る義務を神々から課されている。また、戦争時には神官は中立を宣言し、己の信じる神に従ってどのような国家、組織、個人に対しても一定の仕事を行う権利と義務を負う」
何となく話が読めてきた。
「つまり、中央は反乱軍じゃなくて山賊として軍が出払ってる今、オレ達を神殿に刈らせようとしている、という事でいいのか?」
「そういう事だ。神殿に逆らうとなれば、神殿の科す神罰の対象となるだけではなく。各地のその系列の神殿や他の神殿からも排除され得る……」
「オレ達が反乱軍だなんてのは言わなくても、周知されてるだろうに。ウィンズ、アンタの事は喧伝させてたはずだが?」
その言葉にカイゼル髭が微妙に難しい顔をした。
「神殿は中立だが、時に戦乱の収めどころを探る場合などには国家に協力するのだ。今回の一件は中央からの差し金だろうが、こちらが本格的に立ち上がった事に対して、神殿も否定的な意見を持っている可能性は否定出来ない……少なくとも、これ以上国家を混乱させる事は出来ないという神殿上層部の意向は少なからずあるだろう」
つまり、本質的に問答無用の奥の手。
こちらが反乱軍ではなく。
反乱軍相当の組織。
まだ完全な政治的にあやふやな立場にある事を利用しても一撃という事なのだろう。
「分かった。つまり、お前らは動けないんだな?」
まだウィンズが立ち上がって二日だ。
それに初期対応してみせた中央の意思決定の早さは正に今戦争をしているからこそのものだろう。
普通ならこれで反乱軍“ごっこ”は御流れとなるレベルの話。
だが、それで終わらせられてはこちらも困る。
「兵達に神殿相手に戦えというのは無理筋だと理解してもらいたい。この地方にある神殿とて、我々の家のようなものなのだ……政治に対して中立ではあるが、国内の治安維持に関して権利を有する神殿から犯罪者相当と言われては彼らが元の家庭に戻る時、障害となる……」
サカマツがこちらを見た。
「我々難民と自警団は神殿ともある程度は対立している。だが、実際には救われているのも事実だ。此処で表立って切り捨てられた難民だと立ち上がれば、更に地方での難民の扱いは窮する事になるだろう……それは我々の利ではない」
大ピンチ。
ああ、これでこっちに来て1ヶ月近く準備してきた事もパーなるのか。
と、普通ならば諦めてしまうくらいには厳しい状況なのだろうが、そんなのは今更な話であり、最初から最後まで立っている人間がいるとすれば……それは自分である以上、言う事など決まっていた。
「じゃあ、お前らは憐れな犠牲者になってもらおうか」
「何?」
「どういう事だ?」
二人のおっさんを前に溜息一つ。
「オレがその料理人達を撃退してくる。お前らはこれから魔王に服従の魔術を掛けられた憐れな難民の自警団と憐れな辺境伯として反乱軍を組織させられているんだ!! という体で振舞ってくれ」
「「………」」
『この男、頭は大丈夫か?』という顔をした二人の額にちょっと汗が浮いているのは常識と非常識。
そのどちらも頭の天秤に乗っかっているからだろう。
「簡単だろ。戦う度に『我々は魔王に操られてるんです~』とそれっぽく演技すればいいだけだ。お前らの尊厳とか威厳とか倫理とか体裁とか諸々かなぐり捨てれば、いけるいける」
「「………」」
「言っただろ? 此処には神様相手に喧嘩を買いに来たって。こんなところで止まってられないんだ。一万人だろうが一億人だろうが神官だろうが何だろうが……オレの前に立つならぶっ潰す」
「「………」」
「まぁ、そう硬くなるな。ゴツくて汗の似合うアンタらが腹芸出来ないのは分かってる。だが、それっぽく振舞う程度くらい出来るだろ。どんな手段を用いてもやると決めたなら、恥じだの道徳だのは不必要な分くらい取っ払え。これから普通じゃどうにもならない状況を奇跡みたいに変えてやろうって言うんだ。オレの横に立つなら、それなりの代償をアンタらも支払ってくれなきゃな……」
額の汗が増える二人に到着場所の当りを付けて貰い。
周辺の地図を確認した後。
そのまま夜半には戻ると天幕に背を向ける。
「どうするつもりだ!? たった一人で何が出来る!!」
そのサカマツの声は焦っているようにも、あるいは諌めているようにも聞こえた。
「いい事を教えてやる。人間は万能でも全能でもないが、神や悪魔と成れるくらいには賢いぞ? その賢さが全てを滅ぼして余りある事をオレは知ってる」
「―――敵は恐らく辺境伯軍を相手に出来るようこの国中の神殿から集められた精鋭だ!! それも複数の神殿が関わっているとの話しだぞ!? 如何に非戦闘員とはいえ、魔術師が万単位となれば、国軍すら喉から手が出る程に欲しい戦力のはず!! 貴様の言う賢さとやらでそれを打ち払う事など出来ると思うのか!?」
「なら、オレは神殿とやらが語る魔王様だ。いいからお前らは今夜中に砦を落としておいてくれ。明日の朝から神殿連中の収容を現地の神官共にやらせる準備も一緒に頼む。これは冗談でも夢でもない。単なる協力者であるオレからの進言だ……それと兵隊連中にやらせてる訓練もしっかり頼むぞ? 何だその顔? 信じられないなら、何処かで覗き見でもしてるといい。生憎と名前も知らない自分の利益にもならない邪魔してくる他人の常識を斟酌してやれるような余裕は無いんだ」
幕屋を後にして跳ぶ。
この程度の事で躓いていられはしない。
時間は刻一刻と迫っている。
例え、世界を敵に回そうが、やらねばならない事がある。
それは少なくとも見知らぬ異世界ファンタジーの常識を前に立ち往生する事ではないのだ。
【……行ったか。兎殺しのサカマツがまさか魔王の手先とは世の荒廃も此処までくれば、笑い話か】
【フン……甲羅割りのウィンズが敵を前にして止まっているのなら、天海が落ちてくるのもそう遠くない】
【【……問いたい】】
【何だ?】
【そちらこそ何だ?】
【……鋼の肌持つ月亀の戦士、中でも一騎当千と謳われた貴様が何故あの高々粋がる子供のような男に付き従う?】
【従っていると見えるとは、戦略家と名高い男の頭脳もそろそろ引退と見える】
【何故だ?】
【……あの男が我々の命を救ったからだ】
【何?】
【此処まで言われるままに連れて来られたが、此処にいるのは精々300……自警団の4分の1に過ぎない……後の残りは今何をしていると思う?】
【……中央に止められていなければ、貴様が自警団のトップだろうと難民は受け入れていた……少なくとも餓えさせない程度の人数ならば、何とかしてやりたかった………】
【傲慢だな。だが、その言葉、嬉しく思う………】
【フン、赤子や子供に何の罪があろうか……あの男は難民を救ったと。そう、言うのか?】
【奴が居なければ、麒麟国へと向かう者達の半数が一週間以内に10分の1以上、天に帰っていただろう。これは紛れもない事実だ】
【それ程の食料支援を?】
【魔術で増やしたそうだ……】
【ははは……冗談、ではないのだろうな……】
【ああ、冗談で済んだなら、我々の多くは家族共々天に旅立つ事を決めただろう……】
【奴は本当に神殿の語る、伝説が語る、魔王なのか?】
【分からぬさ。だが、分からぬとしても、奴は顕れた。神々に喧嘩を売られたからと嘯いて】
【ならば、賭けるか? 我々の常識とやらが奴に通用するかどうか】
【賭けに為らないのにか?】
【何故、そう思う? 神殿の料理人を5人も前にすれば、兎殺しのサカマツとて覚悟を決める。甲羅割りの老体とて、同様に違いない】
【フン。その耳が耄碌していないのならば、聞こえていただろう】
【………】
【奴は跳ぶ寸前に言っていたな。明日の朝食でも買ってくるかと。これから死にに行く男が明日の朝食を気にするとは何ともおかしな話だ】
【……そう言えば、“耳無し”が世の戦乱を救う話も神殿の説話にはあったか……無名なる神より“蒼き瞳”を受け継ぎし幼子、世の理を変えて、魔の軍勢を虚空に返さん……乳母の戯言と幼い時分は思ったものだが、そうではないのかもしれぬな】
【されど、幼子命尽きて“灰の月”に消えん。世の神々、重ねたる縁の果てに再生の時を待たん、か……“耳無し”だろうと何だろうと構わない。奴は“本物”だ……魔王かどうかなど関係無い……我々の家族を救えるなら、その代償が例え神の相手だろうと、覚悟するだけだ】
【それが先程奴にそんな事出来るものかという顔をしていた男の言う事か?】
【あの男の背中には確かに背負うモノがある。それだけは分かる……奴はやると言ったら、己の全てを掛けてもやるだろう。そう思っただけだ……】
【ワシはこれから街の神殿に出向いてくる。そちらは砦を落としておけ。まぁ、余裕綽々で降伏してくれようがな】
【フン。戦にも為らぬと己の自己保身に拘泥し、敵の未来の敗北に愉悦する俗物か……斯様な輩を同輩に持ったその不幸、心底に同情する】
【抜かせ。皇国の荒廃は既に決した。だが、地べたを這っても進む者はいる。民はまだ生きている。いや、生き残らせる事こそをワシは望もう……それが神殿に剣を向け、畏れ多くも皇帝陛下に弓引く結果であろうとも、な】
飛ばして街でクソマズに違いない雑穀を押し固めた固形食を買って数分後。
蒼き空から降る日差しの中、レッドアイと他地方を隔てる山岳の街道沿いが樹木から樹木への跳躍しながらの移動で見えてくる。
どうやら先行している部隊が幾らかいるらしい。
まだ本隊は見えないが、それにしても重装備らしい白っぽい全身鎧《フルプレート》に何故か色彩豊かなエプロンを付けたフルフェイス兜の連中が煮炊きの煙を上げていた。
目標は5km先。
そう時間も掛からず到達するだろう。
やる事は決まった。
まずは下拵えが肝要。
「リュティさんの教えは守らなきゃな」
いつだって物事に必要なのは綿密な計算と事前の準備なのだ。