ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
二十一世紀。
クラウドという言葉は言わば、情報をやり取りする設備やシステム、または蓄積されたデータ。
そのような情報資産の共有という形で解釈された。
ビッグデータと呼ばれる大量の情報化社会内部で生み出される情報処理上の産物が意味を持つようになるのは高度な情報活用が人の生活と密接に関わり、メタ的な側面として理解され、より良い消費活動への足掛かりとされたからだ。
まぁ、端的に言えば、企業という生産者と民間の消費者の間にこれらの巨大な情報の塊が介在し、それを理解する事が商品のマーケティングに広く活用された、という話だ。
無論、単なる生活だけに留まらず。
これらの“共有資産”は複数の活用元で其々の業態によって処理されて、其々の分野で大きな役割を担うようになった。
しかし、此処で幾つかの企業や産業がビッグデータに不満を持つようになる。
何が問題だったのか?
単純に言えば、実社会の情報としてビッグデータですら不完全。
つまり、もっと確度が高く多用で処理し易い情報が必要とされたのだ。
これらは技術の進歩で改善された。
検知機器の発達や技術の更新による情報解析能力の上昇。
また、情報処理に携わる人的資源の質の向上やプログラミング精度の向上。
今まで処理出来なかった情報が多様な形で処理出来るようになったのは高キュービット量子コンピューターの発展、量子ゲートや量子プログラミング言語の開発が関わっている。
そのような情報の価値が上がる時代。
最もビッグデータとして人類が重要だと判断したものは何か?
それは軍事に纏わる出来事だ。
日米における量子コンピューターの開発競争や共同制作が事実上の二ヶ国での高度なビッグデータの共有……つまり、クラウド的な資産として軍事同盟の根幹を成した時。
彼らに起きたのは表面的には平和的な経済主体の奪い合いであったが、内実的には自国企業体や財閥による強固な国際地位の固定化と軍事的な安定であった。
軍事とは政治の一部だ。
そして、政治とは経済と切れない関係だ。
この軍政経という三要素がビッグデータ処理に携わるクラウド情報の多元的な共有を行う事で多大な安定を得た時、其処に忌み子のように顕れたのが【深雲《ディープ・クラウド》】だったらしい。
それは単なる世界最高の研究者達が生み出した究極の情報処理システム。
実際に当時の国家規模の組織が持つどんなスパコンよりも優れていた事が確認されている。
その処理出来るデータ量は当時の地球上に存在する電子機器が1日に吐き出す量を優に超え、処理速度が意図的に落とされなければ、どんなサーバーも情報を受け止め切れなかったとされる。
この人類時代の終焉。
その最初期に生み出された悪魔の箱はシステム的には世界各地に増設と埋設が繰り返され、数百年もの間……地球上のほぼ全ての情報を集積しデータ化した。
その独特な情報管理用システムの中核機材は実環境にも見える形で影響を及ぼし。
人々はあらゆる地表、深海、航空で紅の燐光を見たという。
それは空間の場を変異させる事で起こる波の変化。
波長が急激に変動したせいで人間の目に見えるようになった“サーバー自体の姿”だったようだ。
処理した情報の入出力の大きい地域では正しくオーロラのように広がっていたという。
これが大戦初期に人類が体験した時代。
“大紅暦《ルージュ・センチュリー》”である。
その後、暗黒時代に突入していく彼らがやがてその世界の事実を忘れ去っていき。
大戦末期ついに開発された“万物の理論”が猛威を奮った結果。
人類には甚大な被害が出た。
エネルギー供給はもはや無尽蔵。
彼らの勝敗を分けたのは兵器の製造ライン数の差と注ぎ込まれる兵員の差であった。
戦術も戦略も兵器の質も最終的には【超重物量戦《オール・バレル・ウォー》】と呼ばれる超々規模消耗戦の前にはほぼ誤差の範囲で意味を為さず。
極大の軍事衝突は惑星環境……つまり地軸の変動や地殻の大規模破壊、地表に存在する大気層を吹き飛ばさない程度に収まるよう両陣営共に気を使っていたのだとか。
この数週間で【統合】と“天海の階箸”のデータベースを漁った結果を見れば、規模が拡大し続けた【深雲《ディープ・クラウド》】が最終的には人々の勝利への渇望を前に存在すら霞んでいったのが手に取るように分かる。
要はもはや委員会や国家共同体にとって【深雲《ディープ・クラウド》】はどちらにとっても重要なシステムではあったが、戦争の道具としてメインで気にするようなものでは無くなっていたのだ。
委員会の最後の世代になる頃にはほぼ使い方が分かるだけのブラックボックス。
国家共同体側も自分達が一部タダ乗りして情報処理システムとして使っていたので壊そうにも壊せず、便利に使っていた社会インフラに近かったらしい。
彼らが最後に飛び付いたのは互いを惑星の消滅無しに滅ぼし得る兵器群。
それの制御システム程度として、また“万物の理論”を下敷きに製造されたエネルギー供給プラントのメインフレームとして正しくクラウド的にソレは活用された。
ヒルコが検索し、掘り起こした情報を信じるならば、月と地球にある両陣営の施設は戦後すぐに月は分派した委員会派が、地球のものは空飛ぶ麺類教団が引き継いだようだ。
その後の情報はほぼ無いが、報告書を見る限り、麺類教団は国家共同体側のプラントに付いて能力の大半を上手く制御出来ず。
ある程度の力の一端を自分達の技術力の維持と人類の復興資源の一つと位置付け運用。
場所は未だ最高機密として教団の最上層人員にしか知らされていないらしい。
彼らが何故人類規模の団体として今まで君臨出来たのか。
また、他の旧世界者との間に軋轢を持ちながらも此処まで常に抜きん出て一番前を走り続けてこられたのか。
その最大の理由こそ報告書の内容に違いなかった。
(大戦早期から作戦草案は超高度AIにほぼ委任……AIの機能は人格拡張テンプレート機能の開発により飛躍。元々最初期の委員会人材が使っていた人格収集保存用のストレージデータを組み込んだ代物を基礎にして数パターンを作成。これらを使ったデバイスとしてのアンドロイド。ガイノイドに類する人型機械の勃興……お約束の人体を機械に置き換える延命措置も一般化。有機物を使った回路もまぁまぁ普及)
200頁超に及ぶ多岐の大戦の内情はさすが要点が抜き出されているだけあって、分かり易かった。
(ヒルコはこの系統なのか……合理的とは言えない人間の脳を素材にした機械の思考中枢を作成したのは国家共同体側ってのは……まぁ、魂の問題だったんだろうな。この情報を見る限り、人間を素材にしたAIが取り分け優秀なわけじゃなかった。だが、死者への愛着、伝説的人物や偉人への社会の依存を上げる事で死んだ後も長く個人の影響を士気や団結力に反映させたわけか。物に魂が宿る……正しく日本人の思考だな)
SFというよりサイバーパンクっぽいが、それでも機械の全能化へと至るシンギュラリティーの信奉者達に反比例するように高まった人類の精神論的な統制は何処か英雄譚や御伽噺的だった。
叙情的《リリカル》というか。
人間だからこそ、人間のパフォーマンスを上げる最良の手法を精神性に求め。
その力は機械に劣っても不屈という点では委員会に勝るようにも思えた。
(……相手は感情を覚えない殺人ドローン。こちらは魂が宿ったと吹聴された人型機械。フィクション並みにフィクションしてる不合理が実際手加減されてマッチポンプの材料にされてた国家共同体側を最後の最後まで戦い抜かせた……折れなかっただけ凄まじいと評するべきか。その方向性を途中で変えてた方が死人少なかったんじゃないかと呆れるべきか)
もう一人の自分の傍に付き従っていた双子のような軍人達もまたその系統なのかもしれないとふと思い付くも確証は無いかと再び報告書へ視線を戻す。
(次の項目はええと……大戦終了後の混乱期に付いてか)
内容を幾らか眺める。
(戦後混乱期の土地収用問題……生存権の確立の為に今度は国家共同体同士での内乱……バラバラになった国家の中には軍が傍観を決め込んで、軍管理下から離れた連中には中立・不干渉とする条約を結んだところもあるわけだな)
今までこの世界で疑問に思っていた事が一つ氷解する。
(つーか、こんなところにごはんとパンのいがみ合いの歴史の原因が判明するのかよ。旧日本列島の奪い合い……負けた日本の奴らは北に、勝った米国とEUの主流ドイツ系とラテン系の奴らが中部に、アジアでもインド系と黒人系は南部へ……そこへ“双極の櫃”内部の人員が混ざって混沌の坩堝……これがそのまま麺類教団の持ち込んだ耐性食材の問題と複合して今に続いてる、と……水と油なわけだ……)
今日の友も明日の敵。
世界は大きな敵を失って、戦国乱世に逆戻りだったようだ。
「ふぅ」
精神的に疲れたので一端読むのを止める。
何も無い殺風景な天井を見上げながら、月での行動基準を思考する。
相手がどんな連中かは知らないが、少なくとも想定は最悪からしておくべきだと思えた。
(万物の理論……科学の究極……魔法……それが世界の中心なら、何処かで母さんの手が介在している余地があるはずだ……まずはマスターマシンのメインフレームへ繋がる場所の確保が最優先目標……そこから敵の狙いを探って、あいつらの居場所の特定と同時に並行作業で帰還する為の具体案の練り直し……やる事はまだまだ積み上がるな)
更に報告書に目を通そうと伸びをした時。
『婿殿。月面が見えてきたぞよ。50分後に月の裏側へと入る。映像解析結果を反映して調査工程を煮詰めたい。操縦席の方へ』
「ああ、分かった。ショウヤは?」
『うむ。婿殿の薬を打っておるからそれ程筋力とれーにんぐはせずとも良いと言ったのじゃが、身体が鈍るからとまだ走っておる』
「分かった。そっとしとけ。詳細が決まったら教える方向で」
『了解じゃ。それと月面に近付いたおかげで更に詳細な解析データが作れたのじゃが、月面下の地下都市はどうやら色合いや形から推測するに建材などは樹木やレンガばかりのようじゃ。ぶっちゃけ、公国や他の後進国と同レベルっぽいぞよ』
「……超技術の塊なんぞ、使う奴が居なけりゃタダの訳分からん代物って事なんだろう。で、出入り口らしき場所の推測は出来たのか?」
『うむ。今のところ表側に八十四箇所程当りを付けておる。くれーたー周辺が多いかのう』
「降下地点の選定は慎重にしなきゃな。レーザーや対空防御陣地みたいなのの近くに行って撃ち落とされるのはごめんだ」
『その時はどうせ蒸発じゃ♪ 気にせずとも婿殿とて真空の海では助かるまいよ』
軽い冗談では済まない話に苦笑も出来なかった。
「だといいが……今、行く」
今日か明日中の着陸はほぼ確定。
此処からが本番だと気を引き締める。
目前に迫る敵地を前に思わず握った拳は白く。
指には全員分の指輪《あかし》が耀いていた。