ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第189話「異説~狐の国にて~」

「ぅ………?」

 

 砕けていく。

 世界の全てが砕けていく。

 何もかもが消え去っていく。

 そう、それは死という名の安息。

 いつか自分が知ったはずの終り。

 

 けれども、そう感じていたはずの身体に今はただ温もりだけがあって。

 

 起き上がれば、其処は寝台の上。

 褐色の薄明かりが照らす木製の室内。

 

 大きな丸太で組まれたらしき壁には錆び付いた鎖から伸びるランタンが一つ。

 

「此処は……」

 

 ぼんやりと眺めやれば、其処が上等というには少し粗末な薄い毛布の上だと理解出来た。

 

 寝台は鉄材に丈夫な布を合わせたものらしく。

 

 頭部を受け止める何か細かい木の実でも詰めたような枕が無ければ、寝違えていたかもしれない。

 

 壁際には何も無い。

 だが、不意に左側を見上げれば、窓。

 夜か。

 あるいは明ける前の朝か。

 

 薄暗がりと何処までも続く森が幻想的な程に現実感も無く広漠として在った。

 

 何とか起き出して、身体を確める。

 

 まだ節々は強張っていたが、無理矢理に伸ばせば……いける。

 

 窓とは反対側にある扉は内側からでも開きそうな普通の長方形型。

 

 ドアノブも付いている。

 

(宇宙葬されたと思ったら、ログハウスの寝台に寝かされていた。何を言ってるか分からねぇというのが正直な感想だが、あいつら何処に―――)

 

 脳裏にフラッシュバックする二つの頭部。

 

「……またやり直し……お前らだって死なないとしても首だけは嫌だろうに……」

 

 どうやって大気圏内に戻り、突入し、超高空からの落下に耐えたのか分からないが……恐らくごパンの国で幸せになっているだろう自分よりは肉体性能は下のはず。

 

 それでもまだ身体のだるさ程度で済んでいるという事実を考えれば、自分を救った誰かがいる、と考えるのが妥当だろう。

 

(仇と言っていいのか分からないが、借りは必ず返してやる……まずは装備の確認と合流の手筈を……)

 

 ヨタヨタしながら扉を開き。

 暗い通路の一本道を歩く。

 どうやら二階らしい。

 突き当たりにある壁の左下方から明かりが漏れていた。

 静かに足音を殺しながら歩き。

 其処まで辿り着いた時だった。

 

『お父さん止めてぇ!?』

 

 そう声が聞こえた。

 

『離せッ!! もはや殺すしかないんだ!!』

 

『そんなの酷いよ!? あんまりだよ!? あの子、何も悪い事してないじゃない!!?』

 

『お前は“耳無し”の子供を匿ったんだぞ!? この場所でッ!! 分かっているのか!? この穀潰しめ!!? お前さえいなければ、誰が好んでこんな場所にッ!? このッ、このッ!!?』

 

『いた?! 痛いッ!? 痛いよ!? 止めてぇ!?』

 

『もう限界だッ!? クソッ!? お前さえ!? お前さえいなければッ!? オレはまだ月猫でッ!?』

 

『いた、いたいよぉ!? 止めてよぉ!? お父さん!?』

 

『はは、は……誰が父親だッ!? あの方の頼みでなければ、お前みたいな屑を誰が好き好んでッ!!? お前はッ、お前はなぁ!! 呪われた血統なのだ!! 灰の月ッ、深遠なる者!! 呪われた()()()()()めッ!!』

 

『―――ッ?!』

 

『ああ、そうだ。最初からこうしていれば良かったんだ……あの方には病気で死んだと言っておこう。ああ、ああ、そうするのがいい。そうするべきだろう。だって、なぁ? こんなッ、こんな場所に私がいるのはおかしいんだぁあああああああああああああ!!!』

 

『きゃあぁあああああああああああああああ!!!?』

 

 ダガンッ。

 

 壁に立て掛けてあった手斧の柄で後頭部を殴り付ければ、何やら猫耳な40台程の男が倒れ込む。

 

 身体はようやく自由に動いた。

 自己認識は明瞭。

 相手は衣服からして、第3世界。

 少なくとも先進国の輩ではない。

 

「あ、あなた、目を覚ましたの?!」

 

 暖炉の前。

 

 倒れ込んだ男を前にして短剣を左腕に刺されたらしい少女が驚きのあまりに目を見開いていた。

 

「傷を見せろ。動脈が傷付いてる可能性がある。痛いかもしれないが、まだ抜くなよ」

 

 即座に駆け寄って、あの女に追い詰められた時の格好のままに片膝を折る。

 

「―――あ、ッッッ!?!!」

 

 少女が倒れ込んだ。

 暗がりの中。

 陰影を刻んだ顔は長髪に隠れ見えない。

 

 どうやら、ようやくアドレナリンの効果で忘れられていた痛みが襲ってきたらしい。

 

 姿は粗末な色褪せた花柄のパッチワークだらけな厚手生地のドレスタイプ。

 

 袖には血が染みていたが、仕方なしかと袖の中に仕込んでいたナイフで肩の部分を切る。

 

「悪いが、緊急時だ。服、切らせてもらうぞ。これでも医療の心得がある。死にたくなかったら、我慢しろ……結構深く刺さってるな。だが……この刃の形状なら太い血管までは……それに刃が骨に食い込んでるようだ……運が良かったな。今から抜くが、服の切れ端を噛んで歯を食い縛れ。3、2、1で抜くからな」

 

 フゥフゥと声を堪えるようにして少女が震えた片手で何とか唇に裂いた肩の布地を加える。

 

「行くぞ。3、2―――」

 

 痛みに耐えようとしては更に意識されて血圧だの何だのが上昇しまくりなのでカウントの途中で一瞬で抜き取る。

 

「―――ッッッ!!?!」

 

 それと同時に懐から止血用のスプレーを取り出して吹き付ける。

 

 止血剤と抗生物質。

 

 そして、生体に馴染む有機繊維の混じったソレは一つで包帯と薬を使って止血まで行うのと同じ効果を齎してくれる。

 

「傷口は今塞いだ。治れば瘡蓋程度だろう。痛み止めの効果もあるから、数分で激痛も引くはずだ。大きく息を吸って吐け。繰り返している内に痛みも麻痺してくる」

 

 フゥフゥと洗い息を吐きながらも何とか平静を取り戻すまで数分。

 

 ようやく激痛が治まってきたか。

 弱々しい声が小さく響く。

 

「目が覚めたんだ……良かった……」

 

「オレを殺そうとしてたとはいえ。父親らしい男を殴り殺したんだ。無理する必要ないぞ」

 

「……そっか……お父さん……」

 

「さっき柄で殴ったのは血飛沫を避ける為だ。後頭部の延髄を砕いた……色々と複雑らしいが、オレを助けた事は……運が悪かったと諦めてくれ」

 

「は、はは……でも、お父さん……私を殺そうと……お父さんじゃないって……私……」

 

 物凄く混乱しているようだが、少女の肩には刃だけではない青痣が複数あり、日常的に暴力を振るわれていたことは確かだろう。

 

「オレもお前も色々とあるだろうが、まずは自己紹介から始めようか。こんな時で何だが、オレにも事情がある。混乱してるところ悪いが、話は進めさせてもらうぞ。オレはエニシ。カシゲ・エニシだ」

 

「……エミ」

「何?」

 

「……エミってお父さんは……()()()人は……私を……」

 

「良い名前だ」

「ありが、とう……もう起きられる、から……」

 

 未だ長髪に顔が隠れた少女がヨタヨタとしながらも無事な腕で身を起こして立ち上がり、暖炉の前で事切れている父親だった相手の傍へと座り込む。

 

「お父さん……この人はいつも私を穀潰しだって蹴って殴って……でも、たった一人の家族で……」

 

「そうか」

 

「……でも、良かったのかもしれない。もう、この場所で苦しまずに済むんだから」

 

「この場所?」

 

 遺骸を見つめる少女は静かに告げる。

 

「此処はこの世の終り。“昇華の地”より離れた最果て……影域の最底辺……劫天《ごうてん》の狐国……」

 

(どうやらSF世界で頑張ってたら、ファンタジー世界に再転生してしまったようだ、とか……何処のラノベだ!! そもそも初っ端から状況がもう……溜息すら吐くのが辛い……)

 

 今までの自分が積み上げてきたものが、まるで関係無いというか。

 

 役に立たなそうな設定の世界観である事だけは確かだろう。

 

「耳無しの方……助けてくれて……ありがとう……」

「礼は止めてくれ。オレは自分を守っただけだ」

「……はい」

 

「それで耳無しってのは何の事だ? そこの男とかお前の頭とかに付いてる猫耳と関係あるのか?」

 

「え……?」

 

 何やら驚かれたらしい。

 相手が思わず固まっていた。

 

「まさか、記憶を?」

 

「いや、というか。記憶以前に此処の地名をまるで聞いた事が無い」

 

「そっか……大丈夫、だから……」

 

 優しく微笑まれ。

 

 いや、痛々しいにも程がある人間に向けるような口元の歪みから、何となく自分が可哀想な人と思われているのを察するしかなかった。

 

「もう、此処には居られない。だから、一緒に逃げればいいと思う」

 

「一緒に?」

 

「……此処は耳無しには厳しいから……だから……もう私もきっと……見付かったら殺されると思う」

 

「とりあえず、人殺しとして捕まったらオレも殺されると思うか?」

 

 頷きが返される。

 

「分かった。じゃあ、詳しく訊くのは後にしよう。仕度を……オレがする。逃げるのに必要な旅支度だけ教えてくれ。お前の言う通りにやろう。エミ、でいいか?」

 

「うん。じゃあ、私もエニシって」

 

「了解だ。それと髪で前が見えないと危ない。後で束ねてやる。紐類は持ち合わせがあるからな。後を向いてくれ」

 

「え……わ、分かった……」

 

 髪を後ろに持ってきて、カーボン製の黒紐で長髪を結わえてポニーテールにする。

 

「これで良し。じゃあ、さっそ―――ッ」

 

 振り向いた少女の顔がようやく見えた。

 そして、ああと思う。

 

 まだ、自分はきっとこの世界の呪い染みた過去から逃れられない定めにあるんだろうと。

 

「……母さん」

「え?」

 

 エミと呼ばれた少女は……彼女は……確かに似ていた。

 

 それは“天海の階箸”で見た少女時代の母親の姿に瓜二つ。

 

「どうやら、まだオレは現実に生きてるらしい」

「?」

 

「何でもない。エミ……悪いが此処からは共犯者だ。オレがお前を守ってやる。だから、お前はオレにこの国やこの地域やこの世界の事を教えてくれ」

 

「う、うん……」

 

「それとオレを痛い人というか。可哀想な人を見るような視線で見つめるのは止めてくれ」

 

「あぅ……ご、ごめん。嫌だったよね。頭が可哀想でもそういうのは分かる、よね……」

 

 罰が悪そうに視線が逸らされた。

 どうやら少女は天然らしい。

 

 グサグサと胸に突き刺さりまくりな言葉の数々に内心で涙を呑み込んでおく。

 

 超未来SFで人類統一国家建設とかいう中二病を再発して久しいが、さすがに面と向かって痛い奴扱いされると精神的に来るものがあった。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 軽く男の死体に両手を合わせておく。

 死ねば仏。

 

 それが例え悪人だろうが善人だろうが、そう思うのは日本人というのが海外育ちにしても身に付いているからなのか。

 

「それは……」

 

「ちょっとしたお呪いだ。殺しておいて何だが、故人の冥福くらいは祈るさ」

 

「わ、私も……」

 

 真似した少女もまた見様見真似で手を合わせる。

 

 そして、奇奇怪怪なるファンタジー世界の扉は20分後に開かれた。

 

 薄暗がりの明けぬ夜が支配する世界。

 森の奥。

 最果ての岩壁も近い水辺の畔。

 此処から物語は始る。

 筏《いかだ》を一つ川の中州で奪っての逃避行。

 

 目指すは国内からの脱出と陽の光が世界を照らすと言われる世界の中心。

 

 残っている装備は心元無いナイフと拳銃と弾倉が9つ。

 

 それとサバイバルキットを内蔵する多用途の外套が一つ切り。

 

「そういや、一つ訊きたい。オレを何処で拾った?」

 

 水の流れに揺らされて、人が歩くよりは速く進む丸太の上で、訊ねれば、答えはこう返された。

 

「空から()()の光を湛えて落ちてきたんだけど……覚えてないの?」

 

(空から女の子が、ならぬ、男の子が、か……)

 

 どうやら魔法と科学が紙一重なようにSFとファンタジーも紙一重らしかった。


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