ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第205話「シ者来迎」

 

 月猫連合国は“昇華の地”でも比較的痩せた高原地帯が多い山岳部マシマシな地域として実は商業という要素を除けば、地政学的には裕福と言えない。

 

 影域として接している国家が数か国。

 東西に走る山間の渓谷と大河川。

 

 それらが山の肥沃な土と水を運ぶ平原を形成するのは他国との国境地帯を少し過ぎた先からなので事実上、産品らしいものは山の幸と首都の塔から算出される魚介類のみである。

 

 これでも影域よりはマシなわけだが、他国が肥沃な穀倉地帯や技術や政治に長けている為、本来目立たないはずの国家となる宿命だった。

 

 そんな歴史がIFとなった最たる理由はその不便さと己の国土を熟知した商売の仕方が浸透した頃からだと言われる。

 

 肥沃な土地は持っていなくても、その水源は彼らが得ていた。

 

 また、山岳部に街や村が設けられ発展していた経緯から、種族的な特徴も相まって行商人が食べる為の仕事として持て囃された事で体力的に山育ちな頭の切れる商人が数多く育成され、その資本は長く蓄積されてきた。

 

 技術の発達と共に河川を使った水運とあらゆる場所へ荷物を届ける事が可能な商隊が発足し、商会は様々な土地、様々な国家に出店。

 

 逸早く物流の力に気付いた彼らとインフラの整備を国家的な事業として推進していた月狗邦が数百年以上前に手を組んだ事で“昇華の地”で彼らは確固としたアイデンティティーを確立したのだ。

 

 首都シュレディングは国の山と僅かな平地の境。

 ギリギリ治水が可能な地域に置かれた巨大都市圏だ。

 

 そこから伸びる街道は他国の主要商業ルートへの直接的なアクセスを担い。

 

 あらゆる物資がそこを通る。

 

 山間からは整備された川を下って魔術が使用された船が引っ切り無しに到着し、平地では馬車が行き交い。

 

 希少品を運ぶ時にはこの世界でも珍しい空輸がドラゴンや巨大な鳥類を使って行われる。

 

 朝食を食べた後。

 

 その中世のロンドンとかフランスとか、絵画に掛かれた欧州の下町という風情の石畳の街並みを行く事35分。

 

 誰かと一緒にいると余計な被害が出たりするかもしれないからと単独でタカ派の首魁と目される相手の邸宅に赴いていた。

 

(やっぱり、この都市広いな……)

 

 最初は徒歩で、次は停車場から馬車で移動し、決して乗り心地が良いとは言えない車体の中から景色を眺めて十分、都市の中央部で下車。

 

 それ以降は街道沿いの最も込み合う大通りを露店から商店からあらゆる店が並ぶ一帯を通り抜け、巨大な人理の塔を遠目にしつつ、高級住宅街の中でも貴族階級の邸宅が立ち並ぶ区域へと進んだ。

 

 これで坂を昇り、白塗りな壁が多い道をプラプラして辿り着いたのは複数の馬車が絶えず出入りする操車場のような全方位に私道を広げた巨大倉庫の傍。

 

 ひっそり目な外見の小邸宅。

 何よりも目を引くのは二階が無く。

 平屋である事だろうか。

 

 日本の邸宅というよりはこじんまりとした感じで黒い猫耳マークの入った白壁と瓦の三角屋根が特徴的だ。

 

 其処の手前で正門に入るまでも無く銃口が無数こちらへ向けられていた。

 

(実際に運ばれてるのは何も単なる合法の品ばかりじゃない、わけか……)

 

 後ろの倉庫屋根上からは10人。

 左右の数十m離れた邸宅の二階や屋根に20人。

 真正面の邸宅の壁の内側に刃物を持ったのが50人。

 

 しかし、蔦のレリーフが彫り込まれた青銅らしき色合いの門の前には誰も立っておらず。

 

 左右に魔術で閉ざされていた門が開けていく。

 

 今のところ、この世界では珍しいはずの重火器がライフルと拳銃含めて数十挺以上用意されているのも驚きだが、この間月兎を落とす時に使ったアサルトライフルまでも用意されていたのには頬を掻くしかなかった。

 

 ちゃんと土塊に戻しておいたのだが、どうやら何挺かは流出していたらしい。

 

 まぁ、それを量産する為の技術と技術者、冶金学の基礎などは月亀くらいしか揃えられないので魔術でコピーするしかないのだが、それもまた高位の術者が一月で数十挺程度が限度だ。

 

 例え、量産されてもいいように複製時に流出した際の対処方法は決めておいたので問題は無いのだが……また自分を出し抜く相手が出てきたかと気を引き締める。

 

「ええと、オリヴィエラ・チェシャさんはご在宅かな?」

 

 そう訊ねると。

 

 スゥッと邸宅の玄関が内向きに開いて、静々と蒼黒いスーツ姿の50代くらいの初老の女性が、そのヒコヒコする猫耳を付けて出てくる。

 

 小柄で眼鏡を掛けており、瞳からは理知的な光が感じられた。

 

 ショートボブの白髪は小さな猫のシルエットの髪飾りで後ろに団子状で纏めらており、品の良さそうな老婦人と言ったところか。

 

 表情はフラットよりは少し伺うような、見定めるような視線かもしれない。

 

 この低重力下では珍しい自分よりも背が低い相手。

 オリヴィエラ・チェシャは月猫のタカ派。

 その中でも首魁に近しいと目される人物だ。

 

 女だてらに様々な大臣を歴任し、首相に指名された事もあるが、これを辞意。

 

 常に表には出てこない重鎮。

 

 影の支配者という言葉がぴったりな彼女は現在、政治の世界から一歩身を引いており、その権力基盤は彼女の息子に引き継がれているという。

 

 だが、潜在的な権力構造は何も変わらず。

 

 今回のタカ派の邪神竜による襲撃も知らないわけがないという意見ではハト派の連中も一致するらしい。

 

「初めまして。カシゲ・エニシ君。君の事を歓迎しよう」

 

 何処か見た目とは違い。

 男のような抑揚で喋る相手。

 

 そう、まるで少年のような、老年のような、好奇心の混ざった声。

 

 その場違いさ。

 いや、違和感に目を細めた時。

 

 周囲に集っていた視線と銃口が一斉に下げられ、四方へと散っていく。

 

「……()()()()()?」

「おや? 僕に会いに来たんだろう? 魔王様」

 

「タカ派のチェシャさんは元々そういう喋り方なのか? 性別的なパーソナリティー自体が逆ってだけならいいんだが、オレの勘はこう言ってる。()()()()()()の同類だと」

 

「こっちとはどっちか聞いても?」

「少なくともファンタジー世界の住人には思えない」

 

「あははは、想像力豊かなのはいいが……間違っていたら恥ずかしいな」

 

 クツクツと笑む女の顔が老婦人というよりは若い男のようにあからさまな遠慮のない口角で歪む。

 

「確信した。今一度訊ねよう。貴様は誰だ?」

 

「今はチェシャ何某さんだよ。それは本当だ。数日前までそう育ち、そう生き、そう望んで、そういう人格ではあった」

 

「なら、今は?」

 

 そこでようやくオリヴィエラが邸宅の中に入り、片手を折り曲げて中に促す。

 

 仕方なくそれに従った。

 

 此処には話し合いに来たのであって、相手の正体は二の次だ。

 

 導かれるままに奥のリビングに行けば、今入れたばかりにも見えて湯気を上げる紅茶……少なくともこの世界では珍しい程に……否、過去でも中々お目に掛かれないような高い茶葉らしき薫りが鼻を擽った。

 

 ソファーに座ったチェシャの対面へと座る。

 低いテーブルを挟んで横に花園が見える大窓。

 

 紅茶横のカートには幾つもこの世界では存在していないはずの菓子類の……懐かしいとも思える匂いが漂っている。

 

 一口含んだ後、笑みを深くした相手がこちらに瞳を向ける。

 

「西暦2433年のインド。ドアーズの最高級品だ。是非、愉しんでいってくれ」

 

「………西暦時代の人間か?」

 

「はは、西暦時代、か……うん。君は中々に分かってる。ああ、あのギュレン・ユークリッドが興味を持つのも当然だ」

 

「その言い草……神格の類じゃないのか? お前は……」

 

「生憎と違う。それと話を戻すと。今も西暦と言えば、西暦だ……随分と長い年月、使われていないというだけでその時代からのカウントを続けるタイマーは存在するからね。地球上で使われなくなった暦なんて幾らでもあるが、さすがに全ての元凶たる時代の事を忘れ去るというのも人類には出来なかったんだ」

 

 ギュレンが狂人と称していいのなら、目の前の相手は油断ならない大人……その会話の内容だけで推測すれば、現在この世界にいる自分の次くらいに旧い存在か。

 

 確かめる術は恐らく己の記憶だけだろう。

 

「人格情報を記録するストレージなんてこの数万年内に出来た技術じゃないのか?」

 

「あれは元々が委員会の最初期メンバーがオリジナルを造った代物だ。それがブレイクスルーである程度の人数に行き渡る程に安価になったのは確かに君の言う時代の事だが、それ以前にもそういうのはあった」

 

「魔術、量子転写技術《クゥオンタム・トランスファー・テクノロジー》も無い時代の茶葉をどうやって保存した? あの当時でも特殊な薬品と機材を使えば、あらゆる食材を超長期劣化させずに保存出来たはずだが、それにしても万年を超えるのは難事どころの話じゃないだろ」

 

 コンコンと女が己の頭を指で叩いた。

 

「記憶情報というのは実は味覚、正確には嗅覚の情報と密接な関わりがある。人格の情報が記憶そのものだとすれば、その中から食材の情報を抽出する事は可能だろう?」

 

「そもそも、再現出来るだけの遺伝子資源なんて何処にあるって言うんだ」

 

 パチパチと手が打たれる。

 

「ああ、無かったよ。だから、この世界にあるものを記憶情報に近付けるように品種改良し続けたんだ」

 

「―――同じものが出来るわけがない。いや、出来たとしても、どれだけの時間が掛かるか見当も付かないな」

 

「そりゃぁ、この数千年という時間の中、随分と掛かった。君が飲んでいるのは僕が生きていた頃、一番美味かった紅茶と殆ど同じと言っていいが、まだ数百年は改良しないと完全な同一にはならないだろう」

 

 紅茶一つに何年掛けたかを軽く語る女は肩を竦めた。

 

「だが、お前は数日前までチェシャという女だった。なら、その改良は誰がやった?」

 

「勿論、僕だ。手品の種はまぁSFにはありがちなものだよ。この世界の創造主みたいな超技術とは程遠い。ま、勝手に調べてみればいい」

 

 まるで今日の天気を語るような能天気さで笑う相手が心底に不気味だ。

 

 何も恐れず。

 何も気負わず。

 ただ、こちらをそのままに見つめる視線。

 それがどれだけ恐ろしいものである事か。

 

 自分が単なるニートで虚勢とハッタリと狂人属性な人間だと丸裸にするような、そんな瞳が細められれば、ゾッとするでは済まない。

 

 脂汗不可避である。

 

「………その西暦時代生まれの旧世界者《プリカッサー》がどうしてオレに邪神竜とか仕掛けた事になってる?」

 

「ああ、僕になる前の彼女は実際に存在していたが、政治家家業から脚を洗った人間だったんだ。でも、創造主のせいでタカ派の首魁に早変わり。で、その直後に僕となった」

 

「じゃあ、お前の責任でも、その体の持ち主の責任でもないと」

 

「違いない。でも、この出会いは必然だ。何故なら、僕は確かめる為に再びこの世に舞い降りた」

 

(死人と己を表現するのか? いや、舞い降りる……システム上の電子情報存在という可能性も……どちらにしても厄介だな)

 

「何を確かめるんだ? お茶の品種改良の度にやってくる迷惑な客はこの世界の人間だってお断りだろうよ」

 

「あははは。いや、面白い。君ってそういうタイプか」

 

「生憎とどういうタイプなのか他人の評価なんて聞きたくない」

 

「君が至高天に届くか否かを確かめに来た。今回はそれだけが目的だ」

 

「シコウテン……それは……」

 

「遥か過去の偉人の遺した神の曲……最後に至らんとする者は地獄を旅する。知っているだろう?」

 

「………この世界の初期化任されてる連中の一人が言ってたな。その単語」

 

 こちらの努めて平静な表情を何と受け取ったのか。

 チェシャが微笑む。

 

()は蜥蜴共と遊ぶのに忙しい。()()は君と出会ってから大人しく黙って出てこない。《彼女》は恐らく、まだ此処には到達しない。だから、ここしか君と接触する機会は無かった」

 

「……ずっと思ってるんだが、オレの何処に面白さがあるのかまるで分からん。そして、お前らみたいなのに突っ掛かられるなら、んな面白さなんぞ絶対要らないと断言出来る」

 

 アザカといい。

 ジュデッカといい。

 ギュレンといい。

 

 出会ってきた過去の秘密を知ってる連中が自分の何処にそんな惹かれるのかと首を傾げざるを得ないというのは限りなく本音だ。

 

「ふふ、そう邪険にしなくてもいいじゃないか。幸の掴み方を心得よ。なれば、それはいつもそこにある。そういう運命の下に生まれてきただけの事さ。愉しめばいいんだよ愉しめば。違うかい?」

 

「含蓄のある偉人の言葉とか引用して会話するタイプじゃないんだオレ」

 

 肩が竦められた。

 

「これは失敬。では、単刀直入にいこう。僕と戦い力を示せ。示せないのならば、あの創造主の進めている初期化でこの世界と心中するといい」

 

 笑みのまま。

 

 そう行った女が紅茶をようやく空にしてカートの上から切り分けられたケーキを一掴み口に運ぶと手を払って付いてくるようこちらに視線を向けた。

 

 立ち上がりながら背中を追っていけば、そこは外に繋がる庭の出口。

 

 そこから先に進んでいくチェシャはまるで散歩のような軽い足取りだ。

 

 仕方なく敷地の先に向かう。

 

 地面が一面石畳で馬車の待合所みたいな簡易の建物が幾つか立つ広い空間。

 

 周囲50m以上に渡って無人でだだっ広い日差しが強くなりつつある其処で……初老の女がこちらに向き直り、拳を握って、その小さな手を腰に当て、フフンさあ掛かって来なさいと言いたげな様子で自信満々な顔をしていた。

 

 どうやら、今まで出会ってきた分かり易い連中よりも厄介。

 

 それも直接的な能力に秀でているタイプにも見えて。

 

 大きく溜息を一つ。

 

(まったく、オレは戦闘なんぞゲームの中だけでいい人間だってのに……)

 

 戦いはやはり何処にも付いて回るらしかった。


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