ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第207話「対峙」

 

 風が通り抜ける病室。

 白亜の壁に水色の猫耳柄という壁紙。

 個室の上で目覚めた女。

 

 オリヴィエラ・チェシャは座って自分を見ている見知らぬ相手を見つめてから、おもむろに横に置いてあった眼鏡を掛けた。

 

「初めましてになるだろうか。イシエ・ジー・セニカ君」

「今までの、この状態になるまでの前後の記憶はあるか?」

 

「ああ、あるとも。何とも名状し難い状態だったようだ。私も魔術師としては随分と長いが、まさか不治の病に侵されて、見知らぬ何かに肉体を乗っ取られるというのは初めての経験だよ」

 

「あんたは病人だったのか?」

 

「ああ、それも普通なら助からないこの世界が終末になると発症すると言われる奇病でね。肉体が化け物になってから破裂して死ぬようなの、と言えば分かり易いかな」

 

「そりゃ難儀だ。で、体を見知らぬ何かに乗っ取られてた、と」

 

「幾ら魔術師とはいえ、超越者としての戦闘能力が誰でも高いわけじゃない。私は純粋後衛型で君のような相手と戦える階梯には無いよ」

 

 相手はまったく無理な事をしたと言わんばかりに自分の身体に何処か異常が無いかと動作するか確かめていた。

 

「前後の記憶はあると言ってたが、よく平静でいられるな。アンタ」

 

「ふふ、動揺していられる状況ならそうするよ。私とてね……だが、生憎と君と私の肉体を乗っ取っていた化け物の会話は記憶として残っている。ついでにそれが何を意味するのか。分からないつもりもない。そもそもチェシャの家系は過去の遺物や遺跡の管理を連合国内で引き受けていた歴史を持つ。故に唯一神と神々の文明の破壊に付いても幾分かは詳しい。それらの言い伝えや伝承、口伝と君と私に成っていた何者かの話を統合すると……非常に興味深い結論となるわけだ」

 

「大抵は分かってそうだな」

 

「この世界は……唯一神によって文明が崩壊、またはそれに類する再構成が行われた、という事でいいのだろうか? ちなみに私の記憶ではタカ派の首魁に自分からなったという連続した記憶となっているが……」

 

「ああ、アンタが言った通りの事態になってる。物分かりが良過ぎて涙が出るくらい嬉しい誤算だ。その取り乱さない精神力と意志力に敬意を表する。オリヴィエラ・チェシャ」

 

「ふ……この世界の根幹に関わる話となれば、こちらも色々と知らない情報は多い。だが、影で神々や特定の種族が暗躍していた事は知っている者もいるだろう。私はその一人というだけだ」

 

「で、どうする? タカ派の首魁のままにオレと今度は政治で戦争でもするか?」

 

「冗談じゃない。私はこの国の未来を憂う者だ。化け物に躰を乗っ取られていたとはいえ、情報収集とこれからの連合国の身の振り方は考えていたさ。息子に本来は立場を譲ったという話が本当の歴史だとしても今はその記憶も無い。そして、自分が知った事、見た事、聞いた事の可否や合否、是非を判断するだけの時間はあった」

 

「答えは?」

「魔王閣下。君に二つの提案がある」

「聞こう」

 

 躰を起こした女傑……そう、そう言っていいだろう女が病院着のままにスリッパを穿いて立ち上がる。

 

「月兎、月亀と我が国を同列に扱い、新たな連合国を魔王の名の下に創る気は無いかね?」

 

「―――ふ、アンタ本当に首魁なんだな……まるでオレのこれからの話を予測していたみたいな言い草だ」

 

「さて、どうかな?」

 

 女の眼鏡がキラリと光る。

 

「化け物が時々、私の身体で独り言を言う事があってね。色々と君の思惑に付いては予想や予測を立てていた。私はそれらも加味して、君の今後の方針とそれに対する連合国の動きを、利益を、最大限に拡大する為の案を練った。だから、私は私に君が望む役柄というものを考えてみたわけだ。経済はケーマルがいる限り、どんな場合でも民が食うに困る事は無いだろう。世界が滅びるとしても、我々に出来る事など殆どない。なら、私には今この世界の崩壊を食い止める術を持っていそうで国家を大きく動かし、その力を欲している相手……つまり、君に媚びを売って、役職を買うくらいなものだと思ったわけだ」

 

「その一つ目の提案には複数案あるオレの連合国への回答の一つを提示して詳細を後で詰めよう。その場合、アンタの立ち位置は責任者の一人として扱うと約束する」

 

「ふむ。欲を言えば、最高責任者が望ましかったが、そちらは話を詰めてからだな。では、もう一つの提案をしようか」

 

 こちらを向いた女が何処か作り物めいた笑みを浮かべる。

 

「ユニ様と婚姻するそうだが、婚姻前に我が国での権威付けに偉業を一つ為してみないかね?」

 

「偉業……具体的には?」

 

「我が国は月蝶とそれなりに繋がりのある国だ。また、新しくこの世界に最近出来たらしい“往年の巨大軍事国家”たる竜の国もまた共に同じような関係だ」

 

「ふむ……其処も知ってるのか」

 

「ああ、私の記憶には古くからある国家。その重鎮などとも会合した記憶がある。しかし、君達のような世界の外側から此処を見ている存在が元々無かったという話をしていれば、そちらを信じる方が合理的だからね」

 

「で、どんな偉業をやれって?」

 

「竜の国にはこの恒久界全土にあるように闘技場が存在する。彼の国ではその場所に入るのは保証された“誰にでもある”自由な権利の一つだ。そして、其処で勝ち上がり、頂点に立つものは富と名声……竜の国の頂点たる戦力の一つに数えられる」

 

「……その闘技場とやらで一番になって来いと?」

 

「あの蜥蜴共はジリジリと月蝶の諸国軍を押している。やがては月蝶から我が国への正式な参戦要求も出るだろう。勿論、竜の国にも。だが、君達の会話や今までの情報を統合する限り、通常戦力では勝ち目が無いように見える。対抗するには中央の先進国全ての力を結集し、神々を盾にして戦うくらいの策が必要だろう。竜の国は強者には優しい国だ。強いと認めたならば、誰であろうと尊重される。が、それ以外には従う連中ではない。三国の統合というのは在り得るが、全先進国での合同軍事作戦となれば、バラバラの指揮系統では各個撃破される可能性も高い。此処で君が竜の国に尊重される相手として音頭を取れば……」

 

 オリヴィエラが言いたい事は分かった。

 

「初めて、先進国の連合軍が結成される可能性がある、と」

 

「そういう事だ。君の目的が何であろうと世界の危機とやらを見過ごせば、この世界は混乱の内に沈む。君が今まで国家を手中に収めてきた様子を見れば、それを望みはしないだろう? だから、君が自分の願いを叶えるまでの時間を稼げる戦力を作って欲しい。その一環として君の名声を底上げする方策を示したわけだ」

 

「……何か新鮮だな。他人からそういう話を持ち掛けられるってのは……」

 

「はは、魔王閣下のお褒めに預かり光栄だ。それで回答は如何に?」

 

「いいだろう。こっちとしても一枚岩の戦力があった方が動き易い。数日内に竜の国でその闘技場とやらに行って勝ってくる。その間にそっちはそっちで詳細を詰めててもらおうか」

 

「交渉成立だ。灰の月より来たりしものよ」

 

 その小さなとしっかりと握手する。

 

「では、魔術を切ったら、病室の前で神経質になってるだろう部下やケーマルを安心させてやるとしようか」

 

「気付いてたのか?」

 

「君が病室内にいる時点で話し合いをする為、こちらの部下を言いくるめたくらいの事は想像が付いた。そもそもこちらから戦闘を仕掛けておいて敗北したという点でそちらに非は無い。政治的な立場を盾にされたら、今の部下達では断り切れもしなかったと推測したまでだ」

 

「ご明察だな。アンタが敵に回らなくて良かった」

 

「それはこちらのセリフだろう。君を敵にしていられる程、この世界が安穏としていないと分かった時点でタカ派の行動はナンセンスなものとなっている。物分かりが良くて、こちらの立場を尊重しつつ、今までの話を水に流してくれるような相手が魔王で良かったと私達が思うべきなのは明白だ」

 

「じゃあ、後はこっちにオレの秘書を残していく。オレは秘書に色々言い含めたら、さっそく出発しよう」

 

 オリヴィエラに背を向けて病室を出ようとすれば、最後に背後へ声が掛かる。

 

「最後に一つ些細な注文を受け付けて欲しいんだが、よいかな?」

 

「何だ?」

 

「ユニ様との婚姻の後。まだ、世界が存続していたら、子供は5人以上儲けて欲しい。これは我が国の伝統的な数だ。嫁ぐ際は子供を出来る限り設けて、その家でしっかりとした派閥と繋がりを作る。多産な血統の一族の隆盛と個人の幸福を支える基本的な考え方だ。魔王閣下は手が早いとも聞く。是非、よろしく」

 

「………考えてはおこう」

 

 最後にとんでもない事を言い出した相手を後ろに扉を閉めて、内心の溜息を飲み下しつつ、殺気立って血走った眼のチェシャ家のスーツ姿な数名の部下達に目覚めたと言い置き、そのまま廊下を歩き出せば、角からはケーマルが顔を出した。

 

「話は纏まったかな。魔王閣下」

 

「ああ、良い方向で纏まった。詳細は後で。ガルンと一緒に詰めてくれ」

 

「了解した。それにしても一騎打ちなさるとは……純後衛の方だと思っていたが……閣下が手加減してくれたおかげで大事にはならなかったようだが……あの女傑は何を考えていたのやら……」

 

 眼鏡をクイクイ片手で直した妙齢の金銀左右分けな女を前にして微妙な心地となる。

 

 数字に強いケーマルおじさんは今や年齢不詳のケーマルお姉さんへ早変わり。

 

 スラリとした体形は変わらないが、その妙に豊満な胸が特製らしいワイシャツに収められていて形が丸分かりだったり、女性らしい仕草が追加されていたり。

 

 スーツ姿とはいえ、何だかヤケに艶かしいのだ。

 微妙に目を逸らしつつ、ケーマルを連れて外に出る。

 

 すると、其処にはタミエルを背後に守護天使よろしく付けたガルンとエオナが駆け寄ってくる。

 

 何処かホッとした空気になるのを感じながら、二人の元に向かう事とした。

 

 週刊世界の危機とやらが迫るのは物語ならばよくある事だろう。

 

 しかし、自分が当事者になるという事態はどう考えても不相応にしか思えなかった。


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