ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

219 / 631
第208話「身の上話」

 

 取り敢えず、あの“魔王様タカ派首魁懐柔ガチバトル事件”から2日が経っていた。

 

 連合国首都にある人理の塔から竜の国にある塔まで潜水艦で移動という段取りになったのは良いのだが、タカ派の中堅から末端までの説得及び懐柔工作に手間取った為、一日以上延々と工作の神輿としてあこちを回らせられるという事態を味わってしまったので誠に遺憾レベルな精神疲労である。

 

 カタコト馬車で揺られ、目的の貴族の屋敷で数分から数十分の会談という名の説得(及び脅迫)が終了したら、その足で別の場所へという事を続けて四十数回。

 

 タカ派の首魁の寝返りから次々と上位の権力者達を落としていく作業はぶっちゃけて言えば、商売の話が8割に及んだ。

 

 彼らに対してハト派に示した経済政策の具体案を分厚い書類と人を使うのが上手いアイアンメイデンさんが作った宣伝用映像ファイルを見せ。

 

 続いて『ハト派にだけ卸そっかなぁ?』と駆け引きしながら諸々の地球にある国家から輸入する事になっている商品とサーヴィスをパッケージにして売り込み。

 

 半分くらいは利益で陥落させたのである。

 

 だが、後の半分はよく投資というのが分かっている連中ばかりで特に収益構造……集金システムの構築に噛ませろという要求をしてきた。

 

 何時の世も仕組みを作った先駆者が最も儲けるというのは変わらない。

 

 なので、そちらもある程度は認めてガルンに予め作らせておいた契約書にサインさせて何とか短期間で取り纏めたのである。

 

 こうして現在、ようやく終わったぶっ続け説得行脚は終了。

 

 潜水艦の準備が終わるらしい数時間後までの小休憩となったわけだが、タカ派が活動を停止したので安全を確保出来たとフラウ達の泊まっていた迎賓館で一服する事となったわけである。

 

「ふぅ……」

 

 溜息の一つも出るだろう。

 迎賓館のエントランス横に併設された応接間。

 ソファーは革製で弾力に富み。

 人をダメにする引力を発して肉体を吸い込んでくる。

 

 後ろへ沈み気味になりながら、出される珈琲モドキを啜れば、美味いを通り越して中毒になりそうだ。

 

 手前では一杯一杯魔術を使って手作業で水を沸かし、引いたばかりの炒り豆を入れるフラウの姿。

 

 横では恐縮しつつも主に言われて珈琲を啜るヤクシャとシィラ。

 

 隣にはユニとケーマルが一緒にフーフーしながら熱くて黒い液体をプルプルしながら飲んでいる。

 

 どうやら猫舌らしい。

 

 一応、砂糖とミルクを大量に用意していたのでお子様の舌にも好評なようだ。

 

 猫耳種族も犬耳種族も同じく熱い料理には弱いそうなのだが、それにしても四人の様子は微笑ましく。

 

 思わず笑ってしまいそうな光景には違いなかった。

 

 その部屋の隅にはエコーズの面々が近衛三人娘と一緒に護衛らしく立って歩哨役みたいな事をしているが、その彼女達すらも実際には館の上空と内側に二人ずつ配置された神格達に守られている立場だ。

 

 マスティマとアラキバが何処から取り寄せているのか。

 あるいはくすねてきたのか。

 

 全員を見下ろせるシャンデリアの周りでフヨフヨ漂いながらアイス入りのパフェを頬張っている。

 

「ガルン」

「何?」

 

 横で立ったまま魔術具で浮遊させた紙に同じく魔術具であろうペンでサラサラ書類を書いていた分身ガルンが本日322体目の身体で首を傾げる。

 

「あいつらはそろそろか?」

「イエス。もう少しで首都入り」

「そうか。じゃあ、こっちは投げっ放しに出来るな」

 

 そう呟くとジト目な瞳がこちらに向く。

 

「自分の結婚なのに?」

「悪いがこっちは人命に関わる問題だ。そっちは後回しにせざるを得ない」

 

『今、結婚どうでもいいって言ったデス……ヒソヒソ』

『魔王さんはやっぱり淫魔王なんだな。えっと、淫魔獣?』

 

『やっぱり魔王は魔王ニャ……あっちの方は凄い癖に魔王ニャ(ジト目)』

 

 エコーズの面々。

 

 オーレにフローネルにクルネがこちらを見て、ボソボソと品評している。

 

『や、やっぱり!? あ、あんなに激しくしておいて、私達の事だってあんな風に投げっ放しにする気満々だよ。ルアル!! ソミュア!!?』

 

『だ、大丈夫だよ。リリエちゃん。たぶん、きっと、や、優しかったし!!』

 

『あ~いや、う~ん、どうやろ? 此処は様子見で』

 

 リリエが他の二人に魔王絶対悪人説を説いている間にもエコーズ内でも絶賛こちらの心象は悪化中らしい。

 

『ハッ、やっぱりな!! エオナも騙されてるんだよ!! 寝台の中と外じゃ別人じゃねぇか!!』

 

『ぅ……こ、此処はし、信じてみよう? リヤ』

『アステ!? こいつ結婚とか絶対何んも考えてないって!!』

 

 リヤがやはり魔王絶対ダメ人間説を力説する。

 

 だが、それを見て顔を青くしたり、赤くしたり、オロオロしているのはエオナだ。

 

 いつの間にか彼女以外の全員が魔王様と関係を持ってしまった記憶とやらを植え付けられた上に彼女にはその記憶が具体的にどのようなものだったかなんて聞く勇気は無いわけで……垣間見える偽の記憶は生々しいにも程があった。

 

『大丈夫か?』

 

 魔術で口も動かさず耳元に話し掛ければ、エオナは何とも言えぬ顔でプイッと赤い頬で視線を逸らした。

 

 全員に珈琲を入れ終わったフラウが何故かイソイソこちらのソファーの横に来てから腰掛ける。

 

 少し横にズレるとススッと距離を詰められ、最終的にはソファー端に追い詰められたので後は為されるがまま。

 

 ピタリと一定の距離を保つフラウを許容する事とする。

 

(あの怪神はトンデモナイものを盗んでいきました。貴方の周囲の人間の記憶です、と……この惨状……あいつらにバレたら誤解説く前に百回くらい精神崩壊させられそうだな)

 

 分かってはいるが、偽物の記憶と言ったところで彼女達にとっては本物だ。

 

 そして、その事実は今やエオナと自分とヒルコ、ユニにしか共有されない。

 

 何処まで美化されているものか。

 あるいは妙にリアルに作られているのか。

 

 まったく分からないが、全員と関係を持っちゃったテヘペロ、で済ませられる話でもあるまい。

 

 人間は己の中にあるものを絶対の価値基準とするのが大抵だ。

 

 だから、自分が偽の記憶を植え付けられているなんて事は通常考える事も無い。

 

 正しく今の自己の全否定にも成りかねないのだ。

 

 アイデンティティーの喪失はそのまま自我の崩壊にだって帰結しかねない。

 

(嘘だろうと本当だろうとオレに出来るのはオレ自身でこいつらに納得させる事だけなんだろう……)

 

 笑顔も呆れた顔も起こった顔も疑惑の顔も悩んだ顔も、全ては少女達の本当だ。

 

 ただ水を差してどうにかなるなら、世の中の男女関係とやらは然して複雑でもないだろう。

 

 嘘も方便。

 

 虚構と事実の境で己を見失わずに戦うくらいしか自分が出来そうな事は無かった。

 

「セニカ様?」

「………」

「何か考え事だろうか」

 

 少しだけ沈み込んでいた顔を上げて横のフラウを見る。

 そこには僅か心配そうな表情があった。

 

「ちょっと昔の事を思い出してただけだ」

 

 口から出まかせ。

 しかし、会話の取っ掛かりくらいにはなるだろう。

 

 誰かとコミュニケーションを取るというのは精神安定的にも悪くない。

 

 ただ、相手と話したいというだけでもきっと自分はまだ然して壊れてはいないだろうという儚い思い込みなのかもしれなかったが、それでもソレは今の自分の偽らざる心情だった。

 

「昔の事を?」

「ぁあ、ちょっとな……こんなに賑やかな事は無かったから……」

 

 それに何故か周囲がシンと静まり返る。

 

「な、何だ?」

 

 全員を代表して答えたのはクルネだった。

 

「セニカの周囲が静かなんて逆に不気味だニャ」

「そうにゃ!! 殿下にサラッと嘘吐くのはダメにゃ!!」

 

 ヤクシャも何故か信用していないらしい。

 

「どうしてオレの周囲が静かだと嘘なんだよ」

 

 そう言うと猫耳娘×2が何故かってそれは、というところで何故だろうかと首を傾げてから言語化出来ず。

 

 それを引き継いだにはエオナだった。

 

「きっと、貴方の周囲が静かだなんて誰も信じられないから、でしょう」

 

「何でだ?」

 

 何故かと尋ねられ、それにどうしてか周囲の人間がジト目になった。

 

「お前、自覚無いのか? どう考えてもトラブルメイカーだろ!!」

 

「え……」

 

 リヤがその女主人公面でビシッと言い放つ。

 

「確かに…そうデス」

 

 オーレの言葉に頷く者が多数。

 

「オレは昔から普通が服を来て歩いてると評判にもならないくらい友達もいない学生として暗い一般人生活を送ってたんだが……」

 

「なぁ、そんな空しい嘘吐いて恥ずかしくあらへん?」

「む、むなしい?」

 

 ルアルが肩を竦める。

 

「だ、ダメだよ。ルアルちゃん!! きっと、物凄く周囲に迷惑を掛けまくって人間を人間とも思わないような極悪非道な行為をしたとか、貧しい誰かに全財産軽く上げちゃうような変人だったかもしれないけど、必死に隠してるんだから!!」

 

 ザクリとソミュアの天然《やいば》が胸に突き刺さる。

 

「シッ、ダメだよ。ソミュア……本人は隠したがってるんだから、笑顔で頷いてあげないとまた変な事されるかもしれない!?」

 

「何もしないだろ。常識的に考えて」

 

 リリエがまるで変質者をやり過ごす術を子供に教えるように仲間達に言い含め始めた。

 

「ま、魔王さんはきっと普通の一般人で暗い青春を送ってたと思うぞ!! ボク」

 

 何故か慌てて話を合わせたらしいフローネルの励まし?に頬が微妙に引き攣る。

 

「誰にでも触れられたくない過去というのはあるもの。ユニ様、殿方にこのような事を訊ねる時は慎重になさいますよう。老婆心ながらご忠告を申し上げます」

 

「はーい」

 

 今まで黙って聞いていたケーマルがユニにヒソヒソと諭し、幼女もまた適当に頷いていた。

 

「お前ら……オレを一体何だと思ってるんだ……」

 

 全員がほぼ一斉に魔王と答える。

 

 その前後に【○○な】とか、【○○過ぎる】とか、【○○な過去を持つに違いない】とか、余計な形容が乗っかっていた。

 

 その大半が何故か女性関係絶対悪いという背後の言葉が透けそうであった。

 

「言っておくが、オレは目立たない子供だった。あちこちを点々としてた両親のせいで色んな国に滞在してたが、学校の成績は良くも悪くもなかったしな」

 

 だが、こちらの言葉に数人の少女達からは【学校行ってたなんてやっぱりインテリ】とか、【よいトコの子だったんだ】という呟きが漏れる。

 

「オレが国相手にやってる事なんて、本質的に日陰な人間の領分だろう。地味な事務仕事を真面目にやってくれる連中を集めて育てて、政治的に面倒な事を何処の政治家だってやってるだろう根回しに交渉に脅し……そういうので適当に処理してるんだから」

 

「でも、手段は過激(ボソ)」

 

 ガルンが今も書類仕事をしつつ、こちらに視線も向けずに呟く。

 

「それは……手段が過激だったりしたのはそうしなきゃ素早く変えられなかったせいであって、時間があって連中が普通に腐敗してるくらいの相手ならオレは最初あんな恨みを無駄に買いそうな事するつもりはなかったんだぞ」

 

 何故か全員の目が白い……気がする。

 

「なのに、どいつもこいつも月兎の貴族連中は無能と怠惰の権化ばかり、月亀は戦争の動機が不可解だったり、無駄に統制が取れてて崩すのに苦労しそうな優良人材ばかり、月猫に至っては宣戦布告してくるわ、後方の中枢を占領するわ、未来予知でこっちの予定潰してくるわ……オレに言わせれば、派手な事をしなきゃならなかったのは大抵相手が悪かったという事になるんだが……」

 

 何故か大きく複数人の溜息が吐かれた。

 

「何故、【こいつぁ重症だぜ】的な溜息を吐かれるんだ……」

 

 さすがに膨れてしまいそうな自分への評価であったが、不意に肩を引かれて、少し離れていたフラウの膝に頭が収まった。

 

「何、してるんだ? 恥ずかしいんだが……」

「疲れていると思ったもので」

 

「精神的には疲れてるが、更にドっと疲れそうだから、放してくれないか?」

 

 その嫋やかで繊細な手がこちらの頭と肩を軽く抑えるようにして触れていた。

 

「魔王!! 恐れ多くも殿下の膝枕に何て言い草を!? うらやま、けしからん事をしている自覚があるなら、恥を忍んで受け入れるのが夫の度量というものだろう!!」

 

 ようやく珈琲を飲み干したらしいシィラがフラウの援護射撃を開始する。

 

「そうにゃ!! 殿下の膝枕は万金に値するにゃ!! 第一王妃の気遣いくらい黙って受けるにゃ!!」

 

 秘書にSOSを込めた視線を向けてみるが、知らんぷりでチラリとこちらを一瞬確認しただけだった。

 

 エオナに今度は視線を向けてみたが、ジト目が呆れていたのでどうもこの場に助けてくれる同志はいないらしい。

 

「はぁ……じゃあ、しばらくしたら開放してくれ。塔へ昇る前に月亀側から人と物資を迎えなきゃならないからな」

 

「分かりました。半時くらいしたら、起こすので今は……」

 

 フラウが離してくれそうにも無かったので大人しく目を閉じる。

 

 嫁に見つかったら言い訳だけで死ねそうな膝枕に会議の疲労が残っていたか。

 

 速やかに意識は遠のいていった。

 

『……ようやく閣下も休んでくれました。全員に礼を……』

 

『いえ、そんなフラウ殿下。こちらの不手際で閣下に色々と面倒事を押し付けてしまったのは否めない。本来、タカ派の説得はこのケーマル・ウィスキーが行うべきところを時間が惜しいと二日で取り纏めてくれたのです。彼にハト派の大半は感謝していますよ。少なくともタカ派との抗争で数百人単位の死人が出るかもしれなかったのですから……幾らオリヴィエラ・チェシャが首魁であったとはいえ、彼らも一枚岩では無かった。それを逆手に話を付けた手際に報いる事くらいは……』

 

『まおーおしごとできるー?』

 

『ええ、ユニ様。本来、我々が数か月掛けて行おうとしていた事がこの数十時間で終わったという時点でそれは疑いようも無い事です』

 

『あ~魔王は相手を問答無用で納得させる事に掛けては天才的だからニャ~』

 

『そうにゃ!! 殿下を脅した時もそうだったにゃ!! うぅ、しかも寝台の上では押しが強いのに優しくて無敵とか……これは完全にジゴロな才能にゃ!!』

 

『(本人が聞いたら、それ大嘘だからってツッコミ入れそうな会話ですね……偽の記憶とはいえ、一体本当に寝台上の状況はどうなってたんでしょうか?)』

 

『エオナ? どうかしたデス?』

 

『いえ、何でもありません。大概、この人も数奇な人生だなと思いまして』

 

『そういや、こいつ本当に自分の事地味とか思ってそうだよな。あんな事しといて普通も一般人も無いだろうに』

 

『リヤ。そういうのが自分で分からない人もいるのは仕方ないよ』

 

『アステ。だが、こいつのやってる事は結局、国盗りなんだぜ? んな大事を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて言う時点でズレてるって』

 

『ま、まぁ、確かに……』

『魔王さん。世間を知らない人なのか?』

『フローネルが言ってる事は最もデス』

 

『世間知らずでも国家を揺るがし、崩壊させ、乗っ取れるとか。いやぁ、無政府主義者とかには知らせられん事実やで』

 

『ま、まぁ、セニカさんは良い人だよ。きっと、たぶん……だって、力の無い人達や難民の人達の為に凄く沢山の事をしてくれてるし、基本的に悪事を働く人達を放っておかないし』

 

『騙されちゃダメだよソミュア……魔王は魔王。確かにそういう面では色々な人に感謝されてるかもしれないけど、一人で地方領主を寝返らせたり、五千人の神官を一人残らず黙らせたり、数千人の兵隊を降伏させたり、巨人《タイタンズ》込みの軍を一時で瓦解させたり、百万の軍勢を自滅させて言う事を利かせたり、数百人の超越者や最高峰の戦技取得者を脅して屈服させたり、やってる事は過激じゃ済まないんだから。というか、お母さん達に凄い心配されてたのもう忘れたの?』

 

『え、いや、うん。確かに……聞いた限りだと本当に危ない人に思えるけど』

 

『思えるじゃなくて、実際危ないんだよ。ソミュア……』

 

『イエス。セニカ様は実際危ない。でも、どんなに危ない魔術が使えても、それを理由もなく人に向けたりもしない人だと思う』

 

『せやな。そういう部分は信用出来ると思うわ。ウチらだって、本来なら殺されとっても仕方ない攻撃仕掛けてたんや。なのに、敗れても拷問や尋問されるわけでもなく。ただ放置されてただけ……仕事を貰いに行っても、その時は手を出されんかったしな。後宮入りはアレやけど、それも月兎の現上層部の以降で仕方なくって感じやったし。妙なところで良識的というか、良心的だと思うわ』

 

『神様とか邪神とかとお話するところとかも凄いと思う!!』

 

『フローネルの言う通りデス。自分を倒しに来た神格を説教して懐柔し、対等に話したとの話も凄いデスけど、誰にも物怖じしないところはちょっと羨ましいかも……』

 

『殿下に対して初めから上から目線というか。物凄く言い難い事というか……普通なら絶対言えないような事をズバズバと言っていた事を考えれば、凄いというよりはヤバいと評するべきです』

 

『シィラはまぁ……く、殺せって寝台の上で言いながら気持ち良さそうにやられちゃったから、私怨がちょっと入ってるかもにゃ』

 

『ヤクシャ?!! わ、わわ、私はやられてなどいないぞ!? で、殿下もそうお笑にならないで下さい!!?』

 

『何にせよ。我々は彼に苦労を背負わされ、それに見合う以上に救われている部分も多々あるという事実を直視するべきでしょう。月兎はあのままならば、更に犠牲を積み上げ、国家滅亡へと進んでいた。月亀は割を食ってはいるが、事実上は勝利している。アレ以上の犠牲を出さずに事を治められたのは行幸でしょう。例え、明確な利益が出ていなかったとしても、今のところ魔王景気とやらが続いている。民間からの不満も最小限度に留まっているとなれば、国力の疲弊は許容範囲だ。月猫は手前勝手だが、宣戦布告して相手の適地を制圧しておきながら、反乱軍からの逆襲もなく犠牲者も出していない。その上、月蝶と麒麟国の開戦に慌てている隙を突かれる事無く。魔王による反撃で首都が落とされてもいない。そこに寝ている彼が本気を出せば、どうなっていたか……それを思うなら、幸運だった。いや、彼が魔王で良かったと言うべきでしょう』

 

『イエス。でも、その代わりに月亀と月猫はセニカ様の経済政策で救済されないとこれから経済が崩壊して詰む』

 

『そこは互いの妥協と打算でこれからも調整を期待したい。ガルン筆頭秘書官。いや、その内に()()()()()と呼ぶことになるでしょうか』

 

『『………』』

 

『ま、まぁまぁ、今は互いに己の利の為、彼の周囲に集う者同士。この先の事を共に考えましょう』

 

『確かに……我々にはいがみ合っている時間は無い。互いの国の為にも……此処に集う全ての人が彼を支えねば、次の瞬間を生き抜けないという事も十分に考えられる。あの女傑がどうして突如として意見を変更したのかも気になる。我々が知らない情報もまた多いと考えれば……協力は惜しみません。少なからず、私の勘は言っている。彼が背負うモノは少なくとも、国家存亡すらも霞むような何かだと……月蝶と麒麟国の事だけではない何かが……私にはそう思える』

 

『けーまる、だいじょーぶ?』

 

『ええ、ユニ様……ユニ様にはきっと彼の先が見えているのでしょう。私にも言えない事があるのは承知で言いたい。どうか、その選択があなたの未来に資するものであるよう祈っています』

 

『けーまる……』

 

『(常人なればこそ、この人も感じ取っている……戦争よりも恐ろしい事が起こりつつあると……この人にエコーズのリーダーとして仕える私にだって、きっとまだ知らない事がある……不信感はきっとまだこの胸にも残ってる。でも、任せていられると感じている自分もまた本当のところである以上、私に出来る事はきっとこの人を支えてあげる事くらい……ガルン秘書官の話が本当なら、神すら傅く者を彼は肉親に持っている……あの海の先にあるこの世界の中枢の話だって、この世界の大半の人々は知らない……私は……この人にその時が来たら、何を賭けるべきなんでしょうか)』

 

『エオナ? どうしたニャ?』

 

『いえ、何でも……少し世の出会いの不思議を感じ取っていただけです、クルネ……此処にいる人達は敵対していたにしろ味方だったにしろ、彼という……イシエ・ジー・セニカという人物無しには出会わなかった』

 

『それは、そうかもニャ』

 

『皇女殿下に探訪者。大臣にお姫様。我々はこの出会いこそを財産にしていなねばならない時期を生きていると思えます。漠然とした不安以上のものが、戦争という形でしか認識出来ない我々は……彼が更に先へ見る()()を共有出来ていない。けれど』

 

『このごっつい事やる癖に心配性な魔王さんだから、魔王セニカっちゅう男だから、そんな戦争以上の危険だろうとも安心して任せられる、やろ?』

 

『ルアル……』

 

『リリエちゃん。私達はもう答えを知ってるはずだよ。いつも寝る間も惜しんで難民の人達の為に建物を作ってた。兵士の人達の傍で飾る事なく一緒にご飯を食べて、街に繰り出しては色々な問題を解決して回ってた。彼がいなかったら、死んでた子達が泣き声を上げて生まれてきた。彼がいなかったら、そのまま消えていたはずの命が今もあの場所では息衝いてる。病や怪我をしてた人達、食べられず、死を待つだけだった人達が自分の力でもう一度立ち上がろうと前を向いた。それは本当なら、私達が、月兎の政治や軍事、経済に関わってた貴族階級や上流階級がしなきゃいけなかった事だったんだから……』

 

『そう、だね……』

『けーまる、まおうすごいねー』

 

『少なくとも関係する人々から一目以上置かれた存在である事は確かでしょう。ユニ様もまたその方の伴侶となるのです。これからも彼の事は見ていて下さい。それがやがては月猫にとってもきっと……』

 

『ん、まおうは……これからきっとたいへん』

『そうですか』

 

『でも、まけない。ちをはうきりんにも、よをたばかるかみにも、そらとぶとかげすら、きっとしることになる……』

 

『何をニャ?』

 

『そらがひらくとき、くれないのはめつはまいおりる。かのもの、はいのつきよりきたりて、しこうのてんへいたるみちをあゆまん。そははてよりさきへゆくもの。あおきひとみのえいゆうにしておわりのかぎ』

 

『これはッ―――まさか、託宣《オラクル》!? 他の者はユニ様に話し掛けないよう願います!!』

 

『イ、イエス。コレ、もしかしてマオの一族の?!』

 

『だいうわたるいくさぶねはいくた。いにしえのはしゃよみがえりて、よをおおわん。なれど―――』

 

『……これが噂に聞く月猫を導いて来た力なんか?』

 

『よげんのこ、そのてにせしきずなにて、たちむかい―――ッ』

 

『ユニ様?!! く、すぐに治癒魔術を!?』

 

『すべてのものの……つきを……おと、さん…………………………………』

 

 何やら騒がしい。

 

 意識の浮上がスイッチされた瞬間、瞳に飛び込んできたのはクッタリとして目を閉じる幼女の姿だった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。