ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
魂の話をしよう。
そう、彼は彼女にそう言われた事があった。
それはいつだったか。
村外れの草原で告げられた遠い日の約束だ。
こんな世の中だから、いつ死ぬかも分からない農民には一つだって希望は無い。
だから、もし終わりの先に新たな生が在るなら、次もまた一緒に遊ぼう。
そんな他愛無い逢瀬は翌日に彼女の両親が娘を人買いに売ったところで途切れる。
彼は怒った。
だが、何が出来るわけでも無かった。
何故ならば、彼はその時まだ小さかったのだ。
それから数年。
ようやく最低最悪の村だと嫌気が差した彼の物語は始まる。
初めて行く見知らぬ村。
そこで剣に食料と身一つの彼は神官の中でも司祭と呼ばれる村や街の宗教行事を取り仕切る家の息子と共に化け物退治をした。
正しく、邪悪なゴブリンが一匹討伐され、彼は意気揚々と村からの僅かばかりの謝礼を貰い、次の街へと旅立った。
付いて来た司祭の息子は彼の親友であり、それから何回もの冒険をしながら、二人はようやく本当に彼らが知らない世界へと到達した。
それは王都……堕落の苑持つ国一の都。
今度こそ、彼らは自分の小ささを代え難い経験と傷によって得たが、そこでもまた彼らには幸運が巡って来た。
今度こそ、死ぬかと思われた冒険の最中……彼らを救ったのは国一の神官と謳われる芸能の神サラスヴァティの巫女であった。
おお、あれこそは彼の神の恩寵を一心に受けたと言われる乙女。
そんな形容詞の巫女は世の腐心と信仰の堕落を悲しみ。
それらを正す旅に二人の同行を求めた。
果たして三人となった彼らは国という壁を超えて、次なる隣国へと舞台を移す。
彼と仲間達が訪れた国は影域の中でも更に罪深き化け物達と人の混血が住まう場所。
邪悪と退廃の都には幾多の人買いが集まり、幾多の奴隷が売られていた。
何と言う事か。
あまりの力の無さに己の足りぬ叡智に巫女を嘆き。
しかし、それでもまた人々の為と彼らは化け物のような人々からの依頼で化け物を討伐するに至る。
人買いよりの報酬は昏睡した一人の男。
否、元々は有名な賢者であったという中年の麗人。
年若くも見える男が巫女の力により目覚めれば、彼はいたく感服し、彼らの後見人として道行きに同行する事を望んだ。
彼らはそうして最悪の国を脱し、次なる冒険へと向かった。
その道行きに彼は一つの噂を耳にする。
それはとある奇妙なペンダントを持った奴隷の話。
売られる先で奇妙な因果の果て、点々と盥回しになった彼女は何故か小枝で作られた粗末な木彫りの聖印を持っていたという。
行き先は正しく人が人らしく在りと言われる昇華の地。
四人の道行きには彼の想い人の影がチラつく。
しかし、大いなる禍は地に落ちた。
大国間の戦争が始まった世界の中心で彼らは何とも果敢に立ち回り、あらゆる苦難を超えて、行方知れずの彼女を探した。
彼は旅の中で超越者となり、親友は賢者の弟子となって修行を重ね、巫女もまた神の声に精通し、その旅路を守る導き手として開花したのである。
吟遊詩人の耳に止まる彼らは一角のパーティー。
探訪者《ヴィジター》と呼ばれる者達にしても極めて実力のある何処のギルドでも引く手数多の英傑となった。
だが、彼の行く先へ道行きを共にする仲間達が欠ける事は無く。
一組の彼らとは真逆な男一人女多数という同業者と競合する事となる。
戦略家の系統樹に連なる女を筆頭にした彼らよりも少し年若くも力強い彼女達と人探しの間に縁を育んだ彼らは出会いから数か月後、一つの噂を耳にする。
吟遊詩人曰く。
魔王と名乗る者に名も無き探訪者達は破れけり。
嘘だと叫び、真実を確かめる為に彼らが向かった先は戦争中にして大国たる月兎の果て。
戦乱を避ける為に遠回りした彼らが国境を突破した先で見たのは―――正しく月兎の首都かという巨大な都市。
だが、王城も無く。
砦すら小さく。
ただただ広く難民達が押し寄せる其処は正しくレッドアイ地方ファスト・レッグ。
これは何事かと民に訊ね聞けば、応えはこう返った。
『ようこそ!! 魔王の紡ぎし、棄民の都へ!!!』
そう、魔王と呼ばれた者の噂はようやく彼らの耳にも届いたのだ。
周辺国に轟き始めた別名は魔都ファスト・レッグ。
彼の噂の男は反乱軍を組織し、負け戦に終わろうとしていた大国の地方で狼煙を挙げ、現地にて非戦派の名君と謡われたウィンズ卿を抱き込んだ。
彼らは中央からの督戦官達を排し、瞬く間に地方を制圧すると強固な軍を創り上げ、匪賊殲滅という大義名分を掲げた神官達5000人余りを魔王単独で殲滅。
挙句、中央から派遣された最後の戦力であろう皇女フラウ・ライスボール・月兎の鎮圧軍を一刻を待たずに降伏させたというのである。
万雷の魔術にて敵陣を穿ち。
嵐の如き魔術にて月兎の秘術たる巨人の投石を打ち破り。
兵へ火炎と閃光の術具を持たせ、敵軍を混乱に埋没せしめ。
空より降り来る最強の超越者。
魔王。
その小さき身にはどのような技が秘められているものか。
時に刹那の一撃で兵の頭を消し飛ばし、時に怒れる黒の暴君、巨大な触手の怪異と化し、時にその赤光を纏った姿で瞬きの間に人を拳にて打ち倒す。
おお、畏れよとはその男の為にある言葉である、と吟遊詩人達は楽器を掻き鳴らした。
レッドアイの民は、そう今正に戦争をしている月兎と月亀の民は、その男に救われたのだと断ずる者達は、瞳に希望を煌かせ語った。
そんな相手に挑んだというのか。
安否を心配する彼らが耳に挟んだのは全員が生きて無事であるという事。
また、その身柄は魔王が預かり、己の愛奴として寵愛を受けさせようとしているという旨。
度量が大きいと言うべきか。
彼らは再び、彼女達の安否を……いや、魔王の手より救い出す為、その後を追った。
しかし、四人が辿り着いたのは月兎と月亀の国境。
正しく戦にて万人が滅ぶ死地。
そこにようやく彼女達がいると知って探した彼らが見たのは……何もかもが既に終わった後だった。
魔王、終に万軍を征す。
四方に轟く吟遊詩人の大音声。
ギルドは割れんばかりの大賑わい。
おお、あれこそは全てを退けし、滅びの化身にて我らの代弁者。
空飛ぶ船団より語られし、彼の者の声を聴け。
彼の者の巫女の願いを聴け。
そう、一部始終がメシの種とされていた。
100万の軍が屈した後にはただ魔王軍の詰め所と死ぬばかりだったはずの両軍の兵。
彼らは僅かばかり諍いを起こしながらも何かを畏れるようにして大人しく。
魔王軍が残していった無限にも見える食料に群がり、傷を怪しげな秘薬にて治され、故郷へと帰っていくところだった。
両軍の責任者達は急造されたという戦場中央の監獄に囚われ。
更に恐ろしき100万の軍を破る1万の軍勢は常識では測れない速度で月兎の首都へと進軍。
正しく首都決戦はすぐ。
馬を奔らせ数日。
行く先々にて魔王軍は地方領主を懐柔し、完全に制圧。
彼らが辿り着いた時、見た光景は絶望に値する光景。
魔王軍の旗が翻る城壁。
項垂れ、咽び泣く近衛軍。
魔王軍は一人の死者すら出す事なく。
終に大国を我が手にしたのである。
これから先、魔王は確かに魔王と認められるだろうと賢者は語り。
彼らは己が遅過ぎた事を知った。
魔の軍勢を見れば分かろう。
人一人が持つには過ぎた魔術具の数々。
与えられた力は、秘術は……如何許りか。
恐ろしき気配を漂わせる者達は天上の美食かという糧食を貪り、然して如何なる油断も無く己を戒め……寝る事すら稀な働きぶりで首都を掌握し続けたのだ。
潜入した首都は正に戦場という破壊の跡は無く。
だが、確かに気の遠くなるだろう光景が残されていた。
竜。
それが見える限り死屍累々。
それと共に墜ちた騎士。
キリエと呼ばれる者達の呻き、意識を狩られた姿。
都市中央の王城とて、それは同じ事だ。
如何なる術によるものか。
強固な魔術を掛けられた障壁が一直線に城門までも貫通され、城の警備達は敗北に咽び泣き、次々と近衛軍と同じように魔王軍によって捕縛されていった。
此処にいては危ない。
脱出しなくては……そう思うものの。
惨状の最中にも人の救いを求める声はあり。
彼らは身分を隠して情報を集め、数日を過ごした。
魔王は皇帝と諸侯を屈服させ、己の術中とした皇女を擁立せんという噂。
首都内部からの手引きを行わせた商人達を奴隷のように馬車馬のように働かせる気らしいとの噂。
また、戦争における全ての罪を王侯貴族に押し被せ、裁判という名の処刑と投獄を行う云々。
正に悪鬼羅刹。
しかし、民は不正の権化たる貴族の廃滅に慶び、言祝ぎ。
戦争を終結させた新たなる統治者を畏れながらも歓待の声で迎えようという時勢に傾いた。
それもこれも全ては魔王の策略。
彼は己の愛妾とする為に浚った選りすぐりの美女、美少女達を用いて、奸計を張り巡らせ。
民を扇動する装置を創り上げた。
魔王応援隊。
年若き乙女達がまるで裸のように肌を露出させ、その上で笑顔を振りまきながら歌い踊るという―――神をも畏れぬ所業に巫女は呆然自失で彼女達の将来の悪路に涙を溢れさせ。
賢者と彼と親友は前屈みで説教を喰らった。
恐ろしい罠はしかし民を確実に篭絡し、魔王こそ民を救う者である、と。
此処でもまたファスト・レッグのような評価へと民心は傾いたのだ。
だが、どうして彼が想像し得よう―――その魔王の手先と成り果てた不憫な乙女達の中に……自分の想い人が、数年前に目の前から消えた彼女が、所属している、等と。
壮絶、衝撃、前後不覚。
だが、彼には分かってしまったのだ。
だって、幼い時から心を許せた唯一人の相手だったから。
今すぐにでも助けたい。
救いたい。
その衝動―――だが、その周囲には彼らと同等。
いや、それこそ彼ら一人一人では叶わないかもしれない超絶の術者と肌で感じられる乙女達が侍っていた。
あれもまた魔王に心を虜とされた者達。
近衛の中でも更に特別な魔王が破った国家最強の超越者達の身内。
それだけならばまだしも……魔王軍は堅実な警備を敷いていた。
蟻一匹這い出る隙間も無く。
何とか彼が仲間達の助力を得て、魔王応援隊の公演に忍び込んだのも奇跡に等しく。
だが、その愛する者を救おうという志は救われるはずだった当人と彼女の同僚達の会話にて砕かれてしまう。
『どうして、○○○○は魔王閣下の為に働くの?』
そう訊ねられた彼女曰く。
『あの方が奴隷という身分から私を救ってくれました。あの方に愛された時、ようやく自分の居場所が見つかったんです……もう取り戻せないはずだった日々を……だから、あの方にもそんな日を取り戻してあげたいと……そう、誓ったんです』
後は何も彼に聞こえていなかった。
そうだ。
彼女の同輩達が魔王の言葉を、『自分の事を考えて未来を己で選べ』という絶対に裏があるに違いない言葉に『守ってあげたい』『共に理想を成就させたい』『いつか後宮で愛するお方の子を産みたい』という会話をする最中、同意する“本当に幸せそうな声”すらも………。
彼はそうして幕屋を去り、仲間達の下に返って、荒れた。
旅に出た理由はもはや消え失せ。
ライバルだったはずの少女達は魔王に囚われて後行方知れず。
そして、魔王は民より慕われる有様。
彼が本当に彼女を思うならば、魔王を倒すべきなのかもしれない。
民を惑わし、人を篭絡する術に長けた最悪を神の加護を受けた伝説の勇者のように宝剣で退治するべきなのかもしれない。
だが、彼にだって分かっていたのだ。
そんなのはお伽噺だと。
魔王は人の世に幾度も現れてきた。
そして、力を示し、魔物達からすらも傅かれるようになれば、それはもはや一つの王国が建国されたに等しい権威を持つ。
今や大戦を止めた英雄たる男を前にして、彼女が心の底から愛する男を前にして、憎しみから剣を取った自分がどれだけの力を示せるものか。
そう理解したのだ。
今まで救えもせず。
何処にいるかも知らず。
何一つ支えに成れなかった彼が、彼女を救い、どのような悪行に使うか知れずとも心を支え、その愛するべき者として、共に歩み続けたい者として存在する男に刃を向ければ、彼女はきっと彼の刃の前に己の身を投げて、引き裂かれる事すら覚悟するだろう。
それは絶望と希望の二律背反。
彼女を悪の道から救って絶望させるか。
彼女の希望を守って正義を捨てるか。
どちらだとしても彼にもう選択肢は―――たった一つしかなかった。
そうして、彼らの物語には最後の瞬間がやってくる。
次なる拡大に向けて月亀へ食指を伸ばした魔王の遠出。
魔王応援隊を残して大蒼海より船で先へ向かうという情報。
彼らは此処で賭けをした。
そう、魔王をこの世から退場させられるかどうかの大博打。
船に義憤を胸にした最後の抵抗者達を送り出す為、船の管理者達を説得し、彼らを忍び込ませる為の工作に動き。
その報を掴んだ魔王軍を足止めするという決死の作戦である。
然して、彼らの作戦は成功した。
だが、足止めに残った四人を囲んだのは近衛最強の超越者達。
痛ましそうな顔を見れば、自分達の作戦が既に失敗に終わった事を理解する以外無く。
次々に倒れゆく仲間達を守るべく奮戦した彼が最後に見たのは……薄れゆく意識の中で自分に覆い被さるようにして声を上げる彼女の姿だった。
―――愛しき~女に~かば~われる~不甲斐ない~男の~~もの~がたり~~。
ジャランと。
一曲を謡い終えた旅の楽師達が次々にお辞儀をする。
その数は五人。
男が三人。
女が二人。
果たして今、大人気のギルドを回る五人組パーティー。
嘗ては勇名を馳せた彼らも戦乱の世にあって、危ない仕事とは縁を切って趣旨替えしたのだと噂されるのが当人達の日課だ。
現在、最新作の『月亀と月猫を追い掛けて』を創作中であるという楽師達は新しく入ったらしい仲間と共に何処かのギルド本部で頭を下げる。
おひねりは多数。
ついでに最初期の魔王応援隊に所属していた新人による魔王様のお茶目語りが披露され、その突拍子もない“普通の男の子”的ちょっと笑ってしまいそうなエピソードを『嘘吐けー♪』とノリノリで笑う酔っ払い達がケラケラ陽気に盛り上げる。
―――あの日。
しかし、彼と彼女は抱き締め合い。
一つの事では合意した。
牢屋の中でもう戻れない子供時代を思い返すように。
覚えていてくれてありがとう。
そう、和解したのだ。
そうして、彼女はこれも魔王の導きだと……己一人で旅する決意をした。
こんな事をしてしまったとしても
魔王応援隊を依願退職し、その全ての魔王の恩寵を放棄する代わりに彼らの命を嘆願し、それをアッサリと彼らを捕縛した国家最強の超越者達は許容した。
全ては無かった事になったのだ。
彼女はこうして魔王が予てより伝えていたように自由気まま生きる事を決めた。
その本当の姿を少しでも人々へ伝える為に。
ああ、正しく喜劇だと劇作家ならば嗤うだろう。
それこそが、あの何よりも己の姿を煙に巻いて事態を動かす彼の一番困る事だろうに、と。
これはとある魔王の傍らで起こった幕間の片隅にある物語。
あるいは男と女の悲喜劇《トラジコメディー》。
もしくは終に叶わなかった幻の魔王討伐物語。
『ごはんですよ。皆さん』
『あ、魔王印のレシピだ。此処』
『うっわ。コレって本当に美味しいんだよな。いや、ホント真面目に……』
『早く来ないと無くなるぞ』
『ぁ、皆が呼んでます。お話はこれくらいで。もし続きをご所望ならば、是非是非、次の興業のお話をお願い致します』
その言葉にギルドの女マスターは大きく頷いた。
『じゃあ、その時はこっちも短い話をしようかね。実は此処でもね―――』
こうして話は長引き。
彼女は一番好きなモモ肉の香味揚げ餡かけを食べ損ねそうになるのだった。