ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第288話「真説~愛と救いと諦観と~」

 

『どういう、事だ? どういう事だ。どういう事だッ。どういう事だッッ!!!』

 

 世界がもしも残酷ならば。

 そう、考えた事はあるだろうか?

 残念ながらそれは現実だ。

 母親が子供を殺す事だってあるし。

 肌の色一つで人間が人間を薬の材料して喰う。

 

 惨い処刑や拷問は未だ世界の犯罪においては基本トレンドで。

 

 巨大な悪はいなくても、巨大な悪意は確かに存在したのだ。

 

 そう、過去形になってしまった今。

 それを覆してしまうものが現れた今。

 世界は闇に包まれている。

 巨大な柱が聳える大山の頂き。

 無数に群がる巨塔は霊峰の如く姿を変え。

 

 その頂点に捕らえて同化した人物を引き裂こうと蠢いている。

 

 同化出来ている四肢はもはや無く。

 砕き散らされた肉体は四散しており。

 頭部すら半壊中だ。

 

 それで血の一滴でも流れていたのならば、スプラッター極まりないのだろうが、生憎と何もかもが呑み込まれており、其処にあるのは屍のはずだ。

 

 そう、はずだった。

 二時間五十六分。

 

 それが001と呼ばれた巨大なオブジェクトが自らの体積の3分の1を縮小させてまでも破壊しようと、同化しようとあらゆるエネルギーと体積を動員した結果。

 

 取り込んだ者を分解しようとした結果。

 眼窩に瞳すら無くても。

 少年は未だ唇の端を吊り上げたまま。

 

『何故だッ!!!』

 

 既に勝った、はずだ。

 しかし、委員長ハロルド・ワイズマン。

 その彼の頬はこけ。

 

 この二時間で未だ存在する相手のしぶとさ以上の何かを前にして叫ぶ事しか出来なかった。

 

 彼は別に001を操れるわけではない。

 

 だからこそ、その生態とも呼べる能力に付いてそこまでまだ詳しいわけでもない。

 

 しかし、だが、しかし、分かっている事はある。

 

 001は未だあの死体でしかないはずのソレの為に縮小し続けているという事は分かっていた。

 

 それ程の体積を一体、何の為に使っているのか。

 

 徐々に破壊浸食されつつある相手の肉体は観測結果からも明らかだ。

 

 心臓などもはや無いし、生体反応も存在しない。

 哀れな骸でしかない。

 

 だが、その屍を更に浸食する為だけに未だ001は全力可動状態を維持していた。

 

 大地を覆う車輪の幾多が消え去り。

 鼓動する体積はゆっくりと減り続けている。

 

 それが意味するところは未だソレが001にとって危険な存在である事を示している。

 

『あの死体が何だと言うのだ!! 何故、001は活動をアレの為に集約している!! 何の、何の活動も見られないのだぞ!! 脳波も脈拍も細胞すらも活動を停止しているのにも関わらず、どうしてだ!! 奴の意識はもはや001に取り込まれたオブジェクトによって世界の彼方に消え去った!! 二度と戻ってくる事はない!! それはあのオブジェクトの特性だったはずだ!! それとも奴が今までのデータを覆すと言うのか?! 有り得ん!! 奴は人間だッ!! 深雲の予測データ上!! 奴の人格強度は単なる人間でしかなかった!! それなのにッ!! このままでは001がッ!? クソッ!? 誘導はまだ効果を現さないのか!?』

 

 荒れる彼の下。

 

 未だオペレートをする白衣達は次々に誘導用機器を限界まで稼働させて001を他地域へ移動させようと奮闘していたが、その効果が顕れる事は無く。

 

 ただ、その活動の全てがたった1点の死体に向けられている事のみを示すに留まる。

 

 今現在、彼らが載る001の周囲には米海軍の艦隊が終結しつつあった。

 

 小蠅にも満たない羽虫。

 核すら無い艦隊を前にして何をする必要も無い。

 

 上陸など無謀であり、無人偵察機は全て001の伸ばす塔に撃墜された。

 

 世界は彼らの異様を前にして何一つ出来はしない。

 

 それこそファースト・クリエイターズとやらの最後の瞬間を望遠レンズで捉えるのが関の山だ。

 

 だが、顔を歪める委員長にはそれすらも許せない事に違いなかった。

 

 人類を生存させる為に彼が掛けてきた労力の全てを水泡に還すかのような異常事態……これを何一つ出来もしない部外者によって無遠慮に覗かれる事などあってはならなかった。

 

 彼は完璧主義者だ。

 だが、今まで挫折など知らなかった。

 いや、知り様もなかったというべきだろう。

 

 不公正な法や社会の仕組みへ眉を顰めて来たが、それだけだ。

 

 彼の道行きに影など一つも刺さなかった。

 

 この現実社会に誰も彼も彼より秀でた上で彼を邪魔しようとする者はいなかったのだから。

 

 彼が排除出来ないモノなどいなかったのだから。

 

『周囲の―――』

 

 彼が次なる指示を出そうとした時だった。

 ザリザリと耳障りな砂嵐を思わせて。

 彼らの観測機器の全てにノイズが奔る

 

『何だ!? ノイズの原因は!!?』

 

 叫ぶ指揮者に白衣の男達が次々にあらゆる観測機器から検出、送られてくるノイズの波のデータを画面上で統合していく。

 

『光、音、空振、重力波形!? 何だ!? あらゆる物質が、現象が同じパターンを描くだと!? 一体、何が起こっている!!?』

 

『わ、分かりません!? 続いて宇宙線からも同様のパターンが!? 地球上の観測点から地殻変動から来る微振動に同じパターンを確認!? な、何なんだコレ!!?』

 

 慌てる者達の中。

 最もこの中であらゆる学問を修めた者。

 委員長が一瞬のひらめきにハッとする。

 

『まさか、共振、しているのか? 何だ!? 何と共振している!? あらゆる物質と波を共振させ、重力すらも曲げるだと!? 一体、何をした貴―――!?』

 

 死体に問い掛けようとして、ハッと男は己の口をガッチリと片手で押さえた。

 

 それはもはや答えだ。

 だから、それは有り得ないとすら否定出来ない。

 

 自分の直観を今まで信じて来た男が初めて自分のソレを疑念し、自己否定に入ろうとした瞬間。

 

『深雲からのアラート警報!? 何処だ!? 何処から来る!!』

 

 彼が見た予言機械からの託宣は正しく死の宣告か。

 宇宙一面に立ち込める暗雲の最中から現れる。

 それはまず赤黒い輝きを発する何かだった。

 雲が無限に小さな渦を生み出し。

 

 その無数の中心点からレーザーの如く、陽光が雲間から差すかのように地表へと降り注ぐ。

 

『く、空間歪曲を確認!? 重力波検出!? レーダーに感有り!! な、何だ!? 異常発生地点より後方にむ、無数の反応を確認!? 大気圏外には何もいないんだぞ!? 別の領域に繋がってると言うのか!? げ、現在総計中!? 十万、百万、い、一千万!? それ以上だと!? け、計測不能!? 反応多数接近、十秒後に直上!! 来ますッ!!!』

 

 不意に輝きが降り注いだ地表の全てが爆裂した。

 その中心には何かが蹲っている。

 

 それがゆっくりと起き上がる時、多くの白衣の者達は冷や汗を流した。

 

 紅黒い人型の揺らぎ。

 ハッキリと見える四肢。

 

 目と口のみが更に赤く輝く点となったノッペリとした何か。

 

 悪霊。

 

 誰かがそう呟いた瞬間。

 彼らのいるドームが激しい衝撃に見舞われた。

 

『何がどうなっている!? 此処の耐震設計は深度8クラスでもコーヒーが揺れる程度なんだぞ!?』

 

『ド、ドーム外殻損傷!! げ、現在、自動修復用硬化ジェルの充填が開始されました!!? 001の各地では、破壊活動らしき反応を確認!! し、侵入されています!! 001の外殻から侵入されて、各所の機器が破壊されている模様です!! 委員長』

 

『馬鹿なッ!? 001の同化能力は発揮されていないのか!?』

 

『被害映像を確認したところ!! あの赤黒い人型は同化対象にならず、外殻を擦り抜けているとしか!!?』

 

『本当に悪霊だと言うのか!? 同系統オブジェクトのプロトコルで対処する!! ただちに外殻周囲の区画をパージしろ!! 周囲に磁界障壁を展開!! 物質的な干渉をするならば、波をぶつけて干渉出来る周波数を見付けろ!!』

 

『りょ、了解!! ただちに作業へ入ります!!』

 

 複数の画面に映し出された悪霊達の口がグパリと開く。

 

 ビッシリと揃った乱杭歯。

 

 更には滴る唾液らしきものが地面を融解させていく。

 

 ドクリドクリとまるで心臓の脈動にも似て、世界が震える。

 

 何もかもを震えさせる。

 ソレは何か?

 言うまでも無い。

 世界が共振する中心に在るのは死体だ。

 いや、正確には死体らしきものの腹部だ。

 

 ゴポリと。

 

 背骨から腹部に掛けての肉が削げ落ちる。

 

 同時にソレが現れた。

 

『な、んだ!? 何だアレは!? 胃? アレが胃だと言うのか!?』

 

 思わず白衣の誰もが魅入られた。

 死体の中央。

 

 ズグンズグンと脈打つのは胃というには完全な瓢箪型の何かだ。

 

 食道から直接繋がっている。

 だが、腸には繋がっていない。

 いや、そもそも腸が大腸も小腸も無い。

 胃だけだ。

 それだけが脈動している。

 世界の全てと同期している。

 

 生々しい臙脂色をしている癖に中央に何かが埋め込まれている。

 

 それは懐中時計の裏側のようにも見えた。

 

 もし、そうだとすれば、ソレは内部に向けて埋め込まれている事になる。

 

 一言で異常と呼べる何かが細胞も停止しているのに動いている。

 

 酸素も供給されていないのに動いている。

 血管から血が流れ込んでもいないのに動いている。

 

 熱量がそもそも冷めていく死体に過ぎないのに……動いているはずの胃に熱量の変化すらも見られない。

 

『法則が、違う? 存在の定義が異なる、のか?』

 

 露出した胃が向いた上空。

 一際大きな雲の渦の最中に輝く光が見えた。

 ソレは正しく眩き太陽の如く全てを照らす光。

 

 しかし、確実にたった一人に向けて落される粒子にも見えて。

 

『ッ?! せ、生体活動確認!! 10、20、みゃ、脈拍が戻っています!? 細胞単位での活動再開!!』

 

『何だ?! さ、細胞がぞ、増殖しているのか!? 熱量急激に上昇!! 100度、200度、上昇止まりません!!?』

 

 死体の周囲に霧の如く水蒸気が発生する。

 

 シュウシュウと最初の数秒こそ周囲を覆い隠す程のソレはすぐに晴れたかと思えば、今度は空気がゆっくりと腕や内蔵や肌や骨が元に戻っていく度に揺らめき。

 

 砂漠の陽炎の如く明々と灼熱し、今も融合している巨塔の先端が伝導される熱量によって赤熱していく。

 

『1400°を突破!! 観測機器によれば、これは、この熱量は細胞の増殖による―――ま、摩擦熱だと!!』

 

 融け出した塔の頂点。

 死体だったはずのソレが発火する事なく。

 揺らめく大気の繭に包まれ、歪みを拡大させていく。

 

『せ、世界各地で同現象の出現を確認!! 約42321ポイントであ、悪霊と思しきものを吐き出す雲が拡大していきます!! は、破壊活動!? 何だ!? こいつらインフラをッ!?』

 

 同時刻。

 

 世界各地において人々は目撃するだろう。

 

 悪霊。

 

 そうとしか言えない赤黒い何かが文明の象徴たるビルや道路を蝕み喰らい始めるのを……如何なる物理攻撃も効かず……魔術師達に退治される以外には全てが全て、人の文化の精粋たるモノを喰らっていく。

 

『まさか?!! 質量を補填しているのか?!! ッ―――――そうか、001は同化していたんじゃないッ?!? こいつにッ、こいつの胃に体毎喰わ―――ッ」

 

 猛烈な衝撃がドーム内を襲い。

 複数の悲鳴と機材に躰をブツけて倒れ込んだ白衣達が絶叫する。

 中には振動した機材によって手足を潰された者もあった。

 

『外殻をく、喰ってる?! そんなの有り得ないッ!!? 生物には猛毒なんだぞ!!?』

 

 一部の白衣達が自分達のドーム周辺の区画がパージされているにも関わらず。

 

 その周囲が電磁的な障壁によって閉ざされているにも関わらず。

 

 上から上から降って来る滝のような悪霊の川に周辺区画のある空間毎呑み込まれていく光景に絶望した様子で叫んだ。

 

『狼狽えるな!! 周波数の割り出しと障壁の強化でドーム損傷は軽微だ!! 001を誘導せよ!! 緊急地殻潜行用意!!』

 

『ち、地殻潜行用意!! で、ですが、緊急潜行は周辺プレートが圧壊する可能性が!?』

 

『構わん!! このまま喰われて死にたいか!! それとも化け物共の餌に成りたい奴は外に出ろ!!』

 

 委員長。

 

 彼がもはや幽鬼のように細った笑みで拳をコンソールに叩き付ける。

 

 それと同時に今の今まで震え続けていた001が莫大な海水を引き込みながら、沈み始めた。

 

『ま、毎秒30mで地核潜行開始!! 下部のアトラス・パイル群正常稼働!!』

 

 これで001に群がる悪霊達を地殻の中で振り切れるかという淡い期待が微かな希望となったが、すぐにハロルド・ワイズマンはソレが甘いという事を知る。

 

 未だ膨大な演算を繰り返す深雲よりの警告。

 直上、800km地点に不穏な動き有りの報。

 

 画面の一部が罅割れた望遠レンズによって映し出したのは巨大な何かだった。

 

『静止衛星軌道上に大質量を確認!! 何だ!? あの衛星群じゃない!? コレは―――体積が異様に小さい?!』

 

 映像が世界各地の電波望遠鏡で捉えた情報で補正を掛けられ、すぐにCGによってその姿を顕わにしていく。

 

『や、槍、だと!? 神の杖か!!?』

『す、推定質量432241t』

『よ、四十万トン!!?』

『巨大隕石並みか!?』

『どうやって、あんな場所で鍛造をッ!?』

 

 彼らが見たのは巨大な無数の槍衾だった。

 20m強の長さを誇るソレが実に数千本。

 虚空に浮いていた。

 その内の一つが浮き出したかと思うと瞬時に加速する。

 

『き、来ます!? す、推定被害深度80km?!! 槍自体が加速しているのか?!!』

 

 悲鳴染みた声。

 だが、それも数秒後には声にならない声となった。

 着弾。

 その数秒後。

 

 外殻が猛烈な振動によって震わせられ、内部が正しくゴムボールを跳ね回らせたような有様の白衣の男達の躰を血潮で塗れさせ、委員長以外が沈黙し、すぐさまに内部へ備え付けられていた救命ドローンの起動によって救命措置が施されていく。

 

 引きずられ、後方の医療設備のある扉へと殺到していく同志達には一切目もくれず、男はその相手の切り札らしきものを残りの者達と共に凝視していた。

 

―――中心部より南東32km地点に着弾……被害、001南東部から南部に対して大規模な断崖発生……脱落まで23秒。

 

 機械は残酷な真実を告げる。

 人類の英知が届かぬはずの巨体。

 

 ソレが一発の槍によってまるで割れたクッキーのように欠け始めていた。

 

『く、くくくく……001でなければ、地殻を貫通されていた。それも全て予測済みか!? 未来人!!』

 

 次々に槍が巨大な小大陸(マト)に降り注ぐ。

 それは的当てゲーム染みた作業だ。

 激震、激震、激震、激震―――。

 次々にドーム内の全てが拉げていく。

 だが、委員長のいる場所だけは未だ原型を保ち。

 

 また、彼もその振動と衝撃の中で平然と憎々しげな瞳を画面に向け続けている。

 

 中心部以外の外殻が次々に001の脱落から掛かる超荷重に拉げていく。

 

『001を質量兵器で削り切るだと? 未知の物質、大質量、同化の拒絶、001本体を露出させる為だけの兵器かッ!! ならばッ!!!』

 

 地殻潜行は継続中。

 

 しかし、先に落下した001の大質量の残骸が道を塞ぎ、莫大な海水が中央部を浮力で浮かせ始めている。

 

 中央部が完全破砕される前に委員長のコンソールが拉げながらも最後のボタンを内部から浮上させる。

 

『人類の為に本音で語り合おうか!! この悪魔め!!』

 

 拳の骨が割れそうな程の打撃がボタンを叩き割る。

 

 同時に悪霊達が未だ攻撃していた外殻が急激に周辺の支柱の一部を起爆し、001のある本体へと真下の最も太い主柱で突き上げられた。

 

 ソレが001本体の真下に埋め込まれる。

 

 それは小さな歯車が無限のように組み上がって出来た寄木細工にも見えた心臓部。

 

 あらゆる人体、あらゆる動力源を内包する為にあらゆる物質を溶解し、歯車のように組み上げ、有機も無機も無く。

 

 全ての物質を一つとして蠢く声明の如きナニカ。

 

 浸食されていくドームはゆっくりと中心部へと吸収され始め、周囲の悪霊達が脱落していく。

 

『やはりか……この一帯のコアの同化作用ならば……形を為せ001!! 貴様が人類史から削り取った世界の力を見せてやれ!!』

 

 その声は次々に殺到する歯車の濁流に呑み込まれていく。

 

 だが、その歯車が男の半分潰れ掛けていた肉体を構成したかと思えば、濁流の中に呑み込んで中核へと引き上げていく。

 

『そうか。そうか。貴様も恐ろしいか!! ああ、伝わってくるぞ!!? 貴様の生存本能が!! 無限の進化を産むはずの力を前にして立ちはだかる壁の脅威が!! おお、おおお!! コレは!? コレが貴様の作動原理か!! エラーコード……そうか……そうか……お前もまた()()()()ならば、あの異なる世の理を討ち果たせ!!! 001!!!』

 

 今は僅かに残った半径10kmの海底に呑み込まれたソレが歯車を零し、呑み込みながら、砕けた残骸の一部をまるで繋げるかのように四つのパーツを組み上げていく。

 

 まるでプラモデルのパーツを板から乱雑に取り外すような轟音が海中に響けば、砕けた世界に気泡が無数に湧き上がる。

 

 遥か地底に注ぎ込まれた海水が熱され、ようやく此処まで上がって来たのだ。

 

 破壊された地殻そのものが蠢き。

 

 崩壊し、脱落したはずの残骸がまだ僅かながらもそのパーツへと繋がり、また別の形を成していく。

 

 それは立体形成された人型にも見えた。

 もはや中心部の塔の集まった山岳は崩れ。

 死体は跡形も見えない。

 だが、いる。

 いるはずだと倫理的ではなくとも。

 彼には、委員長には分かっていた。

 

『姿を現せ!!!』

 

 急激な大質量の流動に莫大な水圧の変動が周囲の地球に空いた大穴を崩していく。

 

 浮上し始めたモノが海面に戻るまで数十秒。

 

 その質量が動く最中も委員長、彼は周囲の歯車に映り始めた無限のような映像をあちこち確認し続けていた。

 

 そうしてようやく。

 

 海面が莫大な水柱を噴き上げ、その質量体が姿を現した時。

 

 ソレは虚空にいた。

 

 未だ赤黒い閃光から悪霊達が海上へ爆発を伴い顕れ続けている。

 

 未だ世界各地で悪霊達の質量の補填は終わっていない。

 

 夢幻のような海水によって出来た水蒸気が更に海域を荒れ狂う暗雲によって閉ざした時、まだ上空から差していたスポットライトが閉じていく。

 

 まるで役目を終えたかと言うようにバタンとその光を遮る何かで光源が掻き消え。

 

『初めまして救世主の為りそこない』

 

 黒い巨体が悠々と大気の最中に浮いている。

 全身鎧の人型は30m程もあるだろうか。

 

 しかし、その眼下からせり上がって来るものと比べたら、羽虫と月程も違うだろう。

 

 全長15km以上のソレが自重をどのように支えているものか。

 海上へどのように浮上しているものか。

 原理などもはや使用している当人にすら分からない。

 

『行くぞ。悪魔よ……人類の英知と我らが力の前に平伏せ!!』

 

 腕が伸びる。

 だが、それだけで指先は音速を軽く超える。

 

 超大質量の操作はどのようなものであっても末端を赤熱化させる程の速度を叩き出すのだ。

 

 001本体から近い物体の同化能力はもはや大気すらもその範疇とし、刻一刻と物質の吸収と肥大化を繰り返し、全身の質量と体積を変幻自在にする。

 

 ソレだけでもはやあらゆる衝撃、打撃と言うには程遠い。

 

 コレは単なる音速以上で飛んでくるバカでかい隕石と変わらない。

 

 メガインパクト。

 

 しかしながら、肥大化しながら迫る巨塊に対して黒の巨鎧は怯まない。

 

 それどころか。

 その腕の固定武装を向けただけだった。

 小さな弾丸を無数に放つ。

 たったそれだけの腕に仕込まれたマシンガン。

 それ自体には何の変哲も無い。

 人類ならば理解出来る機構。

 

 それが打ち出した弾丸の雨が半径1000m以上の拳に当たった瞬間。

 

 フッと消えたかのように思えたが、すぐにその腕が異常を来した。

 

 腕の中間程がボロボロに崩落し、肘までの部分が内部からの罅割れと脱落で鎧に無数の散弾の如くブチ当たる。

 

 完全崩壊した肘元から複数の部位が脱落し、莫大な水柱を噴き上げた。

 

『あの槍と同じ構造材か!?』

 

 急発進した機影が瞬時の加速原則で相手の胸部中央に現れ、ペタリとその掌を装甲表面に付ける。

 

 本来ならば、同化されているはずだが、その様子も無く。

 蒼い耀きが装甲表面から伝わったかと思うと。

 突如として001の動きが鈍っていく。

 いや、それどころか。

 次々に表面がボロボロと崩れ始めた。

 

 それを機に蒼い輝きが拡大し、周囲の水蒸気がパキパキと氷結してはスノーダストのように煌く。

 

『分子運動の停止だと?! コレは……小型高出力のレーザー冷却用マシン群か!!?』

 

 耀きとしか見えないソレを振り払おうと首筋から突出した複数の塔が蛇のように鎧へと殺到する。

 

 が、それもまた青い輝きを受けると次々に動きを止めながら崩れていく。

 

『は、ははは……001の特性を無力化する気か!?』

 

 001の活動はあらゆる物体の同化と再配置と流動によるエネルギーの抽出によって成り立っている。

 

 その大半を賄うのは運動エネルギーと熱エネルギー。

 

 これらを交換しながら有機的な複雑さで行う事で未知の合金や有機化合物、無機有機の混合物を生成し、応力集中を操作して巨大な物体を動かしている。

 

 動力で機関を動かしていると言うよりは装甲が次の形へと変形していると言うのが正しい。

 

 それに必要な熱量と運動エネルギーが突如として物体から奪われたら?

 

 後に残る理屈は一つだ。

 止まったら死ぬ生き物を止めたのだ。

 言うまでも無い。

 

『クソ、クソ、クソ、ッ、何だと言うのだ!! その出力を何処から持って来た!!? 大陸の一部を呑み込んだ物体だぞ!! どうやって物体内部まで冷却している!! 深雲!! 奴を殺す方法を予言してみせろ!!!』

 

 喚こうが叫ぼうが、彼の周囲からも歯車の活気は失われていく。

 

 ゆっくりと何もかもが遅く遅くなっていく。

 

 そうして、今現在の主からのインプットに対して出された解答はこうだった。

 

―――35年後まで結果をお待ち下さい。

 

 それが限界。

 

 十万年先の未来技術に辿り着くまでに予測演算に掛かる年月がたった数十年単位という事実は正しく驚くべきものだったが、今この時のみに関して言えば、遅過ぎた。

 

 このままでは己ごと凍り付く。

 

 そう知ればこそ、全能にも等しく思っていた躰を分離させ。

 

 委員長はその自らの出来る限りの速度で肉体を外へと緊急射出する。

 

 その肉体の大半は歯車に置き換わっていたが、まだ動いている。

 

 人の形を保っている。

 それどころか。

 見せ掛けでスーツすら象っている。

 空にエネルギーを放出しながら、浮かぶ事すら可能だろう。

 ああ、だから、どうした?

 そんな声を聴いた気がして。

 震える拳が凍り付き始めた脱出用の穴に叩き付けられもせず。

 

『クソォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 

 絶叫となった。

 

―――?

 

 不意に巨鎧の胸元に白く艶めいた白銀らしき何かが生える。

 

 それが少年の胸を貫いていた。

 

 001。

 

 同化不能の金属槍がインパクト時に欠けた僅かなソレを微かに自らを動かして投擲した塔が崩れ落ちる。

 

 だが、それよりも早く急激に空で紅蓮のような暗黒のようなドス黒い明滅が起きた。

 

 それと同時に今の今までインフラや残骸を喰い漁っていた悪霊達が身悶えるようにして空の暗雲の先。

 

 彼らの元いた場所へと吸い込まれていく。

 そうして、先程よりもまた呆気なく。

 

 巨鎧が唐突に空中で分解されたかと思うと内部で槍に貫かれていた少年の肉体が海上に未だ波打つ大荒れの大海に浮遊する数kmはあるだろう岩塊へと激突した。

 

 しかし、001もまた限界だったのか。

 

 最後に漢を吐き出したかと思えば、急激にその装甲を、岩塊を固まらせ、海中へと沈み込んでいく。

 

 その渦に引き込まれていこうとする岩塊の上に降り立った男。

 委員長が呆然と勝ったのかどうか。

 

 まだ動き出す事の無い胸元の大穴以外が完全再生した相手を見下ろす位置に着地する。

 

『勝った……だと? いや、いやッ、まだだ!!』

 

 その腕がその髪で瞳も見えない頭を首から掴んで、ギリギリと締め上げる。

 

 しかし、どれだけの握力で締め上げても未だ首が拉げる様子は無く。

 

 確信と共に男は自らの最後の切り札を意識しながら、相手を睨み付ける。

 

『直接、相対するのは初めてになるか。ファースト・クリエイターズ』

 

 相手に反応は無い。

 

 だが、今も鋼鉄すらゴムのように拉げる握力で首を握り潰そうとしながら、衣服に見せ掛けた擬態の下から素肌の歯車を覗かせる男が続ける。

 

『私は負けていた。負けていたのだ。だが、貴様にも想定外という事はあるようだな……自らの槍で滅ぶとは……まったく、無様な話だ』

 

 答えは返らない。

 

『このまま貴様を殺す方法を探し続ける程、無駄な時間を掛ける気は無い。直接の接触が無ければ使えないかと思っていたが、どうやら運は我々に味方した……001は数百年後には引き上げよう。だが、そうするにしても手駒が足りない。ああして集めたモノを全て貴様が葬り去った以上、今からまた集める事は計画遂行直前のこの時期では物理的に不可能だろう』

 

 男が自分のもう片方の手で相手に見えるよう前に突き出す。

 

『この遅れは貴様に責任を取ってもらおう。このオブジェクトが我々の手元にあったのは行幸だった』

 

 片手の指に嵌っているのは指輪だ。

 何の象形も入っていない。

 鈍い色のリング。

 

『これは元々があの歯車……全てを改良せし、あの力によって二つに割れたものを改良した結果だ。元々の能力が対人用に対しては完全無欠の力だったのに対し、こちらは精々が一つの事を他者に順守させるのが精々……しかし、人格が単なる人間たる貴様ならば、効果は十分だろう』

 

 指輪を見せつけたまま。

 首を高く掲げて。

 男は高らかに告げる。

 

『これより、我々を主と仰ぎ、その力を献上せよ!!』

 

 首が放された。

 

 それと同時に倒れ込もうとした姿勢で不自然にヌゥッと前に起き上がった少年を見て、彼は嗤う。

 

『勝ったぞ!! その力さえあれば!! 我々の悲願は成就するだろう!!』

 

 人を操る力。

 マインドコントロール。

 そういうオブジェクトがこの世には存在する。

 

 それだけで多くの人物が思うだろう恐ろしい事態を引き起こすKクラスシナリオの中核だろう。

 

 だが、それを持っていたのが今正に世界へ喧嘩を売ろうとしていた男だったと誰が知るだろう。

 

 そう、財団によって封鎖された歴史の奥。

 001に呑み込まれ、埋もれたサイトにはソレがあった。

 

 内部から掘り起こす事が出来た事は奇蹟に等しかったが、ソレが有る限り、生命体が逆らえる事など有り得ない。

 

 今後の彼の活動は更に進んでいくだろう。

 

 そう、未来からの試練を潜り抜けた彼に対して齎されたのは力なのだ。

 

『くくくく、ははははは、あはははははははははははは』

 

 清々しい程に全ては予定調和だ。

 彼が世界を人類を救う事は確定したのだ。

 その慶びは如何ばかりか。

 

 それこそ世界中の人々を分かち合えるような大願成就だと。

 

 彼はそう信じて疑わない。

 

 しかし、その祝う者無き喜びを前にして少年は表情一つ浮かべず。

 

 それどころかズルリと何かが抜け出るようにして男の胸元に倒れ込む。

 

『な―――!?』

 

 委員長、彼の目の前で起こった事を言い表せば、一言で異様だった。

 

 その少年から前のめりに抜け出た()()()()()が、口元の乱杭歯をワシャワシャと蠢かせ、その人型でありながら、決して人間では有り得ないのっぺりとした顔を、眼光を輝かせて、男をガッチリと両腕で挟んでいる。

 

『悪霊、だと!?』

『ぁ~あ~やっちまったな。アンタ』

 

 クツクツと声が響く。

 それはまるで少年とは似ても似つかない。

 しかし、確かに声の性質だけはそのままな言葉だった。

 

『貴様!? 誰だ!? 奴は!? 奴は何処へ消えた!!?』

 

『おりゃぁよぅ。あいつの闇さ。ああ、まだ()()()()()()哀れなハーレム王に仕える1の僕ってところかな? いやぁ、それとも鬼と言うべきか? ははは、まぁ、気にする事でもないだろうよ』

 

『お、鬼だと!?』

 

 今、衣服のように変化していた歯車がその余裕も無く。

 

 高速で火花を散らしながら悪霊の腕から逃れようと悲鳴を上げていた。

 

 巨大な岩くらい削り切りそうな運動エネルギーが炸裂し続けているのだ。

 

 しかし、まったく悪霊の拘束は解けない。

 

『それにしても今回は随分と喰らわせて貰った。ああ、いや、連中は人間が喰えなくて残念がってたが、腹は膨れた……“我らが世界”も粋な事をする』

 

『我らが、世界?』

 

『おうおう。お前さん、とんでもないのに喧嘩売っちまったなぁ。ありゃぁ、単なる狂人や救世主なんてもんじゃねぇよ』

 

『な、に?』

 

『あいつぁな? 宇宙1つ滅びたって本当の意味で覆らない希望ってやつだ』

 

 ゆっくりと歯車が悪霊の締め付けによって拉げていく。

 

『き、ぼうだ、と?』

 

『おうともよ。狂人の事が分かるのは狂人だけって言ってたが、あいつは本当の意味でどんな狂人も理解しねぇだろうさ。そして、あいつをどんな狂人だって理解できねぇだろうさ。あいつはな? 疑わないんだよ』

 

 まるで面白い話をこっそりと聞かせるかのように赤黒い肌の少年のような何かがひそめきを零す。

 

 何を疑わないのか。

 そう訊ねる事すら、今の男には難しい。

 悪霊の顔が彼の顔の眼下に迫っている。

 

『アンタは物心付いてから、自分が死ぬ事を疑ったか?』

『―――』

 

『あいつは普通だ。普通過ぎて、逆に普通じゃない。あいつはあいつであった時から自分の死を疑いもしなかった。あいつは幸せがいつか終わるものだと理解していた。心の底から空しくて、心の底から哀しくて、あいつは普通過ぎるくらいに普通の空虚を抱えて生きている。意味もなく死んでいく事を怖がり、意味も無く消えていく想いを悲しんだ。だから、あいつには本当の意味で敵なんていないんだよ。だって、皆空しいのだから、敵もまたそういうものだと納得出来る』

 

 グシャッと歯車の一部が外れ、ジャラジャラと肉体から零れ墜ち。

 

 僅かに下がった男の視線の下には自分へまるで赤子のように抱き着く悍ましき何か。

 

『あいつはな? あいつは()()()()と幸せの意味がちょっとズレてる……人類に豚や牛の心が分かるわけないだろ? それと同じだよ……あいつにとって人間が愛するべきものなのは……あいつが人間を心の底から()()()()()()()()()だと理解しているからなんだ』

 

――――――!!!?

 

『それは心の在り様だ。誰も自分と同じではない孤独……だが、圧倒的だぞ? 奴の孤独は奴一人以外に理解し得ないんだからな……どんなに愛した人間もどんなに恋した相手も、自分と心の底からは分かり合えないと解ってるからこそ、あいつは人を人より理解しようと努力し、情が深いんだろうよ。分かるよな? お前もあいつと確かに似ている……その()()()()とかな』

 

『わ、たし、はッ!!!』

 

『争いは同じ階梯の相手同士でしか成立しない。像が蟻んこと殴り合いしないようなもんだ。お前は良い線を行ってた……だが、やはりあいつと同類というには違い過ぎる……』

 

 もはやほぼ眼前に乱杭歯がパキパキと音を立てて頬にめり込み始め。

 

『あいつのしている事はいつだって原因を探って解決する。たったそれだけの事だ。あいつは自分の好きな連中が死んだら泣くだろう。だが、もう一度と望むだろう。あの素晴らしい日々をもう一度と望むだろう。それが別の誰かに置き換わっても、決して宇宙が終わってすら終わらない想いを抱くだろう。自分が死ぬと理解して尚、その矛盾に疑いを持たない。ああ、それこそが、あいつが選ばれた理由さ』

 

『(うご、か、な―――ッ)』

 

『お前は人格の強度が並みとか言ってたな? 確かにそうだろう。だが、な? あいつ、一度だってソレを感じた事が無いんだぜ』

 

『そ、れ―――』

 

『人間が感じてなきゃおかしいものを感じられないんだよ。お前、一億年前の女の事を心の底に全部刻んでおけるか? 百億年前の人間の為に宇宙の終わりまで戦い続けられるか? あいつは世界が終わったって感じてないだろうよ。ソレを……人が人であるからこそ感じるはずのソレを……だから、想いの全てを摩耗せずに抱き続けるだろうよ……そいつぁ、少なくとも人間じゃぁねぇな。どっかのお釈迦様だって辿り着いたもんか怪しいね。もしかしたら、ゴルゴダの丘で愚痴垂れた男より酷いかもしれない』

 

 カタカタと歯車は成る。

 

 それは下から迫って来る死への恐怖からかもしれないし、あるいは今語られるモノが人を導くかもしれないという事への畏怖からかもしれない。

 

 だが、どうだろうと男は理解するのだ。

 してしまったのだ。

 正確ではないにしろ。

 

『あいつが心の底で幸せと定義するのはな? 自分の置かれた状況を諦めない事だ。そして、あいつは一度だって本当の意味で諦めた事なんか無い。どうにかなると思ってる。もし自分が死んだとてまた次の機会があるかもしれないと思ってる。自分が自分でなくなっても、全てが消滅したとしても、宇宙が終わったとしても、あいつは()()()()()()()と思ってるんだ……()()()()()()()()()

 

 顔の半分がゆっくりと喰われ、否―――同化していく事を感じながら。

 

『それは単なる誇大妄想、と思うだろ? だが、()()が導き出したたった一つの冴えない事実を教えてやろう。この宇宙に存在出来る人類で唯一、宇宙の終わりまで諦める事を()()()()()()()()奴はあいつだけだ』

 

――――――?!!

 

 そんな事は在り得ない。

 

 今、彼が掌握する深雲は一度だって、そんな計算をした事は無い。

 

 そうだ。

 

 そんな事が出来ているならば、あの男は何をする必要も無く。

 

『勝っていたはずだ、か?』

 

 男はゆっくりと流れ込んで来る。

 

 同じになっていくソレが自らを浸食していくのに脂汗も涙も流せないまま。

 

 イヤイヤと首を振る子供のように畏れを顔に張り付けた。

 

『ああ、うん。その通りさ。()()()()はそんな事を一度だって計算した事は無いだろう』

 

『や、mッ、ッ、ッッ?!?!』

 

『今のあいつは自分の本当の意味での勝利を疑ったりしない。何せ、()()()()()()()()()()()んだからな。好奇心旺盛過ぎて我らが世界ながら困ったもんだ。ははは』

 

『ぁ、ぁあ、ぁあぁ゛ぁああ゛あぁ゛ああ゛ぁ゛ぁ゛あぁ』

 

『ああ、そう言やぁ―――我々を主と仰ぎ、その力を献上せよ。だったか? ちゃんとオブジェクトの言う通りに()()()()はしてくれるから、良かったな。献上された人間がどうなるかは知らないが、まぁ……魔術師と殴り合いが出来るようになるんだ。感謝して()()といい』

 

 男はもう聞いていない。

 

 自分の中に入っていくどす黒く朱いものとなっていく最中。

 

 自分が見捨てた仲間達の海底から響く悲鳴だけを感じていた。

 

『お疲れ様。人類愛窮まった狂人。これからは人類悪極まった狂人として是非、世界と戦争をしてくれ……倒されるべき(かたきやく)として、な?』

 

 コトンと指輪が外れ、足場の隙間から深海の奥底へと落ちていく。

 

―――うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――。

 

 男が最後に見たのは黒い肌に朱い輝きだけのノッペリとした人型の顔。

 

 そう、嗤みを浮かべる悍ましき鬼のような何かの吊り上がった唇の端に違いなかった。


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