ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
誰もが万能の力を持っているのなら、世界から争いは無くなるか?
NO。
知的生命は満たされていれば、互いに殺し合う事を止めるだろうか?
NO。
不自由な戦場で不自由な兵器を以て全てを殺そうと敵に立ち向かう犠牲者達は……兵隊足り得るか?
YES。
誰が言ったのか。
軍場《いくさば》には怪物が出るという。
それは兵站が途切れた先にいる部隊かもしれないし。
使い捨てられる先兵かもしれない。
あるいは敵に恐れられるゲリラかもしれないし。
味方である督戦隊に撃たれる前線の捨て駒かもしれない。
何れにしろ。
怪物は出るのだ。
其処が人の生死を掛けた場所ならば。
ああ、だから、彼らは不毛な消耗戦を前にしても、自分達が全能で万能な男から分け与えられた力を以て……怪物として戦えていたのだ。
だが、敵もまた化け物だ。
爬虫類のような分厚い皮膚と。
優に3mを超す巨躯と。
無限のように湧き出す数と。
猛烈な怪力に巨大な咢と。
魔術に耐える肉体と。
決して尽きる事無い無尽の再生能力と。
その突撃を前にして―――人類は未だ一歩、踏み止まっていた。
月面地下世界内には今や人類種が集う各地の3つの国家。
月兎、月亀、月猫の絶対無欠の三角州以外に生存領域は存在していなかった。
それもこれも麒麟国のせいだ。
彼らは神の軍隊を圧倒し、今や月面内から人類種と呼ばれる全てを排除しようと戦線を拡大した。
だが、その圧倒的な兵量はどういう事か。
彼ら麒麟国の総人口よりも多い兵が今や何処も彼処も闊歩している。
神の軍隊を半数以上平らげてから、彼らは自分達以外の国全てへ宣戦布告した。
と同時に魔王軍が動いた事は正しく天恵のようなものに違いなかった。
影域は既に麒麟国へ呑まれた。
今までいがみ合っていた影と光。
二つの地域の事など、もはや誰もが忘れ去っている。
三国の地域へと疎開、移住、強制的に連れて来られた全ての人々はしかし、魔王に唾するより先に麒麟国の軍隊によって蹂躙された祖国の防衛軍や街並みの惨状に気を取られているのが大半である。
魔王軍が人類種の国家の救済案として他国の民を殆ど自分達の領土の防衛線内部に囲い込めたのは一重にその恐ろしい程の物量で湧いてくる敵国の兵員に負けず劣らずの強力な軍隊であったからだ。
何よりも目を見張るのはその輸送能力と経戦能力だろう。
一国の何千万や何百万という民を彼らは数日で移動させてみせた。
その民族大移動には大規模な魔術が複数用いられ、民は連続での並みの兵士ですら難しい昼夜問わずの移動を行い切ったのだ。
炎に呑まれる祖国の土地を後にした人々は3国が敷いた防衛ラインの威容に驚いた事であろう。
三つの国家を完全にトライアングルとして塹壕が無限のように果てまで何重にも敷かれ、幾多の平原や川が隔てられた姿は正しく世界の終わりの神話に出て来るモノにも見えたはずだ。
主要な要塞と各国の国境とを結ぶ超規模塹壕戦術。
巨大な砲列が後方の宿営地にはズラリと本当に地平線の果てまで並び。
その列すらも何重というのだ。
もう笑うしかない。
だが、その先で見られた光景は更に衝撃的だろう。
巨大な門の先。
数日も歩いた彼らが更に見たのは月亀の首都で見られるような街並みが何処までも続いていく、三角州の中心地帯だ。
街並みにはちらほらと人がいたが、それらは全て彼らを迎える為の人員。
街は彼らを養う為に用意されたものだとその国家の王家やら役人達が告げられた時、呆けたのも無理はない。
そう、大半の無人地域は今や避難民の為の都市へと変貌していたのだ。
彼らはまた更にそれだけの施設があってすら、住むには数が足りないという事実を後に知るが、それすらも魔王軍は解決していた。
地表で足りない分は地下に住まえと地下都市までも与えられたのである。
隣接する非難国家の境目は人種以外には見た目分からない。
また、この都市群の内部では全ての警察権力が魔王軍に集約されており、移動には制限も無く。
何処へでも自由に行き交う事が出来る。
都市内に奔る魔術で運行される空飛ぶ船やら都市内に張り巡らせられた河川。
神の所業か悪魔の技か。
分からぬとしても彼らは感じ取っただろう。
今、魔王軍は本気だと。
実際、三角州を護る戦線には今も麒麟国の兵が押し寄せてきており、1日に5人程の死者を出しながら、魔王軍はその数万倍にも及ぶ敵兵を皆殺しにし、再生すら許さず灰にしていた。
ああ、だが……だが……彼らの昼夜無い奮戦にも関わらず、敵軍は翌朝までにはまた同じような数に増えているのだ。
火砲で粉々にしても、魔術で灰にしても、後から後から湧いてくる。
三週間。
それが月猫首都の機能が1日凍結された後から始まった一連の戦争の経過であった。
今現在、首都のメインストリートの1つ。
月兎大使館前は立ち入りが封じられ、硝子のようになった地面や建物もそのままになっている。
今、此処が月猫、月亀、月兎の全ての連合軍と魔王軍の総司令部として各要塞線と塹壕に命令を送る中枢となっている事は公然の秘密であった。
『ケーマル殿。第一塹壕線に多数の敵兵の肉薄を確認致しました』
『火砲で焼き切れなかったと?』
『いえ、前日の三倍の量で強引に火砲の殲滅圏を突破したと』
『塹壕内の爆破処理機能を運転開始。ただちに部隊を後退。各種の噴煙《スモーク》を用いて進軍速度を停滞させて下さい』
『了解致しました』
今現在、総司令部の命令系統は一元化されており、数人の人間が交代制で魔王軍に命令を下している。
ウィンズ・オニオン。
ジン・サカマツ。
ケーマル・ウィスキー。
ヨセフ・ドレスド・月亀。
この指導者層の四人が実質的には指令として魔王軍の3戦線と中央守備隊を指揮し、フラウとユニの二人が月兎と月猫の総司令を交代制でしている。
月亀はこれをヨセフが一人で兼務するが、現地の指揮は息子のコラート・ドレスド・月亀が軍の参謀本部と共に行っている為、負担は少ないという。。
現地の総指揮官としては神殿からアウル・フォウンタイン・フィッシュが重用され、魔王が組織した探訪者集団エコーズから年若い戦術、戦略の才媛エオナ・ピューレが総指揮の参謀役として加わり、各戦線に急行する遊撃部隊の指揮も熟す。
防衛ラインの師団長には魔王軍が各地から取り立てた人物達が軒を連ねている。
月兎のイナバ大公の血縁であるクト・イズミ・イナバ師団長。
月狗邦でスカウトされたウィズバーン・エッグ師団長。
更に月兎のフラウの指揮下となるキリエ達が直轄部隊として各戦線に敵を押し戻す為の正面戦力、逆襲用の予備兵力として備えている。
魔王軍が粗方進めていた多くの計画は麒麟国の殲滅までは在り得ず。
その各国の政治的な遣り取りも殆ど停滞している。
今や存亡の危機に立たされている人類種の大半はそれどころではないというのが本音だろう。
灰の月との戦争すらも今は有耶無耶なのだ。
何故なら、総司令部は大蒼海《アズーリア》の上部構造に置いていた基地を放棄。
全戦力を三か国の防衛線力に回したからだ。
数度、放棄された基地を取得した灰の月の軍が巨大な人型で攻めて来たが、その大半が影域からのルートしか確立しておらず。
無限のように押し寄せる麒麟国の兵と消耗戦を繰り広げ、最終的には入口を爆破封鎖して、スゴスゴと前線基地へと戻っていた。
彼らにしてみれば、月面内は恐ろしい怪物に襲われるパンドラの箱かもしれず。
それ故に無暗に手出ししてこなくなった事は魔王軍にとってはありがたい話で。
何処の国も消耗戦になりつつある今、魔王軍へ全面的に協力する事でしか生き残る手段がない事を自覚し、今までの政治的な柵を一端横に置いて全体的な生存の為の協定を魔王軍との間に締結するに至っていた。
つまり、これを人々は【
それは苦い平和だ。
ああ、全く以て皮肉であったが、初めて人々は自らの柵という立場の垣根を超えて、生存の為に魔王軍という剣にして盾を背後から直す立場となった。
結局、それ程に麒麟国の猛威は人々にとって予期せぬ、致命的な出来事であり、一致した敵に対しての共同でなければ、何事も進まないという人間の本質的な事実を端的に表している名前だと言えるだろう。
まぁ、彼らが集った三角州内では魔王謹製の甘味が大安売り以下の価格で売られ、女子供ばかりどころか。
大の大人さえ、その虜になっていたのだが。
「いや~それにしても魔王さんはホント何処行ったんだか。ウチらの仕事増えまくりやないか」
魔王印のパフェー(大)が大振りのスプーンで小さな口に運ばれていた。
中央守備隊の詰め所近く。
人類種ごった煮で狭い土地に人口密度が数億人という新造の都市区画は活気に溢れている。
そんな月亀の建造物に似た高層建築群の最上階。
人力で昇るのも面倒と言われて久しい其処に喫茶店があるのを訝し気に思う者もいるだろうが、その駐機用の場所に魔王軍の機動部隊が乘る空飛ぶ機械が置いて有れば、ああと納得するに違いない。
「ルアルちゃん。それ一応機密だからあんまり喋らない方が」
そうルアル・ラディッシュにヒソヒソ耳打ちしたのは隣で果実のタルトをお茶と共に頂いているソミュア・オレンジであった。
「魔王だからいいよ別に。うん。魔王だし」
「リリエちゃん……」
いつも魔王に厳しいリリエ・グレープにソミュアが苦笑いする。
「でもなー。ものすっっっっごい苦労したやん」
「ま、まぁ……月猫で気付いていたら、大通りが溶けて固まってるし、魔王さんはいなくなってるし、そのすぐ後に麒麟国の宣戦布告があって、魔王軍忙しかったもんね……」
「苦労。ソミュア。アレは苦労っていうより重労働だよ。毎日毎日、人の誘導、麒麟国の
「あはは……でも、魔王さんが色々と準備してくれてたものを使って何とか此処までやって来れたんだよ? マスティマ様達が降臨して、魔王様の代わりに沢山の人達の意見を纏めてくれてもいたし、各国の調整を魔王さんが集めてた人達が取り仕切ってくれたから、此処まで迅速に避難も出来た」
「せやなぁ。だけど、それにしても麒麟国がいきなり、あんな隠し玉使うて来るのは違和感あるわ。何で最初っからああせんかったんやろ。無限に兵隊を造り出す装置やったっけ? アレ、潰して回るの苦労するわ。ほんま」
「それもだけど。麒麟国の本国が影域にも宣戦布告したのはオカシイと思う。難民も全て他の影域に押し付けてたらしいし。でも、どうしてそこまで御膳立てしたのに影域を斬り捨てたんだろ……」
彼女達がテーブルの上に一応広げてある地図を見る。
影域との連携で本来、事を優位に進めようとしていたはずの相手が今は世界の世界の全てを敵に回して戦っている。
無限に兵を生み出す装置。
そう、そんなものまでも持ち出して来てだ。
「分からないけど、何か変化があったんじゃないかな」
「変化?」
ソミュアにリリエが首を傾げる。
「うん。きっと、全てを敵にしなきゃいけないような理由があるんだよ。今は何とか戦線も持ってるし、死ぬ人も最小限に抑えられてるって戦線で戦ってるアウルさん言ってたけど、あちらの動きが読めないとも言ってたもん」
「読めへんてどういう事?」
ルアルが訪ねる。
「戦略や戦術らしいものが無いって。誰が指揮してるのか知らないけど、単純に数を増やしたり減らしたりしてるだけでその兵力を一極集中してくる気配やこちらの戦術を破ろうとする気配が無いから、装置が兵隊を量産して、その量産の増減だけが今は問題なんだって」
「ふ~む? もしかしたら、麒麟国の本国に何かあったのかもしれんね」
「でも、諜報部隊が行ったら、麒麟国のある地域が結界で覆われてて中を覗けなかったんだよね?」
「せやな。結界の出入り口は地上部にしかあらへんから、そこから侵入出来るかと思うとったらしいけど、地表は兵隊が蟻一匹這い出る隙間もなくガッチリ固められてて、突破は不可能って話やから、あの装置を一気に恒久界中で破壊する大規模反攻作戦まで中身は覗けへんと思うで」
「うん。そうだね……ぁ、いっけない。そろそろ魔王応援隊のライブの時間だよ。今日は私達が護衛担当だから、そろそろ行かないと」
「それにしても毎日、あちこちでライブしてるなぁ。一応、あの人ら魔王の後宮勤めなんやけどなぁ」
「魔王がいなくなったし、好きにしたらいいんだよ。うん」
「とか、言いながらも魔王がいなくて、ちょっと夜寂しそうなんは誰だったやろうなぁ?」
「な?! そ、そそ、そんな事あるわけない!?」
「ん~~? ウチは誰もリリエの事だなんて一言も言っとらんよ?」
「ぅ……そういうルアル嫌いッ」
「あはは、悪い悪い。でも、魔王さんが消えてエライ皆落ち込んでもうたからな。それを誤魔化すように働いてるんもホントのところやろ? 魔王応援隊の事もそうやし、あのお嫁様達も月猫の大使館で頑張ってるって話や。ああ、双子の片方の子は躰をくっ付けてそろそろ一月やから動けるらしいで。いやぁ、あんなバッサリやられても何とかなるやなんて、魔王のお嫁様凄いわ~」
「確かに……お母さん達並みの生命力だよね。そう言えば、お母さん達が応援隊の本隊や後宮の人達の護衛に付いたから、凄く仕事は楽になったし、こうして遊撃部隊とかも出来てるだよね。私達……」
「ウチらのオカンは最強の部類やからな。でも、幾ら超越者でも心配なもんは心配やろ。まぁ……今、一番心配なのはあのガルンちゃんやけどな」
「ぅん……物凄い働いてるもんね。毎日毎日、ガルンちゃんがいなかったら、魔王軍の仕事の3分の1は遅れてるって言われてるけど、きっと本当にそうだもん」
「……あの子、魔王が戻ってくるって信じてる目をしてた」
リリエが呟く。
それには誰もが同意するだろう。
魔王の筆頭秘書官。
彼女の瞳はただ真っ直ぐに魔王がいたならば、そうしただろうというあらゆる出来事をやってのける決意を秘めて……今も書類仕事に各種の会議の調整や人材の適切な配置など、一個人としては指導者層の人々よりも大きな役割を果たしていた。
眠るところなんて誰も見ていないし、何処かの役所や折衝、会議の場でも必ず見掛けるのだ。
幾ら自分を増やせるからといっても限界はあるだろう。
今1万人以上にまで増えていると噂されるガルン軍団が急に倒れたら、その日から魔王軍の迅速な仕事は不可能になるとすら言われているのだ。
「って話し込んでる場合じゃないよ。仕事仕事!!」
甘味が口に詰め込まれ、バサバサと外套が羽織られる。
魔王軍の紋章。
裸足の足型と錆びれた剣と黒い角を背後に入れたソレが翻れば、店のマスターは何も言わずに頭を下げただけで見送った。
彼女達のような人物しか来ない喫茶店は魔王軍から直接代金を貰っているので個人での支払いは必要ないのである。
駐機中の空中移動型のバイク。
近頃ようやく正式名称として【竜騎兵《ドラゴナー》】等と言われ始めた流線形のシルエットに跨り。
前後のカバーが展開した途端。
三機の空駆ける少女達がトップスピードで都市の上空を駆け抜けていく。
ソレを三国の上空に見えざるままに佇む者達が見送った。
【
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今や神殿に日々声を託宣する四柱である。
彼らはあの日、事の一部始終を見ていた。
だが、何一つ、指一本動かせなかった。
唯一神による強制支配。
それに一応、魔王側からの技術供与で何とか抗う事は出来るようになってはいたが、それすらも意識を保つのが精一杯。
電車に乗せられて魔王が虚空に消え去った後。
彼らが動く前に現場にいた当事者達。
財団の者達と
後には月猫の硝子質になった通りだけが残ったのだ。
彼らの無力感は正しく凄まじかった。
幾ら神などと崇められていようが、本当に力ある者。
運命に選ばれたと言える特別な資質を持つ者達を前にしたら、自分達が脇役だと自覚するしかなかったのだ。
それでも何とか魔王軍の態勢を整え、神殿からも働き掛けた結果として、麒麟国の突如の攻撃にも対応出来たが、それとて大半は魔王軍そのものが優秀なシステムとして組み上げられていたのが大きかった。
彼らに出来る事と言えば、魔王軍で死亡した人間を裏で回収し、蘇生させて軍務に復帰させる程度の事のみ。
魔王から安易な技術供与は後で問題になるからと人命を優先的に救う技術以外は卸していないし、後やれる事と言えば、信者に託宣を下して、魔王軍の行動を潤滑に行えるよう取り計らう事くらい。
麒麟国側が彼らにしか対処出来ないようなオブジェクトを投入してきた時の事を考えても、三角州内から動く事は出来なかったし、状況を探れるのは大蒼海内部に入れて月面地下に縛られない人間達だけだ。
この段に至ってはもう彼らに出来る事は現状維持以外に無くなっていたのである。
『御子様は恐らく、あの男が使っていた未知のシステムで何処かに飛ばされた。今出来る事は見守る事のみか。くッ、口惜しい……』
『そう悲観する事もあるまいて。ワシらがいる限りはオブジェクトによる瞬時の全滅は恐らく防げるじゃろう』
『だ、大丈夫さ……一応は迎撃用に新しいシステムも組んだから……』
『さて、どうなるものか。取り敢えずは魔王軍にあの男が与えようとしていたNVの開発を終了させてはいるが……解析されるのは前提としてもまだ配備は出来ないな……次の反攻局面での投入が妥当だろう』
『反攻作戦まで残り2週間。このまま持てばいいが……』
タミエルが何処か不安げに通信で呟く。
『じゃが、問題はあの時から通信が取れないパーンについてだ』
マスティマが難しい顔で溜息を吐いた。
『邪神のあ、あいつら何か企んでた。きっと、何か……』
アザゼルが断言する。
『今は捨ておいていいはずだ。奴らもまた傍観者の立ち位置なのは今以て変わらない。問題は麒麟国がオブジェクトをいきなり使い出した事だ。何かあったのは間違いないが、何があったのか。その内実を探れない……あちらからの動きを待つしかない以上、我々に出来るのは魔王軍を万全の状態で備えさせておく事だけだ』
アラキバがそう締めると再び沈黙が四柱に降りる。
『……お前の言う通りだ。取り敢えずは御子様の御嫁様方を最優先に護る事としよう……見守るのは主に私だがな』
タミエルが女性として24時間体制で魔王応援隊やお嫁様を見守っている事は彼ら以外に知らない話だろう。
外部を見張りつつ。
しかし、粒さに彼女達に異変が無いかも確認しつつ。
彼女の仕事は続く。
その視線の先には大使館内で立ち働く大勢の人々。
そして、少女達の姿があった。
「さて、主が未だ戻らぬとしても屋敷の掃除は欠かせません。また、お嫁様方のケアと世話は我々の仕事です。皆が皆、あの方に連れ出して頂いた恩を想うならば、まずはあの方がいつ帰って来ても良いように整えるのが肝要でしょう」
『はい!! バルトホルン家令長!!!』
バルトホルン・トーチ&執事withメイド達。
月亀で主に買われて来た彼らは影域から買われて来た多くの元奴隷達と同じく。
今や本物の執事メイドそのものとして研鑽を積み。
彼らにしか出来ない事。
つまりは総司令部の家事炊事雑事の一切合切を取り仕切る立場となっていた。
彼らの前方。
視線の先には魔王のお嫁様+後宮関係者がズラリと忙しく立ち働いている。
彼らとてお客様というか。
本来ならば、団扇でも仰がれている立場なわけだが、そんな風に黙っていられるような性分でもない事は数週間の内に雑務一切をバルトホルンと共に取り仕切って来た彼らだからこそ分かっている。
それに誰もがそれなり以上に優秀で大使館内が上手く回っているのも本当だ。
食事1つを作るのに魔王のように大変な美食やらを作る者がいるかと思えば、軍事に明るい者、政治に明るい者もいた。
誰もがさすが魔王のお嫁様と褒めそやしたが、彼女達は思わず目を丸くして苦笑するばかり。
その言葉は彼らにとって正しく目から鱗だったかもしれない。
随分、無理をしていたんだな、と。
彼女達はそう自分の夫に対して僅かに目を伏せながら評した。
何処か嬉しそうに。
何処か済まなそうに。
だからこそ、彼らにもようやく分かったのだ。
自分達を買った男が自分達のようだったのではないかと。
誰かの下に立つ事も上に立つ事も簡単であるはずがない。
魔王よりは凡庸と誰もが見えるとしても、だからと言って努力もせずに何もかも出来るものだろうか。
それなりに仕事をこなす彼女達ですら、必死なのが彼らの目にも分かるのだ。
それを隠して自分達の主もまた誰かを導いていた。
そう分かればこそ、彼らは今此処にいない男に感謝しようと思った。
だって、そうだろう。
何も世界から奴隷を一人残らず買い取った、なんて偉業。
魔王には必要無かったはずなのだから。
あれだけの力があるのだ。
奴隷を買うにしても何故、そこまでしたのか。
虐げられていた人々にどうしてあそこまで多くを与えたのか。
もっと小規模にしたとて、魔王の今の状況は変わらなかったはずだ。
無駄な事をする必要はない。
彼らの事など放っておいて、目的に邁進していれば、早々にその目的は遂げられたかもしれない。
お人よしだから、と。
彼らの感想に彼の嫁達が微笑めば、 真にまた誰もが主に尽す事を誓った。
まだ、完璧にも完全にも程遠い執事モドキやメイドモドキ的彼らでも、精一杯に行い続ければ、主がしてくれた事に報いられるかと考えて。
「ガルン様。兵站部の方から―――」
「もう終わった。1週間後までの武器弾薬は全部補給済み。資料には目を通して。ガルンだけが分かってると倒れた時、困るから」
「あ、はい」
ガルン・アニスは優秀だ。
今や大使館が総司令部という事もあって、此処には本人が詰めているのだが、それにしても仕事が速過ぎる。
そう、彼女に付けられた月兎の秘書官達は思う。
合計で10人。
今の彼女の執務には付いているが、それにしても超越者である彼らの誰よりも仕事をしているのはガルンで間違いないだろう。
本当は秘書に秘書が付くなんて変と断ろうと思っていたらしいのだが、魔王が消えた日から彼女はその魔王が本来やるべきだった仕事の大半を自分で肩代わりし、実務の一切を停滞させる事なく進め切った。
その手腕は正しく芸術的であろう。
あまりの働きぶりにさすがに秘書官が付けられたものの、彼らの仕事はガルンがやった仕事の概要や細部を全て確認し、ミスが無いかを確かめ、魔王軍の全体像をガルン以外に把握する事だった。
「ガルン様。プロパガンダ用の資料が出来上がったと情報部から」
「すぐ取りに行く。行った…………読んだ。大丈夫だから、魔術で現場に通達しておく」
「ガルン様―――」
秘書達が入れ替わり立ち代わり持って来る案件を即座にこなしていく彼女の働きぶりは正に超人だ。
何といっても、彼女は魔術具のようなものを使わなければ、増える以外の魔術が使えない。
つまり、超越者的な継続しての莫大な仕事量は全てが全て外部からの薬品や魔術に頼って行われている。
その様子は正しく仕事の鬼だろう。
「ガルン・アニス筆頭秘書官はいるだろうか?」
秘書以外からの呼び掛けに初めて彼女は今まで書類を書いていたペンを止めて、扉の外にいる相手を見た。
「皇女殿下……」
「御昼時としよう。しばしの間だけでいいが、どうだろう?」
「……分かった。ガルンもそろそろ食事にしようと思ってた」
「うむ」
2人の間にある空気はギクシャクしているような、あるいは何処か互いに距離を測りかねているような、微妙な危うい均衡を保っているような、そんな空気が流れていた。
秘書達にしてみれば、正しくハラハラするというのが本当のところだろう。
片や母を殺された少女。
片や父を投獄された少女。
しかし、互いの距離感は国家と憎んだ者と国家を護った者。
その対比は今の今まで魔王が間に入る事で避けられていたが、今は誰もいない。
そもそも彼女達は互いに魔王を信頼してはいたが、同時に束縛されてもいたのだ。
その箍無き今。
間を取り持つ者は居らず。
接触する度に周囲の気を揉ませているのは大使館内の月兎陣営にしてみれば、当の出来事であった。
2人が歩き出すとその背後にシィラ・ライムとヤクシャが付き従う。
そうして四人が食堂に行くと一角に込み合う場所を避けてか。
個室が開かれて予約され、食事も用意されていた。
2人が座席に付き、お付きである2人が個室の扉を閉めて前に護衛のように立つ。
「では、頂くとしよう」
「うん」
「「頂きます」」
2人が同時にその言葉を呟き。
少しだけ互いに首を傾げてから、僅か顔には苦笑が浮いた。
「皇女殿下も?」
「うむ……移ってしまったようだ。お嫁様方もそうしているが、あちらも同じだとこの間言っておられた」
「あの人は本当に罪作りな魔王だと思う。ガルンは……」
「そうだな。だが、そうだからこそ……私も……貴女も……」
少しだけ、しんみりした空気が流れるも時間は有限だと2人が食べ始める。
置かれていたのはシチューとサンドイッチだ。
どちらも魔王が来るまでは無かった品である。
実際にはそれっぽいものはあったが、そこまで美味しいわけでも体系化されていたわけでもなく。
料理人が偶に気まぐれで造るスープや穀物の焼き菓子のような部類で扱われていた。
それが今ではふんだんに野菜、果物、肉、穀物、其々が適切な調理を施されて適温で出されているのだから、それは驚くべき事だろう。
「このシチューとサンドイッチはお嫁様の御一人が作っているそうだ」
「知ってる。セニカ様が言ってた。料理を学んでる人がいて、結構美味しいって」
「ふ、これで結構、か。まったく、魔王閣下の舌が肥え過ぎて困る。民の間では女の伴侶が食事を作るというが……私は出遅れそうだな」
「それはガルンも……」
自分の立場を知ればこそ、自嘲めいてフラウが呟く。
2人が静かに食事を始めると聞き耳を立てていいた二人が何処かホッとした様子となって胸を撫で下ろしていた。
「良かった。殿下とガルン様の事をこれ以上心配せずに済みそうだ」
「そうだにゃ。みんながちょっと心配してたからにゃ」
2人もまた懐から包んでもらったサンドイッチを取り出して、腰の水分補給用のボトルからお茶を取り出して食事し始める。
そんな、二人のお付きの様子からようやく緊張感が緩和された食堂に今度は五人の少女達がやってきた。
「ぁ゛~~~ダメなのニャ~~踊りはシンドイのニャ゛~~~」
もはやダミ声になっていたのはエコーズのネコミミ属性クルネ・エールだ。
他の全員もだが、疲れた様子でクタクタなのが誰の目にも見て分かった。
一応、超越者のはずなのだが、それでも汗が拭かれたタオルが彼らの肩には掛かっており、お疲れ様と多くの食堂を使う者達から声が掛かる。
「あ、ありがとうデス」
サブリーダーであるオーレ・ミルクがその労いに頭を軽く下げる。
「みんな、あんまりだらしないとアイドルの威厳が……」
角持つ少女アステ・ランチョンは全員が同じアイドル活動用の衣装に身を包み、疲労が色濃い中でも溌剌として苦笑して嗜める。
「そんな事言ったってニャ~~。リヤやアステみたいにバリバリ前衛型じゃないとあの踊りはニャ~」
「でも、スゴク愉しかったぞ♪」
エコーズの良心フローネル・エルキシールが疲れた中でも笑顔を輝かせ。
「ま、まぁ、フローネルくらい楽しめればオレもいいんだろうけど、戦ってる方が気楽だと思う辺り、オレってアイドル向いてないんだろうな……」
エコーズの前衛として中心でもあるリヤ・レーションが苦笑する。
「うぅ、本当ならエオナに付いていきたかったデス」
オーレが言うものの。
それは無理だと彼らにも分かっている。
エオナが現在指揮する遊撃部隊の多くは彼らのような個別に能力の高い戦力を必要としない完全な正規兵ばかりだ。
それも各戦線の助勢の為にあちこちに出張る事となり、忙しい。
部隊単位で足並みを揃えて戦う訓練をしていなければ、それこそ稠密な防衛網を構築する事はまず不可能であり、彼らに出番が回って来る事は無かった。
エコーズのリーダーであるエオナは今現在は三角州の中心にある総司令部の下位指揮系統の1つである
相手が通信網を破壊、妨害する事を前提に何処からでも生身で最短の位置にいる事を彼女自身が選んだのだ。
今のところそれは杞憂だが、備えなくていい理由にはならない。
「後でエオナのところに行ってみよう。何かお土産も持って。きっと、喜ぶよ」
アステの言葉に誰もが頷いた。
「一応、身嗜みを整えたり、ご飯を食べる時間はあるって言ってたからニャ~」
「いや、無かったら死ぬだろ」
リヤがツッコミを入れると小さな笑いが起きた。
今、彼らの着るキラキラフリフリのアイドル衣装は巷で大人気だ。
魔王軍のプロパガンダ部隊。
魔王応援隊は魔王の後宮としてだけではなく。
幅広い人類種に愛と勇気と友情と笑顔を振りまく大事な仕事となっている。
人々が不安に押し潰されそうな時も不満から暴動を起そうという時もソレを阻止したのは彼女達だ。
この数週間の内に何度もそういった出来事はあった。
それが沈静化しているのは一重に彼女達が一時でも辛い現実を忘れさせ、多くの行政従事者達が生活の改善に尽力しているからだ。
三角州の各地でライブを開く彼女達は正しく魔王軍の表の顔と成りつつあり、全面的にアイドルを広告塔として押し出した統治政策は功を奏しているのである。
億単位の人々を賄う食料、生活物資の生産は仕事として各国の避難民を魔王軍傘下の企業体が雇う事で行っているが、その内実は魔王が準備していた労働生産力の劇的な向上プランとソレを可能にする仕組みと魔術の合わせ技だ。
食べ物も雑貨も実際にはまだ生産が需要に追い付いていないが、足りない部分は三国の特定の場所に大量の物資をモールド・ドローによる複製で備蓄していた魔王のおかげで不足しているという事は無い。
それこそ100年掛けても消費し尽せない物資が経年劣化しないよう凍結されていると聞けば、多くの人々が『魔王やべぇ……』とその実態に汗するだろう。
「ユニ様~~どこでございますか~~?」
彼らが席に付いて食事を食べ始めた頃。
そんなお付きらしい女中の声が食堂に響いた。
彼らの感想は1つ。
またか、である。
ユニ・コーヴァ・メローウッドは現在、総司令官の任を与えられているが、緊急性の高い予知を一週間毎に一日中行う以外は大抵、全ての指揮をケーマルに任せ切りにしている。
なので、暇と言えば暇である。
暇になったらどうなるかと言えば、それは勿論のように今現在の状況を不安がる民を癒して来いと言われるわけだが、生憎と彼女は自由人であり、民にニコニコして各地を即座廻ってくるようなフラウ皇女殿下のような事は期待出来ない。
それどころか女中の目を盗んでは逃げ出し、夜になったら帰って来る始末である。
「皆様方。ご苦労様です。ユニ様の行方を知りませんか?」
探していた女中の数人の一人が訊ねて来たが、誰も今日は心当たりが無いので首が横に振られ、深々と女中達は頭を下げると声を上げて別のところへ探しに言った。
「ユニ様は相変わらず自由人ニャ」
「いや、それで片付けていいのか?」
リヤがツッコミを入れる。
「しょうがないニャ。見え過ぎるから、逆に困る典型って魔王が愚痴ってたニャ」
「魔王が?」
「ユニ様と一緒にいる時は公務扱いにしてたから、ケーマル様がさすがに苦言を呈したら、日常的に危ない事や疲れそうな事や自分にとって良くない未来を避けてるだけって言ってたニャ」
「そういう……フラウ皇女殿下と違って気楽そうに思ってたけど、そういうわけでもないんだな」
「大抵の貴族はそういうもんニャー。ね~?」
「ね~」
「「「「!!?」」」」
アステ、リヤ、オーレ、フローネルが驚く。
いつの間にか彼らの座る食堂のテーブルの下にユニがいた。
ゆらっと長い尻尾が伸び上がると下からスゴスゴと出て来た彼女がクルネの頭の上に顔を載せた。
「いつの間に親しくなったんだ?」
「ニャ? 通じ合う者には寛大なのが我々過猫種の良いところニャ~♪」
「にゃ~~♪」
まるで姉妹のように少女達が笑う。
「……お前なぁ」
「カワイイ!!」
フローネルがユニをナデナデし始めた。
「そういや、ユニ様の予知であの魔王が帰って来るのがいつになるのか分からないのか?」
その問いがポロッとリヤの口から出た途端。
ユニが少しだけ固まる。
「どうかしたか?」
「……まおーね~帰って来るよ」
「おお、ちゃんと予知出来てるんじゃねぇか。って事は上層部が隠してるのか?」
「ちがう~」
「違う?」
ユニがリヤのプレートの上にあるオードブル用のクラッカーとチーズと野菜の盛り合わせを口の中に運ぶ。
「ええと、続き、は?」
「ひわふ~~」
「秘密なわけね。ま、当然か」
「ふぁない。ふぁうはほ」
「?」
クルネから飲み物を渡されてゴッキュゴッキュした幼女がニコリとする。
「きょうだよ~」
「へ~そっか。今日かぁ………ッ、今日?!!」
ガタガタガタっとエコーズの面々がユニの周囲を囲む。
「か、帰ってくるデスか!?」
「魔王さん帰って来るの!!」
「す、凄い急な話でつ、付いていけてない」
「ユニ様。魔王が帰って来るのどうして黙ってたニャ?」
クルネが頭の上のユニに訊ねる。
「まおーねーすごいんだよ~」
「何が凄いんだ?」
「およめさん、またふえるの~♪」
「ええっと。増えるニャ?」
クルネが困惑を通り越して再確認する。
「ふえるの~♪」
「そ、そっか。また、増やしたのか。あの野郎……」
リヤが頭痛のように額を抑えた。
「でね~~せんそうがはじまるの」
「戦争? いや、戦争は始まってるだろ」
フルフルとユニがその言葉を否定してか。
首を横に振る。
「ほんとうのせんそうがはじまるの……はいのつきで……だから、みんなをこのばしょにあつめたの……そうしないとたすからない」
「え、それって―――」
リヤが呟くよりも前に彼らは異変に気付く事無く。
―――月はその姿を地球圏から突如として消した。
時に魔王帰還の12秒前。
発生した月の消失により、地球圏の引力バランスは崩れ。
地球各地では巨大な津波と地震が再び発生し、各地はようやく混乱が収束してきたのも束の間。
再びの地獄へと回帰していく。
そして、その進路は太陽へと向かっていた。
ゆっくりと加速しながら………。
『ギューレギュレギュレギュレギュレ♪』
『ふ、無駄な足掻きを……鳴かぬ鳩が羽ばたいた今、もはや貴方に勝ち目などありませんよ。ギュレン……ようやく帰って来る……ああ、あの人が帰って来る……偽物じゃない……私だけの彼がッ!!! エマ・アシヤ、感謝するわ……ふふ、くくく、あははははははははは――――――』
その混乱の最中。
ポ連は東部への宣戦布告と同時に侵攻し、アメリカを名乗る星間国家もまた地球への降下作戦を開始したのだった。