ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第312話「真説~彼のいる世界~」

 

 人が人と真剣に戦う事は人が戦争というものを行うようになってから、ついぞ決闘のような個人的に社会の箍が外れた状況以外無かっただろう。

 

 路地裏の喧嘩のような事だけを言っているわけではなく。

 それは生存競争の中でこそ行われていた純粋な必死さを持つ。

 人が社会を生み出した事は人の進化の最たるものかもしれない。

 

 しかし、それは同時に本当の意味での敵の消滅を意味する事でもあった。

 

 それは人社会の成熟や進歩によってより一層に失われつつあった一念。

 

 生きたい。

 もっと、誰かより良い思いをしたい。

 

 その根源的な他者を退ける衝動は人社会が個体に与える恩恵と罰の増大と複雑化と多様性によって共に衰退したと言っていい。

 

 今時、他の男と女を取り合って、相手を完全無欠に殺してのける男などいるだろうか?

 

 無論、いる事はいるだろう。

 だが、それは自然の動物達とも違い一般的ではない。

 命を落す事は動物により結果はマチマチだろう。

 しかし、人の根源的な欲求は原始の頃から変わってはいない。

 

 社会という概念の登場によって、それが人には感じ難くなったというだけなのだ。

 

 幾千回。

 幾万回。

 幾億回。

 

 人は学ばざる愚かさを体現してきた。

 

 でも、本当に進んでいないのならば、それもまた人にとっては善き事なのかもしれず。

 

 泣きじゃくる誰かを慰める優しさを。

 終わりゆく命に敬意を表する賢さを。

 争いの中で真に目覚めた闘争心を。

 人は持ち続けているという事だ。

 それはまるで宗教の教義にも似て通じるかもしれない。

 普遍性とは進化と共に生物の本質の1つなのだから。

 

「魂は形を変えながら、永遠を生き」

 

 それを人は輪廻転生と呼び。

 

「その受け継がれし力こそが人を生かす」

 

 それを人は継承と呼ぶ。

 

「嘘と汚泥と謀略を大気の如く吸ってきた大人であるお前に訊ねたい」

 

「何ですか? 教主猊下」

 

 小麦菓子が齧られる。

 

「……はぁ、それが教主に対する態度だと言うのだから、我らの権威も地に落ちたな」

 

 僅かな笑みが零される。

 

 半貌をケロイド状の皮膚に覆われた男が法衣を纏った少女を前にチェック寸前の盤面にクイーンを動かした。

 

「今更でしょう。教団の幹部達は未だに殆ど危機感が無い。全て自分達の持ってる手札でどうにかなると思っている。何もかもを知っていれば、どうにかなると本心では高を括っている。無能では無いが、今盤面に上がるプレーヤー達に比べれば、本当の意味で何一つ彼らに根本的な状況を動かせる事など無い」

 

「自分もその一員だと言うのにか?」

 

「一員だからこそ分かる事もあるのですよ。教主猊下……貴方が言っていた事が真実ならば、至高天は単なる舞台装置に過ぎない」

 

「ほう? 星すら創る力を前にして舞台装置、か」

 

「発進、目標宇宙の果て!! さぁ、人類を全て救って共に継ぐ愛と命を糧に世界を駆けるは空飛ぶ麺類か!! なんて、今時誰が信じます? 彼らは本当の意味で人の醜さも人の愚かさも知らない。まったく、()()()()()()

 

「輝く命を我らが救世主が与えてくれた事は疑いない。そこに阿た事が間違いだと?」

 

「いえいえ、それは必要な事ではあったでしょう。ですが、教団は彼の良いところばかり見て、もう一方の顔を忘れている」

 

「もう一方?」

 

「教団が破滅へ立ち向かい対処してきた事は確かに人類への重大な貢献でしょう。ですが、彼の本質ではない、という事ですよ」

 

「……本質……」

 

「どのような技術もどのような叡智も全ては使う者次第。そして、彼はその意味では極めて超人ではあるが、同時に普通過ぎるからこそ、最も愚かな選択をも取り得る」

 

「よく分からんな」

 

「何、簡単な事ですよ。彼は非凡なのではありません。この世界こそが非凡なのです。そして、彼が狂人なのは疑いようもありませんが、我々が普通だというのは錯覚です。我々こそが彼にも劣る狂人なのです。この世界こそが、この日々こそが、狂っている。そして、我々にとっての彼の非凡とはこの世界においても“そうではある”が……故に極めてこの世界にとっては有害だ」

 

「救世主を悪し様とはさすが教団随一のフィクサーと言うべきか?」

 

「御冗談を。彼の残酷な計算に比べればとてもとても……」

 

「救世主の何が残酷だと?」

 

「貴女にも見え隠れしている彼の本質が少しは理解出来るのではありませんか? どうして、彼は最初の事件の時、あの遺跡で少女を庇ったのでしょう? どうして、彼は塩の国で命を賭けて誰かを護り、テロリストを詰ったのでしょう? どうして、彼は豆の国で人の世を変え得る残酷なシステムに抗ったのでしょう? どうして、彼は海辺の街で人を導いたのでしょう? カレーの国ではあの姫と何故駆け落ちを? 旧き世界の住人達にどうして新たな住居を? 何故……私は……その真実に気付いた時、好ましく思うと同時に……怖くなりました」

 

「……続けろ」

 

 ケロイドをなぞる男がテーブル上の紅茶を啜る。

 

「彼にとってこの世界は望んだ通りの世界なのですよ」

「望んだ通り? 逆ではないか?」

 

「彼が自覚しているかは分かりませんがね。普通、あそこまで上手く行く事はありません。何故かって? 言うまでもない。彼に奇蹟は起こせない。彼が起すのは常に己の手札にあるものを考えた末に最適な切り方をする事だけだ。その切り方すらも実際には合理性があるようで抜け穴なんて幾らもある」

 

「では、どうしてそう出来たのか。そう言いたいのか?」

 

「答え合わせは簡単です。彼は自分の望んだ事がある世界にいる。彼は……今も過去の人間でありながら、この世界を愉しめる程に、この世界の全てを“普通に受け入れられる人間”なのですよ」

 

「―――」

 

「お分かりになりますか? それが如何に異端であるか。彼はきっと想像力と空想逞しい子供時代を過ごしたのでしょうね。恐らく我々の世界に在るあらゆる要素を己の中に持っている。いいですか? 彼は“知っている”んですよ。この世界が残酷である事を……そして、その残酷さを計算出来てしまう。愉しめてしまう。己の中の常識によって対処出来てしまう。ああ、まったく恐ろしい……彼は過去ならば、単なる誇大妄想狂でしょう。だが、この世界においては神に等しい。まるでゲームを遊ぶように……この世界の終わりにすらも“知っている”と嘯き、結果を変える事が出来る」

 

「だが、救世主は我々を……」

 

「助けてはくれるでしょう。だから、好ましいのです。でも、それがいつか終わるかもしれないと考えた時、貴女は恐怖しませんか? たった一人の男に背負われた世界がもしも投げ出されたらと震えませんか? それは本来、たった一人が知っていていい、持っていていいものではない。何故なら彼は神ではなく。何故なら彼は凡人で、何よりも非凡を体現しながらも、その心根は“普通の少年”なのですから……切られる可能性は0じゃない」

 

 カップの紅茶が飲み干される。

 

「チェックメイト。ですね?」

「……そのようだな」

 

「教主猊下。月の天才と地球の天才が激突し、今や地球は衛星を失って太陽へまっしぐら……さて、猊下ならば、この状況下で彼が取る行動はどのようなものだと思われますか?」

 

「何分、救世主を評価出来る立場には無いのでな」

 

「私にも彼がどう行動するかは詳しいところなんて分かりません。ただ、彼に付いて一つだけ確信して言える事がありますよ」

 

「それは?」

 

「貴方が訊ねたかった事の答えですよ。彼は我々に何を求めるのか? その答えは簡単です。きっと、我々は努力しなければならない。戦い続けなければならない。彼がいた過去と同じように……彼がいた時代にもあったように。人が今も人のままだと示せなければ、彼はきっとこの世界を見捨てるでしょう。ああ、彼風に言うなら『絶望させてくれるな』と言ったところですかねぇ……」

 

 少女はその男をマジマジと見詰めた。

 

「彼は割り切れる男です。その割り切りまでの度量がきっと世界一大きいでしょうがね。だから、我々は精々彼の為に演じましょう。人はまだ素晴らしいものだと。ガッカリさせないよう、見捨てられないよう、ね?」

 

 無言のままの相手の前から立ち上がり、男が軽く手を折り曲げて一礼する。

 

「大陸全土への再度の食料供給を。大連邦の食料供給は残り3か月弱が限界。そろそろまた施しと称して教団の生産分を追加投入しましょう。JAにもコンタクトを。恐らく、そろそろ彼からの一報が届く頃でしょう」

 

「一報?」

「ええ」

 

 そう男が頷いた時、少女の目の前の虚空にウィンドウが開いた。

 そこにはごパン大連邦から各組織に認められた情報が1つ。

 

「大陸中央部への進軍予定。数日後に天海の階箸より先遣隊が出発するそうだ。隊を率いるのは―――何処まで見通しているのやら。我々もまた動く時です」

 

 少女は何も聞かずに一例してから静かに扉の先に消えた男の背中を思い浮かべた。


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