ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第316話「真説~魔王軍の内実~」

 戦えば、勝てるというのなら、誰もが戦うだろう、とは誰の言葉だったか。

 

 しかしながら、勝てるが戦わないというのもまた重要な事だと歴史書と古からの戦術家達は説く。

 

 それを今、最も体現するのは正しく月面下の三国に立て籠もった人類を護る魔王軍そのものに違いなかった。

 

 魔王軍は恒久界においては至上類を見ない世界最大規模の軍隊だ。

 

 それは完全な事実として人々に受け入れられていた。

 三国を護る絶対防衛線(トライアングル)

 無限にも思える砲陣地と数重層の塹壕線。

 

 不眠不休の連戦を続ける彼らが本当に無限に湧き続ける化け物を前にして日に5人の死傷者で全方位からの連続波状攻勢を耐え切っているのは素直に魔王による鍛錬と教練、与えられた兵器の質、戦術故に違いなかった。

 

 何故、彼らが戦わない事を彼らが体現しているのか?

 理由は言葉通りとは少し違うかもしれない。

 彼らが戦わないのは彼らが護るべき人達に対してだ。

 

 彼らは恐らく、その化け物達との戦いが終わった後もまた恒久界の人間相手の戦争や戦闘という類の事は出来ないだろう。

 

 例え、それがどのような理由であろうと。

 

 要は彼らは全人類種の守護者たる軍事力として全ての人類種の認証を受けた全ての国家政府機関から受諾された存在となったのだ。

 

 全人類種及び化け物と呼ばれ忌み嫌われる事もある魔物と人類のハイブリットな種族に至るまで……今の今まで影域で昇華の地を狙っていた国々すらも魔王軍は公式に人類種として守護する事を宣言したのは全ての人々の記憶に新しい。

 

 突如として猛威を振るい始めた麒麟国による攻勢によって種族の滅亡にまで追いやられていた者達はその敵をも救った軍の前に腰と膝を折った。

 

 無論、それで何が解決したわけでもない。

 

 未だに昇華の地を憎む影域の住民達はいたし、影域の者達を蔑む昇華の地の者も多い……しかし、現実はそれを合理的に無駄と断じられる程の窮地。

 

 王権も帝権も首長も村長もあらゆる三国以外の指導層が生存の為に今までの様々な確執を喉の奥に呑み込んで魔王軍という公正な機関の下では大人しくしている、というのは死にたくなければ、極めて妥当な判断に違いなかった。

 

 無論、そんな人物達ばかりなわけもないが、攻め滅ぼされる寸前の者達が最後まで権力に縋った者達を見捨てて三国へ入場した為、種族的には生き残ったという者達も強権を振るう国家や共同体からの避難民には一定数存在している。

 

 普通、難民と言えば、完全に国家を追われた奴隷よりも時には厳しい状況に置かれる立場だ。

 

 しかし、魔王軍はそのような恒久界の常識に阿ず。

 決して彼らを蔑ろにせず。

 それどころか街すらも難民達の為に創ってみせた。

 その手際は正しく神掛かっていただろう。

 理由は言うまでもない。

 魔王の定めた内規や教育の成果ではあった。

 だが、それだけで行われていたわけでもない。

 

 彼ら難民を魔王軍が手厚く迎えた最大の理由は最初期から魔王軍に参加していた月兎と月亀の難民出の士官達が必死に魔王が自分達に用意してくれたモノを用意し続けたからだ。

 

 それは恩返し。

 

 いや、魔王が常々言っていた誰かの為に誰かがしてくれた事をしろ。

 

 という、単純極まる善意の返し方をその身で全うした故であった。

 

 彼らの多くは魔王の代弁者と呼ばれる程にその思想やら教育に関して最も影響を受けた層であり、魔王軍の拡大を見越した上層部が尉官、佐官級の位を与えた者達でもある。

 

 その数は最初期の実働部隊と後方支援部隊を合わせて2万人程。

 

 彼らが1千万人以上の部隊を率いる立場になったと知れば、難民達の多くも魔王軍を単なる暴力装置としてだけではなく。

 

 純粋に自分達の庇護者として、あるいは出世した偉人のように見ていた。

 

 魔王軍は出自を問わない。

 とは、魔王軍に入った者達の実感であり。

 魔王軍は利害を問わない。

 

 とは、魔王軍に入った後方基地の会計業務達の諦観し切った菩薩の如き笑みに支えられた事実だ。

 

 〆て十六桁程の暗証番号みたいな超高額予算を書類に書き出していれば、正しくソレは事実だろう。

 

 そんな彼らが内部で確執が無いかと問われれば、国家や民族、種族が部隊単位でごちゃ混ぜの為に無論のようにいざこざがある。

 

 だが、それが完全に軍内部で解消されている。

 

 普通なら瓦解しているところだが、そんな事は御見通しの魔王の定めた法規には今更であった。

 

 それが完全無欠に感情同士のぶつかり合いでない限りは裁定方法が確定されていた事は大きい。

 

 理非のある事ならば、軍法会議ならぬ軍管轄の軍事裁判所で処理。

 

 それよりも純粋に人間関係の縺れならば、死んだ方がマシな上に極めて厳しい訓練で限界まで連帯しなければならないよう肉体と精神を粉微塵にしそうな程しごき、後に軍としての規律と感情どちらかを選べと問う。

 

 もし規律を優先するならば、原隊でそのまま任務続行。

 感情を優先するならば、配置転換が待っている。

 

 各個人の資質と肉体的、精神的な査定は魔王軍に最初期から協力していた神殿の神官達が軍外部から軍に調査報告する為、これらを誤魔化す事はほぼ出来ない。

 

 という事で今や妖精さんから巨大な体躯を持つ月竜までが同じ部隊、同じ職場で働くというのもそう珍しい事では無くなっていた。

 

 要塞などは正しく巨人が歩いて大丈夫な造りで構成されており、新米軍人達は多くが一緒の食堂や一緒の風呂を共同で使用している。

 

 さすがに対格差が有り過ぎる大型の月竜やそれに匹敵する大きさの種族の場合は種族毎の施設が用意される事もあったが、基本的には一緒に過ごしてくれとの話。

 

 此処で男子寮と女子寮が完備されている事に涙を流して喜ぶ女性軍人と涙を流して嘆く男性軍人がいた事は秘密である。

 

 猫耳、狗耳、狐耳、ウサ耳、鱗。

 耳無しもいれば、水掻きが手に付いてる連中もいる。

 

 勿論のように麒麟国の人間も幾らか存在していたが、彼らの多くは物凄く恨みを買っている事を自覚してか。

 

 比較的小柄で顔が蜥蜴っぽく鱗がある以外は人型という者達も魔術での容姿の変更を軍上層部に申請し、密かに軍務へと付いていた。

 

「いや~~天国みたいなところもあるだなぁ」

 

 難民からの魔王軍への参加は随時受け付けている。

 厳しい訓練で血反吐を吐きそうな連帯性と教育を刷り込まれ。

 

 1か月もすれば、超越者の出来上がりという促成の練兵ではあったが、それにしても充実し過ぎていると恒久界の誰もが感じる福利厚生はもはや馬鹿馬鹿しいレベルだろう。

 

 戦中だろうが食事、風呂、寝床、住居、娯楽、性生活までバッチリである。

 

 個室が欲しいなら士官になれというのが魔王も認める昔と変わらぬと思える軍の規律であり、誰もが偉くなろう、強くなろうと実戦訓練と現場への実地研修の日々である。

 

 そんな軍人達が集う食堂では今現在、妖精とウサ耳と半分魔物と呼ばれて蔑まれて来た影域の民の1つである豚顔のトロールの女性が一緒にウンウンと涙ぐんでいる。

 

「ホントホント。こんな暮らしさせて貰って……影域じゃ考えられねぇべよ」

 

 彼らは元貴族やら平民やら元貧民やら元犯罪者やら元料理人やらだ。

 

 普通ならば、絶対同じ部隊になる事もなく。

 

 絶対、会う事も無ければ、共に生活する事なんて考え付きもしなかっただろう。

 

 しかし、此処では士官候補生になりたければ、規定の訓練と資格と実務経験と実績が要る。

 

 それ以外の個人のレッテルは剥がれ、事実上は完全に合理的で公正な手段を以て選考される。

 

 選考に落ちた者はまた3か月後に再選考を申請する事が出来る。

 

 ついでに落ちたら落ちた理由も彼らには明かされる。

 

 服務態度やら査定で出て来た様々な問題やらが解決されたなら受かるよと予め言い渡されるわけだ。

 

 まぁ、それでも戦死者は必ず詳報と共に全隊員に見る事が義務付けられる為、いつ前線に向かって死ぬかもしれないという緊張感だけは維持されている。

 

 士官だからと死なぬわけでもない、というのは戦死者のリストや戦死の詳細を見れば、一目瞭然に違いなかった。

 

「でも、此処にいると忘れられないくらいには……やっぱり、戦争中なのよね」

 

「しょうがない。一生掛かっても得られないものを得て、命1つ使って英雄様になれるなら、上等な方じゃないか?」

 

「ウチの大隊長の話じゃ、今セイメイホケン? て言うのも入るように言われるらしいよ」

 

「何だいそりゃ?」

 

 ガヤガヤと会話する新兵達は皆顔見知りなわけでもない。

 本日付の配属という出来立てホヤホヤ部隊の連中である。

 

 彼らは簡易の検査と最初期の選別の工程を受けた後、訓練部隊に配置され、練兵が終了後に別の部隊に行く者や原隊でそのまま新しいピカピカの部隊長になる者など多種多様な道を歩む。

 

「私達が死んだら、親族や家族や恋人にお金を遺せるんだってさ」

 

「ははぁ、結構な事ですな」

「でも、此処ってみんな特別じゃないんだよね……」

 

 その言葉に全員が黙り込む。

 

「そう、ね……代わりはいる。でも、だからこそなんじゃないかしら? 数字にしてしまう代価に……そういうところはあるかも……」

 

「いやぁ、だからって、人類種1人がこんな値段するのかってーと。昔なら絶対ありえんでしょう」

 

 奴隷上等。

 赤子が生まれてすら奴隷の子は奴隷。

 何処の国でも貧民には人権なんてありゃしない。

 というのが数か月前までの恒久界における権利相場であった。

 

「それに特別じゃないから、貴族が軍で威張らないし、軍の高官も皆威張ったりする人いないよね?」

 

「みんな分かってる。代わりはいるんだもの。だからこそ、特別にならなければ、生き残れない。上官になったからって生き残れるわけもでない。自分を磨かないとね」

 

「空も飛べるし、何も食べずに100日だって過ごせちゃうと」

 

「そうそう」

「ウチュウ?課程とかもあるんだっけ?」

「そうそう」

「ムツカシイね」

「うん。ムツカシイ」

 

 新兵達は知らない。

 

 どれだけ難しかろうが、魔王軍の特別カリキュラムは魔術と科学のハイブリットな教育であり、脳髄に直接情報を叩き込むに等しいようなものであると。

 

「なにい!!? 貴様、そこに直れ!!」

 

 ガシャリと皿が割れたテーブル横。

 肉と野菜が飛び散った場所では新兵同士の揉め事が起こっていた。

 片方は如何にも貴族風のお坊ちゃんと呼べそうな狗耳の青年。

 片方は澄ました顔をしている耳無しの青年。

 

 だが、どちらが何をどう話したら、そんな事になるのかと周囲は興味津々だ。

 

 普通ならば、耳無しの方が食って掛かるというのがよくありそうな光景に思えたが、軍にいながら騒動を起すのが貴族風のボンボンとなれば、俄然興味が湧いてくるというものだろう。

 

「だから、此処じゃ貴族風吹かせても誰も付いて来ないぞ。そもそもアンタを見る限り、どっかの三男坊だろ? 貴族を気取っても良い事なんて無い。そうしたいなら、もう少し行儀と礼儀を習え。食料を残したりするのは確実に今の状況じゃダメだろ?」

 

 完全理詰めの耳無しの言葉に激する貴族風のボンボンは周囲の視線にも気付かぬ様子で思わずなのか。

 

 その帯剣は抜かずに拳を振り上げた。

 それに対して耳無しは冷静だ。

 

 面倒事だとしても相手からの一撃目を冷静に受ける覚悟があるのか。

 

 少しだけ受け身を取れるように態勢を取ったのが練兵中の新兵にも分かった。

 

 ガッと振り下ろそうとした拳はしかし。

 その寸前で止まる。

 彼の拳の前に一人の少女が出て来たからだ。

 

「何だ!? 耳無し風情に加勢しようというのか。女!!」

 

 その言葉で新兵達の半数程が一斉に血の気を引かせた。

 

 相手が桃色髪のウサ耳に軍服も着ない“普通の月兎の神官服”を着込んでいたからだ。

 

 そして、この軍においてそんな衣服を着込んでウロウロしている桃色髪の女性は恐らく一千万人以上の人数にも関わらず、1人しかいない。

 

 今は神殿関係者との折衝を行う事から軍服は着込んでおらず。

 

 自身も法規を扱う神の神殿の関係者だった事から、魔王軍の法規の全てを頭に入れているとも噂される彼女。

 

 今現在、魔王が抱える家臣団において3本の指に入る重要人物。

 

 その名は―――。

 

「あ、あの人って……ッ、あの三男坊ヤバイよ!?」

 

 そう人垣の先から声を潜めた者達は多い。

 

 だが、未だに気付かぬ三男坊のテーブル横に転がる肉と野菜と割れた皿。

 

 齧り掛けにも関わらず。

 

 それらを素手が掴み挙げた少女はソレを目の前の男の前に差し出した。

 

「今日、この食堂のこの時間帯に出される野菜は今、月亀の農耕地帯で摂れた代物。1万人分を今日この日に納入する為に多くの農業従事者の人達が魔王軍の後援を受けて一日8時間労働で3交替しながら造り続けてる。この肉は月牛から避難してきた難民達が魔王軍に差し出した物。半分以上は養えないからって今朝屠殺してきたばかり。子供達の中には養えない牛を潰してしまう事を泣いて助けて欲しいと嘆願していた子達もいた。だけど、放牧出来る用地が三国でも今は限られている以上、放っておいたら草原や平原も持たない。魔術であまりにも土地を使うと今の環境だと何か起こった時に致命的になる可能性があるから、潰さざるを得なかった」

 

 少女がツラツラを語り出した声にさすがの三男坊もまず拳を降ろした。

 

 そして、こいつは一体何を言っているんだという顔となる。

 

「貴方が割ったこの皿は月猫の商人達が無償で提出してくれたもの。在庫が底を付いても今は全ての物資が軍優先で動いてる。本来ならお金を払うところだけど、商人達は優先度の低い人命に関わらない物資くらいはって儲けを度外視で提供してくれてる」

 

「だから、何だって言うんだ。退け!!」

 

「この食堂は魔王軍第三師団の工作部隊が閣下から賜った魔術具で3時間で建てた代物。けど、建てる際に事故が起きて、左腕を犠牲にした人がいた。治ったけれど、一時は危篤寸前だった。事故を起こした人がそうなった理由は彼の友人が戦争で死んだ事を手紙で知ったからだった」

 

「な、何なんだ。それの何が関係ある!!」

 

「そして、貴方……月狗邦の端にあるドーベルの森を統括するアシ家の四男。カラカナ・アシ19歳。貴方は魔術の才はある。けど、連帯意識が低い。その理由は貴方の家が貴方をちゃんと教育しなかったから。アシ家は優秀な血筋が多いと言われているけど、実態は外部から複数人の血筋を入れて沢山子供を産ませているから、その中から優秀なのを選別してる」

 

「な!?」

 

 その驚く表情を前にしても少女は平静な顔で続ける。

 

「貴方は四男だけど、前の三人と違って剣が出来なかった。身体もそこまで強いわけじゃない。現当主は貴方を半ば、勘当同然に放り出した。貴方はそれでも諦めずに生き抜く術を身に着け、月猫までやってきた。貴方が今の状況で魔王軍に入った時の動機は貴族として箔を付ける為。それは貴方を見た全ての考査人員が一致した見解。そして、箔を付けて貴方は家族を見返したかった。自分を追い出して今は難民住まいの家族を……だけど、貴方は連帯性が低い。それは貴方の為にならない。此処にいる全員が命を共にしたとしても、今の貴方は逃げ出す。断言出来る。貴方は軍でも後方にいる人々の為でも、家族や親類縁者や友人の為でもない。貴方の為に戦っているから。だけど、それはいい。誰もが自分が思う事の為に戦ってる。それは魔王だって例外じゃない」

 

「な、な……何なんだ。アンタは……」

 

 呆気に取られた男は自らの内心すらも言い当てた少女を前にして完全に呑まれてしまっていた。

 

 今までの貴族然とした傲慢な振る舞いも忘れて。

 

「私は本当の貴族を知ってる。その人は祖国の人の為に己の全てを投げ出せた。そして、投げ出した先で心折れる事があっても、決して諦めず、歯を食い縛って自分に出来る事をと次々に移り変わる状況の中、判断し、決断し、身を捧げて邁進した。それで誰かに憎まれたり、それで誰かに蔑まれたり、彼女はそれを承知で、その自分を憎み蔑む人々が大勢になるかもしれないと知ってすら、その人達を含めた国民の為に戦った。今も戦い続けてる」

 

「………」

 

「私は本当に上へ立つべき人達の事を知ってる。国家の為に国家を裏切るような真似をしても、真に背後の人達を護る為に立ち上がった人がいた。力を以て力に敗れ、その先で泥水を啜っても、神からの断絶すら突き付けられても、神から見捨てられても、神官として、人間として上に立ち、人々の為に戦い続けた人がいた」

 

「………アンタは一体……」

 

「私を助けてくれた人は神官だった。そして、私の願いを叶えてくれた人は魔王だった」

 

「!?」

 

「私は何を犠牲にしても復讐に生きると決めた日の事を覚えてる。今も許せない人達がいる。でも……今恵まれてると思う。私の願いを叶えてくれた人は言ってた……お前が許せない奴がいつかお前を救う奴になるかもしれない。未来は分からない。未来は決まってない。だから、人の上に立つなら、嫌な奴もダメな奴も使えない奴も裏切る奴も期待に沿えない奴も誰だろうと本当の敵以外は皆平等と公正な立場で助けてやれ。それが上に立つ奴の一番重要な仕事だって」

 

「アンタ……いや、貴方は―――」

 

「罰は助けた後。それが死に値するものなら、軍は法律でこそ、その人を裁く。だけど、私は今の行為は謝れば済む問題だと思ってる。貴方がもしも偉くなりたいなら、まずは人に謝る事を覚えて。人に心の底から謝れるようになったら、きっと貴方は私よりも上等な人間になれる。今は無理でも……」

 

 全てを見透かされている。

 見透かされた上で諭されている。

 非難されるわけでもなく

 悪と断じているわけでもなく。

 ただ、目の前で真っ直ぐに自分と向き合っている。

 

 その今まで自分が受けた事の無い行動を、果たすべきなのだろう指針を、こうして真っ直ぐに伝えてくれる相手を前にした事の無い男は……四男坊は……初めて此処が軍隊なのだと知り、初めて誰かから期待されている事を知った。

 

 それはきっとたった一人の軍人の卵に対する期待だ。

 

 今はまだ悪びれたナニカだとしても、共に戦う仲間になると認めればこそ、叱責でも賞罰でもなく。

 

 そこに関わって来た多くの人達の話をした。

 自分達がどれ程の人間の手を借りて戦っているのか。

 その話をした。

 それを理解するくらいには彼という人間は賢く。

 また、同時に痛く……本当に痛く……己の未熟を想った。

 

「……お名前をお聞きしてもいいですか?」

 

「ダメ。もう時間が無いから、後は貴方達の問題。後3分で次の訓練が始まる。さ、もうこれで見世物はお終い。早く行って」

 

 少女の声に誰もが最敬礼してから駆け足で去っていく。

 残されたのは二人の青年。

 

 背を向けて去っていく少女に彼ら二人もまた最敬礼し、床に再び置かれた肉と野菜と皿の様子を見て、壊したボンボンが謝る事も複雑過ぎて出来ず……しかし、頭だけは下げた。

 

 その後、掃除用具を今の今まで全てを見ていた食堂の者達にも頭を下げて借り、自らの手で処理し、練兵の時間に遅れた事を部隊長に叱責され、連帯責任として部隊の者達と共に便所掃除30日を言い付けられた事は……誠に些細な出来事に違いなく。

 

 彼の服務態度は-評価からのスタートとなったのだった。

 

 だが、その後……数日も経つと実直に訓練を熟している旨が報告書として纏められ、性格にやや難有りという考査資料と共に人事へと報告される事となる。

 

『ただ、しかしながら』と。

 

 最後に続けられた部隊長の意見にはこう書かれていたという。

 

 ―――本当の貴族になって助けたい人がいると常々申しております、と。


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