ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第318話「天至りし者」

 

 トゥットゥットゥットゥッ―――。

 口遊まれる旋律が耳に響いてくる。

 イグゼリオンのオープニングである。

 

 今、天海の階箸の最下層に集められた者達が気を紛らわせるように歌を紡いでいるのである。

 

 オムツを換えている者がいるかと思えば、子供をあやしている者もいる。

 

 銃弾を受けた痕に包帯を巻かれ、辛うじて外科手術されている者なども複数人。

 

 あちこちで医療用の点滴を手で持って支える者がいて、声を掛けている者がいる。

 

 彼らを監視するポ連兵は凡そ200人程。

 

 円状に広がっている上に小銃のロックは解除されており、交代での任務を続けているようだが、それにも疲れの色が見え始めていた。

 

 ただでさえ、悪役全開な身の上なのだ。

 

 それに赤子やら女子供にまで毒を打ってましたというのは彼らにしてみれば、極めて重い事実だろう。

 

 ポ連を消耗品として考える鳴かぬ鳩会らしいが、統制力が一気に下がったのは間違いない事であろう。

 

 軍に悪い事をさせる時の鉄則は倫理と道徳の箍を外した上で軍人達に動機を与えてやる事である。

 

 だが、故郷の家族を救うなどの理由があってすら、子供相手に毒を打つというのは極めて人の良心を刺激する材料だ。

 

 銃のような良心を傷めない武器で皆殺しにしろというのなら、まだ彼らにも呵責が少なかっただろう。

 

 だが、直接相手に触れるような行為。

 

 また、相手が人間である事を示す医療行為に等しい注射を打つという行動は極めて生々しい感情を彼らポ連兵に発露させる。

 

 所詮、人は機械に成れない。

 

 感情を麻痺させようとしても、最も大きな動機が人助け、家族や親族や知人達の救出というものであればこそ、その非人道的な心理的負担は想像を絶するだろう。

 

 中にはもう監視なんぞやっていられるかとカードらしきものを出して粗末な台の上で興じている者達もそれなりにいた。

 

 結局のところ。

 世の中に良心無き人間というのはそう多く無い。

 それが徴用された軍隊ならば、尚更だ。

 

 広大な最下層域には嘗てアルコーンと戦った際の傷跡が未だに残っている。

 

 黒い粒子は殆どが片付けられていたが、それでも未だに黒い部分があちこちに滲んでいた。

 

 だが、しばし、その状況に甘んじて貰わなければ、まだ助け出せそうにもない。

 

 理由というなら、色々あったが、最も問題なのは天海の階箸。

 

 この深雲とあらゆるシステムを繋ぐ最大のハブが泣かぬ鳩会によって掌握されている事が挙げられる。

 

 天海の階箸の能力は極めて多種多様だ。

 その上で限りなく通常の破壊方法では掌握に時間が掛かる。

 

 最も手っ取り早いのはそのシステムをハックする事であるが、それもまた普通の人間には不可能だ。

 

 そう、その不可能という一点においては疑いない。

 今現在、システムへのハックに関しては対処方法も無い。

 

 鳴かぬ鳩会の電子機器への干渉能力はこちらを遥かに超えている。

 

 ならば、どうするのか?

 答えは抱き込んだポ連兵の行為の結果が示すだろう。

 

 ポ連兵には今現在、この内部で働く為に無線端末が渡されている。

 

 それも音声などは無理な文字のみを送受信するモノだ。

 

 鳴かぬ鳩会によるポ連への技術供与は高度なもの程に数が制限されており、供与というよりは現物の貸与が大半である。

 

 これで十分という話なのだ。

 

 漬け込む隙が有るとすれば、そういった非対称関係にこそあるだろうか。

 

 今現在、最下層で弛んでいた男達の端末に命令が下る。

 それは早めの交替と同時に階箸の上層階の探査任務だ。

 

 通常のルーチンが少し早まった程度の事ならば、誰もが疑問には思わない。

 

 それから数分後には地表と上空の都市を繋ぐ弾丸列車の一部が上層階に到着。

 

 監視役の大隊は同僚達に敬礼し、その背後にある大量の薬箱を見て首を傾げた。

 

「どうしたんだ? その薬箱……まさか、お前ら命令に背いて……」

 

「馬鹿言うな……上からのお達しだよ。薬を全部外で割って来いってな……」

 

「―――そう、か……命令か」

「ああ、胸糞の悪い……命令だ」

 

 知り合いの顔を見れば、誰もそんな事を望んでいないのは一目瞭然。

 

 だが、彼らは軍人だ。

 

 軽く挨拶をしてから入れ替わるようにしてエレベーターへと乗り込んだ男達は自分達が監視していた者達を極力見ないようにしながら、上へと上がっていく。

 

 入れ替わりに出て来た男達は薬箱を担いで固定化されている外への門が開くのを見て、そのまま歩き出した。

 

「止まれ」

 

 交替した部隊の隊長が薬箱を担いだ男達を振り返る。

 

「上からの追加での命令が先程来た……薬を外に運び出した後、監視している者達を外に連れ出してから穴を掘らせるそうだ。その後、穴の中で処分し、埋めるようにとのお達しだ」

 

――――――ポ連兵達の顔色が明らかに悪くなった。

 

「この任務に限り、やりたくない者は免除とする。対象を目視するのが嫌な者は申し出るように。処分には貴重な弾を使わず、爆薬を用いるようにとの事だ。人手は要らん。処分に立ち会わない者は周辺の定期巡回を申し出るように」

 

 大隊の半分程の手が上がった。

 

「では、薬を運び終わった後はそのまま周辺への監視任務へと向かえ。処分はこちらで同時に行っておく」

 

 残った半分の兵達がまるで死人かというような動きでゾロゾロと再び連合の人員達を囲うようにして監視位置に付く。

 

 外に出ていく兵達は一刻も早く、その場を離れたいというかのように速足だった。

 

 隊長が端末を見てから再び兵達に集合を掛ける。

 

「我らが参謀閣下からまた追加の命令だ。検体用と情報を仕入れる為の拷問用に若く健康そうなのと老人で指導者層を1人以上連れて来いとの事だ。この護送任務に数人を抽出して小隊とする」

 

 気の滅入る命令ばかりが届くのにげんなりしたポ連兵達の数人が言われた通りの人間を物色すれば、老人一人に若い少女?が3人程名乗りを上げた。

 

 それで十分だろうと小隊に上層階へ向かうよう指示した隊長が全員を外に向かわせるよう部下に指示を出す。

 

「重傷者は放っておけ。その内に死ぬだろう」

 

 そうして数千人以上の連合の民がゾロゾロと門の先へと連れられていく。

 

 残らされたのは重傷者のみだ。

 それとていつまで持つか分からない。

 

「もしもの時の為に監視役を中隊規模で残しておく。現場を見たくないものは此処で重傷者の監視任務を続行せよ」

 

 こうして次々に部隊が分裂しながらも、自動小銃で武装したポ連兵達は数千人を階箸の外へと連れ出す事となった。

 

 重傷者達を連れて行かないのかと僅かに一悶着あったが、脅されて仕方なく彼らが外へと出て行けば、数十m先に薬箱が山積みとなっているのが見えるだろう。

 

「しまったな……ショベルを置いて行かせるのを忘れたか」

 

 隊長の声にようやくそう言えば、という感じに動きの鈍いポ連兵が思い出す。

 

「ショベルのある者は連中に渡してやれ。後、上からショベルの予備を車両で持ってきて、車両用のエレベーターで搬入してくれ。時間をいつまでも掛けてはいられんからな。小隊で行け。人数分は要らんが、500は予備が上の階層にあったはずだ」

 

 また、小隊が本隊から離れ、階箸の上部へと向かっていく。

 

「残った者でこの場を維持する。火器のロックは外しておけ。もしもという事があるからな。あの者達に掘らせ始めろ。背中を見せるなよ」

 

 ザッと敬礼して部下が掃けていくのを見て。

 男が溜息を吐きながら端末を見た。

 端末はよくよく見れば、電源が入っていない。

 

 だが、代わりにこちらの水晶みたいな玉が端末の後ろに持たれている。

 

 その手の不自然さに気付かない程にポ連兵とやらのやる気は0だとすれば、まったく有り難い話に違いなかった。

 

「……これでいいか?」

 

『ご苦労様。大隊長殿』

 

 もはや恐々としてその通信機の下のこちらに男がブツブツと話し掛けてくる。

 

「約束は守ってくれるんだろうな……」

 

『逆に問おう。約束を守らないなら、お前に何が出来るって言うんだ? 単なる大隊長のお前一人に何が変えられるって言うんだ?』

 

「―――ッ」

 

『ポ連軍の8割以上が被征服国からの徴兵だ。お前らは最初から何も出来なかったから此処にいる。そして、家族を今の上の連中よりはどうにかしてくれるだろうって人間に付いただけだ。その芯にあるものは何も変わらない。単なる強者への恐怖と怒りと畏れだ。死に怯えて手足になって人殺しをするだけの兵隊に今更オレは何も期待したりはしない』

 

「……言ってくれるじゃないか。だが、約束は守れッ、約束は……でなければッ」

 

『分かってるよ。オレとアンタはお前らの上司よりは対等な関係だろう? だから、オレもお前を信用せざるを得ない。お前がしくじらない限り、全力でお前の家族に支援の手を届けよう。無論、それが確認出来るまで続けよう。だが、最初に説明したが、確実性はこの状況では半々だ。そして、お前らの上司よりは確実だから、オレはこうしてお前に取引を持ち掛けた。これは契約だ……その結果がどうであろうと約束は守れ。いいな?』

 

「……分かっている。分かっているとも……あの悪魔のような軍隊にオレ自身が成った時から……分かっていたともッ……」

 

『なら、いい。じゃあ、仕上げを始めようか』

 

「……ぁあ」

 

 端末に文字が撃ち込まれて送信される。

 内容は単純だ。

 部下が反乱を起こして逃げ出した。

 持ち場を離れて勝手に逃げ出す算段をしている。

 既に装備を車両と装備を命令を偽造して持ち出した。

 憲兵隊の応援を乞う。

 

『部下を自分の家族の為に売った隊長さん。アンタはこれで立派な反逆者だ。後は現実と戦うしかない。覚悟は完了したか?』

 

「……悪魔め」

 

「残念ながら、魔王なんだ。後は最初に告げてあった通りに頼むぞ。運が良ければ、また会おう。お前の為の車両はすぐそこだ。部下はちゃんと引き連れて南部に迎え。外で部隊が敵に出くわした。応援に行くぞってな」

 

 男が走り出す。

 それと同時に事前の予定通り。

 

 外回りの兵隊が襲われているとの会話が始まった。

 

 駆け付ける為にその場の部隊を乗車させ始め、残った奴らはどうするのかという問いに後ろから部隊が来るという話を被せて有無を言わさずに存在しない敵への援軍として部隊を導いていく。

 

 扉の内部に残されていた重傷者達を見張っていた兵は外の慌ただしさに気を取られ、背後のエレベーターから来る相手に気付かない。

 

 完全武装の鳴かぬ鳩会の憲兵達が次々に出て来ると小型のレールガンやレーザーガンで見張り達へ即座に照準。

 

 それに混乱した兵が小銃を向けた瞬間にロックの外れた未来武装の一斉射が撃ち放たれ―――る前に武装そのものが暴発した。

 

 エレベーター付近から爆風が最下層に吹き荒ぶ。

 

 重傷者達は中心付近にいた為、少し強めの風に吹かれた程度の衝撃を喰らうのみで収まるが、爆心地の鳩会の兵達は上半身が全て吹き飛んで焼け焦げていた。

 

 あまりの事に固まる男達だが、憲兵がいきなり自分達を撃って来た事に恐怖を感じるだろう。

 

 そして、最後にこう隊長からのメールが来る。

 

―――憲兵隊に気を付けろ!! あの仮面野郎はオレ達を口封じする気だ!! 早く逃げろ!!

 

 さて、これで重傷者を見張るなんて事をしている暇は無くなる。

 

 顔を真っ青にしたり、怒りに真っ赤となった顔で彼らは任務放棄後、扉から逸早く逃げ出す事になるだろう。

 

 鳴かぬ鳩会に階箸の中枢システムは掌握されているが、だからと言って全ての代物が掌握され切っているわけではない。

 

 特に内包される莫大な手動操作式の兵器関連のシステムなどは管理するリソースが手間だと切られているようだ。

 

 量産用に内部構造を簡易化してくれているおかげで介入するのは容易だった。

 

 どれだけプロテクトが掛かっていようが、オンラインで常時監視されていなければ、どうとでもなる。

 

 まぁ、独自兵装マシマシでシステムからのバックアップも完全な幹部クラスには何らまったく関係ない話であるが、手足たる部下達はそうもゆくまい。

 

 MPの3分の1の部隊が一瞬で全滅したという情報はシステム内を駆け巡り、更にMPと鳴かぬ鳩会のエージェント達を結集させる事となる。

 

 また、反乱という事から、ポ連兵の動きは恐らくオールカットされて、内部で隔離されるだろう。

 

 殺されるかどうかは半々だが、そもそもこれでポ連側も目が覚める。

 

 自分達の上司になった鳴かぬ鳩会側が血も涙もない者達だと。

 

 一斉に反目し合う彼らの隙を見逃さず。

 

 早急に上層階に連れて行かせた連合の最高意思決定者たる元男の娘なご老人とアンジュのお付きの三人娘に指示を出す。

 

 連合側はシステムの大半が乗っ取られていたから殆ど抵抗らしい抵抗が出来なかったようだが、最終手段という類のものが遺されていないわけではない。

 

 弾丸列車はリミッターを外せば、約時速1000kmまで到達する。

 

 連れて行かせた兵隊も買収済み。

 最高時速で目的のフロアまでは行けたようだ。

 其処は天海の階箸の動力機関部。

 

 システムは掌握されていようとも、全てが全て自動で管理で制御されているわけではない。

 

 このような高度な船だからこそ、もしもの時の為に手動操作用の部位はあるものだ。

 

 もし必要になった場合を考えて月に行く前から調べさせ、マニュアルは作っておいたのだ。

 

 乗っ取られそうになったりした時のパソコンの対処法で最悪なのは……直接、電源をブッ千切る事である。

 

「やれそうか?」

 

 声を掛けると後ろでグッタリ気味の老人は青息吐息だったが、まだ若い男の娘達は大きく頷いた。

 

「はい!! エミ様!!」

「今、この炉心を引き抜けば、動力が予備も残らず切れるはずです」

「いぃぃょおおいしょおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 ちょっと野太い声になった全員が思いっ切り、三人で円筒形状の30m程はあるだろう高さのソレからハンドルを回して、パーツの一部を引き抜く。

 

 ドガッとあまりの重さに引き抜いてすっぽ抜けた炉心の一部が床にめり込んだ。

 

 瞬間―――ありとあらゆる天海の階箸内部のシステムが一斉にダウンした。

 

 だが、同時に今の今まで外層をシステム側からロックされていた神の画が制御システムが見当たらない事から自立駆動を開始。

 

 プロテクトの呪縛が停止した今、こちらの管理に復帰する。

 

「ラスト・バイオレット権限。天海の階箸のプログラム・カーネルを要するメイン区画を破壊しろ」

 

『―――ラスト・バイオレット権限承認。ただちに区画を破壊します』

 

 内向きに浸透している粒体金属壁はぶっちゃけて言えば、糊のようなものだ。

 

 船体そのもののバランスを取っているのだから、その重要なバランスを少し崩してやれば、一部の区画は瞬時に船体の自重で圧壊する。

 

 ベゴァオオオオオオオオオオッという音と共に今現在、船体内部に存在する制御中枢区画が完全に圧壊した。

 

 そこにいる鳴かぬ鳩会のエージェント諸共だ。

 

 続いて、下層に移動中の鳩会側の弾丸列車の行き先を“壁の外”に変更する。

 

 残った通路内のエージェントは通路毎に隔離遮断。

 

 列車は外に物凄い勢いで飛び出してから、その端を神の画に釣られてぶら下げられ、紐のように外壁で垂れ下がった。

 

 死のジェットコースターを愉しんでもらうついでに今度は遊園地の如く強風でプラプラ揺れる事態が終了するまで高空での耐久レースでもしていてもらおう。

 

 システムの中枢が消えた事は神の画以外の船体内部の全オンライン機器の死を意味するが、そんなのはまた後で造ればいい話だ。

 

 あちこちに散らばっていた取り込み済みのポ連兵を神の画で造った通路で誘導。

 

 何も知らない者達へと先程と同じ要領で鳴かぬ鳩会への不信感を植え付けつつ、地表から南部へと逃げるよう促す。

 

 それに続いて自分達を殺す為に塔を変形させているのだ、という話を流させつつ、システムダウンした内部を組み替えて、船体の階層を外部へと迫り出す形の開放型へと変化させた。

 

 それはまるで塔が華になっていくかのような光景だろう。

 

「な、何だぁあああああ!!?」

 

 さすが誰もが目を丸くしていた。

 

 ポ連兵が逃げていったと思ったら、微振動に上を見上げれば、いきなり何か落っこちて来そうにも思える巨大な傘のようなもの……市街地区画の底が複数見えたのだから。

 

 神の画による巨大な都市区画の開放と防護用の保護膜を展開。

 

 あちこちに段々畑のような市街地区画が広がって、採光と空気の循環とバランスの維持、防御のみに特化させてシステムをクローズドにする。

 

 これで船体そのものは死んだが、巨大な都市を要した塔は地球消滅級の衝撃や火力が撃ち込まれでもしない限りは崩壊しないだろう。

 

 核程度ならば撃ち落とし、レールガン級の速度を有する弾体や飛翔体でも簡単に破壊する事は出来まい。

 

 そもそも超々高出力レーザーなんぞがバカスカ撃てるモノにエネミー認識されたい奴は鳴かぬ鳩会とていないだろう。

 

 残る問題である薬は既に内容物を解析。

 使われている毒に関しても解析済みだ。

 

 まったく意地の悪い副総帥さんは解毒薬なんてこれっぽっちも用意していなかったが、逆に毒も使われてはいなかった。

 

 こんなハッタリに面倒な準備などする必要はないと舐め腐ってくれた事は非常に喜ばしい。

 

 それで他者が救われるというのだから、幾らでも油断して欲しいものである。

 

 まぁ、本当の毒も発見されはしたのだが、虚実織り交ぜてこちらとの交渉用に即効性のあるものを用意していただけらしく。

 

 天海の階箸に住まう者全員分なんて分量は無く。

 精々が数十人分。

 それもガス状の代物であった。

 

 大隊長の持っていた玉から分裂させた代物を無数に複製しながら、バレルの連中に話し掛ける。

 

『こちら、カシゲェニシ。ポ連軍は排除中だ。早く扉の中に入れ。この玉で薬を出そうとすれば、重傷者程度は治せるのが出て来る。水と食料もな。今は時間が惜しい。内部の都市に入ったら、手動で各都市部の機能を動かしてくれ。システムの中枢はぶっ壊した。だが、区画毎の機能はちゃんと使えるはずだ。連邦軍が来るまでに受け入れ態勢を整えておいてくれると助かる』

 

 それに助けが来たという安堵からか。

 何百人かが涙を零して抱き合い。

 男達が喝采を上げた。

 

『エミ様!!』

『カシゲェニシ様!!』

『あ、ありがとうございます!!』

 

 生き残った事に安堵している暇はあまり無かった。

 

 神の画の望遠レンズで遠方の中央部にある陣地付近から幾つかの土煙が上がった事が確認されている。

 

「重軽傷者と男の娘と子供が優先だ!! 男共は今から外壁から落ちて来る武器を拾え!! 外回りのポ連兵が来る前に迎撃態勢を取るんだ!! 今、格納庫から重砲類を外壁に移送してる!! だが、システムはもう破壊したから各種のオンライン機能は喪失して、自動照準は出来ない!! また、防御は壁頼みだ!! 足りない演算リソースの代わりとして照準はお前らに行ってもらう!!」

 

 避難が始まると同時にボタボタと水滴が落ちるように上の市街地区画の天井から水銀のような質感の粒体が降りて来る。

 

 それが地面に接触すると銃ような形を取った。

 

 だが、それは銃のような形をしているだけで銃そのものではない。

 

 内臓されているのは相手をポイントするレーザー照準装置とトリガーのみ。

 

「受け取った者は壁の内部から敵軍を照準しろ。外側の映像は全て個人毎に送って各方位に持ち場を示す。ここからが本番だ!! 引き金を引けば、壁から直接照準した相手の周囲を吹き飛ばす仕組みにしてある。今、都市部の維持にリソースが喰われてるから、防御も万全じゃない事は頭に入れておけ。相手を直接殺すよりも相手を手傷を負わせて後退させる事を優先するんだ。これは防衛戦……敵の進軍を止めて、後退させる事を第一に考えてくれ」

 

 壁の外から避難を開始した者達が全員内部に入ったのが数分後。

 

 重軽症者達には月で開発していた重軽症者があっという間に治ってしまう魔法のお薬(月兎版)が支給されて、数十秒で完治した。

 

 体力までは回復しないが、それで十分に戦えはするだろう。

 

 弾丸列車がある区画から次々に男の娘と子供達が優先で上に上がっていく。

 

 老人と男達がまったく玩具のような武器を持って、壁際へと向かえば、其々に振り分けた戦域の望遠映像が個別に送信され、その目の前の壁に現れる。

 

 殆ど銃座をやらせているようなものだが、こちらの防御はそれなりに固い。

 

 相手側の火砲や火器が届く距離は精々数十kmだが、こちらは文字通り桁が違う。

 

 半径1000km圏内ならばレーザーが届き。

 

 塔上層にハリネズミのように浮き出始めた火砲や重砲のトゲは300km以上先を撃てるだろう。

 

 望遠レンズで照準して自動で射撃させてもいいのだが、演算のリソースがやはり足りない。

 

 神の画を単体で行使するには無理がある。

 

 殆どの能力を船体の現在の形状の維持に注ぎ込んでいる以上、ラグが起きるような照準では不用意に撃つと要らぬものまで吹き飛ばしかねない。

 

 結果としてこのご時世に人間に遠距離の映像から照準させて補正も火砲のザックリとした射程を示す程度が限界だった。

 

「殺して剥きになられて特攻なんてされても困るんだ!! 戦意を挫け!! 相手を懐に入れるな!! ポ連兵も人間だ!! 逃げる奴には構うな!! 逃げる奴を撃とうとする奴を撃て!! 督戦隊さえ崩壊させれば、あっちの統率なんぞ吹き飛ぶ!!」

 

 一瞬、神の画にアラートが走る。

 

 その次の刹那に、半径20km圏内でレーザーが自動迎撃を開始したか。

 

 虚空で爆発が発生。

 それがポ連軍陣地、数百km先からのレールガンの曲射だとの表示。

 しかし、発射したと思われる目標地点をズームしても何もない。

 ただ、その周囲には高速で動いたと思われる轍が数十。

 

 大戦期の戦車の砲撃に似ているという警告表示が終わったかと思えば、次々にレーザーが弾体を撃ち落とし始める。

 

 恐らくは全天候量子ステルスの迷彩で覆われた戦車による波状攻撃だ。

 

 だが、こちらの迎撃網を擦り抜けられていないという事はあちらは放置していて良いだろう。

 

 問題は今から向かって来ているポ連軍だ。

 

 散兵戦術よろしく広く網目状に展開した自走砲や車両が次々に向かってくる。

 

 迎撃にリソースを割いている今、更に砲弾や弾体が増加すれば摩り抜けた壁に着弾する可能性は高い。

 

 その砲弾や弾丸がもしも量子転写技術込みだったならば、神の画と言えど、破壊は免れないだろう。

 

 そうなれば、市街区画が沈下したり、その過程で人間がザックリ死ぬ可能性もある。

 

「ポ連兵の砲弾が撃たれるよりも前に決着を付ける!! 全員照準!! ポ連兵の後ろの地域でこちらに向けて撃ってる奴らがいる!! 見付けたり、違和感が有れば、迷わずそちらを撃て!! 射撃開始だ!!」

 

 遥か上部に生えた砲塔が火を噴いた。

 弾着予測地点に弾頭が到達するまでには時間が掛かる。

 

 その合間にもレールガンの弾体が数百発単位で散発的にこちらの20キロ圏内で次々に迎撃され、爆破蒸発していく。

 

『映像に違和感があります!! う、撃ちます!!』

 

 2割程のこちらの照準が後方地域に向けて撃たれた。

 偏差射撃込みで予測しての一撃だ。

 

 その第一射が届くまでの時間はかなり長いようにも思えたが、後方地域で爆発と共に弾ける相手を複数車両確認した。

 

「弾道予測から絞った地域に違和感を見付けろ!! 全天候量子ステルスだろうが、轍が残る戦車タイプなら、地面を走ってるのは変わらないんだ!! 必ず、樹を倒したり、轍で緑が踏み荒らされたり、地形に変化が出る!! 後ろの連中さえ撃破すれば、後は今時の火砲に重砲だ!! 核が積まれてようが砲弾が一瞬で着弾する範囲じゃなければ、どうとでもなる!! 撃てッ!!」

 

 次々にポ連軍の進撃部分より後方へと着弾が観測される。

 

 数百km以上の距離のせいで当たるかどうかは殆どまぐれ当たりを期待するしかないのがもどかしいが、数両の撃破が次々に続いた。

 

 それと同時に攻撃が散発的になってくる。

 それ程に数はいないという事なのか。

 それとも何処かに本隊を温存しているのか。

 

 どちらだとしても十数分でポ連軍の自走砲や戦車砲、移動型のミサイルキャリアーが諸々近付いて来ていた。

 

 誘導兵器はそこから十分に届くが遅いので迎撃は出来るだろう。

 ならば、問題はその中身だ。

 

 命中させれば、こちらにダメージを与えられる代物ならば、一発たりとも通すわけには行かない。

 

「ポ連軍の進撃してる先端を足止めしろ!! 誘導兵器を撃たせるな!!」

 

 射撃が後方から前方へと照準を変えて次々に敵の前方を塹壕のように深くなる程に砲撃の雨が降る。

 

 幾両かが撃破され、それに満たない相手も至近弾で砲塔や無限軌道が破壊され、次々に行動不能となっていく。

 

 引っくり返るものや掘り起こされた前方に突っ込んで止まるもの多数。

 

 敵の1割程が前方で戦力を喪失しているにも関わらず、後続の部隊に止まる気配は無い。

 

(……督戦隊もそうだが、何処かに観測してる奴らが要るのか? だが、こっちには見付けようも無いわけか……ジャミングしようにも出力が足りない。全滅するまで殴り合いになれば、あっちは喜々として隙を突いてくる……どうしたもんかな……)

 

 どうなるにしろ。

 あちらの方が電子戦は上なのだ。

 

 ラストバイオレット権限で衛星軌道上のシステムを動員してもいいが、その瞬間に乗っ取られるのは目に見えていた。

 

――――――――錨の処理が切れました。

 

 ザリッと今の今までは大丈夫だったはずの光量子通信にノイズが入ると同時にクロック数の上昇で世界の動きが鈍化していく。

 

『月面における偽の真空が解放されます』

 

「ぐッ、このノイズは……深雲……いや、干渉してるのは誰だ!?」

 

『ギューレギュレ?』

 

「お前か―――」

 

 確実にバンドでグルグル巻きな顔が渋くなった。

 

『ああ、随分と手古摺っているようじゃないか。親友』

 

「黙って消えてろ!! 月だけは守れよ!!」

 

『ギューレギュレギュレギュレ♪ 魔術は使わないのかね?』

 

「予測確度99%で観測中だよッ。あっちがな!!」

 

『相変わらず、自分を追い込むのが好きなようだ』

 

「んなわけねぇんだよなぁ……誰のせいでこんな事になってると思ってんだ!!? 幾ら温厚なオレでも終いには切れるぞ!!? このギュレ野郎!!」

 

『君にプレゼントを是非したい。ああ、全てを知って尚そうするであろう君に……』

 

「受け取ったら、その気持ち悪い鳴き声止めてくれるか?」

 

『まったく酷い話だ。だが、君の後ろに護るべき人達がいる。そして、()()()()()……躊躇している余裕があるのかね?』

 

「悪態吐いて殴り倒したいが、今は止めといてやる。何をくれるって? 唯一神」

 

『錨の効果を切った。月面に()()()()()が顕現する。月面におけるブラック・ボックスを除けば、最大最強のオブジェクト……そして、我が研究の出発点が』

 

「何?」

 

『場に量子トンネル効果を発生させた。君も好きな絶対零度というやつだ。本当の異法則とは无から始まる。そして、无の中では全てが可能だ』

 

「……またオカルトか……」

 

『真なる魔術を模倣する術は全うな科学ならこの吾輩、わっち、私、僕、僕ら、私ら、ぼくちん、あっし、あたしらならば、後10回は宇宙の終わりまで研究しなければならないだろうが、生憎と此処には()()()()()が存在する。オリジナルだよ? 最初の地球にあったものだからな』

 

「―――何がどうなってるのか聞いてる暇は無いんだろうな。まぁ、いい。で、量子トンネルに真空と来たか……確か、全てを破壊する泡……最低のエネルギー準位になれば云々とか言うのだったか?」

 

『ビッグ・フリーズの先にある状態だよ。その中ではあらゆる存在が存在出来ない。それこそ―――神ならぬ身ならば、破滅は免れないが、君はもうその中で存在する術を知っているはずだ』

 

「!?」

 

『君の前に繋げよう。演算処理能力も君の躰に貸しておく。君が開発した疑似時間停止装甲ならば、君は无の中ですら意思を保つだろう』

 

「知らない内に人の躰に細工しやがってッ。で、何が起こる?」

 

『君の望む通りの事が』

 

「……過去への座標跳躍の際みたいな変化が起こるならお断りだぞ」

 

『あちらは別座標宇宙だが、こちらは座標そのものは関係ない。純粋に法則が“認識で確定される”だけだ』

 

「断ったらロクでもない事になるんだろうなぁ……クソ」

 

『分かっているじゃないか親友。真空の膨張速度は本来光速だ。留めて置ける時間は極僅か。また、技術はこちらが上だが、生憎とプログラミングと電子戦技能はあちらが上だ。さぁ、時間も無い。彼女が観測しても無駄な物語を始めよう。君は出来る以上、やらないという事は無い人間だ。それが少なからず人を救うならば』

 

 バギンと生身の耳元で箱が拉げていく音がした。

 それと同時に周囲で悲鳴が幾重にも響く。

 箱の上部構造が拉げて飛ぶ。

 

 すると、其処には全てを呑み込むような黒い泡の塊が浮かんでいた。

 

 ブラックホールか何かかと勘違いしそうな程に暗黒なソレが膨張している。

 

 自分を呑み込むまで後、数秒。

 

 周囲の仮面付きなエージェントはあっという間に呑み込まれて消えていったが、こっちは超重量の車体に括り付けられた箱のおかげで無事だったらしい。

 

 達磨さん状態+吸血鬼も真っ青な状況でグルグル巻き。

 

 まったく、肉巻きみたいな有様だったが、それでも神剣並みの演算能力が自分に戻っている事は脳裏で確認出来た。

 

 周囲の壁が破壊されて、空が見えている。

 

 上空から吹き込んで来る風すらもその黒い泡の中へと消えていた。

 

「やってやるよ!! 後で後悔しろ!! イグゼリオン!! スタートアップだ!!」

 

 周辺の空気に紅の燐光が煌き。

 自分の身体の周囲に体積していく。

 泡の内部へと吸い込まれる寸前。

 僅かに悲鳴のようなものを聞いた気がした。

 

『……この宇宙において最も虚無なる力……使わせて貰おう……これであの宇宙の神に至りし異能もまた()()の手の内に……』

 

―――月面上。

 

―――紙袋頭で白い芋虫に集られている男が巨大な黒い泡が浮かぶ地表の上空で呟く。

 

『見ているかね? ビッグ・C……これが彼だ。終に君達の領域に脚を踏み入れるぞ……喜びたまえよ。真なる宇宙……()()()は此処から始まる!! あのような結末の先でこれ程にまだ人は愛されているのだ……ああ、まったく我ら人類は幸せ者じゃぁないかッ!!!』

 

―――狂気とも歓喜とも付かない笑みに、アルカイックスマイルな口元に、芋虫が集る。

 

『一なる天、惑なる天、翼たる天、業なる天……彼らに続く、この系列宇宙における初めての天……无の海を征く新たなる宇宙……()()()()の誕生だ!!』

 

 ギュレギュレと嗤い声が響く。

 

 ギュレギュレと笑い声が響く。

 

―――それは男のようで女のようで幼子のようで老人のようで青年のようで中年のようで如何なる声、言語のようでもいて……しかし、何よりも哀し気な響きを秘めていた。

 

―――黒の泡が膨張する。

 

―――巨大な航空戦艦にして四胴の母艦。

 

―――鳴かぬ鳩会旗艦。

 

―――【主無き庵(マスターレス・キャビン)】の最左の船が巨大な黒い泡に喰われるかのように墜ちていく。

 

―――切り離されたソレが虚空にて静止した時。

 

―――その上空がポ連最前線より東に120km地点であった事は良かったのか悪かったのか。

 

―――終末を思わせて黒きものは瓢《ひさご》の如く螺旋ように渦巻きながら喇叭の口のように上空へと広がり、その天を覆う残ったフィルム層の残骸である無数のデブリに接触。

 

―――全長数万キロにまで拡大、高速であらゆるデブリ諸共、地球と存在しない月面間にあるモノを引き込み始めた。

 

―――たった二分で世界が色を取り戻し、白日の下に晒されていく。

 

―――七つの衛星がその瓢の奥へと落下した時、地球上に存在する全ての“神の屍”は機能不全へと陥り、その感覚改変機能を1つ喪失させ。

 

―――人が皆、同じ顔ならば、貴方の傍にいるのは誰であるのか。

 

―――問い掛ける者は数あれど、答える者は尚多く。

 

―――世界は真に畏怖の奈落へと突き落とされていく。

 

―――この後に及んで戦争等という些事に付き合う者が絶無だった事は記されるべきだろう。

 

―――人間は言う程、人殺しに興味の無い生き物らしかった。


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