ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
「……また、此処か」
大きな樹木の下。
何時ぞや見た青空は黄昏時を示していた。
黄金に煙る薄らと棚引く雲間には星が瞬き。
ゆっくりと紫色が鈍色と共に陽の終わりから押し寄せてきている。
アリス。
金髪碧眼の少女が胸元の時計を揺らして、こちらを覗き込んでいた。
「オカシイとは思ってたんだ。あの状況で通信出来るわけがない。もう実際に現実のオレはあの虚無とやらに取り込まれた最中のはずだ。なら、此処に干渉してるのは物理法則上の現象じゃないって事になる」
「お兄ちゃんも終に知恵を付けてしまったのね。妹としては独り立ちした兄を見ているようで複雑だわ♪」
少女がこちらの前にしゃがんだ。
「現実に迫り出してくる奴が何言ってるんだか。それに執行機……ジュデッカともつるんでるようじゃないか。深雲のプログラム系統かと思えば、そちらにはもう母さんの若い頃の姿で会ったしな。オレにはお前が何なのかが思い当たらない」
「本当に?」
「……後残ってる主要なオブジェクトはマスターマシンのブラック・ボックスだけだが、アレに意思なんて宿ってないだろ」
「正解。お兄ちゃんが賢くて嬉しいわ」
ニコニコした美幼女がパチパチと拍手する。
「そうよ。あのブラック・ボックスはあくまで他座標間宇宙の深雲を繋げるハブであり、世界の最構成を行うオブジェクトでしかない。至高天には至高天の妖精さんが付いてるしね」
「妖精さんねぇ……」
「でも、お兄ちゃんの中に答えはあるはずよ」
「さて、見当も付かないな……」
「運命の車輪を回す女神。彼女は私のお姉さんに当たるのよ?」
「………どっちの意味でだ?」
そう訊ねると少女はニコリとした。
「どちらの意味でも」
「―――こういうのに見当が付かない方がいいと思うのはオレだけか?」
「ふふ、現実は変わらないわ。オリジナルの地球と此処がまったくの別の惑星だとしても、貴方がエニシであるように私はアリスなの」
「……じゃあ、お前も沢山いるのか?」
「いいえ、私は一人よ。ずっと……この宇宙が終わった時ですらそうだったわ」
「あの唯一神と同類か」
「アレと一緒にされるなんて心外だわ」
プンプンと怒る真似をする幼女は屈託なく笑みを浮かべる。
「この宇宙は間違いなくオリジナルよ。けど、この宇宙の終末に2人の特異点が生まれた……一人はお兄ちゃん。もう一人はあの男……」
「で、お前は三番目か何かか?」
「……違うわ。私は始まりと終わり、その狭間に目覚めたの」
「狭間?」
「初期観測者と終末観測者。これは宇宙の始まりと終わりに存在する原理の認識と規定を行う絶対者よ。でも、私はそのどちらの時間にも目覚めなかった……でも、マスターが予めそうしてくれていたのね」
「……もう一度訪ねる。お前は何だ? アリス」
「お兄ちゃんの妹よ♪」
「ああ、そうかい。そうなのか……母さんはそこまでマッドじゃないと思ってたんだけどな」
「ふふ、私の本体を見てみる?」
「見られるのかよ。絶対、知らなくていい気がする」
「でも、観るのよね? だって、お兄ちゃんだもの♪」
「嫌な話だ。この歳になって実の妹が出来るとか……」
今までアリスが胸元にぶら下げていた懐中時計が目の前に突き出される。
カチリと秒針が午前零時を指している時計の中心から僅かに細い金の鎖のような輝きが上に迫り出したかと思えば、それが目の前の高さまで来ると円形に広がり、更に小さな円筒形に展開していく。
その中には胎児と呼べるのかどうか。
小さな命がまだ人型の原型にも成らず。
尻尾を付けたまま静かに眠っていた。
「私は中間観測者。名前その通りの存在……最初のカシゲ・エミ、マスターが死ぬ間際に産み落とした頚城よ」
「頚城……」
「量子転写技術に届かなかった最初の地球時代にも永遠の命を生み出す事は可能だったわ。寿命という意味でなら」
「それがお前か……」
「マスターはね。お兄ちゃんが寂しくならないように……私を産んだのよ……どんなに時間が過ぎても、宇宙が終わっても、永遠を共に行けるように……」
「オレじゃなく、オレ達の為、だろ?」
「そうね……でも、この宇宙が初めて終焉を迎えた時まで私は眠っていたわ……そして、この宇宙が終わった時、目が覚めた……あの輪の中で……」
ブラック・ボックス。
それはリングだ。
虚空で回り続ける金属製の輪だ。
月の遥か下に眠るマスターマシンの中核部品。
それが人を生み出したオブジェクトだと言うのならば、正しく家の母親はソレを見た当時から天才を通り越して天災だったのかもしれない。
「あのブラック・ボックスに使われている時間をものともしない“不変”を生み出す技術はね。本来、マスターが開発したものよ。その技術をテラフォーミングや経年劣化を受け付けないシステムへ委員会は応用していた。けれど、その技術を本当の意味で理解していた人はいなかった」
「オレのデータの保存用か」
「正解……でも、どんな形なら蘇らせたと言えるのか。マスターは悩んでいたわ。だから、どんな時代にも幸せならば良いと……そう願った。そして、ソレを叶える為の装置を用意した」
「マスターマシンが全ての始まり……そして、深雲に母さんの意志の代行が任されたわけか」
「そうよ。その結果として人類は今もこの宇宙で生存しているわ。たった一人の息子がより良き人生を送る為の箱庭として……あらゆる宇宙のあらゆる時代に広がってる。それが深雲にとっても至上命題を達成する為の手段として有力だった事がお兄ちゃんの不幸ね」
「技術で行ける領域が増える度、宇宙の観測結果に即して命題の更新が掛かる度に引っ張り出して体よく人類を救わせるってのが、どんな手段にも勝るってのか? まったく、買い被りも良いところだ。それにギブアンドテイクにしては本人だけが不在過ぎるだろ。どうしてオレの周りの問題児は意見を聞かない奴ばっかりなんだろうな」
「ふふ、問題児ばかりだから、お兄ちゃんが選ばれているだけじゃないかしら? でも、本人不在で全てが動いて来たからこそ、お兄ちゃんは此処まで辿り着けたのじゃなくて? 自身で意図した未来なんて案外脆いものよ」
「世界とやらの為に蘇らせられて死んでいったオレはどうなる」
「……言ったでしょ? 私は―――」
それが言葉になるよりも早く。
クシャッと空の一部がまるで紙屑を丸めたかのように皺くちゃとなった。
「ああ、もう時間みたい」
「はぁぁ……良いだろう。お前の事情は大体分かった。ただ1つ聞かせろ」
「なぁに?」
「母さんを、オレ達を恨んでないか?」
「―――く、あははははは……ホント、お兄ちゃんは女誑しなのね?」
「今の何処にそんな要素が?!」
もはや意味不明なくらいに驚愕である。
この言動の何処に女性の女心を擽る何かがあるというのか。
「ふふふ。幾多のお兄ちゃんを見て来たこのアリスが断言するわ。お兄ちゃんはずっとそのままでいて……そしたら、この宇宙が終わってもきっとまた……」
「残念ながらソレは無しだ。オレはこの宇宙が永続する事を望む。単なるエゴイスティックな一般人だからな」
しょうがなく強がりでも笑っておく。
「他にも一般人とやらには沢山形容詞が付きそうね……」
「近頃、ヲタニートと色々兼業してて大変なんだ。妹よ」
その言葉に何を思ったのか。
「じゃあ、大変なお兄ちゃんにプレゼントでもしようかしら」
そうアリスが言い出した。
「?」
「ジュデッカ」
「此処に……アリス様」
いつの間にか。
其処に委員会に生み出されたはずの存在が畏まって片膝と頭を垂れていた。
「もう出来ているかしら?」
「はい。滞りなく」
「……お兄ちゃん。これから頑張ってね。きっと、大変だと思うけど」
引っ張られて立ち上がる。
それと同時に今度は大地前面がクシャッと歪んだ。
「そういや、過去へ行く前に訊きそびれてたな。ジュデッカはお前の何なんだ?」
「単なる知り合いよ。あの男はブラックボックスの技術で委員会謹製のこの子達を改造した……永劫に経年劣化しないシステム……文明の破壊者にして再生の起点として……
「まったく、余計なお世話過ぎるだろ……」
「……旅人は至る為にこそ旅した。それは永劫に苛まれ続ける者達を閉じ込めた地獄への道程……お兄ちゃんが好きな中二病設定ってやつでしょ? 月を本体としたオリジナルの至高天は人類文明を神曲に出て来る地獄の数だけランクとして格付け、評価するシステムを積んでいるわ。やがて、自分達を使うに値する人類が現れるよう……そして、あの男はそれを準えて今までの恒久界を造った」
「つまり、こいつらが恒久界を滅ぼすのは……」
「そうよ? 至高天に届かない文明を遣り直す為のもの。其々の進んだ文明の階梯に応じて出ていく執行機の数は違うの……でも、あの文明は今最後の階梯、ジュデッカの位にまで到達してる。つまり、此処で滅ぶ場合は全員を相手にしなきゃならなくなるって事ね」
「あのギュレ野郎。それでデータが取れたら、試行回数を減らせる程度にしか思ってないんだろうな」
「ふふ、どうかしらね。でも、1つだけ言えるわ。もし、お兄ちゃんが世界を救いたいなら、今まで通りにすればいい。結果はこの子が出してくれる……それがお兄ちゃんにとって悪しきにしろ、ね」
「残念だが、そんな未来は永劫来ないとだけ断言しておく。もしもの時はこいつらにはこの現実から退場してもらうからな」
「出来るかしら?」
悪戯っぽい笑みが返される。
「オレが他のオレとどう違うのか知らんが、準備だけは怠らない事にしてきた。その時が来たなら是非、その準備を味わってくれ」
こちらの言葉にジュデッカは慇懃無礼に一礼する。
「楽しみにしていますよ。いえ、その時が来ない事を願っておきましょうか。彼に逆らえない以上、手加減は出来ませんので悪しからず」
「それならそれでいいさ。こっちも遠慮なくやらせてもらう」
「畏まりました。よい兄君をお持ちになりましたね。アリス様」
「ふふふ、だって、私のお兄ちゃんだもの♪」
何処か二人は通じ合っているように思えた。
クシャリと二人の姿もまた紙屑の折り目が入るかのように歪んでいく。
ギィィと世界が皺くちゃのメモ用紙のように捻じれていく。
その最中、僅かに小さな輪が輝くのを目にしたような、気がした。