ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第323話「真説~世が滅ぶ刻~」

 

 遠き地より至る異邦人。

 彼方目指し向かう旅人。

 さて、これより語りまするは一人の男の物語。

 おお、それは嘗て偉大なる者達が歩んだ軌跡。

 

 まだ文明の理知足りぬ灰の月の御所にての事にござります。

 

 月の国治めたる一領主。

 彼には妻が数人おりました。

 その名声は高く。

 真に良心良主と讃えられていたのでござります。

 その行いに惹かれ、婚姻を望んだ若き姫君達。

 中でも縁ある者を領主は選んだとか。

 

 一人は女伊達らに戦場に起つ女神の如き女。

 一人は旧き王家の血筋引き恵まれぬ子らを世話する女。

 一人は幾多の信者を持ち、善き教えを唱える聖女。

 一人は巨大な版図を持つ帝国に讃えられる皇女。

 

 残る二人は互いに男でありながらも女子のような見目麗しき娘達。

 

 彼女らは領主と共に幸せに暮らしておりました。

 ですが、そんな日々にも暗雲が立ち込めてゆき。

 やがて、空から降り来る禍つ星。

 

 浚われた細君達を救う為、領主は一人の男として宙の海に旅立ちまする。

 

 彼に付き従うは鋼の乙女と海辺に暮らす将の息子。

 旅路の果て。

 彼は緑りに蒼き星に降り立ち。

 また、その奥へと分け入り。

 新天地へと。

 しかし、男は合間にも細君達を思うあまりに黒く染まり。

 その鎧は身に融け。

 その眼光はもはや神の如く猛り。

 やがて、観る者達にこう呼ばれる事となりまする。

 魔王。

 死魔の化身にして化物の王。

 魔王、と。

 

―――月亀首都城下。

 

 旧き良き酒場の角。

 

 吟遊詩人が弾き語る魔王物語を聞きながら、その当事者達が一仕事終えた後の食事をモシャモシャと食べていた。

 

 何はともあれ腹は減る。

 今、傍に夫がいないとしても、やはり腹は減るのだ。

 

 周囲には結界が張られ、隔絶された彼女達の食卓は覗き見る事も出来ない。

 

 一言も発せず。

 

 恒久界の半分以上を跳び廻り、各国に出現したアンリミテッダーと呼ばれる鱗持つ兵士を無限に量産するオブジェクトの半数を破壊してきた彼女達は今正に疲れ切っている。

 

 何が疲れたかと言えば、とにかく敵が常識外れだった事が挙げられるだろう。

 

 航空からの一撃ならば、あちらの反撃が届かないかと思えば、そんな事はまるでなく。

 

 投げ槍やら魔術やらは使ってくるし、組体操のように兵隊が自らをより集めて巨大な腕を作って襲ってくる事すらあった。

 

 如何な無間を征く船とて、純粋物理の超大質量に掴まれば、破壊されずとも一貫の終わり。

 

 船の内部であーでもないこーでもないと操作しながら、何とか戻って来た時には精神的な疲労はピークに達していた。

 

 取り敢えずは食事にしようと降り立ったのが月亀の酒場であったのだ。

 

「あ、これ美味しいのよ♪」

 

 噂の聖女は健啖な様子で月亀の雑穀を引いて粉にして水で練って焼いたパンのような食べ物に魔王軍謹製のバターと魔王軍謹製の糖蜜を掛けて食す。

 

「……あいつが自分の為に創らせていたのだろう。この身体になる前からそれなりに食べられていたが、此処は食材も豊富なようだな」

 

 若鳥の一口香味揚げと雑穀を蒸かした白米風の主食を交互に口へ運ぶ眼光鋭い女神が僅かに酒精の入った甘味料を飲み干した。

 

「また、嫁をほったらかして何処に行ったんでしょうね。あの人は……」

 

 子供達を世話していた女はぼやきながらも、料理に関する気付いた事をサラサラと横の手帳にメモしており、どうやら自身の料理に応用しようとしているようだ。

 

「おひいさま。カシゲェニシ様、旦那様が来るまでは此処の食事も不味かったとの事。ご伴侶の偉業をもう少し褒めてもよろしいのでは?」

 

 吟遊詩人の語りには出てこないメイドがイソイソと食事中の全員に大皿の料理を取り分けたり、飲み物を注いだりと給仕しながらニコニコする。

 

「だ、旦那様は月にまで助けに来てくれたのだ。それだけで我々は恵まれている……私はそう思う」

 

 何処か噛み締めるように嬉しそうな声で地球上で最大の版図を持つ帝国の元皇女が微笑みながら、魚のソテーをフォークで口に運んだ。

 

「エミの事ですから、また何処かで人助けでもしているのでしょう。人の事を放っておけない悪い癖が治れば、人の上に立つ人間としては良いのでしょうが」

 

 一国の主にして宗教的な主柱である男ノ娘が豆類のスープを口にしつつ、横の分厚いステーキを丁寧に口へ運んだ。

 

「でも、そうしたら、あいつじゃないでしょ。ま、いいじゃない。夫がいない時が妻にとって一番心が休まる時だ、なんて話もあるんだし」

 

 男ノ娘として自身の政略結婚を吹聴する少女がモグモグと厚切りのベーコンが挟まれた細長の雑穀パンを齧る。

 

「あれから二日。半数は潰したが、まだまだ残っているでござるからなぁ。こちらも人助けはまだまだ続きそうな感じではあろう。終わったら、あちら側のフラム殿も次の出撃まで別の仕事だと消えてしまったし、人手不足やもしれぬ」

 

 やはり、吟遊詩人の語りには出てこないござる口調な黒髪幼女が目玉焼きの乘ったハンバーグ・ステーキを無骨な何処かの樹木の枝から削り出したような箸で口にしながら、傍らの白い用紙。

 

 敵の潰さねばならないオブジェクトの設置点を見ていた。

 

「それにしても今現在、外が観測出来ないという事は外部からこの世界が遮断されているという事でいいのか?」

 

 フラムの言葉に百合音が頷く。

 

「恐らく唯一神とやらの仕業と考えられる。何と言うか。何でもありなのは我が夫だけではないようでござるよ。あ、ちなみに魔王軍の方には主上がこちらの動きと戦果は報告するとの事。説明する手間は省けたと考えていい」

 

「そういえば、ヒルコがいないのよ?」

 

 キョロキョロする聖女が小首を傾げた。

 彼女達と共に降りたはずなのだが、今は周囲に見当たらない。

 

「ああ、ヒルコ様なら先程、婿殿なら面倒がって真面目に対処するだろう案件を全部力技で解決してくるぞよ、と仰っていましたよ」

 

 メイドさんの言葉に全員が顔を見合わせる。

 

「………むぅ。近頃、主上もエニシ殿に毒されているような気がする」

 

 百合音が自分の母親にして主である鋼鉄の乙女の昔とは違う行動力に肩を竦める。

 

「そう言えば、ごはん女。お前の半分は何処に行った?」

「ぬ? あちらは…………………」

 

「オイ。どうかしたか? また、襲われてるんじゃないだろうな? せっかく、くっ付いた身体で無茶はするな。あいつの胃に穴が開く」

 

 フラムの言葉に微妙な顔になった百合音が何か考え込んでいた。

 

「いや、何か妙な感じがするというか。微妙に動かないというか。ぬぅ……誰かこちらの身体を乗っ取っておるな」

 

「は?」

 

「何でござるか? この記憶……ええと、ええと……ふむ……某の身体はどうやらロート・フランコ一派が使っていた人型“おぶじぇくと”に中身を乗っ取られたようでござる」

 

「はぁ!?」

 

 思わずフラムを始めとして他の全員が目を見張った。

 

「いや、それにしても記憶の一部が流れ込んできておる。成程成程……そういう仕組みなのか。というか、ハッ!? もしや、某ってエニシ殿と紅い糸で結ばれた運命の人だったんでござるか!? 何と言う事か!? これはもう某が嫁レースで大きなアドバンテージを得たと言っても過言ではないのでは!? これはもう某断然やる気が―――」

 

「解散」

 

 フラムが盛り上がる百合音を横に食事後のデザートを嫁仲間達と共に頼み始めた。

 

―――月亀軍情報部本部庁舎。

 

 月亀には月兎とは違い。

 

 常備軍において最も重要な諜報活動を行う情報部署が明確に存在する。

 

 彼らは其々が様々な形態の活動に特化された者達だ。

 

 それが今や軍の閑職に回されたに等しい扱いを受けている、というのは全く以て度し難い話であると憤慨する者もいたが、何もかもしょうがないと諦めムードも漂っていた。

 

 諜報するべき相手が消え失せたのだ。

 

 今や人類は昇華の地の最大派閥である月兎、月亀、月猫を統合した陣地に立て籠もる籠城戦を行っている。

 

 外部には化け物がウジャジャしており、人類種の全てが集結した場所で他国相手に戦後の為に要らぬ諜報活動などしようものならば、他国の反感を買って内部分裂。

 

 正しく人類の絶滅に力を貸すに等しい。

 故に内部での諜報活動は基本的に敵の侵入が無いかどうか。

 

 また、裏切り者がいないかどうかの捜査に限られ、今現在は正しくそのような方面で彼らは活用されていたが、それにしても昨日まで諜報活動でスパイ合戦して殴り合っていた連中が合同で月亀を根城にして内部統制の為に共に力を尽くしている、というのは……ぶっちゃけ、彼らの本領ではまるで無かった。

 

 少数精鋭。

 ダブルスパイ。

 騙し合い。

 

 こういう単語が彼らの大抵の日常であって、独裁国家みたいに内部に向けてその力を尽くす事はあまりにもそれに感けていると逆に疲弊を招く為、程々にしておけ……という類の代物《しごと》だったのだ。

 

 だが、裏切り者と言っても、そんなのが内部に侵入していたならば、そもそも彼らの出番など廻って来るはずもなく。

 

 戦線が崩壊して雪崩れ込んだ化け物に全員が殺される羽目になっている。

 

 やってきた多くの国家の者達は難民であり、魔王軍の管理は概ね国民には大好評で裏切り者になりそうなのは極々一部の特権を奪われた上流階級達のみだ。

 

 それとて魔王軍から多大な援助を貰ってふんぞり返っているだけであり、人心が離れて以降は権力らしい権力など握っているわけでもなく。

 

 昔、王様だった人、くらいの意味しか無くなっている。

 

 上流階級が国民に与えるモノよりも魔王と魔王軍が与える物の方が多いのだから当たり前だろう。

 

 王政を敷き、貴族制を社会の形態として採用していた国程に国民の上流階級への反発は大きい。

 

 今までの社会体制が崩壊した昨今。

 

 魔王や魔王軍を神や神の軍隊、政治力を有する執行機関として選ぶ者達は数多く。

 

 悪政を敷いていた国の難民は国籍が何処だろうと今いる場所の方が数万倍マシな生活であると腰を据えて骨を埋める気である者が増え続けていた。

 

 この状況がいつまで続くか分からないにしても、その人類種が1つとなった同盟は人々に支持され、故に魔王軍の民間への統制が利いている限り、彼ら上流階級の者達には協力する以外には……善政を敷いていた国家の権力者が象徴としての力を発揮するくらいしかほぼ出番など無かったのである。

 

 それを監視する情報部なんてそれこそ番犬以上の仕事を求められてはいなかった。

 

 凄惨な裏社会の牙城が一夜にして単なる番犬小屋になった箱物の奥。

 

 一室には各国の軍や騎士団、政治結社の諜報部門の長達が集っていた。

 

『………』

 

 本来ならば、彼らは表の顔で笑い合い、裏で刺し合う関係であったが、そんな事が求められてもいない今。

 

 怨恨による愚痴を垂れ流す以外の仕事が殆ど無い彼らにとって、その会合は自分も含めて腑抜け同然の同業者の顔を見る年寄りの集まりに近くなっている。

 

『おや、まだ死んでいなかったのですか?』

『そちらこそ。まだ刺されていなかったのか』

 

『まぁまぁ、互いにお互いの部下を家畜の餌にした旧知の間柄ではありませんか。穏便に穏便に……』

 

『フン。魔王軍魔王軍魔王軍……民は我らの今までの苦労など知ろうともせん』

 

『今更、民草に期待するとは……我々は元々が日陰者でしょうに』

 

『日陰者にも日陰者の流儀があった。そうであるからこそ、ルールもあったのだ。それが今は全て無かった事にして手を取り合えという。馬鹿馬鹿しい』

 

『それには同意しますが、そもそも我々は国家の犬です。そして、魔王軍から今は昔の三倍の資金を提供されている身ですよ』

 

『それを全て善良な国民を護る為に悪どい貴族様、真面目な神官様とやらの監視に向けているがな』

 

『時代が変わった、というにはこの状況には承服しかねるものがある事は同意しましょう。ですが、魔王軍に逆らったところで何が出来ます? 任務放棄で懲罰が関の山でしょう』

 

『追っていた国家を覆う黒い影は全て魔王軍が全部撃滅しました。御安心下さい(ニッコリ)とか言われて頷けるかボケェ?! 自分の獲物を取られて怒らない狩人がいるか!!』

 

『それなら、国家の転覆を企んでいたヤバイ連中は全部、魔王の教義と技術と叡智の数々に触れて、自ら罪を自白して真面目な公務員になりました(白目)、という案件も有りましたねぇ』

 

『それどころか。超技術を以て、数多くの事件を起こした謎の魔術結社が魔王軍の神の軍隊を前に自分達の技術の拙劣さを痛感して絶望し、集団自殺したっていうのもあったな』

 

『いやぁ……数万人の生贄と百年掛けて作った大国を揺るがす決戦兵器が物の三秒で魔王軍の一個小隊に消滅させられたら、そりゃねぇ……』

 

 誰もが語る事は事実だ。

 そして、その多くにおいて彼らが一致する事は1つ。

 自分達の敵は全て魔王と魔王軍が平らげてしまった。

 飯のタネは消えた、という事である。

 

『全部規格外なんですよッ。お話の中のものを全部ポンポン後出しされて勝てるわけないじゃないですかヤダー!!』

 

『創るのに10年掛かった正式採用の兵器が魔王軍の登場からモノの10秒で単なる大昔の時代遅れな欠陥兵器になりましたからね』

 

『というか。魔王軍の正式装備が明らかにヤバ過ぎる……諜報活動すら人員が必要無く出来る仕組みや道具が導入されたからな』

 

『ついでに各国の機密情報とか全部暴露されましたから。とにかく情報公開情報公開暴露暴露の連続で国民も何に怒っていいのか分からずに困っている次第ですよ。実際、怒ったところで今の状況じゃ何を自分達で裁けもしません』

 

『でも、それで失脚した連中の多い事多い事』

 

『同業者は倫理的にマズイ事してたやつらがこの場にいないだけでお察しだろう』

 

『彼らにも彼らなりの正義がありましたが……』

 

『だから、魔王軍は最期の仕事はちゃんと彼らに押し付けたじゃありませんか。国民を謀ったり、国家の為に罪なき人を殺したり、そういうのは同盟の公正な裁判とやらで罪人として罰せられ、国民を守った功労者は年金と身の安全と自由を手に入れた。どちらも勘案して禁固刑とか、労働刑とか、微妙な罪で服役してるの結構いますよ。ウチにもね……でも、アレで無罪放免なんですから、まったく羨ましい話です』

 

『羨ましいか? 機密保持義務に全技能知識を魔術で封印。連中、大半が民間に帰って馴染めなくて困ってるぞ?』

 

『ははは、魔王軍の職業安定訓練と精神医学は世界一ですよ? この間、暗い顔で民間に帰った友人が先日会ったら、パン屋で楽しそうに働いてました』

 

『ああ、そういや、ウチの元部下が花屋始めたんだよな。嫁さんとこれからは幸せ新婚生活を過ごすそうだ』

 

『つーか、ウチの部局ですね。今年度に入ってから異動してくる連中も入りたいと希望を出した連中も零なんですよねぇ』

 

『今は贅沢がしたいなら魔王軍に入れば、事足りますし』

 

『いや、そもそも何か始める時に全部魔王軍の伝手から始めるのが一番の近道になったのがヤバ過ぎる』

 

『ぁ~それはある。めっちゃ、ある……ウチのばーさんが手芸教室開くから、魔王軍に入るって言い出してなぁ。何でも魔王軍の中に凄い手芸の達人がいて、民間で講師してるとか何とか……いや、さすがに止めたよ?』

 

『人口統制もかなりアレだよなぁ』

 

『まぁ、非常時だからと適当に今までの倫理と道徳を全力でブチ壊して来てますからね。避妊用の魔術の女性への習得義務化とか、魔術具の全女性への無料配布と保持義務とか』

 

『合わせて堕胎は罰金刑の癖に何故か孤児と要らない子供の出産費用は全部魔王軍持ちで出産したら見舞金まで出やがる。その上で孤児は全部魔王軍で引き取るってんだから一部の倫理観薄い貧困層はもう問題起してるらしいが』

 

『あ、アレは解決しましたよ。魔王軍に子供を売ろうって女は一人産む度に自分の老後の光景を物凄く精細な自覚の無い幻覚で数年単位見せられるそうです。子供だろうと金にしたい“そういう層”が悲鳴を上げてこの子は自分の子だと涙ながらに改心しまくりだったとか』

 

『人間の機微が分かってらっしゃる。倫理教育と道徳教育だけで連中、実際この世界の内実をザックリ変え過ぎだろ……』

 

『義務教育?とかいうのもヤバイ臭いがプンプンする。今までは王を敬え云々やってたが、今じゃ現実に何かを為した人間を敬え、だからな。個人を見る社会の到来……ちと早過ぎると部下は報告してたが……』

 

『落ち零れや障害で働けない者が極めて少なくなった事もかなりの変化でしょう。適正のある職への斡旋義務を役所が負うってルールまで作りましたし』

 

『ルールだけじゃねぇよ。ありゃあ、魔王軍が配ってる薬のせいだって話だ。本人の努力出来る資質や集中力を最低限度以上に引き上げる効果があるらしい。万能薬って触れ込みだが、事実、病や怪我だけじゃない。あらゆる血統の障害や出産時や出産前の時点で脳の器質的な変質なんかを抑えたり、そのまま生まれてきて年齢を重ねた今現在の連中の状態を常人並みにまで戻すってんだから、正しく神の薬だろうよ』

 

『あの薬、イデン何たら薬とか言うらしい。社会に溶け込めなかった連中が普通の人間らしい暮らしが出来る一人前か、それに近い“並み”になったんだ。そりゃ、社会資源の分配方法が変わるだろう。今まで働けなかった連中が普通に働いて、そいつらに使わなきゃならなかった予算や人的資源が自由に経済活動に従事出来るようになるんだからな』

 

『ぁ~~そう言えば、前までは呻く事しか出来なかった脳器質の障害を負ってた連中が一律ちゃんと喋れるようになって今は義務教育受けてる最中って話でしたか? 親御さんは自分が死んだ後でも高齢の息子や娘が普通に社会で暮らしていけるようになったって魔王陛下を信仰しまくりだとか。ボケ老人が投薬後に往年の人格を取り戻してピンシャンしたかと思えば、魔王軍に参列する為に鍛え始めたってのもありましたねぇ。確か……』

 

『犯罪者に一律、投与してますが……アレもそういう脳の器質を改善するものだとの話だったはず。特に良心を司る部位の能力を補強するそうです。実際、薬のおかげか。投獄中の連中の道徳と良心的な資質が劇的に改善したと報告がありました。前は殴り合いか殺し合いに発展しそうな雰囲気だった大人数部屋が今では和気藹々とした学生寮みたいになってるって刑務方面の友人が顔を引き吊らせながら言ってましたよ。他にはライバルと競い合う気の良い奴らになったり、カリスマのある連中がいるところは軍隊や組織だった秩序で獄内の社会が変質したとか。洗脳より性質悪いのは確実でしょう』

 

 あーでもない。

 こーでもない。

 ワイワイガヤガヤ。

 

 今まで無駄に暗殺合戦をやりながら、極めて中二な横文字の敵対者達と中二ネームで呼び合い罵り合い殺し合ってきた彼らが今更に仲良くしろというのは正しく互いの過去への愚痴を聞かせ合って胃をキリキリさせてろ、と言われるに等しかった。

 

『我々……時代遅れになりましたかね……はぁ……』

 

『今や磨いた技術も魔術も叡智も全て無価値になった。百年前の戦略で今を戦う現代の軍がいないのと一緒だろう』

 

『差し詰め、我らは太古の旧き時代にのさばっていた大いなる悪、と言った風情か。がははは……へこむ……』

 

『でも、こうして腹を割って罵り合える関係になるなんて、良い時代になったものです』

 

『ウチの孫、もう五人目なんじゃが。暗殺されずにこれから育つって聞いてホっとしとるよ』

 

『誘拐、殺人教唆、強盗に見せ掛けた脅し……人道と倫理に悖る事は大抵何でもやりましたからねぇ。皆、お国の為って』

 

『絶対許さねぇって言い合ってた連中はどっちも倫理違反と道徳的に再起不能と判定後、永久投獄。寿命が終わるまで何も無い空間でずっと殺し合っててね。嫌なら真面目になった事を心理分析に掛けられて証明してね。あ、口汚い罵りは減点しときますね~~とか……完全に妥協出来ない狂信者と人格的に歪んだ下種(クズ)と人格破綻者が一緒くたに闇鍋封印されたからな」

 

『ああ、あの監獄ですか……殺さないよ。殺さないけど、自分達で過酷な世界で限りある資源の為に殺し合ってね。ってアレも考えた奴ヤバイですよねぇ……改心させる目的で殺さずに主観加速させて30000億年程度までは限界無く時間を引き延ばせるんでしたっけ?』

 

『痛みや感情は感じるけど、相手は殺しても蘇るし、自分も同じ。無間地獄……幻想体系な魔術がガッツリ使われてるらしいぞ。この間、2000年くらい経過して出て来た友人がいたんだが、人類は皆共に助け合って生きるべきなのです(ニッコリ)とか怖気が奔る事言ってたな……聖人か賢者みたいな顔で』

 

『そりゃぁ、そうもなるでしょう。アレ、一種の徒労系らしいですよ? 敵と他人以外、極僅かな資源しか無い荒涼とした世界で永遠に近い時間を過ごせる。いや、過ごさねばならない。それも誰かと協力したり、共同しなければ、地獄のような苦しみを味わうヤバい環境変化が四季の度に到来とか。魔術も使えないから相手を尊重しなければ、何も進まず、何も根本的に変化しない』

 

『アレだろ? 資源で身を護ろうにも加工一つすら一人では殆ど長い時間を掛けなければ不可能なんだろ? それすら強奪される可能性が高いんだよな。確か……永久の牢獄から出たかったら、誰かを助けて、誰かと共に何かをして、誰かを助けなければならないってのが……改心してまともになってね、と最初から明示されている分、やっぱり性質が悪い……嘘が通じない時点で狂信者連中は出られないだろう

なぁ』

 

『本当の狂人なら、楽園みたいなところだとも言ってたな』

 

『それ絶対、世の中に出ない方がいい連中じゃありません? 苦痛が好き、苦痛を与えるのも好き、的な奴らじゃないと楽園にはならないでしょう』

 

『じゃが、アレのおかげで報復合戦も終わりとなろう』

 

『罪は法規によって罰され、地獄が好きな狂人以外は人格的に灰となってから出て来る。罪を犯す気力すら失われてる、と』

 

『もういいんじゃねぇか。疲れたと言えるようになったんだ。適当に疲れましたと報告して脚を洗うのがいい。ああ、それがいい』

 

 ウンウンと彼らが頷いた。

 

 少なくとも、彼らは妥協も打算も出来るから、今もその地位に付いている。

 

 狂人にだって種類くらいはあるのだ。

 そして、1つの事では一致する。

 

 自分達は国家や己の為に狂気の沙汰を行ってきた狂人であるが、あの何処か人間の倫理と道徳を“改善してやろう”というプログラムを作った奴は更にヤバい傲慢天を突く狂人に違いない、と。

 

 その背後に見える思想は確実に性悪説を合理的に突き詰めて、倫理的で道徳的で合理的で一方的な変化を魔王軍下の全てに強いるのだ。

 

 それが悪い、と彼らは言っているわけではない。

 

 ただ、その性急さが彼らには受け入れ難いものである、というだけだ。

 

 本来、人間が1つずつ自らの手で学び、大きな時間を掛けて獲得していかなければならないものに無理やり適応させられている、と彼らは感じたのだ。

 

 それが魔王軍が人々に齎す莫大な富と前よりも確実に物質的には良い生活の代価だとすれば、それは正しく旧時代の化石たる彼らには忌避感の対象と見えるのである。

 

 多くの人々はそれに気付いていないし、気付いた時には子供の世代が親の世代の言い分に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()可能性が高い。

 

 彼らが内心で想定し、部下や多くの人間達に伝えない次の時代は、世界は、ソレは、正しく“彼らの世界”が滅んだ後の世界というものなのだ。

 

『魔王……世界を滅ぼす者、か』

 

『確かに旧世界は滅ぶ運命ですね。我々が言う非倫理的で非道徳的で非効率で不合理な事をまったく頷けないし、理解も出来ない“普通の人々”が次の時代と世界を席巻していくのですから』

 

 これが彼ら裏社会のほぼトップに君臨していた者達が共通して魔王と魔王軍に見出す問題であり、今もうどうしようもなく浸透し切った未来でなら英断や転換点と呼ばれるだろう“魔王の悪行”であった。

 

 そして、そんな事を百も承知な彼らの中の誰かがこう言い出す。

 

『で、今日の本題だが、本当に不平不満持ってる連中を纏め上げて扇動後、引導渡すか?』

 

 その場の多くがどうしたものかと微妙な視線になった。

 

 それは彼らにしてみれば、旧時代最後の善行といった類の行いだろう。

 

 今、人類が団結せねばならない時にも魔王軍に反乱を起こしたいという類の兆を持つ人間は存在する。

 

 彼らが()()()()()()と思える世界にしがみ付く人々。

 

 それこそ、彼らとは違って、地獄を見なければまるで割り切れないし、理解も出来ない連中がそれなりの数いるのだ。

 

 だが、生憎とそういう連中が諜報機関のラスボス扱いされる彼らの手に余るどころか。

 

 純粋にコントール可能な人数しかいない、という事が前回の議題において問題となっていた。

 

 数が多ければ、持て余すのを言い訳にグダグダ時間を掛けられるが、完全に許容範囲内の人数ならば、どうにでもなってしまう。

 

 内部統制の為にわざと反乱分子を焚き付けて団結させ、事を起させてから即時鎮圧、社会的に抹殺するというのは彼らフィクサー連中がよく使っていた手だ。

 

 事実、それで何度も反乱分子を炙り出す妙手を見せた者などは彼らの世界でも扇動者のレジェンドとして輝かしい功績を積んだ。

 

 まぁ、最後にはその粛清対象の親族に刺殺されたのだが、今の彼らにはそんな心配もないわけで……やらないということも出来なかった。

 

『まぁ、個別にどうしようもない連中以外は牢獄行きくらいでいいんじゃありません? 危険な連中は悪手を取らせて魔王軍に殲滅してもらいましょう。自滅なら誰の手も汚しません』

 

『なら、強気に出られるカードを偽造しよう。そうしよう』

 

『それがいいでしょう。出来るだけ信憑性のあるモノを握らせて偽物だと分かった時にはあの世行き。よくあるパターンですね』

 

『他が為に我は起ち……か。まったく、良く出来たお題目だ。こうしていると人間てのは幾ら社会が変わっても変わらんな』

 

『旧き善き時代の散りゆく愚者に栄光を。悪もまた人の手に寄らば、正義とならん。彼らには人々が自由と独立を指向する気風の一助となって貰おう』

 

 妥当なところで全員の意見が一致した時。

 

「あいや待たれい!!」

 

 バターンと扉が開く。

 イソイソ扉から入って占めたのは鋼鉄の乙女。

 

 彼らが驚く間にもその鋼の女の頭の上から黒猫がテーブルの上に降りて来る。

 

「話は聞かせてもらったぞよ。諸氏にはまだ不満分子の粛清は少し待って欲しい」

 

「これはこれは……ヒルコ様」

 

 今現在のほぼ彼らの監督役に誰もが軽く挨拶する。

 

「今回の一件、ワシにそやつらを使わせては貰えまいか」

「はぁ。どうするおつもりで?」

 

 黒猫が鋼の本体の手がプロジェクター化して周囲の壁に情報を映し出す。

 

 それを十数秒見ていた誰もが成る程、と頷く。

 

「外部の敵対勢力として制御し、内部の結束を固める方向性に誘導するのですな?」

 

「うむ。人的資源は今のご時世貴重じゃからな。わざわざ魔王軍に処分させて、畏怖を呷るのも今は困る。人類が危機を脱するまで軍には正義の味方でいてもらわねば。という事で外部への脱出計画を建てさせ、第三勢力を立ち上げさせる。基本的には武力の無いプロパガンダ系の攻撃に特化させ、民衆の支持母体の1つとして過激化させずに道化として立ち回って貰うのじゃ」

 

「ほうほう」

 

「ついでにヤバイ連中を骨抜きにする案も考えておる。連中とて人間。そして、人間である以上は逃れられない頚城というものがある。まぁ、観ておるがよいぞよ。この人類の現状に変化を付ける程度の事じゃが、どうにかしよう。お主らとて自らと()()()()に生きる者達を滅すのは忍びなかろう?」

 

「……お優しいですな」

 

「かかか!! 連中には地獄のような毎日じゃろう。人は争う者無ければ、活力と競争力が維持出来ん。常に負け続ける運命にある者達を生み出す事が優しいと言うならば、魔王の寛大さは正に神じゃろうとも」

 

「分かりました。今回の一件はお預けしましょう。諸氏もそれで良いか?」

 

 一人が発言すると他の者も意見は無い様で頷いた。

 

「では、さっそく使者を立てる事にしようかや。騒がせて悪かったのじゃ」

 

 黒猫がひょいと本体に乗ると嵐のようにやってきた鋼の乙女は嵐のように去っていった。

 

「……アレは絶対、聞いていただろう」

「まぁ、だろうな」

 

「その方法も我々に分からない以上、何の対策が出来るわけでもありますまいて」

 

「今日は解散にするか。すぐ傍に開店した喫茶店で茶でも飲んでいこう」

 

「魔王軍印は勘弁ですよ」

「生憎と独立した料理人の店舗だ」

「一緒に来る方は歓迎しますよ」

 

 壮年、老人老婆。

 

 諸々の元裏社会の権力者達がイソイソとその場から掃けていく。

 

 最期に会議室を出た男はポツリと呟いた。

 

「我々もその第三勢力に入ってるんだろうな……はぁ……」

 

 月亀の夜は更けていく。

 裸体を亀甲縛りな衛兵だけが老人達を見送っていた。


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