ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第48話「聖蹟のブレックファスト」

―――数日後、オルガンビーンズ国境域。

 

 6040年8月14日。

 

 その喇叭が鳴り響いた時、確かに我々従軍記者の誰もが戦争の終わりを感じていた。

 

 オルガン・ビーンズとの戦闘行動は城砦都市ビーン・レブの陥落を持って、ほぼ完了したのである。

 

 宣戦布告より3時間で攻勢発起点となる地域の城砦都市4つを騎馬師団が制圧。

 

 その後、今回の戦場に初投入された新兵器たる輸送鉄棺が続き。

 最後に歩兵師団15個師団が次々に都市部を占領。

 先駆けとなった騎馬師団は四方向への攻勢を行い。

 次々に投降する都市を駆け抜けていった。

 だが、如何な共和国の精鋭騎馬師団とはいえ。

 一つの国を僅か7日で駆け抜けられたのには理由がある。

 

 軍広報の話に拠れば、そもそもがオルガン・ビーンズ内において我が共和国との戦争を望まない勢力であるオリーブ教上層部と話が付いていたというのだ。

 

 各城砦都市において守備隊との交戦は一部のタカ派、皇帝候補であったフレグリオ・マイナーソースの息が掛かった場所ばかりであったという。

 

 事の真偽を確かめる為に記者はオリーブ教の高僧に接触、事情を聞く事が出来た。

 

(中略)

 

 彼らの話が本当であるならば、タカ派であるマイナーソースは皇帝の所有する遺跡より悪魔の力を掘り起こし、全ての国民を無残な操り人形に変えて戦争を遂行しようとしていた事になる。

 

 このような非人道的な行いを糾弾する為、皇帝エンデーブル・ド・オリーブの密命を受けたパシフィカ・ド・オリーブ皇女が共和国に助力を求め、マイナーソース派を欺く為に共和国内で共和国誅すべしとの言動を行ったと考えるならば、納得のいく話だろう。

 

 守備隊が戦闘を行わずに降伏した都市では皇女殿下が囚われの身となる寸前に命を懸けて残された肉声の告発文が流された。

 

 マイナーソース派の企み。

 

 民を使い捨ての道具として大陸を統一しようとしていた旨だけではなく。

 

 これにはマイナーソース派によって画策された共和国との開戦を何とか阻止しようとカレー帝国内へ秘密外交に出られていた総統閣下への直訴までも内容が及ぶ。

 

 このようなパシフィカ皇女殿下による開戦前夜のやり取りは極めて政治的な意図が含まれた事実上のマイナーソース派を止める為の内戦への義勇兵派兵要請という形に解釈されるべきである。

 

 現在、企みを看破されたマイナーソース派の検挙が進んでおり、共和国軍の管理下に置かれた各城砦都市においては騒乱の兆しも起こっていない。

 

 今回の戦争は形として内戦への参戦という形に落ち着くだろう。

 

 早くも諸国ではこの戦いを七日間戦争と呼び始めている。

 

 皇帝エンデーブル・ド・オリーブ陛下は国内の求心力に乏しいという事で二日前に退位を表明。

 

 領土併合に関する諸条約の締結と独立を保つかどうかの判断を行った後。

 

 全ての権限を一度解体、再編される事が決定しているオルガン・ビーンズの中央貴族会議へ戻すだろうとのいうのが大勢の見方である。

 

 戦後処理としてのポイントは独立の可否と併合領土内の民の扱いについてだが、戦争終結の為の諸条約において下層民の開放を閣下は提案。

 

 また、オリーブ教の教徒で占められる上流階級者達には国内人数に比例して一部、共和国内の議席を分割、併合後の領土で数年が経過、ある程度の統治が進めば、開放下層民達にも議席を与える指針が示された。

 

 これを各城砦都市は総意として了承しているとの事である。

 

 では、今回の戦争を早期終結へと導き、現在もオリーブ教の中心として貴族階級者達と共和国の仲立ちをされているパシフィカ・ド・オリーブ皇女殿下の告発文全文を後に掲載する事としよう。

 

(………あの腹黒そうな閣下もさすがに計画の修正を余儀なくされたようだな)

 

 紅茶を共和国の大手紙面を横目に飲み干す。

 本日もテント暮らしの快適な朝に違いなかった。

 高級将校向けの天幕の内部には生活雑貨と寝台が一式揃えられている。

 

 現在、オルガン・ビーンズ国内の治安も良いという事でパルチザン対策らしい騎兵師団を幾つか残すのみで占領地の維持に必要ない共和国の歩兵師団は撤退しつつあった。

 

 ビーンズ・レブで共和国軍に保護されてから此処まで運ばれてくる合間。

 諸々の次善策が何とか機能した事にホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでも無いだろう。

 

 何をどうすれば、一週間で城砦都市国家群という極めて攻略に不向きな国を制圧出来るのか。

 

 オイル協定諸国は首を傾げていただろうが、ネタばらしは単純だ。

 守備隊を味方に付けて、都市に白旗を揚げさせた。

 結局はそれだけの事だ。

 それが可能だった原因は四つ。

 

 一つ目はマイナーソース派が極めて秘密主義で“枝”の事を含めて、殆どの情報を遮断し、一部の為政者、城砦都市の高官達のみを賛同者に集めていた事。

 

 二つ目はこちらにオリーブ教の象徴であり、下層民から慕われていて、皇帝の長女でもあるパシフィカ・ド・オリーブがいた事。

 

 三つ目はオルガン・ビーンズの主力軍が八年経っても未だ再編途中であった事。

 

 四つ目は戦後占領政策の一端を知る人間が当事国に奪われて、その上……その人物が極めて重要な遺跡にも匹敵する価値を持っていた事。

 

 カレー帝国領内での最後の夜。

 何とか大勢が死なずに丸く治まるだろう案を作った時。

 まず何よりも重要だったのは共和国に出来る限り早く動いてもらう事だった。

 あのアイトロープ・ナットヘスと名乗った老人がどう軍を動かすのか。

 大体の想像が付いていたのはやはり直接話したのが大きい。

 

 また、公国の情報網から既に動いていた軍が他国を越境してオルガン・ビーンズの国境線付近に集結している旨の情報が齎された時点で開戦が近い事は誰にでも想像が付くだろう。

 

 だが、それを動かすとなれば、要因が必要だ。

 その為にマイナーソース側へ情報を流したのだ。

 パシフィカ達が翌日の昼までに共和国の秘密外交使節へ接触する。

 

 そこにはパシフィカを初めとした逃亡者達が揃っており、彼らは其処にいる総統閣下へ直訴するつもりだと。

 

 これをマイナーソース派が知れば、行動は容易に分かろう。

 

 まだ、国内で皇帝としての実権を握り切れず、遺跡の力も掌握出来ていない焦った敵はパシフィカ達よりも早く老人へ接触し、時間稼ぎをする。

 

 これから来るだろうパシフィカ達相手に外交的な事をするなと釘を刺したのである。

 

 これを老人がどう見るか。

 単純だ。

 占領政策では優秀な人材を暗殺との文字があった。

 

 その為の部隊も師団の中には混じっていただろうし、実際に有能な敵は潰そうとしているならば、賢しらな策を弄しそうなマイナーソース派は恰好の標的だろう。

 

 そうして、印象付けした後にパシフィカ達が老人へと会いに行き、平和を訴え、聖女を支える立場の男達が男泣きに号泣しつつ、もしも……戦争が止められないのならば、せめて城砦都市への説得を行わせて欲しいと言えば、相手側からしたら断る理由も無い。

 

 ついでに傀儡として立てる国家の重鎮に据えようと思うはずだ。

 聖女も部下も平和一辺倒、涙ながらにその尊さを語る愚者。

 

 そんなハト派は戦後占領政策にとって、大いに必要とされるとの読みは紙面を見る限り、正しかった。

 

 どうせ電撃戦で城砦都市を蹂躙しようとしていたのだ。

 

 電信や音声通信を他国まで伸ばせるのは共和国のような高度な技術を持つ国家のみ。

 

 彼らが自国へ戻った頃には開戦していると。

 その場で拘束される事が無いのは半ば分かっていた。

 

 そうして、マイナーソース派にパシフィカとうっかり友達なカシゲェニシ君を捕らえさせれば、後は流れで問題無く事態は動き出す。

 

 こちらが誘拐された後。

 

 老人に助けを求めるヴァルドロックとシーレスは其処で初めて老人に枝の秘密とカシゲェニシなるものがパシフィカと一緒に誘拐されてしまった旨を伝える。

 

 これで老人の対応は確実に幾つかに絞られた。

 静観して予定通りに開戦させるか。

 

 もしくは帝国領内で軍事行動を起こしてでもマイナーソースから聖女と生意気小僧を取り返すか。

 

 あるいは帝国領内から出た時点で取り返させる事を目的に軍の侵攻を早めるか、だ。

 

 しかし、此処で枝の秘密とやらが更に老人を考えさせる。

 明かされる枝の能力を過分に盛っておいたのだ。

 

 偽情報だが、ヴァルドロックとシーレスがオリーブ教に深く関わっており、ついでに聖女の奪還を懇願するような義と情に熱い男だと知れば、嘘を言う理由が老人には見当たらないはずだ。

 

 だから、枝の情報にしても鵜呑みにするしかない。

 

 曰く。

 

 枝は個人の資質と情報を全て写し取り、兵に付与する事が出来る。

 

 つまり、記憶や本人の体質的な能力すらもコピー出来ると吹き込んだのだ。

 

 こうなれば、老人の選択は無きに等しいものとなる。

 とっとと開戦して城砦都市を制圧。

 

 国境域から入ってくるマイナーソース派と誘拐された聖女とカシゲェニシを確保。

 

 もし、枝の情報が本当だったならば、死なない兵隊どころか。

 

 歴戦の経験を積んだ遺跡の知識を不断に持った不死の軍団が時間経過と共に増えていくかもしれないという状況である。

 

 こんな極大の理不尽の芽を老人が摘まないわけがない。

 

 本来なら共和国軍にマイナーソース派から奪還してもらうのが最良だったのだが、生憎と空の旅で一気にビーン・レブへ到着。

 

 共和国軍は死に物狂いの行軍を余儀なくされる事となった。

 これが共和国側の状況だ。

 

 それに対するオルガン・ビーンズ側の動きを制御する為にパシフィカへやらせたのはお芝居だった。

 

 攻略されるだろう城塞都市へ音声通信で現地に告発文を届け、それを使って百合音達と現地のオリーブ教の高僧を使って国民を扇動したのである。

 

 この世界に来てから色々と調べていた事が役に立った。

 

 現在、電信技術の進展と同時に音声通信や音声保存の技術は進んでいる。

 

 羅丈がそのような機器を持っている事は百合音との日常的な会話の端々から分かっていたので、それを使わせて貰えば、工作するのは容易だと思ったのは正しかった。

 

 ヴァルドロックの伝手とシーレスの細かい城砦都市の情報を持って練られた筋書きはこうだ。

 

 国境警備が不穏な情勢を告げる中。

 

 突如としてオリーブ教の高僧が下層民とオリーブ教徒達に緊急の知らせがあるとやってくる。

 

 彼らが持ってきたのは一つの音声が入った蓄音機。

 それには民達が知るパシフィカ・ド・オリーブの悲痛な声が入っている。

 

 次期皇帝と目されていたマイナーソースが皇帝の所有する遺跡にある悪魔のような枝というものを使って、戦争を起こそうとしている事。

 

 また、その力によって操られた人間は頭脳を破壊され、操り人形として一生生きていなければならない事。

 

 その為に共和国との戦争を利用し、皇帝を軟禁し、聖女や戦争反対派のオリーブ教の高僧を抹殺しようとしている事。

 

 このような動きに対して何とか対抗し、戦争を止めようと総統へ会いに行ったが、戦争を止められそうにない事。

 

 だが、現在マイナーソース派を打倒する為の部隊を作り、共和国との戦後講和に向けて動き出している事。

 

 それでも、もう自分がマイナーソース派に捕まり、もしかしたら抹殺されるかもしれない事。

 

 このような事を涙ながらに伝えてくる聖女の声が助けて欲しいと守備隊に訴えたらどうなるだろうか?

 

 共和国の軍の強大さを誇張し、すぐにでもやってくる共和国には勝てないと言い、戦後を見据えた講和の交渉材料として無条件降伏して欲しいと言ってきたら?

 

 守備隊に共和国とは戦わず。

 

 いや、彼らを導いて共にマイナーソース派の戦力と戦って欲しいと伝えてきたら?

 

 このような訴えがマイナーソースに誘拐される数時間前に作成され、マイナーソースが城に戻る前には国境域から矢のような速度で広まっていたのである。

 

 情報は電信ですぐにでもビーン・レブを筆頭に周囲の都市に伝わるかもしれない。

 

 が、此処で羅丈の裏工作が控えている。

 

 老人の決断によって国境域から雪崩れ込む共和国軍の動きに連動し、城砦都市の電信機器の破壊や妨害を行わせ、情報の伝達速度を制御。

 

 共和国軍がやってくる数時間前にこの情報が目的の都市へ与えられるのだ。

 

 深く考えさせない。

 

 また、盛られたマイナーソースの悪評と聖女の評判の良さと枝の邪悪さがマシマシ。

 

 マイナーソース派の大半だって、多数の下層民から支持される聖女の声で糾弾された相手と同じと見られては暴動の餌食になるのは確定的。

 

 目の前には共和国軍。

 後ろからは自分の上に立つ人間の悪評。

 下からは自分達を操り人形にしようとしていたと教えられた下層民が多数。

 次々に城砦都市が降伏していくのは自然な流れと言える。

 無論、徹底抗戦を唱える輩だって勿論のようにいるだろう。

 しかし、保身による同調圧力というのは基本的に強固なものだ。

 

 下層民達にしてみれば、聖女様が何とか自分達を戦争から助けようとしてくれていると映る。

 

 上流階級者達からすれば、勝てない敵に為す術も無く蹂躙された挙句、操り人形にされる可能性があるとすれば、聖女の声を無視出来るものではない。

 

 明かされた秘密。

 揺ぎ無い悪の権化。

 民を救おうとする救世の聖女。

 そして、国境域から押し寄せる軍の威容。

 

 抗うという選択肢を感情から削り尽くす為の情報戦は電信の破壊と共に孤立する城砦都市を降伏へと導いていくわけだ。

 

 ぶっちゃけると穴だらけの作戦はかなりお粗末である。

 

 もし守備隊が強硬な態度に出ていたら。

 もし国民感情が共和国に対して徹底抗戦を望んでいたら。

 もし電信設備が思っているよりも多かったら。

 もし百合音達の裏工作が破綻したら。

 もし共和国軍の進撃速度が百合音達の工作よりも早かったら。

 

 上げたら切りが無い。

 

 そんな不安が現実となったのが唯一の想定外である三隻目の飛行船だった。

 

 本来ならば、枝のある都市に付くまでに救出されている算段だったのだ。

 

 更に共和国の進撃で枝のあるビーン・レブが陥落した間隙を縫って、羅丈の現地工作員にもしも可能ならば、遺跡の破壊工作もしてもらう予定だったが、それはどうやら何か事故があって達成済み。

 

 色々と予定外、想定外はあったがほぼ無抵抗でオルガン・ビーンズは降伏し、マイナーソース派は失脚、枝を使う理由も、使う人間も消え失せ、犠牲者も殆ど出ていないと言うのだから、やった甲斐はあると思いたかった。

 

 共和国軍が遺跡を接収した場合を考えて、パシフィカのカレー帝国への亡命計画も作っていたのだが、遺跡が無くなった以上は必要ないだろう。

 

「……外出るか」

 

 イソイソと軍服姿で天幕を開ける。

 差し込んだ日差しの中。

 奇妙なくらいに辺りが静まり返っている事に気付く。

 周囲に人はいるのだ。

 

 歩哨が二人幕屋の外には立っているし、食事を外でしている軍人達も見掛ける。

 

 体操らしき事をしている者。

 軍服をヨレヨレにして仮眠を取りに戻る者。

 鍋を掻き回している者。

 そんな諸々の人々が口を噤んで、こちらを見ていた。

 

(昨日までこんな事は無かったような気が……)

 

 明け方の風が吹く最中。

 

 平野を見下ろす丘の上で何か問題を起こしてしまったのだろうかと不安に駆られた時だった。

 

「A24~~」

「!?」

 

 聞こえるはずの無い声だった。

 

 何故なら、ビーン・レブでの事後処理の為にパシフィカは残ったはずだったからだ。

 

 何処にいるのかとグルリ見渡せば、丘の下から掛けてくる少女を共和国軍らしき男達が追い掛けている。

 

 そうして、自分のところまでやってきた少女が少しだけ息を切らせてニコリとした。

 

「会いたかったのよ!! A24!!」

「パシフィカ。お前……仕事どうした?」

 

 瓦礫の下から救出された後、二日は身柄を預かっていたのだが、合流した父親であるエンデーブルが引き取る事になったのだ。

 

 降伏後のドサクサを利用し、戦後占領政策に必要なポストを新設、任命して公的な戦後処理官僚という立場にしたはずなのだが……。

 

「えっと、パプリカとシー君がお父様と一緒に後はやっておくからって、パシフィカに新しいお仕事くれたの!!!」

 

「新しい仕事?」

 

「うん!! 共和国とオルガン・ビーンズの架け橋になるようにって!! 聖女だけど、ガイコウカンのタイシとか言うのになったのよ!!」

 

「外交官で大使って……国内でオリーブ教を纏めなくちゃならないんじゃないのか?」

 

「パプリカが何だか泣きながら『後の事はこの男パプリカにお任せあれ!! パシフィカ様はどうか我が国に新たな争いが降りかからぬよう外交の面でお働きを!!』って」

 

(あのおっさんがやれって言ってるって事はシーレスも承知なんだろうな……一応、人質扱いという感じでもあるんだろうが……遺跡が無ければただの聖女様だしな……本国で不穏な事が無けりゃ問題ないか)

 

「それとお父様が式典は何年後になるか分からないけど、好きな人の傍にいなさいって!!」

 

「しき、てん?」

 

 嫌な予感がして、背筋に汗が滲む。

 

「今は婚約だけだけど、国内が落ち着いてきたら大々的に宣伝するって言ってたわ」

 

「それ……確実に逃げ道塞ぐ気だよな?」

「?」

 

 首を傾げる聖女様が何やら少しだけモヂモヂした様子で今まで持っていたバケットを目の前に差し出してくる。

 

「A24!! サナリに教えてもらって作ったのよ!! 一時間前に来たら寝てたから、スープとサラダも作ったの!!」

 

「あ、あぁ、そういう、事か……一時間前に来てたと」

「うん。此処の兵隊さんにちゃんと挨拶したわ」

「どんな?」

「まだ式は上げてないけど、A24のお嫁さんだって♪」

「―――パシフィカ。それ他のところで言うなよ?」

「何で?」

 

 小首を傾げる少女の背後で兵隊達がヒソヒソしている。

 アレ、オリーブ教の聖女様だろ、とか。

 あの少年、まさか婚約者なのか、とか。

 嫁さん……(泣)、とか。

 

「あふ……オイ。エニシ!! 何処にいる!! 勝手に出歩くな!!」

 

 その時、ガサッと幕屋からフラムが出てきた。

 その姿は軍服姿だ。

 護衛として首都に帰るまでは傍にいる事にしたらしく。

 帰還中は同じ幕屋だったのである。

 

「そろそろ朝食を……って、貴様……一体、その女は何だ?」

 

 その貌は明らかに引き攣っている。

 結婚云々は何とか有耶無耶にして戻ってきたのだ。

 それが数日後、すぐ元の木阿弥。

 これではまた厄介事になると頭を抱えそうになった時。

 サナリが兵隊達の背後から歩いてくる。

 

「エニシ……おはようございます」

「サナリ。パシフィカに料理教えたのはお前か?」

「ええ、エニシに何か作ってあげたいと言われて……」

 

「そうか。じゃあ、天幕で一緒に食べよう。自分達の分やフラムの分はあるか?」

 

「あ、はい。それはこちらのバスケットに」

 

 よくよく見れば、その手にはパシフィカと同じものが握られていた。

 

「あ、A24!! サナリに聞いたのよ!! サナリは妻なのよね?」

「え、いや、アレはう―――」

 

 ドスッといつの間にか横にいたサナリの肘鉄が脇腹に直撃した。

 その合間にもパシフィカがニコニコと話を続ける。

 

「オリーブ教は最大で妻は十六人までなのよ!! 頑張って奥さんを一杯見付けて【御主様】みたいな幸せな家庭を築くんだから!! 頑張りましょ!! あ、ちなみにパプリカは四人奥さんがいるのよ!!」

 

「………」

 

 あのおっさん、実は相当な甲斐性の持ち主だったらしい。

 

 周囲の兵隊達から言いようの無い何か化け物でも見ているような視線がグサグサと刺さってくる。

 

 オリーブ教の聖女様。

 ちょっと美人な子。

 あのフラム・オールイースト。

 

 三人に囲まれたこの男は一体何なんだ?と思うのはきっと普通な反応だ。

 

「もうどうにでもしてくれ」

 

 フラムはフルフルと拳を震わせながら、赤い顔を引き攣らせ。

 サナリは頬を赤くして、こちらをムッとしたように睨み付け。

 そこへ突然、背後からの声が掛かる。

 

「縁殿は羨ましいお人でござるな~。普通、こんな事を言われたら、襲うのが礼儀作法でござるよ。据え膳食わぬは男の恥との言葉もある。とりあえずは幕屋で某を横に幸せな一時を―――」

 

 もう止めてくれとグッタリ気味に肩を落とす。

 兵隊達の視線はもはや露骨に興奮した様子で目をギラギラさせているか。

 

 サムズアップして、男の本懐を遂げて来いと言いたげな分かっている男の笑みか。

 

 もはやドン引きですよと言いたげに色情魔扱いの視線を向けてくるかだった。

 

「式典は皆でするのよ? ね? A24!!」

 

 笑顔は明け方の朝日にすらも勝って黄金にも等しく耀き。

 結局、何も言い返す言葉は一つも見当たらなかった。

 

「そういうのはせめて後数年してから言って欲しいな……」

 

 溜息を一つ。

 

 すると、今度は四人が同時に目を見張ってこちらに何やら捲し立ててくる。

 

「まさか、貴様?! イキオクレが良かったのか?!! く、何という特殊性癖!!? しかし、それならば、叔母や母にも納得させる事が……!!」

 

「く、まさか、そんな事が?!! 某に勝ち目はあるのでござるか!?」

「年増が良いなんて、変わっているのですね。エニシは……」

「A24!! 一杯食べてパシフィカは大きくなるから、ね!!」

 

 騒がしい朝食になりそうだと陽光で照らし出される世界へ視線を向ける。

 

 一難去ってまた一難。

 それでも時は巡る。

 今はただ出会った彼女達が少しでも笑っていてくれればいいかと。

 そう、自分を納得させる以外無かった。

 

「とりあえず朝飯にす―――」

 

 不意に景色の色が崩れる。

 

 表現としてはアレだが、そうとしか言いようの無い視覚情報の異常で物と物の境界を挟んで全ての物体と人の色が変質した。

 

 その最中、自分を見つめている男を小麦色の空に見た。

 外套を羽織った、長髪の男。

 左目を眼帯で隠した彼は僅かに前髪で隠れた蒼い瞳でこちらを凝視し。

 フッと笑んで何かが詰まった皮袋をこちらに放る。

 それを思わず手で取るも、皮袋は何処かへと消えてしまった。

 次に再び男を見上げた瞬間、色の変質は全て嘘だったかの如く元に戻り。

 彼もまた消えていた。

 

「おい!! エニシ!! 貴様、どうした!?」

「?」

 

 横を向くとフラムが何やら少し焦った様子で肩を揺すっていた。

 

「どうかしたのか?」

「どうかって、貴様が10秒近くもこちらの声に反応しなかったんだろう!?」

「そうなのか?」

「うむうむ。縁殿、空を見上げていたが、何かいたのでござるか?」

「何か胡散臭い眼帯の男が空から皮袋投げて来たんだが」

「は、はぁ……どうやらエニシは疲れているようですね」

 

 百合音に返すとサナリが何事も無かったのかとホッとした様子で呆れていた。

 疲れて幻覚でも見たのだろうという顔だ。

 

「……ねぇ、A24。眼帯って言った?」

「ん、ああ」

「その人、髪が長くて、瞳の色が蒼くなかった?」

 

「擦り切れた外套着込んでて長髪で前髪に隠れてたが、瞳は蒼かったな」

 

「それって【御主様】だわ。きっと、A24にありがとうって言ってくれたのよ」

 

 ニコリとパシフィカが微笑む。

 

「……前々から思ってたんだが、【御主様】ってのはどんな奴なんだ?」

 

 色々有り過ぎて感覚が麻痺しているのかもしれない。

 

 大抵の事に驚かなくなっている自分に何だかなぁという感想を抱きつつ訊ねる。

 

「【御主様】はね。オリーブ教を作った人なのよ。ずっとずっと昔……女神様を助けたくて、初めてあの枝で戦士になった人……沢山の人を守って、奥さんを一杯貰って、みんなが幸せであればいいって説いた始まりの人……A24はそっくりだから、きっとお空の上からご褒美をくれたに違いないわ」

 

 何やら一人で納得する様子のパシフィカの言葉にフラムが明らかに『いや、お前が似てるとか有り得ないな』という視線をこちらに送ってくる。

 

 サナリは苦笑しつつ、肩を竦め。

 百合音は『縁殿は本当に面白いでござるなぁ』と呟いていた。

 何はともあれ。

 

 幽霊だろうが、聖人だろうが、消えてしまったのだから、コメントのしようもない。

 

「朝食にしよう……ドッと疲れたしな」

「今日の予定は80kmだ!! とっとと食べて、さっさと帰るぞ!! エニシ!!」

「某は一度本国へ戻らねばならぬ故。朝食を食べたらお暇するでござるよ」

「今日の自信作です。美味しいと言わせてみせますから。エニシ……」

 

 兵隊達からの視線に晒されながら歩き出す。

 昇りゆく日差しを背に小さな食卓を共に囲める幸せが……また、始まる。

 

「あ、そう言えば、お手紙が来て、アイトロープおじいちゃんがA24のセキを作って、パシフィカを一緒にしてくれたって書いてあったわ。A24はセキって何の事か分かる?」

 

「はぁぁぁぁあぁああああああ?!!?」

 

 どうやら総統閣下と呼ばれる老人に文句を付ける理由がまた一つ増えたらしかった。


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