ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第56話「深く静かに……」

 

 腕の痛みがゆっくりと引いていく。

 それと同時に自分の傷が塞がるのを初めて目にした。

 

「………?」

 

 男がそろそろ失血死していなければオカシイと気付いて、軽く上がったのだろう己の腕を見て目を見開く。

 

 そして、貫通していたはずの血塗れの胸元を撫で……そこに傷が無い事で再び驚きに支配されたようだった。

 

「君は……」

 

「話は後だ。高高度からの空爆がオレ達に降ってきたって事はあの複葉機は観測用。もし他にも爆撃機が飛んでたら、また殺されるぞ。安全なルートに案内しろ。それくらいはいいだろ!!」

 

 男が一瞬の躊躇の後。

 しっかりとした瞳で頷いた。

 

「こっちだ!!」

 

 立ち上がった男は僅かにふら付きながらも先導する。

 爆煙で周囲が覆われている内だと。

 とにかく走る。

 それからどれだけ走ったか。

 

 たぶん1km近くは複雑に入り組んだ路地を進んでいたが、不意に建物が途切れて海沿いの岸壁付近に出た。

 

 辺りは砂利と岩と疎らな樹木しか無い。

 だが、牽いていく潮の流れが上から確認出来た。

 

「此処でいいのか? 行き止まりじゃないのか?!」

「いや、此処でいい。こっちだ」

 

 教授が歩き出して岸壁の端から下に続くロープが楔で打たれた道のような場所へと入っていく。

 

 勿論のように命綱なんて一本だけ。

 

 1mくらいの幅はあったが、それでも落ちたらただでは済まない事が分かった。

 

 逃げ出したいところだったが、此処で右も左も分からないまま連合に囚われても問題しかない。

 

 それならば、話の通じそうな海賊の方が幾分かはマシだろうかとの算段もあった。

 

 そもそも、この状況に陥った理由は連合の背後関係を洗う為なのだ。

 

 此処で手ぶらで帰っても、この間の豆の国での工作を見逃してくれるかどうか。

 

 巨女にサラッとモルモットになれと言われてもおかしくないと個人的には感じていた。

 

 あくまで自分を自由に使っているのはその知識やらが特定の状況で時折役に立つからだ。

 

 それ以上の害があると判断されれば、人体実験の材料にされる可能性の方が高い。

 

「……此処だ」

 

 岸壁の一部が洞窟になっているらしく。

 20m程下った所から内部へと入った。

 それと同時に今まで開いていた入り口へ粗末な戸が立て掛けられる。

 陽が遮られたものの。

 ジッポらしきものに火が点けられて、灯かりが点った。

 

「此処は我々塩辛海賊団の陸側拠点の一つなんだ。歓迎するよ。蒼き瞳の君」

 

「何だソレ?」

 

「ははは、君は自分の事がよく分かっていないようだ。だが、それも面白い。私は何も見なかった……だから、これから話すのは死に掛けて興奮している私の学術的な独り言だ」

 

 エービットが奥に進む傍ら話始める。

 

「この大陸には時折、蒼い瞳の男が登場するんだ。知ってるかね?」

 

「いいや……いや、そう言えば……オリーブ教の御主様とやらが蒼い瞳だったか?」

 

「おお、中々の博識だな」

「この間、そういう知識に触れる機会があったんだ」

 

 とても本人の幽霊っぽいものを空に確認して何か貰った?ような気がしたとは言えずにお茶を濁しておく。

 

「君の言うオリーブ教の開祖である彼もまたその一人だ。他にはカレーを生み出した料理人、要は皇帝の祖先や現在のごはん公国の国王なんかもその一人だね」

 

「何か多いな。というか、蒼い瞳って珍しいのか?」

「ああ、珍しい」

 

 洞窟内に反響する声は遠くまで響いている。

 今しばらくは歩く必要があるだろう。

 

「ちなみにそういう英雄の大半は片目、隻眼だけ蒼いというのが相場だ」

「偶然だな」

 

「面白い事にこの大陸の殆どの国家や地域には何処かそういった英雄達の記録がある」

 

「……遺伝的な資質か何かか?」

「君はそういう方面の知識もあるのか」

 

 さすがに遺伝子なんて言葉はこの世界に来てからも聞いた事が無い。

 

 思わず黙るものの。

 エービットはそれ以上、何かを聞いては来なかった。

 

「彼らは私の研究の一環でよく記録や書物や石版の中に出会う人物達だ。そして、その誰もが本当にこの世界に大きな変革を齎してきた」

 

「変革ねぇ……」

 

「外見的な特徴が分からない英傑も現地の伝承や口伝には情報が残っている場合が多い。そういう我が国にも勿論のように蒼い瞳の男の物語が伝わっている」

 

「伝承の類か?」

 

「ああ、そうだ。正確にはこのショッツ・ルーの地域だけに語られる御伽噺だが」

 

「どういうものなんだ?」

「単純に言うと。生贄を始めさせた人物だ」

「いけ―――おい。何か、物凄く悪い人物にしか思えないんだが」

「表面上はそうだ。これが少し込み入った話なんだが、聞くかね?」

「手短に」

 

「男はフラリと現れた旅人だった。彼はその当時、汚染されていた海から魚を取って食べ、苦しんでいた民に言ったんだ。この猛毒の海を浄化する聖なる儀式を教えようと」

 

「聖なる儀式……もうその時点で聞く気も失せるんだが……」

 

 げんなりした。

 そういう生贄を求める伝承という時点で先が読める。

 

 そして、汚染された海というものが書き込まれていた書物の存在をふと思い出した。

 

 塩の化身。

 騎士団長に受け継がれていた本の中にはそういう情報があった。

 少なくとも、そう本人は言っていた。

 

 あの一件の後、大陸の歴史とやらを調べていたが汚染された海という単語は終に出てこなかった為、不審に思っていたが……どうやら伝承レベルでの話ならば、まだ存在しているらしい。

 

「彼はこの地域の沖にある大小数百の島々の中の一つ。聖なる入り江に少女を一人捧げれば、それで数十年の安泰を約束すると言った。人々は半信半疑だったが、このままでは滅ぶしかないと自分達の中から最も外れた同胞を捧げる事とした」

 

()()()って何だ?」

 

「我が国の人々は大抵黒髪や亜麻色の髪というのが定番なのだが、金髪の子供が偶に生まれる。これが旧い時代には忌むべき対象となっていて、伝承の時代はそれこそ身体すら売れない程に嫌われていたらしい」

 

「……それで?」

 

「少女は行った。そして、戻ってこなかった。周辺の海から毒は消え去り、地震や津波がそれからの数十年は起きる事も無かった」

 

「数十年はってところが引っ掛かるな」

 

「そこに興味も持ってくれるか。では、伝承の続きを推測してみてはどうかな?」

 

「それっぽいのは……再び男が生贄を要求したってところか」

 

「正解だ。男は再び姿を現し、民に新たな生贄を要求した。そうしてスパンの長短はあれど、ショッツ・ルーの民は現代に至るまでこの生贄の儀式を行ってきた」

 

「野蛮過ぎる」

「勿論だとも。私もそう思っている一人だ」

「……一ついいか?」

「生贄を捧げる時期についてかね?」

「よく分かったな……」

 

「ちなみに男が出てきたのは伝承の二回だけ。後の時代には海域が再び毒で汚染されたり、津波や地震が起きた時に捧げてきた……最後に捧げられたのは八年前……祖国敗戦後の話だ」

 

「胸糞悪い」

 

「ああ、前時代的過ぎて科学万能が説かれる近代で起こった事とはとても思えなかった。幾ら敗戦の只中にあったと言っても、地震や津波は起きていなかったし、毒なんて学術研究中の成果が正しいなら消えて数千年近い。まったく、人間は愚かだと実感させられたよ。あの時は……」

 

 男が溜息を吐いた。

 それには聊かの諦観が混じっていたかもしれない。

 

「そろそろ付くな。お喋りは程々にしておこう」

 

 エービットが洞窟の先に見えてきた階段を下っていく。

 それに従って続くと潮騒の音が聞こえてきた。

 途中で完全に洞窟の内外を遮る木製の壁と扉が見えてきた。

 軽く開けば、灯かりが内部に見えて。

 すぐに足音が複数やってくる。

 

「あんたらを追ってる敵って事は無いよな?」

 

「それは無い。此処は我が塩辛海賊団のアジトの一つでもあるからな。常駐している連中がこっちに走ってきてるだけ―――」

 

 ドッとエービットの腹に何かが突っ込み。

 そのまま、押し倒された。

 

「おい?! 大丈夫か?!!」

 

 ジッポが弾き飛ばされたのを咄嗟に拾って、教授の腹にタックルしてきた何者かを照らす。

 

「オイオイ。腰痛になったらどうする。お嬢さん」

「―――ッッ!!!?」

 

 無言でグリグリとその金髪の頭が腹部に擦り付けられた。

 

「心配してくれたのか。いやはや、ありがたいものだ。こんな身分になっても、こうして人の温もりが傍にあるというのは……」

 

 男がそっと頭の主を抱き占めて、僅かに撫ぜた後。

 離してくれと立ち上がった。

 そうしてようやくその相手の顔が見える。

 

「ベラリオーネ?」

「?!」

 

 その言葉と同時にササッと少女が……ベラリオーネ・シーレーンと同じ顔をした彼女よりも数歳は幼いだろう女の子が、洞窟に見合わないノースリーブの明るい黄色のワンピース姿で……こちらをまるで呪い殺す勢いで睨んで来た。

 

「こらこら、その顔はダメだぞ。女の子はエレガントに、スマートに、だ。ショウヤ君の知り合いという事だったな。彼女とも知り合いだったのかね?」

 

 少女に忠告して、こちらを向いたエービットに頷く。

 

「ああ、数時間前に姉と弟からエライ目に合わされたばかりだ」

「そうか。彼女達も元気だったか……」

「!!」

「痛ッ?!」

 

 少女が男の尻を抓っていた。

 それは何処か浮気した奥さんに白い目を向けているようでもある。

 

「分かった分かった!! もうその話はしないから!! 私の尻を解放してくれ!!?」

 

 ようやく少女が指を離す。

 

「その人……誰?」

「彼か? 彼は……私の恩人だ」

「おん、じん?」

 

「ああ、恩人だ。命の恩人だ。だから、この状況でも連れてきた。今、何人詰めてる?」

 

「十五人」

 

「そうか。では、彼らを連れて此処を脱出しよう。総員に号令を掛けてくれ」

 

「うん」

 

 少女が再び駆け出して、扉の奥へと消えていく。

 

「今の子は……ベラリオーネと関係あるのか?」

 

 男がそっと瞳を閉じて、遠い時代を回想するかのように呟く。

 

「ああ、関係あるとも……八年前、彼女が六歳、ベラリオーネが十歳、ベルグが七歳。仲の良い普通の姉妹弟《きょうだい》だったよ。無教養で合理性の欠片も無い頑迷で迷信好きな大人達がエシオレーネ……彼女を生贄するまではね」

 

 どうやら、先程の話の続きを思わぬ形で聞く事になるらしい。

 男は心底忌々しそうな顔で洞窟の上。

 たぶんはショッツ・ルーの何処かにいる大人達を睨んだ。

 

「敗戦した頃。誰かが言ったのさ。きっと、これは生贄を出していないせいだって……政府の連中は見て見ぬフリだった」

 

 エービットが僅かな沈黙の後。

 再び笑みを浮かべて扉の中へ入ると手招きした。

 それに付いていって驚く。

 岸壁の下にこれ程のものが隠れていたのかと。

 たぶんは50m強程の地下空洞。

 

 縦長の其処の中央には海水が溢れており、周囲には松明が掲げられている。

 

 だが、そんな事は構わない。

 そんなのは些細な事だ。

 

 それよりも何よりも驚くべきなのは……海水の中から桟橋に繋がった縦長の黒い金属製の構造物だった。

 

「潜水艦、だと?」

 

 相手へ聞こえぬように呟く。

 先に行って、周囲の男達に声を掛けていたエービットが戻ってきた。

 

「驚いたかい? これこそは塩辛海賊団が誇る最古の船……我々は【シンウン】と呼んでいる」

 

「しんうん……シンウン? 真運? いや、呼び方はどうでもいい!! とりあえず一つだけ聞かせろ!?」

 

「何かな? 命の恩人だ。答えられる範囲でなら幾らでも質問を受け付けよう」

 

「こいつは動くのか?!」

 

「勿論だ。西の連中すらまだ手の届かない古の遺産。いや、遺跡そのもの……奴らが我々を狙っているのは全てコイツが理由《げんいん》なんだからな」

 

 何やら深みに嵌っている気がする。

 

 どうやら、また帰るのが遠のきそうな予感。

 

 顔は……引き攣らざるを得なかった。


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