ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
潜水艦というのは現代における技術の集大成としては宇宙開発に匹敵する量の叡智が必要な代物だ。
戦争におけるあらゆる物資。
銃や車両、砲弾や航空機。
其々が高度化した最新鋭の代物だとしても、潜水艦だけは誤魔化しようも無く純粋に科学力無しには維持も運用も出来ない。
そもそも最新鋭の潜水艦というのは海という壁を盾に持つ最後の砦であり、核保有国の相互破壊を確約する暗黙の安定化装置なのだ。
原潜は現代における最凶の兵器の一つ。
通常動力潜水艦は海におけるそれら同類と船舶を狩る必殺の切り札。
大日本帝国という国家が潜水艦に航空機を載せるという馬鹿な発想を実現して数十年。
今では航空機の代わりに戦略兵器が載るようになった。
相手を捕捉したとしても、核ですら破壊出来ない海の壁に阻まれた潜水艦を仕留められるのは最新の対潜装備や相手と同様の能力を持つ潜水艦のみ。
海洋国家である限り、この海中を進む船を失わない内は安泰と言える。
敵は制海権を抑えられずに大規模な揚陸は不可能。
高深度から撃てる魚雷なんて持っていようものならば、ワンサイドゲームだ。
そういう技術の精粋の中は極めて狭いダクトとパイプと通路ばかりの場所と思っていたが、実際には違ったのか。
それなりに広い艦内は広々とはいかないまでも、圧迫感を感じる程では無かった。
案内された船長室内部には複数のマイクと小さなモニターが一つ。
どっかりと皮製の椅子に腰を下ろした教授。
エービットは壁際にある海沿いの地図を眺めながら、傍にある冷蔵庫から冷えた液体の入った一升瓶を取り出した。
「まぁ、まずは一杯」
「未成年にアルコール勧めるなよ」
「ああ、そういう流儀なのか。これは失敬。だが、安心してくれ。これは普通の水だ。酔って操艦はさすがに出来ないからなぁ」
「じゃあ、遠慮なく」
戸棚のフックに下げられた金属製のカップに注がれた水を飲み干すと一息付いた。
「さて、色々と知っている君に我々の状況を話すべきだろう。君は少なくとも我々のせいであの爆弾の雨に曝された。それに面白い瞳を持ち合わせている……これが、運命か。あるいは単なる偶然なのだとしても、僕には君へ語りたいという欲求がある」
「聞いたら帰れなくなるような類の話は遠慮願いたいが」
「いいや、聞いたら単純に君は大陸東部がどれだけの危機に瀕しているのかが分かるだけだ。個人でそれをどうにか出来るわけもないし、君が一人妄想を並べ立てても聞いてくれる者は無いだろう」
「あんたが変人だった可能性は?」
「ははは、変人だとも。でも、変人だって真実を知っている事はある。妄想と謗られるかもしれんがね」
ゆっくりと機関の音が室内でも高まるのが分かった。
「そろそろ出航だ。では、昔話をする事としよう。そうこれは敗戦後すぐの話だ」
エービットの口から語られたのは端的に言えば、一人の研究者が海賊になるまでの前日譚だった。
彼は連合の軍事顧問の一人であり、遺跡調査や発掘、産業への西部域からの技術導入を推し進めたパイオニアであり、戦後の建て直し政策の試案を提出するよう政府と軍から打診されていた正に戦後復興政策の要であったらしい。
しかし、彼が共和国との条約を鑑みて出した軍を長期に渡って大幅に縮小、国力の回復に重点を当て、産業の発展と復興財源のみに絞って全てのリソースを分配するというプランは軍部高官達の反発を買って頓挫。
それと同時に当時の荒廃した国家の惨状を変えようと古来から続いていた生贄の儀式を数十年ぶりに復活させようという政界からの発案に反対した事で地位と職を取り上げられた。
彼の言葉を当時聞いてくれたのは個人的な友人であった軍の特殊作戦群を率いた男と生贄を否定していた政治家の一部、復興財源を西部域からの介入で賄おうとした軍部に反発する保守派の少数グループの幾つか。
彼らは西部からの影響力が強まり、戦後復興を遅らせかねない軍部の強硬路線を諌めようとしたが、これに海軍と警務局を筆頭にする国内の世論は反発。
結局、彼らは共和国の犬という罵声を浴びせられて、居場所を失い……最終的には見掛け上反発しないという事にして、生贄の儀式を盛大にぶち壊し、研究者が今の軍部には渡せないと隠匿していた遺跡からの発掘品。
いや、遺跡そのものとも言える潜水艦を用いて国家を離脱。
島嶼域の島々に拠点を作りながら、海軍を潜水艦の力で退け、ある程度の縄張りを確保して、国内に残った支援者からの補給と海軍からの略奪で細々と生計を立てていた、という事らしい。
「……戦端が開かれたって事は、あんたらの意見を聞く必要もないと強硬派が強気に出られるって事だ。支援者とか逮捕されたりして台所事情とか悪化してたのか?」
「お見通しか……その通りだ。今までなぁなぁで済ませてきたところを厳しくされて、あちらからの補給が滞った。こちらは食品に対する耐性が然して多くない。魚介類の安定供給が無ければ、自分達で釣るしかないが、早晩干上がるのは目に見えていたのでね。陸に大規模な攻勢を掛けつつ、政府機関の食料保管庫や強硬派高官の邸宅を狙っていた」
エービットが身の上話に疲れた様子で視線を俯け、額を指で揉んだ。
「それであの津波なわけか」
「ああ、祖国であり、故郷が呑まれたんだ。口ではどう言おうと部下達の士気は落ちていたはずだが、それが同時に我々にとって機会《チャンス》だと理解した上で陽気に振舞ってくれる……まったく、彼らには足を向けて寝られんよ」
「……研究者から海賊に転向ってのも大変そうだな」
「ああ、そこはかとなく察してくれたまえ」
「で、肝心な部分を聞きそびれたが……結局、あの空爆といい。航空機での偵察といい。一体、連中何者なんだ? 八年前の敗戦から短時間で艦隊を整備した事といい。あんたらと敵対してる様子といい。明らかに戦争の背後で糸引いてそうに見えるんだが」
「その感想は正しい。実際、戦後に周辺国も買わなかった復興国債を全て引き受けたのは彼らだ。そして、技術導入と同時に海軍と軍艦の近代化や補修を行ったのもな」
「随分と大盤振る舞いだな。それくらいにこの国に価値がある。もしくは手に入れたいものがあるとしか思えないわけだが……その筆頭が今乗ってるコレで合ってるか?」
エービットが頷く。
「我々はこれを潜水艦と呼んでいる。これが見付かった当時、軍からの支援も受けるには受けていたが、彼らは遺跡から戦況を覆す兵器を望んでいただけで、学術調査に近い発掘にはあまり乗り気ではなかった。発掘資金の大半は彼ら西部域の連中が出していたんだ」
「どうして、この船を西部域の連中に渡して一緒に海軍の再建を目指さなかったんだ? 言っちゃ悪いが、海側だけを手に入れるなら、こいつと艦隊があれば十分だっただろ。当時の状況から言って、軍部に自分達の意見を飲ませるなら、こいつと生贄の儀式をバーターにしたって良かったはずだ」
「はははは、いやぁ……鋭いなぁ。近頃の若者は何でもズバズバ訊いてくれる」
苦笑を通り越して諦観したような笑い声が室内に響く。
「西部域の連中はこいつに搭載されているものが欲しいらしい」
「搭載?」
「僕には凄い兵器としか分からないが、連中はそれに御執心だ。そして、これが見付かった遺跡を手に入れようと躍起になって我々を追い掛け回している。口封じ込み込みで」
「うわぁ……」
思わずそんな声が漏れた。
これはもう完全にアウトだろう。
西部からの干渉は確実に一緒に共和国を倒そうなんて話の域を超えている。
裏で動いているのはたぶん遺跡に関するもっと醜悪な国家間のパワーゲームなのかもしれない。
「つまり、あんたが変人扱いされたのは“あの素晴らしい隣人である西部の人々が我々を裏切っているはずがない”ってな理由からか?」
「その通りだ。軍部に西部域からの干渉には裏があると言ったが、まともに取り合っては貰えなかった。その上、西部の連中は我々が密かに持ち出したコレを筆頭に強力な兵器を多数隠していると軍部に吹き込んだわけだ。辛うじて艦の性能で難を逃れ続けてきたが、お尋ね者だよ……軍部は西部からの干渉なんて力を蓄え、我々の兵器を接収すれば、簡単に覆せると思っている。それまでは大人しく共同戦線なんて生温い紙の上の約束を信じているのだろうが、今回のショッツ・ルーへの爆撃を見る限り……もう時間は無いと見ていい」
机の鍵付きの小さな戸棚から一枚の地図を取り出して、こちらに差し出してくる男は溜息を吐く。
「これは?」
「西部域からの使者が乗った船を拿捕した際に接収したものだ。書かれている大陸近海の線は南回り航路。それも年間の詳細な天候状況付きという代物だ」
「―――まさか?」
エービットの言っている事実から相手が何をしようとしているのか思い至った。
「そのまさかだ。この国は狙われていた。初めから西部域は我々を使い潰すつもりだった。決戦を挑む為に人材を注ぎ込んだんだ。戦闘状況が始まったら、祖国を護れる人数なんて高が知れている」
その言葉は確かに真実だ。
少なくとも、共和国のスパイがあのおほほ女に補足されていなければ、こうして自分が海賊の潜水艦に乗り込むような状況とはなっていなかったに違いないのだから。
「これを手に入れたのが三ヶ月前。戦争開始時期が確定していたのが支援者からの情報では六ヶ月前。この航路で我が国の最新鋭艦よりも速い船が西側から航行すれば、最高でも4週間。早ければ3週間前後で到着する。南国にいる友人に港の状態を電信と伝書鳩を駆使して送ってもらっているが……二週間前に大量の輸送船が港へ寄港したそうだ」
「もう傍まで来てる? いや、そもそもあの空爆してた爆撃機は何処から来たんだよって話か……言っちゃ悪いがもう詰んでるぞ。確実に」
頭が痛いというのはこの事だろう。
西部からの招かざる来訪者は連合の喉元に切っ先を既に突き付けているのだ。
「ああ、支援者を通じて西部から祖国を蹂躙する為の兵力が絶賛接近中だと散々に警告したが……軍部は未だ連中が紳士的に自分達の援軍としてやってくる途中と信じている」
「救いようが無いな」
「そう思うかね? これでも彼らのその善良さは買っているんだ。良くも悪くも旧い価値観の中で無垢に約束を信じるところなどは……可愛いとすら思えるよ」
自嘲を通り越して、諦観の域に達しつつあるのだろう男の苦悩がその皮肉げな笑みには色濃く浮かんでいた。
「アンタ、大変だな……」
「ああ、自分で言っておいて何だか、全部嘘だったらいいのにと思う」
「で、だ。この与太話が現実になるまで時間が無いわけだが、何か策でもあるのか? そうでなきゃ、この有事に陸へわざわざ食料問題や牽制の為に上がったりしないだろ?」
「それは……」
エービットが長話に再び水を飲み干して、唇を湿らせた時。
コツコツと控えめなノックの音がして、声が扉越しに響く。
『シンウンが呼んでる』
それは先程の少女。
エシオレーネのものに違いない。
そもそも男達が十五人くらいしか乗り込んでいないはずなのだ。
女の子が潜水艦に三人も四人も乗っているとは思えない。
「分かった。すぐに行く。先にご機嫌を取っていてくれ」
『分かった……』
「悪いが一緒に付いてきてくれるか? 本来ならば、見知らぬ者を艦橋に上げる事は避けたいが、状況が状況だ。そして、君は僕が見る限り、真実を見極める目を持っている。それは……少なからず我々の役に立つかもしれない」
「買い被りだな」
「それでもいいじゃないか。この中では死ぬも生きるも一緒だ。今だけは運命共同体。共に戦う理由が生き残る為では不満かね? 蒼き瞳の君よ」
エービットが少しだけ海賊のような……有体に言えば、傲慢にも思える理屈を並べた。
「その呼び方は止めろ……あんた、自分で思ってるより、結構エグイぞ? あそこで待ってたらどうなってたか分からないから、何とも言えないが、此処で沈むかもしれないとか。状況が飲み込めてたら、従うしかないだろ」
「海賊というのは客商売なものでね。この八年でこういうところは板に付いたと思う」
「はぁ……分かった。とりあえず、付いていく。まだまだ、聞かなきゃならない事はあるだろうしな」
「では、交渉成立だ。陸に上がるまでしばしの付き合いとゆこう。若人《わこうど》君」
差し出された手を取る以外に何一つ自分に出来る事は無いと握手は硬く交わされた。
それが地獄への片道切符に違いないとは予想出来ていたとしても……。