ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第58話「塩辛の儀礼と滅びの箱」

 世の中には杯を交わすという儀礼がある。

 要はやの付く職業などに見られる義兄弟の契りだ。

 

 何かしらの契約や制約に際して恰好付けているわけだが、別に必ずしも酒である必要は無いだろう。

 

 結局、上等な飲み物であれば良いわけだから。

 

 宗教で言う聖別したパンだのワインだのを神の子の血肉だと言って食べるのもそう大して変わりない。

 

 ならば、特別な食べ物というのが人々にとって何かしらの意味を持つ。

 

 それを食うのが異世界で儀礼として根付いているのも、驚くに値しない。

 

 しかし、一つだけ予想外だったのは………それが烏賊の内臓を塩と魚醤で漬け込んだ代物。

 

 つまりは塩辛である事に違いなかった。

 通されたのは食堂。

 床に備え付けられた椅子とテーブルが並べられた一室。

 

 どうやら今から行こうとしている場所はこの通過儀礼無しには通される事の無い艦の中枢らしい。

 

『済ませてしまおう。あ、君は海産物に耐性はあるかね?』

 

 そう訊いてきた学者上がりな海賊船の頭領がすぐ傍でこちらを見ている。

 

 食堂を預かっているらしき厳つい顔で眉毛やら体毛の濃い小男がテーブルの上に出したのは小さな小瓶に入った透明な液体とお猪口に入った黒いものの滑らかに光を照り返すとろみ掛かった発酵食品。

 

「頂きます」

 

 時間は有限。

 何が入っていようと食中毒にはならないだろう。

 

 お猪口に入ったソレを口の中に入れて噛み締めると塩辛くはあったが魚介の旨みが広がった。

 

 主に烏賊《イカ》の出汁だろう。

 更に出された小瓶のコルクを抜いて口を付ける。

 

「………」

 

 香りは良い。

 

 水のようにサラリと呑めたが、未成年があまり知らないだろう匂いが鼻を抜けた。

 

 口の中で溶け合う液体と塩辛。

 液体は塩辛の生臭さを打ち消し、更に旨みと香りが広がる。

 

 咀嚼して飲み干せば、何やら小男が僅かに片眉を上げて、顔を驚かせていた。

 

「ふむ、これを躊躇無くか。いやはや、世の中は広い。発酵食品というやつは現地でも中々倦厭されるものだが……まぁ、いい。それでは往こうか。我が家の心臓部へ」

 

 こちらに変わらぬ笑みを向けて通路へ出るよう促してくる男。

 

 エービットが僅かに自分の後ろから、顔を出してこちらを睨んでいる少女。

 

 エシオレーネと言うらしい彼女の頭をポンポンと撫ぜた。

 

「水貰えるか?」

「ああ、そう言えば、そういう流儀だったか。ポルクス」

「へい。お頭」

 

 小男がやはり瓶に入った透明な液体をこちらに手渡してきた。

 飲み干すとようやく口の中のひり付いた感覚が喉の奥に消えていく。

 しかし、胃の腑が熱い。

 

 外国では年齢制限そのものが文化によってマチマチである為、お祭りの時に興味本位で甘いものを呑んでみた事はあったが、それにしても少しさっき煽ったのは強かったようだ。

 

「ちなみにコレ何で作ったものなんだ?」

 

 小瓶摘んで訊けば、エービットが肩を竦めた。

 

「我が国の海岸線には糖分の高い果実が成るんだ。砂糖の精製などにも使われているが、特定の菌を使った醗酵で我が国の男達の主食にもなる」

 

「主食、ねぇ……」

 

「これでも濾過の技術を研究していてね。本来は我が国と周辺国の耐性がある人間にしか呑めないものだが、抽出した成分を水と合わせて、この味にしている。主に部下達の息抜き用だな」

 

「じゃあ、元のはもっと違うのか?」

 

「ああ、そっちは死ぬ程甘いぞ。果実の名前はメロンと言うのだが、とにかく仕込んだ後もその糖分を生成した液体を随時投入し続けて樽で熟成させる。その工程のせいで強くて甘いと評判だ」

 

 思わず。

 勿体無い……との感想が喉まで出掛かったが、黙っておく。

 

「そっちが良かった。絶対」

 

「ははは、昔から呑む男は辛いものや甘いものが好きと言うが、君は甘いもの派か」

 

「炭酸水とかで薄めて氷を入れてくれたら、幸せなジュースだな」

「おや? 炭酸とは、あの炭酸の事かな? 水に入れるのか。興味深い話だ」

「あ、いや、ええと」

 

 思わず料理関係の話は滅茶苦茶重要な情報という事実を思い出して黙る事とする。

 

「それと氷か……良い事を聞いた。今度、ウチで試してみよう」

 

 ニヤリとした後。

 エービットがお喋りはこれくらいにしようと歩き出した。

 

 それに付いていくと何やらこちらを変な人でも見るかのようにジロジロと観察してくる少女の瞳がザクザクあからまさに突き刺さる。

 

 通路を歩いているのだから、何処か突起にぶつけそうだなと思った矢先。

 

 その金髪に褐色の肌の少女の後頭部に僅か壁から迫り出した非常灯のようなものがガツンと当たり、思わずその場でしゃがみ込んでしまう。

 

「だ、大丈夫か?」

「~~~?!?!!」

 

 その音を聞いて後ろを振り向いたエービットが呆れた様子になった後。

 

 今も蹲る少女の後頭部を撫でた。

 

「お客様をそうマジマジと見るものではないよ。医務室に言ってきなさい。ドクターに見てもらって、許可が出たら来るんだ。いいね?」

 

 コクリと痛みに耐えながら涙目で頷いたエシオレーネがフラフラしながらも立ち上がり、背後の通路の方へとヨタヨタと消えていった。

 

「済まないな。彼女は人一倍警戒心が強くて……」

 

「いや、生贄にされそうになったんだろ? そうなるのも無理ない」

 

「彼女は生贄にされたから、ああいう態度になったわけではないんだ。実は……」

 

「そうなのか?」

 

「八年前、生贄に捧げられた後、色々あって……それ以来になるか。今では家族、この艦の部下達以外には心を開かなくなってしまってなぁ」

 

 それ以上は何も言わず。

 

 艦の前に向ってエービットが歩き出し、付いていけば、やがて大きな扉の前に来た。

 

 鋼の扉は分厚く。

 

 しかし、ソレを感じさせない軽やかさで横にスライドしながら、こちらを招き入れた。

 

 内部は昔の潜水艦を題材にした映画のようにゴテゴテとしたものを想像していたが、何やら違う。

 

 前方の湾曲したスクリーンには三次元式の海中の立体図が表示され、六人程が詰められる各種のコックピットのような台座に座る男達が自分達の仕事を分担していた。

 

 その男達の見るディスプレイを覗く限り、ソナーを聞いているものが二人。

 

 船体のチェックと駆動中の機関か何かの情報を見ているのが二人。

 

 最後に武器管制のチェックをしているらしき男が二人。

 

 何処にも潜望鏡の類なんて無かったし、ゴテゴテしたスイッチ類もまったく見当たらない。

 

 シャープな印象を受けるのみならず。

 

 その操作する機器の少なさと反比例するように前方のスクリーンに映し出される各種のグラフや波形が近未来的な感覚を与えてくる。

 

 まるで……SFにありがちな、と言うべきだろうか。

 

 統一されているらしい壁や台座の色は全て薄い蒼で染められ、艦長のものらしい中央のコンソール付きの座席には……エービットの代わりに足をだらしなく機器に置いて、本を顔に載せた何者かがいた。

 

「来たぞ。シンウン」

 

『………』

 

「来ましたよ。我らが女神様」

「え~そこは偉大な、を付けるべきよね?」

 

 投げやりな回答の後。

 

 その本が顔から退かされ、エシオレーネとは違う蒼い瞳に黒い長髪。

 

 口元から喉に掛けて幾つも縫い傷のある顔が曝け出される。

 

 中肉中背。

 

 左側のこめかみから頭部に掛けて細い金属製のフレームが嵌まっている様子で。

 

 そのフレームの先にはモノクルが付いており、17歳くらいだろう相手が、歳に似合わない皮肉げな笑みを浮かべていた。

 

「それが今回の戦利品? 私は君にショッツ・ルーの大図書館から必要な情報を持ってくるように言わなかった? あんまり無能だと海に放り込むからね。エー君」

 

「エー、君?」

 

 その歳で少女から君呼ばわり。

 

 さすがにどうかと思うという顔をして、相手の顔を見ると何やらげっそりした顔で返される。

 

「そういう瞳で見て欲しくはないな。別にこう呼ばせているわけではない。今のは彼女が勝手に言っているだけだ。これでも僕には艦一の常識人という自負がある」

 

「あはは、嘘ばっかり!! エー君が常識人だったら、今頃大陸はもっとマシな国家と民族ばかりになってるよ」

 

 少女の綻ぶような苦笑はしかし、その縫い傷故に何処か無残な印象を見た相手に与える。

 

「それで呼んだのはどういう理由からなんだ? 重要な会談中と話していたはずだが……」

 

「重要ねぇ。じゃ、コレ見てもそう言える?」

 

 スクリーン内部の地図が急激に広がった。

 すると、地図の中心にある潜水艦らしき蒼い点とは違う。

 赤い点が洋上に多数。

 更に海中にも点が三つ浮かび上がる。

 

「これは?! 連中もどうやら本腰か!!」

 

「まだまだ。ソナーの結果だけ言えば、ぶっちゃけお粗末。スクリューが欠陥品も良いとこ。ついでに船体自体も潜れる深度は精々が200……ま、沈めるだけなら簡単よね」

 

 モノクル少女が肩を竦める。

 

「で、実際どうするわけよ? 今積んでる武装を全部艦の横っ腹に命中させれば、艦隊ごといけるけど」

 

「シンウン。君は政治というものが分かっていないようだ。彼らは先遣隊だ。西部の国力は我が国のザッと四十倍以上。あちらさんの情報を見る限り、建造中の空母と戦艦、輸送艦、巡洋艦、重巡洋艦、合わせて200隻近い。それも新規分だけでだ」

 

「今、本気で潰したら、もっと艦を集めてくるって言うわけ?」

 

 エービットが頷く。

 

「そうだ。我々の戦力は旧式の蒸気機関式の木造船が5隻に小型艇が60……そして、この艦だけだ。どう考えても我々が物量で押し潰される可能性の方が高い」

 

「まったく、艦長がチキンとか。どうすればいいんだか」

 

 ボソッと嘲る少女の顔は溜息がちだった。

 

「チキン? そういう耐性は無いが」

 

「そういう意味じゃないから。まぁ、そう言うんなら、見逃せばいいじゃない。あんたの国が消えてなくなるところをゆっくり観賞すれば」

 

「それは無いな。消えて無くなるどころか。今は彼らに占領させておくのが一番だ」

 

「は?」

 

 怪訝そうな顔の少女にエービットが海岸線沿いの魚醤連合の地図を出させた。

 

「我が国は数時間前の津波で沿岸施設を破壊されている。その上、補給用の艦艇がたぶんは尽きた。資材はまだ残っているが、半分近い被害だろう。となれば、もしもの場合は共和国との決戦に破れた上、攻め込まれる危険がある。さすがに陸上は軍事通行許可が下りない国が大半だろうから侵攻の可能性は無いと思うが、洋上から逆上陸でもされたら、国土を破壊し尽くされる可能性が大きい」

 

「つまり、今は見逃すと」

 

「見逃すしかないのが実情だ。西部は我々を都合の良い駒くらいにしか考えていないが、疲弊した国家に条約を破って攻め込むのだ。相応の対応策があるはずだ。少なくとも、無駄に民を餓えさせたり、衛生環境を悪化させたままにしておけば、どうなるかくらい分かるだろう。もし、それが分からない連中ならば、最初から我が国に多大な投資なんてするはずもない。彼らからすれば、投資した分の資源を回収しなければならないのだから、国民を無碍にはしないと考えていい」

 

「……そうだといいけど。じゃ、予定通り、入り江まで向うって事でいい?」

 

「ああ、構わない」

 

 エービットが頷いた。

 それを横目にして少女がジト目となる。

 

「じゃあ、この話はこれでお終い。で、其処の突っ立ってるガキは何なの?」

「命の恩人だ」

 

「エー君。自分の胸によく手を当てて考えて? 知らない奴を家で飼う余裕あると思う?」

 

「無いが、これも運命だと諦めてくれたまえ」

 

「大図書館からの情報が持ってこれなかった時点でこっちの計画は修正を余儀なくされる。実際、どうするつもりなのよ? ただでさえゴタゴタしてるってのに恩人だか何だか知らないけど、構ってる余裕ないでしょ?」

 

「面倒は……まぁ、暇な子に任せよう」

「エシオレーネがウンて言うと思う?」

 

「努力次第だ。ちなみに図書館の件は彼らが上陸して政治中枢や海軍局を押さえている合間に行う。次の上陸の準備をしなければな」

 

「はぁ、まったくお人よしなんだから。じゃ、後は任せたわよ」

 

 少女が艦長席から立ち上がるとスタスタこちらに歩いてきて、横を通る際にジッと見つめてきた。

 

「ふぅん……アンタ面白そうね」

 

「それ、流行ってるのか? オレに何処に面白要素があるのか切に知りたい」

 

「アンタも運命って奴に弄ばれてる口? それとも単純に巻き込まれただけ、なのかしら?」

 

「こっちが聞きたい。それと巻き込まれ体質は絶賛改善したいと思ってる最中だ」

 

「あはは、高耐性者はどうやら言う事が他のとは違うみたいね」

 

「何処で聞いたんだ?」

 

「知らないの? アンタや私みたいに蒼い瞳は大抵、高耐性者なのよ。ま、今じゃ失われた知識らしいけどね」

 

「―――」

 

 初耳の情報に驚きつつも、何とか顔には出さず。

 相手を凝視する。

 少女はそれ以上何も言わず室内から出て行った。

 

「いや、気を悪くしないでくれ。彼女は此処の主なのだ」

「主?」

 

「ああ、シンウン。この艦が彼女の名前を冠しているのは……彼女のものだからなのだよ。本来この船は()()()()と言うとか何とか」

 

「遺跡で発掘したんじゃないのか?」

「ああ、そうだ。遺跡で発掘したんだ……“彼女とこの艦は”」

「?!!」

 

「御伽噺の入り江の地下深くで眠っていたのさ。その整備施設……いや、兵器工廠と共に……」

 

「まさか、本当にヤバイ兵器を色々持ってるのか? アンタら」

 

 ようやく本題。

 それも核心が来たと感じた。

 

 だが、何よりも驚きなのは遺跡から掘り出されたのが自分だけではないという事の方だろう。

 

「使い方は色々と研究しているが、少なくとも今の我々を破滅させるには丁度良い程度の力がある。過剰な力が何を呼び寄せるのか。歴史を学んでいれば、絶対に開放しようとは思えないくらいの代物が……」

 

 何も言えなくなっているこちらに男は肩を竦めてみせた。

 

「それでも我々に理解可能な兵器だけに限った話だ。彼女の言葉を信じるならば、この艦にはそれを上回る世界を破壊する力が載っているらしい」

 

「それって―――」

 

 ゴクリと唾を飲み込む。

 

 少なくとも潜水艦が世界を滅ぼせる武装を詰んでいるとすれば、それは現代において限りなく一つの兵器を指すに違いなかった。

 

「第七世代型戦略級大陸間弾道弾、第六世代型戦術級核魚雷、第五世代型高速核砲弾装填用カノン砲、小型ロケット用戦術熱核弾頭、高深度殲滅用核爆雷、対空核弾幕マイクロミサイル、ええと後それから……」

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った?!!?」

「ん? 何かな?」

 

 キョトンとした顔をする“何も分かってない”男に顔が引き攣っているのを自覚しながら尋ねる。

 

「それ、全部載ってんのか?! この艦に!?」

 

「ああ、そうだ。一応、倉庫の奥に諸々入っているらしい。と、言っても一度も目にした事は無いがね。彼女が開けないものだから」

 

 肩を竦めた男へ咄嗟にこの艦沈めた方がいいと言おうとしたが、止めておく。

 

「ちなみにソレ何なのか分かってるのか?」

 

「分かってたら、僕はたぶん自殺してると彼女に言われたよ。まぁ、誰も知らない方がいいんだろう。彼女にとっては……」

 

「………一つ言っておくぞ」

「何かな?」

「今の話は死んでも黙ってろよ。絶対」

 

「ああ、君はこの言葉の凄さが分かる人間なのか。心配するな。人は人の想像力以上の事を思い描けない。私の想像力は少なくとも、この国を救えない程度のものだ」

 

 自嘲気味に笑い。

 

 艦長席に座ったエービットが航路の確認をしながら、各任務に就く男達へ指示を与えていく。

 

(この潜水艦……どっかの最後に希望が残る箱も真っ青だな。微妙な現代SFは止めろってマジで……どうすんだよ。本当に……)

 

 げっそりと投げやり気味に思う。

 

 どうやら夢世界の核事情はたぶん洒落にならないレベルで全ての鍵をお疲れ系の元教授にして現海賊頭領が握っているらしかった。


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