ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第86話「それは確かに叶えたる」

 

 結論だけを先に言うならば、洞窟内は爆発の跡と空薬莢が散乱する戦場だった。

 

 扉を抜けたところで急襲されるかとも思ったが、それは無く。

 

 出口に向けて走り出すと急激に周囲の振動が増し、道のあちこちを落石が押し潰していく。

 

 背後はもう振り返るのも危険な程の土砂の雪崩れと為り始めており、逃げられるかどうかは足が滑らない事を前提とするべきだろう。

 

 数十m先の出口付近からはまだ銃声が鳴り響いていた。

 だが、一瞬にして陸上選手並みの加速が世界を置き去りにする。

 

「?!」

 

 自分でも思っていなかった程の速度。

 

 どうやら身体が強化の影響で人間離れし始めているのは間違いないらしい。

 

 ほぼ三秒程で洞窟の外に飛び出した。

 と、同時に銃弾が左太腿を掠めて、横転しそうになる。

 

 右を軸足にして転がり、銃弾の掠めた方に向き直るとあちこちで地面を弾けさせながらの戦闘が行われていた。

 

「な?! ドローンか?!!」

 

 地面を這いずるようにして動く全幅1m程の平べったく丸い物体。

 

 たぶんは現代ならお掃除ロボットとして名高いアレみたいな黒い物体が高速回転しながら、中央の出っ張り付近から銃弾を連射している。

 

 その動きはまるで冷蔵庫の隅っこに出て人々を困らせ続ける永遠の敵。

 

 黒光りするアイツのようにすばしっこい。

 

 障害物の樹木の間を高速で擦り抜けながらの回避機動で、銃弾を見舞われているのはEE達だ。

 

 彼らが硝子の盾のようなものを全面に立てて、小銃で応戦していたが、未だ仕留められた数は三機にも満たず。

 

 洞窟周辺の開けた場所には10機近くモーターの回転音が響いていた。

 

「フラム達は何処だ!!?」

 

 その叫びに盾の内側からEE達の複数人が同じ方向を指差す。

 そちらは待機状態で浮遊している飛行船の方角。

 確かにそちらからも銃声が激しく鳴り響いていた。

 というか、樹木の陰から聞き慣れた声も響いてきている。

 

「今すぐ其処を離れろ!! すぐに遺跡が爆発する!! 飛行船に退避だ!!」

 

 こちらの声が聞こえた様子ですぐに盾を構えたままEE達が移動を開始した。

 

 身軽なこちらは先に行こうと走り出したが、背後から数発の銃声。

 黒く丸いソレの二機がこちらに向かって高速で近付いてくる。

 

 後ろから頭部を打たれてはさすがに危ういと前傾姿勢になって駆け抜ける。

 

 被弾。

 左肩と右脇腹。

 

「ッ」

 

 しかし、浅い。

 いや、普通なら銃弾が潜り込むか。

 

 貫通していなければおかしいはずだったが、また気絶している間に肉体が強化されたのか。

 

 皮膚を貫通せず。

 打撃のような衝撃が内蔵を揺さぶった。

 思わず吐きそうになったが、再生は早い。

 二秒も掛からずにその気持ち悪さが消えた。

 逸る気持ちを体現するかのようにきっかり四秒後。

 樹木の先のゴンドラが下りた付近へと出る。

 

 そちらを見れば、フラム達がどうやら無傷の様子でゴンドラに乗り込んでいるのが分かった。

 

 地面には背後から襲ってくるドローンと同じものが数機。

 

 銃弾を上に向けて連射していたが、ゴンドラ中に盾を敷き、内部へ引き篭もるようにして上がっていく全員の声を掛け合う様子に大丈夫そうだと安堵する。

 

 フラム達が使ったゴンドラは教団の代物で共和国の方は残っていたが、それに乗り込むわけにもいくまいとまずはドローンを潰す事にする。

 

 今の自分なら出来る。

 そう思った瞬間、身体が動いた。

 

 スライディングするように端の一機に突っ込み、爪先を地面との間に捻じ込むようにして相手を傾け、そのまま掴んで他の機体からの盾とする。

 

 連続する銃声。

 

 しかし、EE達の銃撃をまともに喰らっても機能停止していなかっただけあって頑丈だ。

 

 貫通する事も無く。

 そのまま、近付いてきた一機の上に思い切り叩き付ける。

 

 中央にある銃口を潰せば、後は問題ないと思っていたのは正しいらしい。

 

 強烈な衝撃で歪んだ銃口から弾丸が発射される事は無く。

 すぐ戦線を離脱するよう何処かへと壊れた機体が遠ざかっていく。

 

 ダメージコントロールが為され、帰投プログラムでも奔っているのだろう。

 

 少なからず戦力を使い捨て出来るような組織ではないらしい。

 

『エニシ!! 今下げるッ!!』

 

 上からフラムの声。

 唐突に足掛けと手摺の付いたロープが落ちてきた。

 それを咄嗟に掴むと。

 

 猛烈な勢いで巻き上げられ、数秒で上空の腹を開いた飛行船内部へと入った。

 

 吊り上げられたまま、装甲が左右から閉まっていくのを下に見つめる。

 

 そして、銃撃がカンカン床の先で音を立てているのもそこそこに……ようやく安全圏へと退避した事で緊張がドッと解けた。

 

 大きく息を吐くと煙を上げる巻き上げ用のウィンチ。

 その傍でフラムが僅かに汗を拭ってから、こちらを見て溜息一つ。

 どうやら心配させたらしい。

 

「カシゲェニシ殿!! 大丈夫か!? 怪我は無いか!?」

「あ、ああ」

「救護班!!」

 

 駆け寄ってくるのはクランだった。

 

 その顔は安堵の涙を浮かべており、近付いてこちらの様子を見るとペタンと床に座り込んでしまう。

 

「クラン様」

 

 その横でファーンが主の身体を支え、ご苦労様でしたと頭を下げてきた。

 

「全員無事か?」

「無事でござるよ」

 

 百合根がゴンドラの中からひょっこりと顔を出し、こちらの傍までテテテッと小走りにやってくる。

 

「今回はまた助けられた……今までの貸しは返してもらったと言っていい……」

 

 いつもの調子とは違い。

 何処か不安定な様子で百合音の顔が奇妙に歪んでいた。

 

「某は情けない。本来、身を削って戦うべきは―――」

 

「気にするな。気にしてるなら、いつも少しでいいから、オレの事を考えてくれ」

 

「あはは……うむ。エニシ殿は本当に何も変わらぬでござるな……身体が強くなっても、ずっと同じまま……心は細いのに頑固で意地っ張りで……」

 

「―――」

 

 たぶんは初めてだ。

 本当に……初めて……それを見た気がした。

 僅か百合音の瞳の端に耀くものがある。

 

「ぁ~~~っと……その……そんな顔似合わないぞ。いつもみたいに平然と悪い笑み浮かべてろよ。少なくとも、そっちの方がオレは好きだ」

 

『?!!?』

 

 何故か、周囲でいきなり空気が変質したように感じられた。

 

「………むぅ。エニシ殿はこんなかわゆい某を好きだと。ではでは、そうしなければな」

 

「ッ」

 

 少しだけ無理をしたかのような、はにかんだ笑顔。

 

 悪い顔とは程遠い純真な少女の温かい表情に思わず心臓が鳴る。

 

 さすがに反則だと思う。

 ギャップというのは乙女の強力な武器なのであるからして。

 

「と、とりあえず、怪我は……治ったと思う。降ろしてくれ」

 

「………」

 

 ウィンチを操作していたフラムがギロリとこちらを何やら少し赤い頬で睨んだかと思うとレバーを乱暴に押し込み。

 

 その反動で急速に下がったロープに導かれ、床にドカリと座り込むようにして尻を打った。

 

「イタッ?!! も、もう少しゆっくり降ろしてくれもいいだろ!?」

 

「フン。私はこれから共和国の方の飛行船に連絡してくる。たぶん、もう全員が乗り込んだ頃だからな」

 

「あ、ああ……何怒ってるんだ?」

「怒ってない!! 貴様に怒る理由など無いッ!!」

 

 そう言って、フラムがノシノシと通路の奥へと消えていく。

 

「……そうか。カシゲェニシ殿はこのようにしてEEと羅丈を……」

 

 何やらクランが考え込むようにして顎に手を当てていた。

 

「?」

 

「当方としては今回色々有り過ぎました……諸々を整理するのにも時間が必要です。ですが……結局、我々はあの遺跡を破壊こそしましたが、重要な交渉に使えるカード自体は……」

 

「あ、ああ、そうだな。そっちも話し合わなけりゃならないか。結局、これじゃあ遺跡を破壊しただけになっちまうし……だが、最後にあの声がバックアップの放出があると言っていた。そっちも調べないとならないな」

 

「バックアップ?」

 

 ファーンに頷く。

 

「何かしらの情報を入れた媒体が何処かにあるはずなんだ。子端末に周回軌道って単語から察するに……まぁ、嫌な予感しか無いんだが」

 

「周回軌道?」

「今はいい。とにかくまずは状況の整理と全員の安否確認が先だ」

 

 周囲にやってきた侍従達が話の終わったのを見計らってこちらの身体をあちこち触り始めた。

 

「いや、治ったから」

 

「いけません!! カシゲェニシ様に万が一の事があったら、クラン様が悲しまれます!!」

 

 よく見れば、こちらを調べているのはお下げ髪の自分より数歳若い少女。

 

 飲み物を持ってきてくれたり、小さな要望をよく聞きに来る黒髪童顔の可愛いと言って差し支えないあの子だった。

 

 そう言えば、サラッと全裸を見られた挙句見てしまった相手でもある。

 

 僅かに気不味くなって視線を逸らす。

 

「……悪いんだが、着替えとカレーでいいから食事を部屋に持ってきてくれるか? それと何かあったら、すぐ呼んでくれ。ちょっと疲れた……少し休憩したい」

 

「はい。分かりました。カシゲェニシ様」

 

 立ち上がるとクランもまたファーンに付き添われて立ち上がり、こちらに手を差し出してくる。

 

「カシゲェニシ殿。これから如何様になろうとも、今日の事……不甲斐ない我が身の選択を支えてくれた事、生涯忘れない」

 

「そんな大げさにしなくてもいい。関わった以上はちゃんと最後まで見届ける」

 

「……ああ、っ?!」

 

 フラッとクランが倒れ込みそうになり、慌てたファーンによって支えられた。

 

「殿下!?」

 

 他の侍従達もクランの身体をあちこちから支える。

 

「済まない。ファーン……どうやらこちらの方が限界のようだ……しばらく、後を………」

 

 そのまま瞳を閉じてスゥスゥと眠ってしまった主の様子に心底に疲れていたのだろうとファーンが柔らかな笑みを浮かべた。

 

「お任せ下さいませ。必ず……この身命を賭して、交渉は成功させます」

 

「それは止めておけ。クランが今度は本気で倒れるから」

 

 その言葉に周囲の侍従達が思わず苦笑していた。

 

「な?! あ、貴女達!!?」

「カシゲェニシ様の言う通りかと」

 

 年長の侍従の声に頬を赤くしたファーンだったが、すぐに気を取り直して自分と侍従達で部屋に連れて行くからと去っていった。

 

 残った者達が慌しく働き始めるのを横目に通路を歩き出すと美幼女が後ろに付いて来る。

 

「お前は仲間に連絡取らなくていいのか?」

 

「連絡なら後でも出来る。交渉はファーン殿とフラム殿がしてくれるであろう。問題は山済みであろうが、某には本質的に関係ないのであるからして」

 

「で、オレの部屋に来ると」

「うむ……その、ダメか?」

 

 少しだけ、いつもとは違い。

 その顔は不安げだった。

 

「ダメだって言っても付いて来る気じゃないのか?」

「分かっておるではないか♪」

 

 だが、そんなのは気の迷いだったらしい。

 すぐに表情はいつものものに戻る。

 

「はぁ、疲れてるのは本当だから、大人しくしててくれ」

「うむ。承知した」

 

 とりあえず、事前にどちらの船に退避した場合でもいいようケロイド男と交渉した時に得た部屋へと向かった。

 

 通路を数十秒も歩けば、辿り着き。

 そのまま内部へと入る。

 

 外套を室内のハンガーに掛けて、一先ず身体を洗おうと備え付けのシャワー室と更衣室の扉に手を掛ける。

 

「後で着替えが来ると思うから、扉の前に置いといてくれるか?」

「うむ。承知した」

 

 それから狭い更衣室内部で脱いで狭いシャワー室へと入り身体を洗う事、数分。

 

 自分の身体をあちこち触ってみたが、基本的に硬くなったという印象以外はよく分からなかった。

 

 体重は劇的に増えているようなのだが、それにしても中身が詰まっているらしく。

 

 大きくなったという印象は受けなか―――。

 

「ッ」

 

 いや、さすがにと内心で己にツッコミを入れそうになった理由は単純。

 

 股間のせいだ。

 思わず。

 そう思わず目を疑った。

 

 基本的に普通の部類、普通の長さ、普通の太さだと思っていたのだが……何やら気付かぬ間に箸がマグナムの銃身に置き換わっているような、気が、した。

 

「………まぁ、見なかった事に」

 

 ガチャリと更衣室の扉を開ける音。

 

『エニシ殿~~此処に置いておくでござるよ~』

 

「分かった」

 

 さっさと上がろう。

 そう溜息一つ。

 勝手に変わっていく身体というのも面倒な話だと思ったのも束の間。

 背後で扉を開ける音がする。

 

「―――ッ」

 

「貸し借りは無しであるからして……少しだけ、某の我侭に付き合ってはくれぬか? エニシ殿……」

 

「百合音……」

 

 スッと僅かに風を感じたような。

 温かく柔らかいものが背中から腰に掛けて触れ合う。

 

「某とて……某とて心配していた……」

「ッ」

 

 感触が少しだけ強く肌に重なる。

 

 シャワーは止まっていても、汗は僅かに噴出して、流れ落ちていく水に混じる。

 

 息を呑んだりしなかったのは自分の神経が太くなったからか。

 それとも身体が変わったからか。

 それは分からずとも、温もりだけは確かで。

 

「エニシ殿は本当に女子《おなご》を垂らしこむ才能があるでござるよ……」

 

「そんなのあるか。ただ、場当たり的にどうにかしようと思ったら、親しくなっただけだ」

 

「だが、その場当たり的な行動で誰かを助けたいと願った……きっと、それはエニシ殿だからこそ出来た事も多々ある……」

 

「オレは……ただ、自分の……自分の我侭と気持ちに正直だっただけだ……オレじゃなくてもとは言わないが、オレだけがそうするわけでもないはずだろ」

 

「そんなのは知らぬ。見えぬ。聞こえぬ……某の前にはエニシ殿しかいないのだから」

 

「……百合音……」

 

 少しだけ甘えるような声。

 けれど、それは何処か自嘲するような響きも持って。

 

「某は羅丈。共和国と敵対する国の女諜報員。それを束ねる者の一人。だから、誰かに身を捧げるのは最初から決まっていたのだ」

 

「………ッ」

 

 生々しい“仕事”の話を前にして、今まで冗談で済ませてきていた事が変わる予感が、確かに胸の中を過ぎる。

 

「某はまだエニシ殿のもの……でも、これからもそうだとは限らぬ……だが、だがな……今日、救われて……思った……ああ、この男《おのこ》以外とは……そう、思ってしまった……」

 

 独白するように、まるで自分を嘲笑うかのように、声はおかしそうに、少しだけ安心したように、告げる。

 

 足に絡まる身体。

 

 密着したままの温もりが、ジットリと微熱を帯びたように高まるのが分かる。

 

 自分もまた男ならば、今こうして後ろにいる相手が何をしているのかなんて、分かっている。

 

 分かっていた。

 

「これは教えられていた手練手管でござる。これは女諜報員の罠でござる。これは……節操無しの売女《ばいた》の、最低の女の、邪でお主を破滅させる意図に満ちた誘惑でござる」

 

 背中にコツンとサラサラした感触が当る。

 

「そういうのをバラすのも手の内か?」

 

「うむ……そうだ……全部、エニシ殿には教えておきたい……某の事を……いつか消えてしまうかもしれない……そう思ったら、胸が苦しくて……ふふ、死ぬ事など怖くなかったのだがなぁ……」

 

 僅かに震えている身体。

 沢山の感情に震えてしまった美幼女の姿態は熱く熱く。

 

「これは嘘の涙でござる。この震えも、この熱も、この……この告白も、教えられた教本通り……男は可憐で儚いものを愛すると……そういうものだからと……全部、計算された設定でござるよ……」

 

「そうか。じゃあ、これも計算に入るか?」

「え?」

 

 そっと腰に回っていた手を解いて。

 真正面から相手を見つめる。

 

「ぁ……」

 

 何一つ身に付けず。

 何一つ偽らず。

 何一つ己に許さぬまま。

 

 ただ、泣いていた幼女は、羅丈百合音は、そのいつもいつも自分を助けてくれた相手は、瞠目していた。

 

「お前の事なんて、最初から危ないと思ってたし、誘惑に乗ったら即お縄な犯罪者だし、そもそもオレの好みはフラムそのものだし、今もあいつの事が好きなのは変わらないし……これからもそうだと思う……」

 

「―――ッッ」

「でも」

 ゆっくりと両手で前から背中まで抱き締める。

 

「此処はオレの世界じゃないかもしれないが……オレがこれからも生きて行きたいと望む今だ」

 

「ぁ……」

 

 長い長い黒髪を後ろに撫で付けて。

 そっと、顎を上向かせて、唇を……自分から重ねる。

 

「ん?!」

「オレの愛人になれ。百合音」

「あい、じん?」

 

「妻でもいいし、恋人でもいいし、お前が選びたいものを言ってみろ……オレはあいつらに……それを納得させるくらいは……たぶん、口も回るしな?」

 

 とりあえず、いつもの笑みで言うと。

 百合音の顔が始めて、本当に初めて、完全に赤くなった。

 

「空飛ぶ麺類は生憎と信仰してないが、オリーブの教えは近頃パシフィカが勧めてくるから、ちょっと興味があるんだ。お前だって任務を遂行するのに重要なら、聞き齧った程度の教義で妖しい宗教に入信してみたりくらいするだろ?」

 

「そ、それは偏見でござるよ!!? エニシ殿!!」

 

 いつもの顔で。

 いや、いつもとは違い。

 こっちがイニシアチブを取っている事に慌てた様子で。

 

 そう否定する美幼女の、百合音の頭を撫でて、顔の横に張り付く長髪をそっと掻き分ける。

 

「お前に秘密が在ろうと無かろうと。お前が任務だろうと本気だろうと。オレはお前が傍にいてくれる人生が欲しい」

 

「~~~ッッ」

 

「そして、それがどんな結末になっても……いや、それが最高に幸せな日々なんだって事を証明したいと思う。あいつらと一緒に、お前やフラムと一緒に……倫理よりも道徳よりも……現実なんて言葉よりも……オレにとって重要なのは……お前達が笑ってくれている事なんだと……そう思えるから……」

 

「エ、ニシ……どの……」

 

「あ、でも、勝手にいなくなったり、消えたりするのは勘弁しろよ? 知らないところで死んだりするなよ? オレの事が分かるなら、お前にも分かるよな? オレは諦めないし、絶対に見捨てないし、お前を見付けるし、連れ戻すし、死んでたら、殺した奴に復讐するし、墓だって立派に建てるし、お前をそうした連中を許したりも出来ないからな?」

 

「それは……脅しでござるか?」

 

 笑みは確かに、そう確かに、晴れやかで。

 

「ああ、公国の諜報員に篭絡された死なない男の、羅丈って組織への警告だ。ちゃんと報告してくれよ?」

 

 冗談めかして言えば、大輪の笑顔が咲いた。

 

「うむ。公国最大の敵がどうやら此処に誕生してしまったようでござる♪」

 

 涙を指で拭いてやれば、ニコリとまたいつもとは違った笑みが返って来る。

 

「さて、そろそろ上がるか」

 

 そっと身体を引き離そうとすると。

 何故か、逆にピッタリと正面から肌と肌が吸い付いた。

 

「あの……百合音、さん?」

「これからで、ござろう?」

 

 少しだけ妖しい笑みを混ぜて。

 頬を染めたまま。

 幼い少女は笑む。

 

「ずっと、起きている間にしてみたいと……慰めてやりたいと……だから、ちゃんと、教本だって読み返したのだ……某も……」

 

 生理現象だ。

 人間にはどうにもし難い、身体の反応というのがある。

 ピットリと硬く熱く雄々しく。

 全てが柔らかな臍の上で重なっている。

 

「エニシ殿の男《おのこ》は随分と立派になったのでござるな……」

 

 少しだけ感心したように。

 何処か熱に浮かされたような笑みで。

 潤んだ瞳がこちらを上目遣いに見上げて。

 

「某に収まり切るであろうか。ふふ」

「ッ!?」

 

 悪戯っぽく笑う幼女はいつもの十割増しに艶美だった。

 思わず噴出しそうになったのも無理はない。

 確かに色々と言ったが、TPOというものがある。

 厳然と今は非常事態。

 

 せめて、そういうのは落ち着いて、時間を掛けて―――と言えないのが夢世界の流儀だとしても、こちらにだって、流儀はあるのだ。

 

「あ、いや、そういうのはせめて事態が終わってからに……」

 

「その……某も初めてなのだが……このまま“重ね合ったまま”でも……出来るでござるよ……?」

 

 百合音の蕩けた瞳は……本気だった。

 

「~~~ッッ?!」

 

 さすがに不謹慎だろうと自重する旨を伝えようとした時。

 

 ドンドンドンと外からドアを叩く音がした。

 

 思わず天の助けだと百合音を引き剥がして、今出ると叫んでタオルで身体をザッと拭き。

 

 更衣室に置いてあるローブを羽織って外に出た。

 

「どうかし―――」

 

 ギュガンッッ!!

 

 そんな銃でノブを破壊する音と同時にドアが蹴破られる。

 

 それを思わず回避し、後ろに倒れ込みながら呆然としていると。

 

 ドアの先には涙目のフラムがいた。

 

「き、きききき、貴様ぁああああああぁあああぁああ!?!!? は、初めては私とだと言っただろう!!? これ以上、私に恥じを掻かせる気かぁああああああああぁあ!?!!?」

 

「え、は!? ちょ、まさか、聞いて!? って、風呂場だぞ!? 聞こえるわけが!?」

 

 その背後で何故か半笑いのケロイド男。

 

 アザカが備品は壊さないで欲しいんですがねぇという顔で立っていた。

 

「オイ!? どういう事だ!?」

 

「あ~~言い忘れていましたが、船内の全部屋にはスピーカーとマイクが複数設置されていて、それで使う時はどっちもオンになるんですよ。ええ、まぁ、その……情熱的な話は大変良かったと思うのですが、いやぁ……EEとの通信を行う為に回線を開きっ放しにしていたら、オンになっている部屋とも全部繋がってしまうという仕様なのをすっかり失念していました。強制的に他の部屋もオンになるなんて欠陥ですよねぇ。今度までに手直ししておきますので。はははは」

 

 白々しい笑い声。

 何と言うか。

 

 たぶん、こんな非常時に一体ナニやってるんだという思いなのだろう。

 

 というか、途中からさすがに気が遠くなった。

 

「ぜ、全艦?」

「ええ、まぁ、その……大丈夫ですよ!! 男としてとても羨ましい!!」

 

 大仰な感じにアザカが拳を胸の前で握る。

 

「慰めになってない?!! アレか!? EEどころか。船に乗ってる連中全員に聞かれてたのか!?」

 

「誰も彼も静かになってしまって、そちらには聞こえていなかったようですが……現在どちらの船も絶賛男女共にトイレが満室の有様ですが何か?」

 

 ニコヤカに応えるケロイド男は何かもう半ば呆れを通り越して尊敬しているような瞳をこちらに向けてきていた。

 

「訊かなきゃ良かった……もし死ぬ事になったら、死因は恥死とカルテに書いといてくれ……」

 

「エニシ!? 貴様、それでご、ごごご、誤魔化せると思うなよ!? 帰ったら覚えていろ!?」

 

「ああ、そうする……はぁぁぁぁぁ~~~」

 

 暗澹たる溜息を吐く。

 

 すると、もう身支度を整えたと思しき百合音が後ろからソソクサと出てくる。

 

 そして、開口一発。

 

「フラム殿!! エニシ殿は大きい殿方でござったよ♪」

 

 そう拳銃を乱射し始めそうな涙目のフラムに宣《のた》まうのだった。

 

 後にトイレには皇女殿下とカルダモン家当主も行っていた事が発覚するのだが、それはまた別の話である。


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