ごパン戦争[完結]+番外編[連載中]   作:Anacletus

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第89話「父娘」

 世界が静まり返っている。

 カレー帝国首都ガラムマサラ。

 

 現在、高層建築と呼ばれる十階近い最新建築が建ち始めた都市は首都と呼ばれるだけあって、何もかもスケールが大きかった。

 

 燦然と碁盤目状の通りが敷かれ。

 行き届いた治水によって人々の生活には上下水道が普及しつつある。

 広大な版図を広げる国家の中枢たれと。

 

 都市開発の様相は日進月歩のようで都市のあちこちで再開発の工事が盛んに行われていた。

 

 その都市の最奥。

 小高い丘を造成して建てられた宮殿から続く広大な中央広場がある。

 

 その敷地面積だけでたぶんは球場二十個分にはなろう場所には現在、人の波がうねっていた。

 

 光沢のある紅蓮の煉瓦が敷き詰められた地面と白亜の宮殿。

 そして、広場の中央にある巨大な尖塔《モニュメント》型の噴水。

 

 そんな背景を後ろに一人の男は眼前のマイクに声を張り上げている。

 

 そのいでたちは周囲を固める近衛兵よりも、社交界を彩る華よりも、勲章を幾多付けた軍人よりも、集った香料選定公家や大貴族、大商人よりも、ギルドを束ねる長よりも、目を引いていた。

 

 まるで広場の大地と一体化した如き紅の装束。

 

 黄金では翳る。

 白銀では足りぬ。

 そうとばかりに燃え盛る炎。

 明るい橙色を流し伸ばしたような独特の意匠。

 

 それは翅の如く男を飾り、それが帝国の全てを束ねる者であると教えている。

 

 本日、演説で記された歴史は私娼の禁止と公娼への転換、全ての風俗営業者に対する登録の義務付け、その一元管理と税の一本化政策。

 

 また、それと合わせて女性権利の現実的な担保への提言と周辺諸国との間に諸々の人権の一括制定、統一見解を出す事。

 

 このような皇帝の神に等しき声を前にして、詰められていた複数の共同宣言が各国の大臣達との間に採択され、式典は正しく終了真直。

 

 これに権利主張を続けてきた各運動団体の代表者達は偉大なる皇帝の慈悲と恩寵に咽び泣き。

 

 感謝の意を捧げる。

 という、有様であった。

 

 無論、それが普通に終わる事など在り得ない。

 

 何故ならば、その式典において針の筵《むしろ》の如き心地で座っているに違いない男とその傀儡が演台の横、列席者達の中にいたからである。

 

 まだ20歳を過ぎた程度。

 太い眉を八の字にした気の弱そうな皇族用の蒼い礼服に身を包んだ彼。

 フルマニ・ド・カレー。

 

 その右に座るのは陰謀の首魁。

 

 でっぷりと肥え太った身体をあからさまに宝石と勲章で飾った五十代の脂ぎった剥げ頭。

 

 ファシアテ・バジル。

 

 対照的な二人がこの三日、広まった噂を揉み消そうと必死になっていたのは圧力を受けた各省庁、貴族、兵隊、諸々の国民達にしてみれば、己の悪行の隠蔽と映った。

 

 当人達はカルダモン家を謀略で追い落とし、クランを拘束したところまでしか知らず。

 

 なのに自分達が悪者として登場する物語が爆発的な勢いで広がった事に右往左往していたに違いない。

 

 自分達が求めていた皇帝の氷室が破壊された事に酷く驚いていた……という噂までも出回らせている公国の女諜報員と部下達の用意周到な情報戦には太刀打ち出来なかったらしい。

 

 街角の子供に聞いたってファシアテ悪い奴クラン様可哀想と言う始末なのだ。

 

 やはり、羅丈の情報部門は優秀過ぎるらしく。

 他国内部だと言うのに国民への噂の浸透は神速を持って行われた。

 

 何でもバジル家の電信情報を偽装し、本物の圧力と織り交ぜて本来ならバジル家が命令すべきでないところにまで、そういった“間違ってしまった体での揉み消し命令”とその命令の撤回を満遍なくばら撒いたのだとか。

 

 何時の時代も“やるな”というのが“やらせる”コツらしい。

 

 人は禁止されるとそれをしたくなるものなのだ。

 

 それが刺激的な世紀のラブ・ストーリーの噂ならば、尚の事だろう。

 

 人の知りたいという欲求を巧みに利用した宣伝戦は圧勝。

 

 現在、広がった皇帝の氷室の破壊という事実とバジル家の尾鰭背鰭胸鰭三割増しな悪行三昧の噂は国土の隅々にまで行き渡っている。

 

 無論、噂は噂だ。

 何か事実があるわけではない。

 

 しかし、元々悪辣な稼ぎ振りやファシアテ個人やバジル家に対して面白くないと感じていた複数の者達はこの機に乗じて暴露三昧。

 

 司法当局にはバジル家の悪行があれよあれよと密告され、積み上がっているらしい。

 

 本来のバジル家の能力なら揉み消しも可能なのだろうが、揉み消し工作のリソースはほぼ全てクランの話に使われていたらしく。

 

 結局、政治面でも窮地に立たされ始めたバジル家は機能不全寸前。

 これにはファーンも悪い笑みでニッコリだった。

 

『これより、閉会の儀を執り行います』

 

 アナウンスが最後のプログラムを告げた後。

 

 大臣達が下がり、皇帝が集まった全ての民衆に向けて言葉を発する。

 

 所謂、“お言葉”という奴だろう。

 

 本来の予定には無い話の内容は分かり切っている。

 

『我が愛する臣民達よ。これまで我が帝国は世界最大の領土を誇る世に冠たる星として耀いてきた』

 

 今までの堅苦しい儀礼と言葉遣いではない。

 

 しかし、計算されたのだろう人に聞き入らせるだけの間を空けて、男は民衆を、その先にいる全ての国民に向けて、分かり易さを第一に語り掛ける。

 

『芳しく馥郁たる香りに導かれ、どのような苦難、困難を幾星霜退け続けてきた。これは等しく我が国を支える者達、全ての国民、全ての官僚、全ての貴族、全ての皇族、全ての軍人、全ての商人、女も子供も男も老人も無く。皆のおかげであろう』

 

 その皇帝の言葉に雷に打たれたように民衆が静まり返る。

 それはそうだろう。

 

 この夢世界における皇帝というものが、貴族や軍人の上に立つ指導者という立場の者が、下々に“おかげ”等と言う言葉を発したのだから。

 

 そのあまりの事にフラリと倒れるご婦人と老人が複数。

 だが、それも周囲の人々によって支えられる。

 

『我が名が世に轟いて30年……帝国は今までに無い繁栄を手にしつつある。それはこの大陸に住まう誰もが認むるところであろう。しかし、だからこそ、綻びる事も承知しておかねばならぬ』

 

 ようやく。

 そう、ようやく。

 男は決定的な言葉を口にしようとしている。

 

 帝国が今や窮地に立っている事なんて、無いと言い張ろうとしている。

 

 バジル家の暗躍に端を発する地域閥、旧国家派閥達の動きを制止し、次の国家百年の時を安寧の中で奉る為に。

 

『今、この国に広まる流言飛語。如何なる噂にも動じてはならない。己の身で見て、聞いて、感じた事でないのに……どうしてそれが真実であると言えよう』

 

 男の言葉は最もだ。

 

 そして、今回の一般教書演説による人権の勃興と親しみ易い言葉を並べるという前代未聞の衝撃が人々に更なる国家への忠誠心を発揮させるのは想像に難くない。

 

『全てが完全なものなど何処にも無い。だからこそ、我らは一つところを向いて、共に肩を貸し、隊伍を組み、進んでゆかねばならぬ。そうでなければ、人はこのように時代を動かしては来られなかった』

 

 民衆は、国民は、聞いているだろう。

 

 各地の電信施設の全てが今、この皇帝の言葉を届けているのだから。

 

 ある者は仕事をしながら、ある者は子供をあやしながら、ある者は一時も気を抜けぬ国境の淵で。

 

『人は人を信じる事でしか、背中を気にしなくてもよい時間を生み出せない。我らの背中は我ら自身の手で、その一つと向いた視線が互いを認めているからこそ、守られているのだ。其処に貴賎は無い。臣民達よ。この帝国の地に在りし、全ての者達よ。我が瞳はそなたらの為に……そして、そなたらの瞳は我が治世の為に貸してはくれまいだろうかッ!!』

 

 感動に涙する者。

 畏れ多いと平伏する者。

 確かに男は皇帝の器だった。

 数学者であったというだけはある。

 完璧に計算された国民から愛国心を引き出す為の数式。

 

 それは少なくとも感情に訴え、感動を呼び起こし、全てを塗り替えるような衝撃を持っていなくてはならない。

 

 これがただの新聞で見る情報や旅行先での見聞であったなら、どれ程良かっただろう。

 

 今日は良いものが見れたと一日、気分良く過ごせるくらいのものに違いなかったはずだ。

 

 惜しい話である。

 

 裏の事情を知らなければ、何一つ文句を突き付ける必要も無かったのだから。

 

 ワッと人々が盛り上がる。

 その躍動する歓声のうねりが周囲を包み込んで。

 警護している軍人達すらも感動に涙する者が多かった。

 

『不安な事は幾多在ろう!! 今日の生活に困窮する者に我が声は届かぬかもしれぬ!! しかし、約束しよう!! 昨日より今日が!! 今日より明日が!! 今より未来が!! 我らより我らが子孫達が、良き日に生きていく事を!! これに―――』

 

『その言葉と未来をッッ!!! どうして己が娘に向けてやれないのか!! ザラメ・ド・カレーッッ!!!』

 

 全通信機器の一斉ジャック。

 

 その始まり。

 

 今回の一般教書演説に際して最新の電信設備の大本を造ったのは空飛ぶ麺類教団。

 

 勿論のように自分達に“都合の良い機能”を密かに組み入れていたという事実はかなり運が良かった。

 

 一瞬にして、近衛軍の精鋭達がジャックされた声に驚きながら固まっている一般人達とは違って皇帝の周囲に集まり、最大限の警戒を行う。

 

『その寛大なる御心がありながら、バジル家がやった事をどうして、そのままにしておけるのか!!』

 

 皇帝の眼光は揺るがない。

 

 そう皺の一つすら。

 

 それが真実なのか。

 

 内心の動揺を押し固めているのかは分からないとしても。

 

 確かに男は皇帝として、自らの国を背負って立つに足る顔をしていた。

 

 そして、周囲の者達に退けるよう言って、演台のマイクの前に立つ。

 

『何者か!!』

 

『我が名はカシゲェニシッッ。己が娘を見捨てた男へ真実を届けに来たッッ!!』

 

 声と同時に己の肉体一つ。

 飛行船から飛び降りる。

 それと同時に誰かが見付けたのだろう。

 アレは何だと人差し指が向けられた。

 

 同時に上を向く全ての人が目撃するのは飛行船から滑車型の取っ手を片手にワイヤーを高速で降りてくる誰か。

 

「ッ」

 

 腕の中のクランがこちらにしがみ付いて来る。

 

「大丈夫だ」

「はぃッ」

 

 そのまま速度を滑車の自動ブレーキで少しずつ緩めながら壇の直前に落ちるよう着地する。

 

 それにしてもかなりの速度だ。

 ダガンッと地面に両足を付いた瞬間。

 かなりの衝撃に襲われた。

 

 普通に開放骨折しそうな勢いだったが、強化されている身体には数秒の痺れが残るのみ。

 

 インカムが外れていない事を確認して、恐慌一歩手前の状態の民衆を背に男へ視線を向ける。

 

 あまりの事態に対応が遅れるかと思えば、銃口は既に頭部へ無数照準されており、近衛の練度の高さを窺わせた。

 

『あ、あいつを取り押さえろッッ!!!』

 

 近衛の隊長なのだろうか。

 即座に命令が下されるものの。

 

 こちらの外套の中からハーネスを外して出てくる娘の姿を認めて。

 

 皇帝ザラメ・ド・カレーが片手で近衛達を制した。

 それに銃口はそのまま、全ての警護達の動きが止まる。

 

『グランメか』

 

「はい。陛下」

 

 礼服。

 

 美麗なる蒼き鰭の如き袖を纏い。

 まるで人魚の如く。

 聴衆を魅了するだろう典雅なドレスで。

 

 背中や首筋、両手、両太腿、肌のあちこちを曝し、普通の親なら破廉恥過ぎて号泣するか勘当するかという代物を来て。

 

 クランがしっかりとした瞳で己の父親に相対した。

 

『ザラメ・ド・カレーッッ!! 今一度名乗ろう。我が名はカシゲェニシッッ!! このグランメ・アウス・カレー皇女殿下の元に身を寄せる者。この無礼、非礼、詫びるつもり無し!! 何故かと問われれば、我が声の限りに語ろう!! 彼女に何があったのかをッ!!』

 

 こちらの姿の異様さに聴衆が、誰もが釘付けになっている。

 それは静まり返っている様子からも明白だ。

 

 白と黒と金。

 

 派手さは無いが、まるで近未来を思わせる金属とカーボン素材を織り交ぜた外套。

 

 奔る幾何学模様が夕闇に照らされれば、人々は幻視と見るだろう。

 

 其処に立つのが少なくとも自分達とは違う理の中にいる存在だと。

 

 軍服にも似た衣装はカーキ色だが、どちらかと言えば、スーツに近い作り。

 

 これもまた誰も見た事が無いもののはずだ。

 そして、極め付けは髪を後ろに撫で付け。

 半貌を仮面で覆った蒼い瞳の謎の人物(笑)

 

 まったく、何処のSFだと言わなければならない人物を演じながら、声を張り上げる。

 

 最初のインパクトが醒めない内に全てを語り尽さねばならない。

 

 何もかも、そう何もかも己の言葉に掛かっている。

 

 ならば、其処に躊躇も遠慮も恥もあったものではない。

 

『数日前、私はこの愛するべきご婦人の館に身を寄せていたッ!! だが、その平穏は宵の刻、唐突に破られた!!』

 

 バッと外套を翻して、バジル家の当主をズバリ指差す。

 

『そうだ!! バジル家の私兵達が!! 彼女の寝所に無断で押し入りッ!! 国家反逆罪の名の下にカルダモン家からその身を奪い去ったからだ!!』

 

 どよめく聴衆。

 

 顔を青くするフルマニがガクガクと己のした事を、陰謀に手を貸したという事実を暗に大舞台で曝されるという緊急事態で血の気を引かせた。

 

 それよりは幾分かしぶとく。

 バジル家の当主。

 

 ファシアテが脂汗を浮かべながらも、ふてぶてしい顔でこちらを睨んで来る。

 

『嫌がる彼女を無理やりに連れ出し!! 泣いて怖がる婦女子への乱暴狼藉をよしとした不埒な兵隊が彼女を連れ去った!! 駆け付けた時!! 寝所は血の海!! 私は彼女の従者達や彼女自身の“欠片”が無いか絶望に駆られながら必死に確認する事となった!!』

 

 押し殺した悲鳴がいたるところであがる。

 どうやら婦人達が想像してしまい気を失ったらしい。

 

『だが、どうだ!! 調べても、その痕跡は無かった!! 私は彼女を追った!! 必死で追った!! あのブラック・ペッパーの厳重な封鎖を心在る者達の手を借りて突破し!! その兵隊達が過ぎ去った道を胸を潰されそうな不安に去らされながら、彼女の身を案じながらだ!!!』

 

 聴衆は熱を帯びている。

 全ては噂に合致する。

 

 紛れもない真実が、大事件が、今、この時、目の前で、全ての電信設備を通して、大陸全土に波及するよう教団の手で発されている。

 

『そうして、彼女を探してゆく内に!! 私はバジル家の陰謀を知った!! 彼女が教えてくれていた秘密が答えに導いてくれたのだ!! バジル家がこのような凶行に及んだ理由!! それに思い当たった!!』

 

 飛行船からソレが地表に向かって落とされる。

 

 ドズンッと紅の煉瓦を割って、地表付近に突き刺さったのは約25kgの鋼の長方形型の物体。

 

 それが罅割れながらも、こちらの左側の地面で落ちてめり込み。

 

 火花を上げて僅かに煙を上げる。

 

『“神の氷室”!!! 歴代皇帝が隠匿してきた大陸最大の大遺跡!! 遥か古の叡智とやらが欲しくて!! この高が鋼の塊が欲しくてッ!! バジル家は彼女を悪辣なる手段で拉致したのだ!!!』

 

 どよめきは治まらない。

 

 少しずつ、少しずつ、ファシアテに対する瞳が猜疑と恐れと怒りに満ちていく。

 

 その視線にもはやフルマニは茫然自失として、震えながら椅子を倒して背後へ逃れようとしていた。

 

 最高の演出に違いない。

 平然としているならば、まだしも。

 

 己の罪を自覚する憐れな操り人形だった男は涙を瞳の端に溜めて、頭を抱え、蹲るようにして自衛したのだ。

 

 この状況でこの態度、私がやりましたと自白しているようなものだ。

 

『私は必死の探索で彼女を探し当てた!! その時、彼女は男達に拷問紛いの細粉を浴びせられ、耐性の薄い己が身を焦がしながら、それでも耐えてッ!! 耐えていたッ!!!』

 

 皇帝の顔は揺らがない。

 しかし、確かに瞳は僅かな光を湛えていた。

 

『私兵達を退け!! 彼女を何とか救出した私は逃げた!! 彼女の身柄を守れる方法がないか探して!! そして、私は彼らと出会ったのだ!!』

 

 同時に桜。

 

 聴衆の中に紛れ込ませていた数人の羅丈の手の者が声を張り上げる。

 

『あ、あれは空飛ぶ麺類教団の文様《マーク》じゃあないか!!? (でござる)』

 

『まさか!!? ほ、本当だ!? アレは空飛ぶ麺類教団の船なのか!!? (でござる)』

 

 ボソリと言う最後のか細い声にツッコミは入れず。

 内心でその語尾は取れないのかと溜息を吐く。

 

 どよめく聴衆は誰もが上を見上げ、目の良い者は高度を下げつつある船のマークに気付いて、次々に事実を広めていた。

 

『空飛ぶ麺類教団!! 彼らに救われなければ!! 秘密を聞き出したバジル家は我々を処分しようとしただろう!! そして、私達は決断を下さねばならなかった!!』

 

 クランが凜として声を響かせる。

 

「皇帝陛下。私は、グランメは……本日を持って、皇籍を離脱し……ただの女に戻ります」

 

 たぶん、その今までで最大のどよめきが喧騒を大きくする。

 

『その時!! バジル家の私兵は既に秘密裏に“神の氷室”へと向かっていた!! 私は彼女とそれを阻止するか。あるいは皇帝陛下に庇護を求めるか!! どちらかを選択せねばならなかった!!』

 

「嘘だッッ!! 秘密など知らんッ!! そいつはただの―――」

 

 大声でファシアテが声を張り上げようとしたが、ギロリと皇帝が一睨みした瞬間、口を噤まざるを得なくなった。

 

『私は彼女に庇護を求めるよう説得した!! だが、彼女は言った。笑顔で言ったのだ!! この国の不安定内な政情下で皇帝が動けば、国が分裂する可能性すらある!! それを分かっている陛下が動くはずはない!! 父ならば、娘よりも民を取るはずだからと!! そうッ!! まだ子供すらいない彼女が口にした時!! 私の選択は決まった!!』

 

 誰もがもう聞かずはいられない。

 誰もがもう糾さずにはいられない。

 何故ならば、それは結末を求めるのが人間だからだ。

 

『私と彼女は教団の力を借りて、遺跡へと向かい。其処で真実に出会ったッ!!』

 

 そこでようやく。

 

 本当にようやく皇帝がこちらの口を閉ざさせようとしたのか。

 

 声を張り上げようとしたが、それを許す事などさせない。

 

 バガンッと鋼鉄の塊が内部に仕掛けた火薬がこちらの歯の隙間に仕掛けたスイッチを押し込むと同時に弾けて、激音を響かせる。

 

 それに乗じて更に物語の最後を積み上げに掛かった。

 

『其処は巨大な遺跡だった!! 人ならざる声が響き!! 世を知らせる報が無限に届く!! 幾多ある遺跡の中でも確かに怖ろしい程の規模!! これが帝国!! これが真実!! だが、その為とはいえ!! 親が子を見捨てる事など在っていい事だろうか!!』

 

 もう止められない。

 全ては物語の結末に掛かっている。

 

『皇帝は全てを知っていたはずだ!! バジル家がブラック・ペッパーを封鎖し!! 己の娘を拐《かどわ》かした事も耳に入っていたはずだ!! しかし、教団の話によれば!! このガラムマサラから皇帝が動く事は無かった!! バジル家が動いても、大家中の大家だからと!! 香辛料と物流の全てを牛耳る存在だからと!! 地域閥の緊張を深めるからと!! 巨大な香料選定公家を敵に回しては国内が混乱するからと!! 和を説いたその口が、その手が娘の為に動く事は無かったのだッッ!!!』

 

 深と。

 

 静寂《しじま》は宵の翳りの中で遠くにまで広まっていく。

 

『彼女は言った!! どうか国の為にコレを壊して欲しいと!! 遺跡が無くても!! 自分の父ならば、絶対にこの国を不幸になどさせないはずだからと!! それがどんな事なのか!! それがどんなに重い決断なのか!! 己の命よりも重い力を前にして!! 彼女は父親の事を信じてこそ!! 我が身の破滅と知りながら!! 私に遺跡を破壊して欲しいと懇願したッッ!!!』

 

 ずっと、クランは皇帝を見ていた。

 皇帝もまた娘を見ていた。

 

『私は……私はせめて貴女を守れる力を……そう遺跡に望んだッ!!! それが私だッ!! 私という存在だッッ!! 私はバジル家に負わされた重傷でもう永く無かった!! だが、蘇ったのだ!! この身はカレー帝国が築き上げてきた栄華を支えし力に満たされたッ!! 何者も我が道を阻む事態わず!! 見よッッ!!!』

 

 手を飛行船に向ける。

 

 その合図に飛行船からサイレンサーで消音した拳銃の弾丸が発射される。

 

 数秒後。

 

 光の柱が明確に天から飛行船とこちらを隔てるように降り注いだ。

 

 どよめきが悲鳴に代わり掛ける。

 実験結果はやはり正しい。

 この三日で考えた出来る限りの策。

 その最後の一つは塩の化身の力を借りる物。

 どうして、あの筋肉の化身をフラムが撃った時。

 その飛行船自体は撃墜されなかったのか。

 理由は単純だ。

 飛行船のブラックボックス。

 要は遺跡の力の核心とも言える部分が、塩の化身の力。

 

 月と衛星を経由するマイクロ波受信装置の一つだからなのだ。

 

 施設そのものへの攻撃が禁止されているというのは妥当な話だろう。

 

 オルガン・ビーンズでの一件の時。

 

 追って来た飛行船が破壊された為、気になって調べていた事があったのだが、どうやら破壊された飛行船は砲を乗せる為に殆どの外装を外していた。

 

 要は本来重要だと思われる部品が重量軽減策の一環として備わっていなかったらしい。

 

 巨大な空飛ぶ船を動かし続ける動力は嘗てオルガン・ビーンズの聖女様と一緒の時に考えていた通り……今も遥か天空の衛星から与えられていたわけである。

 

『これこそ我が力!! 全てを灰燼に帰す神話の叡智!! 我が武力は幾千、幾万、幾百万の兵を凌ぐ!! だが、それをこの国で向ける事も今日で最後となるだろう!! ()()()ッッ!!!』

 

 壇上に昇っていく姿は神々しくすらあった。

 偉大な父を前にして、彼女が兵達に警戒される事も厭わず。

 その身を胸の中に飛び込ませる。

 お芝居は此処でお終い。

 ようやく主役は父の胸元で声を響かせた。

 

「今まで本当にお世話となりました。グランメは……あの方と共に往きます。それが私とあの方の……カシゲェニシ様とのお約束ですから……」

 

「(そうか。不甲斐ない父で済まない)」

 

 小さく。

 本当に小さく。

 

 クランの耳元のインカムが無ければ、聞こえなかっただろう声が、左耳に響いた。

 

「どうか。我が身を呈して守ろうとしてくれたカルダモンの家にはこれ以上の苦を背負わせませんよう。そして……どうか、この国を、我が故郷を、お頼み申します」

 

 離れた親子の間で交される視線が離れるまでの数秒。

 

 その永遠にも等しい大切な別れを前にして、ブチ壊す不快な声が響く。

 

「騙されてはなりませんぞ!!? 陛下ッ!! あの妖しい男の話に耳を傾けるなど!!? バジル家は何もしておりません!! 全てはカルダモン家の策略ですぞ!!」

 

 ファシアテの絶叫にも似たソレに多くの者が目を向けた。

 だが、その非難轟々の怒声で広場が埋まるよりも先に。

 

 悲鳴が上がった。

 背後を振り返る。

 そこで軍人が一人、血だらけで倒れていた。

 その前には足を引き摺る存在が……いる。

 

「殺すッ!! 殺すッ!! 殺すッ!! 殺すぅうううううううううううううう!!! カシゲェエエエエエエエエエエエエニシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッッ!!!!」

 

 絶叫。

 

 それが周囲の聴衆を圧し、男の持つ拉げた刀が全てを混乱の渦中へと叩き落した。

 

 逃げ出す者達と入れ替わりに今度こそ警護の者達がその男。

 

 顔面から左頭部が凹み潰れたままの大正ロマン野郎へ銃口を向けた。

 

『止まれ!! 止まらなければ撃―――』

 

 一撃で背後から近付いた男が顔面から下を首から離れさせた。

 

 一瞬の早業。

 

 目に止まらぬ速度での斬撃が歪んだ刃で首を刈り取ったのだ。

 

『う、撃てぇええええええええ!!!?』

 

 無数の銃弾が男目掛けて発射された。

 

 だが、瞬時に男の外套が身を捩ると同時に広がり、数百発近いだろう弾丸を纏めて弾き返した。

 

 まるで生きているようにも見えるが、たぶんは何かしらの仕掛けがしてあるのだろう。

 

 周囲は阿鼻叫喚地獄絵図。

 

 警護者達が次々に皇帝を庇うようにして立ちはだかり、背後の馬車へと誘導し、運んでいく。

 

『グランメ様!!』

 

 複数人がクランを一緒に連れて行こうとしたが、クランはそれを首を振って拒絶し、こちらへと走ってきた。

 

「クラン。どうやら諦めの悪い奴が付いてきたらしい。先に戻っててくれ」

 

 インカムを外して、後ろにそう言ったのだが、動く気配は無かった。

 

 教団から再び借り受けた日本刀は腰に下がっている。

 

 銃弾が弾かれるとなれば、問題は近接戦闘が通じるかどうかだが、傷を追っても追ってきた……それも半狂乱でとなれば、まともに殺し合っても勝ち目はあるだろう。

 

『あ~~彼はもうダメですね。どうやら、再生も出来ない程に頭部が……いやぁ、ああはなりたくない。他に身体があればいいですが……旧世界者《プリカッサー》と言えど、頭部は致命傷です』

 

 襟元から聞こえる暢気なケロイド男の嬉しそうな声にゲッソリする。

 

「クラン?」

「カシゲェニシ殿ッ!? 私はッ!! 一緒に逃げるわけには―――」

 

「いかないだろ。あれをそのままにしておいたら、最終的には死ぬとしても帝国の死者も増える。それ以上に今の話の衝撃も薄れる」

 

「相手はあの崩落に巻き込まれても生きているような輩なのだぞッッ!?」

 

 その声は僅かに泣いていた。

 

「銃弾が効かない以上。出来る奴がやらないとな。フラム!!」

 

『聞いている。すぐ回収させるから安心しろ。後、野蛮人へ地上での混乱に乗じて貴様を回収するようにも言ってある。抜かりはない……好きなようにやれ』

 

「何か物分りが良過ぎて、逆に気味悪いんだが……」

 

『な?! あの馬鹿馬鹿しい演説を我慢して聞いてやったのに何だ!? その言い草は!!? 撃つぞ!?』

 

「はは、悪かった。じゃあ、また後でな」

 

『く、エニシの癖に生意気だぞ?! 何だ!! あの格好良さげなフリは!? 貴様はあんな柄ではあるまいッ!!』

 

「悪いがあっちが待ってくれないようだ。帰ったら、聞いてやるから」

 

『くッ!? 近頃、ふてぶてしくなったな!?』

 

「それはそうだろ。お前とずっと話してればな」

 

『―――ッ。馬鹿ッ!! また帰ってこなかったら、殺しても見付け出すからなッ!!』

 

「それは勘弁だ」

 

 その言葉とほぼ同時に背後へ上空から何者かが降下してきた。

 

「カシゲェニシ殿!? 絶対!! 絶対帰ってきてくれ!! 私はッ!! 私の居場所は貴方の傍なのだからッッ!!」

 

 すぐに声が上へ昇っていく。

 それに答えれば良かったのかどうか。

 

「……居場所、か」

 

『スキャニング完了。ああ、医者として彼にはたった一言だけしか思い浮かびませんね」

 

 ケロイド男の声は極めて機嫌が良さそうだ。

 

『ご愁傷様ってやつです』

 

 ほぼ声が聞こえたのと同時。

 

 神速。

 

 本当に目に見える速さではない。

 実際に弾丸が飛んでくるような速度で刃が眼前に迫っていた。

 

 だが、勝手に反応した身体の引き抜いた日本刀が火花を散らしながらソレを防ぐ。

 

 ゴキゴキと骨が罅割れる音。

 ブチブチと筋肉が断裂する音。

 

 まったくもって、おぞましいとしか言いようの無い不協和音を響かせながら、顔と頭部が潰れた男は亡霊の如く唇の端を吊り上げる。

 

「殺す。平和はオレ達が―――」

 

「守らなくていい。それを守るのはオレ達みたいな輩の仕事じゃない。それは―――」

 

 肉体の全能力が、たった一撃の為に完璧な機能を発揮して、確かな手応えを刃に伝えた。

 

「この世界に今チートなんて無く頑張ってる奴らの特権だッ!!」

 

 相手の刃が、折れる。

 

 こちらの刃が衣服を切れはせずとも、その上から強打し、ゴヂュッと腕が折れ拉げさせ、そのままの勢いで吹き飛ぶ。

 

 しかし、同時にこっちの刀も曲がっていた。

 

 追撃を拳でと考えたのだが、刹那―――背後へと反射で身体が飛ぶ。

 

 その今まで自分のいた場所に何かが高層建築の数階部分から落ちてきていた。

 

 一気に地面が爆発し、その威力と姿に顔が引き攣る。

 

「此処にいたか。探したぞ。ラゲン」

 

 突如として急襲してきたのは……あの極めて変態性の高い妖精ルックな筋肉の化身だった。

 

「お前はッ?!」

 

「フン。どうやら仲間が迷惑を掛けたようだな。A24《エーニジュウヨン》……貴様が何を考えているのかは知らないが、どうやら貴様……有名人を随分と引き付けたようだぞ?」

 

「何?!」

 

「教団に与するのはともかく。これでしばらくは我々の出番も無いだろう」

 

「どういう事だ?」

 

「我々が次に会う事はもう無いという事だ。あの“女”に目を付けられた貴様がどうやっても生き残る事など在り得ないからな」

 

「誰の話だッ」

 

「……平和の象徴は啼くものだ。だから、啼かない鳩というのは彼女にとって正しく間逆の意味なのだろう……奴らは我々のように温くないぞ」

 

「鳴かぬ、鳩会?」

 

 こちらの声にニヤリとして。

 マスクを閉じた男がグッタリとしたラゲンを担ぎ上げる。

 

「我が名を最後に教えておこう」

 

 SF変態妖精はその身体のあちこちに筋肉を浮かび上がらせながら、獰猛に笑んだ。

 

「【妖精円卓《ブラウニー・バンド》】第三位ベリヤーエフ。覚えておけ!!」

 

 ゴッと男が一瞬で跳躍し、左右の建築物の壁面を交互に破壊しつつ、何処かへと消えていく。

 

 戦闘が終わったという感慨もそこそこに襟元から通信が入り、誘導されるままに走り出すと。

 

 辺りの通りは正しく混乱する市民とそれを正常化しようとする軍や官憲で大混乱に陥っていた。

 

 サッと外套を脱いで指定された場所まで辿り着く。

 高層建築が林立すると言っても、其処は開発中の都市。

 あちこちにその隙間。

 

 様々な理由から放置されている人気の無いデッドスポットというものがあるらしい。

 

 草木が疎らに生えた空き地にはいつもの悪い笑みな百合音が馬車を待たせて御者台に座っていた。

 

「お疲れ様でござるよ。縁殿」

「ああ、疲れたで済まない疲労が蓄積しまくりだ……」

 

「うむ。そうであろう。そうであろう。という事で某がやさ~しく運転する馬車に揺られて眠るとよい」

 

「マジでそうせざるを得ない。事件に慣れたとか思ったのは一時だったな」

 

「うむうむ。そうであろう。そうであろう。ささ、縁殿♪ この馬車は寝台付きであるから、ごゆるりと」

 

 何やら百合音の反応が胡散臭いものの、仕方ない。

 

 とりあえず。

 本当にとりあえず。

 今日の疲れを癒そうと馬車に入った。

 

 すると、座席の奥へは確かに小さな入り口があり、その先には小さな寝台がポツンと置かれていた。

 

 塩の国に行った時、フラムと使っていた馬車の簡易版のような感じだろうか。

 

 そのもう毛布と枕が緩衝材みたいにこんもりと積まれている場所の誘惑に抗えず。

 

 外套を棄ててモフリと潜り込む。

 途端、()()()()()()()()に瞼が落ち始めた。

 聴衆の前で演説した挙句の戦闘。

 

 かなり無理をした自覚はあるが、身体も心も何とか決意で支えていただけに過ぎず。

 

 緊張の糸が切れた途端に脆く崩れたのだろう。

 

「ぅ……百合音……後は……」

「任せるでござるよ。縁殿」

 

 いつの間にか。

 声がすぐ近くからした。

 カチャカチャと衣服が脱がされる音。

 しかし、それを止める思考力も気力も湧いてこない。

 

 これが何かしらの薬物の影響だという事さえ、今の自分には理解出来ない。

 

 というか。

 

 漠然とした不安感と、身体を生まれたままに曝される開放感だけが本能に訴えているような……。

 

「エニシ殿は本当に頑張ったでござるよ」

 

「うむ。だから、縁殿はもう頑張らなくても良いのでござるよ」

 

「そうそう。ほれ……某を触って、元気を出すでござるよ。こちらの♪」

 

「うむうむ。エニシ殿……此処が良いのでござろう?」

 

「?」

 

 視界も歪む。

 思考も歪む。

 

 しかし、その何もかもが肌色の世界の只中で……真っ更な自分の身体に、太腿の上に、しっとりとした二つの何かが乗って、二つの頭が胸に顔を埋めているような、気が、し―――た。

 

【かわゆいのはエニシ殿かもしれぬ】

 

【愛しい愛しい。この男《おのこ》の寝顔がかわゆくなくて何なのか】

 

【ずっとずっと……こうして重ねていたいでござるよ……っ】

 

【縁殿はお疲れであろうが、男の男はそういう時こそ慰めてやらねば、な……ん……んっ】

 

【エニシ殿……大好きでござるよ……っ】

 

【縁殿……全部、某の身体で清めて……っ】

 

【某の舌で、唇で、手で、全て……っ】

 

【ぁあ……っ……全て……っ】

 

【ずっと傍で仕えよう……っ……我が主様……っ】

 

【【某はもう縁《エニシ》殿の虜《とりこ》なのだから……っ……っっ…… 】】

 

 何故か、毛布はしっとりと夢中夢へ全てを誘う魔力に満ちて、心も身体も、何もかもを緩く蕩かせていったのだった。


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