ごパン戦争[完結]+番外編[連載中] 作:Anacletus
「ふぅむむ。ワシを見ても驚かんどころか。ありがちとか、とか……」
ズーンと途中で先程の自分の醜態を思い出したものか。
黒猫が落ち込んだ様子でガックリと項垂れた。
「しゅ、主上はこの上無く特別な身の上。エニシ殿は今まで様々な遺跡を回ってきた故にこのような反応をしているに過ぎないものと!!」
「そうか。そうか。ワシ、特別? ワシ、凄い?」
「ええ、それは勿論!!」
何やら太鼓持ちみたいな事を言い始めた百合音の励ましに枕の上で黒猫がシャキリと立ち直る。
室内の中央。
猫の砂場?的な場所でとりあえず百合音が壁際から出してきたテーブル越しに向かい合った主上とやらがムフゥと鼻息も荒く凛々しい感じに尻尾を立てた。
「エニシとやら。その胆力褒めて遣わそう」
「大人しく褒められておきます。それで、貴方が百合音の上司って事でいいんですか?」
「うむ。ちなみに主上が本名と言っていい。名前は生まれた時から付いておらん。諸々を説明すると永くなるが、公国は対外的に王が一人外へ出て、もう一人が内政を司るのが慣わしでの」
「はぁ……つまり、影武者、的な?」
「影武者? よく分からんが、外側の人間には一人に見えるよう二人の人間が力を合わせておるのよ。それで内憂外患に立ち向かっておるわけだ。超人でも無ければ、人一人が出来る事など知れておるからの」
黒猫の話は最もだ。
だが、それよりも気になるのは黒猫の喉から出る人間の声。
猫はそんな人みたいな器用な声帯を持っていないはずなのだから当然だろう。
「羅丈を束ねているのが主上と呼ばれる貴方だと?」
「うむ。その通り。あのボケ老人はこんな事になっているとは思いもすまい。カッカッカッ!!」
猫はかなり楽しそうだ。
ボケ老人が誰の事かは察しが付いたものの。
この惚けた躁鬱激しそうな黒猫が本当に羅丈みたいな組織を束ねる器なのだろうかと疑問だった。
「それでどうして百合音に此処まで連れて来させたのか訊ねても?」
「それをお前が言うのか。羅丈に喧嘩を売っておいて」
黒猫がジト目になった。
「喧嘩? ああ、この間の……」
羅丈に百合音を遣い捨てるなと警告するよう本人へ言伝した事だろう。
「部下達の中にはお前を痛い目に合わせてやろうかと憤慨している者もあったぞ? それを諌めたワシに何か言う事はあるか?」
「素直に感謝しておきますが、撤回は無しの方向で」
猫の瞳がキロッとこちらを見て、瞳孔が微妙に開く。
「ほんに百合音の言うた通りの御仁じゃな。ワシを見ても平然としとるし、この城の凄さも何となく察してるはずなのにキョロキョロせんし」
「まぁ、慣れたので」
「慣れる、か。これではワシ等のあどばんてーじとやらも無いに等しいのう」
「……ちなみにそれだけの理由で呼んだわけでも無いと思ってるんですが」
黒猫がチラリと百合音を見て、本人が頭を下げると部屋の外に声を掛けて退出した。
扉が閉まると黒猫がテーブルの上にヒョイと乗って、こちらを見上げながらウロウロする。
「百合音とはもうやったのか?」
思わず噴出した。
しかし、それを除けた主上が目の前で止まって、尻尾を揺ら揺らさせる。
明らかに黒猫のような物体から聞かれる話ではない。
「その様子ではまだのようじゃの」
「そういうのは報告されてたりするんじゃないんですか?」
「ああ、そういうところは羅丈達に任せておる。ま、何でもかんでも報告させると自主性が無くなるからのう。そういうのは秘めてこそ花と必要な時以外は知らせなくても良いと通達してある」
(そういうところは微妙に気を使ってるって事か……)
黒猫はクツクツと含み笑いで人間よりも人間臭い表情を浮かべた。
ニヤニヤと言うのが妥当な表現だろうか。
「あの子は羅丈の中でも一番若い。その上、色々と特殊じゃ。ワシとしては幸せな日々を送らせてやりたいと思っておった。だから、お主が現れてからは色々と拝見させてもらった」
「百合音に調べさせた的な?」
「その通り。あの子は才知に溢れ、冷徹に任務を遂行出来る羅丈として完成はしていた。しかし、其処に人間味が在れば尚良いとも思っていた」
「任務の為に?」
黒猫が僅かに目を見張る。
「……そういう話が分かるのか?」
「工作員に一番必要なのは二面性と人当たりの良さなんじゃないかと何となく思ったので。作り笑いだけじゃ、本当に信用させたい人間を信用させられないでしょうから」
「ああ、お主の言う通り。任務を遂行出来る事と任務を上手く運べるかどうかは別物の能力。今の百合音にはそれがある。ああ、まったく惜しい」
「惜しい?」
「……主上として、あの子を手放す事になるとはまったくもって我が身の力の至らなさを自覚すると言っておる」
「その心は?」
「お主の宣戦布告……アレが言葉通り以外でどういう意図を含ませていたのかは分からぬ。でも、真剣に羅丈内で討論されたのよ」
「それは百合音を使い潰す事が自分達にとってリスクかどうかって事ですか?」
「そこまで分かっているなら、言うまでも無いじゃろう。羅丈というのは命があるなら、代替わりは約30年毎というのが決まりなのじゃが、新しい羅丈が選出される事となった」
「百合音はお払い箱って話ですか?」
「うむ。だが、諸々知り過ぎた者を組織の外に出すわけにも行くまい? 故にお主付きとして装備と支援は与えつつ、情報収集をしてもらう事とした」
「それは遺跡にこれからも関わるかもしれないカシゲ・エニシの情報を得る耳や目としてって事で?」
頷きが返される。
「ワシに感謝せよ。百合音はこれからもお主の傍にいる。条件は一つ。遺跡に関連し見聞きした全てを報告する事。それだけじゃ」
「……何か、本当に感謝しないといけないみたいですね」
「なぁに……不死身の男が女一人の為に羅丈を潰すかもしれないと宣言してくれたせいで、諸々の予定が狂っただけじゃ」
「本来の予定とか聞いたら答えてくれます?」
「お主が公国に牙を剥くなら、殺すか。殺し続けられる状況に陥れよというのが本来命令するはずだった指令……が、お主の力は厄介に過ぎる。知らぬ合間にもはや手が付けられなくなってしもうた。教団からも便宜を図られるだけの繋がり。当人の身体能力、不死性、戦闘技能、それから遺跡の力による空からの避けられぬ死。任務の階梯で現すならば、狡知に長けた羅丈4人に死んで来いと言わねばならぬ。しかし、この国難の時期にあって、そんな余裕があると思うかえ?」
黒猫の瞳には自分がしっかりと映り込んでいた。
「………」
「お主の天運に感謝せよ。そして、あの子が羅丈の誰からも好かれていた事にも、な」
そっと頭を下げる。
「今日、お主を呼んだのは百合音を任せると伝える為じゃ」
黒猫が軽やかに跳躍し、こちらの肩の上に乗ると耳元に囁いてくる。
「殺せないなら、殺せないなりにやりようはある。あの子を泣かせるような真似をしてみよ。ワシがその身体、永劫終わるまで嬲ってくれようぞ」
その声は背筋がゾッとするというものを通り越して、命の危機すら感じさせなかった。
ただ、我が子を心配する母親のような、そんな真に迫る感情が篭っているだけで。
だからこそ、何よりも怖ろしく。
「お主が手に入れたのはこの国が培ってきた羅丈という矛の切っ先。未だ他の何者も到達し得ぬ、我らが至宝だと言う事を……心せよ」
まったく、お節介と心配性な母親に脅されたら、何を言わずとも頷くしかない。
少なくとも素直にそう出来た。
肩から黒猫が降りてテーブルに着地する。
「さて、これでワシからの話は終いじゃ。お主からは何かあるかえ?」
黒猫はケロリとしている。
今までの話が嘘のような軽い声。
しかし、確かな真剣さは今も変わらず。
その顔の裏は見るまでもないだろう。
だから、いや、そうであるからこそ、頼めるかと僅かに思考し……決断する。
此処は流れに乗ってもいいはずだと。
「もし百合音がそんなに可愛いなら、一つ頼まれ事を聞いてくれませんか?」
「何じゃ? 今なら費用五割り増しぐらいで工作くらいしてやるぞえ」
その軽口がこれからどうなるのかは分からずとも。
きっと、百合音を不幸にだけはしないだろう相手に秘密を一つ預けてみる事にする。
「実はちょっと寿命が来てるらしくて。出来れば、長生き出来そうな方法を探してくれるとありがたいんですけど」
「は?」
黒猫は面食らった様子でポカーンとしていた。
「一応、まだ戸籍の欄は開いてるので。それを埋めるのと交換で無償協力してくれたら嬉しいです」
羅丈を率いているという相手の呆然とした反応にニコリと邪悪な笑みで微笑む。
世に言う悪辣が他者の善意に浸け込む事だとするなら、今確実に自分は結婚する娘の母親に金までせびるダメ男だろうと自覚しながら。
―――数分後。
呼び戻された幼女と今後の予定を話し合って、元の場所に戻ろうと室内に頭を下げ後にしようとしたら、すぐに済むからと黒猫が百合音を引き止めたので扉の外で待つと伝えて廊下へと出る。
【……百合音】
【は、はい。主上。なんでございましょうか?】
【お主の選んだ男……ほんに厄介よな】
【な、何かエニシ殿が粗相を?】
【いや、それどころではなかったわ。このワシに要求するなぞ……死に分かれた伴侶以来よのう】
【ッッ~~~?!】
【お主の最後の任務。しかと完遂せよ……全てを賭けて……何もかもをあの伴侶殿に曝け出して、な?】
【はいッ!!】
【往くがよい。二人で立派なやや子を産むのじゃぞ】
【ッ、はぃ……】
内部の声は聞こえない。
【お主はあの男を無害に装った容赦無い羊と申していたが】
【?】
【アレは……羊の皮を被って転寝する温厚な虎じゃ。たぶん、な】
しかし、何やら自分にとって大変な事を話している気がした。
出てきた百合音が何故かジト目だったのは何故なのか。
何が分からなくても、一つだけは確かだろう。
人間の人生を一人背負う重み。
それは確かに自分の肩へ乗ったのだ。
心地良く胸に灯る決意と共に。