怖い、恐ろしい、そんな感情を覚えて逃げ出したくなったのは一体どれくらいぶりか。戦場ですらそんな感情を久しく覚えていないというのに、今俺は城の一室で震えが来るほどそんな感情に心が満たされている。
何をそんなに怖がっているのかというと、実は最近政宗様に妙な趣味が一つ出来て、料理を自ら作るようになったことが原因なのだ。料理を始めたのは、元は兵糧があまり長持ちしないのと、味がいまひとつだと言い始めて兵糧の研究をやり始めたのがきっかけなのだが、政宗様はそれをいつの間にか趣味にして自ら作ったものを人に振舞うようになった。
別に料理を振舞うことは何ら問題はないと思っている。主自らが料理を作るというのはおかしいのではないのかと思いもしたが、政宗様には政宗様なりのお考えがあるようで、きっちり考えているのだから俺が口を挟むことではないと好きにしていただいている……のだが、実はこの出される料理にかなり問題がある。
これは、政宗様がまだ料理を始めて間もないから……いや、それなりに時間は経っているが、政宗様の手料理がとんでもなく不味いのだ。デカイ声じゃ言えねぇんだが。
そもそも出だしがおかしかった。政宗様が初めて作った料理は粥、こんなもんは水を多めに入れて炊けば良いだけのものだし、生米からでなくとも冷や飯を鍋にぶち込んで水を入れて煮ればそれでも完成するような料理だ。いや、料理というのもどうなのかという代物なのに、政宗様ときたら粥に妙な“あれんじ”という奴を加えて、とんでもねぇ料理を編み出しやがった。いや、アレはもう料理とは言えねぇ、新種の毒薬だと言って差し支えない。
一体何をどうすればこんなになったんだ、と思うほどに真っ黒く仕上がった粥は、焦げた苦味の他に強烈な甘味や酸味、辛味などが調和せずに自己主張を繰り広げていて、一口食っただけで胸焼けがするという恐ろしい料理だった。どんな料理が出てきても俺は食う、と覚悟を決めていたんだが、まさかそんな料理を出されるとは思ってもおらず、初めて作ったもんだから失敗しちまった、なんて御幼少の頃に良く見せていたはにかんだような笑顔で言われてしまったら、俺はもう食うしかない。これは俺の忠義が試されているんだ、と考えて頑張って食らったもんだが、そんなものを食って無事でいられるはずもなく、それを食った次の日から七日ばかり、きっちり寝込んでしまった。
これで少しは懲りてくれるか、そう思っていたんだが、政宗様は懲りない。俺が寝込んだことよりも、全て必死に平らげたことに喜びを感じたようで、というか俺が寝込んだ原因がそこにあるとは思っておらず、また作ってやると張り切ってしまったのが運の尽き、不味いからもういいです、などと口が裂けても言えないものだから無理して食うしかない。この方は手放しで褒められることをあまり快く思わないから、求められた料理の感想も上手く褒めつつ悪い点を言わなければならないから厄介なもので、こんな不味いもの食えるか、と堂々と言えれば良いのに、と思うがそれは仕える身の悲しさ、耐えなければならないことが少しばかり苦しく思っている。
震えが来るほどに恐ろしいと思っているのは、先程から漂ってくる臭いが甘くて苦くて酸っぱくて、止めにしょっぱそうなまるで調和のとれないものであるからに他ならない。臭いですらこうなら味は想像を絶するようなものであるのは……考えたくも無いが予想がつく。
「……どうする、どうするんだ、俺」
今なら逃げられる。こんな臭いが漂っているようなものを本気で食うのか、俺は。この際緊急事態でも起こってくれりゃいいのに。今日ばかりなら松永の野郎が六爪を奪いに城へ攻めて来ても俺は許す。真田が雌雄を決すると言って来てくれても構わねぇ。寧ろ来い。今すぐ来い。あの料理とは到底呼べねぇ代物を食わされる前に誰でもいいから俺を助けてくれ。
だが、こういう時に限って誰も現れねぇもので、余計な時にばっかり来やがって、と苛立ちを覚えるのは言うまでも無い。もうこの際助けに来てくれなくてもいい、道連れになる輩が欲しい。伊達の連中は政宗様の手料理を食べることを恐れて、最近じゃ上手い理由を作って逃げやがる。しかも俺を引き合いに出して、小十郎様が俺らが食べると良い顔しないんすよ、なんて馬鹿なことを言ってくれるもんだから、俺が集中的に政宗様の接待を受けなければならず、政宗様が台所に立たれる度に死ぬような思いをして過ごしている。
これが嫌がらせのつもりならば俺もまだ怒ることが出来る。が、政宗様は俺を労ってくれているつもりだからどうすることも出来ねぇ。善意でやって下さっていることを、どうして咎められようか。
段々と臭いが濃くなってくる。この臭いだけで気分が悪くなってくるのだが、作っている本人はどうなのだろうか。案外匂いのきついもんでも作っていると途中で分からなくなるもんだが、政宗様もすっかり耐性がついてしまった、ということなのだろうか。いや、それ以前に政宗様は味見をきちんとなさっているのだろうか。料理を始めて大分経つが、それこそ見目は良くなったが味は酷くなる一方だ。きちんと味見をしていれば毒にはならないはずだと思うのだが……。
いやいや、今はそんな疑問よりもいかにこの場を潜り抜けるかが大事だろうが。何を作っているのか知らねぇが、俺はアレを食えるのか? 正直に言えば食える自信がねぇ。慣れてきたせいか、政宗様の手料理を食べて寝込むことは無くなったが、それでも食った後七日は最低でも胃がもたれてならねぇ。
……逃げるか、逃げちまうか。後で咎めを受けるのを覚悟で。
いや、待て。待つんだ、俺。お前は一体何なんだ? お前は竜の右目だろうが。竜の右目ってのは政宗様の御側に寄り添い、その背を守るのが役目だ。そんな俺を労おうとして料理を作って下さっている。ここで逃げるのは政宗様の御心遣いを全て無碍にすることになるじゃねぇか。いいのか、いいのか俺。
いいか、よく考えろ。これは俺の忠義が試されている。政宗様がどんな料理を作ったって良いじゃねぇか。良いじゃねぇか、なぁ、俺。全てそれは俺の為にして下さってるんだ、これ以上の褒美があるか? ねぇだろうが。主が自ら作った料理を食えるんだ、これほど幸せなことはねぇだろ。
「小十郎、待たせたな」
考えに没頭していた俺は、政宗様がいらしたことに全く気付いていなかった。部屋の戸を開けた瞬間に強烈なまでに漂うその臭気に一瞬意識を持っていかれそうになる。が、それは俺も武人の端くれ、卒倒しないように必死に耐えたもんだ。……まぁ、ここでぶっ倒れちまった方が良かったような気はしなくもないが。
「ま……政宗様、今日は、な、何を御作りになられたのです……かな?」
喋る度に俺の身体の中に入ってくる臭いが気持ち悪い。引き攣った笑顔で必死に言葉を紡げば、政宗様は笑って俺の前に料理を置いてくる。
首を切った鶏の羽を毟り、腹の中の臓物を軒並み取り出して代わりに野菜を詰め込んで蒸し焼きにしたらしい。何でもこれは南蛮の料理なのだとか。日ノ本にはない独創的な料理だとは思うが、想像していたよりも案外まともだ。見目は良いし、美味そうだ。が、この異様な臭いで全てを台無しどころか人を死に至らしめるのではないか、という危機感さえ与えている。鶏に謝れ、野菜にも謝れ、そう叫びたくて堪らねぇ。
「ちぃと味付けが変かもしれねぇが、小十郎食え」
「は、はい。で、では……有難く……」
皿に取り分けられたそれを箸で取るが、なかなか口元へと運べない。この異様な臭いから察して味はとんでもねぇことになってるんだろう。本当にコレを食うのか、食わなきゃならねぇのか。
テメェは竜の右目だろう。政宗様の労いを無駄にするってのか? 何があっても政宗様の御側に仕えお守りすると決めたじゃねぇか。その褒美を下さってるんだ。仮に出されたものが泥団子であっても俺は食う。いや、泥団子の方がまだマシ……じゃなくて、食え。食うんだ、片倉小十郎!
意を決して一口入れた瞬間、何故か花畑と小川が見えた。ガキの頃に死んだはずの親父とお袋がいて、川の対岸で手招きをしている。ああ、そっちに行かなけりゃ、なんて思ったところで政宗様の声が聞こえてはっとする。
「小十郎!? おい、大丈夫か!?」
ぱっと目を覚ませば、いつの間にか俺は横倒しに倒れていて、手に持っていた小皿と箸を畳の上に落として豪快にぶちまけていた。口の中には毒の塊みてぇなのが残っていて、飲み込めずに残っている。
……これは、食わなきゃと思ったが食えるものじゃねぇ。味が表現出来ないどころかとんでもねぇ有様になってやがる。
申し訳ないと思いつつ口に入れていたものを紙に吐き出して、政宗様に自分が作った料理を食べてみるようにと促した。訝しがりながらも口に入れた途端、やはり政宗様も俺と同じくそのまま意識を失って倒れてしまった。
自分で作ったもの食って倒れるって……やはり味見なんかしてねぇってことじゃねぇか。
「政宗様! まだ、三途の川を渡るのは早うございますぞ!」
政宗様の身体を揺すれば、はっとして政宗様が飛び起きる。そして同様に口に入ったままのそれを吐き出して、気分が悪そうに口元を押さえて溜息を吐いていた。
「……Sorry、俺はこんなもんをお前に食わそうとしてたんだな」
……やっと気付いてくれたか。もっと早くこうしてりゃ良かったような気がしてならねぇ。
「Shit! 一口口に入れた瞬間三途の川が見えやがったぜ……死んだ親父が手招きしてやがった」
「……小十郎も、幼い頃に亡くした両親が手招きしておりました」
「……そうか、他の連中が逃げるのはこういうわけか。少しは労ってやろうと思ってたってのに……」
完全に落ち込んだ政宗様が少しばかり哀れに思えてしまう。悪戯でやっていたわけじゃなくて、喜ばせようとしてやってくれたのが分かっているからこそ、俺も怒らずにいたのだ。
「政宗様、きちんと味見をしておられますか?」
「途中までは味を見て作ってた」
……その途中からおかしくなるわけか。一応、味見はしてるってことだな。途中までは。最後までやれと言いてぇが、そこは堪えておく。
「政宗様、まずは手本通りに『普通に』料理を作ってみてはいかがでしょうか。どんな高名な料理人であっても、始めは先人達の作り上げた技術から学ぶものです。政宗様の六爪流にしても、まずは基本的な剣の使い方を学んだ上で作り上げたものにございましょう。何の下地も無く作り上げたわけではございますまい」
「なるほど、アレンジをする前に基礎を学べ、そういうことか」
「はい。御許しいただけるのであれば、この小十郎、政宗様に料理の基本を御教え致しますが」
俺の申し出に、政宗様は少しばかりばつが悪そうな顔をして笑っていた。
もうあの手の料理とも呼べねぇ料理を食わせられるのは御免だ。これ以上酷くなられりゃ、臭いだけで逝っちまう。振舞われる身としては、もう限界だ。何が何でも政宗様の料理の腕を向上させてやる。そう心に誓った。
結局こうして政宗様に料理を御教えする事になり、最初のうちは矢鱈に調味料を入れたがったものだが、段々と政宗様の妙な味付けも改善されて僅か一月余りで俺よりも上手く料理を作るようになってしまった。こんなに上達が早いってんなら、もっと早く教えてやれば良かったと思う。まぁ、俺に頼らず自力でどうにかしかったみてぇだから、何も言わなかったってのもあるんだが、今思えばとんだ間違いだったがなぁ。
「小十郎、お前は部屋で待っていろ。俺がもてなしてやる」
「はっ、心待ちにしております」
味付けさえきちんと出来りゃ、見目が良いから十分に食える。見目は良いということは、つまりは焼き加減だの包丁の使い方だのを心得ている、ってことだ。味付けが悪いだけで政宗様の料理の腕自体は決して悪くはねぇ。興味のあることはとことん集中してやる御方だ、この分なら下手な料理人よりも上手く作れるようになっちまうだろう。
部屋で一人待っていると、美味そうな匂いが部屋の中にまで入ってくる。他の連中が羨ましそうに見ているが、おめぇらには絶対に食わせねぇ。俺を盾にして逃げやがったんだ、政宗様の美味い料理を食わせるなんざ勿体無くて出来やしねぇ。
「小十郎、出来たぞ」
政宗様が運んできた料理を見て、はしたなくも小さく腹が鳴る。最初の頃は毒を盛られているとしか思えなかったこの政宗様のもてなしが、今ではすっかり俺の楽しみの一つになっていた。