ハイスクールD×D 魔械留学のジャークサタン 作:トアルトーリスガリ
一誠は驚きに固まっていた。
漫画やアニメ、ゲームなどでしか見たことがないような魔法陣が突然現れ、それが光ったかと思えば、目に映る光景が一変していたのだ。場所そのものは、何処かの家の庭らしい。子どもの目にもそれ程大きく見えない平建ての家の、小さな庭だ。どうやら森の中に建っているらしく、塀の代わりに無数の木立が周囲を覆っている。まるで、人の目から隠れているような家だった。一瞬でそんな見たことのない場所へと移動するという、俗にワープやテレポートと呼ばれる現象を、現実に体感したのである。
しかし、一誠が驚いている理由はそんなことではない。それは、すぐ傍に驚くしかない程の可愛い女の子がいるからだった。
「あ、貴方……誰?」
突然現れた自分に怯えているのか、戸惑った様子で少女が問い掛けてくる。そのことに、またしても少し驚いてしまった。我ながら馬鹿げた話だが、少女の美しさに相手が自分と同じ現実の存在だと認識できていなかったらしい。
「あ、えと、俺はイッセー、一誠っていうんだ」
唐突に絶世の美少女と遭遇したこと、そしてその少女を怖がらせてしまったことに混乱しながら、一誠はどもった声で名を名乗る。混乱のためか、苗字を言い忘れてしまったが。
一方で、少女の方は相変わらず恐怖が混じった風に一誠のことを見てくる。突然目の前に知らない相手がワープしてきたら、当たり前の反応なのだろう。しかし、一誠としては女の子、それも最高クラスの美少女を怖がらせてしまっている状況は不本意も甚だしい。一誠は焦ってなんとか少女に安心してもらうために何か言おうとする。
「小僧、貴様何者だ?」
しかし、開きかけた口は、剣呑な男の声に阻まれた。今更ながら、一誠はその場にいるのが自分と目の前の2人だけではないことに気が付く。ぎょっとして声の方に目を向けると、一誠は息をのんだ。見るからに危険な男たちがいたのだ。刀に棍棒、正式名称を一誠は知らないが地蔵の持っているような杖等で武装した、着物姿の男が合計9人、こちらを睨みつけている。
大して大きくない、むしろ手狭と言っていい庭に子どもを含めて12人もいる状況は、いざ気付けば凄まじい圧迫感を覚える。否、それは人数だけの問題ではないだろう。男たちが放っている、明らかに暴力的な気配が、圧し潰されそうな程の緊張感を生み出しているのだ。
「! えと、イッセー君、でいいんだよねっ!?」
「え? あ、うん!」
我知らず1歩後ずさると、そこで焦りのこもった少女の声が届く。
「なら、早く逃げて! 今すぐ、ここから!」
恐怖と焦り、そして自分への心配の色が見えるかのように浮かんだ、少女の言葉。それを聞き、一誠は理解する。彼女が怯えていた理由は、突然現れた自分ではなくあの男たちなのだ。
「なんだよ、お前ら!」
それが解ると、一誠は下がった足を逆に踏み出し、少女たちを庇うように2人の前で両腕を広げる。何故自分はここに来てしまったのか、少女は誰なのか、この男たちは何者なのか、全く状況は解らないが、大の男がよってたかってこんな可愛い女の子と綺麗な女の人に武器を向けている状況なんて見過ごせない。ましてや、こんな状況で自分のことよりも一誠のことを心配してくれるようないい子を、怯えさせたままにはできない。
「魔法陣を使って現れたが、悪魔ではないな? 魔法使いでもないようだが」
「もしや、魔法や魔術に関わる
「それが暴発を起こした、といったところか」
一方、男たちの方は一誠に警戒の視線を向けながら何事か話している。どうやら自分が突然現れた理由を考察しているらしいが、言っている言葉の意味は理解できなかった。
「まあいい。そこをどけ、小僧」
「!? 君、逃げなさい! 早く!」
男たちの1人が高圧的な態度で一誠に命令し、少女を抱く女性が危機感に満ちた声で叫ぶ。男の持つ日本刀に思わず顔が強張るが、一誠は腹に力を込めて下がりそうになる足を、逃げだしそうになる足を踏み留めた。
「いやだ!」
震える身体を叱咤して、2人の言葉に言い返す。恐くなんかない、と自分に言い聞かせながら、男の方を見返した。
「ふんっ!」
「がっ!?」
しかし、勇気を奮ったその行為に対する返答は、頬に走った激痛だった。刀の柄頭で横面を殴られ、庭周りの木立に叩きつけられる。背中から硬い木の幹にぶつかり、肺から空気が弾き出された。身体がバラバラになるような痛みが脳天を貫き、視界が激しく明滅する。
「イッセー君!?」
周りのことに気にする余裕もないままうずくまっていると、少女の悲痛な声が耳に届いた。痛む体に鞭打って顔を上げると、女の子が涙を浮かべた瞳で自分を見つめていた。
――俺のこと、心配してくれてるんだ……
こんな時だというのに、口許が緩む。自分が傷つけられたことに、少女が悲しんでくれたことが嬉しかった。考えてみれば、同年代の子どもの中で自分を気遣ってくれるくれる相手なんて、イリナくらいしかいなかった。それなのに、今会ったばかりの美少女が自分の傷を気に掛けてくれている。男として、喜ばずにはいられなかった。
――でも……心配させてばかりは、いられないよな!
あんな可愛さだけでなく優しさも持ってる女の子を不安にさせたままでは、男が廃る。大丈夫だ、と言ってあげようとした、その瞬間だった。
「ぶぁっ!?」
男の爪先が、一誠の
「いやぁっ!」
魔法陣と共に突然現れ、自分たちを庇ってくれた男の子が傷つけられることに、朱乃は悲鳴を上げた。一誠と名乗ったその少年を、刺客の1人が弄ぶように痛めつけ始める。
「な、何をするのです! その子は関係ないでしょう!」
「この小僧は明らかに異能の力で現れた。それがどういうものか定かでない以上、不確定要素は極力排除するべきだろう?」
糾弾するような母の叫びに、
「
最早母を呼び捨てにして居丈高に命じてくる男に、母は叫び返した。
「何度言われようと、お断りします! この
言葉と共に、母が自分を強く抱きしめてくれる。痛い程に力のこめられたその腕から、そして大切だと言ってくれたその言葉から母の想いが伝わり、朱乃は目頭を熱くさせた。
「どうやら、完全に心を穢されてしまったらしいな。致し方あるまい」
しかし、呆れた風な溜息とともに強まる刺客たちの殺意の視線に、朱乃は怖気立つ。
「ダメ、ダメよ母様! それじゃ、母様まで殺されちゃう!」
自分を庇い、母が死ぬ。そんな恐ろしい未来はとても耐えられない。必死の想いで母に叫ぶが、その母は笑みを浮かべながら首を横に振った。
「大丈夫よ、朱乃。貴女だけは、絶対助けて見せるから」
その表情と言葉に、子どもながら朱乃は理解する。母は死を覚悟しているのだ。己の命を賭して、朱乃を逃がそうとしているのだと。
「嫌! 助かるなら、母様も一緒じゃなきゃ嫌!」
「朱乃! わがままを言っている時じゃないわ!」
「言うわ! 言うわよ! だって、今言わなかったら、何時言える時があるの!?」
「朱乃! お願い、母様を困らせないで!」
言い合う朱乃達に、錫杖の男は冷徹に言った。
「親子喧嘩なら、黄泉路ですることだな」
言葉と共に振り上げられた錫杖が――
「ふんっ!」
男の方へ飛んできた何かに対し振るわれた。その一撃でその何かは真っ二つに断たれ、地面に叩き落される。それは、子供用の靴だった。思わず飛んできた方に目を向ければ、ボロボロになった一誠が地に倒れながらも何かを投げたような体勢で荒い息を吐いている。それを見た錫杖の男の眼が、冷たさを増した。
「……油断のし過ぎだな」
「も、申し訳ございません! このクソガキがっ!」
一誠を痛めつけていた男が、一誠の頭を踏みつけた。それから一誠の胸ぐらを掴んで持ち上げると、顔面を思い切り殴りつけた。
その痛みはどれほどのものだったのか、数メートル殴り飛ばされた一誠は鼻を抑えて体を丸める。
「や、やめて! もう逃げて!」
自分のために、関係のない一誠まで傷つく必要はない。そう思っての叫びに、一誠の方からも
「き、君、こそ……早く、逃げろ!」
思いもよらぬ言葉だった。一瞬呆気に取られるが、すぐに言い返す。
「何言ってるの!? イッセー君は関係ないでしょ、早く逃げてよ!」
「関係、なくても、俺は、男だっ!」
叫び返しながら、一誠は起き上がろうとしていた。その姿は、完全に
ぼろぼろという表現でさえ足りなく思える程、痛々しい姿。体を起こしていくその様子も、見るからに弱々しい。それにも関わらず、一誠は立ち上がった。膝は震え、息も絶え絶えで眼には涙を浮かべているのに、泣き言を口にすることもなく再び叫ぶ。
「男が、君みたいな、可愛い子を……」
言葉を発することさえ辛いのだろう、途切れ途切れに、けれど何故か力強さを感じる声で、一誠はつづけた。
「それも、自分だって、危ない目に、合ってるのに……名前しか、知らない、俺のこと、心配、してくれるような、優しい、女の子を、放って、逃げられるわけ、ないだろ!」
一誠の言葉は、朱乃の胸に大きく響く。あんな傷だらけ、泥だらけの姿になったというのに、一誠はまだ自分を守ろうとしてくれているのだ。黒い天使の血を引く者として、両親以外の親族からは忌み嫌われてきた自分のことを。
その事実に、朱乃は母が自分を大切な娘だと言ってくれた時と同じくらいに胸が温かくなるのを感じた。父と母以外に、自分のことを本気で守ろうとしてくれる人がいる。そのことに喜びを抑えられなかった。
「莫迦なガキだ。ならば、逃げずに死ぬことだ」
しかし、刺客の言葉に歓喜は戦慄へと変わる。
「いつまでも遊んでいるなよ。邪魔者が入らぬように結界を張ったこの場へ転移してきたのだ。正体は知らんが、潜在している異能の力はかなりのものと見ていい。暴発や覚醒などされても面倒だ」
「はっ、それでは、そろそろ始末します」
錫杖の男と刀を持った男の会話に、朱乃は絶望する。初めて両親以外に心を許せそうな相手と会えたのに、その相手が自分を守ったばかりに殺されようとしているのだから。
――私の、私のせいなの……?
冷たい涙が頬を濡らした。絶望が滴となって、止め処なく流れ始める。
――私のせいで、色んな人が不幸になるの……?
自分のせいで、母だけでなく無関係のはずの一誠さえも命を落とそうとしているのだ。否、その2人だけではない。刺客たちは言った。自分は姫島の汚点だと。つまり、自分という存在はそれだけで姫島家の親族に多大な不利益を与える害悪なのだ。
――私がいなければ、誰も傷つかないで済むの……?
胸の中で、何かが暗い淵に落ちていくのを感じる。心が、酷く空虚になっていくのを感じる。
――そうだ……私なんて、いない方がいいんだ……
虚ろになった思考は、そんな結論を導き出した。考えれば、すぐ解ることだったのだ。自分を守ろうとして母やイッセーが傷つけられるのなら、自分がいることで姫島家に迷惑が掛かるのなら、自分がいなければいい。そんなことにも今まで気が付かなかった愚かな自分は、やはり存在する必要のないものなのだ。悲嘆で暗く染め上げられた胸の内では、そうとしか思うことができなかった。
もしも、危険に遭っているのが朱乃と朱璃だけであれば、あるいはそれを父のせいにできたかもしれない。そう思うことで、朱乃は自分の心を守れたかもしれない。この世界の元となった物語の歴史でそうだったように。
しかし、この場には一誠もいた。堕天使とは全く関係がない一誠は、ただ朱乃のことを死なせたくないからと、完全に朱乃のために頑張っている。それは言い換えれば、一誠が酷い目に遭っているのは朱乃のせいだ、ということだった。そして、そのことに思い至らずにいられるには、朱乃は幼いながらに聡明すぎた。皮肉にも、朱乃の存在を肯定してくれる人物が両親以外にもいるという希望が、その者が傷つけられることで逆に絶望へと繋がったのだ。
「やめてっ! 私が、私が死ねばいいんでしょうっ!」
「朱乃っ!?」
母が驚いたような、あるいは責めるような声で叫ぶが、朱乃は構わず言葉を続けた。
「なら、私を殺していいから! もう母様とイッセー君には手を出さないでぇっ!」
正しく必死の思いで叫び、母の腕から乱暴に抜け出る。そして母を庇うように前に立ち、錫杖の男を睨みつけた。
「私の命が欲しいならあげます! だから、もう2人には手を出さないでください!」
朱乃がそう言い放てば、一誠に刀を向けていた男が刃をゆっくり下げる。一方、一誠は驚きに目を見開いてこちらを見てきた。
「なに、莫迦なこと、言ってるんだよ……! 殺されて、いいなんて……そんなこと、あるわけないだろ!」
「そうよ! 早く逃げなさい!」
「其方は黙っていてもらおうか、朱璃よ」
一誠に続いて母の叫びが背後から届くが、その次の瞬間錫杖の男が玉のようなものを投げる。すると、それは空中で細長い形に解け、瞬きもできない程の速さで朱乃の背後へと伸びた。
「ぅぐっ!?」
「母様!?」
苦し気な母の声に、急ぎ振り替える。そうすると、無数の
「せっかく忌み子の方が覚悟を決めてくれたのだ。母として、娘の覚悟を黙って見届けてやってはどうかな?」
倒れた母を見下ろしながら、錫杖の男が嫌見たらしい口調で言う。そんな男を母は見たことがないほど鋭い目で睨み返した。
「ふざけないで! この子には絶対に手出しは」
「黙っていてもらう、と言ったろう?
男が短く
「やめて! 母様に酷いことしないで!」
「解っているとも。お前さえ素直に消えてくれるならば、異形の者にたぶらかされたあばずれなどいつまでも相手はせん」
母を侮辱する言葉に、唇を噛む。幾ら朱乃が言い返したところで、この男たちは言を翻しはしないだろう。それが堪らなく悔しい。母の名誉を守れず、母のことも一誠のことも、この男たちの言いなりになることでしか守れないことが、口惜しくてならない。
「ふん。邪悪な血を引く割には、賢明な判断だ。どの道、貴様が生きている限り貴様の首は狙われ続ける。ならば、いっそ早い内に楽になる方が利口というものよ」
言いながら、男の錫杖が高々と振り上げられた。その先端に、強力な異能の力が集中していくのが解る。自らもまた異能の力を行使するが故に、その威力の高さを嫌でも思い知らされた。同時に、自分では到底太刀打ちできる相手ではないということも。
その事実に、今更ながら顔から血の気が引いていった。自分がこれから死ぬという事実が、それまで以上の現実感とともに押し寄せてくる。
「うおおおおぉぉぉぉっ」
歯の根が噛み合わなくなる程の恐怖が胸の内で暴れる中、獣のような雄叫びが轟いた。一誠だ。傍目には立っているのがやっとのような状態だというのに、凄まじい勢いで錫杖の男へと突進してくる。
「ふんっ!」
「ぐぁっ!」
しかし、それも無駄に終わった。すぐに刺客の1人が一誠を蹴りつけ、それだけで一誠の小さな体は地に沈む。
「イッセー君!」
「ぐっ、くそっ」
蹴りもさることながら、それまで受けた傷が痛くてたまらないのだろう。顔をしかめながら、それでも一誠は立ち上がろうとしていた。その背中を、刀を持つ男が踏みつける。
「いい加減にしろ、クソガキが。関係もないくせに、余計な邪魔しやがって」
苛立たし気に言いながら圧力を強める男を、一誠は首を巡らして睨みつけた。その瞳には、未だ抵抗の気概が見て取れる。これだけ痛めつけられていて尚も、一誠はまだ諦めていないのだ。
それを、朱乃は素直にすごいと思った。見た目は、とても格好いいとは言えないだろう。全身傷だらけで泥にまみれ、地面に這いつくばって踏みつけられている。正直に言って、無様としか評せない姿だ。
しかし、それなのに朱乃にはその一誠の姿が輝いて見えた。無力な抵抗を続けるみっともない有様だというのに、心が揺さぶられて仕方なかった。絶望的な状況下だというのに、体中無事な個所を見つける方が難しい程傷ついているというのに、諦めることなく逆境へと立ち向かい続ける。その在り方が、朱乃にはとても尊く思えたのだ。
同時に、思う。一誠を、こんなところで死なせるわけにはいかないと。
「もういい……もういいよ、イッセー君」
「え……?」
一誠は、こんなところで死んでいい人間ではない。こんなにも誰かのために一所懸命頑張ることができる優しい少年を、死なせていいはずがない。その想いが、朱乃に最後の覚悟を決めさせた。
「私が死ねば、もう誰も傷つかないで済むの。だから、もういいよ」
「な、なに、言ってるんだよっ!」
怒ったような声で、一誠が朱乃に叫んでくる。
「君が死ねば、誰も傷つかないなんて、そんなことあるわけないだろ!」
「ううん、そんなことあるの。私は、いちゃいけない子なの」
一誠の言葉に、首を振って答える。
「私がいるせいで、母様は家に帰れなくなっちゃったの。それどころか、今もこうやって危険な目にあっている。母様の家の人たちも、私のせいですごく迷惑している」
自分の言葉が胸に痛い。自分という存在がどれだけ多くの人々の害となっているか、改めて思い知らされる。
「だから、私がいなくなれば、色んな事が解決するの」
そう。自分さえ命を差し出せば、大勢の人が救われるはずだ。母はもう危険に晒されることはないし、一誠も無事に帰れる。それなら、ためらう必要なんてない。
「ふざけんなっ!」
しかし、一誠はそれを真っ向から否定してきた。ともすると、刺客たちに向ける以上の怒りを以って朱乃を見据えてくる。
「死ねば、誰も傷つかない? 解決する? それじゃあ、その女の人はどうなるんだよ!」
「だから、私が死ねば母様は無事」
「君が死んだら、君を守りたかったその人は心がすごく傷つくぞ!」
反論の言葉は、一誠の力強い叫びに掻き消された。それに留まらず、一誠の言葉は続く。
「それに、俺だって! 君みたいないい子が死ぬのなんて、すごく悲しい! だから、君が死んだら、傷つく人はいるんだ!」
これで何度目だろうか、またも朱乃は一誠に胸を打たれた。
――怒られて嬉しいなんて、初めて……
一誠は、間違いなく本気の怒りを朱乃にぶつけている。それなのに、朱乃は胸が高鳴るのを感じた。自分が死を選んだことを怒ってくれたことが、自分が死んだら悲しいと言ってくれていることが、堪らなく嬉しかったから。
――だけど……
朱乃は錫杖の男に目を戻す。情けのつもりなのか、一誠と話している間に男は動かなかったが、その眼は油断なく朱乃を見据えていた。今更朱乃が逃げようとしても、逃がしてはくれまい。
――だけど、やっぱり駄目だよ……
両目に涙が浮かぶ。母と一誠があれ程自分を守ろうとしてくれたのに、朱乃は刺客の手から逃れられそうにない。それが2人への裏切りに思え、胸が締めつけられるように痛んだ。
「ごめんなさい……」
知らず知らずのうちに、口が開いていた。
「ごめんなさい、母様……」
いつの間にか零れていた涙と共に溢れ出てくるのは、謝罪の言葉。
「ごめんなさい、父様……」
申し訳なくてならない、その想いが自ずと口をついて出続ける。自分を大切な娘だと言ってくれた母へ。自分がいなくなれば、きっと寂しく思ってくれる父へ。
「ごめんなさい、イッセー君……」
そして、名前すら知らない自分のことを命懸けで守ろうとしてくれた、一誠へ。
「謝らなくていい! だから、早く逃げろ!」
その一誠は、背中を踏む男の足から抜け出そうともがいている。しかし、やはり体力の限界なのだろう。その動きはいかにも弱々しい。
それでも諦めない一誠の姿に、朱乃はまた涙を零した。
「もっと早く、イッセー君と会っていたかったな……」
――そうすればきっと、お友達になれたかな……
諦めたような少女の呟きに、一誠もまた涙を零した。何故あんな可愛い女の子が、それも見ず知らずの自分のためにも泣いてくれたような優しい女の子が泣かないといけないのか。
無性に苛立たしく、そして悔しかった。あんな少女が自分の命を諦めなければいけないことが。そして、それを助けることができない自分自身が。
「くそぉぉ!」
必死の想いでもがくが、特別に鍛えているわけでもない9歳の子どもの力では大の男の体重から逃れることはできない。一誠の抵抗も虚しく、背中にかかる圧力がさらに増してきた。
「いい加減に諦めろ。力のないものが何をやったところで無駄なことくらい、いくらガキでも解るだろう?」
「ぅぅ……うるさいっ俺は、俺は……!」
「ちっ、なら教えてやる。弱い奴があがいたって、見苦しいだけだってな!」
言葉と共に、男は思い切り踏みつけてきた。その衝撃に、肺から空気が蹴りだされる。
――そうだ、俺は弱い……
しかし、頭を占めるのは痛みよりも悔しさだ。
――俺が強ければ、あの子が泣くことなんてなかったのに……!
あの子を泣かせるこの男たちが許せない。そして、その許せない男たちのいいようにさせている自分はそれ以上に許せない。
――力が欲しい……!
拳に爪が食い込む。最早身体は限界だというのに、怒りのまま握られた手は血を流す程の力が籠められた。
――こいつらを追い払える力が……
しかし、どれだけ怒ろうと、動けない一誠にできることはない。
――あの子を守れる力が……
できることは唯一つ。己の願いを、心で叫ぶことのみ。
――あの子を笑顔にできる力が、欲しい!
<それほど力が欲しいのですか?>
「!?」
その時、その叫びに応える者がいた。
驚きに目を開く。そして目に映ったものに、一誠は困惑した。何もないのだ。黒い空間が、目の前に広がっている。
「な、なんだこれ!? どこだよ、ここ!?」
気がつけば、自分は既に立ち上がっていた。訳が分からず、周囲を見回す。
「あの女の子は!? あいつらは何処行ったんだ!?」
「落ち着きなさい」
混乱がピークに達しようという中で、先程と同じ声が聞こえてきた。
「だ、誰だ!?」
「ろ、ロボット?」
現れた姿は、明らかに人間ではなかった。金属的な光沢を放つ青を基調とした体、パイプの伸びる自動車か何かのエンジンに似た胸部に、やはりパイプ付きでコードも生えているだけでなく右目がメーターになった顔面、腰辺りに黄色いボルトで留められた金属製の赤いマント。正にロボットとしか言いようのない機械でできた人型の存在がそこにあった。
眼を瞬かせている一誠を他所に、謎のロボットは言葉を発する。
「私の名はエンジン王。この地球から数千億光年離れた宇宙の、機械化帝国で生まれた機械人」
「う、宇宙人、てことか? それじゃあ、ここは?」
「お前が見ているものは、現実の光景ではありません。お前の脳へ直接対話している結果、こういう状況にいるものとして認識しているのです」
「の、脳に直接って……一体なんで」
「それは、私がお前の中に宿っているからです」
「はあっ!?」
思わず抗議のような叫びをあげた。ただでさえ理解が追い付いていないところに寝耳に水なことを言われ、叫ばずにはいられない。
「今は私のことはいいでしょう。それよりも、あの少女の件の方が急を要するのではないですか?」
「っ! そうだ、あの子を助けないと」
「何故です?」
焦る一誠に、エンジン王と名乗ったロボットの宇宙人は問い掛けてくる。
「お前にとって、あの少女はなんの関わりもない人間でしょう。何故助けようとするのです」
「それは……確かに関係ないけど! あの子は、見ず知らずの俺のこと心配してくれたんだ!」
「それはお互い様でしょう。お前は縁もゆかりもないあの少女を助けるため、手酷く傷つけられた。それ以上、無関係の人間のために尽力する必要があるのですか? ましてや、お前の力では到底解決には及ばないことも理解しているでしょう」
エンジン王の言うことは正論だった。自分とあの少女は赤の他人。ぼろぼろになってまで助ける義理はない。まして、一誠にはどう頑張っても彼女を助けることはできない。
「そんなこと解ってるよ!」
そして、それは言われるまでもなく一誠自身が承知していることだ。自分が弱いことも、自分にはあの女の子を助ける必要はないことも。
「だけど」
そう、確かに助ける必要はない。
「だけど俺はまだ、あの子の名前も知らないんだ!」
しかし、それは助ける理由がないということではない。
「今関係がなくたって、俺はあの子が誰なのかを知りたい! できるなら、仲良くなって、友達になりたい!」
あんな女の子には初めて会った。何の関わりもない自分が傷つけられて、泣いてくれた子は。自分ともっと早く会っていたかったなんて言ってくれた子は。
幼稚園の頃の親友だった男友達のイリナ以外に、自分のことを心配してくれる相手は同世代にいなかった。それが異性となれば尚更だ。それが、一誠には新鮮な喜びだった。そして、その喜びはあの少女のことをもっと知りたいという思いに繋がった。彼女ともっと親しくなりたいという願いに繋がった。
あれ程可憐で、優しい女の子と仲良くなれたら、どれだけ幸せなことだろう。あの子の名前を呼ぶことができたら、どれだけ心が満たされるだろう。想像するだけで、胸が躍りそうだ。
「それに、何より……」
一誠は思い出す。つい先ほどの出会い、そこから見てきた、あの女の子の表情を。
「俺は、あの女の子の笑ったところが見たい!」
男たちに怯えた顔を見た。一誠が傷つけられて泣いた顔を見た。母親――姉だと思ったが、母様と呼んでいたので母だったらしい――を悪く言われ怒った顔を見た。自分がもう助からないと、諦めた顔を見た。
そのどれもが哀しい表情ばかりで、明るい顔は1度も見ていない。
「あんな可愛い女の子が、楽しそうに笑ったりできないなんて、絶対納得できねえ。殺されそうだなんて、もっと納得できねえ! だから、あの子を悲しませるあいつらが、殺そうとするあいつらが、絶対に許せないんだ!」
「だから、戦おうというのですか? あの少女の笑顔のために」
「そうだ。俺は、あの子と友達になって、あの子に笑ってほしいんだ!」
あの優しい美少女と仲良くなれたらと、そんな未来を空想するだけで傷だらけの身体でも立ち上がろうという気力が湧いてくる。どれだけ苦しくても負けられないと頑張ることができる。男とは、少なくとも一誠はそういう生き物だった。
「ですが、さっきも言った通りお前の力ではあの連中に敵いません。これ以上無理をすれば、あの少女より先にお前が命を落とすことにもなるでしょう」
気持ちだけが強まる中、エンジン王の言葉が重く圧し掛かる。散々容赦のない暴力に晒されてきたのだ。その言葉は決して脅しでないことは、十二分に理解している。自分の死、という可能性が、現実的な危機感として背筋を這いあがってきた。
「それも解ってる……だけど! 俺は、あの子を見捨てられないんだ!」
それでも、一誠の中に諦めるという選択肢はない。自分が死ぬかもしれない恐れよりも、あの女の子の笑顔が見られないまま終わることの恐れの方が、今は強かった。
「何故です?」
そこで、何故かエンジン王はやや固くなった声でまた問い掛けてくる。
「何故他人のためにそこまでするのです? お前は、死ぬのが恐くないのですか!?」
今までの文字通り機械的なものとは違う、感情的な問い。それを前に、一誠は自分の気持ちを正直に答える。
「恐いよ。死ぬのだって恐いし、これ以上痛い思いをするのだって嫌だ」
思い返すのは、男たちに受けた暴力の数々。このままあの少女を助けようとすれば、更に苛烈な暴行を受けるだろう。その痛みは、これまでに増して一誠を苦しめるはずだ。それが恐くないはずがない。
「けど……虐められるのって、ただ体が痛いよりも痛いんだ」
一誠はそれをよく知っている。自分もまた、虐めに近い状況にあるから。周りの子どもたちから無視され、一人ぼっちにされているから。その辛さは、ただ体が傷つくものとは違う苦しみとして心を苛む。
「あの子は、あいつらに虐められている……あんないい子が、あの痛みを味わっているだなんて、そっちの方が、もっと嫌なんだ!」
――この少年が、ナカジマと同じことを……
エンジン王は衝撃を受けていた。ずっと弱く小さい存在だと思っていた一誠が、自分が認めた人間と同じことをしていることに。自分が敗北した人間と同じようなことを口にしたことに。
エンジン王にとって、一誠は臆病な少年だった。自分を疎外する周囲に対し抗うこともなく、ただ流されるままその状態を甘受する弱者。これまでの行動を見る限り、間違いなく一誠はそれに該当した。
――だというのに、何故……
しかし、何故なのだろうか。何故その取るに足らない存在はずだった一誠の姿が、ザウラーズのため命を懸けた中島に、我が身を引き換えにエンジン王を救ったギルターボに、母星のために強大な敵へ挑み続けたザウラーズに重なって見えるのだろうか。
――これが、地球人なのか……!
一誠が弱い、という印象が間違いだったとは思わない。しかし、そんな弱い一誠でも、自分の知る強者たちと同じことができた。
――これが、心の力なのか……!
改めて、解った気がする。人間は、確かに醜い部分を持っている。一誠を疎外する周囲の子どもたちのように。かつて機械化帝国の前身となった文明を司る者たちが、自身のことを滅ぼしたように。しかし、そんな醜い側面を有しながらも、人間は自分の想いを叶えるために、不可能なことであろうと挑み続けることができる。自分以外の大切なもののために、己の全てを懸けて戦うことができる。
――だからこそ、お前たちは守ろうとしたのだな、ザウラーズよ
どこまでも醜悪になる可能性を持ちながら、同時にどこまでも尊くなれる可能性も持つ存在。それが人間、心というものの素晴らしさなのだ。
――ならば、今私がすべきことは、ただ傍観していることではない!
「少年よ。名前はヒョードー・イッセーでしたね」
唐突に名を呼ばれ、一誠はきょとんとするがそれも一瞬。すぐに強い表情で頷き返してきた。
「ああ、俺は兵藤一誠だ!」
「イッセーよ。今一度お前に問います。あの少女を救うために、力が欲しいですか? それでお前自身が傷ついたとしても」
「……欲しいって言ったら、力を貸してくれるのか?」
エンジン王の問いに、一誠は逆に聞き返してきた。エンジン王は、それに答える代わりに右掌を差し出す。すると、そこに暗い紫に輝くクリスタルが現れた。
「? なんだこれ、宝石?」
「これは私と同じくお前の身体に宿っていたもの。ジャークサタンというロボットです」
「ロボット? これが?」
「そうです。今はただの水晶か何かにしか見えませんが、変形することで強力な戦闘ロボットとなります。あの程度の連中であれば、容易く蹴散らすことのできるロボットに」
「本当か!?」
エンジン王の言葉に一誠の眼に希望が灯る。しかし、エンジン王の説明はそこで終わりではない。
「しかし、このロボットは今のままでは使うことはできません」
「な、なんでだよ!?」
「どういう理屈なのかは私にも解析しきれていませんが、どうやらこのロボットは完全にお前自身と癒着した状態にあるようです。下手に体外に排出すれば、お前の生命活動は停止する恐れがあります」
そう、何故かこのジャークサタン、そしてエンジン王と正体不明のエネルギー体の三者は、一誠と不可分の状態にあった。存在そのものと繋がってしまっているとでもいうのだろうか、もはや一誠は自分たちを併せて1つの個体を為していると言っても過言ではないのである。その理由は全く以って不明なのだが、少なくとも一誠に宿った段階では既に完成した存在であった自分やジャークサタンとは違い、一誠は誕生以前から自分たちを体内に宿していた。つまり自分たちがいることが一誠にとっては通常の状態なのだ。その宿していて当然のものが体内からなくなれば、最悪死ぬかもしれないことは十分考えられた。
「それじゃあ、意味ないじゃんか! なんのためにそれ見せたんだよ!?」
体外に出せないのであれば、それはそれを使って直接戦うことができないということになる。エンジン王の説明に当然ながら一誠は怒りを見せるが、それを制して話を続けた。
「落ち着きなさい。体外に出せぬ以上、このままでは本来の仕様として使うことはできないとは言いました。ですから、本来とは違う方法で使うのです」
「違う方法?」
聞き返す一誠にエンジン王は頷く。
「私が制御することで、お前とこのロボットの武装を結合させます。つまり、お前自身がこのロボットと同質の存在となって戦うのです」
かつてエンジン王は、機械化獣とギルターボを巨大結合させ、合体機械化獣にすることで両者の力を飛躍的に高めていた。その応用で、このジャークサタンというロボットの武装を一誠と結合させる、つまり体外にロボットとして排出するのではなく、一誠の体の一部として武器の形で使うわけである。
無論、普通に考えれば機械であるジャークサタンと有機生命体である一誠を結合させるというのは無茶な話だ。しかし、幸いなことにこのジャークサタンというロボットには種類が限定されているらしいものの生命体と融合する機能が備わっていた。その上、一誠には謎の強力なエネルギーも宿っている。相変わらず理解しきれていない点は多いが、このエネルギーは異常に応用性が高く、物理的にあり得ない現象を容易に引き起こせるだろうことだけならば確信を得ていた。このエネルギーとジャークサタンの融合能力を併用すれば、本来想定されている生物以外との融合も可能かもしれない。
「ロボットと同質って、そんなことできるのか?」
「可能性は未知数です。失敗する可能性は、概算で約68.27%。成功する確率の方が低い上に、失敗した時のお前の無事も保証できません」
一誠の問いに、エンジン王は隠すことなく答える。エンジン王の考えは、全て机上の空論だ。エネルギーの正体を始め解析しきれていない情報が多い上に、ジャークサタンの動作試験といったテストらしいテストは全くしていないという不確定要素だらけの状況。むしろ成功する方がおかしいとさえ言え、おまけに脆弱な人間の肉体でいざ失敗すれば、最悪一誠の身体は粉々に吹き飛ぶ可能性もある。
しかし、他に一誠に与えられる力がないのも事実だった。思考の残骸に過ぎないエンジン王は戦力にはならないし、ジャークサタンを体外に出せないまま戦闘ロボット形態にしたところで一誠の身体が内側から破裂するだけ、謎のエネルギーは強力すぎるために攻撃手段として使うと暴発で日本列島どころか地球が丸ごと吹き飛ぶことになりかねない。
だからこそ、エンジン王は再度一誠に問い掛ける。
「イッセーよ。その危険を冒してでも、あの少女を救うための力が欲しいですか?」
それを聞き、一誠は考えるように顔を俯かせた。少しの間が空き、逆に問い返される。
「もし成功したら、あの子を助けられるんだよな?」
「あの程度の人間たちなど、敵ではありません」
エンジン王の返答を聞き、一誠は顔を上げる。その顔にはあの少年たちと、ゴウザウラーを操っていた小さな英雄たちと同じ色が見て取れた。
「だったら、頼むエンジン王! 俺に、俺にその力を貸してくれ!」
一誠の言葉に、言い知れない温かさが失ったはずのエンジンを満たす。ザウラーズは一誠よりもやや年長だったものの、何故ゴウザウラーを操っていたのが一誠のような子どもたちばかりだったのか、その理由が少し解った気がした。
「それ程の覚悟があるというのならば……!」
しかし、3次元の物質とは異なり、5次元の物質は3次元においてその大きさや形状の変更にかなり融通が利くらしい。一誠と結合した場合、ジャークサタンの武装のサイズは一誠の体格に合わせたものとなるだろう。子どもの小さな体に適合した結合ならば、“巨大結合”というのはそぐわない。
故に、エンジン王は別の言葉を使う。ザウラーズと同じように、誰かのために己が身を賭して戦うこの少年に相応しき、あの英雄たちの代名詞を。
「叫びなさい、イッセー! ジャークサタン、“熱血結合”と!」
一誠は軽く頷くと、身体に残った体力、元気と呼ばれるものを爆発させるように叫んだ。
「ジャークサタン、熱血結合!」
朱乃の心は、暗い思いに満ちていた。恐怖、悲しみ、悔しさ、諦念、そんな感情ばかりが後から後から湧いてきて、瞳から涙を押し出してくる。
背後から聞こえるのは、縛られて
「最後に言い残すことはないか?」
情けのつもりか、錫杖の男が問い掛けてくる。その錫杖の先端には、朱乃を確実に屠るためだろう、大げさな程に強力な異能の力が宿っていた。
余りの強さに、怯えるのを通り越して少し呆れさえ浮かぶが、それも仕方ないのかもしれない。なにせ、朱乃の父は唯の堕天使ではなく、その幹部であり武闘派として知られる存在なのだという。だからこそ、余計に姫島の本家はその血を引く朱乃を嫌悪し、警戒しているのだ。
――凄いのは、私じゃなくて父様なのに……
そう父のことを思い出すと、思わず言葉が口をついて出る。
「最後に、父様に会いたかった……」
――父様ともっと会いたかった、父様にもっと頭を撫でてもらいたかった、父様ともっと遊びたかった、父様と母様と3人で、もっと暮らしていたかった!
一言口にすると、思いが止め処なく溢れてきた。届かない願いが、胸の内で荒れ狂う。
――それに……
朱乃は一誠へ視線を移した。気を失ってしまったのか、刀を持った男に踏まれた一誠はもはや身じろぎ一つしていない。失神するほど傷つきながらも、朱乃のために戦ってくれたのだ。朱乃と同い年くらいの、小さな体で。
――イッセー君と、お友達になりたかった!
あの優しい男の子と仲良くなれたら、どれだけ素敵なことだっただろうか。一誠とお互いに名前を呼び合えたら、どれだけ楽しかっただろうか。空想するだけで胸が温かくなることが、余計に辛かった。それは、最早決して叶うことのない未来なのだから。
「せめてもの情け。この一撃で終わらせてやる」
言いながら、男は錫杖を朱乃の胸に向けてくる。それに込められた力が解き放たれれば、朱乃の小さな心臓なんて一瞬で吹き飛ばされるだろう。
背後から聞こえる母の声が、激しさを増した。一誠の言った通り、自分が死ねば母は悲しむのだということが、その声を聴く毎に思い知らされる。
「ごめんなさい、それにさようなら母様……」
振り向き、謝罪と別れの言葉を告げた。その瞬間、何時も優しく笑っていた母の眼から大粒の滴が零れる。
「ごめんなさい父様、さようなら……」
その涙に胸が締めつけられるように苦しくなる中で、この場にいない父にも別れを告げる。きっと父も母のように泣いてくれる。それは嬉しく、同時に辛かった。
「ごめんなさい、それからありがとう、イッセー君」
最後に、朱乃は一誠に謝罪と感謝を告げる。何の関係もない自分のために傷つけてしまった詫びと、自分のために頑張ってくれた礼の気持ちを込めて。
「さようなら、イッセー君……」
もしかしたら、初めての友達になれたかもしれない男の子。しかし、一誠はまだ自分の名前も知らないだろう。だから、名前も知らない自分が死んだことなんて、早く忘れてほしい。
――ううん、違う……
それは嘘だ。朱乃は、一誠に自分のことを覚えていてほしいと思う自分がいるのを感じた。一誠に自分のことで悲しんでほしくないとも思ってはいるが、この優しくて自分の想いに真っ直ぐな少年の思い出に、自分がいてほしいとも思っていた。
――わがままだなあ、私
「それでは、覚悟」
自分に呆れている中、錫杖の男の声で現実に引き戻された。とうとう死ぬ時が来たのだと、思わず目をつむる。
――さようなら……父様、母様、イッセー君……
怯えに満ちた心の中で浮かぶのは、大事な人々への別れの言葉。それだけを感じながら、死の瞬間を待つ、その時だった。
「ジャークサタン、熱血結合!」
力強い一誠の叫びが、周囲に響き渡ったのは。それと共に、途方もなく強大な力が膨れ上がるのを感じた。
「ぐわっ!?」
短く男の悲鳴が聞こえた。思わずそちらを見れば、一誠を踏みつけていた男が吹き飛ばされている。そして次に目にするのは、先程と同じ魔法陣の中心で身を起こそうとする一誠の姿だ。
「な、なんだこの魔力は!? 上級の悪魔……否、そんなものを遥かに超えているではないか!?」
声がした方を一瞥すると、錫杖の男が驚愕の表情で一誠を見据えていた。まるで朱乃のことを忘れてしまったかのように、錫杖の先を一誠の方へと向けている。
しかし、それも無理のないことだろう。男が錫杖に宿していた力は間違いなく強力なものだが、今の一誠が放っている異能の力はそれと比較にならない程上回っている。
突然の事態に男たちが騒然となる中で、魔法陣に変化が現れた。身を起こしていた一誠が立ち上がりきると、魔法陣から黒煙が立ち上ったのである。機関車の煙突のように
激しい光に視界が奪われ、それが晴れた時、一誠の姿は一変していた。
首から下は、水晶のような意匠の鎧だった。色は灰色に近い紫と青、白の三色で、両腕は角錐型の槍になっている。背に羽織っているのは2つに裂けるような形をしたマントで、両肩が龍の頭の飾りになっていることと禍々しさを覚える程に赤黒い色合いが特徴的だった。露出した頭の額には機械的な印象を受ける青い
それは、本来ならばこの世界にはあり得ないイレギュラー。5次元の破壊帝王ジャークサタンの武装、大魔界の暗黒魔王ゴクアークの魔法、機械化帝国の機械王エンジン王の頭脳、そして地球の子ども兵藤一誠の勇気が呼んだ奇跡。
エンジン王の制御の許、ゴクアークの魔力をエネルギー源に、ジャークサタンと結合した一誠の姿が、そこにあった。
ようやく一誠とエンジン王が会話しました。そして、ようやくジャークサタンの出番が来ました。解る方にはお解りでしょうが、色々混ざってます。
原作一誠はレイナーレの時といい、黒歌戦といい、力の不足から敵に散々嘲笑われて、それでも仲間や泣いている女の子のために一生懸命になるから格好いいんですよね。変態なのも間違いないですが(笑)。
そういった一誠の魅力を少しでも再現できていたら幸いです。
次回はジャークサタン無双回、もとい「絶対無敵(元気爆発、熱血最強でも可)、ジャークサタン!」回です。
2017年3月12日 各部誤字脱字等微細な修正
2017年3月19日 話数追加
2017年8月6日 ルビの誤記修正