誰が為に華は散る【鉄血のオルフェンズ外伝】 作:deburi
3
「アスモデウスの推進剤の補給、終わったの?」
金髪の少女は無重力状態の格納庫の壁を蹴って、モビルスーツデッキにいる整備士に尋ねた。帽子を深々とかぶった小柄な少年の整備士は静かに親指を立てて、
「……いつでも」
と小声で金髪の少女に言った。少年は背も低く、顔立ちは帽子で隠れて伺えない。十代になるかならないかの微妙なラインだった。可憐な少女と間違えてしまうぐらい可愛らしい声を、カッコつけて低めに出している感じがする。
二人の前には前方に向かって大きく伸びた二本のブレードアンテナと、その隙間に覗く鋭い双眼があった。
「……向こうの船に重役とかが乗っていたようっスね」
「だからこっちはあまり狙われていないのね」
「……まぁそういうことっス。あ、アスモデウスはいちおう売り物だから丁寧に扱ってくださいよっス」
「善処するわ」
金髪の少女の顔の左半分は火傷の痕で焼けただれており、左眼は白く濁っており黒目が殆ど消えていた。だが、そうであっても、凛々しい顔立ちと麗しい金髪が火傷の痕の醜さを消し去っても有り余るほどの美しさを醸し出している。
さながら、戦場に咲く一輪の花といったところか。
身長も17歳の少女にしては高く、膨らみの少ない胸元はむしろ彼女のスタイルの良さを強調する重要な要素となっていた。それこそ火傷の痕さえなんとかすれば、銀幕の中で輝く大スターになれたかもしれない……そんな美しさが少女にはあった。
「……特にマニピュレーターには高価な部品使っているので、くれぐれも素手で殴ったりはしないでくださいっス!」
「分かった、気をつけるわ」
金髪の少女はそれだけを言い残し、アスモデウスのコックピットに吸い込まれていった。
4
「早く、立って!」
アスナの手をヒューマンデブリの少年兵が引っ張る。しかし彼女の体は動こうとせず、糸の切れたマリオネットのようにその場に倒れ込んだ。
「なんで、貴方たちは私なんかを助けようとするの!」
「それは、僕たち月輪の鷹団のヒューマンデブリは、マリーメル家の人を守れと命じられているから。僕たちは貴女の所有物なんです。だから守る」
ヒューマンデブリに人としての概念は当てはまらない。ライオネルが常々そう言っていたことは間違いではなかった。彼らは人であるにも関わらず、自分を人と認識できていないのだ。人であることを否定しなければ生きていけない環境を生き抜いてきたからだろう。
だからこそ人間である自分が他人の所有物であることを受け入れて生きてしまう。
少年兵の純粋すぎる瞳がそれを物語っていた。
彼らに疑問という言葉は存在しない。生きる過程で消していったか、元々誰にも教えられなかったか。
「……なんでよ」
アスナはゆらりと立ち上がると、短髪のヒューマンデブリの少年の胸ぐらを掴んで壁に叩きつけて叫んだ。彼の体は栄養が足りていないのか、意外なほどに軽かった。
「利用されるだけの道具みたいな扱いで、何で生きていられるのよ!」
自分もそうだ。
「私なんか放っておいて、どこへなりとも逃げなさいよ!」
「それはダメです」
あまりにも冷たい言葉で返されてしまい、アスナは彼を掴んだ両手を下げて後ずさった。外側から攻撃を受けたようで、艦内が激しい揺れに襲われる。
「僕らの命なんかよりもよっぽど、貴女の命の方が重いから」
「そんなの!」
「この先に外へ出るための緊急脱出ハッチがあります。多分その近くに外付けのモビルワーカーがあったはず。それでもう一隻の装甲艦まで、逃げて!」
「何を言っているの、逃げるなら貴方たちも……ッ!」
「貴女は生きて」
しかしアスナは遠くへ突き飛ばされてしまう。同時にもう一人の少年兵が壁のパネルを操作し、シャッターを閉めた。瞬く間に少年兵の姿はシャッターによって遮られてしまい、数秒後銃声が響き渡った。アスナを追ってきた傭兵たちによるものだろう。少年兵たちは奴らに気づいており、アスナだけでも逃がそうと犠牲になったのだ。
よくよく考えれば当然の行動だった。
人を守る道具が、自分を守るために人を犠牲にするわけがない。
きっと道具は犠牲になるだろう。
彼らはそれを最期まで忠実に守る、よくできた道具だった。
「嫌だ……」
だがアスナ思った。
そうであってはならない、と
ヒューマンデブリだろうが何だろうが、人は人の尊厳を失ってはいけない、と。
だがらこそ足掻く。
白く細い腕を上げて、少年兵たちを助けようと。
シャッターの向こう側で、自分を助けてくれた少年兵たちが殺されているのを見て見ぬふりなどできるはずもない。いてもたってもいられず、アスナはシャッターに体を押し付けて叫んだ。鉄の冷たい感触と、鈍く響く銃声しかそこにはなかった。
「助けなきゃ! そうでなきゃ私―――」
5歳の頃、まだアスナがコロニーに住んでいた時の話だ。
子供の頃から女性として英才教育を受ける日々を送っていたアスナの周りには、自分を出世の道具としか見ていない大人たちしかいなかった。
そんな中で出会った同い年の少女。アスナと同じように名家に生まれた身であり、歩んできた道も、習い事も一緒だった。彼女だけが自分を人として見てくれた。
「誰も守れないまま―――!」
かけがえのない存在だった。
しかし少女は10年前に起こった屋敷の火災で死んだ。父親の制止を振り切り、アスナは燃え盛る屋敷に飛び込んで、少女を助けようとした。だが既に、少女は助からないほど全身に火傷を負っていたのだ。
一族が焼死し財産も全て失った為、治療も満足に受けられることのできなかった彼女は、数日後に死んだという。
折檻を受け外に出ることができないまま引っ越したアスナは、彼女に最後の別れも言えぬまま―――今こうして絶望している。
10年前と同じ、どうしょうもない無力感が胸に突き刺さる。
「もう一度開けて! みんなで逃げましょ!」
「……生きて、ください」
シャッターの向こう側から掠れた声が聞こえた。
「え」
「生きて……」
「待って」
「い……」
「わかった! わかったから早く―――」
銃声が止んだ。
「あ、ああ……あぁぁあああああぁぁ!!!」
守れなかった。
「あの子達は最期まで、人として死ねなかった……どうして、どうしてよ!」
いや、守る力などアスナにはなかった。自分は銃の撃ち方すらも知らない。運動神経も良くない。バイオリンの弾き方は知っていても、公の場でのテーブルマナーは知っていても、男を立てるための話術を知っていても、彼らを助けられるものではなかった。
男たちの道具である自分に、何ができるというのだ。
あの時、親友を助けられなかったことで決定づけられたのかもしれない。
自分は何もできない存在だ、と。
無力だ。
「生きて、って言ったよね」
せめてあの子達の願いを無駄にしないで生きてやろう。アスナは自分の意思ではなく、彼らの想いに突き動かされるように立ち上がった。
壁に備えられていた宇宙服を着ると、天井にあるハッチを開く。そこからハシゴが降りてきて、アスナはそれに手をかけた。
「生きる。それがあの子達の願い、なら」
アスナはハシゴを登りきると、ハッチを開けて宇宙空間へと出た。手すりに金具を引っ掛けて体を固定しながら周辺を見渡す。ぼんやりと霧がかったように濁った世界がそこには広がっていた。宇宙空間に出たことなど生まれて初めてで、少し油断すると自分の小さな身体など飛んでいってしまいそうなぐらい恐ろしいと感じられるところであった。
「あれ、かな」
金属のロープで巻きつけられた宇宙用のモビルワーカーが一台だけあった。故障などが原因で、外でモビルワーカーが使えなくなったときのために、予備として置いておくことがあるらしい。少年兵たちの言ったとおりだ。
アスナはゆっくりとモビルワーカーまで近づいていく。甲板に体を貼り付けて振り落とされないように、這いつくばりながら前に進む。
生きる。
生きてやる。
あの子たちの最後の願いを、自分は叶えなきゃいけないのだ。
しかし次の瞬間、アスナの目の前にあったモビルワーカーが巨大な足に踏み潰された。アスナの小さな身体は衝撃で吹っ飛ばされ、突き出した甲板に背中を打ち付けてしまう。
『マリーメル家の一人娘、アスナ・マリーメルだな』
モビルワーカーを踏み潰したのは月輪の鷹団を裏切った傭兵団の所有するモビルスーツ、ガルム・ロディであった。音声通信で直接話しかけてきたその声は、野太い男のものだった。その巨大なライフル銃をアスナに向けて、続ける。
『自分がくたばるまでに一人しか子供を残せなかったとは、フィゲルも不幸なものだ。それも女ときた。家を継ぐのが女とはなぁ』
こんなところで死ぬわけにはいかない。
少年兵たちに“わかった”と言ったのだ。
生きると約束したのだ。
『だが安心しろ。家を継ぐ前にあの世に送ってやる』
ヒューマンデブリとして生き、ヒューマンデブリとして死んだあの子達の意志だ。
終われない……。
終わるわけにはいかない。
『―――アスナ、そこにいるのよね』
少女の声が聞こえた。
それとほぼ同時に、アスナの目の前に鋼鉄が舞い降りた。鋼鉄は右手に巨大なメイスを持っており、それでガルム・ロディのライフルを持った腕を叩き潰す。弾薬が爆ぜ、灼熱の炎と硝煙が鋼鉄を覆い尽くした。
アスナの目の前に立つのは、厄祭戦を終結へと導いた伝説のモビルスーツ。
ガンダムアスモデウスだった。
二本の角と全身に貼り付けられた刺々しい増加装甲。その姿はまるで古代の伝承に出てくる怪物―――鬼のようであった。モビルスーツというマシーンを超越した怪物のように、それはゆらりと動き出す。
『使いにくい』
アスモデウスはメイスを投げ捨てると、後退しつつあるガルム・ロディに急接近した。黒煙を突き抜けて、鬼が顔を出す。左腕のマニピュレーターは手刀のように整えられていた。
『……アスナを』
その声は10年前、アスナが守ろうとした小さな命。
アスモデウスは、スラスターを吹かして逃げようとするガルム・ロディの肩を右手で掴んで、その双眸をパイロットの傭兵に向けた。
『殺そうとしたな』
守れなかったはずのその声は、しかし確かにアスナの目の前にあった。
間違えるはずもない。
少し変わっているようだが、その水面を揺らす暖かな風のような声は確かに彼女のものだった。この狭い世界で唯一、信じることのできた友情。
『お前は』
左腕の手刀がガルム・ロディに向かっていく。ちょうど装甲と装甲の隙間―――コックピットの開閉口、その隙間に。
『死ねぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇえええぇぇえ――――――ッ!』
『馬鹿か、マニピュレーター……で!?』
傭兵は自分が死ぬ瞬間を最後まで自覚できなかったことだろう。鋭く整えられた手刀はガルム・ロディの装甲を突き抜け、そのままパイロットごと貫いた。歪んだ装甲板やボルト、燃料チューブなどが四散する。ルム・ロディの首元まで貫通したアスモデウスの手刀の先には、一人の人間の血と肉片がこびりついていた。
『ああぁ……はぁっ……』
呆然とその様子を眺めているアスナに、アスモデウスのパイロットは視線を向けると静かに言った。
『久しぶり、アスナ』
「……ハナ?」
その少女こそ、アスナの唯一無二の親友、花咲レゴリスであった。