とうの昔に   作:緋簪

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一番愛している人に関する記憶が曖昧になってきた。更年期かなと冗談めかして笑うと、愛しい人は俺よりもよほど若いくせにとその肩を竦めた。

一番愛している人に関する記憶がふわついてきた。そろそろ年かもしれないと冗談めかして笑うと、愛しい人は昨日も似たような事を言っていたぜと煙管を咥え直した。

一番愛している人は高杉晋助。うん、高杉晋助で間違いない。俺の愛しているのは間違いなくその人だ。その愛しい人の表情には焦りが浮かんでいた。

一番愛しているのは…… そうだ、鬼兵隊総督、高杉晋助だ。何で、何で思い出せなくなってきているんだろう。その事を告げたら愛しい人はある病気の可能性を提示してきた。聞いたこともない病だな。

一番愛して…… いるのか? こんなに思い出すのに時間がかかってしまうのに、愛が薄れ始めているのに、俺が高杉晋助を愛しい人と呼ぶ資格はあるのだろうか。それを告げたら高杉晋助はそんな事を言うなと今にも泣きそうな顔で一喝した。

高杉晋助。晋助。そうだ。ああ、彼に関する記憶が俺の中にほとんど残っていない。どんどん思い出が失われていく。怖い。怖い。どうなっているんだ俺は。俺の脳に一体何が起こったんだ。それを告げることさえままならなかったが、それでも彼は目尻に涙を溜めながら、怯えている俺を撫でてくれていた。

今第七師団はどんな状況だ。阿伏兎に訊いたら鬼兵隊と手を組んでいるそうだ。鬼兵隊の総督は高杉晋助という男だとも聞いた。彼の名を聞くたびに胸が苦しい。高杉晋助。そうだ、俺は彼を愛していたんだった。でもこれは愛と呼べるのだろうか。こんな曖昧なものが。

心にぽっかりと大きな穴が空いたようだ。何も思い出せない。この第七師団にいる理由、目的すら思い出せない。こんなところにいても何も変われやしない。心に空いた孤独を埋めよう。まだ日は昇っていなかったが、港に泊まっている船から逃げるように走り去った。何故か溢れ出してくる涙を雑に拭き取り、他星に行く船に乗り込んだ。


病は気【アイ】から

あの戦いと強さにしか興味がなかった兄貴がやっと血の繋がりを持たない相手を愛するようになったのは、私達に降りかかるもの全てがなんとか終わった数ヶ月後だった。いや、そのずっと前から愛はあったのかもしれない。私が知らない間に二人は出会っていたから可能性は無きにしも非ず、だ。

洛陽での事件以来会っていなかったけれど、数ヶ月後に会って見た高杉への愛を確信した兄貴は、私でもわかる、すごく幸せそうな表情をしていた。春雨の奴等も、鬼兵隊の連中も、そして銀ちゃんやヅラ達も二人の関係を温かい目で見守ろうとしていた。

銀ちゃんはそれを聞いた時に少し寂しそうな表情をしていたけれど、私には仲のいい友達を取られちゃってちょっぴり寂しい、そんな子供のような表情にも見えた。寂しいの、と訊いてみたけれど銀ちゃんは旧友が幸せなら俺はそれで十分だ、と論点のズレた返事をしてきた。あえて追及するのはなんだか気が引けたので、ふうんと軽く流したフリをしていた。

 

呉服屋で会った時の二人の仲は長年連れ添った夫婦のような、それでいてどこか初々しさを感じさせるものだった。

そうだ、高杉が銀ちゃんと口喧嘩している時に、兄貴にいろいろ訊いてみたんだった。兄貴の言うには、出会った時こそいつか殺してみたいとは思ったけれど時間を重ねるうちに殺意よりももっと大きくて温かい感情が湧いてきたんだって。マミーを大事に思う感情と似てる、って訊いたらちょっと違うけどカテゴリは一緒だって。まだ幼い私は完全に理解することはできなかったけど、兄貴の高杉への想いの強さだけは感じ取れた。

後で銀ちゃんから聞いた話では、高杉も其の身が果てるまで神威を愛し抜くと決めたそうだ。アイツらしくねぇな、と欠伸をしながら頭をかいてはいたけれど旧友の幸せそうな姿を見て幸せが感染ったのかその口元は緩んでいた。

そんなお似合いの二人だったから、誰もが二人を祝福したし、こんな幸せが続くと思っていたんだ。

 

そう思うのが自然な流れだったし、誰も更なる悲劇なんて予想だにしていなかった。

 

銀ちゃんが居なくなった。必死に探し回ったけど見つからなかった。いつか帰ってくる日を信じて探し待ち続けたけど銀ちゃんが帰って来ることは無かった。と同時に、恐ろしい病が流行り始めて居た。白咀と名付けられたそれはあっという間に江戸中、国中の人々を蝕み多くの人がその病で亡くなった。

銀ちゃんが去ってから2年が経つ頃、決別しつつあった私達の元に来島また子から連絡があった。高杉が白咀にかかってしまった事、そして神威が春雨から姿を消した事だ。詳しく話を聞くべく私達は鬼兵隊の元へと向かった。艶やかになってきていた紫色の髪には白い毛が混ざり始めていた。身体も不自由になりつつある、と涙ながらに語るまた子の姿は今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに儚く弱々しかった。神威さんは、と新八が聞くと目を伏せる二人。何があったのか問えば風に当たって来ると言ったきり帰って来ないとのこと。何故あの兄貴が高杉を置いていったのか、全く見当がつかなかった。困惑している私達にまた子は悲劇的な事実を淡々と語った。

兄貴もまた病気にかかったこと。その病は忘愛症候群と呼ばれること。徐々に記憶を失っていく自分に恐れを抱く神威、そんな神威を高杉は慰め励まし続けた事、そして甲斐無く神威の記憶はギリギリまで失われてしまった事。また子はゆっくりと口を開き、神威が春雨からいなくなったのは高杉への愛を忘れた事によって生じた虚無を埋めるために孤独な戦いの日々を始める為だろうと推測した。苦しげな顔をするまた子の視線はやはり高杉に向いていて、高杉もまた、彼に合わない遠く離れた想い人に心を馳せその顔を見れない悲しさに表情を曇らせていた。私の中での高杉のイメージは窮地に陥っても余裕な笑みを浮かべている強者だったから余計にその切なげな表情が胸に刺さった。ゆっくりと天井を仰ぎ見、まだ俺は諦めていない、神威を愛しているからだ、何度記憶がなくなろうとも何度でも思い出を作り直してみせる、と言い切った高杉の姿に無意識のうちに私達は銀ちゃんが居なくなった時の私達の姿を重ね合わせより一層心を締め付けていた。

 

社長不在の万事屋に帰ってきた私達は、玄関に見慣れぬ傘が立ててある事に驚き、依頼者を待たせてしまっている事に慌てた。見覚えのある傘だな、と思って居たが玄関に脱ぎ捨てられているブーツを見て確信した。兄貴だ。ソファーにぽつんと座って居た兄貴もまた、高杉と同様に悲しそうだった。憶えているのかも、とありもしない期待を胸に高杉の話題を持ち出してみたけれど全く憶えて居なかった。高杉という単語を聞くと頭にひどい激痛が走るとのことで。私達はこんな残酷な運命が二人に降りかかったことをひどく恨んだ。運命が、最早神さえも恨めしい存在となっていた。いつも好戦的な笑みを浮かべていた兄貴は背を丸め心にぽっかりと穴が空いた気分だと寂しく笑った。

 

定春の散歩に出ていたら久しぶりに沖田に会った。銀ちゃんが消息を絶ってからずっと土方が白咀について調べ続けているとのこと。高杉と兄貴の話をしてみたら思い当たる節があるらしく、その赤目を見開いて話を聞いていた。丁度話を終えたところで新八と遭遇して三人で会話する流れになった。どうも忘愛症候群という単語に聞き覚えがあるらしく、記憶の糸を引き寄せ忘愛症候群について知っている事を教えてくれた。

それはまた子から聞いた話とほぼ同じだった。一つ大事なことが付け足されていて、というのも其の病の治療法だった。確実に治るらしいが、それはあまりにも残酷すぎた。

 

想い人が亡くなった時に患者は全てを思い出す。

 

私達は何故二人がそんな目に遭わなければならないのかと幾日も頭を抱えた。江戸の人口は減っていく一方だった。悲劇は終わる事を知らず遂にアネゴも白咀にかかってしまった。世の中の不条理に耐えながらも生きるしかないだなんて皮肉な話だ、と声を上げて泣いた。こんな子供のように泣くのは久しぶりだった。それほどまでに世界はひどく悲しく残酷になっていっていたのだった。

 

 

銀ちゃんが居なくなってから五年が経った今、私達は別々の万事屋の道を歩んで居た。銀ちゃんが帰ってくるという望みはもう幽かになってしまっている。私達を嘲笑うかのように澄んだ青い空が荒廃した江戸を覆う。定春の白くてもふもふの毛を撫でながらそんな空を睨みつける。こんな、絶望的な日々が続いても何故か生きていこうと思える。いや、理由はただ二つ。笑って銀ちゃんを迎える為と、兄貴と高杉に幸せを再び掴ませる為だ。

 

運命に逆らおう、今。




三年ぶりに地球に戻ってみることにした。地球行きの船に乗っている数はとても少なかった。船の中で船員に訊いてみたところ、地球ではどうやら白咀という病が流行っているらしい。
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