BIOHAZARD:OBLIGATION   作:麦ご飯

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Prologue

 2012年春。

 

 私立藤美学園高等学校。

 

 非常階段の手すりにもたれながら、小室孝は考えていた。自分も含めて日本人とはとことん平和ボケした民族であろうか、と。

 

 きちんとした教育が受けられるのにこうして授業をさぼっている。

 さっきまで悪友たちとなにかを喋っていたが、その内容も数秒後にはどこかへ消えていた。

 そして午前中いっぱいを削って行われた『あの』講義。

『あれ』を聞いてもなお、彼の頭は、幼馴染の失恋を引きずっている。

 

 ぼーっとしているときは、あれこれと思考が切り替わるもので、孝は『その』講義のことを思い出していた。

 

『バイオテロ』

 

 その言葉が当たり前のように人々の記憶に刻み込まれてから、14年間が経とうとしている。

 

 1998年10月。

 アメリカ中西部に位置する街〈ラクーンシティ〉が、世界地図から消えた。

 原因は、かつての巨大製薬企業〈アンブレラ〉が非合法に開発した〈T-ウイルス〉の漏洩による未曽有の生物災害(バイオハザード)

 及び合衆国政府による、滅菌と言う名のミサイル爆撃。それによって、街ひとつと10万もの命が地上から姿を消した。

 毎年10月になると、テレビのチャンネルはラクーン事件の追悼番組でいっぱいになる。

 孝がそれを意識しだしたのは中学生になった頃。アングラ系のサイトにアップされていたバイオテロの動画を漁るようになってからだった。

 

 死んだ人間が動き出し、生きた人間を食う。

 

 馬鹿げた冗談だと思った。でも、現実だった。

 現実だった。でも、恐ろしくもなんともなかった。

 

 なぜなら、日本ではまだ(、、)生物災害(バイオハザード)が1度も起こっていなかったから。

 

 北米、南米、中東、アフリカ、そしてヨーロッパ。

 アンブレラの手を離れた〈T-ウイルス〉は世界中に拡散し、形を変えて死を振りまいている。

 もはや地球上のすべてがバイオテロの射程範囲内に入っているというのに、ただ『起きていない』というだけで、「この国は安全なんだ」と高を括ってしまう。

 

 他の人間もそうなのだろう。そんな意識改善を名目に、藤美高校は実際にバイオテロと直面した人間を海外から招き、体育館で講演を開いた。

 

 招かれた講師は、〈東スラブ共和国〉とかいう、初めて聞く国で教師をやっているらしい。

 車椅子に乗り壇上にあがった男は、けっこうな男前だった。流暢な日本語を扱い、声はどことなくクラスメイトの平野コータを大人っぽくしたみたいだと感じた。

 名前は長ったらしくて覚えにくかった。本人もそれを自覚していたのか、向こうで呼ばれている愛称を教えてくれた。

 

「たしか〈サーシャ〉……そう、〈サーシャ〉だ」

 

 彼の講演を、孝は自分でも信じられないくらい真剣に聴いた。

 ディスプレイに映し出される資料のひとつひとつに目を通し、サーシャの言葉に食い入るように耳を傾けた。

 

 しかしそれでも、喉元過ぎればなんとやら。

 午後の授業がめんどくさいとぼやくやつ。

 放課後の予定はどこへ行こうかと談笑するやつ。

 メロンソーダを飲んで感染したふりをしてふざけるやつ。

 約束されたこれからの時間を疑いもせず、頭の中は平和でいっぱいだった。

 そう。いま、自分も含めて。

 

 それは、自分たちがおかしいのか。それとも世界がおかしいのか。

 決まっている。

 そのどちらでもない、ウイルスを使っているやつらがおかしいのだ。人々の命と尊厳の一切を奪い、私利私欲のために世界に悪意を振りまくやつらが。

 

 しかし、そのことを頭で考えるだけでなにも行動を起こさない自分もまたおかしいのかと、孝は若干の罪悪感を抱く。

 

 〈B.S.A.A〉や〈テラセイブ〉

 実際に、いまも世界のどこかでバイオテロと闘っている人たちがいるというのに。

 その罪悪感でさえも『無責任』なのだろう。結局は『見物人』の立場でものを見ているのだから。

 孝は大きなため息をひとつ、手すりにもたれる腕に、深く顔を埋めた。

 

 ーーそれが、彼の最後の『無責任』な行動。

 ふと視界に入る、閉じられた校門を叩く誰かが、孝の世界を一変させる『悪意』を抱えてやってきた。


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