太陽が落ち、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。
点々と続く街灯の頼りに、レオンとサーシャは、極力発砲を抑えつつ住宅街の路地を進む。
とりあえずの目標である御別橋が見えはじめた。橋の様子をひとまず確認してから、セーフハウスへ向かう段取りとなっている。
辺りに〈奴ら〉の姿はない。恐らくは、人々が集まる御別橋の方向へ向かっているのだろう。
「なあレオン」
サーシャは口を開いた。
「どうした?」
「ウェスカー、という名前に心当たりは?」
「ウェスカーだと?」
まさかその名が出てくるのは思わなかったとばかりに、レオンは眉をひそめる。
「
「おれにウイルスを投与した男が、そう名乗っていた」
「それはありえない。やつは3年前に死んだ」
レオンは足を止め、首を振った。
バイオテロとウェスカーという単語を結び付けると、自ずとアルバート・ウェスカーの名に辿り着く。
しかし、アルバートは死んだ。3年前、クリス・レッドフィールドたちBSAAの奮戦によって、確実に火口へと叩き込まれたのだ。
しかし、サーシャの目の前に現れ、ウイルスを投与していった男は、間違いなくウェスカーを名乗った。
彼の名を騙った者か、それとも……
「まさか、〈ウェスカー計画〉の……?」
ウェスカー計画。
アンブレラの創始者のひとりであるイギリスの名門貴族、オズウェル・E・スペンサーが生前に実施した計画だ。
ウイルスによる強制的な進化によって訪れる新たな時代に先駆け、世界各地から優秀な子供たちを集めて〈ウェスカー〉の名を与え、徹底した英才教育のもと、完璧な頭脳と肉体を備え、なおかつスペンサー自身に従順な人材を育成し世に放つことを最終目的としている。
アルバートは、その計画における13番目のウェスカーだった。
しかし、かつてクリスとジルが回収した資料によれば、アルバートを除きすべての〈ウェスカー〉は死亡したと記録されている。
「もしかすると、じつはその中に生き残っているやつがいて、そいつが正体なのかもしれない」
「認めたくはないが、そう考えれば、ありえない話じゃなくなるが……」
アルバートは死に、世界を脅かす悪意の一大巨頭が崩れたつもりでいた。しかし、本物であれ偽物であれ、〈ウェスカー〉は滅びていなかった。
「足を止めさせて悪かった。いこう」
「……ああ、そうだな」
悲観したところで、命が助かるわけじゃない。2人は前を向き、道を進んでいく。
そうして辿り着いた御別橋のたもとでは、さらなる異様な光景が広がっていた。
地元の警察官によって検問が敷かれており、ひとまずの安全地帯となっているようだ。
それはまだいい。問題はそこで騒ぎ立てる、とある集団だった。
「政府の横暴を許すなあ!」
先頭に立つ、安全用ヘルメットを被る男が叫んだ。
彼が言うには、今回のバイオテロは、日本政府がテロ組織と癒着関係にあり、その証拠が存在する床主市で、事実隠蔽のために引き起こされたものだと主張している。
裏付けすらないめちゃくちゃな論理であったが、それをめちゃくちゃだと断言する裏付けもない。
「おそらく、彼らは自分たち以外の言葉に耳を貸さないだろうな」
あの場に出ていき、弁明をはかることは不可能だろう。むしろ、さらに事態がこじれる可能性がある。
なにせ、レオンはホワイトハウスの関係者。もしも、なんらかの形で正体がバレてしまえば、主張がアメリカ政府にまで飛び火し、いよいよ収集がつかなくなる。
「……行こう、レオン。ここでおれたちができることは、ない」
「……ああ、そうだな」
レオンとサーシャは踵を返し、御別橋を後にする。
しばらく走ると、背後で1発の発砲音が聞こえた。それで堤が切れたのか、次々と発砲音が鳴る。
2人は振り返らなかった。彼らが目指すのは、あくまでセーフハウスだからだ。
しかし、2人はこのことを忘れまいと誓った。
多少の小悪党はいたかもしれないが、あの集団もまた、日々を平和に生きてきた人たちに他ならないからだ。
彼らが狂ったのは、彼らの責任ではない。責任は、ウイルスをばら撒いてこの地獄を創り出した連中にある。
必ず落とし前はつけさせてやる。
内に秘める激情を隠しながら、セーフハウスを目指し走る。
路地の角をいくつか曲がると、レオンが足を止めた。
「見えたぞ、あそこだ」
「あれがセーフハウスだと?」
セーフハウスとは、和訳すると秘密基地や隠れ家といった意味をもつ。一般的には、人目につかないようなところや、そこらの安アパートの狭い一室にそれとなく入っているものらしい。
しかし、あれはどうだ。
住宅地の中でも、主に裕福な家庭が入るような高級のメゾネット物件だ。
高い、広い、目立つと、総じて忍べていない。
「信じられん、おれは35ドルのビジネスホテルだったんだぞ? 合衆国政府はいったいなにを考えているんだ」
とサーシャは訝しんだ。
「おれのギャラは破格なのさ。まあそこんとこは、あまり考えずにいこうぜ?」
レオンは周囲の警戒も怠らず、サーシャを促し歩き出す。いまいち納得できないサーシャだったが、首を振ってむりやり納得させると、レオンの後を追う。
すると、目的地が近付くにつれ、2人はあることに気付く。
メゾネットの一室から煙が立ち昇っているのだ。
「火事? ……いや、あれは湯気か」
「ほほう、美女のシャワーシーンでも拝めるかもしれないな」
「言ってる場合か」
「冗談だ。とにかく生存者である確率が高い。行くとしよう」
敷地内への門は固く閉ざされていたが、2人は難なく乗り越え、玄関口の前に立った。
「気を付けろ。武装して暴徒となった市民もいると聞くからな」
「ああ、わかっている」
もしもの時は、こちらも相応の覚悟をしなければない。サーシャは意を決すると、インターホンのボタンを押した。
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地獄が始まってから、もうすぐ2日が経とうとしていた。ここいらには、いまだ救出部隊が到着する気配はない。
孝たちは、静香の友人が住んでいるというメゾネットを借り、一夜の宿としていた。
その友人とやらがどんな人物なのかは知らない。聞けば警察関係者であることは確かなようだが、本当に普通の警察官なのだろうか、と首を捻らずを得ない。
先ほどコータと一緒にこじ開けたロッカーの中には、映画やゲームの世界ででしか見たこともないような物騒な武器がズラリと並んでいた。そして、大量の弾薬も。
現在、孝はコータと共にばらの弾薬を弾倉に込める作業を行っていた。階下からは、バスタイムと洒落込んでいた女性陣のはしゃぎ声が飛び交っている。
「あんなに声出して大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。今、一番大きな音を発しているのは……」
2人は窓から見える御別橋の方向へ視線を移した。
「それに、ああでもしないとやってられないんだと思う。少しでも気を紛らさなくちゃ、まいってしまうから」
「そう、だな……」
こんな状況でよくもはしゃいでいられるよな、と切り捨ててしまうのは簡単だ。
しかし、実際はそうじゃない。みんな、ぎりぎりのところでどうにか踏み止まっているのだ。
孝自身、あの時自分が下した決断が本当に正しかったのか、と思い悩んでいる。
学校を脱出する途中で拾った生き残りは、みんな〈奴ら〉に食われて死んだ。地獄と化した町の中で心のタガが外れ、暴徒となってしまった人たちからも襲われた。
そして、みんなで生き残ることを誓い合ったのに、犠牲となってしまったサーシャ。ここに来るまでに色々とありすぎて、あまりに精神をすり減らしてしまっている。
特にサーシャの犠牲は、皆の心に大きな影を落としてしまっている。中でも静香は相当に堪えているようで、今は普段通りに振舞えてはいるが、ふとしたキッカケで簡単に壊れてしまう可能性がある。
(……いや、それは誰だって同じか)
コータが言っていた。この戦争には、和平交渉なんてものはないと。戦場にあるものは全滅か殲滅かの二択のみ。そして自分たちこそ、その戦場に取り残された兵士なのだと。
救いの手を掴み取るまでは、命の保証なんて言葉を1パーセントだって信用してはならないのだと。
そんな状況下で、いつまでも正気でいられる自信など、孝はもっていなかった。
(BSAAになんて、ぼくは絶対に入れないな……)
孝は自虐的に笑う。
その時、唐突にインターホンの呼び出しが鳴った。
「平野!」
「行こう。とにかく確認しなきゃ」
孝は道中で殉職した警察官から拝借した拳銃をコータに渡し、自らはバールを持ってインターホンへ走る。
「〈奴ら〉の可能性は?」
「エントランスからだったら、呼び出しのために部屋番号を打ち込まなきゃいけないから、まず生きてる人間だよ。でも、玄関から直接だったら、危ないかもね」
螺旋状の階段を駆け下り、インターホンまで辿り着く。確認すると、どうやら玄関先からの呼び出しのようだ。
備え付けのディスプレイに映像が映し出されている。それを見た2人は、驚愕で目を丸くした。
「ひ、平野。これって……」
「ありえない。普通じゃありえないよ……でも!」
先ほどまでの、暗い影を落としていた表情から一変、2人の表情に光が射した。
2人はそのまま玄関へ走り、ロックを解除した。
警戒?
そんなものは、すでに頭から抜け落ちていた。
なぜなら、扉の向こうで待っているのは、みんなにとって大切な人だったから。感謝の言葉を言えなかった、自分たちのために身を呈してくれた仲間だったから。
「サーシャ先生!」
孝とコータは迷わず扉を開け放った。
「小室くん、平野くん……?」
サーシャもまた、住人が彼らだったとは思わなかった。
しばらく唖然としていたが、すぐに我にかえる。
「よかった……本当に、無事でよかった!」
そして両腕を広げると、思い切り2人を抱きしめた。
「はは、痛いですよ先生! もっとやさし……え!?」
「せ、先生……その足!」
孝とコータは、サーシャが2本の足で立っている姿に目を丸くする。
「そうか、そうだったな。それについては中で話そうと思うのだが……」
「あ……そう、ですね。それがいいかもしれません」
「とにかく……おかえりなさい、サーシャ先生!」
しかし、それは些細な問題なのかもしれない。2人にとっては、サーシャが生きていたという事実こそがなにより嬉しかったのだから。
「愛されているな、先生」
死角から周囲を警戒していたレオンが姿を現す。
「えーと、どちら様ですか?」
サーシャはレオンに顔を向ける。
「先生の
レオンは冗談めかして答えた。
「そうなんですね。さ、上がってください。 ……ぼくん家じゃないけど」
孝に促され、サーシャとレオンは室内へ入る。すると、またもや知った顔が。
「嘘……信じられない……」
「でも、目の前にいる以上、信じるしかないわね」
「奇跡、という言葉はあまり好かんが、こればかりは信じてみたくもなるな」
「幻なんかじゃない……サーシャ先生が生きてる!」
「宮本くん、高城くん、毒島くん、鞠川先生……」
あのとき、職員室で生還を誓い合った仲間たちが、生きていた。
サーシャは沸き起こる喜びを爆発させたかったのだが……
「……4人とも、とりあえずなにか着てくれないか」
いずれも下着に近く、静香にいたってはバスタオル一枚と、裸であったほうがまだマシに思えてしまうほどにリビドーを刺激する格好だった。
レオンは背を向けていた。孝は顔を伏せ、コータは吹き出した鼻血をなんとか抑え込んでいる。
「……攻めるね」
レオンがそう呟くと、女性陣の悲鳴が室内に響いた。