BIOHAZARD:OBLIGATION   作:麦ご飯

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Chapter〈A〉:2-4

 サーシャがこの世に生を受けた時、東スラブはまだ、ソビエト連邦を構成する属国の一つであった。

 当時も現在と同様、貧富の差が激しく、サーシャら貧困層の国民は、子供であっても自らが働いて賃金を稼がなければならない生活を強いられていた。それはソ連が崩壊し、東スラブが共和国として独立した後も変わらなかった。

 そのような劣悪な環境の中で、サーシャは幼馴染のイリーナやJDらと共に励まし合い、そのかたわらで勉学に精を出した。

 その結果、サーシャは優等生として長老議会から援助を受けられることになり、大学を出ることができた。

 

 それから数年が経ち……

 

 相次ぐ政治批判。それに対する弾圧。またそれに対する抵抗。

 未だ国内情勢が混迷の一途を辿る東スラブの空の下、サーシャはとある小学校で子供たちを前に教鞭をとっていた。

 

 子供たちに囲まれ、JDとは時に昔を懐かしみつつも未来を語らい、同じく教員となったイリーナとは婚約が決まり、サーシャの人生は、すべてが順風満帆で、幸せの絶頂であった。

 しかし東スラブは、自身が愛する祖国の指導者たちは、そんな1人の男が望む幸せな未来を一瞬にして奪い去る。

 

 それは普段と変わらない、いつもの授業風景の最中に訪れた。

 黒板を走るチョークや、ノートを滑る鉛筆の音を瞬く間にかき消す、耳をつんざく爆発音。

 サーシャたちのいる小学校が爆撃された。小学校の校舎を独立派の拠点と誤認した政府軍による爆撃だった。

 あまりに突然で、あまりに理不尽な仕打ちだった。なぜ、このようなことになってしまったかなど、当初のサーシャは知るよしもない。

 だが、多くの罪のない子供たちが命を奪われた。そして、その中にはイリーナの姿も……。

 

 なにもかもが燃えていった。

 希望ある未来を願い、子供たちが積み重ねてきた努力が刻まれたノートも。子供たちがクレヨンで描いてくれた、サーシャとイリーナ、そして子供たちが笑っているみんなの似顔絵も。

 瓦礫と化した校舎の残骸から、飛び去っていく政府の爆撃機を確認した時、サーシャの心の中で、なにかが爆発した。

 嗚咽と激情が絡み合った絶叫が東スラブの空に轟いた。ぶすぶすと立ち昇る黒煙のように、高く、高く……。

 

「それから、憎しみに駆られるままに、おれは独立派の戦士として銃を取った」

 

 ここまでで、サーシャの話したいことは半分、といったところか。

 しかし、あまりに重い彼の過去を耳にした面々は、ただただ口を紡ぐことしかできなかった。

 孝とコータの首筋は雫でじっとりと湿っていた。静香と麗は口元を押さえつつ嗚咽を堪えるのに必死だった。そんな中でも、冴子と沙耶はサーシャの話をしっかり受け止めようと、毅然とした態度で耳を傾けている。

 

「そうして内戦が激化していく中で、おれとレオンは出会ったんだ」

「……なるほど、そこでバイオテロに繋がっていくわけね。あの内戦が純粋な武力による衝突だったのなら、そもそもDSOが介入することはできないもの」

「察しの良いお嬢さんだ。そう、おれが東スラブに派遣されたのは、『戦場で化け物を見た』という情報がもたらされたからだ。その化け物こそが……」

「……B.O.W」

 

 ふと漏らした孝の呟きに、レオンとサーシャは頷く。

 

「そうだ小室くん。おれが講演で見せた資料のB.O.W〈リッカー〉は、他ならぬおれたちが戦場に放ったものだったんだ」

 

 愛国心のみで押し返せるほど、政府軍の攻勢は甘くはなかった。

 戦線は徐々に押され始め、一時期は首都も目前にまで迫っていた独立派だったが、相次ぎに拠点を奪還されてしまっていた。

 

 ーーこのままでは、緩やかに滅びの道を進んでいくだけだ。

 そんな空気が全体に漂い始めた時、とある人物が独立派にコンタクトを図ってきたのだ。

 

「その人物の名は……〈養蜂家(ビーキーパー)〉」

 

 養蜂家は、窮地に陥っていた独立派に資金と武器の援助を行う。そして、B.O.W〈リッカー〉と、ウイルスに続く新たな生物兵器〈プラーガ〉を提供した。

 姿や素性はおろか声すら明かさぬ養蜂家だったが、サーシャをはじめ、独立派の中に誰も疑う人間は出てこなかった。

 彼らにとって、銃も生物兵器も『殺すための道具』でしかなく、極限状態で湯だった精神では、理性的な判断など下せなかった。それほどまでに、追い詰められていたのだ。

 支配者プラーガを取り込んだ長老(アタマン)が従属種プラーガを組み込んだリッカーを操り、その力を持って独立派は再び戦線を押し上げることに成功した。

 

「だが、それはすべてヤツの計算の内でしかなかった」

「ヤツ?」

「養蜂家の……いや、スベトラーナのな」

 

 リッカーを操る長老の暗躍で、大統領府も目に見える距離まで迫った頃、市街で奇妙な出来事が起こり始めた。

 それは、独立派、政府軍問わず、兵士が何者かに襲撃されるという事件だ。

 初めは些細な数であったが、事態は日を重ねるごとに鼠算のように増え続け、上述のようにレオンがサーシャらと接触を果たした頃には、市内はプラーガに寄生された人々〈ガナード〉が蔓延(はびこ)る死の街と化してしまっていた。

 

 だが、それでもサーシャは戦うことをやめなかった。

 ……いや、止まることができなくなっていた。

 

 内戦の最中で、プラーガ投与による衰弱が限界に達していた長老イワンをサーシャは自ら手にかけた。独立派の柱であり、リッカーを使役できる唯一の存在を失い、一度は意気消沈にまで追い込まれる。しかし、サーシャは止まらなかった。

 市内の地下駐車場で秘密裏に保管していた、予備の支配種プラーガを投与し、リッカーを使役する能力を身に付け、長老の意志を継ぐ独立派のトップとして、半ば特攻に近い形で大統領府へ突撃を敢行した。

 

 しかしそれらはすべて、スベトラーナの奸計だった。彼女は独自で、大統領府の地下にて量産に成功したプラーガを自ら国内に放っていた。さらには、水面下でイワン以外の長老たちを買収し、独立派の理念を形骸化させ、戦局を有利に進めようと画策するが、それすらも盛大な罠であった。

 

 スベトラーナの本当の目的は、『B.О.W.を実戦使用した凶悪なテロリスト』 というレッテルを独立派に貼った上で、彼らへの武力行使の正当性を国内外へ広く訴えること。内戦終結後、国連やEUの加盟を円滑に行うための下地を作り、『東スラブはバイオテロに真っ向から立ち向かった国家』という実績を持って、国際社会への発言力を強めることにあった。

 そのために、スベトラーナは最強のB.O.Wである〈タイラント〉まで複数投入し、独立派の壊滅をはかったのであった。

 

 長い目で見れば、彼女また東スラブの未来を想い、国の繁栄の為に立ち上がった愛国者だったのだろう。しかし、そのあまりに急ぎ過ぎた苛烈さは、国の根幹たる国民という存在をないがしろにした独善でしかなかった。そんな彼女の目論見は、アメリカとロシアによって既に看破されていた。

 

「おれも、スベトラーナも、すべてはアメリカとロシアの掌の上で踊っていたに過ぎなかった……」

「おれとサーシャが、やっとの思いで仕留めたタイラントを2体、文字通り秒殺するほどの力でな」

 

 両国は手を組んで東スラブに侵攻。圧倒的な軍事力を持って、瞬く間に市内は制圧、スベトラーナは失脚に追い込まれた。その後は米露を中心とした、治安維持を目的という名目で暫定政府が設置され、長きに渡った内戦は、あまりにもあっけなく。また、サーシャやスベトラーナにとって、あまりにも皮肉な形で幕を降ろすことになる。

 

 独立派を掌の上で弄んでいたつもりのスベトラーナ。しかし、彼女もまた、アメリカとロシアという強大な2国の掌の上で踊る道化に過ぎなかったのである。

 

 結果的に、サーシャはすべてを失った。人生の師も、共に戦った仲間も、そして戦う理由さえも。

 あげく、自身の身体は投与した支配種プラーガに蝕まれていく。

 

 絶望したサーシャはレオンに死を懇願した。あんな化け物になりたくない、と。レオンは応えなかった。

 すべては因果応報。虫の良い話であると、サーシャは拳銃を自身の顎に押し当てるが、レオンは銃を取り上げ、自決を良しとしなかった。

 

『俺たちに自ら命を絶つという選択肢はない。武器(これ)を手にした以上、 死んだ奴らの分まで生きるしかない。たとえ不自由な体になったとしても』

 

 その言葉には、今までレオンが目にし、身体で味わってきた、あらゆる経験が。そして、目の前で絶望する男に向けた、彼なりの願いが込められていた。

 そしてレオンは、サーシャの体内に寄生するプラーガを、脊髄ごと撃ち抜くという前代未聞の荒療治で、サーシャをプラーガの呪縛から解放したのである。

 

「おれから話せることは、これですべてだ」

「ベリコバ大統領の失脚に、そんな裏があったとはね……」

 

 日本では、米露が軍事介入の必要を迫られるまで内戦を激化させた責任を取る形での失脚であると報道されていた。

 

「ああ。改めて、生物兵器というものの醜さと、それらを使うことの虚しさを思い知らせた」

 

 沙耶と冴子は揃って息を吐き出した。

 

「それ……だけなのか?」

 

 すべてを吐き出した上で、サーシャは2人の反応に眉を顰めた。

 

「そうですね。ここで蔓延しているウイルスや、東スラブで使われたプラーガ……どんな大義名分を掲げたところで、生物兵器はありとあらゆる尊厳を、死でさえも奪っていく。サーシャ先生、貴重な話をありがとうございます」

 

 コータもまた、同じような反応であった。これではまるで……

 

「サーシャ先生のことを避けている訳じゃありませんよ」

 

 麗は穏やかな表情で、サーシャに語り掛けた。

 

「レオンさんが言った言葉……死んでいった人たちのためにも生き続けること。サーシャ先生がその道の半ばにいることを、ここにいるみんなが解ったんです。それが、過去の罪を背負いながらの苦しい道のりであることも」

 

 孝ははにかんだ笑みを浮かべつつ、まっすぐにサーシャの目を見ていた。

 

「わたしたちでは、サーシャ先生の罪を軽くしてやることはできません。でも、一緒に歩いていくことはできますよね?」

 

 普段のぽややんとした雰囲気も相まって、静香から向けられた柔らかな笑顔に、張り詰めた心が、ほんの少しだけ緩むのをサーシャは感じていた。

 

「……みんな、ありがとう」

 

 その感謝は、涙を誘う派手なものでも、贖罪を誓う悲壮感に溢れたものでもない、あっさりとしたものだった。

 しかしその言葉には、それらすら霞むほどの、ただ純粋な感謝が込められていた。

 

「……さて、と。我らが先生のカウンセリングも済んだところで、ひとまず休憩としないか?」

 

 それは空気を読んだ上か、それともあえて読まなかったのか。レオンはそう提案する。

 実際のところ、レオンはともかく、サーシャは学園での格好のままで、〈奴ら〉との交戦でボロボロになったスーツのままという、なんとも痛ましい姿であった。

 

「たしかにそうね。座りっぱなしで、ちょっと疲れちゃったわ。 ……お尻も痛いし」

「では、御二方と離れている間の我々の動向については、しばらく休憩を挟んだ後にしましょう」

 

 レオンとサーシャに異存はなかった。それぞれが思い思いの場所へ散っていく。

 

 長い夜になりそうだった。ただ、それは今までと違い、いつまでも続いて欲しいと思えるような、ほんのひと時の安らぎであった。

 




作中で、政府軍の兵士にプラーガを寄生させたガナードの女の子は、シリーズ屈指の可愛さだと思います。

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