BIOHAZARD:OBLIGATION   作:麦ご飯

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Chapter〈A〉:1-2

 数分と経たぬうち、学園は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 動く死体がクラスメイトに噛みつき、噛みつかれた生徒がまた、別のクラスメイトを狙う。

『悪意』は瞬く間に広がっていった。

 

 サーシャたちは当初の予定を変更し、生存者を講堂へ避難させるべく、動きだした。

 サーシャも車椅子を必死に走らせていた。体は無意識に、保健室へと向かっていた。

 

 〈奴ら〉のひとりがサーシャを捉え、呻き声を上げながらゆっくりと近付いてくる。

 彼のことをサーシャはよく覚えている。

 名前は鈴木。この学園に来た初日に車椅子を押してくれた男子生徒だ。

 印象的だった剽軽で人懐こい笑顔は、彼にはもうない。

 

「……すまない」

 

 頭にボールペンを突き刺すと、鈴木は動かなくなった。

 

「……まずいぞこれは」

 

 ふと気付けば、前方に3体。後方に6体と、〈奴ら〉に通路を塞がれていた。

 

「くそっ!」

 

 サーシャは一旦、左端に体を寄せ、前方右側が開くように〈奴ら〉を引き寄せる。

 ギリギリまで引きつけたところで、一気に隙間を通り抜けようとしたが……

 

「しまった!」

 

 廊下にぶちまけられた血糊に車輪を滑らせ、転倒する。

 

「ぐっ……!」

 

 腕の力だけでなんとか車椅子を這い上がろうとするサーシャ。しかし〈奴ら〉は無慈悲にも、サーシャの足を掴み、肉を食いちぎらんと大口を開ける。

 

 はっきりと死の光景が見えた。そして、いままさに食いつかれようとした瞬間、〈奴ら〉の頭が脳天から陥没した。

 誰かが木刀で頭を砕いたのだ。

 見ると、女生徒だった。スラリとした細身に、美しい長髪。この学園では比較的長い丈のスカートをなびかせながら、〈奴ら〉を次々と叩き伏せていた。

 

「先生、捕まってください!」

 

 そしてもうひとり。すっきりとした角刈りにがっちりとした体躯の精悍な男子生徒がサーシャを担ぎ上げ、車椅子へ乗せる。彼もまた、木刀を携えていた。

 

「ありがとう、君たちは?」

「3年生の戸市出流(こいちいずる)です。で、あっちの彼女は……」

「同じく3年の毒島冴子(ぶすじまさえこ)。コザチェンコ講師、ご無事でなによりです」

 

 あらかた片付けてしまったのだろう。木刀の血を拭き取りながら、冴子はサーシャに歩み寄る。

 

「学園の中は、もはや絶望的なのか……」

「残念ながら……」

 

 冴子は短く言った。

 

「本当に唐突でした。体調不良で保健室に向かったはずのクラスメイトがすぐに戻ってきたと思ったら、いきなり入口のすぐ近くの生徒に噛み付いたんです」

 

 出流は悪夢の始まりを説明した。

 

「それで、サーシャ先生はどちらへ?」

「保健室へ行こうと思っていた。あそこなら、まだ生存者がいるかもしれない」

「我々も同じ場所を目指していたところです。共に参りましょう」

 

 冴子を先頭に、出流に後方を警戒してもらいつつ、サーシャたちは保健室を目指した。

 

 サーシャが2階にある保健室へ行くためには、介助用のエスカレーターのある特別な階段を上る必要があった。本来ならば生徒たちが利用する階段に取り付けられていたのだが、いたずらが多発したため、急遽別の階段を設けたのだ。

 

「すまない。少々遠回りになってしまうが……」

「言いっこなしですよ先生」

「出流の言う通りだ」

「君たちは親しい間柄なのかい?」

「ええ。おれと毒島さんは剣道部に所属していて、彼女は女子剣道部の主将なんです」

「なるほど、それであんなに強かったんだな」

 

 聞けば、冴子は全国大会で優勝するほどの実力の持ち主らしい。出流のほうはというと、

 

「おれなんて、てんで弱っちくて……」

 

 と、表情が曇った。

 外見的にはかなりやりそうだったが、サーシャはあえてこれ以上踏み込む真似はしなかった。

 道中、〈奴ら〉がいなかったからこそできた、ほんのすこしだけ現実を忘れられる談笑。

 

 そうしているうちに、階段が見えた。

 まず冴子が階段を上り安全を確認する。近くに〈奴ら〉がいないことを確認すると、サーシャと出流に手を振って合図した。

 

「行きましょう」

「ああ」

 

 出流が一歩を踏み出し、サーシャが車輪に手をかけた瞬間、静かだったはずの教室から、〈奴ら〉が窓やドアを突き破ってきた。

 

「……なっ!出流、コザチェンコ講師、急げ!」

 

 サーシャはエスカレーターへ急ぐ。しかし……

 

「戸市くん!なにをしているんだ!」

「あ、あ……くそ……」

 

 出流は固まったまま動かないでいた。

 だからといって、〈奴ら〉は待ってはくれない。じりじりと、新鮮な肉を求めてにじり寄ってくる。

 

「……ちぃ!」

 

 サーシャは出流へと駆け寄ると、彼の襟を無理やり引いて下がらせる。その間に冴子が一気に階段を駆け下り、〈奴ら〉を次々と叩き伏せていく。

 だが、いかに彼女が強いといっても、向こうは10人以上の徒党を組んでいる。数に押し潰されるのは明らかだった。

 

「もういい。毒島くん、戸市くんを連れて逃げるんだ」

「あなたは世界の悲しみを背負った生き証人。それを死なせる訳にはいかない」

 

 冴子は出流の肩を掴み揺さぶる。

 

「出流。きみとなら、この苦境を超えられる。それだけの力があると、わたしは信じている」

「無理だ……おれなんて……」

 

 戸市出流。彼は3年生ながら、部内では下の地位に甘んじている。

 それは、彼が極端にプレッシャーに弱いことにあった。

 団体戦では足を引っ張り、個人戦の成績も散々。

 そんな彼が、なぜ皆の憧れである冴子の隣にいつもいるのかと、部員からは相当に疎まれていた。

 

 しかし、冴子は知っていた。

 彼の努力と技のキレ。そして、2人きりでなんのしがらみもなく打ち合うと、自身が勝ち越してはいるものの、なんども出流に一本を取られることを。

 

 気休めではない。確たる自信があるからこそ……

 冴子は出流の頬を引っ叩いた。

 

「毒島……?」

「いいか、聞け出流。きみが動けないのは『弱い』からではない。『逃げたい』からだ。

 誰かがなんとかしてくれる。そんな甘えがきみにあるからだ。今までそれで良かったかもしれないが、もはやそんなものは通用しない。戦わなければ生き残れない!

 ……それでも動けないのであれば、このまま〈奴ら〉に食われるがいい。わたしとコザチェンコ講師は、その間に先へ行く」

 

 冴子の目は本気だ。

 ギリギリになって、やっぱり助けてくれるなんて甘い考えは通用しない。

 このまま食われるか、戦うか。

 出流の考えは決まっていた。

 握っていた木刀を、思いきり自身の額に叩きつけた。

 表情を隠した前髪の隙間から、一筋の血が流れる。

 

「……ありがとう冴子」

「吹っ切れたな」

 

 満足そうに冴子が笑う。

 〈奴ら〉の1人が出流に襲いかかる。出流がおもむろに木刀を振るうと、短い風切音が鳴ったかと思うと、次の瞬間〈奴ら〉は豪快に吹っ飛び、壁に激突した。

 

「いくぞ!」

「承知した!」

 

 そこからは一方的だった。冴子が薙げば首が折れ、出流が振り下ろせば頭蓋が割れる。

 ものの数分も経たぬうちに、〈奴ら〉はひとり残らず地に伏していた。

 そんななかでも往生際の悪く、背後から冴子に食いつこうとする〈奴ら〉がいた。

 サーシャはそんな〈奴ら〉の頭を両腕で引っ掴むと、そのまま首を180度回転させた。

 

「お見事」

 

 死屍累々の上にサーシャたちは立っていた。

 

「なんとかなったか」

「そうですね。では、先を急ぎましょう。出流……出流?」

 

 振り返った出流の様子がおかしかった。

 微笑んでこそいたが、目尻には涙が浮かび、口からは一筋の血が流れていた。

 

「すまない冴子、サーシャ先生……おれはもう、一緒には行けない」

「……噛まれたのか」

「いいや、噛まれてない。でも、ドジっちまった。入っちゃったみたいだ……ここ(、、)から」

 

 出流はさきほど自身で打ち付けたでこの傷を指差した。〈奴ら〉の返り血がべったりと塗り込まれ、それは額にまで達している。

 咳き込むと、掌に赤黒い血が広がった。

 

 もう、自分は助からないのだと悟ったのだ。

 

「出流……」

「馬鹿だよなおれ。自分でやったことなのにな……

 もう、おれは助からない。だからせめて、親友と先生の背中くらいは、最後まで守らせてくれないかな……なんて」

 

 サーシャは唇を噛んだ。

 こんな強い子が、未来ある若者が死んでいく。また、守れなかったと、サーシャは拳で膝を叩いた。痛みすら感じないのが、なおさら腹立たしかった。

 

 冴子は拳を震わせていた。

 高校生活3年目にして、ようやく親友と分かり合えた気がしたのに、と悔しさが滲んでいた。

 

「ほら、はやく行けよ……また、〈奴ら〉がきてる……」

 

 廊下の向こうから呻き声が聞こえる。

 サーシャの車椅子を器具に取り付けると、冴子は階段を上る。

 

「物分かりが良くて、助かるよ」

 

 そうだ、それでいい。

 と出流は笑った。

 

「……冴子、先生、どうかご無事で」

 

 木刀を握り、出流は駆け出した。

 サーシャと冴子は振り返らなかった。だが、2人の目には、同じ想いが炎となって燃えていた。

 こんなことをしでかした輩を見つけだし、必ず報復を食らわせてやる、という炎が。


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