グランブルーファンタジー ~STARDUST MEMORY~ 作:怪鳥
近くから感じる、殺気立った鋭い視線……
―――どこだ……どこにいるっ!?
辺りを見渡してみても、深い茂みが邪魔をして視線の主を視認する事はできない。
ラスラはその場から一歩も動く事ができず、呆然と立ちつくしていた。
不意にぽとりと、頬に水滴が落ちてきた。今度は雨水ではない。雨はとうに上がっているし、水滴はねっとりとしていて、強烈な刺激臭が鼻につく。
―――まるで何かの唾液のような……まさか……
「グウウゥゥッ!!」
ラスラが上を見上げるのと同時、けたたましい咆哮と共に
犬のように大木の枝に乗る
―――なっ……何だコイツッ!
異形の魔物を前にして、ラスラは思わず息を呑んだ。
魔物からすれば、目の前にいる人間は、腹を満たすただの肉塊に過ぎないのだろう。ラスラが次の行動を考えるよりも早く、飛びかかってきた。
さっきまでラスラが立っていた場所に、致死の一撃が放たれる。
ほぼ奇跡に近いが、前方に転がり込むことで致命傷を回避する事ができたのだ。
魔物を見ている暇などない。ラスラは無我夢中で走った。
「くそっ!! こんな所で、くたばってたまるかっての!!」
すぐ真後ろから、魔物の呼吸音と足音が聞こえてくる。その音はどんどん距離を詰めてきていて、耳元で鳴り響いているかのようだ。
「―――っつ!!!」
運悪く、地面の石に足をすくわれて、前のめりに倒れこんでしまった。
すぐに立ち上がろうと足に力を入れるが、重石のようなものが邪魔をして立ち上がれない。
……魔物だ。魔物の足が重りになって立ち上がれないのだ。
ラスラがそう気付いた時にはもう、魔物の醜悪な顔が目の前にきていた。
鼻が曲がりそうなほどの強烈な臭いがする。金縛りのように動く事もできなければ、もう声を上げることもできない。
魔物は抵抗のないラスラを弄ぶかのように、ぐいっと足に力を入れる。
「があっっ!!!」
右足に激痛が走る。魔物がラスラの右足を折らない程度に力を入れたのだ。
ラスラは反射的に落ちていた小石で、何度も何度も魔物を殴りつける。
「くそっ! くそっ!!」
空しくも止めるどころか、魔物に傷一つ付けさせる事はできない。むしろ魔物は、その反応を楽しんでさえいるようだった。
もうダメか……
諦めかけた――その時。
轟!という炸裂音が響くのと同時に、魔物が吹き飛んだ。
「早くここから離れるんだ!」
ラスラは何が起こったのか分からぬまま、声の主に視線を向ける。
声の主はフードを被っていて顔はよく見えないが、声と体格からして女性だろう。
フードの女性は、身の丈を軽く超える狙撃銃の銃口を魔物へと向けていた。
「早く行け!」
ラスラは立ち上がって全力で走った。さっきまでの金縛りが嘘のように足は動く。ぬかるんだ地面に足をすくわれても、お構いなしに走り続けた。
息も絶え絶えになった頃、足を止めた。
もう日は暮れていて、夜の帳が下りている。辺りは真っ暗だ。
ちょうどよい切り株に、どっと腰を下ろす。
―――助かった……のか?
正直、魔物から逃げた今でも、生きた心地がしない。
ずきずきと痛む右足をさすりながら、ため息を漏らした。
―――助けてくれた女性は、大丈夫かな……
フードの女性は銃を持っていたが、さっきのラスラのように、近付かれればひとたまりもないだろう。
逃げてきた道に視線を移す。この先でまだ戦っているようで、銃声はまだ続いている。
「……行かなくちゃな」
ラスラは月明りを頼りに、来た道を引き返した。
◇
開けた場所に出ると、フードの女性と魔物がにらみ合っているのが見えた。
魔物の姿はほとんど見えない。背の高い木々が月明かりを遮っているのだ。魔物は光の届かない茂みを利用して身を隠している。
目を凝らして良く見てみると、フードの女性が絶妙な間合いで銃弾を撃ち込んでいるのが分かった。銃弾は魔物の近くを掠めるばかりのようだが、間合いを詰められないようにするだけでも、相当な銃の使い手だという事が窺える。
何とかして魔物を照らさなければ、いずれ距離を詰められて殺されてしまうかもしれない……
―――一瞬だけでいい……何か……
ラスラは、はっとした顔で無造作にポケットに手を突っ込む。
取り出したのは、小さな小箱。湿気で使えなかったマッチだ。
幸運というべきか、雨が止んでいる今なら、なんとか使えるかもしれない。
「すみません! 聞こえますか!」
フードの女性は、突然の声に面食らった顔でラスラに意識を向ける。
「一体、何をやって……」
ラスラは言葉を遮るようにして続けた。
「一瞬だけヤツを照らします! そこを狙ってください!」
これは博打だ。マッチに火が灯らなければ詰み、見当違いの場所に投げれば詰み、狙撃の環境が整ったとしても致命傷を与えられなければ詰み……。
どこか一つでも誤れば、魔物に喰い殺されてしまう事になるだろう。
あのまま言われた通りに一人で逃げる事もできた。
だが、見ず知らずの自分の為に誰かが犠牲になるくらいなら、魔物の晩メシになった方がよっぽどマシだ。
ラスラは手を震わせながら、マッチを取り出す。
「……頼むぜ、点いてくれよ」
祈りを込めてマッチを擦ると、小さな火が灯った。
魔物のうなり声と、自分の勘だけを頼りに居場所を探る。
一瞬だけ……赤く血走った目が見えたような気がした。
離れた場所にいるフードの女性に聞こえるよう、声を張り上げた。
「今だっ!!」
ラスラの合図を聞いたフードの女性は、牽制射撃の手を止め、片膝を地につける。
衝撃で火が消えてしまうかもしれないが、お構いなしに全力でぶん投げた。
ほのかな火を携えるマッチは、弧を描きながらゆっくりと飛んでいく。
まるでスローモーションのような時間の中、ラスラは固唾を飲んで見守った。
マッチの火が何かに当たって儚い火花を散らす。
その瞬間。
魔物の頭がほんの一瞬だけ、姿を現したのだ。
フードの女性からすれば、その一瞬だけで十分だった。瞬きする間もないほど早く照準を付け、トリガーを引いた途端、辺りの木々や地表が薙ぎ倒されるほどの衝撃が走った。
さきほどの牽制射撃の比ではない。まさに、必殺の一撃だった。
轟音が止んで、ラスラが顔を上げると魔物はもう跡形もなく四散していた。
「やった……のか」
ふぅ、と安堵のため息をつきながら、ラスラはフードの女性のもとへ駆け寄る。
「君、ケガはないか?」
フードの女性が、深く被ったフードを取りながら、凛とした口調で言った。
年は二十歳を超えているのだろう。ウェーブがかった銀白髪は、腰まで届くほど長く、美しい。少女のような可憐さ、というより美人といった感じの、大人の女性であった。
「え……ええ、何とも。さっきは助けて頂いてありがとうございます」
ラスラは少し動揺したような声音で答えた。
「なに、礼には及ばんさ。君の助けがなかったら、私も危なかったし…… だが関心せんな、こんな時期に森に来ちゃ危ないだろう?」
「え、えっと……実は……」
もしかしたら、何か勘違いされているのかもしれない。
ラスラは今、自分が置かれている状況を説明した。
自分が見知らぬ森の中で目覚めた事。『ラスラ』という自分の名前以外の記憶を、何一つ思い出せないという事。
フードの女性は嫌な顔一つせず、真剣に耳を傾けてくれた。
「記憶喪失……という事か。うーん、困ったなぁ……積もる話は後にしよう。森を抜けた先に村があるから、案内するよ」
「助かります!」
地獄に仏とはまさにこの事だ。ラスラはコクリと頷くと、彼女の歩幅に合わせて歩き出した。
不意に、彼女の足が止まる。
「おっと、自己紹介がまだだったね。私は騎空士のシルヴァだ。よろしく頼む」
シルヴァは柔和な笑みを浮かべながら、手を差し出す。それに応えるようにラスラは手を握り返した。
「本当に……ありがとう……」
「……ふふ。村に着いたらゴハンでも御馳走するよ」
彼女は苦笑しながら歩き出す。ラスラもまた、それに続いて歩き始めた。
《シルヴァ》ヒューマン。女性。相棒の狙撃銃と共に、騎空士稼業を勤める女狙撃手。ザンクティンゼルには、とある事情で降り立っているようだが……?