副題『悪魔親子の散策(前編)』。
「おおっ、すごいな!」
第九階層にあるウルベルト・アレイン・オードルの私室から感嘆の声が聞こえてくる。
大分成長したのを機にアインズの私室から自分の私室へと戻ることになったウルベルトは、現在目の前の光景に大きな歓声を上げてパチパチと拍手を贈っていた。
金色の瞳に映っているのは二つの影。
漆黒の英雄モモンに扮したアインズと、美姫ナーベに扮したナーベラルが立っていた。アインズもナーベラルも――ナーベラルに関しては服装を変えただけな気もするが…――どう見ても人間にしか見えず、見事な扮装にウルベルトは称賛の声を上げた。
「まったく異形種には見えないな! どこからどう見ても人間だ!」
「恐れ入ります」
至高の御方の一人であるウルベルトからの褒め言葉に、ナーベラルが頬を染めて頭を下げる。冒険者の姿でありながらもやはり身のこなしは完璧で、ウルベルトは満足そうな笑みと共に大きく頷いた。
「いやいや、本当に見事だ。モモンガさんも、最初は
「……ホント相変わらずですね、ウルベルトさん…」
嫌味なほど良い笑顔でそんなことを言ってくる仔山羊に、アインズは思わずげんなりと肩を落とした。これでモモンのモデルがたっち・みーだと知られれば何と言われることだろう。恐らく今以上の良い笑顔で厭味ったらしい言葉をくどくどと言われるのだろうと思い至り、アインズは精神的に一気に疲れたような気がした。
「でも、ナーベラルは兎も角、モモンガさんはずっとヘルムを被っているのか? 話を聞く限り、お偉いさんとの会談とか接待とかもあるんだろう?」
「よっぽどのことがない限りは被っていますね。どうしてもという時は幻術で顔を作っていますが」
説明と共に両手でヘルムを外し、幻術で作った“モモンの顔”を見せる。
現れたのは見慣れた骸骨の顔ではなく、見慣れぬ人間の男のもの。
本物にしか見えないその見事な出来栄えに、ウルベルトは再び感嘆の声を上げた。暫く興味深げにアインズの顔を見つめ、徐に座っていた椅子から立ち上がる。
「…面白そうだな。俺もやってみるか」
まるで独り言のように言った後、ウルベルトの口から詠唱が零れ始める。魔方陣が展開され、仔山羊の姿がおぼろげに崩れていく。ぐにゃりと視界が歪んだような現象が起こった後、次の瞬間そこに立っていたのは仔山羊頭の悪魔ではなく一人の人間の少年だった。
「おおっ、うまくいったみたいだな! どうです、モモンガさん!」
軽く自分の身体を見回した後、満面の笑みでアインズへと声をかけてくる。
その言葉通り、ウルベルトの幻術は見事なものだった。
浅黒い肌に、長めの白い髪。子供特有の大きな目はつり目がちで、銀色の長い睫毛に縁どられた瞳は綺麗な金色をしている。少年とは分かるものの、どこか中性的な美しさを持った整った顔立ち。独特なウルベルトの装備品や服装も相まって、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出していた。
「わぁ、すごいですね! 俺の場合は骸骨の顔に幻を纏わせてるんですけど…ウルベルトさんはどうなっているんですか?」
アインズの場合、顔の形は人間と同じなため割と簡単に幻を作り出すことができる。しかし山羊頭のウルベルトはそういう訳にもいかない。顔の骨格自体が人間の物と大きくかけ離れているため、アインズと全く同じにはいかないだろう。
しかしウルベルトの答えはアインズの予想から大きくかけ離れたものだった。
「いや、恐らくモモンガさんのものと大して変わらないと思うぞ」
「えっ、でもそれだとおかしくないですか? ウルベルトさんの顔は山羊の形をしているから俺のようにはいかないと思うんですけど」
「…う~ん、これは俺の想像なんだが、そもそも幻術ってのは形を変化させるんじゃなくて相手の視覚を歪ませる魔法だから、実際に目にどう映っているかはさして問題じゃないんじゃないか? 大切なのは、見た奴の脳がどう判断するかだ」
軽く腕を組んで説明してくるウルベルトに、アインズは考え込みながら一つ頷いた。
生き物の構造として、自分たちは眼球から取り込んだ情報を神経を使って脳に送り、その情報を脳が処理して始めて目の前の映像を認識する。つまり眼球に映り脳に送った情報が赤いボールだとしても、実際にそれを脳が青いボールだと処理してしまえば自分たちは青いボールだと思ってしまうのだ。
ウルベルトの仮説が正しければ、幻術の魔法とは対象が幻とどんなにかけ離れていたとしても、誤魔化すことのできるものだと言うことだ。
「おそらく触った時に違和感があるのは、あくまでも誤魔化せるのは視覚に関することのみで、視覚以外の感覚は誤魔化せないからだろうな」
「…なるほど」
ウルベルトの考察にアインズも軽く腕を組みながら相槌を打つ。
一見突拍子もない話に思えるが、今のウルベルトの幻術を見る限り頭ごなしに否定することは難しい。
しかし一つ疑問が頭を過り、アインズはウルベルトを見やった。
「でも…、それだと説明がつかない問題があります。例えばこうやって自分の顔を触った場合、俺の手は幻を突き破って悲惨なものになります」
説明しながらアインズが自分の顔を触り、その瞬間手が吸い込まれるように幻の顔の中へと沈んでいく。
「視界ではなく視覚を誤魔化しているのだとすれば、こういった現象も誤魔化せるんじゃないですか?」
「それは…恐らくだが、魔法の強さに関わるんだと思う。モモンガさんは何位階魔法を使ってる?」
「第五位階の幻術ですね」
「俺が今使っているのは第八位階の幻術だ。…モモンガさんにはこれがどう見える?」
問いかけの言葉とほぼ同時にウルベルトも先ほどのアインズと同じように手を幻の顔に触れさせる。
しかし目の前で起こった現象はアインズの時とは全く違うものだった。
「っ!! すごいです! ウルベルトさんが自分で頬を押し潰しているように見えます!」
目の前の光景が信じられず、アインズが興奮したように声を上げる。
アインズの言う通り、ウルベルトの手は幻を突き破ることなく、自然に幻の頬を押し潰していた。押し潰されている頬の描写も見事で、潰されることによりできる歪みや皺も表現されており全く不自然さが感じられない。
「…なるほど、位階が高ければ高いほど良いのか…。でも俺はこれ以上高い幻術は習得していないからな~…」
「モモンガさんは全体的に多くの系統を習得していたからな」
「ウルベルトさんは攻撃系を中心に習得していましたよね。でも、ウルベルトさんが幻術系の魔法も極めているって知った時は驚きましたよ」
当時のことを思い出してアインズが懐かしそうな表情を浮かべる。
アインズの言う通り、ウルベルトは幻術師や妖術師といった幻術系の職業レベルをマックスにしており、幻術魔法も多く習得していると知った時はアインズを含めたギルドメンバー全員が驚きの声を上げたものだ。しかしそんな彼らに放ったウルベルトの一言は『相手を幻術で惑わすなんて悪魔っぽいだろ』というもので、それだけでギルドメンバー全員を大いに納得させたのだった。
「懐かしいな~…。そう言えば、今のウルベルトさんの幻術の姿ってデミウルゴスに似ているような気がするんですけど、意識してそうしたんですか?」
「いや、何も考えずに人間の姿を纏ってみたんだが…、そんなに似てるか?」
「そうですね…。そっくりとは言いませんけど雰囲気が…、褐色の肌とかクールな顔立ちとか…、うん、兄弟か親戚みたいです」
「ははっ、それはなんだか嬉しいな」
デミウルゴスのことを最高傑作であり自慢の息子だと思っているウルベルトにとって、アインズの言葉は何より嬉しいものだった。欲を言えば“兄弟”ではなく“親子”と言われたかったが、今の子供の姿では仕方がないとそこは諦める。
今の自分の子供の姿に無念のため息を零す中、不意にアインズが何かを思い出したように声を上げた。
「あっ、デミウルゴスで思い出した! ウルベルトさんに相談したいことがあったんです」
「うん? なんだ?」
何かあったのだろうか、と幻術を解いて仔山羊姿に戻りながら小首を傾げる。
アインズは暫く言葉を探すように言い淀んでいたが、諦めたのか最後には大きなため息を吐き出した。
「…デミウルゴスに欲がなさ過ぎて困ってます」
「…は…?」
何を言っているんだ?と思わず反対側に首を傾げる。
大体、悪魔に対して欲がないとは、これいかに…。
しかしアインズは本当に困っているようで、切々とした声音でウルベルトに縋りついてきた。
「デミウルゴスにはこれまでも多くの仕事を任せて来たんですけど、一切褒美をあげれていないんですよ」
「はぁ…」
「何か欲しい物とか望みはないかって聞いても“恐れ多い”とか“尽くせるのが喜びだ”って言って取り合ってくれないし…、これだと俺のホワイト企業計画がぁぁっ!!」
この場にナーベラルもいることをすっかり忘れてアインズが声を上げて頭を抱え始める。
ウルベルトは暫くそんなアインズの様子を眺めていたが、彼の精神衛生を考えて〈
未だブツブツと何かを言っているアインズを眺めながら、ウルベルトは彼が落ち着くのを待ちながらデミウルゴスについて思いを馳せた。
忠誠心が非常に高く礼儀正しいあの悪魔なら確かに言いそうだと苦笑を浮かべる。
「長期休暇でもあげたら良いんじゃないか? 働かせすぎだって気にしてたんだろ?」
「………そんなことしたら逆に思い詰めて自害しかねませんよ。今の適度な休みを取るっていう制度でさえ納得させるの大変だったんですよ?」
未だ頭を抱えたまま、アインズがどこか恨めし気にこちらを睨み付けてくる。そのあまりにも悲愴感たっぷりの雰囲気に、ウルベルトは思わず顔を引き攣らせて心の中で合掌を贈った。
言われてみれば社畜精神上等!という彼らにしてみれば、休みというのは仕える…あるいは奉仕する機会をなくされるというのと同義であり、逆にショックを受けてしまうかもしれない。いや、実際にアインズが休みを取り入れた時にショックを受けたことだろう。
「じゃあ、そうだな~…。悪魔の喜ぶもの……拷問道具とか?」
「いや、それはちょっと…」
何の気なしに呟くウルベルトに、途端にアインズが嫌そうな表情を浮かべる。
アインズの“人間らしい”反応に思わず苦笑を浮かべながら、それでいてウルベルトは意外と難題だった問題に頭を悩ませた。これ以上は何も思い浮かばないぞ…と唸り声のような声を零す。
「………う~ん、となると物は思いつかないな…。…モモンガさん、今デミウルゴスにさせてる仕事って急ぎのものか?」
「え? いえ、取り立てて急ぎではないですけど…どうかしたんですか?」
どこか期待するようにこちらを見つめてくる骸骨に、仔山羊悪魔は軽く笑って見せた。
「うまくいくかは分からないけど、まぁ何とかやってみますよ」
**********
デミウルゴスは第九階層の回廊を足早に歩いていた。
数時間前に交わした会話と、今向かっている目的地に思いを馳せて思わず顔が笑み崩れる。尻尾も浮足立つ心を表すようにご機嫌に揺れ動き、歩く速度も驚くほど早い。
ここにメイドなり警備のシモベたちがいれば、おそらく驚きに目を見開かせたことだろう。しかし幸か不幸かこの場にはデミウルゴスしかおらず、彼は数分も経たぬうちに目的の扉の前まで辿り着いた。
数秒目の前の扉を見つめ、思わず感極まって震える息を細く吐き出す。
この扉を再びノックし、手に触れる日が来ることをどれほど渇望したことか。その度に、何度叶わぬ願いだと諦めてきたことだろう…。しかし全てはこの日を迎えるためだったのだと思えば、苦悩も絶望も全て呑み込んで喜びへと変えることができた。
デミウルゴスはもう一度だけ震える息を吐き出して感情を抑えると、細心の注意を払ってノックをした後、声を張り上げた。
「ウルベルト様、デミウルゴスです。失礼いたします」
中から返答が返ってきたのを確認し、扉に手をかけて丁寧に開く。出来た隙間から室内へと足を踏み入れると、部屋の奥に立つ小さな影を見とめて笑みと共に片膝をついて頭を下げた。
「ウルベルト様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いや、忙しいのに呼び出してしまってすまなかったな」
「滅相もございません! お呼びとあらば即座に」
ウルベルトの気遣いの言葉に、デミウルゴスは恐縮したように更に深々と頭を下げる。どこまでも改まったその姿にウルベルトは思わず苦笑を浮かべる中、しかしいつまでもこのままという訳にはいかないと思い直して行動を起こした。
ウルベルトはデミウルゴスを立ち上がらせると、近くにあった椅子に腰を下ろして短い足を組んだ。
「突然だがデミウルゴス、お前に今日と明日の二日間、休暇をやる」
「………は……?」
「休暇だよ、休暇。ここに来たってことは粗方緊急要件は終わらせてきたんだろう?」
ウルベルトがデミウルゴスを呼びつけた際、急ぎの用事は済ませてから来るようにと伝えていた。つまり彼がここに来たということは、ある程度余裕ができたということだ。創造主からの呼び出しに多少無理をしてきた可能性もあるが、この悪魔のことだ二日間ほど休暇を取らせても問題はないだろう。
しかしそんな創造主の思いなど知らない悪魔にとっては、その言葉は最悪の意味を持ってその耳に届いたようだった。驚愕の色を浮かべていた顔が途端に困惑に歪み、徐々に絶望の色に染まっていく。
その急激な変化にウルベルトは訳も分からずひどく慌てた。
「ちょっ、どうした、デミウルゴス!?」
「私は…、何か不手際を起こしましたでしょうか……?」
「…は…? …ああ、そう言うことか! 違う違う、むしろその逆だ!」
「……逆……?」
デミウルゴスの言わんとしていることに気が付いて慌てて否定する。
休暇という言葉一つで何故ここまで大惨事な思考になるんだと思わないでもなかったが、考えたらキリがないと思い至ってその辺りは早々に諦めることにする。
それよりも今はこれからのことを説明する方が先決だと、ウルベルトは安心させるように笑みを浮かべた。
「お前の仕事ぶりにはモモンガさんも感謝していたし、俺も期待している。だからこそ、褒美を贈ろうと思ってな」
「そんな! 我らにとってアインズ様やウルベルト様にお仕えすることこそが無上の喜び! その上褒美などと!」
「まぁ、そう言うな。俺たちとしてもお前たちへ少しでも感謝を伝えたいんだよ。主からの気持ちを受け取るのも、シモベの大切な務めだろ?」
「し、しかし……」
少し悪戯気に笑う仔山羊に、悪魔は困ったような表情を浮かべる。
その顔には、誰が見ても『恐れ多いです…』と書いてある。
これは重傷だな、とアインズのこれまでの苦労を感じながら、しかしウルベルトは諦めることなく話を続けた。
「と言っても、いきなりだとお前も困るだろう? だから手っ取り早く二日間の休暇をやろうと思ってな。モモンガさんにも許可は取ってあるし、それに今回は唯の休暇じゃないんだぞ!」
「…と、申しますと……?」
「何と、この二日間は俺も付き合ってやる! 俺にしてほしいことがあったら何でも言うといい。できるだけ叶えてやるぞ。もちろん一人で過ごしたいと言うなら、それでも構わないが」
「そんな! 滅相もございません!!」
ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは彼にしては珍しく少し食いつき気味に反論してくる。続けてお馴染みの辞退の言葉を口にしようとして、しかしそこで先ほどウルベルトに言われた言葉を思い出して咄嗟に口を閉ざした。
『主からの気持ちを受け取るのもシモベの大切な務め』。
確かにその通りだという思いに加えて、ある思いがデミウルゴスから言葉を奪っていく。
常ならば、唯のシモベが思うには大それた願い。
しかしどうしても捨てきれない“それ”にデミウルゴスは恐る恐るウルベルトを見つめた。
「ん? どうした?」
デミウルゴスの困惑した気持ちなどお見通しだと言うように、ウルベルトが柔らかな笑みと共に小首を傾げてくる。
言葉にせずとも促すようなその雰囲気に、デミウルゴスは未だ躊躇しながらもゆっくりと口を開いた。
「…ウルベルト様、本当に…願っても宜しいのでしょうか……?」
「さっきからそう言ってるだろう。これはお前への褒美なんだから」
「で、では…、一つだけ……。ウルベルト様は以前、コキュートスが統治するリザードマンの村へ視察されると仰られていたと聞きました」
「うん? ああ、そうだな」
いきなり変わった話題に内心で首を傾げる。しかし取り敢えずは答えた方が良いかと思い、ナザリック巡りの時にコキュートスへ言った言葉を思い出して頷いて返した。
デミウルゴスはそれを確認した後、覚悟を決めたようにウルベルトを見つめた。
「ならば…、是非ともそのお供を私にさせて下さいませ」
「……それがお前の望みなのか…?」
「仰る通りでございます」
「……………………」
はっきり言って拍子抜けである。自分のお供をするということが褒美になるのかという疑問もある。しかし望みとして口にされた以上、それに対して疑問を口にすれば激しく反論されそうな気もする。
よくよく見てみれば、緊張と恐怖の表情の奥にどこか拗ねたような色も見える気がしてウルベルトは一つのことに思い至って目を瞬かせた。
「……デミウルゴス、お前もしかしてアルベドと二人でナザリックを巡ったことに嫉妬でもしてたのか?」
「っ!! い、いえ、その…私は、別に…何と言いますか……」
どうやら図星だったらしい。
可愛そうなくらい顔を真っ赤にして狼狽えている悪魔に、ウルベルトは申し訳なく思うと同時にどうにも可愛らしく思えて仕方がなかった。
これは言うなれば、自分の親を何かに取られて拗ねている子供そのものだ。そう考えれば、先ほどの申し出だって要約すれば「お父さんとお散歩に行きたい!」という可愛らしい息子のお願いにも思える。
ウルベルトはふふっと柔らかな笑みを浮かべると、次には椅子から立ち上がってデミウルゴスへと手を差し出した。
「良いぞ。これから一緒に出かけようか、デミウルゴス」
また後でアインズに文句を言われるかもしれないが、今回も申し訳ないが我慢してもらおうと決める。それにアインズとて息子との触れ合いだと言えば許して大目に見てくれるだろう。
「折角だ、リザードマンの村の他にも行ってみたいところがある。一緒に来てくれるか、デミウルゴス?」
「っ!! はい、お供致します、ウルベルト様」
こちらを見つめていたデミウルゴスの顔が途端にぱあっと輝くように明るくなる。
悪魔らしからぬ邪気のない笑みを浮かべ頷くのに、ウルベルトも応えるように大きく頷いた。
早速とばかりにデミウルゴスの手を取り、彼が驚きに息を呑むのも構わずに指輪の力を発動させる。
一瞬で切り替わる目の前の光景。
第九階層の豪奢な私室だった景色が、今では霊廟の入り口のものへと変わっていた。
「さてと…、お前はリザードマンの村の場所は分かるんだよな?」
「はい」
「なら案内を頼む。折角だ、空の散歩と行こうじゃないか。…〈
短い詠唱の後に仔山羊の小さな身体がフワッと宙へと舞い上がる。どんどん上空へと飛び上がっていくのに、デミウルゴスもすぐさまそれに続いた。
メリメリという音と共に広い背中が二か所大きく裂け、中から大きな被膜の翼が現れる。バサッと翼を大きくはためかせて再び上空を見上げる顔は今までの端正な人間の顔立ちから醜い蛙のようなものに変わっている。
デミウルゴスの持つ複数の形態の内の一つである半悪魔形態になると、ウルベルトを追って上空へと飛び上がった。100mほど上空で待ってくれていたウルベルトに追いつくと、デミウルゴスは上空で恭しく胸に手を当てて頭を下げた。
「おお、その形態は久しぶりに見るな! かっこいいぞ」
「ありがとうございます」
蛙の顔でも分かるほどに嬉しそうな笑みを浮かべる。
ヌメヌメとした肌もギョロッとした赤い目玉も普通の感覚なら醜いと形容し恐怖と嫌悪を抱く者が殆どだろうが、創造主であるからかそれとも悪魔になった影響なのか、逆にかっこよく愛嬌があるように思えてくる。ここにもし第三者がいれば、自分の
目の前の異形の姿に浮足立つ心を咳払いと共に落ち着かせながら、ウルベルトは気を取り直してデミウルゴスを促した。
「では、リザードマンの村へ向かおう。デミウルゴス、頼んだぞ」
「畏まりました。こちらです」
被膜の翼を羽ばたかせて、まるで宙を泳ぐように先導してくる。その朱色の背を追いかけながら、ウルベルトは飛ぶという感覚を思う存分堪能していた。
空を飛ぶという感覚は、やはりユグドラシルの時とは全く違い、自由度も合って大きな開放感があった。大きな浮遊感も恐怖ではなく愉悦に変わり、魔法で飛んでいるため疲労も感じずとても快適だ。鳥になったようだと言うのはまさにこういうことを言うのだろうと思える。いっそ移動手段を全て飛行にしてやろうかと冗談半分に空の旅を楽しむ中、しかしそれはあまり長くは続かなかった。
見えてきたのは大きな森の中にある、これまた大きな湖。
瓢箪のようなその湖をよくよく見れば、一か所に集落のようなものが見てとれた。恐らくあそこが目的地であるリザードマンの村だろう。
ウルベルトとデミウルゴスは一直線にその集落と思われる場所へと向かった。全体的に沼地だと思っていた中でも唯一石畳がある場所へと優雅に降り立つ。デミウルゴスは形態を人型へと戻し、ウルベルトはサッと軽く乱れた衣服を直しながら後ろにある建造物のようなものを何とはなしに振り返った。
一見聖殿のように見えるその建物は、しかし妙に真新しく、この沼地の集落の中では些か馴染まないようにも見える。
一体何が…彼らの信仰する神でも祀っているのだろうかと小首を傾げる。
しかしそんな疑問を口にする前に、背後から聞こえてきた声にウルベルトはそちらを振り返った。
「ヨウコソオイデ下サイマシタ、ウルベルト様」
「コキュートス…」
こちらに近づいてくる見慣れた青白い巨体を見つけ、ウルベルトは無意識に柔らかな笑みを浮かべた。
後ろにはコキュートスの配下に加えて幾人かのリザードマンも控えている。少し小柄な者から大柄の者、中には片腕が丸太のように太い者までいて興味がそそられる。
臣下の礼を取ろうとするコキュートスとその臣下たちを手振りで止めさせ、目の前のリザードマンたちを凝視した。
「…彼らがリザードマンか」
「ハイ、リザードマンノ連合長ト戦士タチデス」
頷きながら返される答えに、ウルベルトも納得したように頷いた。
なるほど、戦士ならばその巨体や太い腕にも納得がいく。ということは小柄な者は
しかしウルベルトはそれらを咄嗟に呑み込んだ。
今聞かずとも後でも聞けることでもあるし、今は他にも言うべきことが多くある。
「なるほど、良い村だ。侵略してまだあまり日は経っていないと聞いているが統制もある程度取れているようだな。コキュートス、お前の働きを嬉しく思うぞ。もしここに武人武御雷さんがいたなら、きっと彼もお前の立派な姿を喜んだことだろう」
「ッ!! 有リ難イオ言葉ッ!!」
思わぬ言葉だったのだろう、コキュートスは驚きに言葉を詰まらせ、巨体を縮み込ませて深々と頭を下げてくる。少し大げさなような気もしたが、後ろに控えているデミウルゴスやコキュートスの配下たちが感動したように涙ぐんでいるところから考えを改めた。
彼らにとって創造主という存在は唯一無二の親であると同時に、自分が思う以上に深く重いものなのだろう。
ならば言うべき言葉はもっと違うものの方が良いはずだ。
「俺は武人武御雷さんとは仲良くしてもらっていたから、ある程度なら彼の気持ちや考えは分かっているつもりだ。コキュートス、誇りに思うといい。お前は間違いなく彼にとっての誇りだ」
「アリガトウゴザイマス、ウルベルト様!」
常の武人然とした口調が、今は少し崩れてしまっている。しかし、それは彼の感激の度合いを如実に表しているようでウルベルトは満足げに笑みを浮かべて優しく頷いた。後ろに控えているデミウルゴスも己の慈悲深い創造主と大切な友人に優しい眼差しを向けている。
そんな彼らの様子をリザードマンたちだけが訳が分からず困惑気に見つめていた。
「…なぁ、あの小さい仔山羊は何なんだ?」
「さぁ、分からないが…、見たところコキュートス様の上司なんじゃないか?」
「上司ぃ? まぁ、それっぽくはあるが…部下だって言われた方がしっくりくるな」
小声で交わされるリザードマンたちの会話。
こちらには聞かれないように配慮されたそれらは、しかし多くの面で規格外なウルベルトたちにはバッチリ聞こえていて、瞬間この場の空気が凍り付いた。デミウルゴスとコキュートスから息が苦しくなるほどの怒気と殺気が噴き出し、コキュートスの配下たちは恐怖に身体をガタガタと震え始める。
「…おやおや、面白くない冗談だ。コキュートス、教育をし直した方がよくはないかね?」
「ソノヨウダ…。手始メニ先ホドノ言葉ヲ口ニシタ者ハ前ニ出ヨ。コノ場デ切リ捨テル」
二人の絶対者の言葉と殺気に、リザードマンたちは思わず恐怖に身を凍りつかせた。
とんでもないことを口にしてしまったのだと理解しても後の祭り。
もしや村までも破壊尽くされるのでは、と思ってしまうほどの威圧感に冷や汗を滝のように流す中、それを吹き飛ばしたのは高い幼い笑い声だった。
「ははははっ、俺がコキュートスの部下か! それも面白いな! どうだコキュートス、俺を部下にしてみるか?」
「ウ、ウルベルト様!?」
「何ヲ仰ラレマス! 至高ノ御方ニオ仕エスルコトガ我ラノ存在意義! ソノ御方ヲ部下ニスルナドトッ!!」
「ああ、分かった分かった。ふざけて悪かった」
可愛そうなくらい慌てふためく二人の守護者に罪悪感を感じて、ウルベルトはすぐさま言葉を撤回して謝罪する。その途端、ほっとした雰囲気がこの場の至る所から零れ出た。最もその安堵は二つの意味に明確に別れていたのだが…、しかしウルベルトはそれに気が付きながらも言及をしようとは思わなかった。
ウルベルトとしては先ほどの言葉は不快に思うものでは決してなく、逆に面白いとさえ感じていたのだ。
しかしデミウルゴスやコキュートスのことを思えば締めるところは締めた方が良いかと思い直し、改めてリザードマンたちの方へと向き直った。
「混乱させてしまったようで、すみませんね。私の名はウルベルト・アレイン・オードル。モ…アインズの、友人のようなものです」
「ご友人、ですか……?」
ユグドラシルにおいて“ウルベルト・アレイン・オードル”として使っていた口調に変えてリザードマンたちに話しかける。
それに応じたのはコキュートスから連合長だと紹介された一体のリザードマンで、彼はどこか納得しかねるような声で返してきた。部下ではなく友人なのか?とその顔にははっきりと書かれている。まぁ、間違ってはいないだろうと思いながらも、ウルベルトはどう説明したものかと少しばかり頭を悩ませた。
これが唯の奴隷などであればそのまま流すのだが、コキュートスがしっかり統治して世話を焼いているということは彼らの扱いはナザリックの配下と近い立場なのかもしれない。そうなると今後のためにもはっきりと説明しておいた方が良いだろう。
「そうですね…、君たちには少し難しい話かもしれませんが、もともとアインズも私も41人からなる一つのチームからなる仲間でした。そしてアインズはそのまとめ役だったのですが…、いろいろな理由で今はメンバーは私とアインズのみ。ですので私はアインズの部下というよりかは友人に近い者なのですよ」
「そう、なのですか……」
一応頷いてはいるものの、その顔はいまいち分かっていないような顔だ。
しかし正直これ以上どう説明したものか分からないウルベルトはさっさと丸投げすることにした。
「まぁ、詳しくはコキュートスから聞くことです。…コキュートス、頼みましたよ」
「ハッ!」
「…では、そろそろ次に行きましょうか。本当はもう少し見て回りたかったのですが…お前たちも至急しなくてはならないことができたでしょうからね」
「ハッ、オ心遣イ感謝イタシマス」
急なウルベルトの来訪と先ほどのリザードマンたちの言葉から、至急彼らにはしなくてはならない問題が出てきてしまった。村の中を見せてもらうのはまた次の機会にした方が良いだろうと判断したのだが、それは正解だったようだ。
配下たちと揃って臣下の礼を取るコキュートスに軽く手を上げて応え、ウルベルトは後ろに控えているデミウルゴスを振り返った。
「では、次はどちらに参りましょう?」
「そうですね…、確か人間の村も手中に収めているのでしょう? 次はそちらに行きましょう」
「畏まりました」
ウルベルトの言葉に応え、デミウルゴスはすぐさま再び半悪魔形態へと姿を変える。大きく羽ばたいて上空へと飛び上がるのに、ウルベルトも再び魔法を唱えて宙へと飛び上がった。
足下へと移動したコキュートスたちに別れを告げ、ウルベルトはデミウルゴスに促されるままに示された方向へと飛び始めた。
一番初めに“アインズ・ウール・ゴウン”が手に入れたという人間の村、カルネ村。
アインズに聞く限りでは森の近くにあるらしく、到着するのにそう時間はかからないはずだ。
「デミウルゴス、そう言えば今から行くカルネ村の連中はモモンガさんが異形種だと知っているのか?」
「いえ、偉大な力を持った人間の
「そうか…、ならこの姿のまま村に行くわけにはいかないな。一度村の近くで降りるぞ」
「畏まりました」
アインズが人間と偽っている以上、こちらが勝手にバラす訳にはいかない。
デミウルゴスもそれに思い至ったのか、一度頷いて少しだけ飛んでいる方向を変更させた。
暫くすると立派な塀に囲まれた村が姿を現し、ウルベルトとデミウルゴスはその手前の森の入り口付近に舞い降りる。
チラッと生い茂る葉の間から村の様子を伺うと、改めて二人は互いに目を向けた。
「どういたしますか?」
「俺は幻術で人間に変身できるが、お前は確か使えなかったな…。よし、それじゃあこれを貸そう」
空中に手を伸ばしてアイテムボックスを開き、その中から一つのマジックアイテムを取り出す。
ネックレスの形をしたそれは、完全不可視化の魔法の力を宿したもの。トップ部分がエジプトのホルスの目を思わせる目の形をしており、悪魔の持ち物としてまぁまぁ似合うだろう。
感極まって恭しくネックレスを受け取るデミウルゴスを横目に、ウルベルトは早速幻術をかけることにした。
大きな魔力が小さな身体を包み込み、ぼんやりと輪郭が朧になっていく。一瞬の空白後、そこに立っていたのは仔山羊の悪魔ではなく七歳くらいの人間の美少年だった。服は今まで着ていた物と全く変わらないため、どこぞの大貴族の御曹司のようである。
「どうだ? 人間に見えるか?」
「はい。お見事です、ウルベルト様」
「ウルベルト様、お見事です!」
デミウルゴスの声に被さるような勢いで第三者の声が響いてくる。ギョッとしてそちらを振り返れば見知った姿が映り込み、ウルベルトは思わず安堵の息を吐き出した。
「…ルプスレギナ、いつからそこにいた」
「つい先ほどです。デミウルゴス様から知らせを受け、お迎えに上がりました」
ナザリックのメイドに相応しい優雅な動きで礼をするルプスレギナ・ベータ。
ウルベルトは未だ驚きで不規則に動いている鼓動を何とか落ち着かせようと試みながら、顔には何でもなさそうな表情を張りつけてルプスレギナへと歩み寄った。
「そうか、出迎えご苦労。早速、村へ案内してくれるか?」
「はい、勿論です! どうぞこちらへ」
普段のおちゃらけた口調は鳴りを潜め、メイドに相応しい口調と行動でもってウルベルトを促してくる。ウルベルトは一つ大きく頷くと、デミウルゴスがネックレスを装備したのを確認してその後に続いた。
森と平原を抜け、村へと続くみすぼらしい街道を辿って村へと向かう。
目の前の村は上空で見た時と同じように立派な塀で囲まれており、まるで砦か何かのようだ。これでは逆に要らぬ警戒心を持たれるのではないか?とお節介にも心配をする中、ウルベルトたちは何事もなく塀の門の前まで辿り着いた。
さてさて門番でも出てくるのかな?と思う中、不意にルプスレギナが扉まで歩み寄ると、そのままさっさと一人で重そうな門を押し開けてしまった。
「いやいやいや、そんな勝手に開けていいのか!?」
「ウルベルト様に対してその道を妨げるなど許されぬこと。どうぞお入り下さい」
「………ぇ~…」
至極当然だと言うように言われてしまって、ウルベルトは思わず小さな声を上げながら心の中で顔を引き攣らせた。
なんだその暴君思考…と思わないでもなかったが、ふとナザリックに属さぬ者に対しての彼女たちの認識のことを思い出して何とか言葉を呑み込んだ。
これは仕方がないことであって、至高の四十一人と称えられるウルベルトやアインズでも変えることのできないことだと思い直し、諦める。
しかしその一方で少し心配になった。
アインズからはとても友好的に関わり合っていると聞いていたが、果たしてそれをそのまま鵜呑みにしても良いものか…。
「…ウルベルト様?」
「ああ、すまない。…今、行く」
中々村に入ってこないウルベルトを心配してか、ルプスレギナが困惑気に声をかけてくる。今はネックレスの効果で姿が見えないデミウルゴスも心配しているのか、彼がいるであろう方向からも視線を感じてウルベルトは思わず苦笑を浮かべた。何でもないというように頭を振り、ゆっくりと村の中へと足を踏み入れる。
村の様子は仰々しい塀や門には似つかわしくないほどの、どこにでもあるような普通のものだった。あるのは小屋のような木造の家々と豊かな畑。穏やかという言葉が似合う、どこまでも平和そうな景色。しかし平和的とは言えぬ気配が近づいてくることに気が付いて、ウルベルトはスゥッと小さく金色の瞳を細めさせた。
「…おやおや、お出迎えかな?」
伝わってくる気配からそうではないと分かっているのに、ふざけてそんなことを口走る。しかしその顔は美しい微笑を浮かべているのに目は決して笑ってはいない。一気に警戒心を強めた主に応えるように、ルプスレギナは殺気を纏い始め、デミウルゴスはウルベルトを守るために彼の前に立った。
そしてまるでその時を待っていたかのように、前方からだけではなく多くの家の影から小さな大軍がウルベルトたちを取り囲んだ。手に持った剣や槍の矛先を真っ直ぐにウルベルトへと向け、威嚇するように殺気を向けてくる。
その全てが多くのゴブリンや少数のオーガたち。
あまりに突然のことに彼らの気配に気が付いていなかった村の人間たちが驚きの表情を浮かべるが、ゴブリンたちは気にする様子もない。いや、気にする余裕もないのか…よく見れば彼らの額には多くの冷や汗が流れていた。
「……お前たち、この方に矛を向けた覚悟はできているのでしょうね」
ルプスレギナの可憐な唇からドスの利いた声が零れ出る。普段の彼女からは凡そ想像もつかない声と鋭すぎる殺気に、ゴブリンたちは戦慄したように咄嗟に得物を持つ手に力を込めた。
彼らからすれば生存本能からくる反射的な行動だったのかもしれないが、それはこの場においてはあまりにも逆効果だった。
更に警戒を強めた彼らに反応するように、ルプスレギナとデミウルゴスの殺気も鋭く大きく膨れ上がる。
これは流石にまずいな…とウルベルトが二人を止めようとする中、その前に三つの影が村の奥からこちらへと駆け込んできた。
「ちょっと、みんな何をしてるのっ!?」
「エンリ将軍、危険です! 下がってくださいっ!!」
「何を言ってるんだ! 相手は唯の小さな子供じゃないか!!」
慌てたようにゴブリンたちを止めに入ったのは二人組の男女と一人の幼い少女。女と少女は姉妹なのか、どこか顔が似通っているように見えた。
「あ、あの、ごめんなさい! 普段はこんなことは………、ルプスレギナさんと一緒ってことは、もしかして…!」
「…エンリ・エモット」
「っ!!」
未だ慌てたように声をかけてくる少女の言葉を遮ってルプスレギナが声を発する。
恐らく少女の名前なのだろう、ルプスレギナの声と共に少女が言葉が詰まったように息を呑む。
しかし至高の主に刃を向けられて彼女たちが何もせず黙っている訳がない。更に殺気を溢れさせ、大きな目をギラギラと見開かせた。
「私たちの主の御一人であるウルベルト様に刃を向けておいて、今更許されるとでも?」
「「っ!!」」
ルプスレギナの言葉に、今度は少女だけでなく村の人間全員が息を呑み顔を蒼褪めさせた。
彼女が村の救世主であるアインズに仕えている人物だということは村の誰もが知っていることだ。その彼女が主の一人と呼ぶこの少年は、つまりアインズと深く関わりのある人物ということに他ならない。
自分たちは大変な人物に武器を向けてしまった、と誰もが絶望感に戦慄する。
いくらゴブリンやオーガたちが過剰反応しただけだと言っても、決して許されるものではない。
加えてゴブリンとオーガたちが未だウルベルトに武器を向けていることも問題だった。
ゴブリンたちからしてみれば武器を収めようにも恐怖に身体が凍り付いてしまって武器を収めることができないだけなのだが、村人たちはそれに気が付かず、ルプスレギナやデミウルゴスにとってはそんなものは関係ない。どんな理由があるにせよ、一度武器を向けてきたのなら容赦などしない。自分たちに対してなら百歩譲って許せても、至高の御方に向けるなど言語道断。
今すぐ皆殺しにしてやる…と腸が煮えくり返る思いそのままに戦闘態勢に入ったその時、今まで黙って成り行きを見守っていたウルベルトが徐に口を開いた。
「……静まれ」
「「っ!!」」
どこまでも凛とした幼い声が絶対の音を帯びて二人の動きを完全に束縛する。
ルプスレギナがすぐさま戦闘態勢を解いて跪くのを見やり、デミウルゴスも全く同じことをしていることを気配で感じて、ウルベルトは改めて少女たちへと目を向けた。
「…私のシモベが申し訳ないことをしましたね」
「…い、いえ…。こちらこそ、…申し訳ありませんでした」
「いえいえ、主を守ろうとするのはシモベとして当然のことですよ。……だが」
不自然に言葉が途切れ、ウルベルトの金色の瞳が少女からゴブリンたちへと向けられる。
その瞬間ルプスレギナやデミウルゴス以上の強い威圧感が小さな身体から噴き出し、この場にいる全ての者が恐怖に息を呑み、小さな悲鳴を上げる者さえいた。
「過剰反応しすぎて主に迷惑をかけているようではいけませんねぇ。それはシモベとして失格だ。……いくらゴブリンといえど、我々との力の差は分かるでしょう?」
「……………………」
ウルベルトの言葉に、ゴブリンたちは誰も何も言わない。いや、恐怖のあまり声を出すことさえできなかった。
彼の言う通り、自分たちの力量差など天と地ほどに離れている。信じられないことではあるが、恐らくこの目の前の子供は危険視していたルプスレギナよりも強いのだろう、と…。
「………お、お言葉ですが…」
「おや、なんですか?」
痛いほどの緊張感の中、震える少女の声がウルベルトへと向けられる。
少女へと目を戻せば、彼女は必死に恐怖を押し殺して強い瞳でこちらを見つめていた。
「彼らは、シモベではありません。…確かに、彼らは私を主とし、命令に従ってくれています。でも…私は彼らのことを大切な家族だと思っています!」
勇気を振り絞って、まるで叫ぶように言ってくる少女にウルベルトは思わず目を見開いた。
暫くマジマジと少女を見やり、不意に笑いが込み上げてくる。
「…フフッ、…アハハハハハッ!! なるほど、確かに興味深い!君自身が言うのだから、それは本心なのでしょうね。私とて、このルプスレギナを始めとする多くのシモベたちを我が子のように大切に思っています」
未だ跪いて傍らに控えているルプスレギナを見やり、ウルベルトが優しく目を細めさせる。いっそ七歳の少年には似つかわしくない表情に、少女…エンリは思わず戦慄いた。
目の前の少年は見るからに妹であるネムより年下だ。なのに大人であるルプスレギナを“我が子”と呼び、彼女以上の威圧感をもってこの場を支配している。
あまりにも予想外の存在に、エンリは絶望感にも似た途方もない恐怖に身を震わせた。
「しかし…ならばこそ、シモベたちはきちんと教育することです。…大切な家族とやらを失いたくないのならね」
「…っ…!!」
少年には似つかわしくないニヤリとした邪悪な笑みに、これ以上この場にいる誰も耐えることができなかった。まるで威圧感に押し潰されるかのように、ゴブリンやオーガを含んだこの場にいる全員が膝をついて首を垂れる。決して頭を下げている訳ではなく恐怖により身体に力が入らず起こったものではあったが、傍から見ればそれはこの場にいる全員がウルベルトに平伏しているように見えただろう。
ウルベルトは悪魔としての自分が愉悦に高笑いしているのを感じながら、必死にその衝動を堪えて柔らかな笑みを意識して浮かべた。威圧感も解いて優し気な声で語り掛ける。
「さて…、本当は村の中を見て回らせてもらおうと思っていたのですが、これでは無理そうですね」
「っ!!」
「ああ、どうか気になさらず。またの機会に改めてお邪魔させて頂きますよ」
ウルベルトの言葉に怯えたように殆どの者たちがビクッと身体を震わせる。しかしウルベルトとて彼らを怯えさせた上、これ以上彼らの負担を増やすのも少しだけ気が引けた。リザードマンの村に引き続いてのこの状態に何も思わない訳ではなかったが、それでも巡り巡ってアインズに迷惑をかける訳にもいかない。
ウルベルトは恐縮したように跪いてから微動だにしていないルプスレギナを振り返ると、安心させるようにそっと手を伸ばした。
彼女からすれば、村の監視をアインズから任されているため、この状況に責任を感じているのだろう。村の連中は正直どうでもいいが、ナザリックの一員であるルプスレギナが打ちひしがれているのを見るのはひどく胸が痛んだ。
「ほら、顔を上げなさい、ルプスレギナ。お前がそんなに責任を感じる必要はないのですよ」
「ウ、ウルベルト様…、ですが……」
「思えば、何も配慮しなかったこちらも悪いのです。今日のことは私の方からアインズに報告しておきましょう。お前は何も悪くない、良いですね」
「っ! …ありがとうございます!!」
優しい手つきで頭を撫でながら言われた言葉に、ルプスレギナは感極まったように再び深々と頭を下げた。勢いよく揺れる赤毛のおさげがまるで犬の尻尾のように見えて、ウルベルトは思わずふふっと小さく笑みを零す。しかしいつまでもここにいては再び恐縮させてしまうだろうとウルベルトはさっさと行動に移すことにした。呟くように〈
「それでは失礼させて頂きます。また改めてお伺いさせて頂きますので、その際はどうぞ宜しくお願い致します」
ウルベルトは宙に浮いたまま優雅に一礼すると、次には勢いよく上空へと駆けあがった。見る見るうちに上空へと飛んでいく少年は、瞬く間にその姿を見えなくさせていく。
地上の村から500mほどまで上がってやっと上がるのを止めると、そのままフゥッと大きなため息をついた。
「…宜しかったのですか、ウルベルト様?」
不意に何もない空間から聞き慣れた美声が聞こえてくる。
ネックレスを外すことで姿を現したデミウルゴスは半悪魔形態の大きな赤いギョロ目でじっとウルベルトを見つめていた。
「…まぁ、リザードマンの村は兎も角、正直人間の村はそれほど見て回りたかったわけではないしな。それよりはモモンガさんに迷惑をかけないようにする方が良いだろう」
未だ足元に見える村を見下ろしながら答えれば、デミウルゴスも応えるように空中で優雅に頭を下げてくる。
先ほどの自分と同じような行動に思わず笑い声を零しながら、ウルベルトは気を取り直すようにデミウルゴスを振り返った。
「さてと。それで…まだ行きたいところはあるんだが、まだ付き合ってくれるか?」
「勿論でございます。それが私の願いですので」
本当に嬉しそうな笑みを浮かべて肯定するデミウルゴスに、ウルベルトも嬉しくなって思わず満面の笑みを浮かべる。
「よし! じゃあ次はアウラの作ったナザリック第二号を見に行くぞ!」
「はい、ウルベルト様の仰せのままに」
少しふざけたような台詞も、デミウルゴスは柔らかな笑みと共に頭を下げる。
アウラなどが聞けば「ナザリックの第二号だなんて!」と恐れ多くて委縮してしまうところだが、勿論デミウルゴスがそんなことをするはずがない。彼にとって至高の四十一人の言葉は何より優先されるものであり、とりわけ自身の創造主の言葉は絶対なのだ。ウルベルトがそう言うのであれば、アウラの作った砦は誰が何と言おうと“ナザリック第二号”なのだ。
しかしそんなことをデミウルゴスが考えていることなど露知らず、ウルベルトは呑気な笑みを浮かべてデミウルゴスを促すのだった。
「行くぞ、デミウルゴス」
「はい、ウルベルト様」
蛙のような姿と人間の姿の悪魔は、揃って優雅に空を駆け抜けた。
何だかんだで、まだ一つもちゃんと視察(?)できていない件について……orz
幻術に関しての記述は完全捏造なので、あしからず……。