サン=サーラ...   作:ドラケン

10 / 95
第二章 剣の世界《クランヴァディール》 Ⅱ
戦乱の地平 対なる神剣 Ⅰ


「ん……?」

 

 目を覚ましてみれば、まるで鉛を詰め込んだように身体が重い。起きたばかりとは思えない、何か、名残のような喉の潤いに満足感と忘却感に我と無我をフリッカーさせながらゆっくり瞼を開けば、角灯の薄暗い灯に照らされた室内。油の燃える、甘い鼻に付く臭いとジリリという音。

 少しして、自分が固めのベッドに寝かされている事に気付く。

 

「……目が覚めましたか?」

「え……?」

 

 隣から声をかけられて、視線を向ける。霞んだ目にはすぐに情報が入って来ないがそれは、椅子に座り、黒い鎧を纏う長い髪の--おっさん。いや失敬、お兄さん。

 

「しかし良く助かったものです。あれだけの傷、普通ならば失血死していてもなんら不思議ではありませんよ」

「……はぁ」

 

 思わず、そんな気の無い返事をしてしまった。

 

「--あ、っガァッ!!」

 

 次の瞬間、正に思い出したように背中と胸に焼け付く痛みが走り回った。さながらミイラのように巻かれた包帯の上から、己の身体を抱きしめる。

 

「あ、動いてはいけません。折角塞がった傷が開きますよ」

「はい……」

「それでは皆様をお呼びしてまいりますので、タツミ殿はそのままお休み下さい」

 

 男は噛んで含める様にそう言うと、椅子から立ち上がる。鎧と剣が擦れて音を立てた。

 

「あ、すみません、えっと……」

「これは失礼。私はクロムウェイと申します」

「あ、これはどうも。巽空です」

 

 つむじを見せない挨拶をする、クロムウェイ。その威風堂々たる様は、『騎士』と呼ぶに相応しいだろう。彼は踵を返し、扉を開けて部屋を後にした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そのままゴワゴワのベッドに身を預けていると、けたたましい音……恐らくは足音が聞こえてきた。総数は--

 

「七人……」

 

 何と無くそう口にして居住まいを正して身を起こした--ところで、扉が開いた。

 

「空!」

「ぶわ!!」

 

 途端に、縋り付いて来る少年。がっしりと空に抱き着いた彼は。

 

「な、おま……ちょ、望?!」

「良かった、本当に良かった!」

 

 そう、世刻望。戦闘装束のままの少年が、思い切り抱き着いた。

 

「待て、分かったから望、離せ! 傷に沁みる……傷が開く!」

 

 頚元で囁く男の声に、若干鳥肌を立たせつつも彼には神剣士の力に抗いようも無い。まな板の上の鯉、つまり為すがままである。

 

「お、落ち着いて、望ちゃん! 空くんの傷が開いちゃうよ!!」

 

 流石にマズイと、希美が止めに入るが、その間もメキメキと力は篭り続けている。

 

「シャッターチャ~ンス♪」

「撮るなぁぁぁッ!!」

 

 面白がった美里が、パシャリとシャッターが切った。その様子を遠巻きに眺めていた残りの面子、沙月と信助、そしてクロムウェイと金髪の鎧少女は苦笑を浮かべるばかりであった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一通り状況説明が終わり、現状を知る。そしてその働いた無謀を物部学園勢にこってり絞られた。今彼等が居る此処は『ヨトハ村』という所で、空を助けた者達の村らしい。

 やっと過程を思い出してポンと手を打ち、続き思い出す。まるで虎の如く猛々しい風貌と威圧感。それらを思い出して、心臓が握り締められた様にたどたどしく拍動する。

 

「それが、ダラバ=ウーザだったのですね?」

「ダラバ……ああ、そういえば、そう名乗りました。確か『夜燭のダラバ』だ……って」

「……?」

「……?」

 

 一応は反応して、彼はその声の主に向けて不思議そうな顔をした。それを受けた鎧の少女も不思議そうに見詰め返した。

 

「「…………」」

 

 しばし絡み合う、視線と視線。円く開かれた少女の瞳と、三白眼の空の視線。その静かな時間は。

 

「……誰、ですか?」

 

 空の一声に破られたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「私は、カティマ=アイギアスと申します。以後御見知り置きを」

「あ、どうも御丁寧に。巽です。巽空と申します」

 

 カティマとの自己紹介を終えて、空は頭を下げた。その人が命の恩人だった事も思い出して。

 

「いや、本当に有難うございますアイギアスさん。貴女達に助けて貰えなかったら、今頃どうなっていた事か」

「そんな、お気になさらずに巽殿。困っている方を見れば助ける、当然の事をしたまでですから」

 

 先ず『巽です』と名乗った為に苗字で呼ばれる事になったらしい。互いにペコペコと頭を下げ合う姿は、何と無く部屋の空気を弛緩させた。

 

「それに、巽殿のお陰で私はあの場所へとたどり着く事が出来たのです。感謝してもしきれません」

「感謝?」

 

 その不思議な物言いに彼は疑問を抱く。感謝するべきは自分の方なのに。

 そして妙に下手に出られているのは何故だろうか、と。

 

「はい、お陰で他の天使様方とも出逢う事が出来ました。巽殿は、我々の導きの天使なのです」

 

 それはその言葉で確実なモノとなった。

 

「『天使』って何の事でフガ?!」

 

 突然息を詰まらせる空。沙月の、【光輝】を纏う拳の一撃が綺麗に入ったのだ。

 

「良いから、黙って話を合わせておきなさい。分かったわね」

「了解、雇用主……」

 

 恫喝のような……否、正真正銘の恫喝に空は頷いた。頷かざるを得なかった。

 

「あ、あの、どうなさったのですか? 見事な手刀が延髄に入ったように見えましたが」

 

 流石は戦いを旨とする剣士だ。その文字通り閃光の様な一撃も、きちんと目撃していた。何事かと驚きに目を大きくして。

 

「いえいえー、なんでもないわ。ちょっと記憶が混乱してたみたいだから叩いて直そうと思ったの」

「俺は昭和のテレビか何かですか? ていうか、どっちかといえばそのお陰で記憶飛びそうになったんですけど」

 

 しれっと言う沙月に間髪容れず空のツッコミが繰り出される。

 そこに望の苦言が入った。

 

「先輩……空は怪我人ですよ」

「望……お前が言うな」

 

 薄く開いた眼がギラリと光って、当然その天然ボケも撃墜する。望は実にバツが悪そうに、ナハハと笑った。

 

「あ、そうです。すっかり忘れていました」

 

 と、カティマが何か思い出した。少し離れた衣装棚から、包みを差し出す。

 包み袋を開けば、それは彼が身に付けていた一式。破けて血と泥に塗れた上着と、黒金に煌めく鍵のアクセサリー。

 

「……アイギアスさん、他に……何か有りませんでしたか?」

 

 低く呟く、その顔面は蒼白だ。

 

「申し訳ありません、その…証明になれば、とお借りしました」

【やっほー、旦那はん。わっちの心配をしてくれはるなんて、旦那はんてば……】

 

 その余りの様子に慌てたようなカティマが、何かを差し出した。掌に載っていたは、ホルスターに収まった【幽冥】だった。

 だが、それではない。今、彼が探しているのは別のモノだ。

 

「お守りが在りませんでしたか、このくらいのサイズの」

「お守りですか? いえ、巽殿がお持ちの物はそれで全てですが」

「……そう、ですか」

 

 一度深く息を吸い込み、大きな溜息を落とす。酷く憂鬱そうに、不甲斐ない己を叱咤するように。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その後、怪我人以外はヨトハ村で催されている宴……と言ってもささやかなモノだが……に戻っていく。

 

「--巽くん」

「--はい?」

 

 最後に扉をくぐろうとした沙月が立ち止まり呼びかける。何事かと、空は若干身構えた。

 

「私はね、君が苦手。何考えてるのか解らないし、スタンドプレーばかりだしね」

「はぁ、それはすいません」

「だけどね--」

 

 がん、と戸を叩く音。握られた沙月の拳が立てた音だ。

 振り向かない、後ろ姿のままで彼女は言い放った。

 

「あなただって物部学園の一員、護るって言った皆の一人よ。次に自分の命を軽視した行動を取ってみなさい、その時は--私が貴方のチカラを打ち砕いてあげるわ。覚えておきなさい」

「……了解、雇用主」

 

 残るは、空ただ一人。一人彼は苦笑して枕に頭を沈めた。

 そして、思考を深みに落とす。感じるのは--紅く倦んだ闇。

 

「……よぅ、『オレ』」

『……』

「散々に邪魔してくれたな。いい根性してんじゃねェか」

 

 答えは、返らない。だが、それでも問題ない。こっちから一方的に告げるのみだ、今回は。

 

「今回きりだ、許してやるのは。今はすこぶる気分が良いからな。なんせ漸く、戦える様になった。ある意味じゃあお前のお陰か」

『…………』

「そう、次は無いぞ『蕃神』? 同じ事をもう一度遣ってみろ、俺の手で貴様を撃つ。解ったな!」

 

 有りったけの殺意を篭めて壱志を叩き付ける。脅しなどではない、もうそれが出来るのだから。

 

『解った。これよりオレは裏方に徹する。必要とした時以外は出て来ない、それで良いんだろう?』

「殊勝だな。だが、それで良い」

 

 話を終えると、拍子抜けする程あっさりと引き下がった『自分』に応えて。意識を浮上させる。

 

『--だがな、一つ言っておく。もし貴様に隙が有れば……オレは容赦無く、貴様を殺す。その心を打ち砕いてな』

「やれやれ……構わねェよ」

 

 そして遠ざかっていく気配に、彼はそう苦笑しながらいた。

 

 部屋の壁には、涼やかな夜気と光を流し込む窓。そこから大きな満月が覗き込んでいる。

 

「…………」

 

 ベッドに寝そべって、剥き出しの梁を見詰める。胸元に手を当てれば、ズキリと傷が痛んだ。

 希美の緑魔法も効かない訳ではないが、彼の身体には大した効果を及ぼさない。その癖、敵の魔法は良く効くのだから困ったもの。

 

「--ッ……!!」

 

 遅れてやってきた、その震え。思い出した、圧倒的過ぎる強さ。確かな経験と実力に裏打ちされた、虎の如く獰猛な刃金の体躯。

 その担う、神のチカラの結晶。黒く鋭い大型剣、永遠神剣第六位【夜燭】の煌めき。

 

--あれが本物だ、本物の強さだ。純然たる力、何もかも……善悪も道理も不条理も、みんな全てを捩じ伏せるだけの神のチカラ。

 

 感じたのは、畏怖。そして魂の奥底から沸き上がった--久しく忘れていた感情。

 

「--勝ちたい……な」

 

 その渇望。あの存在に勝ちたい、あの力を撃ち倒したいとの渇望が。

 彼の力では、一切敵わなかった。だが、それは『今の彼』だ。今は敵わないが、それでも彼はあの絶望的な状況から生き残ったのだ。死ぬと覚悟したあの状況から。

 

--だから、まだ太刀向かえる。俺自身の『可能性』を信じて!

 

「……ッく……!」

 

 痛む身を起こして、ベッドから降りる。足を付くだけでも、吐き気がした。

 

--ならば、こんな所でのうのうと休息など取っていられない。今すぐ始めなければ。

 少しでも実力差を埋める為に。人間が神に対抗するには……血を流すしか、有りはしない。

 

【……無茶しはりますなぁ。傷が開いても知りませんえ?】

 

 ベルトに挿した【幽冥】から、呆れた思念が流れ込む。それに何一つ答える事無く、扉を開いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方その頃。静まり返った階下では、カティマとクロムウェイが向き合っていた。流れている空気は相当重い。それも当然だ、何せ、ダラバ率いる軍事国家グルン=ドラスに対抗できるかもしれないと期待していた天使から『結論は待ってほしい』と告げられたのだから。

 

「……色良い返事が頂ければ良いのだが」

「……仕方ありません。彼等とて彼等の事情があります。それに、助力が得られなかったとしても、今までと変わらないというだけの事です」

 

 カティマは己の胸に拳を当てる。当てたままで決意を新たにするように、そう呟いた。

 床の軋む音が響いたのはそんな折。二人は機敏な動作で、音源を見た。

 

「……あ、どうも」

「巽殿? まだ動かれては」

「大丈夫ですよ。これでも一応、神の武器の遣い手ですからね」

 

 慌てて支えるべくクロムウェイが駆け寄ろうとするが、それを手を振って押し止める。

 

「あの、すみません。水を頂いて良いですか? それと残り物でも良いんで、出来れば食事も」

「ええ、問題は在りませんが」

 

 『本当に大丈夫なのですか?』という疑問を顔に張り付けたまま、食事の用意にクロムウェイは奥の部屋に消えて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 運ばれてきた簡単な野菜スープとサラダ、パンと水。それを、昔時深により矯正されかけた右手で特に不自由せず右手で摂り終え、宴での話を聞いてその内容に考え込む。

 腕を組み、包帯に包まれた左手の親指を眉間に当てた。

 

「望殿達はお帰りになられました。巽殿は…動くのは危険ですので、今日はゆっくりしていかれた方が良いかと私が具申致しました。差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ありません」

 

 部屋に居るのは、空とカティマのみ。クロムウェイはカティマの指示で部屋を出ていった。

 

「そんな、御迷惑を掛けているのはこちらですよ。厄介者の為に手を煩わせてしまって、本当に申し訳ありません」

 

 またペコペコと頭を下げ合ってしまう。元より、気を遣う性分の二人である。止める者が居ないと際限が無い。

 空は自ら水挿しから水を注いで、一気に飲み干した。何かを振り切る様に。

 

「クロムウェイの話では、巽殿の傷は早ければ二週で塞がるだろうとの事です。【夜燭】の切れ味は凄まじいの一言に尽きますから」

「二週ですか……長いな」

 

 深くは無いが広い傷、背と胸に走る刀傷。縫合してあるそうだが、包帯で見る事は出来ない。

 希美やポゥの魔法で治癒を促進されているが、瘡蓋が張っただけの状態で激しい動きをすればまた裂けるだろう。

 

「……巽殿は、ダラバ=ウーザと戦って生き残ったのですよね?」

「生き残ったと言うか逃げ延びた、ですけどね」

「十分に凄い事です。あれは目に映る全てを殺し尽くす悪鬼。それに、鉾もいたのでしょう?」

「俺だけの力じゃ、まずあそこで死んでましたよ。クリストの皆がいてくれたからです」

 

--彼女らも、上手く逃げ延びたらしい。斑鳩の話では随分と心配してくれていたそうだ。後で詫びを入れないと。

 しかし、つくづく因果な話だな。南北の剣神の転生体が争う世界か、未だ争う宿命に在ったとは。

 

 記憶に残る情景。かつて自身も『神』として参戦したその神世を弐天に分かつ騒乱『南北天戦争』の一幕。セピアに色褪せた、古い活動写真のように途切れ途切れにしか思い出せない記憶。それを水を飲みながら漁っていた彼は。

 

「--え?」

 

 やおら立ち上がると、勢いよくその場に跪づいたカティマの行動に面食らった。

 

「--巽殿、平にお願い申し上げます! どうか……どうか我々に御協力いただけませんか!!」

「あ、アイギアスさんっ!? 頭を上げてください!!」

「お願いします! 圧倒的な実力を持つダラバに尽きる事無い鉾。もう、我々の力だけでは限界なのです! どうか……皆様の御力をお貸し下さい!」

 

 切羽詰まったような早口に空は悟る。宴の席で彼女らは物部学園の一行が、彼女らの期待していた『天使』でない事は解っている筈。協力を申し出たが、色良い返事が貰えなかった事も聞いた。

 

「……お願いします、巽殿。巽殿からのお口添えを頂けませんか? どのような条件でも構いませんから……」

 

 だから追い詰められてしまったのだろう。もとより責任感の強い彼女は。

 

「……貴女が、そこまでする理由は何ですか?」

 

その問い掛けに、カティマは暫し逡巡していた。だが、意を決したらしく顔を上げる。

 

「私は--ダラバに亡ぼされた、アイギア国の王位を継承する資格を持つ者…カティマ=アイギアスです。グルン=ドラス軍事国家の圧政に苦しむ国民達を救う為に、全てを以って答える義務があるのです……」

 

 ある種、想像通りの答えに彼は再び左手を眉間に当てた。確かにどう考えても、その美質や物腰は戦場のモノではなかった。どこぞの貴族か、あるいは、と。

 その眼を開き、彼女を見遣る。鋭い三白眼で。彼女もまた、真摯な青い瞳を逸らす事無く彼の目を見詰めていた。

--気丈な人だ。恐らくは一番、知り合って間もない者同士だろうに。

 

 水を飲み干す。そして、決意を固める。その決意に応えて、一向に冷えない頭で答えを出した。

 

「アイギアスさん……そうやって自分を犠牲にして、本当に貴女の国は平和になれますか?」

「そんな事……国を救う為に上に立つ者が犠牲となるは必定です! それが間違ったモノだと、誰が言えますか!!」

 

 妙にシラけた様子の空の質問にカティマは初めて語気を荒げた。それに彼は更なる言葉を紡ぐ。

 

「質問を替えます。もしここで俺が応えたとして、そうやって成し得た平和の果てに……貴女に何が残りますか?」

「私に、残るもの……?」

「ええ、そうですよ。貴女に残るものは、何ですか?」

 

 問い掛けに、はたと黙り込む。艶やかな薄紅色の口唇が開いたり閉じられたり。言葉が出たのは、余程してから。

 

「平和が……平和と勝利、国民の安寧が……」

「違うな。それは貴女のものじゃない。国のものだ。俺が聞いてるのは、貴女自身に残るもの。それを聞かせて欲しいと言った」

 

 それを一刀の元に斬り伏せる。彼女の瞳が揺れて、ついに視線を逸らした。

 

「……なにも、無いでしょう? 始めからコレは取引にならない。俺ばっかりが得してしまうんですから」

「……巽殿」

 

 彼女が彼に視線を戻した時、既にその眼は微笑んでいるようにも見える糸目。その頼りなげな様子で、彼は己の鼻の頭を掻いた。

 

「駄目なんですよ、そういうの。得しようとしてる奴を出し抜いて一人勝ちするのは大好きなんですけど……他人が自分から損しようとしてるの見ちまうと、どうにも我慢出来ないんです」

 

 目線を離して窓の外を見遣れば、満月が笑いを堪えているように見えた。

 

「……まぁ良いじゃないですか、もっと欲張っても。何かを犠牲にしなきゃ何も得られないってのは当然ですけど、だからって犠牲を強いる必要なんて無い」

 

--恥ずかしい。物凄く恥ずかしい。あの窓から飛び出して、夜の森に躍り込んで逃げ出してしまいたい。

 

 その衝動を堪えて、目線を戻す。不安げな眼差しに苦笑を送る。

 

「まぁ良いじゃないですか、今回は一人勝ちしたって。相手は悪逆非道の殺人鬼。どんな理由であれ、人を殺したからには殺されるのを覚悟してないなんて言わせない。一方的に奪っていった奴から、一方的に奪い返す。それこそ痛快、それこそ王者ってもんですよ」

「……言っている事が前後で目茶苦茶ではありませんか?」

 

 そのある意味破綻した論理に、彼女はクスリと。ようやく愁眉を開く。

 待ち望んでいた台詞を聞けた事に、空の表情も和らいだ。

 

「だと思えるなら、ちゃんと判断出来ますよね。貴女がこれから、どうするべきか」

 

 彼女は、ゆっくりと瞼を閉じた。そのままゆっくりと思案して。

 

「……はい、無礼を働きました。お許し下さい……巽殿」

 

 やっと晴れやかな、気高い満月のような笑顔を見せたのだった。

 

「ハハ、第一俺に取り入ったって良い事無いですよ。何の影響力も無い三下ですしね」

 

 その笑顔を受けて、彼も苦笑いを以って答えた。余り、上半身に負担をかけぬよう立ち上がって。

 

「……それに何も言われなくても俺は貴女がたに協力させてもらう心算でしたから」

「--えっ?」

 

 カティマの笑顔が驚きに変わる。空は、水差しの水を全てコップに注ぐとそれを飲み干した。

 

「何せ、この命は皆さんに救って頂きました。更には食事まで頂きましたし、これでハイサヨウナラなんて不義理な真似は俺の壱志が許しません」

「巽殿、では--」

 

 思わず立ち上がった彼女の眼に希望が灯る。そんな彼女と対称的に、今度は彼が跪づいた。

 

「他の皆がどんな結論を出すかは解りません。ですが、少なくとも俺--この『幽冥のタツミ』は、貴女に協力したい。恩顧に報いる為に、そしてこの身に受けた屈辱を返す為に。俺を、傘下に加えてやって下さい……『姫君』」

 

 その左手に永遠神剣第十位改め永遠神銃【幽冥】を番えて、頭を垂れる。それは、数時間前に彼女が望達にした行為に似ていた。

 

「……私は、姫ではありません。ここに在るのはアイギアの神剣士『心神のカティマ』です」

「いいえ、貴女は立派な王者だ。そんな貴女だからこそ、俺は助けとなりたいんです」

 

 眼を閉じ、反芻する。その時間は刹那。

 

--そうだ、それで良い。これが俺が望む事なんだ。貫き通すべき……俺の、壱志だ。

 

「有難うございます、巽殿。本当に……有難うございます」

 

 安堵したのだろう、うっすらと涙すら浮かべて彼女はそう呟いたのだった--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜の風が枝葉を擦り、さらさらと音色を奏でている。その静かな夜の森を、三人が歩いていた。

 一番前に、角灯を持つ少女の影。その後ろに付いて歩く大柄な影が二つ。

 

 やがて影達が立ち止まる。その目前の小高い山は……次元くじら『ものべー』だ。先頭に立って、角灯を提げていたカティマが振り返る。

 

「では、これにて失礼致します。お休みなさいませ……巽」

 

 『巽』と呼び捨てたカティマ。先程の誓いによって、僅かな間の事と言え臣下の礼を取った空本人が、『呼び捨てにしてほしい』と願った為だ。

 

「ええ、それではまた……姫君、クロムウェイさん」

 

 

 それに応えて、彼は頭を下げた。クロムウェイに借りた黒い外套を纏う空が。

 そしてカティマは『自分だけが呼び捨てにするのは、心苦しい。自分も呼び捨てにしてほしい』と告げたが、それは丁重に断られた。『臣下がそんな事では、周囲に示しがつかない』と。

 

 合図の拍手を鳴らすと彼は光へ変わり、やがて消えていった。

 

 空を見送り、彼女達はヨトハ村の神木の下へとやって来た。そこには、月光に照らされる一つの石が在る。自然の石ではなく、意味があってそこに据えられたもの。手入れの行き届いているその石碑には、苔すら生えていない。

 彼女は、溜息を落とす。そして、胸に手を当てた。感じたのは、心を圧迫していた澱が溶け始めている事。今だにその責任という名の膿は流れ出してはいない。

 

 だがしかし、確かに彼の言葉に動かされた心があった。まるで風に背を押されたように。

 

「クロムウェイ。私は信じます、あの方々を。きっとこの出逢いは偶然などではない、天が遣わせてくださった『運命』なのだ、と」

「思う通りにしなさい。それが、貴女の導べとなるでしょう」

「はい……両親より受け継いだ、この命で必ず--この大地に安寧をもたらして見せましょう。照覧下さい、母上」

 

 その、清々しい顔。先程までの追い詰められた気配の消えた笑顔に。クロムウェイは、本当に満足そうに笑い返した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昇降口から彼は、自室に戻らずある部屋を目指した。閉ざされた扉を叩いて名乗り、開けば--

 

「アッキーのバカーー-っ!」

「ぶふーーーっ!」

 

 顔面になにか、硬くて赤いモノがぶつかった。

 

「もーっ、心配かけてーっ!」

「だからって、お前……透徹城をぶつけてくる事ねェだろ!」

 

 椅子に座らせて貰えず床に正座させられる。少女達は、そんな空を見下ろしていた。

 

「今回ばかりは君の自業自得だ。随分と気を揉まされたんだからな、我々は」

「…………」

「うぐ、すみません……」

 

 ルゥとポゥの責める視線に、彼は殊勝な態度で俯く。

 

「でも、あれしか無いと思ったんです。気配を断ち切れる俺が最後に離脱しなきゃ、ミニオン…この世界では『鉾』って言うらしいんですけど、あれを振り切れませんでしたから」

「……その為に、タツミ様が命を落としかけても、ですか?」

「……はい。それでも、です」

 

 真摯な、アンバーの瞳……所謂『狼の瞳』と呼ばれる妖しい瞳でしっかり五人を見つめて、そう断言した空。これで鼻にティッシュが詰まっていなければ、一人くらいはポッとなったかもしれなかった。

 

「それは、身勝手です。そうして命懸けで誰かを守ったとして……遺された者が喜ぶと思っているんですか!」

 

 それに珍しく語気を荒げたミゥ。気圧された彼は、目を開いた。

 

「タツミ様、こんな事はこれきりにして下さい。もう二度と、自身の身を盾になんてしないで下さい。お願いします」

「……ミゥさん」

 

 沈痛な物言いに、他の皆の表情に空は悟る。恐らくは彼女の過去に何かがあったのだ、と。

 

「……約束は出来ません。俺には自分の命くらいしか賭けるモノがありませんから」

「--アンタね……!」

 

 その返事にゼゥが眦を吊り上げる。だがそれでも尚、彼はミゥを見据えたままで。

 

「--でも、死ぬ気はありません。必ず生き残る、その壱志の元に命を賭けてます。だから、それで勘弁してください」

 

 はっきりとその決意を告げる。己の意志を。

 

「…………」

 

 しばらく、そうして見詰め合う。やがて--

 

「……何を言っても、曲げられはしないんですね」

「すみません……真っすぐしか、取り柄が無いもので」

 

 やがて、諦めたように呟かれた言葉。曲がらない意志の者同士がぶつかったのならば、どちらかが曲がるしかない。彼女が、折れたのだ。

 それに苦笑いを返して、空は頬を掻いた。

 

「ですけど、それならこちらにも考えが在ります。ねぇ、皆?」

「はい?」

 

 と、ミゥが周囲を見渡して笑う。それに呼応して、居並ぶ少女達が頷き返す。

 

「タツミ様、サツキ様のお言葉はお聞きになっていますよね?」

「……は、い……」

 

 段々と、彼の顔色が悪くなってくる。単純に言えば、恐怖により青ざめている。

 

--ヤバい、殺られる! あの人はやる、必ずやる! 喜々としてやる、絶対に!

 

「……もし、この場でタツミ様がそういった言葉を口にしたのなら好きににして良いと、サツキ様は申されました。なので私達の好きにさせて貰います」

「あの、命だけは!」

 

 慌てて土下座しかけた空。その少年に--

 

「私達が、タツミ様の身をお守りしましょう。そして、思い知って下さい、私達がどんな思いをしたのかを」

 

 彼女はくすくすと意地悪く笑いながら、そう告げたのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。