サン=サーラ...   作:ドラケン

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兆しの鈴音 黒い拳士 Ⅰ

 早朝の静謐な空気が満ちる廊下のリノリウムの床に、六人分の影が落ちる。そのどれもが、大荷物を抱えていた。

 

「あ~、だっる~。朝っぱらからコレはきっついよな」

「文句を垂れてんじゃないわよ。巽くんを見習いなさいよ、あんたの三倍は持ってるわよ?」

「無理矢理持たせたんだろーが! 俺、怪我人なんだけど! 全身筋肉痛なんだけど!!」

 

 信助と美里と、空を筆頭にした六人。信助と空を除けば、美里も含めて『物部学園調理隊』の主力という、この学園にいる生徒でも指折りの料理名人達。

 両手に抱えた食材を食料保管庫に運び込むと、空以外『カティマさんの様子を見てくる』と去って行った。

 

「面倒くせぇなぁ……」

 

 言いつつ、空は頭を掻きながら近くの棚に乗っていた大学ノートを開く。帳簿として使われているそれは食品管理を受け持たされた彼が、几帳面を通り越して病的な迄にこだわっているモノだ。

 

 アズラサーセ救出戦から一日、ようやく落ち着きを取り戻した街は活気に充ち溢れていた。そこに、いい機会だと食糧品の買い出しに出掛けたのだ。

 道々、町人から有り難がられた彼等。何と言うか、居心地が悪い事この上なかった。

 

「…………」

 

 黒のボールペンで記入していた空が、溜息を落とす。そしちそれを仕舞うと赤いボールペンを取り出して、『▼』と数字を記入していく。

 

「足りねェ……誰だ、ちょろまかしてやがんのは」

 

 地獄から響くかのような声の後、ギリッと歯を鳴らした。それもそのはず、それは失態以外の何物でも無い。

 

--足りない。どう計算しても、足りない。昨日の夜に締めとして記帳しておいた量と合わない。

 その意味するところはただ一つ……『鼠』が出たのだ。

 

「俺の射程圏内《テリトリー》に鼠か。良い度胸じゃねェか……」

 

 邪悪な笑みを漏らしながら彼は心の中でやりそうな相手をリストアップ、当たりを付けていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 気怠い昼下がりのアズラサーセ、そこを空は一人で歩いていた。制服は『天使様の付き人の衣』としてアズラサーセの住民達に広く知られてしまっているので、外套を羽織った上で革のホルスターに納めた【幽冥】と十発程の魔弾を詰めたバックを、ベルトに提げただけの出で立ちで。

 

--朝の仕事を終え、今日は休日を貰っている。眠り続ける姫さんが目覚めるまで、ものべーはこの町を動かさないらしい。

 

【……旦那はん、誰か誘う懇意の女子はおらへんのどすか? 一人で観光て……こういう時こそ希美はんを誘わんでどないしますの】

(…………)

 

--ポソリと、そんな呟きが心に響く。だが俺は明鏡止水の精神を以って受け流した。

 

【もうこの際贅沢は言いまへん。男子でええどすから、せめて連れ立つ友達とかはおらへんのぉどすか?】

(…………)

【……ぐすっ、なんや急に泣けてきましたわ……】

 

--……とっ、兎にも角にもあの防衛戦で分かった事。やはり俺の手札は脆弱だ。

 

 包帯が巻かれた腕を組み、眉間に拳を当てる。考え事をするときの癖、そのまま歩いて器用に人を避けている辺りは素養が磨かれているのかもしれない。

 

(やっぱ、単発は厳しいな。魔弾を連射する為に出来る隙は、案外でかい)

 

 思い出すのは、複数の鉾に同時に襲い掛かられた時の事。苦肉の策としてナイフや短刃を使ったが、一回でこの有様だ。

 魔弾を一つ取り出すと、日光に透かして覗く。赤と黒のマーブル模様のそれは言うなればプラズマボール、半透明の黒い真球の中に放電でもしているような赤い球形弾体を封じた二重構造。

 

【人間の体ってのは軟弱どすなぁ……でもまぁ、今回の戦は大戦果。『契約』の通りに、た~っぷり喰わせて貰いあんした。くふふ、ご馳走さんどすぅ】

(…………)

 

 『契約』。その単語に、彼は彼自身の存在に刻み込まれた条項を思い返す。『契約以降、遣い手は永遠神剣にマナを与える』という、ごく有り触れた条項を。

 

--確かに力を増している。多量のマナを喰った【幽冥】からは、今まで感じられなかった『重み』が生まれている。

 禍々しく不吉な冷たい闇。いや、それよりも性質の悪い『何か』が凝り固まった様な重みが。

 

(……第十位【幽冥】、か)

 

--俺が手にした永遠神剣はそう名乗った。十位とは、神剣の中で最低の位だ。

 だと言うのにこの剣は自分より上位の永遠神剣を有する鉾を撃ち破る性能を持っていた。まぁ代償はでかいし、ハイリスクだが。

 

(だが…それじゃあ駄目なんだ。俺は、俺の力で奴を越えないと)

 

 フィルムの伸びた映画のように不確かだが、思い出せるその姿。怨敵の姿に、彼は歯を食い縛る。

 

--胸と背の傷が疼いた。流石にもう開かれては困るので、包帯でがんじがらめだ。それを押さえる腕も痛む。軽度なモノとはいえ、腱鞘炎まで起こしていた。

 そして峠こそ越えたが、未だに全身筋肉痛。本当に、軟弱なモンだ。情けねェ……!

 

 その思案に沈みつつ、時折語り掛けてくる【幽冥】の声を適当に聞き流しながら。人の疎らな通りを何と無しに歩いていった。

 

 そうして一通り商店を冷やかし、大通りから少し奥まった所で。軒先に積まれた刃毀れだらけの剣や斧、槍といった武具類。

 

「これ、鍛冶屋か」

 

 興味を引かれたのは、現代では既に廃れてしまっていたから。

 

「覗いてみるかな」

 

 そして彼は少し、童心に還ったように期待に胸を膨らませて扉を開く。そこで彼が見たのは、想像を絶する光景だった。

 

「--うふふ、さぁ~て良い感じにとろとろにぃ」

「……」

 

 いや、確かにそこは鍛冶屋だ。その手の機具類が揃っているし、奥には赤熱する鈩が在る。ただ、問題なのはその鈩を使ってチーズをとろとろに溶かしている場違いにも程が有る少女がいる事だ。

 訪問者にも気付かずに、溶けたチーズが滴るのにも構わず彼女は脇の卓から平たいパンを取る。

 

 そして火箸に刺していたチーズをパンの上に置いて、熱々チーズパンをうっとりと見詰めた。

 

「いっただきま~~す。ハグハグ……ハッ!?!」

「……」

 

 そこで漸く、二人の目が合った。しばし絡んだ視線だったのだが、ゆっくりと閉じられる扉に断ち切られた。

 空はそのまま踵を返し、裏通りを歩き去る--

 

「ちょちょちょ、待ってくださいお客さーーん!」

 

 バタバタと騒がしい音を立て、少女が飛び出してきた。その勢いのまま彼の腰に抱き着いて、引き止めてきた。

 

「いらっしゃいませー、やぁ、実に三日ぶりのお客さんですよ!」

「いや、間違えただけだよ。俺はレストランじゃなくて、鍛冶屋に行きたかったんだ」

「ご心配無くお兄さん! 大正解で鍛冶屋ですよ! 『竜鱗工房』にようこそ~~」

 

 体格の差は大人と子供。彼女はずるずる曳きずられてしまうが、それでも引き下がらない。髪留めと髪飾りを兼ねている鈴がしゃんしゃんと鳴る。

 

「嘘だね。鈩でチーズ溶かしてたじゃないか。本物ならあんな真似はしないだろ」

「いやぁ、生活に密着した鍛冶屋なんですよ~」

「密着どころか癒着してるだろ。鈩にチーズが」

「お兄さん上手いっ! という訳で座布団が有る家にどうぞ~!」

「いやいい。俺そろそろ帰らないと今日の夕飯に間に合わなくなるから--」

 

 と、掛かっていた負荷が消えた。開放されたと胸を撫で下ろしたのも束の間だ、腰の重みも消えている事に気付く。腰のホルスターを、拳銃ごと抜き取られていた。

 

「--へぇ、お兄さん珍しいモノ持ってますね?」

「--オイッ!」

 

 それに反応し左手を閃かせるが、少女はその手をするりと躱して距離をとった。

 

「綺麗な外観に精密な動作、ここまで良い銃は初めて見ましたよ。流石、永遠神剣ですね」

「ッ……」

 

 着物に似た衣服を纏う少女は何の迷いも無く撃鉄を起こし、引鉄を引いた。カキン、という音だけが響く。

 【幽冥】に、弾丸が篭められていないのを知っての行動。そんな事を知っているのは--

 

「何者だ、お前」

 

 目の前で笑う、引っ詰めた黒髪に赤み掛かった紫色の瞳の少女。それを彼は戦慄と、鉾と対峙した時と全く同じ眼差しで見遣る。

 

--『光をもたらすもの』。先ずそれが思い浮かぶ。だとしたら、マズい。抵抗手段が無い。今、俺の手札は奴に握られている--!

 

「そんなに睨みつけないで下さいよ、私は世界を渡り歩く行商人。同じ異世界人じゃないですかぁ」

「……同じ、ね」

 

 笑い掛けた少女にも、彼は表情を変えない。表面的に睨みつけているが、その実、思考はフル回転している。この局面を脱する策を捻り出す為に。

 

「そうだ、少しお話しませんか? こんな最高の銃を見せてくれたお兄さんにお礼がしたいです」

 

 言うや、少女は踵を返す。その髪留めの大きな鈴が、涼しげな音を奏でる。

 

--畜生、行くしかねェな。何せ俺の『神銃』はアイツの手の中。何としても取り返す必要が有る。

 

 その背を注意深く眺めながら、彼は少女に続いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 炉に火が入っていた名残にまだ少し熱っぽい室内。だがソレは、からりと乾いた暑さでそう不快なモノではなかった。

 

 小さな卓を挟んで対峙する空と少女。その前にはそれぞれ、湯気を立てる茶が置かれている。因みに不醗酵茶、緑茶だ。

 出された手前彼は唇を湿らせるが、飲みはしない。

 

「この無駄を排した造形美、夕暮と夜闇を溶かし込んだような緋と漆黒、銃底まで続く美しい曲線。はぁ、本当に良い出来です……」

 

 その視線の先ではまだ【幽冥】を愛でる少女。若干引きながら、彼は本題を切り出す事にした。

 

「取り敢えず、返してくれ」

「もう少しだけ良いじゃないですか~。ていうかお兄さん、むしろ売ってくださいコレ」

「嫌だ」

 

 実に素っ気ない答えに、少女は『むー』と唇を尖らせた。まだ、幼さの抜け切らない容貌には良く似合う。

 

「え~っ……幾らでも出すのに。それに、今なら色んな意味で出血大サービスしちゃいますよ?」

 

 と思いきや、いきなりウィンクしたかと思うと、クネクネと品を作って色仕掛けしてきた。それに空は彼女の頭のてっぺんから爪先までを一通り眺めた後。

 

「……フッ」

「ちょっ、お兄さん……今、どこ見て鼻で笑いました? 胸ですか? あーそうですか、お兄さんも大きくないと胸だとは認めない、おっぱい星人だったんですねっ! 見損ないましたよっ!」

 

 自覚している痛い所を突かれた為か、『むきー!』と両腕を振り回しポカポカと殴り掛かってきた少女。その少女の額を押さえて、一定距離を取る空にはリーチの差で届かなかったが。

 

「はぁ、ふうぅ……そうですか、仕方ないですね。これだけは使いたくなかったんですけど」

 

 仕方ないですね、といった具合に乱れた息を整えた彼女。と、奥の素材棚らしい棚から何かを掴みだした。

 

「これは?」

 

 卓の上に置かれた石らしきモノが二つ。どちらも掌に収まる程の、深みのあるコバルトブルーの石とクリムゾンレッドの石。

 

「それを耳に当ててみて下さい」

「…………?」

 

 言われた通りに耳に当てるべく、何となしに左に在った蒼い石の方を手に取る。意外と、ずっしりした重量感。

 それをゆっくりと当てて--

 

【ウバ……オ……セ……チカイヲクダケ……】

 

 一秒と経たずに離した。男とも女とも取れないような、地獄の底から響くようなおどろおどろしい声色だった。

 今さらだがもう一方も、底冷えのする悪意じみた気配をガンガンに垂れ流している。

 

「何だよ、コレ」

「面白いでしょう? 夏場もこの二つがあれば涼しい気分、しかも何と枕の下に入れて眠れば素敵な夢の世界へ連れていってくれる、という優れモノなんですよ!!」

「……だから?」

「交換しましょうよ、この二つと銃を」

 

 再び眼を細めた空が、石を右手に持ち替えクイクイと手招きする。彼女はそれに答え、仔犬の様に歩み寄って--グワシッと、その額を鷲掴みにされた。

 

「いだだだだっ! 頭の形変わるぅぅぅっ! な、何するんですかお兄さぁぁぁん!!」

「何するじゃねーだろ! 何で俺の神剣と、この呪われた石ころを交換しなきゃいけねーんだよ! どう見ても大損だろ!!」

 

 ギリギリと締め上げながら、彼は石を卓に置いて【幽冥】を取り返す。そして漸く--気付いた。

 

「この石--」

 

 クリムゾンレッドのその石……否、『破片』の正体に。

 

「いたた……気付きましたか? ただの石なんかじゃ無いですよ、それは神剣の凍結片です」

「『神剣の凍結片』……」

 

 解放された少女は己の額を摩りながら、その正体を告げる。

 『神剣の凍結片』。則ち、過去に砕けたり欠けたり漏れたりした永遠神剣の破片が、何かしらの作用で消滅せずに留まっているモノである。

 

「すっごい貴重品ですよ。一生に一度出会えれば、奇跡といっても良い程に」

 

--尤もだ。最近は何だか感覚が麻痺していたが、よくよく考えてみれば『永遠神剣』に出会うって事自体が、本来は天文学的な確率なんだから。

 それにしても……ああ、なんて悪運なんだろうな。本当に。

 

「どっちも、中々高位の永遠神剣のカケラなんですよ」

「んで?」

「だからお兄さんの……いえ、何でも無いです、ハイ」

 

 何かを言いかけた彼女に左手にコキリと力を篭めて見せた彼に、彼女はプルプルと首を振った。

 

「はぁ、解りました。諦めますよ。諦めれば良いんでしょっ!」

「何で逆ギレしてんだよ!」

 

 『世の中は広いものだ』と記憶に刻み付けて。目的も果たしたし、そろそろ帰ろうと腰を上げる。何にしても長居は無用だろう。

 

「ところでお兄さん、何かを入り用の物って有りませんか?」

「何とも交換しないって言ってるだろ」

「ち~が~い~ま~す~!! 純粋に商売としてですよっ! なんせ一週間ぶりのお客さんですから、ただじゃ帰せませんよ」

「三日じゃなかったのかよ。入り用のモノ、ねぇ……」

 

 食料衣服に寝具、生活雑貨その他諸々。足りないモノなら幾らでも有る。

 何の気無しに棚を見渡す。と、あるモノが目に留まった。

 

「なぁ、これって……」

 

 部屋の隅っこに置かれた、随分古いマネキンのような物の残骸。丁度、青年男性の腕とか足とか頭とか体に一瞬ダークな想像をしてしまったが、よく見れば金属製の偽物だった。

 

--おいおい……マジでこりゃあ悪運強いな、俺は。

 

「あ、お兄さん流石に目が高い。それは、神世の昔にあったという争乱で使われた機械兵器なんです。まぁ、壊れてて動かないんですけど」

 

 言われた通りかなり老朽化している上に、左胸付近のコアらしき部分は何か強い力で貫かれて破壊されているようだった。

 

「コレ、幾らだ?」

 

 その状態を確認すると、即行で値段を尋ねる。だがそれは、こういう場所で一番言ってはいけない台詞だ。それを、言ってしまってから思い出した。

 

「ふふ……そうですねぇ。珍しいものですから、これくらいで」

「くっ……足元見やがって。なら、代わりにあの赤い方の凍結片も付けて貰うからな」

【はぁぁっ?! 旦那はん、まさかこないなゴミ屑に魔弾を支払う気ですかいな?】

 

--取り敢えず、持って来ていた財布を漁る。だが、中身は約四万くらい。

 それにイロを付けて魔弾、マナ結晶を数発。更に、今までの戦いで得たパーマネントウィルを渡す事となった。正に素寒貧である。【幽冥】もぶーぶー言っていたが、全て無視した。コレは、それ位の出費をしてもお釣りが来る。

 

「……ところで銃って有るか?」

 

 それでも、聞いておきたい物品があった。

 

「銃ですか? 残念ですけど……この世界の文明のレベルを考えて持って来ませんでした。そもそも、鉾には効きませんよ? 通常の武器なんて」

 

 予想通り、永遠神剣を知る彼女はその事実を口にする。例え末端のミニオンと言えどその体はマナで構成されており、同じマナ起源のものでない攻撃は通用しない。

 

「知ってる。だから、構造を知る為だけに欲しいんだよ」

「構造を、って……まさか」

 

 言葉の深意に気付いたらしく、呆気に取られる少女に空は悪辣な笑顔を向ける。

 

「ここは鍛冶屋だろ? 幸い機器は揃ってるし……お礼してくれるんだろ?」

「むぅ、それを言われると……。成る程、それに反乱軍の兵に銃を装備がさせればグルン・ドラスの一般兵は相手になりませんしね」

 

 それにあはは、と笑って見せた彼女。だが--

 

「阿呆か、そんな事したら文明が目茶苦茶になんだろ。俺が使う分だけだよ」

「てへ、やっぱり」

 

 ジト目を向け、それを一蹴する。彼女は安心した風にお道化て。

 

「確かにここの設備なら永遠神剣を強化する事も可能です。昔は、それで活計をとってましたからね。でも、製造となると未知の領域です。それでもやりますか?」

「やる。やらない事には出来るかどうかも判らないからな」

 

 そううそぶいた後、己の内奥に意識を向ける。渦巻く、赤い呪詛の奔流に。

 

『……仕方ねェな、神名は貸してやる。確かに、『オレ』達にならこれは良い武器になるぜ』

(珍しい事も有るもんだな、まあ感謝だけはしとくぜ)

 

 と、少女は一度、呆れたように溜息をついて彼を見遣る。真摯な職人の眼差しで。

 

「一朝一夕で出来る事じゃあないですよ。覚悟は良いですか?」

「当たり前だろうが。努力無しに手にする事なんて意味が無いって、最近気付いたからな」

 

 その眼差しを真っ向から見詰め返す。少女の瞳に、鋭い三白眼の男が映り込んでいるのが見えた。

 

「それに--ずっとお荷物なんて、真っ平御免だ」

 

 脳裏に浮かぶ、他の神剣士達の姿。幾度も助けられ、歯噛みした記憶。売った恩などとうに忘れてしまっている。

 彼にとっては、受けた恩よりも屈辱の方が何倍も意味が有る。

 

「手を貸す価値は有りそうですね。では、明日から作業に」

「悪いけど、今から頼む。時間はほとんど無いんだ」

「ホント、無茶言いますよね……怪我しても知らないんですから」

「コンストラクタ持ちだからな、心配するなよ」

 

 冗句を返して炉の近くの鍛冶場に向かう。と、少女は思い出したように手を叩いた。

 

「そういえば、お互いに名乗ってませんでしたね」

「ああ、そうだったな……」

 

 既に二時間近く共に居たというのに、確かに彼等は名乗り合っていない。まぁ、空の方は、彼女に警戒して名乗らなかったのだが。

 

「……巽だ。巽空」

 

--まだ、『光をもたらすもの』だという可能性は捨てられないが……俺を殺る機会なら、幾らでも有っただろう。

 

「巽さん、ですか……良いお名前ですね」

「…………」

 

 『良い名前』。そこに彼は少し眉をひそめた。それに気付いたか、少女は取り繕うように笑った。その笑顔のままで。

 

「私は鈴鳴《すずなり》って言います。鈴が鳴るって書いて、鈴鳴です」

「鈴鳴、ね」

 

--偽名くせぇ。だが、この年齢で独り立ちしているからにはそういうモノも必要かもしれない。

 

 もし、彼がもっと社交的な人物だったのならば。もっと他人の内に歩み寄れる人物だったのなら、その名前を『彼女達』から聞いていたかもしれない。忌むべき名前と共に。

 

「じゃあ、初めようぜ鈴鳴」

「はい、巽さん。こう見えても私はスパルタタイプですから、根を上げたりしないで下さいよ」

「ハハ、抜かせ」

 

 そうして、カティマが目覚めるまでの丸二日間を掛けて望みの物を完成させたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 物部学園へと戻ってカティマが目覚めた事を知り、見舞った後に部屋に戻った空。その傍らには、大きめな黒いアジャスターケースと中くらいのジュラルミンケースが二つ転がされていた。

 

 かつて、職員用の休憩室として使われていた自室。一段高い畳の敷かれた部位に横になる。

 もう起き上がりたくなくて、枕になるモノを探し--明日、隣国のクシャトに移動するという鈴鳴から餞別に貰った袱紗包みを引き寄せた。

 

「……ふぅ」

 

 包みを引き寄せて頭を置くと、丁度良い高さだった。コレなら、安眠できるなと考えたその耳に。

 

【ウバエ……カセ……チカイ……クダケ……】

 

 地獄から響くような声と底冷えのする冷気。それは間違いなく、買った覚えの無いあの青い凍結片のものだった。

 

「……あの女ァァァッ! 余計なオプション憑けやがったッ!」

 

 包みを投げ出して、叫ぶ空。壁に辺り、ずるずると落ちたソレ。

 

【まぁまぁ、ええやないどすか。貴重なモンなんどすやろ?】

「そりゃそうだが……ハァ」

 

 今までずっと沈黙を守っていた【幽冥】に言われ、確かにそうだとは納得するが不吉さは拭い去れない。

 

--まぁ、いいか。そういえば、枕の下に入れて寝ると素敵な夢の世界にとか言ってたな……

 

 興味を引かれて、モノは試しとソレを引き寄せた。もう一度頭を乗せると、やはり響く声と首筋を冷やす霊気が。

 

--これで寝るだけで一苦労だろ……

 

 そう思いつつも、筋肉痛と疲労で消耗していた彼はすぐさま眠りの世界へと落ちていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、朝の清涼な空気に満ちた廊下。そこを。

 

「違う、俺はそんな人間じゃない……誰でも良い訳じゃないんだ。でもまさか、意識してないだけで俺にはそんな願望が有るのか」

 

 人魂を背負いそうなくらい憔悴した空が寝巻の仁平姿でふらふら歩いていた。

 

 彼が見たのは彼女が言った通り、確かに『いい夢』だった。それはもう、兎に角『いい夢』。今日が洗濯日和で良かった。

 その内容を思い出してしまい、赤面する。次いで自己嫌悪する。

 

「あ。空くん、おはよう」

「ぽえ~」

「の、希美!」

 

 と、掛けられた声。それに彼は心臓が飛び出そうになった。振り向けば、清楚でたおやかな笑顔を浮かべた希美と、その守護神獣のものべーの端末とでも言うべき、手乗りサイズの『ちびものべー』の姿があった。

 

「あ、ああ……」

「空くん?」

 

 一気に顔を真っ赤にした彼は、口を開いては閉じを繰り返して、唐突に--

 

「……許してくれ、希美ーー!」

 

 懊悩するかのように頭を抱えると、一目散に走り去った。

 

「…………?」

「ぽえー?」

 

 残された希美とちびものべーは、ただ首を傾げるのみ。そうして廊下を走った空が、漸くその速度を落とした頃。

 

「お、巽。オハヨ~あふ……」

「巽くん、お早う。丁度良かった、補充したい物が有るんだけど、巽くんは……」

 

 教室から出て来た、盛大な欠伸を噛ました信助とそれを呆れ顔で見ていた美里。

 学生達の間で出た、生活雑貨の補給申請の取り纏めについて意見を聞こうとした美里に--

 

「済まないーーーッ!!!!」

 

 またもや、走り去って行った。

 

「なんだ、あれ?」

「さぁ?」

 

 それから暫くして、疲れて壁に手を付き休んでいた空だが。

 

「あ、巽。良い所に。先日は迷惑を掛けました、貴方とワゥの助けが無ければ今頃……」

 

 現れたのは実に三日ぶりに目を覚ましたカティマ。甲冑ではなく、一世代前の学園指定制服。

 シックな黒色のセーラー服に、ロングスカートを身に付けた落ち着いた出で立ちの彼女に--

 

「返す返すすいませーーん!」

 

 三度、走り出した空。

 

「……はあ」

 

 青い瞳をまん円くして、彼女はそれを見送った。

 

「ゲホッ、ガホッ……オェ!?」

 

 起きぬけでの全力疾走を三度も行い、既に彼は限界ギリギリだ。額から脂汗と冷汗を垂らしつつ、昇降口をくぐる--

 

「あら、巽くんじゃない。こんな朝早くにどうした訳? 顔真っ青だけど……」

 

 その昇降口を、外からくぐってきた沙月と出くわす。軽い運動をしてきたのか、うっすら上気していた。

 

「俺は畜生以下ですーーーッ!」

 

 その彼女の脇を摺り抜けて、彼は走り抜ける。校門に差し掛かると拍手を鳴らして跳んで行った。

 

「……何? 少し働かせ過ぎたのかしら」

【元より行動に不審のある輩です。一々気にせぬ事が肝要かと】

「それもそうね。さて、望くんは何処かしら~」

 

 違う意味で心配した沙月だったが、ケイロンの言葉に納得した。そしてそんな心配などあっさりと捨てて、意中の少年を探しに歩きだした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 肺が破裂しようと構わんと走りに走り、彼はその扉を破壊しそうな勢いで押し開く。着替えてなどいないので、仁平姿のままで。

 

「--鈴鳴ィィィィッ! テメッ、何とんでもねぇ代物押し付けてくれてんだァァッ!」

 

 だがそこはもぬけの殻。虚しく声だけが反響した。と、その足元に一通の封筒を見付ける。蝋で封までされたそれは、恐らく、扉に挟んであったのだろう。

それを拾い上げれば、宛名の部分に流暢な日本語で『巽さんへ』と宛てられていた。蝋でされた封緘を切る。出て来る一枚の便箋。

 

『拝啓 巽さん

 巽さんがこの手紙を読んでいるという事は、私はもう貴方の側に居ないのでしょうね……』

「死んだ恋人みてェな言い方してんじゃねェよ! あんにゃろめ、やっぱ確信犯か!」

『まぁまぁ、そう滾らずに。血圧上がっちゃいますよ?』

「読みながら読まれた?! つーか、文面で会話すんなッ!」

 

 怒り心頭の彼の激しいツッコミに、隣を歩いていた無関係の町人がビクつく。

 

『兎に角、お世話になった巽さんに改めてお礼を申し上げようと筆をとった次第です。

 お客さんは全然来ないし、突然世界を出られなくなるしで意外と途方に暮れてたんですよ、私。

 ですけど、そんな私よりもっと大変な境遇で頑張ってらっしゃる巽さんと出逢ってお話して、気が楽になりました』

 

 歩きながら手紙を読んでいた空は、用水路か小川に掛けられた橋の欄干にもたれ掛かった。

 

『そしてもっと頑張ろうと思えたんですよ。こんな事でへこたれてられない、もっともっと、って。巽さん、本当にありがとうございました。

 あ、それと同封した羽飾りにはお気付き頂けたでしょうか?』

 

 言われて見れば、封筒中には羽の根付けが同封されていた。鳳凰の尾羽を思わせるソレ。

 

『その羽飾りは縁起物って奴で、大事な人との再会を願って贈る物だそうです。巽さんと再会できる事を願ってお贈りしますね。

 書面にて失礼しましたが、これでお別れの言葉とさせて頂きます。またいつの日か、貴方とお会い出来る事を願って。

 鈴鳴より かしこ』

「…………」

 

 ハァ、と思わず溜息を落とす空。こんな言われ方をされては怒りも醒めようというもの。

 羽飾りを握り締める。それなら、貰っておこうと。次いで胸元、かつてお守りがあったところに手を置いた。

 

--貰ってばっかじゃねェかよ、情けねェな畜生……。

 

 もしも今度、出会う事が有ったのならば。その時はもっと商品を買えるよう、決意を込めて。

 

「……ん、追伸?」

 

 文面の最後にただ数文字。それは記されていた。

 

『追伸 いい夢見れたでしょ?』

 

 ぐしゃぐしゃと丸められた手紙は、そうして川に投げ捨てられたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 髪をボリボリと掻きながら歩き去る少年を、彼女は見詰めていた。物見櫓の庇に腰掛けて、両脚を組んで。

 優に八百メートルは離れた場所から、じっと。

 

「……ふふ。楽しみにしてますよ、巽さん。貴方が辿り着く極致、足掻き続けた先に手にするモノが何か……」

 

 その笑顔は、昨夕に空に見せた天真爛漫なモノとは違う。

 

「だから、見せて下さい、私に。運命に抗う人の足掻き、神に挑む人の力……不可能を乗り越えようとする貴方の『可能性』をね」

 

 妖艶な--幼い外見に似合わぬ、大人びた笑みで彼女は呟いた。澄み渡った、雲一つ無い天空から注ぐ朝の陽射し。柔らかなその光に照らされた彼女の背に、まるで天女のような翼が見えたのは--幻だったのだろうか……


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