サン=サーラ...   作:ドラケン

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決戦 生命の灯火 Ⅱ

 

 

………………

…………

……

 

 

 飛び掛かって来た赤い鉾。その赤熱する双刃剣。

 

「同時に往くぞ、レーメ!」

「おぅ!」

 

 意表を衝いたつもりなのだろうが、既に望の構えは整っている。交差させた腕、それを振り抜く。

 

「「クロスディバイダーッ!!」」

 

 鋏のように振り斬られた双子剣に、鉾は神剣ごと身体を断たれて消滅した。それを眺めながら荒い息を吐く。周囲には、同じように鉾を倒した仲間の姿。

 

「……っ!!?」

 

 と、望と同じ方に視線を向けていたレーメが視線を変える。未だ遠い、王城へと。

 

「どうした、レーメ?」

「ノゾム……今何か、途轍も無く強烈なマナの激突が有ったぞ」

「……空とダラバか」

「恐らくな……全くあの天パめ、柄にも無く先走りよって!!」

 

 目の前の鉾に集中していた彼は気付かなかったが、彼の相方の方は気付いたらしい。見れば、城の一角から煙が上がっている。

 グッ、と身を起こした。休んでなどいられない。急がねば友……否、『家族』に危険が及ぶ。

 

「--よし、行こう皆!」

 

 仲間達に呼び掛けた彼は、王城に続く道に溢れた鉾を見据えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 白亜の庭園で、一人の女性が華を愛でていた。しかしその女性の前では華の方が恥じらうだろう程の美質、気品に溢れた物腰。

 背後には傅く男二人。どちらもが自身の愛剣を地に衝き立てて、弐心無き事の証明としている。

 

『その者が先の戦で武名を挙げた傭兵団の将ですか、将軍』

 

 腰まである金紗の髪を靡かせて、女性は振り向く。その瞳は蒼穹を思わせる蒼。

 

『はっ! 私めが辺境の鎮圧任務に赴いた際に登用致しました男にございます、名は--』

 

 凜と空気を震わせる声に、豪奢な鎧を着込んだ方の男がつらつらと応えた。その上で、もう一人を小突く。さっさと名を言え、と。

 

『お初にお目に掛かります、殿下。私の名は--』

 

 女性から将軍と呼ばれた騎士に急かされた、程よく使い込まれたプレートメイルを纏う青年が口を開いた。

 

『よい。饒舌な男など嫌いです。将軍、私は彼と二人で話したい』

 

 金髪を靡かせた女性は、愛でている薔薇の華のように微かな棘を含んだ言葉を紡ぐ。

 それに気付いた平凡な鎧を身に付ける青年は薄く笑みを浮かべてしまう。隣の道化者に気付かれぬよう、それを手で隠した。

 

『は? いや、しかし……』

『将軍』

 

 渋った将軍に金の女性は焦れた、それでも凜とした声を掛ける。

 

『はっ、はい! ごゆっくり!』

 

 忌ま忌ましそうに将軍は青年を睨み付ける。と、徐に顔を寄せて呟いた。

 

『……いいか、絶対に粗相を働くんじゃないぞ! もしも俺の評価を下げるような真似をしてみろ、ただじゃすまさんからな……!』

 

 そう小声で吐き捨て、庭園から去っていく。それを確認してから、女性は青年に歩み寄った。

 

『さて、貴公の勇名は聞き及んでいますよ『■■■■■』? 貴方の剣の腕は、同じく剣を嗜む者として実に興味が有ります』

『姫殿下の剣名こそ、辺境にまで響いておりますとも。『■■■■■■■■』、と』

『そうですか、それは光栄です。ずっと、貴方と手合わせするこの日を待ち侘びていましたから』

 

 恭しく頭を下げたままで、返答する。そして、地面に衝き立てている片刃の大剣に……服従の証を立てる為の行為に遣われた、相棒に目を遣った。

 

--ああ、俺もだ。ずっとこの日を待っていた。貴様らアイギアの血族に、この剣を衝き付ける機会を。

 その為に俺は此処まで来たんだ。やっと、此処まで来た! 殺す……全て殺す。それが、例えお前でもだ--

 

『--そう、ずっと……この日を待ってた……』

『--……』

 

 思考の海に沈んでいた彼だが、己の頭を抱え込んだ温かさにそれを断たれた。

 

『約束……守ってくれたね……』

 

 

………………

…………

……

 

 

 砕けた城の壁、その大穴からは濛々と黒煙が吹き出している。

 

「--……ッ、カは……」

 

 そこから続く、庭園。植わっていた華々は枯れ、流麗な白大理石造りの噴水は干上がってしまっている白亜の庭園。

 渇き割れた地面に横たわる男は、拳銃とライフルを持った空。

 

 空の『オーラフォトンレイ』とダラバの『ライトニングボルト』の相殺によって発生した衝撃波に、此処まで吹き飛ばされたのだ。左手にはダラバを狙った【幽冥】、右手には激突する前に壁を撃ち砕いたライフルを持ち、荒い息を吐いている。

 

--……クソッタレ、躯が痺れて……!

 

 雷槍を全て光の槍で迎撃した為、傷自体は負っていない。だが、レストアスの放った雷の槍は空中放電により空の躯の自由を奪っていた。

 今、ダラバと言わずミニオンにでも斬り掛かられれば成す術無く斬られてしまうだろう。

 

「--クク……ハハハハハッ!!」

 

 藍色の天を見上げていた彼の耳に、その哄笑が届いた。

 

「佳い、佳いぞタツミ! これ程の昂ぶりは何時以来か!!」

 

 何とか目線を向けた、声の響く方。壁に穿たれた穴の縁に、篭手に包まれた掌と脚甲に包まれた足が掛かる。

 

「--だが、この程度で我が剣は折れぬ! もっとだ、もっと力を見せてみろ!!」

 

 穴より現れ出たダラバ。その身に纏わり付いていたレストアスが【夜燭】へと還っていく。

 他者ならば触れるだけで致命傷を与えるレストアス。だが、主であるダラバだけは例外。その魔抗の躯を加護としてダラバを護った。以前、至近から放たれた魔弾を防いだのもコレだ。

 

 それでも、無傷とはいかない。打ち消す事能わぬオーラフォトンの槍に撃たれた。それにプレートメイルの上半分は砕かれており、最早用を為してはいない。

 苛立たしげにそれをマントごとむしり取るダラバ。露になる空のお守りと、同性でもつい見惚れてしまう程に筋骨隆々の肉体。

 

「……クッ……は……!」

 

 ふらつきつつ何とか立ち上がる。横たわったままでは絶対に太刀向かえない。

 【幽冥】へと、もう一度金色の魔弾装填する。今度は、精製した中でも特に高純度の物を。

 

【ええんどすか? まぁこの状況、しゃあないか】

 

--これが、ラスト・ワン。鼬の最後屁だ。この、通常魔弾五発分ものマナコストの魔弾を。

 

【--マナよ、オーラに変われ。守護者の息吹となり、万障を撃ち砕け……】

 

 装填して、撃鉄を熾こす。現れ出た二重冠の魔法陣が重なって、圧縮されて金色に染まる。

 

「来い! この私の呪われた運命を断ち斬れると言うのならば……この私を打ち倒してみせよ!!」

 

 その様を見遣りながら、ダラバは構えた。戦意に応えて【夜燭】が妖しく煌めく。

 不動の巌、それは正に『剣神』の面目躍如。いや--それすらも、超え行く者。

 

「最早残り僅かな我が命の燭火が燃え尽きるまで。マナの霧となり、夜闇に散るまで……私は誰にも、何にも屈さぬ!!」

 

 或る神話では、命は一本の蝋燭に例えられる。その長さが、人の一生の長さなのだと。

 

「神剣の剣戟……【夜燭】に宿るチカラの全てを--」

 

 その蝋燭を削る燭火。それこそ、永遠神剣【夜燭】の冷え切った煌めき。

 ダラバの身にその力が充ちる。命を代価に、限界すら超える力を与える神剣の威力が発揮される。

 

 

 ……それはさながら色の褪せた羊皮紙に描かれた、騎士と姫君のミンネザングの挿絵のように。

 幻影の少年と少女は庭園の一角で誓いを交わす。

 

『僕は騎士の子だ。この国の民を護るのが僕の未来の仕事なんだ。だから……僕が君を護れるような強い男になった時に、また会おう。約束する!!』

『ほんとう? ほんとうにつよくなって、あたしをまもってくれるの?』

 

 

--全てを……自身の命も他人の命も、生まれ故郷も騎士の誓いも--……

 

 

 あどけなく笑い、金の髪と蒼穹の瞳を持つ少女に。栗毛色の短髪の少年は、誇りを胸に。

 

『うん。僕が護るよ、クルウィンを!』

『うん、しんじるよ! やくそくだからね、でぃすばーふぁ!!』

 

 

--幼き日の約束も、想いさえも……全てを【夜燭】の凍える燭火に焼《く》べた。私に残るのは、この躯と心と魂と……この第六位永遠神剣【夜燭】のみ!

 

「---受けきってみせよォォォォォッ!!!」

 

 目を見開いて吠える。【夜燭】の刀身に、紅黒い精霊光が纏わり付いて同時にレストアスの蒼雷が混ざる。光と闇の輪舞、これこそ、彼の辿り着いた極致。

 精霊光と守護神獣、その二つを練り合わせ、ただ破壊のみに特化したその剣戟の名は--

 

「---光芒一閃の剣!!!!」

 

--私に限界など無い。そんな物は全て斬り伏せて来た。

 何もかも全て、この【夜燭】と共に!!

 

「オォォラフォトンレイッッ!」

 

  引鉄が引かれ、【幽冥】の撃鉄が墜ちた。再度吹き荒れる金色の暴風にも、ダラバは最早揺るがない。

 対して放たれた黄金の煌めき。しかしそれは神々しさなど無く、まるで鍍金のようにチープな灼熱のオーラフォトン。

 

 ダラバはそれに、臆する事無く駆け込む。

 

「「オオオォォォォッ!!!!!!」」

 

 二つの意地が空間すら揺らして、ぶつかり合った--……

 

 

 鮮やかな紅が、舞い散る。右肩から袈裟掛けに割かれた、空の胸から。

 

「--あ……」

 

 目の前には王虎の振り下ろした【夜燭】、その切先が掠めた部分は胸鎧ごと焼き斬られている。

 だが、それは牽制。まだ、この後に牙が残っている--!

 

 【夜燭】を振り上げて、ダラバは空の身長より更に高く跳んだ。初太刀で敵の防御手段を打ち砕き、弐の太刀で命を打ち砕く。その勢いは最早、隕石を思わせる圧力だった。

 

「--あ、あああァァァァッ!」

 

 【幽冥】を投げ捨てて、両腕でグリップガンの直接攻撃モードの『ビームブレード』と『ハイパーデュエル』を交差させる。

 これが、今の空に出来る最大の防御だ。

 

「--オオオォォォォッ!!!!」

 

 裂帛の気合いと共に、天頂から振り下ろされた【夜燭】。黒光と蒼雷を纏った、その一撃。

 それは苦も無く二ツの光学剣と空の胸当てと胸板を縦に切り裂き--左肩から真っ直ぐに、弐太刀目を空の躯に刻んだ。

 

 故障したグリップガンが黒煙を吹き、ショルダースリングを切断されたライフルと胸鎧がゴトリと落ちる。そして、空の身体が前に傾いだ。

 胴が繋がっている事がそもそも奇蹟だ。剣という武器の間合いを骨の髄まで時深に仕込まれていたからこそ、その胸当てのおかげで切っ先を受けるだけで済んだ。

 

「……良く、遣った方だろうて。『人間』にしてはな……」

 

 剣気を納めて、ダラバは呟く。この一戦を以って彼は悟ったのだ。この少年は人間と何ら変わらぬと。その脆弱な身を持って、自分と相対したのだと。

 そんな無謀とも言える男に敬意を払おうと、彼は顔を上げた。

 

「眠れ……貴様の名、しかと我が記憶に刻ん--ッ!!?」

 

 刹那、ダラバの水月に正拳突きが刔り込まれた。握ったライフルのループレバーをメリケンサックとした一撃が。

 とは言え、最早ダメージになる威力も無い。

 

「何を、勝った気で居やがる……俺はまだ生きてる……この命は、まだ……燃え尽きてねェぞ!」

 

 そして、倒れず踏み止まった。これ程の傷を負い、失血しても。まだ闘気を納めない。

 その眼に燈る、気炎に。

 

「--見事!」

 

 ダラバは改めて敬意を表すと、引導となる黒い剣【夜燭】を振り下ろした。

 

--死の間際には走馬灯が過ぎるとか、総てがスローモーションに見えるらしい。

 因みに、俺は後者だったようだ。振り下ろされる【夜燭】が黒い落雷のように見えやがる。

 

(……ああ、熱いな)

 

--胸部に感じられる灼熱。焔に焼かれているようだ。

 

(まあ、懐かしいとも言えるか)

 

--そう言えば、俺は前世でも胸を斬られたんだったな。そう--

 

 目の前が、真っ暗に染まる。死の暗闇とは違う。そして--金色の波が漆黒の落雷を受け止めた。背中に感じる温かさ。倒れかけた彼の躯を支える温度。顔を上げた先には、茶髪碧眼の少年。

 

--そう、お前にな……望……

 

 振り下ろされた【夜燭】の一撃を【心神】で受け止めたカティマ。倒れ込もうとした空の躯を抱き留めた望。

 すんでの処で彼等は間に合ったのだ。

 

「ダラバ=ウーザ……漸くこの時が来ましたね」

「ああ、私も待ち望んでいたぞ。カティマ=アイギアス」

 

 鍔競り合いながら睨み合う二人の騎士に、対たる双振りも互いを認め合った。そこから流れ込む、壮絶な破壊の意志。

 

--砕け、あの剣を砕け。それが出来ぬなら主を砕く--!!

 

 そう言わんばかりの、許容量を一切無視した神剣の強化。宿命の相手を前に、言葉など要らない。後は--

 

「「--ハァァァァァッ!!!!」」

 

 斬り結ぶのみだった。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

「空! おい、空!!」

「巽くん、しっかりしなさい!」

「畜生、死ぬんじゃねェ! まだケリ付けてねェだろ、巽!!」

 

 横たえられた空を取り囲んで、口々に呼び掛ける神剣士達。希美はとにかく治癒魔法を唱え続けている。効き目など、ほとんど無いそれを。

 

「血が止まらない……どうしよう、どうしたら……!!」

 

 涙さえ零しながら、ずっと。

 

「は、クッ……望、耳を貸せ」

「空!? 何だ……?」

 

 その瀕死の筈の空が突如として、死力を尽くして望に耳打つ。望は、その内容に声を荒げた。

 

「そんな事が出来るのか……お前、今にも死にそうだろ!」

「『とにかくやるっきゃない』、じゃ無かったのかよ、望」

「…………!」

 

 返されたその言葉は、かつて己で言った言葉。そたったそれだけの言葉が持っていた意味の重さに、彼は息を呑む。

 

「……いいな、俺が合図をしたら--」

 

 空が途切れ途切れの声で、その作戦を伝えていた--その頃。

 

 凄まじい剣戟音を奏でながら、カティマとダラバは距離をとる。そして、ほぼ同時に膝を折った。互いに満身創痍。ダラバは空との戦い、カティマは此処に到るまでの鉾との戦いで。

 地面に【心神】を衝き立てて、杖代わりに立ち上がったカティマ。その眼差しが神剣士達を見遣り、その中心に臥す血塗れの空の姿を見詰めた。

 

「互いに、余力は無いようだな」

 

 ダラバもまた、同様に【夜燭】を支えに立ち上がる。それに彼女が、視線を向け直した。

 

「ダラバ=ウーザ将軍……いいえ、ディスバーファ=レストアス。最後に言っておく事が有ります」

「……何だ」

 

 ダラバを見るカティマの眼差しには、怒りも憎しみも無い。

 そこには、ただ--

 

「私は、貴方に復讐する為だけに生きて来ました。それだけが私の生き甲斐でした。そうして、剣を振るって生きて来ました……」

「………」

「ですが、漸く気付いたのです。彼等と行動を共にして、その心に触れる事によって。プロジア文書に記された真実を知り、我が身に流れる血の闇に向き合う事で」

「だから、どうしたと?」

 

 目を閉じて紡がれる言葉。先程まで充ち溢れていた闘気すら押し隠した静かな物言いに、彼は何が言いたいのか判じかねる。

 その時、彼女は瞼を開いた。

 

「貴方も、同じだったのでしょう? 私と同じ……ただ、復讐の為だけに生き、全てに決着を付ける場所を……死に場所を求め続けた。生きる為では無く、死ぬ為だけに生きてきた--」

 

 ただ、哀しみのみを湛えている。それに気付いたダラバが、憎悪と共に眉をひそめた。

 

 

『私は--貴方とならこの運命も乗り越えられると……そう信じていました』

 

 

 その声、その眼差しが。かつて殺し損ない、かつ己の身に消えぬ傷を刻んだ相手と全く同じだったから。

 

「何を言うかと思えば……下らん、実に下らん! 私は--私は、この下らない運命に決着を付けるだけだ! 倒すべき貴様と、その【心神】を砕くのみ!!」

 

 老い、病み狂える王虎が吠えた。その傷に触れた若く気高き獅子の女王に向けて牙を、【夜燭】を向けて更なる力を引き出す。

 もう既に堪えられるべくも無いというのに、それを止めようとはしない。最早、永遠神剣を振っているのか、永遠神剣に振らされているのかすら定かではない。それ程に、彼と【夜燭】の境界は曖昧になっていた。

 

「虚しいものですね。一体、私達は何の為に生まれたのでしょう? 私から全てを奪っていった貴方、貴方から全てを奪っていった我が血族………もう、そのどちらもこの大地には……世界には、必要無い」

 

 再度ダラバを見据えるカティマ。その手に在る【心神】は、彼女の身の丈に見合った力を送る。

 それは永遠神剣と『共に』歩む者の姿。

 

「今--我等の、血の因果を清算しましょう……!!」

「望む処、私を……殺してみせろォォォォォッ!!」

 

 同時に二匹は、地を蹴った。

 全て打ち砕くべく迫り来る一気呵成の王虎を迎える、明鏡止水の意志を持って剣を振るう獅子。

 その静かな意志が、虎の僅かな瑕疵を見抜く。

 

「ハアァァアァァッ!!!」

「っ…………!!」

 

 弐本が閃いたのは同時。真横に振り抜かれた【夜燭】に対して、【心神】は--

 

「「…………………………」」

 

 全てが止まっていた。カティマもダラバも。息詰まる瞬間、それを破ったのは--ダラバ。

 

「……まさか……このような小娘に遅れをとるとはな」

 

 その背からは、真っ向から胸を貫いた【心神】の黒い刀身が衝き出していた。

 

「ダラバ将軍……貴方は……」

 

 一方のカティマは、頬に微かな傷を負ったに留まる。刺突によひその距離を詰められた【夜燭】は、本来の威力を発揮出来なかったのだ。

 

「フグッ……ふ、ふふ……」

 

 喀血する。だがその血が胸元の少女に掛からぬように、彼は飲み下した。『彼女』に良く似たその少女を、忌まわしき己の血で穢す訳にはいかない。

 死に逝く虎が笑う。それはあの狂笑ではない。確かな理性と--諦めを湛えた瞳。

 

 

 一体、いつの事だっただろう。もう思い出せないが、その僅かに焼け残った記憶があった。

 

『ふふん、まだまだね……』

 

『ゲホ……お前、突きは無いだろ、突きは……』

『……あれ? ちょっと、大丈夫? ど、どうしよ~!?!』

 

 いつの事だっただろうか、此処で同じように。

 寸分の狂いも無く、鳩尾に刳り込まれた木剣。それに青年は意識を手放してしまった--

 

 

「やはり、どれ程足掻いても……所詮は『奴ら』の掌の上で踊っていただけ……か……」

 

 そして彼は、勝者へとその言葉を送る。

 

「覚えておくがいい……呪われし血の同朋よ。我らの血にまつろう呪いは、末裔たる貴殿に全て受け継がれる。永遠に……血に宿った神々の呪いに苦しむがいい……」

 

 賛辞ではなく、呪詛を。事実として遺り続ける、その忌まわしき呪いを。

 

「心配は要りません。私はそれを背負い切って見せます。何度歩みを止めたとしても、必ず……」

 

 真摯な眼差しと共に返る言葉。そこには、迷いなど欠片も無い。それに満足げに微笑んだダラバは、己が身を貫く【心神】を掴むと自ら引き抜いた。

 

「さらば、だ。我が『宿敵』……カティマ=アイギアス……」

 

 巨駆が、倒れた。最期まで前に進んで。その手に神剣【夜燭】を握り締めたまま。

 それが、アイギア国を滅ぼした王虎の最期。グルン=ドラス軍事国家の暴君ダラバ=ウーザの最期だった。

 

 全てが終わった戦場に立つのは、ただ一人。呆然と立ち尽くす、カティマだけ。

 

「大丈夫か、カティマ? お前が勝ったんだぞ」

「ええ、そうですね……」

 

 何とかそれだけ答えた彼女は、ダラバから目を逸らさない。いや、逸らせない。最期の最期に投げ掛けられた言葉に。

 

「あら--まだ分からないわよ。その容器《いれもの》はまだまだ、本気を出してないんだから」

 

 彼女の狙いは始めから、ずっとそれだったのだから。

 気配も無くダラバの横に立ったエヴォリア。その登場に望と希美カティマを除く旅団の神剣士は、身構える。

 

「あら、旅団の皆さん……本当、しつこいわね」

 

 だが、意に介さない。そんな物は慣れっこだとでも言わんばかりの余裕。翳した手から光が溢れ、周囲を染める。

 誰が止める暇も無かった。光は、ダラバの身に全て吸い込まれていく。

 

「--何をした!」

 

 先ず口を開いたのはカティマ。当然だろう、つい先程まで戦っていた相手に、得体の知れない術を施されたのだから。

 

「何って? 直ぐに判るわよ」

 

 激昂する彼女の気勢を受け流し、エヴォリアは薄笑みを浮かべてはぐらかすのみ。

 刹那、ダラバが起き上がった。まるで操り人形のように。

 

「さぁ、殺し逢いなさいな!」

 

 剣を構えて、ダラバが駆けた。獣のような咆哮と共に、先程までの比ではない禍々しい殺気を放ちながら。それは一番に、カティマに向けられた。

 

「--っぐ!!」

 

 刷り上げる一撃に、【心神】が跳ね飛ばされた。そして返す太刀が降り落ちる--より早く、速く。合間に滑り込んだ望の【黎明】が、その一撃を受け止めた。

 

「--ハァァッ!」

「--……!?!」

 

 そして望がダラバを引き付けた瞬間、空がエヴォリアを目掛けて駆け出した。ライフルを片手に、鮮血を撒き散らしながら。

 

「は、分かりやすい作戦ね!」

 

 それに、エヴォリアは見下したように右手を差し出した。シャン、と。その手首の腕輪型永遠神剣【雷火】が金属音を奏でる。

 

「貴方に、避けられるかしら--オーラショット!」

 

 翳したその掌に収束した、白のマナ。炸裂のマナが弾丸と化して疾駆する。

 

 それは、似たような技である白ミニオンの『オーラシュート』や『エネルギーボルト』とは、桁が違う威力だった。

 こんな物に当たってしまえば、間違いなく空の身体はこの世から消滅するだろう。

 

「--ハ、そうかな?」

「--なっ……!」

 

 刹那、空はエヴォリアに背中を向けながら跳躍し--自らの右掌をライフルの口腔に当てて、引鉄を引いた。

 放たれた銃弾は当たり前だが、空の右掌を貫いて飛翔する。空の血液が絡み付いた『深紅』の銃弾が望のすぐ横を掠めて、『南天星の剣』を振り下ろすダラバの左胸を狙い撃って--『レゾリュートブロック』に阻まれて。

 

「--グ、フッ!??」

 

 そのダラバの左胸から、鮮血が吹き出る。まるで『鏡写しに銃弾が撃ち抜いた』かのように、左の背中から銃創が刻まれていた。

 

「--改悪しろ、我が神名よ……『触穢』!」

 

 呟くような宣言と共にダラバの身体に複雑な赤い紋様が現れる。それは溶け込むように、彼の身体の奥に消えていった。

 

 そして次の瞬間、ダラバの力が緩んだ事を確認した望がカティマを見る。

 

「--今だ、カティマッ!」

「っ……たぁぁぁっ!」

 

 その僅かな隙を突き、カティマの【心神】が閃く。下段から刷り上げる一撃は黒いオーラフォトンを纏う、彼女の前世の体現である『北天星の剣』。

 それは望が跳ね退いた事により、振り下ろされた『南天星の剣』と打ち合って--【夜燭】を跳ね上げ、ダラバに再び致命傷となる傷を与えた。

 

「くっ……何をしたのか知らないけど、あんたは終わりよ!」

 

 エヴォリアの言う通りだ、この状況で空が生き残る道理はない。それは誰がどう見ても、火を見るよりも明らかだった。

 

『--ただ、願いを叶えるだけの……可能性、ですから』

 

 頭の中に、知らない少女の声が響く。少なくとも、脳味噌はそう否定した声。

 

--ああ、そうだ。俺には出来る。あの『水』を口にした俺になら、必ず……その『可能性』を掴み取れる!

 

 丹田に溜め込んでいた力を発勁により体中に流す--のではなく、外界に向けて放射するように。生まれて初めて、己ではなく世界に意を添わす---!

 

「--ハァァァァァッ!」

 

 世界を染める、漆黒の煌めき。まるで墨汁のように濃密な黒い虹を照り返す墨色の光が、六道輪廻を表すチベット佛教の古い宗教画『曼陀羅』のような形をとる。

 

【な--これは、まさか……!】

 

 細密な墨絵、その黒光はやがて空を包み込むと--漆黒の光の盾『ダークシールド』と化し、光の弾丸を受け止めて相殺した。

 

【まさか、『ダークフォトン』を扱えるというのか……この男!】

 

 それはまるで、懐中電灯の光が夜空に消えていくかのような光景だった。

 

「信じられない……こいつ、何て馬鹿なの」

 

 エヴォリアの絶句も当前の事、その大怪我でここまでの運動量。失血量は最早、致死量に近い。

 再び致死の傷を受けてマナの霧に還りつつあるダラバが、ユラリと神剣を構える。そしてカティマに跳ね上げられた【夜燭】を--

 

「--なっ!?!」

 

 エヴォリアに向けて、振るった。辛うじて躱したが、驚きの余り彼女は防御が疎かになる。そこに、ソルラスカとタリアがダラバと挟み撃ちにするような同時攻撃を見舞った。

 

「そんな馬鹿な……そんな躯で、どうやって……!」

 

 それは二つの意味で紡がれた。弐太刀も【夜燭】の剣撃を受けて尚、動ける空。支配されていた筈なのに、自分へ向けて【夜燭】を振るったダラバに向けて。

 だが答えが返る事は無い。続くダラバの一太刀に、彼女は舌打ちしながら更に飛びのいた。

 

「このあたしが、嵌められたってわけ……よくも!」

 

 憎悪を篭めた瞳が空を捉える。自分に屈辱を与えた男を目に焼き付ける。

 

「覚えておくわ、神銃士『幽冥のタツミ』……!」

 

 その言葉が紡がれたのと同時に、彼女を【夜燭】が捉えた。

 

 【夜燭】の刀身を、光が撫でて行く。だが消滅したのではなく、逃げられたのだ。

 剣を降ろしてダラバは天を仰ぐ。一同には、血に塗れた背中しか見えなくなった。

 

「……確かに返して貰ったぞ……ダラバ……」

 

 呟いた空。その左の掌の中には、正拳突きの際に掠め盗った彼のお守り。体中の傷からは盛大に血が流れ出ており、遂に膝を折る。

 

--これが、俺の『昔の神剣』と神名の効果だ。鈴鳴に貰ったあの赤い凍結片……かつての俺の神剣である第七位永遠神剣【逆月】の、剣の刃体が触れた位置を基点にした『鏡写し』の効果と『改悪』……相手の持つプラスの効果のみマイナスに反転させる姑息な神名の効果。

 今回、ダラバの命を繋いで支配していたのはエヴォリアによって新たに目覚めさせられた神名だ。それが反転すれば、結果は明白という奴。

 

 望とカティマが空を受け止めると、治癒を行う為に希美とポゥが駆け寄った。

 

「……フン、喰えぬ小僧よ。貴様、よもやこうなる事を予測して私に斬られたのではあるまいな」

「まさか、偶然だ。そんな高度な真似が出来る程、達者じゃない」

 

 そんな空に視線を向けたダラバ。彼は、烈しい敵意と共に。

 

「本来ならば縊り殺して億の肉片と成るまで斬り刻んでやりたい処。だが……」

 

 エヴォリアにより強制的に神名を目覚めさせらた彼は、その少年の『前世』を思い出した。その、成したる卑劣も。

 

「……だが、お陰で『再び』我が矜持を失わずに済んだ。どうやら今生の貴様は……『奴』とは違うらしい」

「……さてね」

 

 ニタリと、笑い合う。通じる者同士にしか判らぬその意味。

 

 夜が明ける。藍色の空を太陽の光が照らす。もう『燭火』は必要無い。

 

「……女狐の策を破り、篭絡した褒美だ、【夜燭】はくれてやる。だが気性の荒い剣だ、貴様に使い熟せるか?」

 

 地に衝き立てられた【夜燭】。その黒刃はダラバとは違い、マナの霧に還ってはいない。

 支えてくれている三人を制して、ゆっくりと空が前に出る。燭火に誘われた虫のように、ダラバの目前まで。

 

--ああ、認めよう。初めて見た時から心奪われていたさ。正に、一目惚れだ。

 

 両腕が【夜燭】の柄に伸びて、番える。地面から引き抜くと、肩に担いだ。右掌の苦痛を腹に力を篭める事で堪えて。

 幾ら致命傷を避けたとは言えど、その出血量。加えて、契約などしていない者にとって神剣の重量を持ち上げる等というのは途轍も無い大仕事。つまり、それを可能としたのは--

 

「……悪いけど、俺は神剣と契約する気は無い。俺は『巽空』……何処まで行こうと、何があろうと俺は俺の壱志を貫き通すだけだ」

 

 ただ、壱志。此処まで、『己の可能性』を信じて努力してきたが故の反骨。

 

--俺は『巽空』だ。それだけは変えない。永遠神剣の強化などは要らない、俺は俺の壱志に懸けて『巽空』という全力で生きるのみだ。

 

「……クク、どこまでも我が予想を斜め上を行く男よな。その壱志とやらを最期まで迷わず貫き通すがよい。それが貴様の導べと成るであろうよ」

 

 背を見せているダラバに、そう強がって答えた空。その『かつての自分』を重ねた少年に向けて、彼は言葉を贈る。

 

「復讐の先になど……何も無い。永劫の空莫が拡がるのみだ。お前はこうは成るな、タツミ=アキ」

「……ダラバ=ウーザ」

 

 そこで、やっと彼は理解した。『巽空』が『ダラバ=ウーザ』に心惹かれた理由を。

 

--コイツは、俺だ。復讐という道に進み、成し遂げた果てに居る俺。

 進む事は最早無く、かといって引き返す道などは始めから無い。展望など無く、帰結も無い。永遠を立ち尽くすだけの凍えた焔。

 

 ゆっくりと空は【夜燭】を地面に刺した。視線はそのまま、霞み始めた目でダラバの背を見据えたまま。

 

--もしも、自分の『可能性』を信じ抜く事が出来なかったなら。『あの娘』と出会えなかったなら、今頃、こうして立っている事も無かったんだろうな……

 

「心せよ……『神』は無慈悲だ。いや、貴様になら判るであろう。『欲望の神』と『伝承の神』……奴らこそが、この下らぬ三文劇の狂言廻し--」

 

 その少年に彼は、自身を復讐に駆り立てた黒幕の正体を告げようと口を開いて--背後で響いた、何かが倒れ伏した音に苦笑した。

 

「全く……重き荷を背負い来たが、幕切れは存外に呆気ないモノよ……一体、何の為に私は……」

 

 苦笑を漏らしながら、彼は噴水の一番下の縁石に腰を下ろした。その隣に一人、影が立った。

 

「クロムウェイか……見違えたぞ。お前が此処に来たという事は、我が軍が敗れたという事か」

「時は移ろう、形有るモノは必ず壊れる。不滅なるモノなど有りはしないのです……ディスバーファ将軍」

 

 肩口に衝き刺さった槍の穂先。鞘に剣は収まっていない。恐らく槍を圧し折る際に欠け、曲がったのだろう。

 

「鉾に頼り甘い汁を吸ってきた者と、苦杯を舐めつつも己の力で道を切り開いて来た者とでは、始めから勝負になりようも無し。フフ……後世恐るべし、という奴か。時代は確かに受け継がれ、流れて行くのだな」

 

 倒れた少年が仲間に介抱される姿を横目に、仰向けに天を仰いだダラバ--ディスバーファ。

 

「ならば……これで……もう……想い遺した事も、無い…………」

 

 朝陽の煌めきに白大理石の庭園が照らされる。眩むような白光に染められた庭園に、彼は--幻を見た。

 膝枕された、自分の髪を撫でる指先。眼差しの先には、心配げな涙目をした金髪の女性。

 

「……泣くなよ……『俺』はもう……大丈夫だからさ……」

 

 その小さな呟きはを聞き届けたのは、クロムウェイただ一人だ。だが彼は確かに『彼女』と話していた。

 神剣の燭火よりも眩しく輝く、暖かい記憶の陽射し。凍てつく夜の焔に焼き尽くされた彼の生涯に於き、復讐すらも忘れかけさせたその陽射しの彼方に見える女性。

 

 己の無事に安堵して極上の笑顔を見せてくれたその彼女に向けて。あの昔日以来の、無垢な笑顔を浮かべて。

 その穏やかな朝陽を浴びて--

 

「--クルウィン、漸く……君の御許(もと)へ…………」

 

 あの懐かしき少年の頃と同じ笑顔で、ディスバーファ=レストアスは、温かな陽射しの中で最期を迎えたのだった――……


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