精霊の森 揺籃の巫女 Ⅰ
ギャアギャアと不可思議な鳥の鳴き声が木霊する夜の密林。
そこで、一本の大木が倒れた。
「で、出たぁぁぁっ!」
続き、男性の声。その緊迫した声色に総てを察し、男達は武器を構えた。剣や斧、鋸に鉈--現代で言えば随分と初期のものだが、前篭めのマッチロック式ライフル……則ち、火繩銃。
数多くの篝火に照らされたその視線の先には--火影が届かずに面容の見えない、枝上に立つ少女の姿。
見える衣服は白妙に緋袴。だが、その袴はあくまで腰布のように着崩されており、巫女ではない事を如実に表す。彼女は--
「性懲りもなくまた来たなっ! 今日という今日は許さないぞ!」
ビシリと指差し宣言すると跳躍してビル三階分は有ろうかという高みから迷わず飛び降りながら、空中で印を結ぶ。
現れ出るのは青い、清澄なる水を思わせる精霊光の魔法陣。
つまり彼女は、間違いなく永遠神剣の遣い手だ。
「押し包め、いくら『魔女』でもこの人数なら--」
各々の武器を衝き出しながら、着地点を狙う数十人もの男達。
だが、物の数ではない。彼女の足には青い煌めきを纏う靴、それを蹴り出した。
「いくよっ、じっちゃーーん!!」
「オオオオオォォォォォッッ!!」
そしてその背後に、巨大な--否、長大な大蛇。
その大蛇が、跳び蹴りの姿勢を取った少女の背後から水塊を吐き出した。
---どぉぉぉーーーん……
水煙が立ち上るそこから、男達は武器も荷も投げ出して這う這うの体で逃げ出していく。
「ふふーん、正義は必ず勝つ!」
それを見ながら、彼女は満足げに呟く。衝撃波と氷晶により篝火は消えており、彼女の姿は判然としない。ただ、その代わりに月光が彼女を闇夜に照らし出した。
長い黒髪を赤い布で一つに結い上げた、その姿を。
「……ん? これは……あいつらが落としてった荷物かな? あっ、食べ物! お団子だぁ!」
漁っていた荷物の中から油紙に包まれたそれを見付け、破顔する。まだあどけないとすら言える程に幼い笑顔だった。
「じっちゃ~ん、食べる~?」
その内の一本を掴んで、ぶんぶんと振り回す。タレの掛かっているモノだったのならば、大変な事になっていただろう。
そんな彼女を深い慈愛に充ちた瞳で見詰めた後で、大蛇は夜の空を見上げる。まるで、水の中から見るように揺らめく空には、真円の月を真っ二つに割った片割れの如き半月。
透き通った煌めきの中、大蛇は身をくねらせた。
「いい月だよね。きっと、明日もいい天気だよ」
モグモグと団子を頬張りながら、少女はいつの間にか直ぐ近くの枝に腰掛けていた。残りは膝の上に置かれている。
「--やれやれ、この聞かん坊め。まぁた騒ぎを起こしよって」
「長老んグッ!?!!!」
と、突然現れた一つ目の小人に驚いて団子を喉に詰めてしまった。苦しげに喉を押さえ、バタバタと脚を振るわせる。
「『ング』ではない、『ンギ』じゃ。それにンギ様と呼べと言うておるじゃろうが」
少女の三分の二程度しかない、その矮躯。その三分の二を占める頭部に、これまた大きな単眼。
「ゲホッ!? けほっ、けほっ……分かってるよぉ! ハァ、あ~あ……で、どうしたのさ長老?」
「ああ、お前にも伝えておかねばならん事があってな……」
団子を何とか飲み下した少女の怨みがましい視線を受けながら、『分かっていないではないか』と言いたいところをぐっと堪えて、小人は大きな瞳で天を見上げた。
「……佳き月かな」
「も~! 勿体付けてないで早く言ってよー!」
焦れた声色に長老はしばし逡巡を見せ、そして遂に口を開いた。
「--『災いをもたらす者』が、近付いておる。神世の古に、数多の神を殺戮した破壊神『ジルオル=セドカ』がな……」