サン=サーラ...   作:ドラケン

31 / 95
焔の追憶 宿命の夜 Ⅲ

 朝方のザルツヴァイ、魔法陣のような紋様の流れる不可思議な道を、眼光《ヘッドライト》と尾毛《テールライト》をたなびかせた黒い鋼鉄の駿馬《バイク》が駆け抜ける。

 精霊の世界では乗る機会が無くメンテナンスしかしていなかった為に、つい速度を出してしまう。久々の疾走に護謨《ゴム》の車輪《ひづめ》は軽快に路面を捉え、鞭《アクセル》を入れられ甲高い嘶きを上げた。

 

「あー……この世界、本当冷えるよな……」

 

 フルフェイスのヘルメット……マナゴーレムの頭部を改造した物、龍をモチーフにしたドイツ式のバイザー付きバシネット型をしたヘルメットを外して呟くだけでも、白い息。その露出した口許に、精霊の世界では暑かったので使用しなかった襟巻きを引き上げる。

 到着したのは支えの塔。バイクを透徹城に仕舞って朝陽に煌めく白亜の塔を眩しげに見上げ、その入口に立つ警備員に声を掛けた。その恰好のせいで幾分怪しまれたが……物部学園の関係者だと告げれば、警備員は慌ててインカムを操作する。

 耳に掛けるタイプの近未来的なデザイン。新米らしい彼は、少しまごつきながらも指で操作した。

 

 それに伴い揺れる、肩に提げた独特な形状の『FN-P90』似のPDW。人間工学を突き詰めると、やっぱり似て来るんだなと。空はそれらを、実に興味深そうな眼差しで見詰めた--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 数分後、空はヤツィータに先導されサレスの私室に通された。

 

「アポも無しに、いきなり尋ねて来るのはどうかと思うがね」

「すみません、クウォークス代表。しかしどうしても、自分の探究心を抑え切れない性分なもので」

「死して尚北天神の性は抜けず、か。それで用件は何かな」

 

 やれやれと溜息を零して促す。それに、彼はポリポリと頬を掻きながら。

 

「旅団の蔵書庫を閲覧する許可を頂きたく、参上しました」

 

 実に簡潔に用向きを述べた。

 

「旅団員でも無い君に、か?」

「それはそうですがね……こちらとしても、『光をもたらすもの』が攻めてくる前にきっちり準備を整えたいんですよ。この世界の、『進みすぎて、魔法と区別が付か無くなった科学技術』を得る事は願ってもないチャンスですから」

 

 包み隠さずに、理由を告げる。じっくり吟味するようにサレスはその言葉を、机に両肘を衝いて目を閉じて聞いていた。

 

「前提が間違っているな。君達はもうすぐ元居た世界に帰る筈だ」

「それは他の皆でしょう。少なくとも俺は、これから先も分枝世界間を旅しますから。果たさなきゃいけない盟約があるもので」

「ほぅ、盟約。それは何かな」

「これ以上知りたいのなら、対価を頂きませんとね。禁書も含めた閲覧許可とか」

 

 バチバチとスパークする策略家同士の、腹の探り合い。隣に居るヤツィータなどは、『うへぇ』という顔をしている。

 

「……まあ良いだろう。断って、お得意の侵入でもされては迷惑だ。場所は此処、それと--」

「有難うございます。それでは」

 

 行き先を記した紙を受け取れば、さっさと踵を返して歩き去る。落ち着いた言葉で語った割には、その足取りはスキップせんばかりにはしゃいでいた。

 

「……それと、この時間帯はよくナーヤが居るから注意しろ……と、言いたかったんだがな。聞いていなかったのなら仕方あるまい」

「うわぁ、悪質ねぇ……でも面白そうだわ、見て来ようかしら」

「お前の方が悪質だ。前世からの因縁に満ちた、目眩く逢瀬を邪魔してやるな」

 

 その姿に苦笑しながら二人は、にたりと笑みを浮かべた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 少し、埃っぽい書架。背の高い本棚にはぎっしり本が詰められていた。ソルラスカならば、きっとショック死してしまうだろう。

 その僅かな通路をキョロキョロと辺りを見回しつつ、タイトルを確かめながら歩く。

 

--しかし凄いな……色んな世界の書籍が納められてて、寧ろ統一されていない。この中から目的のモノを探すのは骨だな……。

 

 何冊かは既に当たりを付けて、小脇に抱えている。今の彼が探すのは、科学技術に関する書籍。

 

「--お……」

 

 彼の目線よりも一段下、そこに収められている書籍のタイトルは『ザルツヴァイ式科学大系』。

 尚、異邦人の彼が魔法の世界の本を探せているのはサレスが予めメモ紙にタイトルと訳を列記してくれていたお陰だ。やはり、こうなる事が分かっていたらしい。

 

 探していたタイトルを見付けて手を伸ばすと--大きく傷だらけの無骨な手と、小さく柔らかな手が触れ合った。

 

「あ、すいません……」

「あ、すまぬ……」

 

 思わず二人は見詰め合う。ベタな恋愛漫画のような一瞬の後--ナーヤはまるで、路上の汚物でも見るような目付きに変わった。

 

「人間相手にそれ止めません? いくら俺でも傷付きますよ」

「こんな所で何をしておる。また策略の糸でも繰っておるのか? 事と次第によっては……」

「クウォークス代表の使用許可は取ってあります。悪しからず」

 

 先手を打ち、サレスのメモ紙を見せる。流石にその字には見覚えがあるらしく、彼女は悔しそうに舌打ちした。

 

--こンのネコ娘は……耳摘んで泣かしたろか。まぁその後、即行で『インシネレート』は免れねぇけどな!

 

「上手くサレスに取り入ったようだが、わらわはそうはいかんぞ。貴様だけは認めぬ、蕃神」

「良いですよ別に。逃げも隠れもしませんから。どうぞ、何時でも憎しみをぶつけて下さって結構」

「ああ……少しでも不審な動きをすれば--脳天を砕いてやるわ」

 

 身長差から見下すように三白眼を向ける空、見上げるように睨みつけるナーヤ。危うい、綱渡りのように張り詰める空気。

 

「--で、貴様……」

 

 ジトリと睨みつけ合って数秒。彼女は、静かな口調で。

 

「いつまで、わらわの手を握っておるつもりじゃ。いい加減にせい、鳥肌が立つ」

「仕方ないでしょう、俺はこの本が読みたいんですから。大統領が離してくださいよ」

 

 本を取り合って重なったままの手を退けろと告げた。しかし空にとっては、漸く見付けた理想的なタイトル。離す訳にはいかない。

 

「断じて断る。何故わらわが貴様に譲ってやらねばならぬ。貴様こそレディーファーストという言葉を知らんのか」

「はぁ? 誰がレディイダダッ! そっちに指が曲がるのは、十年くらい前に卒業しましたッ!」

「ナーヤ様、如何なさいましたか……あら、貴方様は……」

 

 そこに、鮮やかな緑色をした髪を三編みにした侍女フィロメーラが現れる。ナーヤと手分けして本を探していたらしく、その手には数冊の本が抱かれていた。

 

「……何、ちょっと本に付く悪い虫を見付けたものでな」

「俺は紙魚《シミ》か……つーか、あれだけ読むんだからこの一冊は先に読ましてくれたって良いでしょう」

「嫌じゃ。決めたぞ、何としても貴様にこれは読ません。わらわはこれを死守する」

「大統領ってのはそんっなに暇な職業なんですかい?」

「そんな訳がなかろうが、貴重な余暇を有意義に過ごす為に来たのじゃ。貴様のお陰で最悪の余暇になりそうだがの」

 

 ミシミシと本棚を鳴らしながら、二人は攻防を繰り広げる。それにフィロメーラは困ったように、懐から取り出した手帳を眺めた。

 

「ナーヤ様……午後は、世刻様とお会いするご予定では? 時間が無くなりますよ」

「……むぅ、そうであったな」

 

 心底悔しそうに漏らすと、彼女は本から手を離す。結果的に勝利を収めた空は、勝ち誇るかのようにゆっくりそれを小脇に抱えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「一息入れられてはどうですか、巽様。珈琲でございます」

「あ、どうも……うん、旨い……これは--キリマンジャロ?」

「おい、貴様……わらわを虚仮にしておるのか」

「いや、そういう『じゃろ』じゃなくて」

 

 書庫に設置されている机は一つ。それはナーヤに占領されている為、空は出窓に腰掛ける形で本を読んでいた。丁度、ナーヤに背を向ける形で。

 勿論、既に『早く出て行け』、『持ち出し許可は貰ってません』の応酬は済ませてある。

 

「「「………………」」」

 

 コチコチコチコチ、と。殺伐とした蔵書庫に規則正しいリズムを刻む、妙に古めかしい壁掛け時計。静かな部屋の中でその音はやけに耳につく。

 

「んー……」

「……」

 

 そんな中響く間抜けた声は、空の唸り声。軽く握った左手の親指を眉間に当てる、彼が何かを考えている時のお決まりのポーズ。

 

--やっぱり文字は訳が判らん。図解が多いのがせめてもの救いか……お、これはまさか電磁投射砲《レールガン》か? 随分小さいけど。

 

 ボリボリと、最近伸び気味の髪を掻く。切らなければいけないとは常々思っているが、彼は散髪に千円以上を使うのは馬鹿らしいと感じる人種だった。

 

--これはトラクタービーム……か? これも役に立ちそうだな。

 

「……んんーー……」

「……」

 

 再度、更に長い唸りを漏らす。それにナーヤはイライラと、己の本の頁をめくった。

 

--うおお……光子魚雷に対消滅エンジン! やべぇな、ビバ魔法の世界!

 ……つっても、このSF御用達の兵器群を使ったってミニオンに傷すら与えらんねェんだけど。

 

「……んんんーーーんべぇし?!」

 

 三度唸りを上げたその後頭部に直撃したのはナーヤの読んでいた本。

 

「喧しいわーっ! 大人しく本も読めんのか貴様はっ! ウンウンウンウンと唸りおって、耳障りで仕方ない!」

「痛ッてぇ……ちょ、何もこんな広辞苑級の本ぶつけなくても!」

 

 涙目で批難を向けながら、頭を摩る。因みに投げられた本は空が読んでいる専門誌よりも、遥かに高難度な専門書だった。

 

「つぅー……仕方ないでしょう、ついついテンション上がるんですから……」

 

 と、空の視線が落ちた専門誌に向けられる。そのページに乗っているのは--

 空は、再度眉間に親指を当てて--

 

「これは……使えるな。そうだ、直接は効かなくても、間接でなら効果は絶大だ」

「お、おい…何をぶつぶつ言うておるのじゃ--ひにゃ!?」

 

 モソモソと右手で懐を漁りつつ独りごちる姿に、流石のナーヤも案じ始めて彼の目の前で手をヒラヒラさせてみた--刹那、その手をガッシリと掴まれた。

 

「--有難うございますネコさん、お陰で今日は良い日になりそうだ!」

 

 空は、ブンブンと握手した手を振って一通りの感謝を述べた後で解放する。そのままの勢いで窓を開け、透徹城からグリーヴを取り出して装着した。

 

「この借りは必ず返しますから。後ソレ、詰まんないモンですけどどうぞ」

 

 言い残すや窓から飛び出すと、レストアスで羽根を構築して飛翔していく。

 真上に向かい、ほぼ垂直の壁を蹴って。

 

「……なんじゃ、あやつは……」

「さ、さぁ……?」

 

 暫く呆気に取られていたナーヤとフィロメーラだったが、漸く気を取り直して呆れる。

 握り締めていた手を開くナーヤ。そこには、包装された琥珀色の玉……一粒の甘露飴。

 

「……というか……」

「はい?」

 

 それをもう一度ギュッと、握り潰さんばかりに彼女は握り締めた。凄まじい怒気と共に。

 

「誰が……誰が『ネコさん』じゃ、あの無礼者めがーーーっ!」

 

 塔を揺るがさんばかりの大音声に、サレスとヤツィータは『やれやれ』と肩を竦め合った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝日を浴びる室内で、その男は珈琲を啜っていた。浅い黄緑の髪と実に残念な猫耳の彼の名前は、ニーヤァ=トトカ・ヴェラー。

 

「フム、今日もよい天気だ。齷齪働いている愚民共がよく見下せる、ハハハ……」

 

 過美が過ぎる、アンティークな調度品が押し込められている彼の執務室内。だが、彼が執務を行う事はない。

 トトカ一族の嫡男に生まれた為に魔法の世界の領主になったのだが、それは建前に過ぎない。実権は妹のナーヤに握られている傀儡なのである。

 

「……さて、と」

 

 と、机の引き出しの鍵を開けてハードカバーの本を取り出した。その本自体にも小さな錠前が取り付けられており、相当厳重に管理されているようだ。

 だが、先に述べた通り彼が執務を行う事はない。ならば、この本は何なのか。

 

「ふむ……」

 

 それを開いて満足そうに眺めた後、朝日を眺めながらもう一度、珈琲を啜る。

 

「うーん、マンダ……」

 

 そう、何か不穏当な事を呟こうとした刹那--窓硝子の外側に、氷の翼を持つフルフェイスの男が特殊部隊よろしく飛び込んで来る様子が映った。

 

「ひぇぇ、な、なんだぁぁっ!?」

 

 危うく、椅子ごと倒れ込む形で彼は闖入者に激突されるのだけは裂ける事に成功した。

 弾け飛ぶ特殊強化防弾硝子と、アンティークのコーヒーカップ。その破片と飲みかけだった珈琲を浴びながら、ニーヤァは腰を抜かしたまま後ずさる。

 

「イテテ……屋上に届かなかった。落ちるかと思ったぜ」

 

 そして回転しながら着地した男は、体に付いた硝子片を払いつつそんな事を口走る。

 フルフェイスを外せば--当然、空の顔があった。

 

「き、き、貴様は……あの時の、田舎者の一人かっ! ここを何処と心得る、偉大なるトトカ一族の長子ニーヤァ=トトカ・ヴェラーの私室なるぞ!」

「あ、残念猫耳嫌味駄目兄貴……じゃなかった、ヴェラー卿」

「ほぼ全部聞こえておるわ!」

 

 何とか威勢を取り戻して舌鋒を振るうも、まだ腰が立っていない。何を言おうとも情けなくなってしまう。

 

「さっさと失せろ! いや、この始末を一体どう付ける気だ! 事と次第によっては、貴様ら全員を牢に叩き込むくらいは……」

「…………」

 

 と、睨みつけた先の空。その目は、先程の突入で砕けた執務机の脇に拡がっているハードカバーの本に向かっていた。

 

「…………」

「…………」

 

 その本に在ったのは--多数の写真。緑色の髪のメイド、つまりはナーヤの侍女フィロメーラその人を様々な角度、時間帯に写したであろう物だった。

 ちなみに、その全てにおいて、フィロメーラの視線がレンズの方を向いている物はない。

 

「……あの、これ」

「……違う。断じて違うぞ、盗撮ではないぞ」

「いや、でも」

「断じて違うといったら違うのだ、ふしゃあああああーー!」

 

 悲鳴のような声を上げながら、ニーヤァは無理矢理立たせた足で駆け、アルバムに覆い被さった。

 そして、正に猫のように唸り声を上げて威嚇する。

 

「ははは、別に盗撮だとか思ってませんよ。画像も添付して信憑性をアップするなう」

「思っとるから呟いとるんだろうがぁぁーっ! まて! データを消せぇ!」

 

 それに空は携帯を操作しながら、猛烈な勢いでタイプしていた。それに顔を青くしたニーヤァは、遂に。

 

「……な、何が望みだ? 金か、地位か?」

 

 遂にその言葉を口にした。空は、それに白々しく。

 

「えー、いいんですか?」

 

 腹の中が真っ黒に違いないと、簡単に理解ができる満面の笑みを返したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 所を戻して物部学園。ナーヤの指示で運び込まれる生活物資を、帳簿に記す空。

 

「Humm~~、Hummm~~……」

「ど、どうしたんだよ空……?」

「やけにご機嫌ね、何かあったの巽?」

 

 御機嫌に鼻唄など唄っている彼に信助と美里が話しかける。若干無気味に感じながら。引き気味の二人もなんのその、空は上機嫌のままだ。

 

「んん? ああ、まァな……」

 

 パタンと帳簿を閉じて、凝った背を伸ばす。整理を終えた彼は、満足げに鼻を鳴らした。

 

「……にしても長かったよなぁ、空。もうすぐ俺達、元々の世界に帰れるんだよな」

「ホントよね、やっと帰れる……家に帰れるのよね。もうちょっと続けたかった気もするけどね……なーんて」

 

 と、信助と美里が呟いた。その声には微かな寂寥……そして隠し切れぬ喜びがあった。

 

「なぁ、帰ったら何するよ? 俺はジャンクフード食いまくるね」

「あたしは勿論、お菓子に甘味。巽は?」

「俺か? そうだな--」

 

 その喜びを、口にする事で表す二人。それに空も倣い--

 

「俺、元々の世界に帰ったら……先ず、滞納してる家賃三ヶ月分を払うんだ……その後、三ヶ月間は無断欠勤しちまってるバイト先に謝るんだぜ……やる事一杯だろ? へへへ……」

 

 その、切迫した実情を語った。

 

「……てかもう無理だろうがよォ! 絶対、クビになってるよ! 絶対部屋引き払われてるよ! 俺に帰るべき場所なんて、ホントにあんのかァァッ?!」

 

 先程までの上機嫌から一転、机に突っ伏して喚き始める。実際に帰れる状況になって、忘れていた問題点を思い出したのだった。

 

「何の為に高い学費を払ってまで物部学園に通ってると思ってんだ、俺の就きたい職は公務員だよ! 給料が安定してて、クビが無い公務員になってさ、三十代くらいまでに結婚して四十代くらいまでに一軒家を二十年ローンで買って、子供は男と女の二人で、仕事場では部長くらいまで昇進して定年退職して、老後は奥さんと縁側で茶を啜りながら昔話とかして最期は子や孫に囲まれて老衰で奥さんより早く往生するっていう、俺の人生設計が無茶苦茶になっちまうじゃねェかァァッ!!」

「「どんだけ綿密な未来予想図!? 上手く行くかそんなのっ!!」」

 

 暮れなずむ教室に木霊す悲痛な叫びにすかさず入ったツッコミ。

 

「「「……ぷっ、くくく」」」

 

 そして、揃って忍び笑う。

 

「しかしなぁ、まさか空とこんな馬鹿話するようになるなんてよ」

「まったくよね、取っ付き辛い奴くらいしか思ってなかったのに」

「こっちこそ鬱陶しい奴らくらいにしか思ってなかったけどな」

 

 繰り返される日常では、一向に近づく事の無かったその距離。

 もしこの漂流が無ければ、有り得なかったであろう関係性。実に居心地のいい雰囲気。

 

「そういえば学園祭はどうなったんだろうな。元々俺達、その為に集まってたんだしよ」

「言われてみれば。後で斑鳩先輩に聞いてみようかしら」

「いざとなりゃ強行開催だぜ」

「巽なら……一人ホラーハウスが出来るわね。ヘルメットを着けて剣持てばジェ○ソンぽいムキムキさ加減だし、【幽冥】の声って超不気味だし、レストアスで人魂も出来るし」

「今晩そのオールキャストで枕元に立ってやるから請うご期待……っと、そういや風呂を磨かねぇと。行くか」

 

 椅子から立ち上がって爽やかに告げた空。それに二人は、揃ってサムズアップし--クルリと親指を下に向けた。

 

「「ふざけんな、ガンバれ!」」

「クソッタレ、友達甲斐の無い奴らだぜ」

 

 だからこそ、こんなにこの時間を惜しむのだ。もうすぐ終わりを告げる……『家族』としての時間を。

 

 

………………

…………

……

 

 

 同じ頃、物部学園の校長室で望は打ちひしがれていた。そんな彼を見下ろす冷たい眼差しは、旅団団長サレス=クウォークス。

 今から数分前、彼は少年に元々の世界の座標を教えた。そして、告げたのだ。

 

 『お前は自分の力に、自分が何でも出来ると錯覚している』と。『お前は我々に必要無い。邪魔になるだけだ、元の世界に帰れ』、とも。

 

「--俺は……俺は、困っている人が居るから……俺の力でそれを助けたくて……」

 

 彼は途切れ途切れの言葉を紡ぐ。それは、この前ナーヤに会った時にも否定された言葉だった。

 『守るものがあり、やるべき事があるのなら、他の事に目を取られてはならないと思う』と。

 

「『人の為』か……やはりさっさと帰れ」

 

 その返答に、更に呆れを強めたサレスは、氷点下の言葉をたたき付ける。微かに、残念そうな色を篭めた声で。

 

「お前は結局、その力無しには何を成す事も無いのか? 運よく手に入れられただけの力で粋がるな、『破壊と殺戮の神』"ジルオル=セドカ"の転生体……世刻望」

 

 睨みつける望を『口が付いているなら言葉で文句を言え』と一蹴し、彼は少年の知りたくなかった事実を全てぶつけた。

 己の力の正体が、殺戮者の力である事。その力によって物部学園が漂流する事になったのだという事。更に--いつその力に望自身が乗っ取られるかも、判らないという事を。

 

「話は以上だ。座標位置の転送はヤツィータにして貰え」

 

 呆然と俯く少年に冷たく締めの言葉が投げられた。それを最後に彼は、背を向けて威圧を与える。

 そして窓の外を眺め--一人で校庭の角にある浴場に向かう空をを視界に収めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 その暫く後、生徒会室で。望はルプトナ、カティマと言葉を交わしていた。二人に……いや、彼が教室に戻った時に居た、ほとんど皆に心配されてしまった結果だ。 二人の励ましに少し元気を取り戻した望は、先程の経緯を話した後で己の気持ちを語る。

 

 悔しそうに、事実、その言葉に反論出来なかった自分を恥じて、彼は声を搾り出す。『守りたい』という気持ちを否定されてしまい、どうしていいか判らずに。

 

「……望。無礼を承知で言わせて頂きます」

 

 それにそう前置きしてカティマが口を開いた。

 

「力には必ず責任が付き纏います。無責任な力などは無い、もしも有ったとすれば、それは徒な暴力であり唾棄すべきモノでしょう」

「……責任、か」

「はい。失礼ながら今の望は……その責任から逃れようとしているようにしか見えません。守りたいものを盾に、力を正当化しようとしているようにしか見えません」

「--そんなッ……こと、は」

 

 尻窄まりになる声、また俯いてしまう望。

 

「望……良いではありませんか、それでも」

「……え?」

 

 刹那、彼女の口から発せられたのは驚くべき言葉だった。

 

「ある方が私にそう言いました。もっと欲張ってもいいのだ、と。国を救う為、民を救う為と視野を狭めていた私に」

 

 胸元に手を宛て、大切な思い出を呼び覚ますような仕種。

 

「確かに、力を手にしたからには権利を振り翳す前に義務を果たすべきでしょう。しかし、それに気を取られる余り他者しか省みなくなってしまっては本末転倒です。それこそ、傲慢というもの」

 

 紡がれた姫君の言葉は限りなく優しい。それを語る彼女の脳裡には恥ずかしげに語る『或る少年』の姿が浮かんでいた。

 

「そうそう。だから……望はさ、望らしく有ればいいんだよ」

「俺らしく……」

 

 カティマに続けて、ルプトナ。彼女も、大事な記憶を揺り起こすように。酷く優しい眼差しで彼を見詰めた。

 

「うん、そう。此処に居る望は、望以外の誰でも無いんだよ。その望が在りのままに、在るがままに、自分らしさを貫くなら……神様にだってそれを否定出来ないんだってさ」

「…………」

「……ノゾム……」

 

 黙り込んでしまった己の主に、気遣わしげな声を掛けたレーメ。

 

「……『俺は俺自身の壱志を貫くだけ』……か。そうか、そういう事だったんだな……」

 

 その時、唐突に理解した。あの日、剣の世界で問うた言葉に、彼が返した『応え』を。

 それは『理由』を『お題目』にしてはならない、と。自分自身がそう思ったなら、自分自身の責任で事に当たれと。彼はあの頃から、己が手にした力の意味を悟っていたのだろう、と。

 

 それは、仕方の無い事だった。何故なら、望は『望んで力を手にした』訳では無い。対して『彼』は『望んでチカラを手にした』のだから、その価値や意義について望よりは深く考えていた、というだけの事。

 

「……ありがとう、二人とも。俺、決めたよ」

 

 上げた顔に、迷いは無い。進むべき道を、その目標を定めた彼にはもう。

 

「--俺は……『守りたい』! 一緒に生きる皆を、例え傲慢だと罵られても大事な『家族』を! それが、俺の偽りの無い気持ち。そして『壱志』だ!」

 

 目に見えてはっきりと、望の瞳の輝きが変わった。胡乱な薄曇りの蒼穹の病んだ陽では無く、晴れ渡った晴天の日輪のように。

 

「勿論、私達も手伝います。私達は『家族』なのですから」

「うんっ! 困った時はお互い様だよ!」

 

 その輝きにこそ、皆は惹き付けられて止まない。外ならぬ『或る少年』もまた、本人は断じて認めないだろうが望のそれに惹き付けられる者の一人。

 でなければ、あのドライな少年が付き合いなど交わす筈が無い。

 

「……ところで、ルプトナ。先程の言葉はもしや」

「あれ、やっぱりカティマも? どうりでなんか腹立つと思った」

「……はは……」

 

 三人は一斉に、その少年の姿を思い浮かべて苦笑したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その頃、空の私室では。

 

「--ふえッくし! いッきし! あーックソッ!」

【んひゃ~~っ!? 何しはりますのん旦那はん、きったなぁっ!】

「あー、ズッ……湯冷めでもしたか? 早く寝よっと」

【旦那はんん! せめてわっちを拭いてからぁぁっ!】

 

 手入れを中断、唾と鼻水まみれになった【幽冥】の悲鳴が木霊す中で床に着いた空。

 彼は知らない。その気まぐれのせいで……魔法の世界での戦いに参戦する事を決める為の全校集会に参加し損なった事を。

 

 そのせいで、朝っぱらから沙月にこっぴどく叱られる事になる事を--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 完全に空が寝入った事を寝息で確認して、【幽冥】は常夜灯すら付けていない闇の中で薄ぼんやりと赤黒い精霊光を放つ。

 

【…………】

 

 【夜燭】は透徹城の中、神獣のレストアスの気配も無い。

 

【つまり、頃合いって訳どすなぁ……くふふ】

 

 不気味な合成音声のような声の後、【幽冥】を中心にどす黒い赤が渦を巻く。

 

【もう少しくらいは楽しめるかと思うたんどすけど……まぁ、縁が無かったて事で】

 

 そう、まるで--腐り果てた血のような赤い渦が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その翌日。執務室の窓外、晴れ空の……そもそも、雲の上に在るザルツヴァイに晴天以外は無いのだが……道路を歩く望の姿を見ながら、ナーヤは溜息を落とした。

 つい先程、望本人から彼等一同の出した結論を聞かされて。

 

 そして、じとっと睨みつける。ついこの前まではその参戦に反対していた癖に、掌を返した裏切り者を思い浮かべて。

 サレスが、望の参戦に賛成した理由。『力の方向性を見出だした彼なら、共に戦う戦力になる』との言葉と共に。

 

「全く、ジルオルとは違いすぎるぞ。あやつは……」

 

 その刹那、彼女は……己の前世に引きずられている自分が、酷く馬鹿らしくなった。自分ばかりが過ぎ去った世界の中に取り残されている、と。

 望だけではない、他の転生体は前世など関係なく今を生きているというのに。

 

「……何故、わらわを置いていく……どいつもこいつも……わらわばかり、阿呆みたいではないか」

 

 過去の残照と、忘れ得ぬ記憶。今まで支えにして来た『ソレ』に生まれた疑念に独り呟いた……


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。