慌てて駆け入った、明け方の閑静な市街。道路を通る車は殆ど無く人通りはまだ、ジョギングや犬の散歩をしている者がちらほら居るくらいだ。
「帰ってきた……マジかよ!」
「お、お兄ちゃん! 待ってよ、どこ行くのーっ!?」
「お、おい、置いてくなって……!」
その僅かな人も、息を急き切って歩道を駆け抜けるアキとユーフォリア、そして名無しの青年に驚いて道を開ける。
「見覚えがある……あのビル、この曲がり角……!」
角を曲がれば、数ヶ月前にミニオンが化けた狗に襲われて……綺羅に救われた地点。
その風景を確かめるべく、アキは殆どタックルの勢いでコーナーを曲がった。
「――きゃあ!」
「――ッつぁ、すんませんっ!」
そこで前方不注意のツケが回る。視界の下端にすら入らなかったが、どうやら誰かが居たらしい。
すかさず、倒れそうになる人物の手を引き止めた。
「あ、ごめんなさ……い……イケメンさんだ!」
「もう、小鳥ったら……ちゃんと前を見てないと駄目じゃない」
「ごめんごめん、佳織……でも、どうしよ~、外人さんだよフォレイナーだよエトランジェだよ~!」
強く手を引かれ驚いた顔をした……青み掛かった髪を束ねて通学途中らしい鞄を背負う、ユーフォリアと同年代のやたら騒々しい少女。
その後ろから大きな箱を持った、赤み掛かったセミロングの大人しげな少女が青髪の少女をたしなめるように追い付いた。
「もう、お兄ちゃんったら……ちゃんと前を見てないと駄目じゃない」
「う……悪い、ユーフォリア……」
同じくユーフォリアに追い付かれてたしなめられるアキ。
そんな二人を見て『小鳥』と呼ばれた少女と佳織と呼ばれた少女は。
「あのー、お兄さん……」
「ん? ああ……本当にすみません、もしかしてどこか怪我しました?」
「いえ、その……」
彼を見遣り、片方は期待に満ちた目、もう片方は気まずそうに。
「随分と気合い入ったコスプレですねー、もしかして、映画か何かの撮影ですか?」
「…………」
そこで漸く、アキは自分の姿を省みた。アオザイ風の武術服に鎧装、刺繍のなされた漆黒の外套にライフル剣銃を背負った男。その隣には北欧の戦乙女みたいな服装に、槍だか剣だかを持っている蒼い髪の少女と白いコートを諸肌に直接纏い双刀を携えた男性。
――しまったァァァッ! 異世界の水に長く浸かり過ぎちまった、今の自分の恰好に全然疑問抱いてなかったぞ、俺!
「えっと、どこか変なのかな――きゃふ?!」
「お、お嬢さん達! 急がないと、学校遅れるぜ!?」
驚愕した表情で思考停止したアキに代わって、その場でクルクルと廻りながら己の恰好を改めるユーフォリア。
その頭の天辺に空手チョップを墜としてサムズアップしながら、アキはキラリと歯を光らせて二人に声を掛けた。もう大分、ギリギリなようだ。
「ああっ、いっけなーい! 佳織、急がないと練習遅れちゃうよ!」
「あ、待ってよ小鳥~! し、失礼しました」
だが、そんなギリギリな様子にも気付く事無くさっさと駆けていく青髪の少女に対し、赤髪の少女は一度ペこりとお辞儀をして去って行った。
「……つーか、おもクソ銃刀法違反じゃねェかァァァッ! そりゃあ、こんな不審人物が真面目な顔して走って来たら道くらい開けるだろうよ!」
「だったら、アイちゃんに人の形になってもらえばいいのに」
そこで、周囲の空間をさざめかせながらアイオネアが人型となった。現れ出る永遠神銃【是我】を抱き、花冠を頂いた金銀の双眸にキャソックにリャサを羽織った滄い髪の裸足の少女……。
「これじゃあ銃刀法は免れても、不審者の点でまだ引っ掛かるの! お前らはまだ補導で済むけど、俺は逮捕なの! 前科が付くの!」
「……(がびーん)!」
「ぶー……」
『不審者』という単語にショックを受けるアイオネアや、叩かれた頭頂を押さえるユーフォリアに非難の目を向けられ、アキは安堵しながらがっくりと膝を衝き頭を抱えた。
――すぐに人通りが増える時間帯だ。警官に見付かりでもしたら、即アウトだぞ……そうだ、あそこなら!
そこで、彼は思い出した。人が少なく、また、頼れる人物が居る場所が在った事を。
………………
…………
……
「アキ様……重くありませんか?」
「ん? 軽いくらいだ、ちゃんと飯を食え」
「はぅ……」
ユーフォリアと名無しの青年を引き連れ、裸足のアイオネアをアスファルトの上を歩かせる訳にはいかないと背負ったアキは長く続く石段を登る。
だが何故か、神社に近付くにつれてユーフォリアは渋るような様子を見せ初めた。
「お兄ちゃん……どうしても行くの?」
「行くしかねェんだよ。頼れるのは、あの人くらいだからな」
「…………」
彼女にしては珍しく、ぐずるように遅々として足を進めない。アキとて本当はあまり行きたくない場所だ、この――『神社』は。
「居るといいんだけどな……」
そうして、アキは境内の入口……『神木神社』の銘を眺めて違和感を覚えた。
――あれ、『神木』? 『天木』じゃなかったか……?
「――お待ちしてましたよ、皆さん」
「「「「――っ!?!」」」」
突然掛けられた、凛と通る声。同時に感じる圧倒的な存在感に気圧される。名無しの青年等は、双刀【竜翔】を構えた程だ。
その声の主……玉砂利を踏み、神の通り道である真ん中を避けて通るその巫女は。
「……お、お久しぶりです………師匠。その…最近はとにかく忙しくて、来れなくてその……済みません!」
顔も見ずに、アキは遮二無二頭を下げた。それが彼女との付き合い方の基本だと知っているから。
「いやあの、本当に済みま――」
「――いいんですよ、そんな事」
掛けられたのは、優しい声色。彼はそれに安堵の溜息を吐き出して頭を上げて――凍り付いた。
「……師……匠?」
眼前に突き付けられた、古代の銅剣のような……圧倒的な存在感の剣に意識を奪われて。
−−何だ……何で、俺は……。
「待っ……お願いします、待ってください、時深さん!」
その視界を、蒼い髪が遮る。両手を広げて、アキを庇うように立ち塞がったユーフォリアが時深の永遠神剣である第三位【時詠】から遮った。
――何で俺は……師匠から永遠神剣と死の気配を感じてるんだよ……?!
「……『悠久のユーフォリア』よ、
「確かにお兄ちゃん……『真如のアキ』は、強いチカラを持ってます……生まれたばかりなのに、並のエターナルを凌駕するくらいの可能性を……でも、この人は力に溺れて
まるで、自分に言い聞かせるように。彼女は悲痛な声を上げる。
「……貴女くらいの年代では、そうやって『可能性』とか言う不確定なモノを信じたくなってしまうのです……悲しいですけど」
「そんなっ……そんな事無いもんっ! 時深さんの方こそ、お兄ちゃんの事を甘く見過ぎなんだもんっ……!」
それに、時深は深い溜息を吐いた。哀れみを込めて。
反駁するユーフォリアだが、次第に語勢が弱まってしまう。
「――へぇ、貴女なんかよりも、ずっと昔からその人に目を掛けていた私が、ですか?」
「時間なんて……関係無いもん! あたしは、お兄ちゃんを信じてるからっ!」
瞬時に、一触即発の気配を纏う世界。そのただ中に在って、アキは指一本動かす事も出来ない。
情けない事に、全く異次元の二人の攻めぎ合いに、口を差し挟む事さえ出来ない。
どちらも自分が何か言っただけでも屠れる程に、強力な永遠神剣の持ち主だと気付いてしまっているから。口を開かない事だけが己の命を繋ぐ事だと悟り、その屈辱に必死で耐えながら。
ただユーフォリアを
永遠神銃【真如】に戻ったアイオネアの柄を握って、石畳を踏み付ける。
「……ふぅ」
「――あ、かはっ!?」
そこで、戦意が霧散する。途端に静謐を取り戻す境内。一気に流れ出す冷汗に、アキは膝を衝いた。
「……解りました、今は貴女の言葉を信じましょう。付いて来なさい、若き永遠者達」
ただ、その言葉に。命を救われた事だけを感じて−−……
「……完全に蚊帳の外かよ」
安堵から尻餅をついていた、名無しの青年をただ一人残して。
………………
…………
……
時深の創った"門"を潜り抜け、拓けた視界。森閑の中の鳥居と、その先に拡がる静謐なる湖の上に浮かぶ――古代日本式の様式美を見せつける神の社。
その湖上の社に続く橋の入口に青、緑、赤、黒、白、銀の髪をした六人の巫女が立っていた。
「お待ちしておりました、皆様。時深様、御当主様がお待ちです」
「ええ、二人を案内しなさい」
その内で最も小柄な……銀髪緋瞳に犬耳と尻尾を持った巫女が、一瞬アキを見て時深に申し出る。それに答えて、時深と犬耳の巫女はさっさと歩み去って行った。
代わりに、【真如】を担ぐアキと【悠久】を持ったユーフォリアをピッタリとガードするように五人の巫女が列ぶ。
「では、お二人はこちらへ」
その最年長らしい、水引で黒髪を纏めた巫女が促した。楚々と歩き行く巫女達に、護衛……いや、連行されながら。
「「…………」」
その間もずっと、二人は目線すら合わせる事は無かった。
………………
…………
……
通された堂の板張りの床に腰を下ろしたアキと人型に戻ったアイオネア、ユーフォリアは黙って時深の訪れを待つ。
その間に、正座したユーフォリアは気まずそうに彼を見遣った。
「……怒らないの?」
「何をだよ」
「……分かってるくせに」
片膝立てに胡座を掻く猫背の彼は、左手の小指で耳をほじりながらぶっきらぼうに答える。
その反応にさしもの彼女も苛立つ様子を見せ、アキの隣に寄り添うアイオネアが慌てた風に交互に見遣る。
「……良かったじゃねェか、記憶が戻ったんだからよ。一体何処に、後ろめたい事が有るってんだ?」
「……だって」
暫し続く無音。清澄な湖面にさざ波を刻む風は、何処までも爽やかだ。
「だって……あたしは、エターナルだから……任務の為に皆に近付いて、忘れて仲良くなれたのに……でもあたし……」
己の中で言葉を整理出来ないのだろう、今にも泣き出しそうな顔で支離滅裂な物言いを繰り返す。そんな少女にアキは右手を伸ばし――
「それ」
「――あいたっ!? う~っ、お兄ちゃんの乱暴者~っ!」
それなりの勢いのデコぴんで叩く。中指で打たれて赤くなった額を抑え、彼女は恨めしげな眼差しをアキへと向けた。
「慰めて欲しいんなら優しい奴……望あたりに泣き付け。俺はどっちかといえばそういうのは突き放す方だ」
おろおろと慌てるアイオネアを尻目に、アキは明かり取りから差し込む光を見上げた。空は雲一つ無い快晴、黄金色の陽射しに高く舞う鳶。
「それに言った筈だよな。"家族"相手にしゃちほこばるな、もっと我を出せって。お前はお前らしくぶつかって来りゃあいいんだよ」
「……でも……あたしは、その"家族"を騙して…」
「あん? もう一発欲しいって?」
再度突き付けられた右手に、ユーフォリアはぷるぷると頭を振る。流石に、神銃士として強化されたデコぴんは堪えるらしい。
これが、『世刻望』と『巽空』の決定的な違いだ。例えるならば『光』と『風』の違い。光は前から照らせば目標と成り、後ろから照らせば行く先を照らす。
だが風は後ろから吹けば追風と成るが……前から吹けば障害としか成り得ない。故に、アキは手を引きはしない。
「お兄ちゃんは、寂しいと思わないの? お兄ちゃんも、もう……時間樹を離れたら、"家族"の皆との"絆"も途切れちゃうんだよ?」
「……別に。まだ経験した事無いし、もしそうなったとしても――」
ただ、誰に感謝されずとも憎まれようとも……無理矢理に後ろから、その背を押して突き放すだけ。
その相手が、ほんの少しでも前を見てくれる事を祈り。背後の己を見ようものならば、容赦無く吹き飛ばすとばかりに。
「……俺は、俺自身の思いは途切れない。何せ【真如】は無くなってからが本領発揮。だから……もう一度結び繋ぐだけだ」
左腕にしがみつき止めさせようとするアイオネアに苦笑しながら強がる。
――……その経験が無い俺には、こいつが味わった喪失感を理解なんて出来ない。安い台詞で慰めるのは、返って傷付けるだけだろうから。
だったら俺は、『嘘つき』になるよりは『理想論者』や『冷血漢』の方がまだいい。
それこそが、『巽空』という男が倉橋時深やクロムウェイ、ダラバ=ウーザやレストアス……そして、己の前世であるクォジェ=クラギという人生の先達から学び取った生き様だった。
「……お待たせ致しました」
と、そこに障子が開き二人の男女が現れた。片方は白髪に髭を蓄えた老齢の宮司だが、もう片方は――倉橋環。
「お久しぶりです、空さん。わざわざ『出雲』までご足労頂き恐悦至極にございます」
「いえ、こちらこそお招き頂き有難うございます……環さん」
慇懃な口調で恭しい挨拶を述べた環に、アキは取り敢えず姿勢を正して頭を下げる。如何に不機嫌とはいえ、渡世の仁義を通さないのは彼にとっては名折れだ。
「恐れながら、我が師である倉橋時深に誘われました。その本人が現れないのは、私としては不本意です」
なので、やはり最後に毒づいた。
「小僧……御当主様に向かって――」
「良いのですよ、信三。申し訳ございません、あの者は我々の中でも特別で……ある程度の自由が許されているのです」
――『特別』、ね……環さんも相当に特別な感じがするけどな。
(アイ……どう見る?)
【えっと、あの……不思議なチカラを感じます。神剣士じゃない筈なのに、エターナルみたいな永遠性を感じます】
不審な眼差しを感じ取ったのか、環は柳眉を寄せて困り顔を見せた。そんな表情まで美しいのだから思わずアキは照れて目を逸らしてしまう。
それに少しだけ、ユーフォリアとアイオネアが不服そうな顔をした。
「……愚妹がお世話を掛けまして……誠に申し訳ありません。アレは、この社の更に奥……『奥の岩戸』にて待っております。貴方一人だけで来てほしいとの事です」
「一人って……あの、あたしは?」
「ユーフォリア殿は此処でお待ち下さい。これは、時深と空さんだけの問題ですから」
立ち上がるアキに続き立ち上がろうとしたユーフォリアを環が遮り、彼はそんな心遣いに感謝する。アイオネアはすかさず神銃形態となり、アキはすかさず左肩に担いだ。
「奥の岩戸まで続く道には出雲の、『
「……どうも」
『……だったら退けといてくれ』の言葉を飲み込んで、アキは左手をヒラリと振った。もう片方の右手で障子を開くと、そのまま障子を閉じ――
「――お兄ちゃんっ!」
かけて、止める。振り返らずに立ち止まった、輪廻龍の外套を肩で羽織った背中。
「生きて帰って……来るよね?」
「……ハァ……」
掛けられる切実な問い。それに彼は、深く深く溜息を落とした。
――ッたく……自覚が無い分、
左肩の、
「――たりめーだろ、なんせ俺は無や無限をも踏み越える可能性を持つ
だから閉じ際に右でサムズアップして、そんな見栄……空元気を張る。彼がかつて憧れた言葉、それを二ツ名として名乗る。
かつて巽空としてそれなりに平凡に生き、『幽冥のタツミ』として波乱の旅をして、『真如のアキ』として新たな"生命"を得た彼が名乗るその名。
それこそ、この後に彼が永劫を闘い貫く際の名前。蒙昧なヒトが思い描くような華々しさなど何処にも無い、ただただ救い無き絶望に充ちる永遠を歩む彼が名乗る事となる……最後の名前だった。
その持つ重圧は未だに、ただ――二人しか知らない。赤銅色の髪の巫女と。
「…………」
その時間樹の外。今も尚、観測し続けている、"輪廻の観測者"以外は。
「……うん」
戸が閉まる最後の一瞬、アキにはユーフォリアは――微笑んでいたように見えた……。
………………
…………
……
一人、岩戸へと続く洞穴を歩くアキ。ふて腐れたような表情の彼を照らすヒカリゴケ。
大きく開けたホールのようになっている箇所に歩み入った時、目前に五体の影が立つ。そこから黒のミニオンが歩み出た。
「……お待ちしておりました」
「あんたらが防衛人形か? 確かに神剣の気配は有るけど……」
「如何にも。私共は、出雲により生み出された兵士にございます」
身に纏う装束や、それぞれが手に持つ西洋剣に双刃剣、槍に刀、杖などの
だが確かにそれらは、先程彼等を案内した巫女達だった。
「時深様の待つ場所に辿り着く道は此処以外に在りません。則ち、我々を倒して行くより他に無し」
言い放つや、凄まじい迄の殺気を見せる巫女達。一斉に隙の無い戦闘姿勢を取った。
青と黒、白は神剣にチカラを。赤と緑は詠唱を開始する。
――しかも、どの神剣もかなりの熟達を経てる。神剣の格も結構上、七位とか六位辺りか……強敵だな。
【はい……ですが、この狭さだと相手も動き難い筈ですよ。どれだけ完璧な理屈を持っても、理屈を重ねれば重ねるだけその理屈は破綻し易くなるものですから】
(……はは、そうだな……そうだった)
かつて、神剣【幽冥】も言ったその台詞。しかしそれはアイオネア――『永久不変の真理』を体言する、永遠神銃【真如】にとっては文字通りの真理だ。
その神銃【真如】を左手に番えてスピンローディングで装填する。洞穴の暗闇の中でも鞘刃は蒼滄く煌めき、揺らめく。その波紋の刃紋は、何処までも限りなく拡がり続ける可能性。敗因すら乗り越える無窮の因子だ。
「……俺はフェミニストじゃないし、ドSなモンでね――容赦無く叩きのめさせて貰う」
根源力を集めて、足元に薔薇窓のステンドグラスの精霊光の煌めきとして展開する。それを確認して、アキは岩盤を蹴った――!
………………
…………
……
先ず繰り出されたのは、速度にて追随を許さない黒の『無走剣』。圧縮された暗黒の刃がアキの首筋を狙って飛翔し――
【……静かなる、眠りし子らを抱く優しき闇よ。我は御名を唄う――ワードオブブラック】
アイオネアの詠唱後に展開された夜色の波紋に防がれ、威力を失い消滅する。そこに、閃光が走った。
【……壮麗たる、醒めし子らを導く優しき光よ。我は御名は唄う――ワードオブホワイト】
白の放つ雷光『ディクリーズ』が彼を撃つ――瞬間、朝日色の波紋がそれを受け止めた。だが既に、次が迫っている。
【……清廉なる、生きし子らを育む優しき水よ。我は御名を唄う――ワードオブブルー】
更に、地を這い死角から迫った青の『フューリー』を水色の波紋が掻き消す。同時に、詠唱を終えた赤の魔法『インフェルノ』が襲い掛かり――
【……猛々しき、死にし子らを還す優しき火よ。我は御名を唄う――ワードオブレッド】
火色の波紋がそれを飲み込めば、局所的な竜巻……緑唯一の攻撃魔法『エレメンタルブラスト』が彼を撃つ――
【……大いなる、還りし子らを生む優しき地よ。我は御名を唄う――ワードオブグリーン】
よりも早く、碧色の波紋が大気の流れを正しく戻す。
例えるならそれは『不壊の盾』。五対一の圧倒的な暴力に、各属性を完全に無効とする『
その篤き加護を受け、アキは無傷で敵陣に肉薄した。
「……一閃、斬り拓く――オーラフォトンブレードッ!!」
杖を振り抜いた白へと斬り掛かるが、緑の展開する大気の広域防御『ディバインブロック』に防がれ、止められ――
「――っ!?」
ない。あっさりとその盾を擦り抜けた。
それは、『全てを斬る剣』。彼の担う聖なる刃は何も斬れない代わりに、何を持ってしても止める事は出来ない。
その防御を擦り抜けた直後、引鉄を引き鞘刃に纏う高密度のオーラフォトンにて、白を打ち払った。
「――次だッ!」
排莢と装填は同時にトリガーレバーを引いて次弾を装填すると、同じく硬直している青を狙って――引鉄を引いた。
「……一閃、撃ち貫く――ダークフォトンショットッ!」
銃口から迸しったダークフォトンに撃たれ、青は岩壁に叩き付けられる。
更にアキは、左脚に根源力による装甲――カティマの防御技である『威霊の錬成具』を物質化させて纏って、ルプトナの後ろ廻し蹴り『レインランサー』にて赤を打ち払った。
更に右腕にも装甲を纏い、緑に向けて突き出し――当たる直前で手を開いて、圧縮した"氣"……ソルラスカの『裂空衝破』を放ち吹き飛ばす。
最後に残った黒が肉薄して放った『飛燕の太刀』。それをアキは……右手で掴み止め、【真如】の銃床で鳩尾を打った。
「……何故、殺さなかったのです? 貴方なら可能だった筈ですが」
岩壁に背を預けた黒の巫女が問い掛ける。その脇には気絶している他の四人の巫女達の姿もあった。
「……んなもん、決まってんだろ」
アキは乱れた外套を羽織り直すと、左肩に【真如】を担ぎ直す。
「汚れ役は俺だけで充分だっての。コイツを……アイを血になんて、穢せられるかよ」
ふっと右掌を振り、奥へと続く道を歩み始める。その背中を見詰めたまま、黒髪の巫女はクスリと笑った。
「……とんだ、ドMのフェミニストね……」
そして視界から消え去った彼から視線を外すと、彼女は溜息を漏らす。
「時深様……私には……彼はとても、ロウに与するような人物には思えません……」
薄闇に溶けて消える意識の中でそう呟いたのだった。
………………
…………
……
神聖窮まる空間、息をするだけでも今まで染み付いた全ての穢れが払われていくような感覚に捕われる。その空間の果て、締め縄のなされた巨石を背後に、その巫女は優雅に立っていた。
「彼女達では相手になりませんでしたか。少しだけショックですね、あの娘達は私自身が生み出した『エターナルアバター』だったんですけど」
「そんな事が聞きたくて来たんじゃないですよ師匠。俺が聞きたいのは、あんたらが何者かッて事だ。師匠や……ユーフォリアが」
閉じた扇……神宝の『時遡の扇』を口許に当て、柔らかく微笑んだ。
「私とユーフォリアは、『
いつか見た、諦めたような笑顔。彼に未来の事を語る度に、彼女が見せていたもの。
「その私が与えられた任務は――遠くない将来に、『
「……ハハ」
つい先程、ユーフォリアに向けた時にしか口にしていない筈の言葉を使われてしまっては否定のしようもなく、釣られたようにアキも笑う。何かを諦めたような笑顔で。
「……だから、貴方には普通の人で在り続けて欲しかった。しかし、こうなったからには……せめて私の手で引導を渡します」
――ある程度、覚悟はしていた。だが、此処までハッキリ言われると流石に堪えるな……
喉元を競り上がってくる吐き気を、笑い出した膝をごまかす為に。ただ、くすんだ金色の癖っ毛を掻きながら苦笑した。
そんな彼に追い撃ちを掛けるように、彼女は右手に第三位永遠神剣【時詠】と−――左の袖口から抜き出した、長い和剣を構えた。その刃は水に濡れたように、美しい。
「――さぁ、徃きますよ【時詠】……【
第三位神剣【時果】。倉橋時深が持つ三本の神剣の二振りが構えられた。彼女は複数の神剣に認められた、かなり稀有な存在なのだ。
「……構えなさい、天つ空風のアキ。さもなくば――殺しますよ」
低く、恫喝する声。何度も聞いたが、殺気まで向けられた事は一度たりとも無かった。だというのに今は――……
「……師匠、俺は――」
まるで、泣き出す前の子供のように震える声で答えながら。アキは……【真如】を構えた。
瞬時に彼女の本気が伝わったから。例え敵わないと解っていても、諦める事は彼には出来ない。
ただ、前に歩み続ける事。それが彼の選んだ道だから。どんな壁でも、全身全霊を持って乗り越え続けると。
「俺はずっと、貴女を――」
トチりそうになりながら、スピンローディングで装填する。衝き出した神銃のトリガーに指を掛けた――刹那、激震が洞穴を襲う。
「これは……?!」
「大変です、時深様!」
アキはおろか、時深すらも驚いた顔をする。同時に彼が来た道から、先程の巫女達が現れた。
「出雲が何者かの襲撃を受けています!至急お戻り下さ――」
言葉が終わる前に、侵入してきた複数の影。スリムなフォルムに、装甲を持った人型の機動兵器――マナゴーレム『ノル=マーター』が青、緑、赤、黒、白……全属性が無数に現れた。
「――フシュウウウ……」
そしてその背後から朱く煌めく双眸。無機質で重厚な装甲を持ち、右手は巨大で肉厚な鉈のように……左手は銃口のようになっている巨大な人型機動兵器。
「……ククク、見付けたぞ蕃神! 貴様はこの、南天神ゴルトゥンの獲物よォ!」
響き渡る声は間違いなく、かつてエヴォリアに取り付いていた怨霊……『眠ラズノ守リ神』に憑依した南天神ゴルトゥンが現れた――!
………………
…………
……
変型した【悠久】に乗り天翔けるユーフォリア。その視線の先には、メスで斬られたようにパックリと裂けた空間。
「あれは……"門"!」
そしてそこから、雲霞の如く溢れ出るノル=マーター達。それらは空中で次々に戦闘体制を整え、腕などから各々の弾丸を撃ち出してユーフォリアを狙う。
彼女はそれを、弾丸の荒波に乗るサーファーのように躱していく。
「――てやぁぁぁっ!」
そのまま、軍勢に突っ込み数体を粉砕して離脱する。しかし焼石に水、機械兵達は無数に地上に降り注いでいく。
「うぅ、どうしようゆーくん」
【どうもこうも……この数じゃ対応出来ないさ……せめて、旅団の皆が居れば……】
地上でも、そこかしこから爆音が響く。普段は巫女として働くミニオン達……防衛人形が、ノル=マーターとの戦闘を開始したのだ。
だが、やはり多勢に無勢。おまけにこの奇襲を受け、巫女達は数に圧されて劣勢に立たされていく。既に『出雲開門』と『清水の社』、『渓流の守』。『樹林の守』と『深緑の参道』、『萌葱の社』、『山麓の社』、『緑の守』の拠点…つまりは『奥の院』以外は敵に占拠されてしまっている。
「……貴女……確かエターナルの小娘ですね」
「えっ……?」
「丁度良い、貴女は早めに始末しておくとしましょう」
気を抜いていたその一瞬に、目の前に女神が居た。半透明の白い翼に、羽飾りの付いた兜。ローブと黒い鎧を纏い、斧と鎌に似た剣と盾を携えた『誘イ惑ワス使イ』に憑依した南天神イスベルが−−……