サン=サーラ...   作:ドラケン

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風の後先 不帰の道

 ものべーが出雲の空に消えていく。奥の院の前で挨拶を済ませたが、ナルカナが何やら気に入らない事でもあったのか随分と揉めていて出発は実に三時間も遅れた。

 因みに彼女、理想幹攻略に力を貸してくれるそうだ。ナルカナ曰く、『がーっと理想幹に行ってだーっと細工すれば希美は元通り。ナルカナ嘘吐かない』だとか。今は相剋の破壊の意志をファイム本人の意志で抑えているらしい。

 

 なお、『詐欺だ』とツッコんだアキはケルト神話の銀の腕の王が持つという不敗の証たる光剣の銘を冠する一撃『クラウ・ソラス』によって吹き飛ばされている。

 

「…………」

 

 武術服に身を包み、黒い聖外套を羽織り剣銃【真如】を肩に掛けたアキ。いつも通り仏頂面の彼だが、今日は輪を掛けて不機嫌だ。

 そもそも、なぜ彼はものべーに乗っていないのか。何故、時深や環、綺羅、宮司の老人『鹿島信三』らの側にいるのか。

 

「…………」

 

 目を開いた先には巫女、倉橋時深。彼女も彼と同じく、無表情で目を伏せている。

 と、ほぼ同時に開かれた彼女の目としっかりと見詰め――否、睨み合った。

 

「お、お兄ちゃん……そろそろ『元々の世界』への門が開くよ」

「ああ……」

 

 そんなユーフォリアの声が掛からなければ、いつまでそうしていた事だろうか。『策戦』開始までの約三日の猶予に、一旦『元々の世界』に帰る事を選択した彼と、それに『付いていく』と言って聞かなかったユーフォリアは踵を返して歩き始める。そのアキの背中を、呼び止めた声。

 

「……巽様、忘れ物は御座いませんか?」

「いや――無い。何も」

 

 付き添いの綺羅の台詞。その言外に含んだ意味を読み取って尚、アキはそれを無視した。恐らくは、それが今生の別れと知って。

 彼とて気付いている。綺羅が自分に声を掛けたのは――彼女の主が、彼に声を掛ける口火を切る為だという事は。

 その思惑通り、時深は口を開く。

 

「――私が贈る言葉などただ一ツ、好きに歩きなさい。次に会う時は、私達は敵同士かもしれませんからね……天つ空風のアキ」

「時深様……」

 

 『それで全てだ』と。巫女は口を閉じる。綺羅も寂しそうに、目を伏せて口をつぐんだ。

 

「……では、これで」

 

 一ツ頭を下げて、また歩き出す。言われた通り、いや、彼の在り方として立ち止まる事は無く。その二ツ名の通りに。

 

「お兄ちゃん……本当に良いの?」

 

 その風を押し止めるように、右の袖を引いたユーフォリア。しかしアキは足を止めない。『天』と『地』の狭間、全ての存在を許すこの『空』の中で。

 納まるべき『鞘』を持たぬ、否、必要としない"生命"なる『刃』を携えた、立ち止まらぬ"風"として進む。

 

「良いも悪いも、それが『運命』なんだろ。言ったのはお前だぜ、時深さんには未来を視るチカラが有るって」

「それは、そうだけど……でも……こんなの悲しすぎるよ……」

 

 ほとんど、引きずるような歩き方。痛みから逃げるように、悲しみから目を逸らすように。自分でも卑怯だと解っていながら、彼女に責任を押し付けた。

 

「……お兄ちゃんにとって時深さんは、こんな別れ方で良い程にどうでもいい人なの? 長い間一緒に居た、大切な人じゃないの?!」

「…………ッ」

 

 歩みが、速度を落とす。たった一人の小柄な少女の重みが、彼の一歩を……歩みを止めないと誓った筈の壱志(イジ)を揺らがせる。

 

「あたし知ってるもん。時深さんがどれだけ、お兄ちゃんの事を大事に思ってるか。お兄ちゃんが時深さんの事をどれだけ誇りに思ってるか。そうじゃなきゃ、二人ともあんな顔して相手の事を口にしたりしないもん」

 

 アキの全て、弱さすら肯定して認めているアイオネアが『悪魔』であれば――彼の弱さを糾弾したユーフォリアは『天使』と言えるだろう。

 生きる事で抱く苦痛や懊悩から、優しくも『逃げてもいい』と説くモノが『悪魔』であれば、厳しくも『逃げずに立ち向かえ』と説くモノの総称こそ『神』や『天使』なのだ。

 

 真っ直ぐに見上げられて、アキは失敗を悟る。何時からか……ソルラスカやルプトナと親交を深めた辺りからやらなくなった、自分の殻に閉じ籠もるやり方を忘れてしまった事を。

 

「駄目だよ、逃げちゃ……お願い、太刀(たち)向かって。あたしの……あたしの好きなお兄ちゃんのままで、居てほしいの……」

 

 蒼く涙に煌めくその目は彼の弱さを責める。本人にその気は無くても、清廉な眼差しは『逃げるな』と如実に語る。

 

――……ハラワタが煮え繰り返る。好き放題に言いやがって、テメェ一体何様のつもりだ。お前なんかに……俺の何が判るんだ!

 

 その激情のままに。彼は【真如】を掴み、勢いよく――

 

「――忘れもんした、先に行ってろよ」

 

 それをユーフォリアに投げ渡して、今来た道を遡り始める。慌てて受けとった彼女……風の行方すらも曲げてみせたユーフォリアは。

 

「……うん、待ってるね……」

「行けっつってんだ、莫迦……」

 

 【悠久】と【真如】を抱きしめたままで、『巽空』を見送った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキが踵を返した事には、直ぐに気が付いた。時深は向かって来る、いずれ敵となるだろう『相手』を迎える。

 

「……何か?」

 

 目の前で立ち止まった彼に警戒は絶やさない。彼女はアキの神剣が銃ではなく、"生命"だという事を知っている。あの銃はあくまでも、チカラの空器(ウツワ)だと。

 

「……迷惑だと思います。思い上がるな、って思われても仕方ありません。でも、言っておかないと……この先の永遠を後悔し続ける事になるから、言います」

「……はい?」

 

 その雰囲気にそぐわず、柄にも無く頬を真っ赤に染めて。アキは真っ直ぐに彼女を見詰める。

 

「……俺は貴女を……巽空は、倉橋時深を――」

「待っ、ままま、待ちなさい! 何?! 何なんですかっ、いきなりタ○チみたいな!?!」

 

 その真摯な琥珀色の眼差しに、流石の彼女も平静を失う。あわあわと胸元に手を当て、少し後ずさった。

 そんな彼女の肩に手を置いて逃げられないようにして、アキは――

 

「母親みたいに、思っています。本物の母親なんて知らないけど……今までも、そして、これからも……ずっと――……」

 

 ただただ、真摯に。生まれて初めての『告白』を行った。

 ぽかんと彼を見詰めた時深、少し離れた位置の環と信三。

 

「……はぁ」

 

 溜息を落としたのは、時深。スッと右手を持ち上げ――すこーん! と『時朔の扇』で彼の頭を打った。

 

「イッタ、何すんですか師匠!?」

「『何』はこっちの台詞ですよ。どうして『姉』くらい気の利いた事が言えないんです! 全く、図体ばかり大きくなって、人付き合いの初歩も知らない……そんな事だからモテないんですよっ! この唐変木!」

「イテテテ……すみません、師匠。生れついて、そういう才能は無いらしくて……」

 

 がーっと、腕を振り回して怒る。ポカポカと連打され、アキは頭を守りながら。

 

「それに……負け惜しみになりますけど、そういうのは別に良いです。俺は純愛派ですからね……」

 

 その触れ合いを懐かしむように、噛み締めるように笑う。その笑顔に時深は手を止めた。手を止めて――

 

「報われなくたって、結ばれなくたって。俺自身が選んで行動した結果で、愛する人が他の男とでも幸福になってくれたなら……そこに意味は在るんですから……」

「……呆れた……本当に変わってないんですね、貴方は……」

 

 そんな、何処かで見た事のある、諦めた笑顔を浮かべた彼に――ゴツンとゲンコツを落として。

 

「……優しい子ね。本当に、哀しいくらい……誰よりも優しい子……」

 

 幸福も愛も。何も知らない癖に、知ったかぶりで強がった少年を抱き寄せる。

 優しく、慈愛に満ちた眼差しで。ディッシュウォーターブロンドの癖毛の髪を、名残を惜しむように撫でて。

 

「……ただ、莫迦なだけです。俺ァ、時深さんみたいに強くて優しい大人になりたかった……」

 

 これより永遠を(けみ)しても、二度と出来ないであろう……最後の交わりを。

 

「歩み続けなさい。その優しさが続く限り、貴方は私の自慢の息子よ……」

 

 それが、最後となる。それを口にすれば全てが清算される。それを知りつつ、それでも彼は――己の歩みを止めない。

 

「行ってらっしゃい、空……」

 

 それが、最初で最後の親孝行だと判っているから……。

 

「……はい、行ってきます――……」

 

 卑屈さなど欠片も無い、生まれて初めて子供のように穏やかな笑顔を浮かべて。

 

「――――母さん……」

 

 万感の想いを篭めて……子供時代の自分に別れを告げる、その聖句を唱えた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 振り返る事も無く走り去った、『青年』の背中を見送って。時深は微笑んだ。

 

「……『蛙の子は蛙』、か。全く、馬鹿みたいに物分かりが良いんだから」

 

 思い返すのは、この以前の物語。この世界で生まれ、異世界に召喚されて永遠神剣を手に戦った少年……彼女の初恋の少年の姿。

 

 彼を、彼女は千年の間待ち続けた。千年間待ち続けて、結局……想いは届かなかった。

 彼女が想い続けた彼は、永遠神剣の因果律操作により送られた異世界の少女……『お伽話の世界(ファンタズマゴリア)』の『妖精(スピリット)』と恋に落ちて結ばれ、エターナルとなって――……子まで成した。

 

「……怨みますよ、ローガス……私にこんな思いをさせて……」

 

 きつく握り締めた拳から血が滴る。第一位神剣【運命】を携える、『全ての運命を知る少年』の二ツ名を持つ彼がこの結末を知らない訳が無い。

 知っていて、自分に役目を与えた。恐らくは……彼を『間違いなく』ロウ=エターナルとする為に。何故なら、これであの青年は揺るがない。ただ、自らを貫くのみ。

 

「……時深、頑張りましたね……」

「姉さん……私は……羨ましかったんです……もし、アセリアじゃなくて私が選ばれていたのなら、一体どんな子が生まれていたんだろうって……」

 

 その拳を環が優しく包む。それに……時深は声を震わせた。

 

「私はあの子を……そんな有り得もしない可能性の身代わりにしたんです。そしてあんなに、辛い運命を強いてしまった……」

「……良いんですよ。それだけ貴方は、あの子を大事に出来たんですから。彼は……立派な男性に育っていたではありませんか」

 

 姉から、子供のようにあやされて。彼女は天を見上げた。

 

 何処までも蒼一色の大空に悠揚と棚引く、一筋の白い飛行機雲に吹き抜ける一陣の風。そして――……高く飛び去っていく、小さな光。

 

「……私は……立派じゃなくていい。ただの人として生きて欲しかった。痛みや悲しみから逃げ出す人間に育ってくれれば……あんな運命を背負わずに済んだのに……本当に……変なところばかり、似てしまいました……」

 

 その姿は――日の光を浴びて金色に煌めいて見えた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒い聖外套を翻して、走り抜ける山道。足場は悪いが、戦いにより鍛え上げられた足腰が揺らぐ事は無い。

 

 やがて、駆け足から競歩、そして歩行になる。門はまだ先、ここで速度を落とす理由はない。だが、ここからでなければ我慢が効きそうになかった。

 

――行かなきゃ良かった。知らなきゃ良かった……こんな幸福なんて知ったら『滿(ミタ)』されちまう。俺は……『(カラ)』じゃなきゃいけないのに。

 

 軋む胸を押さえ付ける。今にも壊れそうな心を、泣き喚きそうな魂を宥めすかす。

 彼が目指すのは侠客(オトコ)だ、そうそう無様は出来ない。

 

――だから行けっつったんだよ……お陰で、泣く事も出来やしねェ……。

 

「……莫迦野郎、お前が……」

「……っ」

 

 木陰に隠れているその少女に、泣いている姿など見せられる筈もない。

 左手で取り上げるように【真如】を受け取り――背中に抱き着いた温かさ……涙ぐんだユーフォリアに、己の頭を掻いた。

 

「お前が……俺の痛みで泣く必要があるかよ、莫迦野郎……」

 

 恐らく【真如】を通して『見て』いたのだろう。神銃形態のままのアイオネアも、ただ黙している。

 

「……ごめんなさい……あたし……」

「……煩せぇ……何も言うな。優しい言葉なんて掛けやがったら……絶対に許さねェからな」

「ごめ……なさ……ごめんなさい」

 

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら頚を振る。鮮やかな蒼髪が、夜明前の瑠璃色の空のように煌めく。

 

「莫迦……感謝してんだ、これでもよ。お陰で……」

 

 外套越しに感じられる、温かさ。彼が壱志(イジ)を張るには、ただそれだけでも充分過ぎる。

 

「ここから、天つ空風のアキは……もう一度始まったんだからな……」

 

 そこが、彼の『第二の起源(ターニングポイント)』となる。人間"巽空"はここで終わり――『空位永遠存在(アイオーン)』"天つ空風のアキ"の始まりへと。

 

「……だから、そら。誕生日の祝福は笑ってやるもんだろうが」

「はふ、うにぃぃ~……?! あ、あにふるろぉ~~っ!」

 

 振り解き、やおら向き直ると彼女の両頬を引っ張った。無理矢理に笑顔を作らされた彼女は、当然、赤くなった頬を押さえながら彼を睨んで。

 

「――行くぞ、()()()()()、綺羅が待ってる。これ以上遅れたら、また怒られちまう」

 

 いつかと同じく、差し延べられた右掌。いつかと同じ疵だらけの、無骨な男の掌を見詰める。

 

「……うん」

 

 嬉しそうに掌を重ねた彼女。なぜなら……ただ一ツ、その表情が違う。後ろ姿だけでも判る、心底から気怠そうな面倒臭そうな……いつも通りの仏頂面だ。

 

「変わり続ける事……それが貴方にとっては変わらない事なんだよね……」

「あん、なにか言ったか?」

 

 それが彼女は嬉しい。哀しい笑顔ではなく、嬉しそうな仏頂面が。自分の手を引いて歩き行く、大柄な青年の大きな背中。

 今まで一度も、出逢った事の無い人種。真っ直ぐな捻くれ者。

 

「別に何も言ってないもん。それより急がないと」

「つァ、おい!?!」

 

 その筋肉質な右腕を華奢な両腕で抱き締めてユーフォリアは、天に響けと高らかに唄い上げる。

 

「【悠久】のユーフォリアの名に於いて求める。いくよゆーくん、全速前進っ!!!」

 

 投げ出し、サーフボードのように変型した【悠久】に乗って。更に『マナリンク』でアキと同調して、無限のプロペラントを得た。

 

「待て! 今まで黙ってたけど俺、実は案外絶叫マシーンは苦手で……うわぁぁぁぁぁぁっ!?!!?!!」

 

 暴走じみた加速によって、天高く舞い上がる。飛行機雲を棚引かせ、天を渡る風と共に碧空を斬り割いたのだった――……。


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