サン=サーラ...   作:ドラケン

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第八章 元々の世界《東京都 物部市》 Ⅱ
法の護人 鋼の大地 Ⅰ


 立ち並ぶ摩天楼の一つ。一際高く豪奢な印象を与える高級ホテルの最上階、貸し切りの状態のラウンジで。まだ十代中程としか見えない、銀色の髪と藍玉(サファイア)の瞳の黒いドレスじみた装束少女が一人。

 メインディッシュを終えてナイフとフォークをマナー通りに置いて口を拭った彼女は、深紅の雫が注がれた細身のワイングラスを手慰みにする。

 

「やはり失敗したか、あの【幽冥】(なまくら)め。言われた通りに観客に徹しておれば良かったものを……血迷いおって、貴様如きにこの舞台の役者が務まろう筈もない」

 

 唾棄した後、その雫を艶やかな桜色の唇に流し込む。見た目は少女だが彼女もまた永遠存在(エターナル)、外見と内面は乖離している。

 発酵した葡萄と木樽の芳醇な香気に、刹那、弥栄なる大地を幻視した。

 

 そうして空となったグラスに、少女の神気に当てられたか、虚ろな瞳で控えていたウェイターが再び神雫(ワイン)を注ぐ。熟達の徒であるその手並みは、忘我の境地に在って尚、一滴すら跳ねさせる事はない。

 

「しかし……予想外の掘り出し物か。あの小僧め、まさかあれ程の逸材であったとは」

 

 次に注がれたのは、琥珀の発泡神雫(スパークリングワイン)。その色合いを矯めつ眇めつ見遣る藍玉の瞳が想起させられたのは、一度だけ交わった視線。

 

「……『生まれる事も出来なかった』分際で、我の予想を上回るとは――忌々しい」

 

 まるで子供を見るように自分を見下ろす、不届きな三白眼の琥珀色だった。

 

「――御食事中、失礼します」

 

 そこに、軽やかな少年の声。軽率にも熱を帯びた思考を断ち切り、彼女は――

 

「何用で参った」

「ふふ……酷いですよ、フォルロワ様。折角訪ねてきた部下に、そんな言い方をしなくても」

 

 視線を向ける事もなく、白い髪と装束に、白い片刃の片手剣を腰に佩した中性的な少年に問う。少年はそれになんら気分を害した様子もなく、彼女に笑いかけた。

 己の背後で少女に恐れを成したように萎縮している黒髪に黒衣の、やはり黒い片刃の片手剣を佩した同じ外見の少年を尻目に。

 

「だから言ったんですよ。あんな雑魚じゃなくて僕とガルバルスに任せてくださっていれば、上手く運んだのに」

「ふん……」

 

 少年の物言いに、彼女は不愉快そうにグラスを傾ける。記憶に残る、その男の印象ごと飲み干して。

 

「……態態此処まで来たのは、そのような無意味な事を言う為ではあるまい。もう一度だけ聞いてやる――」

 

 一瞬の内に、ラウンジの空気が凍り付く。少女が発した凄まじいまでの圧力に。

 

 

「――()()()()()()、“日向(ひゅうが)のヘリデアルツ”、ガルバルス」

「「――――ッッ!?」」

 

 元々怯えていた黒い少年は勿論、ケラケラと道化のように笑っていた白い少年すらも、畏怖に表情を変えた程だ。

 

「この時間樹に侵入した時に、幾つか同じ反応を感じました。恐らくイャガや……“法皇”達かと思い、報告に参上した次第です」

 

 流石に、本気で怒らせるつもりはないのだろう。ヘリデアルツと呼ばれた少年は恭しく礼を取って口を開いた。

 

「その程度の事は分かっている。エト・カ・リファが眠りに就き、その後を任された神々は烏合の衆……我が管理せねば、この時間樹は最早経ち行かぬのだからな」

 

 だが、少女に焦りなどの感情は無い。落ち着き払ったまま、自身の神気に意識を散じたままのウェイターへとチップを渡して立ち上がった。

 

「あの“法皇”達を敢えて見逃していたとは……流石ですね。流石は――」

「下らぬ、おべっかは止めろ。貴様らはまだ出る幕ではない、大人しく観客に徹しているがいい」

「――直々に動くのですか? 貴女が?」

 

 歩み去る少女に、少年は微笑む。珍しい事もあったものだ、と。

 しかし少女は、それにも足を止める事はない。少年達など、端から目に入れてもいない。

 

「あっはは……『機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)』同士の戦いですか、これは見物だね、ガルバルス♪」

「に、兄さん……早く帰ろう」

 

 弟に語りかけた白い少年だったが、黒い少年は更に蒼白な状態になっている。呼吸する事すら、辛そうだ。

 だが、白い少年はまたもヘラヘラ笑い――

 

「それとも――そんなに良い男なんですか、“天つ空風のアキ”って男は? よかったじゃないですか、今まで契約者を作らなくて。男ってやっぱり、初物が好きですからね。まぁ、今の貴女の姿で色仕掛けが効いたら、それはそれで問題――」

 

 巻き起こる漆黒の剣風が、ラウンジごとホテルの階層を両断する。崩れ落ちる瓦礫の雨が、遥か下層の舗装された道路に降り注いでいく。

 夜闇に閉ざされたラウンジの中、ただ一人立つ――漆黒の両刃大剣を無造作に持った少女。

 

『怖い怖い……それじゃあ、後は大人しく出番を待ってますよ』

 

 虚空に響く少年の声に、少女は『己の分身』を消した。そして実に残念そうに、巻き込まれて亡骸すらないこのラウンジの従業員の――。

 

「――多少は気に入った店だったのだがな」

 

 『質と味』だけを、心底悔やんで。

 まだ生きているエレベーターで下の階へと降りていった。


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