黒の剣姫 青の暴君 Ⅰ
闇の底に身を沈めていた少女は、ふと天を見上げた。虚空より、気配を感じた気がしたのだ。
緑の天蓋に空隙が穿たれ、夜空が覗いている。恐らくは自分が今腰掛けている倒木がそこを覆っていたのだろう。その先に在るのは満月。凛としたその威光は、遠く離れた地上に在って尚圧倒される程だ。
「佳い月ですね……」
だが、その月光を持ってしても彼女の雰囲気を脅かす事能わない。梢の間を抜けて届いた夜風が、彼女の髪を揺らす。金色の、あの月と同じ煌めきを放つ美しい髪。そしてその身に纏う気高き若獅子の如き凛々しい気配。言うなれば、彼女は地上の月だった。
僅かに乱れた金髪を手櫛で撫で付けて、再び手元のソレを磨く。不織布にて磨き上げられるソレは、少女が持つには余りにも不釣り合いな黒い大刀。
否、不釣り合いといえば総じて不釣り合い。黒い鎧に身を包み、まるで竜巻がのたうち回った後のように薙ぎ倒された木々に、刔り取られた地面と砕かれた巨石が骸のように曝されている場所で平然と剣の手入れを行うなど常人では有り得ない。
「……」
その背後に、影が立った。その手には鋭い鎌が--いや、腕自体が鎌の、異形の闇の獣が。
禍々しく銀色の月光を照り返すそれを、獣は少女に向けて突き出して……膝に乗せた。
「……あら、貴方も磨いて欲しいのですか?」
驚きもせず、彼女はそれを受け入れた。あまつさえその表情には喜色すらある。
「……」
何も言わぬ闇の獣は、少しだけ照れたように身を震わした。その様は、主人に擦り寄る仔犬に似ている。余りに似合わないが、故に少女は微笑んだ。健気だ、と。
この影の獣が、こんなに甘えるのも珍しい事だ。誰も居ない今を好機と見たのだろう。
「ふふ、分かりました。剣の次は貴方ですね、アイギ--」
刹那、少女が天を見遣る。影の獣もまた主に倣った。強烈な力の流れを直感で感じ取ったのだろう、それはさながら歴戦の武人を思わせる厳しい表情だった。
「あれは--」
吹き荒ぶ猛烈な風に木々の枝葉が鳴いている。そして、見上げた。呆然と見上げていた。その風を起こした、巨大な--
「天……使……?」
天が見えなくなるほどに巨大な、羽を持ったーー見たこともない姿をしたその存在に向けて、そう呟いて。
「分かりましたか、アイギアスーーあれこそ、勝利の兆しに違いありません」
「…………」
立ち上がり、勢い込んでそう口にした少女に、『アイギアス』と呼ばれた獣は不貞腐れたように姿を消した。黒い影となり、彼女の持つ『黒い大刀』に。
「探さなければ……我が国の勝利の為に!」
そう呟いて、彼女は森の中を駆け出したーー……。